人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

孫の顔を見に東京へ

2011-10-31 06:13:04 | Weblog
 10月26日から29日の間、私は東京に滞在していた。と言っても東京へ着いたのが26日の
正午前、29日の16時50分には新幹線に乗っていたので東京にいたのは正味三日間ぐらいだった。

 いつものことながら4日間はあっという間に過ぎ、あわただしい毎日であった。今回の東京は3月
11日の東日本大震災、それに続く原発事故以来のことであった。東京は息子達や多くの友人が
住んでいるところなので、ずっと気がかりだった。

 しかし、震災や原発事故以来、半年以上が過ぎた東京は何事もなかったかのように、相変わらず
どこへ行っても大勢の人が行き来し賑わっていた。

 今回の東京は10月3日に誕生した孫の理央の顔を見るためであった。着いた日の午後に少しと
東京を離れる日の午後少し顔を見て帰途に着いた。とは言っても相手はまだ誰の顔かも判別出来ない
ような新生児である。

 孫は赤ちゃんとは思えないほど整った顔をしていた。事前に写真を見ていたので初対面のような
気はしなかったが、抱いてみたときの体の重さや温もりに何とも言えぬ愛おしさを感じたのは血の
繋がり故であろうか。

 私にとって理央は二人目の孫である。さて、気になるのは孫達の将来のことである。混沌とした
世の中、それらの全ては「人の行い」によるものであるが、そのことがこの子達の将来にどのような
影響を与えるのであろうか。今は幸多かれと祈るばかりである。

 離れて暮らす二人の孫ではあるが、望むべくは私の経験について語り、生きていく上での智恵や
知識を授けておきたい。そうした知恵や知識がいつかはこの子達を助けることもあるであろう。

 孫は私の膝の上でいつの間にかすやすやと寝息を立て始めた。時々、驚いたようにびくりとしては
又眠り始める。名残惜しい気もしたが、いつまでも抱いているわけにもいかず、その小さな体を
そっと布団に横たえ嫁の実家を後にした。

 今回の上京にはもう一つの目的があった。バリアフリー映画の上映会に行くことであった。場所は
東宝シネマズ六本木ヒルズであった。ここで第24回東京国際映画祭が行われていた。

 たくさんの映画がノミネートされ、その中に我が岡山から山崎樹一郎監督の「ひかりのおと」と
言う映画がノミネートされ、地下鉄からの通路には他の映画ポスターと一緒に「ひかりのおと」も
貼ってあった。我々がこれから上映会を開きたいと考えている作品だけに誇らしく思えた。

 家に帰り早速、山崎君に電話をしたら私と入れ違いに岡山へ帰ったそうで、うれしそうな声をして
いた。たとえ賞は取れなくても映画祭にノミネートされただけでも名誉なことである。出来れば賞に
輝くことが出来れば言うことはないのだが・・・。

 目的のバリアフリー映画は山田洋次監督の名作「幸せの黄色いハンカチ」だった。この映画の
活弁ライブを行ったのが我らが活弁士「佐々木亜希子」であった。

 バリアフリー映画に活弁士が映画説明を入れることによって視覚障害者にも臨場感ある映画を
楽しむことが出来る。そして字幕が入ることによって聴覚障害者も映画を楽しむことが出来る。
これがバリアフリー映画である。

 むろん、映画説明は別段新しいものではない。しかし、活弁士の語りは情景描写がリアルであり
活弁調なので聞き取りやすいようだ。これが視覚障害者に喜ばれているのではないだろうか。

 映画上映の後、山田洋次監督を囲んでのトークがあった。印象に残ったのは台詞や音がなくても
分かるような映画を作るように心がけているという監督の言葉であった。実は私達も気付いていた
ことで無声映画はその点において実に良く作られている。

 ロイド、キートン、チャップリンと三大喜劇役者が手がけた映画が何よりもそれを物語っている。
台詞がなくても理解できるし笑えるのである。さすがという他はない。

 私達「夫婦活弁士」もこうした笑える映画に助けられている。そしてもう一つ。今回は芝公園の
横に建つ超近代的なビルの中でIT関連の催し物があった。この催し物の中で息子達が出演すると
いうので聞きに行った。

 息子はつい最近になって会社を興し、スマートフォン関連のソフトを開発している。起業するには
今しかないと友人に誘われ10月に起業したばかりである。

 そうした若き企業家達4人によるトークイベントであった。幾つか応募のあった中から選ばれて
出演したようだ。私達世代にとってスマートフォンもそのアプリケーションも縁のないものである。
それらをどのようにして利益に繋げていくのか。また将来はどのような方向を目指しているのか
彼らのトークを聞いていて良く理解できた。なるほどと思うようなことも少なくなかった。

 しかし、全てが上手く行くわけではないだろう。今はただガンバレと背を押してやるしかない。
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秋の稔り

2011-10-23 05:05:40 | Weblog
 世間の騒ぎとは全く異なる姿がここにある。我が家の秋の稔りである。東北地方の悲しいまでの
現実と同じ日本とは言え豊で穏やかな瀬戸内の秋のたたずまい。これこそが現実と言うものであろう。
そして今、幸せを感じているものでさえ一瞬先に何があるか分からない。

 さて、我が家の畑では豊かな稔りの秋を迎えている。見上げれば西条柿の良く熟してオレンジ色に
透き通った実が幾つも青空の下で光っている。今年はEMを使い始めて三年目となり大収穫の年と
なった。

 そして家の前の柿の木にも愛宕柿や富有柿がたわわに実を付けている。今年は少し少ないかなと
思っていたのは葉で隠されていただけのことであった。日に日に落ちていく葉の陰からたわわなる
稔りが顔を出す。収穫が出来ないままカラスや小鳥の餌になるのだろうか。収穫が急がれる。

 果樹畑ではミカン、ハッサク、夏みかん、安政柑、柚子、ダイダイ、ネーブルオレンジ、レモン
土佐文旦などが収穫を待っている。たくさん収穫できそうなもの、そうでないものなど様々である。

 そして昨年は大豊作だった伊予柑は収穫ゼロである。どうやら実を付けすぎて木が弱ったらしい。
その上、冬の寒さが追い打ちをかけた。何事によらず全てが順調というわけではない。これが自然と
いうものであろう。

 しかし、確実に変化しつつあるものもある。それはEMによる効果であろう。先にも書いたように
EMを使い始めて早いところで四年、遅れて使い始めたところでも三年になる。畑は確実に変化を
見せ始めている。

 それは化学肥料の効果に勝るとも劣らないものである。変化はそれだけではない。病害虫が少なく
なって来たことである。少なくとも農薬の使用回数は極端に少なくなった。使っても一度か二度位
のもので、余ほど大量にアブラムシが発生をしたときだけのことである。

 そしてナシの赤星病にEMを使ってみた。見事に赤星病を押さえることが出来た。どうやらカビ類
には絶大な抑制効果があるようだ。来年からは果樹の葉面散布もしてみようと考えている。

 相変わらず松は若松のように勢いが良い。今年も長い枝を幾本も伸ばしている。既に体型を止めない
ほどの伸びようである。どうやらEMは松には特別な効果を有しているようだ。

 そしてEMの効果はEMそのものを撒かない周辺にまで及んでいる。ただ困ったことに果樹だけ
ではなく果樹の周辺や下草も効果が及んでいることである。何もかも良いことばかりではない。

 当たり前の話だが、これが自然というものであろう。EMの効果に感謝しつつ今年を終わろうと
している。
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あれから7ヶ月

2011-10-21 05:04:36 | Weblog
 あれから7ヶ月、一見何事もなかったかのように日々の生活は続いている。凄まじいまでの自然の
破壊力を見せつけられた東日本大震災、そして、それに次ぐ福島第一原子力発電所の爆発事故。

 月日の流れは早いもので、もう7ヶ月が過ぎてしまった。私達被災者でなかったものにとっては
そうであったかも知れないが、被災地のみなさんにとっては昨日の出来事のように思われているかも
知れないと思いつつ書いている。

 しかし、実際には7ヶ月過ぎたわけで、時の移り変わりは人の悲しみや苦しみとは関わりなく
止まることはない。こうした時の流れに無情感を抱いておられる方も少なくないのではなかろうか。
死んでいったもの、生き残ったもの、その差は一体どこにあったのだろうか。まさに運命と言う
明日をも知れない我が身を感じている人も少なくないのではなかろうか。

 そして更に言えば、まれに見るような大地震とそれに続く原発事故は人間というものの傲慢さを
うち砕くような出来事でもあった。安全だと言ってきた原発は何だったのか。今こそもう一度、
問い直さなければならない。

 7ヶ月が経過した今日、九州電力の会見では傲慢とも思えるような社長の態度であった。いわゆる
佐賀県知事のやらせメールの問題である。原発推進のためには多くの政治家や財界人が関わってきた。
そして地元の人達も反対派も賛成派も一様に恩恵を受けてきた。原発推進には莫大な金が使われて
きたのも事実である。

 だからいくら声高に反対しても原発反対の声は無視され続けてきた。その結果が今日に繋がって
いる。その限りにおいては放射能被害を過剰なまでに心配し騒いでいる人達も同罪だと言える。

 あれだけ地球温暖化問題が騒がれながら消費電力を押さえ、自然エネルギーに目を向けて
来なかったのか。もう何年も前から大気中の二酸化炭素増加による気候変動は懸念されてきた。
しかし、一向に改善の兆しは見えなかった。こともあろうに原発推進派の陰謀だとも言われてきた。

 ある種の流行語のように地球温暖化は聞き流されてきた。こんな原発報道が最優先される昨今に
おいても地球温暖化は激しさを増して来ている。それが紀伊半島を襲った豪雨であり、タイに
見られる大洪水なのではないだろうか。

 また東日本大地震の前には地震災害の報道も繰り返し行われていた。これら一連の報道を人々は
どのように見聞きしていたのだろうか。遠い未来のことだと考えていたのだろうか。プレートと
プレートとの境目に生ずるひずみが限界に達したとき、跳ね返った地盤による海水は大津波と
なって押し寄せることは衆知の事実であった。

 その時、自分はどのような行動を取るべきか常日頃から考えておくべきであった。家族間で
綿密な打ち合わせをしておくべきことであった。地域でも連携行動が取れるような打ち合わせを
しておくべきだった。大人なら何よりも家族のことを最優先に考えての備えや心構えをしておく
べきだった。それが安全対策というものであろう。

 あまりにも無知であったと言うべきか、それとも考えが甘過ぎたと言うべきか。それはタイの
大洪水にも言えることである。安易に海外進出を考えるべきではない。日本国内では経験的に
予知できることや感覚的に感ずることが出来ることも生まれも育ちも異なる外国ではそうは
行かないことが多い。それが国内と外国の違いであろう。

 他国には他国の空気が流れている。気候風土が違えば人も異なる。それは言葉が通じる通じ
ないだけの問題ではない。風土が異なるのである。


 さて、原発が大事故をお起こし、かねてより心配していたことが現実のものとなったとき、
これで全てのものが終わってしまったと感じたのは私だけであったろうか。恐らく原発を知る
ものほど強く感じたことではなかったろうか。原発反対を常々叫んでいたものでさえも、
よもや原発事故が現実のものになろうとは考えてもいなかったのではなかろうか。

 しかし、東北地方全体が地震に襲われ全停電になり電源が失われ原子力発電所に大津波が押し
寄せたと聞いたとき、これは大爆発やメルトダウンによる大災害が生じるに違いないことが
予測された。

 事態の深刻さはその時点から始まっていた。そして、間もなく水素爆発という凄まじいまでの
大爆発へと至った。あの原発建屋の分厚いコンクリート壁が完全に吹き飛んでしまったのである。
すごい破壊力である。そして未だ格納容器の実態すらつかめていない状態である。

 あえて考えては見たくない現実が隠されているに違いない。そこはまさに核地獄ではないだろうか。
そして、今もこの現実を不思議な感覚で見ている自分がいる。原発事故から7ヶ月。始まったとき
には想像も付かなかった今日の姿がここにある。そして今日も放射能問題が巷を駆けめぐっている。
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欲望の果てに

2011-10-20 06:12:10 | Weblog
 中国では地溝油と称する食用油が大問題になっている。地溝油とは廃棄された食料油が排水口に
溜まったものである。こうした油分を多量に含んだ下水を回収し精製して販売していたという代物だ。

 今までにも中国では様々に食に関する問題が生じている。塩と称して売っていたのは工業塩と言う
毒性の強い亜硝酸塩であったり、赤ちゃん用の粉ミルクに増量剤としてメラミンを入れて売っていた
など数え上げれば切りがないくらい偽物やまがい物が出回っている。

 こうした事件の全ては経済成長著しい中国の陰の部分と言えるのではないだろうか。今の中国人は
格差社会の中で取り残されまいと必至にあがいている。吾も吾もと金持ちになりたいと欲している。
そのためには手段を選ばないと言う凄まじいまでの人間の執念である。

 その結果、お互いに相手を信じることが出来なくなっている。生きていくためには欠くことの
出来ない食べ物や飲み物までが信じられないようになったらお終いである。

 また中国と言えばコピー商品を思い出すくらい様々なまがい物が多い。それらは著作権や特許権の
問題で多くの国々と様々な問題を引き起こしている。

 日本は多くのものを中国から輸入しているが、わけても輸入食料品の多くが中国製のものである。
先に問題になった農薬入りの餃子などは氷山の一角であり、地溝油の事件などと比較すれば些細な
ことかも知れない。現に他国では中国製の医薬品服用者からも被害者が続出している。

 人毛をかき集め醤油を作っていたなどと聞けば驚きとともに中国人の商魂のたくましさと発想の
豊かさを感じる位である。まさに儲けるためには手段を選ばないと言うすさまじさがある。

 また、一方では誘拐犯の村があり、その村では他の村の住人を拉致しては奴隷として売っていたり、
その奴隷を買ってレンガを生産させていたなど、今の世では信じられないようなことが行われている
ようだ。

 人間はどこまで落ちていくことが出来るのだろうか。欲望に抑制の効かなくなった人間の行き着く
先はどこなのだろうか。欲望という地平線の果てに何が待ち受けているのだろうか。

 こうした問題は一人中国だけの問題だけではない。今の世の中おしなべてこれに近いか、これ以上
のことが行われている。その一つがアメリカの食品業界を牛耳っている企業ではないだろうか。

 こうした巨大企業は農家に莫大な金を貸し与え借金で身動きできないようにして巨大な養鶏場や
農場を経営させている。これら畜産農家から運び出された牛や豚や鶏などは大工場で精肉されていく。

 こうした農場で肥育されている牛などは早く太らせるため濃厚な飼料を与えられている。そのため
胃の中では大腸菌のような細菌が突然変異を起こしO157などになるようだ。こうした牛が屠場
され挽肉に加工されたハンバーガーなどから病原性大腸菌による死亡者などが出ているのである。

 相次いで患者や死亡者が続出した挽肉の加工工場では何を考えたか、こともあろうにその挽肉を
消毒するために毒性の強いアンモニアを使い始めたのだ。実に恐ろしいことである。

 そして政府の要衝には、こうした企業関連のものを座らせ問題の発覚を押さえている。今や食料品
でさえ巨大企業に様々にコントロールされているという実態がある。従って、アレルギー問題などは
起きても不思議ではない。

 私達が日頃食べている多くの加工品の中には驚くくらいの添加物が混入されている。加工品の
多くはそれらしく見えているが、まがい物か添加物を食べているのかも知れない。放射能被害も
見逃すわけには行かないが、それ以上に恐ろしいのは定常的に食べているM社のハンバーガー
かも知れないのである。

 私達は生き方の根底から問い直さなければ行けないような時代に突入している。出来るだけ
子ども達には農薬などに汚染されていない自然のものを食べさせたい。加工食品は表示を良く
読んで買って欲しい。

 今の時代は自然栽培に近いものほど高いと言われている。だったらプランターで良いから庭や
ベランダの片隅で自分で植えた野菜を食べて欲しい。自然農については次回に書いてみたいと
思っている。
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大洪水と世界経済

2011-10-19 05:48:42 | Weblog
 あまり海外のことを報道しない日本のメディアだが、今回は連日のようにタイ国内の大洪水について
報じている。

 それというのも現地生産が目的でタイ国内に進出した日本企業が少なくないからである。海外進出の
メリットは少なくないがリスクも多い。その一例が今回の大洪水の被害であろう。

 恐らく生産設備の大半は水に浸かってしまったので再使用は不可能であろう。水が引かない上に
水が引いたとしても当分の間、機械設備は使えないのではなかろうか。大半の設備は更新が必要だろう。

 今後は現地生産を見直す企業も出てくるのではないだろうか。また、今回の大震災と長引く円高や
経済不況から国内脱出を考えていた企業も再検討を余儀なくされたのではないだろうか。

 さて、ギリシャに端を発したヨーロッパ発の経済問題は大手銀行までもが破綻するという最悪の
コースをたどりつつある。ヨーロッパ経済は国境という関税の枠を取り外し、ユーロという新しい
経済圏を作り、まさに順風満帆に見えたのだがそれはほんの一時期に過ぎなかった。

 公務員の給与支払い問題に端を発したギリシャの放漫経営は国家経済の破綻までは想定して
いなかったようだ。公務員に支払う金が国家経済を圧迫するようになったら国は終わりである。

 それは他国の話ではない。かつての旧ソ連の崩壊の一因が今回のギリシャと同じような問題を
内在していたからだ。官僚国家と言われたくらい公務員が多く、給料の支払いや年金等、手篤い
社会保障に問題があったと言われている。

 過去にもそのような事例は枚挙のいとまがないくらい多い。そして日本も同じような問題に
直面している。既に年金制度は破綻している。支払うものの比率と受け取るものの比率が限界を
超えているからだ。

 いま年金支払いにどれくらいの貯蓄があるのか明らかにされていないが、そのお金を含めても
将来共に今の年金制度でやっていける保証は何もない。

 自由主義経済は社会の不満を年金だとか社会保障面でカバーしながら抑えてきた。その手法は
経済が右肩上がりに成長し国民の平均年齢が低かったときの話である。65歳を越えるような人が
年を追う毎に増えつつある。それが国家経済を破綻に追い込んでいる。

 お金を持っていると言われたかつての高年齢者も過去の話となり、今や多くの人が生活困窮者に
なりつつある。このような問題は一国に止まらず、この経済体制が良いのか悪いのかを問われて
いる。

 そしてアメリカのウオール街では連日のように若者達によるデモや示威行動が行われている。
彼らの不満は就職先がないことや経済格差等、今日的な問題を多々含んでいるようだ。そして
既成政党の共和党も民主党も彼らの不満を選挙に結びつける方策を見いだせていない。それは
政党の枠を越えた問題でもあるからだ。

 いわば今の経済体制が完全に破綻していることによるものだ。それに気付かないばかりか
アジアの経済成長、ことに中国の著しい経済成長に寄りかかっているところが少なくない。

 しかし中国の経済成長も一皮剥けばかつての日本のバブルのように超インフレの中で生活
困窮者が続出している。お金という価値のない紙切れが大量に発行され社会主義国家とは
思えない資産家を生んでいる。これが中国という経済成長著しい国の実態である。

 今や経済という魔物は原発と同じで抑制の効かない化け物と化してしまった。その化け物に
私達人間共は追いかけ回されているのである。早くそれに気付き他の生き方を模索しなければ
ならない。

 幸いに私達は漠然とではあるが、その事実に気付き始めている。そして新しい動きが始まって
いる。それがスローな生き方である。人間も自然の一部としての生き方である。全ては映画
「風の谷のナウシカ」で予言したような方向に向きつつある。新しい時代の風が吹き始めている。
その風に乗って新しい時代へ発信しよう。
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ようこそこの地球へ

2011-10-08 05:13:26 | Weblog
 先日、孫が誕生した。東京にいる長男夫婦の子どもである。まさに日本国中に激震の走った今年
母体に宿った子どもである。

 実は私も昭和19年5月4日に誕生している。日本が大きく敗戦に傾きかけた年である。日本に
とって運命的な年であった。

 その後に広島に長崎にと原爆が投下され惨めな敗戦国になってしまった。そして経済が最優先の国と
してヨーロッパを追い越しアメリカに次いで第二の経済大国までになった。

 この間、日本人の価値観は大きく変化し、お金が最優先の国になってしまった。その結果、何が
残ったのか。やがて高度経済成長は大きなひずみとなって底なしの沼へと引きずり込まれるように
大きく沈んでいくことになった。

 そして取り残されたかつての企業戦士達は行く当てもなく高齢化の道をひた走ることになった。

 今の時代は大きく価値観を変えなければならない大事な時ではないだろうか。中東では独裁政権が
次々と倒され民主化への道を歩き始めた。そして世界の経済をリードしてきたアメリカにも陰りが
見え始めた。ウオール街ではかつてないデモが繰り返されているようだ。

 君が誕生した2011年という年は、このような年である。君の赤ちゃんには見えないほどの
しっかりした顔は何を表しているのだろう。ようこそ21世紀へ、そして激動の時代へ。

 真実とは何か。先の小沢問題に端を発する一連の裁判は小沢氏に対し批判的な目で見てさえも
異常に思える。裁判はあくまで証拠に基づくべきものである。推測の中で幾つもの冤罪事件が起き、
今もなお、その最中にある。

 「疑わしきは罰せず」である。この原則を忘れてはならない。裁判官も人間である。裁判官の
下した判決が全てではない。とは言いながら裁判官の判断は重い。慎重の上にも慎重を期すべき
であろう。

 また、マスコミの罪も大きい。影響範囲が広大なだけに裁判以上に責任を負うべきであろう。
その限りにおいて歴代の反原発訴訟の大半は原発推進のため退けられてきた。その時の判断は
何の根拠に基づくものだったのか。

 裁判官は大いなる反省をすべきであり、その時の反省をするならば、原発推進の判定を下した
裁判官は速やかに法廷の場から立ち去るべきであろう。

 さて、私の孫達に伝えておきたいことがある。それは人間というものの存在そのものに関して
である。他の動物から突出したこの生きものは我が星地球さえも壊滅させようとしている。

 そして、その地球は必死の思いで抵抗をしている。それら抵抗の証が様々な天候異変であり
地殻変動ではないだろうか。我が母である地球は私達に警告を発しているように思えてならない。
世の乱れ、地球温暖化、乱開発による大災害、これら全ては人間がしてきた事へのしっぺ返しだ。

 それでもなおエゴを通し自己中心的なものの考え方を改めようとしない人が多すぎる。

 表土を削り取って一時しのぎは出来ても根本的な解決にはならない。削り取ったものを処理
しなければならないからだ。人間が一つのことをやれば必ずその先にまた大きな問題が横たわって
いる。

 全ては為すがままの方が良い。自然はそのようにして変化してきたのである。その邪魔をして
きたのが人間である。放射性物質は地球の誕生46億年前からこの地球に存在し多くは長い時間を
かけて崩壊し害のない形にまで変化してきた。

 その過程にあったものを掘りだして抽出し核燃料として使っている。いわば自然の変化に途中
介入してそのシステムを壊してしまったのは他ならぬ私達人間である。その罪は重い。

 自然に帰らなければ全ては解決しない。自然にこそ全ての真実がある。さて、君達の時代は
どのようになっているのだろう。機会があれば先に逝くおじいちゃんに教えて欲しい。君達に
とって幸せな時代であることを心から祈っている。誕生おめでとう。ようこそこの地球へ。
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児島市民交流センターオープン

2011-10-02 04:39:46 | Weblog
 満を持して児島市民交流センターがオープンした。関係者によれば二十数年来の夢であったそうで、
まさに満を持してと言うべきか。

 10月1日(晴れ)、心持ち肌寒い朝であった。しかし、前日まで懸念されたお天気も回復し屋外
でのオープン記念式典を催すことが出来たのは何よりであった。

 さて、伊東倉敷市長の挨拶に始まり、鷲羽高校の生徒さん達によるファンファーレに合わせ「くす玉」
が開いた。その後は生徒さん達による「仁」の演奏や三宝保育園児達のドリル演奏があった。こうして
式典は滞りなく終了した。

 質素な式典ではあったが近所の人や保育園児達の両親など市民交流センターに心を寄せる人が大勢
集まっての心温まる式典であった。もう過去の派手な形式張った式典の時代は終わった。私達、センター
関係者は具体的な活動を通じて市民交流センターの意義を問いたいと思っている。

 式典が終了した頃、ジーンズホールでは味野中学校演劇部による「Two Island」が既に始まっていた。
この演劇は岡山県で受賞した作品であったが、見るたびにバージョンアップしているようで、素晴らしい
舞台であった。

 この日一日、舞台の上では色んな催し物が続き、舞台が終わっても明日のリハーサルが残っていた。
これらを全て終わり家に帰り着いたのは21時を少し回っていた。

 私も家内もフル回転であった。と言うのも家内は家内で明日の舞台があり、お琴の搬入やなにやかや
と忙しくしていたからだ。私も家内の協力なくしては、この三年九ヶ月は乗り切れないと考えている。
これからも何かと協力して貰うことも多いのではなかろうか。

 今日も大勢の人に会った。今もその相手は増え続けている。良くもまあ定年後のわずか七年ばかりの
間にこれだけの人と面識が出来たものだと我ながら感心している。これもいわゆる人の言う「引き寄せ」
なのであろうか。望めば叶うと言うことなのであろうか。

 当初人が来てくれるのだろうかと懸念されていたセンター内の喫茶店にも大勢の人が来てくれた。
ここは障害を持つ人達の授産施設でもある。初めから望んでそのようにしたわけではないのだが、
何かしら流れのままに落ち着くところへ落ち着いた感がある。

 私の目からは、全てはこうあらねばならぬと思わなくても流れるがごとく推移しているように見えて
いる。そして、これから手がけたいと思うことが様々な形で浮かんでくる。それらはまるで、全てが
繋がっているように見える。三年九ヶ月後が実に楽しみである。
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