人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

現職大臣が自殺

2007-05-31 20:52:49 | Weblog
 何と言うことだろうか。現職大臣が自殺を図るという前代未聞な
事件が起きてしまった。自殺した大臣は松岡利勝農林水産大臣だ。
 先の国会では事務所経費の不正請求を追求され、言を左右にして
不正を認めようとはしなかった。そのため多くの国民からひんしゅく
を買っていた大臣である。

 この問題、圧倒的多数を占める与党出身者であるだけに決着が
付かないまま現職大臣の座に居続けたのである。何と厚顔無恥な
人かと思っていたら、突然の自殺という報道に驚いてしまった。

 やはり、傲慢に見えていても心穏やかならざる日々が続いていた
ものと思われる。今まで幾多の政治家が官憲の手によって逮捕され
裁判所に送られたことであろうか。

 あの今太閤とまで言われ権力を欲しいままにした田中角栄氏で
さえも逮捕されてからは病に冒され哀れな後半生であった。やはり
政治家と言えども人間である。追われる身はつらい。今回の松岡氏も
農林水産大臣という地位にしがみついていたけれど、心の中では針の
むしろに座っているような心地だったのではないだろうか。

 それにしても彼を任命した安倍氏は何も感じていないのだろうか。
ただただ闇雲に彼をかばい続けたことが松岡氏を追いつめることに
なっていたのではないだろうか。自ら身を引く術を知らない農林水産
大臣と下手なかばい立てをすることによって彼を死にまで追いつめた
安倍総理。いずれも決断すべきことを知らない人間同士だったような
気がしてならない。
 
 そもそも安倍氏は、小泉氏が郵政民営化の是非を問うた総選挙で
自民党が圧倒的多数を占めた今国会で選ばれた人物である。それなのに、
あたかも自分が率いた自民党が国民の信認を受けたかのように振る
舞っている。

 国民投票法案を数に任せて通し、松岡問題が生ずると、それを
もみ消すかのように5000万件にものぼる不明年金の救済をと
議員立法で救済策を提案している。盗人猛々しいとは、このことでは
ないだろうか。

 また、果たして今まで放置してきた不明年金の追跡調査が一年
足らずの間に出来るのだろうか。明らかに夏の参議院選に向けての
ジェスチャーとしか見えない。

 こんなまやかしに国民は誤魔化されてはいけない。不明年金問題
は早くから分かっていたことで、多くの人が救済を求めていたにも
関わらず放置し続けてきた問題である。何を今更という思いが強い。

 まことに唐突としか言いようがない。年金問題は古くて新しい
問題である。一方的な押しつけではなく国民的なコンセンサスと
議論が必要であることは言うまでもない。それをあたかも救済策の
如く不明年金を持ち出して国民の目を誤魔化そうとしている。
国民を愚弄するのもいい加減にせよと言いたい。

 一方、松岡氏は何で死を選んだのだろうか。還元水まで待ちだして
現職大臣の席に座り続けた人である。背景には緑資源機構が絡む汚職
問題があったからではないだろうか。決して、事務所経費の不正請求
で死を選んだわけではない。

 ことここにいたって逮捕は免れないと観念したからではないだろうか。
死人にむち打つような事を言うつもりはないが、彼はれっきとした
公人であり現職の大臣であった。正すべきは正さなければ何が正義と
言えようか。死人となって口を閉ざした松岡氏の罪は大きい。
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いま時の話題

2007-05-26 05:43:40 | Weblog
 「中国食品募る不信・薬で偽物加工毒含み死者も」こんな見出しの
新聞記事を見ると先の偽塩問題を思い出してしまう。偽塩とは塩と
似ても似つかない亜硝酸塩であり、わずかに3グラム摂取しただけで
中毒症状を生じると言うものである。
 その他、ペットフードや家畜の飼料の問題など、中国から輸出された
農産物や健康食品等、それに類するものの問題は後を絶たない。中国
では以前から食品以外のものについても偽造問題が指摘されているが、
食品は直接、あるいは間接的に体に入るものだけに簡単に見過ごす
わけにはいかない。中国の輸出品に対する不信感は著しく増している。
 今日、日本には食品以外にも色んなものが輸入されている。中には
食器など間接的に口に触れるものもある。食器の安全性は食料品ほど
クローズアップされていないが、使っている間に溶けだしてくる化学
薬品があるから要注意だ。安いからと言ってむやみに中国製のプラス
チック製品を買うのは控えたい。
(この記事を書き終わったとき子供のおもちゃにも危険性があるという
インターネット記事が掲載されていた)
 野菜に関しては、日本では既に使用禁止になっている農薬なども
使われていると言うから、これも要注意だ。こうした食料品や食器
などに関しては輸入する日本の業者や商社にも責任がある。安く仕入
れて儲けてやろうという日本サイドの問題も明らかにしなければ完全
な問題解決にはならないし片手落ちと言うものであろう。

 先日、私のところへ一通の手紙が来た。社会保険庁からのもので
あった。同封された書類の一つは記入漏れだという葉書、もう一通は
記入漏れを指摘した書類だった。その書類の文面には一両日中に記入
漏れ箇所を修正の上、再送付しなければ年金の支払いは停止すると
いう実に高飛車な文面だった。
 こんな言い方があるのだろうか。管理しているのは社会保険庁で
あるが年金そのものは、私と私が働いていた会社が長年にわたって
支払ってきたものである。それを記入漏れがあっただけで、支払いを
即中止など、こんな言い方があるのだろうか。お役所根性がいささかも
抜けていないことを感じるものであった。
 社会保険庁が管理している年金の中で誰のものか分からない「宙に
浮いた年金」が5000万件もあるという。これらはいずれも誰の
ものか分からないだけで誰かが過去に支払ったものである。
 何故こんな事になったのであろうか。その都度きちんと調査を行い
「宙に浮く」事にならないような事務取り扱いは出来なかったので
あろうか。年金基金を浪費をするような莫大なお金があったのであれば、
その頃、何故、詳細な追跡調査等を行わなかったのであろうか。
職務怠慢としか言いようがない。
 今、年金だけでは食べていけないと言う人がたくさんいる。現に
私だって年金だけしか収入がないならば生活維持が出来なくて働き
続けなければならないだろう。
 こうした5000万件にものぼる「宙に浮いた年金」は、それぞれ
の人にとっては貴重なお金であるに違いない。高飛車な物言いをする
前に、自らの姿勢を正したらどうだろうか。

 麻疹(はしか)という、過去の病気だと思われていた流行病が蔓延
している。特に東京の大学等で学級閉鎖ならぬ学校閉鎖が行われて
いると言うから驚きである。感染者は何も学生だけではないだろう。
同じ年齢の多くの若者が感染しているに違いない。
 先進国間で唯一日本が未だに、このような大量感染者が発生している
国らしく、このままにしておくわけにはいくまい。
 予防接種などと言う手段がなかった私たちが子供だった頃、いつとは
なしに流行し、その時には、わざわざ子供を感染者の側に連れて行き
感染させていたものである。大人になって発症すると重症になると言う
考えがあったからであろう。私も子供の頃、感染させて貰った一人で
ある。
 予防接種も一度だけでは免疫力が弱いとも聞いている。他国並に二度
接種が必要なのではあるまいか。そう言えば向かいの高松では、百日咳
の流行の兆しがあるという。
 私自身の記憶には残っていないのだが、幼い頃、たいそう苦しんだ
との事であった。今のような抗生物質などまったくなかった頃の事で
ある。咳き込むと息が出来なくなり、とても可愛そうだったと母が
話していた。早めの対策を願いたい。
 そして、子供達に苦しい思いをさせないために予防接種の可能な
ものは極力接種させるようにしたいものである。

 いよいよ裁判員制度がスタートすることになった。どのようなもの
なのか体験してみないことには分からない。法律の知識がないだけで
なく、常識というものも問われるような気がする。
 不特定多数が選任されると言うことであり、果たして審理はスムーズ
にいくのであろうか。アメリカには古くから陪審員制度があるようだが、
いつか見たアメリカ映画「十二人の怒れる男」がその実態を良く描いて
いるように思える。
 人が人を裁くと言うことは実に難しいことである。その審理がその
人の運命を左右すると言うことになれば尚更のことである。
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緊張の日々

2007-05-19 22:49:29 | Weblog
 3月から4月中旬まではA社の定修で、中旬以降はB社の定修で
安全関係の仕事をしている。それまでの気ままな家での暮らしから
時間に縛られる仕事へ。お金にはなるが趣味などを楽しむことの
出来ない制約を受けている。

 安全という仕事は一日たりとも気を緩めることは出来ない。緊張の
日々ではあるが、やりがいのある仕事だとも言える。などと言ったら
少し格好良すぎるだろうか。今日も仕事、明日も仕事の毎日である。

 そんな日々を過ごしているので畑仕事の方は思うようにならない。
その点、いささか不満と言えば不満なのだが、7月の初めまでは、
このままの状態が続く。ともかく大過なく日々が過ぎていく事を祈り
つつ毎日を送っている。

 同じ景色でも光りの加減によって見違えるような景色に見えるとき
がある。今日、会社からの帰りに見た景色がそうであった。
 日本は周辺が海に囲まれていることもあって湿度が高い。従って、
紫外線だけでなく、色んな周波数の光りが湿気(小さな水の粒)の
影響を受けている。光りが空気中の湿気によって遮られ、それが周辺
の景色を何となく薄ぼんやりと見せている。
 特に夏場は湿度が高いので、くっきりとした景色を見ることが少ない。
秋の景色と比較してみるとその違いは明らかだ。

 今日の夕方は湿度が低くゆるやかな風が吹いていた。そのせいか、
いつもになく鮮明な景色であった。何かしら旅先の外国で見る景色の
ようだった。実はその翌日も同じような気象条件だった。こんな日は
海の向こうの四国が実に間近に見える。

 今年は春先から寒暖の差が大きい。そんな事も湿度と関係している
のかも知れない。ちなみに長期予報ではじめじめ型の梅雨ではなく、
ぱっと降ってぱっと上がると言うような男性的な梅雨だと言われている。
 過ごしやすいと言えば過ごしやすいのだがキュウリなど夏野菜の
成長があまり良くない。(トマトは別)一方、苺は黴の発生が少なく
珍しいほど毎日たくさん収穫している。

 今、畑は豆類の収穫が終わり、ジャガイモやタマネギの収穫を待つ
ばかりだ。夏が近いというのに湿気が少なくこの爽やかさは何だろう。
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危険な思想

2007-05-13 22:22:14 | Weblog
 最近、政治的なことには関心のない若者の間でも憲法を変えた方が
良いと考える若者が増えつつあると聞いて驚いています。定職に就けず
フリーターなどをしながら生活している若者だと言います。

 彼らがそのような考えを持つようになった背景には、いくら努力
してもその努力が報われないとか、格差社会の定着によって自力では
現状を変えることが出来ないと言うあきらめや焦燥感にあるようです。

 彼らは、こうした現状を打破のために憲法を変えて軍事力を持ち、
その軍事力を背景に自分の周辺の環境を変えてしまいたいと考えて
いるようです。実に短絡的で危険な思想だと言わざるを得ません。

 彼ら若者は先の第二次世界大戦やそれ以前の明治、大正、昭和と
私たちの親や祖父母達が歩んできた暗く惨めな日本人の生活を何も
知りません。また、私たち世代が味わった戦争直後の貧しい生活も
知りません。

 それは学校教育の中で近代日本が歩んできた歴史をほとんど教えて
いないからです。江戸から明治にかけて日本は急速に軍事国家へと
体制を整えていきました。そのためには国民の生活も犠牲にされて
きました。
 というよりアジアを植民地化しようとしていた欧米列強と互角に
対峙していくためには軍事力の強化以外に選ぶべき道はなかったと
言っても良いかも知れません。

 元より資源など、まったくない国ですから国民総生産の大半は
軍事力強化に注がれ、地方のインフラ整備などをしていく余裕など
全くなかったのではないでしょうか。大正、昭和になっても地方は
相変わらず江戸時代と大差ない生活環境でした。
 冷害や干魃など飢饉に喘ぐ農村では人身売買も平然と行われていた
ようです。年頃の娘は売春婦として売られていきました。こうした
農村地帯の疲弊に対し、義憤を抱いた兵士達によるクーデターも試み
られました。このクーデターは失敗に終わりました。

 中国の革命などを支援した政党政治の中心的存在であった犬養木堂
(毅)さんは、軍閥の放った刺客によって殺害されてしまいました。
その後は政権の中枢を軍閥が握り日中戦争を経て日本は戦争地獄へと
転落していったのです。犬養さんが生きていたなら日本の歴史も又
異なった方向に進んでいたかも知れません。

 憲法九条が書き換えられたとき、軍閥の台頭によるこうした動きに
歯止めをかける事が出来るのでしょうか。シビリアンコントロール
などと簡単に言いますが、今日の自由や民主主義というものを自らの
手で勝ち取ってきたヨーロッパ諸国とは異なります。
 市民革命を起こし自らの力で今日の社会を作ってきたフランスなど
には、軍の中にも根強く民主主義が定着しています。だからシビリアン
コントロールが効くのであって、そうでなければいつタイのような軍事
クーデターが起きるか分かりません。そうなってからでは遅いのです。

 アメリカは戦後すぐ日本に平和憲法を押しつけました。それは日本
という国の本質を見抜いていたからに他なりません。平和憲法が出来て
60年、押しつけられたものとは言え、他国の戦争に巻き込まれる事も
なく日本の平和を今日まで守ってくれました。そして、今や日本人の
血になり肉になりきっています。

 この平和憲法こそ私たちの大切な憲法です。確かに部分部分を取って
みれば、ああもしたいこうもしたいと思うことはあるかも知れません。
しかし、軍事力をもって相手国と対峙していこうすれば戦前の日本と
同じように軍事力強化という無限地獄へ堕ちて行かざるを得ないで
しょう。

 戦前の重苦しい時代や怖さを知らない若者達に、今こそ戦時中の
苦しさや辛さを教えていく必要があるのでは無いでしょうか。今、
イラクでどんなことが行われているのか。かつてのアフガンが、
どんな悲惨な状況に置かれているのか、そうした現実を見ずして
憲法改悪を語るわけにはいきません。

 国民投票法案が国会を通過しました。これは憲法改正の第一歩だと
言われています。今や待ったなしの段階にあると言っても過言では
ありません。若者をも巻き込んだ憲法改正反対ののろしを上げようでは
ありませんか。
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ジェットコースターの惨事

2007-05-12 21:17:24 | Weblog
 私の地元には鷲羽山ハイランドという遊園地があります。ここには
スタンディングコースターというジェットコースターがあります。
立ったままで乗るので急坂を下るような時には真下に向かって落ちて
いくようで非常な恐怖感があります。私も一度だけ乗ってみましたが
じっと目を開けてはおられませんでした。

 鷲羽山ハイランドのジェットコースターは設置以来、何度か部品交換
をしているそうですが、エキスポランドでは、ほとんどそれらしきことが
行われていなかったと報じられています。

 いつもの事ですが事故が起きてしまってから、色んな事がでてきます。
本来、監督すべき行政サイドも当の遊園地側もJISで決められた点検
方法やチェック項目を全く知らなかったと言いますから恐ろしい事です。

 如何に丈夫な構造物と言えども摩耗や腐食、金属疲労というものが
あります。ましてやジェットコースターのように激しい金属音を立てて
急坂やカーブを高速で走行するものですから、色んな力が部品一つ一つ
にかかっているはずです。

 こうした遊具は一度に多くのお客さんが乗るものです。事故が生じた
場合、どのような惨事になるかは予測できたはずです。定期修理や点検
の仕方がどのようなものであったのか、詳しい調査結果を見なければ
分かりませんが、簡単な日常点検程度のものしか行われていなかった
のではないでしょうか。

 大きな電動機の太いシャフトでも無理な力が加われば簡単に折れて
しまうようなことを何度か経験しているだけに実に恐ろしい気がします。
この教訓を元に遊園地の遊具には厳しいチェック体制が作られるよう
願っています。

 一方、こうした遊園地ではお客さんの減少により厳しい経営状態を
迫られているところが少なくないと聞いています。そうした遊園地に
とって厳しい点検指導や部品交換は大きな負担になるのではないで
しょうか。場合によっては専門家を常駐させる必要があるかも知れません。
そうした人達の人件費も大きな負担になるでしょう。

 多くの遊園地がコスト削減のためにアルバイトを採用しています。
こうした人達には機械関係の知識はないでしょうから、こんな事も
今回の事故を引き起こした遠因になっているかも知れません。

 人の命を預かる商売だからこそ、細心の注意ときめ細かい対応が
必要だと思うのです。再びこのような事故が起きることのないように
遊園地の経営者と行政サイドには、厳しい姿勢で今後の対策を考えて
頂きたいと願っています。
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地球温暖化防止

2007-05-10 22:35:06 | Weblog
 俳句では今頃の季節を「風薫る」という季語で表現している。早朝、
勤務先の駐車場周辺に植えてある楠から何ともかぐわしい香りが
漂ってくる。楠の花は小さな目立たない花である。しかし、その香り
は実に爽やかである。爽やかな季節であることと花の香の爽やかさ
の相乗効果で、生きていることの幸せを感じさせてくれる今日この頃
である。また、風薫る五月は私の誕生月でもある。

 さて、地球温暖化防止のための京都議定書に書かれた数値目標は、
やっと削減が緒に着いたばかりだというのに、早くも達成できない
と言う国が現れた。その国はカナダである。

 そして、京都議定書の議長国であった日本もまた目標達成は難しい
と言い始めている。そもそも一般家庭から排出されるCO2は核家族化
が進むにつれて増え続けている。そして、鉱工業や商業やと言った
産業界も運輸業界も大量の電力や燃料を消費し続けているので削減は
難しいと言って逃げ腰である。こんな状態ではCO2削減目標の6%
はおろか5%削減も難しいのではないだろうか。

 こうした産業界が排出しているCO2は日本が排出しているCO2の
大半を占めている。この大量のCO2を削減しない限り抜本的な削減
にはなりはしない。2050年までに温度上昇を2度C以内に押さえ
ないと気象異変は予測のつかない状態になると言われている。
 既に十数年前から、もっと前からであろうか、徐々にではあるが、
大きな変動周期を繰り返しながら異常気象は続いている。こうした
現象が毎年のように繰り返されるようになると、最早くい止めることは
大変難しいと言われている。

 今や待ったなしの状況であるにも関わらず、どういうものか多くの
人達の感心は非常に薄く、その内、何とかなるだろう位にしか思って
いないように思えてならない。

 それどころか大切な穀物資源であるトウモロコシを自動車の燃料で
あるエタノールに変えようとしている。エタノール生産第一のブラジル
では広大なアマゾン流域の森林を次々に伐採しエタノールの原料である
サトウキビ畑の拡大を続けているようだ。森林は大切なCO2の吸収源
である。その森林を破壊してメタノールを作ることが果たしてCO2の
削減になるのだろうか。はなはだ疑問である。

 今年の冬は気温の変動が激しかった。温かい冬だと思っていたら急に
寒くなるような事も少なくなかった。そして、今日は五月だと言うのに
30度Cを越えるような暑さである。ここ数日も気温の上下が激しい。
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孫の成長その2

2007-05-06 08:50:06 | Weblog
 連休を利用して娘夫婦が孫を連れて帰ってきました。孫の成長に
ついては先にも紹介しましたが、間近に見ますと、より一層その成長
ぶりに驚かされます。

 彼のお気に入りの場所は台所の缶詰や瓶詰めなどを置いている棚
です。ここへどっかと腰を下ろし棚に並べてあるものを小さな手で
鷲掴みにしては床に降ろし、また棚に並べると云うことを飽きもせず
に繰り返していました。なくなったと探していた風呂上がりに孫の
顔に塗るワセリンの瓶詰めも、この棚に置いてありました。恐らく
孫が持ってきて置いたものと思われます。

 この、お気に入りの場所から無理矢理引き離されようものなら大声
で泣きわめきます。従って、台所への戸を閉め切って台所へ入って
こられないようにしていたのですが、私たちの出入りの隙を狙って
大急ぎで中へ入り込もうとします。その度に目の前で戸を閉められて
泣いていました。その内に瓶詰めの蓋なども簡単に開けるようになる
のではないかと思われます。

 娘が言うには公園に連れて行くと常に隅っこの方に行き小枝などを
拾ってはしきりに何かしているようです。どうやらこの子の場合、ボール
を追いかけ回すことより、一つのことを飽きもせずしている方が好きな
ようです。これも個性なのでしょうか。リモコンや携帯電話好きなのは、
この子だけではないようですが、とにかくリモコンも大好きです。

 色んな言葉もかなり理解しているらしく今回驚いた事があります。
家内が冷蔵庫を開け閉めしているのを見ていて、その方向を指さして
牛乳と言うのです。家内が牛乳のパックを取り出して見せると得意げに
「牛乳、牛乳」と言っていました。
 ところが当の本人は牛乳は大嫌いらしく、指さして牛乳と言ったと
話したら娘も娘婿も驚いていました。家ではあまり使わない言葉なのに
どこで覚えたのだろうと話していました。

 このように幼子は大人には考えも付かないような思考回路が働いて
いるようです。成長の最大のものはいやなことはいやとはっきり表現
出来るようになったことです。いやなことを強要されようものなら
両手で払いのけようとします。それでも許して貰えないときには背中
を反り返して拒否しようとします。その力は凄まじく、うっかりして
いると、どこで頭を打つか分からないような勢いです。

 こんなわけでたった一人の小さな男の子を中心に大にぎわいの三日間
が過ぎ去ってしまいました。孫が帰ってから再び私たちだけの静かな
生活が戻ってきました。
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年を取るという事

2007-05-01 22:02:17 | Weblog
 誰しも避けて通れないのが年々年を取るという事だ。年を取るという
事が、こんなにも不自由なのだろうかと思うことが度々ある。その一つ
が目が不自由になることだ。
 今日も細い線と線をハンダ付けしていたところ、その対象があまり
にも小さいので、目の焦点が合わず、その上、手が震えてハンダ鏝の
先が定まらなかった。

 私たちが会社に入った頃、定年退職を迎えるという人達が、おじい
さんのように見えていた。(その頃の定年は55歳だった)私自身が、
それを遙かに越えるような年齢になってしまった。過ぎ去ってしまった
歳月は短い。

 そう言えば同級生や少し先輩の中にもこの世を去った人が幾人もいる。
自分もいずれかはそうなる日が来るに違いない。また、体に何ら問題が
ないと言う人も珍しい。幸いに、私は今のところ健康上問題はないが、
それでも少し無理をすると体の節々が痛くなったり、簡単に風邪を引いて
しまうような事も少なくない。今年は例年になく咳や鼻水に悩まされた。
寝込むほどではなかったが三度も医者通いをしなくてはならなかった。

 年を取って一番困るのは体力もさることながら、視力の衰えである。
まず、視力が衰えると本を読むことが億劫になる。説明書を読むのが
面倒になる。セロファンの包装の帯の端を見つけるのに苦労する。
メガネを外してみないと読めない文字がある。明るいところから急に
暗い場所に移動したとき戸や柱にぶつかる。手許が見づらくなるので
メガネを外すと今度は少し離れたものが見えなくなる。
(私は近視だから)

 こうした事が度重なるようになると、何かをしようという意欲が
次第に失われてくる。こうして人は次第に年を取っていくのだろうか。
最近、老人向けと言うことで一部の商品や本などにも改善は進みつつ
あるようだが、まだまだ改善の余地は多い。今後の高齢化社会を考える
ならば、更に加速して改善していただきたい。
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