「限界集落」という聞き慣れない言葉を耳にしたのは、つい最近の
事である。今、日本では急速な少子高齢化と地方と都市部の経済格差
が広がり、この傾向が激しくなっている。
日本の経済を支えてきたのは、私達世代のように地方から都会や
工業地帯へ出ていった地方出身の労働者である。江戸時代でも良く
似ていた。
農家の次男、三男は受け継ぐべき土地がなかったから、多くは
家を離れ都会に仕事を求めて出ていった。私達が就職した頃は、農家
の長男でさえ都会や工業地帯に就職したものも少なくない。その結果、
三ちゃん農業などと言う言葉も生まれた。
決して良い表現とは思えない「限界集落」とは、どのようなもの
なのだろうか。「限界集落」とは、人口の半数が65歳以上の高齢者
となり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落の
ことだと言われている。
こうした集落は、もはや存続が難しくなり消え去る運命にあると
言われている。日本全体の少子高齢化を背景に地方の過疎化が進み、
このような集落の数が着実に増加しているのが現実で、国土交通省
によれば、全国にある集落の13%にあたる7837が限界集落
だと考えられている。
このような集落の「限界化」は、60~70年代の高度成長期以来
続いている若者の都市への移住の結果といえる。雇用の機会が少ない
こともあり、若者が村から出て行ってしまうと、過疎化により村の
生活が不便になり、それが過疎化に拍車をかけるという悪循環に
陥っているようだ。
今、山間部を走ると荒れ果てた畑や田んぼがたくさん見られる。
高齢化と人手不足で耕作を放棄した田んぼや畑である。先祖達は、
これだけの農地を開くのにどれほどの苦労をしただろうかと考える
とき、むざむざと放棄されつつあるこの広大な農地の荒れ果てて
いく姿は見ていられない。
田畑は耕作を二、三年止めてしまうと、瞬く間に雑草が入り、その跡
へは木々が根を下ろし始める。一端、木々が根を下ろしてしまうと
元に戻すのは容易な事ではない。更に年月が過ぎると積み上げた石垣
さえ崩れ始める。木の根が石垣を押し出すからだ。こうして、総ては
自然に返ってしまう事になる。
多くの棚田は天然のダムだと言われてきた。大雨を一時は貯める
からだ。その働きは大きなダムにも匹敵するような能力を有したと
言われている。それがなくなれば降った雨の大半はそのまま川に
流れ込んでいく。
下流のダムには限界がある。最近のダム湖の湖底には大量の土砂が
堆積しているところがあると言われている。最早、ダムとはなり
得ないものもあると言うから恐ろしい。確かにダムは水も溜めるが
崩れて流れ込む山の土砂も貯めているに違いない。
人の手が入らないものは、総てが自然に返っていく。それはダムも
田畑も同じことである。先日、シバの女王の神殿跡ではないかという
場所の発掘現場が放映されていた。神殿の上流に当たる場所に大きな
ダムが築かれていた。このダムこそがシバ神殿周辺の繁栄を支えて
いたのではないかと言われている。
ダムが築かれた当時はきちんとした管理が行われ、修理も行われて
いたらしい。しかし、年を経るに従って、ダムの維持管理はおろそかに
なり、ついにある時、崩れ落ちて下流域は一気に押し流されたのでは
ないかと推測されている。
あり得ない話ではない。人の管理がおろそかになった時から崩壊の
危機は始まっていた。この世の中総てが人との関わりの中で維持され
ている。その人が関わりを忘れたり、出来なくなったときから、社会
は崩れ始めたと見るべきではないだろうか。
今まさにその時が始まろうとしている。シバの女王が君臨しその
周辺は大いに繁栄をしたことだろう。ダムのお陰で農地が広がり周辺
地域まで繁栄したのではないだろうか。
しかし、都市中心部の生活が豊かになればなるほど、周辺の農家は
貧しく見えたに違いない。こうしてより多くの富や豊かさを求めた
人達は農村を捨て、女王が住む都会へ出ていったのではないだろうか。
その結果がダムの崩壊であり、都市を支える機能の崩壊に繋がった。
実は繁栄を極めている都会は地方の犠牲の上に成り立っている事を
忘れてはいけない。限界集落の増加は決して他人事ではない。
限界集落の増加は砂上の楼閣が崩れるのに似ている。足元が崩壊を
始めているのだ。今こそ地方に目を向け、崩壊し始めた自分の足元を
どのように固めていくのか真剣に考えなければ、営々と築きあげた
楼閣でさえ、崩れ去る日は遠くない。
事である。今、日本では急速な少子高齢化と地方と都市部の経済格差
が広がり、この傾向が激しくなっている。
日本の経済を支えてきたのは、私達世代のように地方から都会や
工業地帯へ出ていった地方出身の労働者である。江戸時代でも良く
似ていた。
農家の次男、三男は受け継ぐべき土地がなかったから、多くは
家を離れ都会に仕事を求めて出ていった。私達が就職した頃は、農家
の長男でさえ都会や工業地帯に就職したものも少なくない。その結果、
三ちゃん農業などと言う言葉も生まれた。
決して良い表現とは思えない「限界集落」とは、どのようなもの
なのだろうか。「限界集落」とは、人口の半数が65歳以上の高齢者
となり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落の
ことだと言われている。
こうした集落は、もはや存続が難しくなり消え去る運命にあると
言われている。日本全体の少子高齢化を背景に地方の過疎化が進み、
このような集落の数が着実に増加しているのが現実で、国土交通省
によれば、全国にある集落の13%にあたる7837が限界集落
だと考えられている。
このような集落の「限界化」は、60~70年代の高度成長期以来
続いている若者の都市への移住の結果といえる。雇用の機会が少ない
こともあり、若者が村から出て行ってしまうと、過疎化により村の
生活が不便になり、それが過疎化に拍車をかけるという悪循環に
陥っているようだ。
今、山間部を走ると荒れ果てた畑や田んぼがたくさん見られる。
高齢化と人手不足で耕作を放棄した田んぼや畑である。先祖達は、
これだけの農地を開くのにどれほどの苦労をしただろうかと考える
とき、むざむざと放棄されつつあるこの広大な農地の荒れ果てて
いく姿は見ていられない。
田畑は耕作を二、三年止めてしまうと、瞬く間に雑草が入り、その跡
へは木々が根を下ろし始める。一端、木々が根を下ろしてしまうと
元に戻すのは容易な事ではない。更に年月が過ぎると積み上げた石垣
さえ崩れ始める。木の根が石垣を押し出すからだ。こうして、総ては
自然に返ってしまう事になる。
多くの棚田は天然のダムだと言われてきた。大雨を一時は貯める
からだ。その働きは大きなダムにも匹敵するような能力を有したと
言われている。それがなくなれば降った雨の大半はそのまま川に
流れ込んでいく。
下流のダムには限界がある。最近のダム湖の湖底には大量の土砂が
堆積しているところがあると言われている。最早、ダムとはなり
得ないものもあると言うから恐ろしい。確かにダムは水も溜めるが
崩れて流れ込む山の土砂も貯めているに違いない。
人の手が入らないものは、総てが自然に返っていく。それはダムも
田畑も同じことである。先日、シバの女王の神殿跡ではないかという
場所の発掘現場が放映されていた。神殿の上流に当たる場所に大きな
ダムが築かれていた。このダムこそがシバ神殿周辺の繁栄を支えて
いたのではないかと言われている。
ダムが築かれた当時はきちんとした管理が行われ、修理も行われて
いたらしい。しかし、年を経るに従って、ダムの維持管理はおろそかに
なり、ついにある時、崩れ落ちて下流域は一気に押し流されたのでは
ないかと推測されている。
あり得ない話ではない。人の管理がおろそかになった時から崩壊の
危機は始まっていた。この世の中総てが人との関わりの中で維持され
ている。その人が関わりを忘れたり、出来なくなったときから、社会
は崩れ始めたと見るべきではないだろうか。
今まさにその時が始まろうとしている。シバの女王が君臨しその
周辺は大いに繁栄をしたことだろう。ダムのお陰で農地が広がり周辺
地域まで繁栄したのではないだろうか。
しかし、都市中心部の生活が豊かになればなるほど、周辺の農家は
貧しく見えたに違いない。こうしてより多くの富や豊かさを求めた
人達は農村を捨て、女王が住む都会へ出ていったのではないだろうか。
その結果がダムの崩壊であり、都市を支える機能の崩壊に繋がった。
実は繁栄を極めている都会は地方の犠牲の上に成り立っている事を
忘れてはいけない。限界集落の増加は決して他人事ではない。
限界集落の増加は砂上の楼閣が崩れるのに似ている。足元が崩壊を
始めているのだ。今こそ地方に目を向け、崩壊し始めた自分の足元を
どのように固めていくのか真剣に考えなければ、営々と築きあげた
楼閣でさえ、崩れ去る日は遠くない。