人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

共に楽しむ心

2016-02-29 06:10:45 | Weblog
 「みんなの雑記帳」というミニサイズの同人誌が発行になった。その中で今日の私に
ついて書いている。人生をみんなと一緒に楽しみたい。みんなと一緒に花開かせたいと
言う思いが今の私を支えている。児島市民交流センター時代のことも書いているので
一読願いたい。

 多くの不幸な事件や事故、あるいは戦争などを見聞きするとき、今の時代に生まれて
きたことを心から幸せに思っている。私たちの世代は、ほんの一時期だったが極貧の中に
あった。先の太平洋戦争の後遺症によるものであった。

 運動靴が買えなくて、冬でもゴム草履という固いゴムで出来ていた草履を履いていた。
下駄であれば、まだ良い方だった。ソックス等というものがない時代のことで、足袋で
あれば良い方だった。ゴム草履に素足という子も少なくなかった。

 お昼の弁当がない子、弁当はあってもふかし芋が入っている子、正月近くになれば
お餅を持ってくる子等々。私の場合は、おかずと言えば卵焼き一個と梅干し一個の頃も
あった。

 みんな貧しかったから特に気にもならなかったが、弁当を持ってくることが出来ない
子のことは、いつも気になっていた。子供心にも可哀想だと言う思いが強かった。

 冬はと言えば家の中の暖房は乏しく、火鉢が一つと炬燵だけであった。手足はしもやけで
赤黒くなり、ぱんぱんに腫れていたし、その上、垢で汚れた手は皹切れ(ひびぎれ)があった。
春先になって少し温かくなると、手足の血流が良くなって痒くなる。たまらなく痒くなる。

 病気などになると最悪であった。近くに病院はなく、あっても救急車などはなく、何度か
母の背に負われて、遠くの医院へ走ることもあった。従って、ただただ横になって寝ている
ことが、唯一の養生であった。薬と言えば富山の薬売りが持ってくる置き薬が唯一の頼みで
あった。むろん抗生物質などはない。病気になると、すり下ろしリンゴが何よりの楽しみで
あった。

 幸いにも私は、物心がつくほどに健康になり、頭に大けがをしたとき以外、薬や医者の
世話になることは、ほとんどなかった。中学校も高校も無欠席で通したほど健康優良児
だった。

 さて、先のブログでは「心解き放つ」ことに付いて書いた。今日は、自分も楽しみ
みんなも楽しむことを書いてみたい。多くの人は自分だけの楽しみに耽っている。
お金を貯めることが喜びで、いつまでたっても止められない人。豪華絢爛な家に住む
ことが夢で、その幸福に浸っている人。

 しかし幸せは長くは続かなかったり、夢は実現しても、それでは満足できない人も多い。
実は、人間は欲なのである。次から次へと欲が湧いてきて、その欲に溺れてしまう人が
少なくない。これは神様が仕掛けた罠だと思っている。罠を仕掛けて楽しんでいるとしか
思えない。こうして人間は、いつまでも欲望から解き放たれることはなく、いつまでも
幸せにはなれないのである。

 実は幸せとは、決して自分一人が味わって楽しいものではない。本当の幸せは他人から
感謝されたときこそ味わえるものである。自分自身が欲に溺れ、次々に夢を追っている
ときは、本当の幸せとは言えない。欲望を満たしているだけのことである。

 人という文字は人を人が支えていると解釈されている。つまり人は、人のために尽くす
ように出来ている。多くの人と共に幸せになることこそ真の幸せと言える。

 私は「むかし下津井回船問屋」というところに勤務している。かつての回船問屋は飛ぶ鳥も
落とすほどの勢いと、権勢を誇っていた。しかし、明治という激動期は、それを許さなかった。
朝ドラの「あさが来た」と同じ時代のことであった。莫大な資産も相次ぐ事業の失敗で衰退の
一途を辿った。

 こうした下津井は高齢者が多く、まるで歯が抜けていくかのように、空き家が増え、過疎化の
一途を辿っている。この街を何とか元気にしたいと言うのが、私の思いであり、課せられた
任務だと思っている。

 私も高齢者の一人として、この街で共に百歳になるまでがんばろうと、その基礎を作るべく
がんばっている。過疎化していく地域は、不便で楽しみらしい楽しみがほとんどない。若い
世代が欲しがるほどの刺激はなくても良いが、それでも幾らかの刺激は欲しい。

 何よりも、この下津井に他地域の人が毎日のように来てくれることは、何よりもうれしいし
何となく街が華やいでいくのが実感として分かる。そんな雰囲気が、少しずつこの街全体を
覆い始めて約一年が過ぎた。

 私は自分を犠牲にしてまで、何かしなければとは思っていない。また、この年になって
名誉欲も失せた。今はただ、みんなと一緒に残り少ない人生を、思い切り楽しみたいと
思っている。そして、かつての回船問屋がそうであったように、人の出入りが絶えないような
そんな施設にしたいと思っている。今は、欲を捨てた回船問屋の主になった心境である。
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心解き放つ

2016-02-25 06:21:26 | Weblog
 帯状疱疹を患って以来、体調不良で家にこもっている時間が増えた。本来の
テレビ好きが、テレビを見る時間が余計に増えた。それにしてもワイドショーと
称する番組がやたら多く、しかもその番組で取り上げているのは、マイナス
イメージの強い事件ばかりだ。

 また、どういうものか、そうした番組がネタ切れになることがない。というか
取り上げようと思えば、何でもそうしたネタになる時代なのか。しかし、暇に
任せて、こういう番組ばかり見ていると、精神に何か影響を来すのではないかと
いささか心配になってくる。

 視聴率を稼がなければならないテレビ業界なのだろうが、何とも発想が貧困というか
一見、華やかで大きな業界に見えるマスコミ業界も、実は、実に狭い世界で動いている
ことが良く分かる。何という貧困な業界であろうか。何という非生産的な番組ばかりで
あろうか。

 もっともっと、みんなの心が明るくなるような、こころ沸き立つような番組を
作ることは出来ないのだろうか。マスコミ業界に携わる人材の貧困さと質の低さを
感じざるを得ない。

 さて、私事になるが、今日は考え方を変えたら見えるものも変わってきたという話を
したいと思っている。私は、幼少より人の顔色を見ながら生きてきた。こんな言い方を
すると相手が怒るのではないか。こんなことを言っても良いだろうか。相手がいやがる
ことは正論であっても言わない方が良い。常に話し相手や周辺に気配りをしながら生きて
きた。

 そんな生き方が、いつしか習い性になって、湧いてくる発想を、そのまま言葉にする
ことが出来なかったり、実は、僕はこんなことを考えているのだけれどと、素直に堂々と
自分の考えを主張することが出来なくなってしまった。他の人とは違うあふれるほど
豊かな発想を持っていても提案することが出来なかった。

 振り返って見れば、良い考えであっても生かすことが出来なかったようなことが
幾つもあったようなことを思い出す。今にして思えば、私の発想は、他の人より常に
少し違っていたようにも思う。それを主張すると、相手の考えを否定することになり
相手が怒ったり、傷つくことを常に気遣っていた。

 もし、子どもの頃から、そうしたことが自由奔放に出来ていたら、私の人生も生き方も
大きく変わっていたかも知れないと思っている。だからといって後悔しているわけではない。
それはそれで良い経験となって、今日に繋がっているのだと思っている。


 そうしたことが解消できたのは、児島市民交流センターに勤務し始めてからのことで
あった。たった一人で事業を計画し、その事業を実行していかなければならなくなったとき
相談する相手がいなかったので、自然に自分が計画し、自分が実行することになった。
つまり自分のアイディアは誰に遠慮することもなく実行出来るようになったのだ。

 その代わり、失敗しても助けてくれるものはいないし、反対に横から口を挟んでくる人も
いなかった。こうして三年と数ヶ月が過ぎた。人生で初めて誰に気兼ねすることもなく
何もかもが自分の思いつく発想のままに実行出来たのである。

 しかし、振り返ってみれば、この職に就いた時から急に始まったわけではなかった。
実は以前の会社勤務時代にも、そのレールは敷かれていて、気がつかないままに年月を
重ねていたように思う。限られた期間の間に完成させなければならなかった大工事の
ことを思い出している。親しくしていた後輩が先輩一人で大丈夫なのですかと心配して
くれたほど、その工事は全てを自分一人の裁量で行わなければならなかった。

 こうした様々な経験を経て、私の中にあった考え方の全てが、基になって、あらゆる
ことが花開いたように思っている。長く心を閉ざしていたもの、心の足かせになっていた
もの、そうしたものの全てから解き放たれたとき、本来の私の人生が花開いたと思って
いる。これは神様が私の人生の集大成として準備していてくれたものではないだろうか。

 ともかく私は、「心を解き放つ」ことが、如何に大切かと言うことを、人生のまさに
最終段階で気がつき、実行出来たのである。実に幸せなことであった。繰り返すように
なるが、「自分を束縛しているのは他人ではなく、実は自分自身である」ことを、もう
一度考えてみたい。そうすれば誰でも大記録を打ち立てることが出来るし、生きて行く
こと自体が楽しくなって行くだろう。

 次は自分だけが楽しんだのではダメだと言うことを書いてみたいと思っている。
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一人は万人のために万人は一人のために

2016-02-23 05:00:53 | Weblog
 昨年の12月半ばに発症し、二ヶ月が過ぎてもいっこうに良くなったように感じない。
私の帯状疱疹のことである。果たして三ヶ月で終わるのであろうか。不安がよぎる。
帯状疱疹は神経の病気だと言われている。神経系に幼い頃に患った水疱瘡のウイルスが
潜んでいて、ストレスや体力が低下したとき免疫力が下がり発症すると言われている。
そう言われれば全く身に覚えのないことではない。

 しかし、体力、気力の改善は見られ、本格的な活動開始を前にジリジリしている
ところだが、今もって痛いとも痒いとも分からないような不思議な自覚症状が
行動開始の足かせになっている。

 さて、昔からの言い伝えられて来た中に「駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、
そのまた草鞋(わらじ)を作る人」とある。誰かが作った川柳の一説のようだが
私の解釈では、お駕篭に乗れるのも駕籠を担いでくれる人や草鞋を作ってくれる
人がいるからこそですよと教え諭している。決して、あなた一人では何も出来ないし
生きて行くことも出来ないのですよと教えているのです。

 ところが今の世の中、やりたい放題、言いたい放題。全てが自分のためにある
ような誤解をしている人が余りにも多いのではないだろうか。自分さえ良ければ
それで良いのだと、とんでもないことを考えている人がいます。

 アメリカでは大統領選挙が行われています。世界が注目しています。他国のこと
ではあるのですが、この国の変化が、世界に大きな影響を及ぼすから無視は出来ません。

 民主党では、クリントン氏とサンダース氏が接戦となっています。一方、共和党では
トランプ氏が一歩ぬきんでています。しかし、今のところ誰が大統領指名を受けるか
分かりません。過去にも大番狂わせがありましたから。

 今回の大統領選の特徴は社会不安や不満をもろに反映したような選挙だと言えそうです。
特に民主党候補のサンダース氏の支持者の多くは、富の偏在に不満を抱いている多くの
若者たちが支持しているようです。

 わずかばかりの大金持ちと、その日暮らしの多くの国民。日本もそうですが
アメリカの富の偏在は目に余るようです。そうした問題点は、今までにも指摘されて
いますが、国の改革と言う形では現れていないようです。

 富の偏在は、多くの失業者を生み、そのことは、必ず近い将来、大金持ちの人たち
にも何らかの形で跳ね返って来るものです。この世の中は、一部の人たちのために
あるものではありません。みんなのためにあるものなのです。


 共に栄えていく、共に幸せを感じることが出来るような世の中でなくてはならない
のです。ましてや老いて食べていくだけのものを持っている人は、世のため、人のために
尽くさなければなりません。

 だって、持っているものを、あの世まで持ってはいけないのですから。老い先短い
私たち世代は、多くの人にお世話になり支えられて生きてきたのです。今まで生かされて
きた感謝を込めて、みんなにお返しをしなくてはならないと思うのです。

 一人は万人のため、万人は一人のため。何かをしなければならないと思うのです。
そうすれば必ず世の中は良くなっていきます。そして、そのお返しは世のために
尽くした人の元に必ず戻ってきます。それが古からの仏の教えでもあるのです。
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こんな人が議員さん

2016-02-20 06:51:49 | Weblog
 昨今の国会議員の質の低下には驚いている。この傾向は、恐らく国会議員だけでなく
地方議員にも及んでいると思われる。あの号泣記者会見の地方議員もそうだった。
但し、議員さんが、みんなそうだと言うわけではなく、中にはまじめに議員活動を
続けている人も少なくない。

 しかし、昨今のように、余りにも次々と不祥事や勉強不足や不用意な発言が相次ぐと
これが国民の代表なのかと嘆かわしくなってしまう。担当大臣が担当地域の、それも
国を挙げて返還を願っている島の名前の読み方が分からないとは驚くばかりである。

 確かに人間だからと言ってしまえばそれだけのことだが、発言や行動によっては
その人の本質が見えてしまう。何のために国会議員になったのだろう。恐らくは
党勢拡大のため、有名人を候補者にしておけばということから候補を選び、それが
当選と言うことで議員になった人も少なくない。

 アメリカでも、かつての映画俳優が大統領になったくらいだから、洋の東西を問わず
そういうものかも知れない。しかし、勉強はして欲しいし、ましてや大臣に選ばれる
くらいなら、恥をかかない程度の品格と勉強は必要だ。

 さて、その品格の問題だが、昨今の大会社と言われる会社の役員も先の議員さんたちの
中にも余りにも人間的品格の乏しい人が多すぎるように思われる。

 品格は一朝一夕に備わるものではない。品格は、その人の立ち居振る舞いや行動や
顔に表れる。卑しい心は、そのまま顔に表れる。従って、清廉潔白な人生を送って
居る人は、どことなく品格があって清々しい顔をしている。

 品格の表れは、社会的地位があるとか、お金持ちだとかと言うことではない。要は
心の有り様の問題なので、日頃から心がけておきたい。貧乏していても心のきれいな人は
顔の表情が明るい。何となく人を寄せ付けるような雰囲気を持っている。

 さて国会議員の話に戻ろう。不用意な発言、不倫、挙げれば切りがないほど色んな
ことが自民党の中で起きている。先のブログにも書いたように揺るぎない政権与党と
いう慢心が議員の中にあるのではないか。

 何も国民は聖人君子を望んでいるわけではない。しかし、昨今の状況は余りにもひどい。
国会議員には、国の代表だという自覚と、それなりの品位が必要だ。日頃から心して
心の有り様を考えていて欲しい。
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オデッセイ

2016-02-17 06:25:58 | Weblog
 近未来の映画。だけどこんな時代が果たして来るのだろうか。この映画は、宇宙の
ロビンソンクルーソーとも言うべきストーリーだった。いずれは火星にも人を送る
ことになるのだろうけれど、その実現までには、数限りないハードルがある。
偶然にもこの映画を観る前に小説「ロビンソンクルーソー」を、読み返してみたばかり
だった。

 何よりも火星までは遠い。月へ行くよりは遙かに遠い。その月にさえ人類は長く
行っていない。今よりも技術も装備も遙かに劣っていたアポロの時代に月まで行く
ことが、果たして可能だったのだろうか。大いなる疑問が残る。無人探査機を送る
ことさえ難しかった時代に、有人探査機を送り込み、その上、地球へ帰ることさえ
出来たという信じられないような出来事であった。

 しかし、ソ連とアメリカの宇宙開発競争が終わって久しく、有人飛行は全く
行われていない。莫大な費用が必要だとあって、軍事競争が終わり、ソ連邦も
消えてなくなり、アメリカも財政は厳しく費用の捻出は難しいという、それぞれの
国に様々な事情があるようだ。

 今回の「オデッセイ」という映画は、火星移住と言う時代が、いずれは来る
だろうと言うことを想定しての映画だったように思う。果たしていつのことか。

 映画を見ていない人も多いので、ストーリーを書くことは控える。予告編にもある
ように火星探査を行っていた一行の一人が、砂嵐に巻き込まれ負傷したまま火星に
取り残される。そこから物語は始まる。

 生存していくための一番の問題は、空気でも水でもなかった。次の火星探査機が来る
までの数年間を残された食料で食いつないで行かなければならないことだった。彼が
最初に取り組んだのは、基地の中にビニールハウスを作り、火星の土を大量に運び込んで
ジャガイモを栽培することだった。

 そもそも火星探査が生のジャガイモを持って行くのかどうか?。ともかく想定は
生のジャガイモが基地に残されていて、それを種芋として栽培するというもので
あった。そのシーンでの水を作る方法が良く分からなかったので、後にネットで検索して
みると、詳しく書かれていた。要は化学反応を用い水素を発生させ、その水素を爆鳴気に
ならないように酸素と化合させる(つまり燃やす)というものであった。

 しかし、その程度の水で果たしてジャガイモを栽培するのに事足りるのであろうか。
ジャガイモ栽培自体、さして難しいことではない。映画にもあるように肥料があって
水さえあれば比較的簡単に栽培できる。

 作ってみたい人は、今からでも遅くはない。ホームセンターへ行って春ジャガ用の
種芋を買ってきて、大きな種芋なら半分に切り、それを穴に埋めて置くだけで良い。
大きめのプランターだと一個の種芋を半分にし、二本の芽を伸ばして栽培すると
幾らかの収穫はあるだろう。野菜を栽培するのは楽しいことだ。

 しかし、映画の中では、この栽培も何度目かの栽培途中で、大きな事故で壊れてしまい
中断してしまう。その後は救助隊が来てくれるまでの間、如何にして残りの食料を食い
つないでいくかであった。

 いずれにせよ生きて行くためには何が必要か、自分がここにいると言うことを伝える
方法はないだろうか。基地に残された装置や砂に埋もれていた過去の探査機などを掘り
出して使うなど、実に創意工夫にあふれた映画であった。この辺がロビンソンクルーソー
に似ている。

 この映画を見ていて思ったのは、人間の創造力の豊かさと、知恵の豊富さと、希望さえ
捨てなければ、どんなに絶望的な状況の中でも死から抜け出すことが出来るのだと言う
ことを強く感じた。

 人間には計り知れない知恵がある。生きようとさえ思う意欲さえあれば、どんな困難にも
立ち向かっていける。物語の中には、荒唐無稽だと思われるようなことも少なくないが
そこは映画。多少は、そのようなシーンもなければ面白くない。

 こうしてマットデーモン演ずる植物学者は見事に生還するのである。しかし考えてみた
だけでも火星までは遠い。また、火星の環境は厳しい。ここへ移住するくらいなら、地球
温暖化の中で、少しくらいは環境変化が激しくても、この地球で生きて行く方が遙かに
簡単だと感じた次第。

 それだけに、この地球をもっともっと大切にしたい。地球が愛しいと思う気持ちが
更に湧いてきた。地球は、やはり母なる星だと思う。

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生きて行くと言うこと

2016-02-15 05:58:51 | Weblog
 今年も受験シーズンがやってきた。既に希望校が決まった人も居るかも知れない。
これからだという人も居るだろう。こんなことを言うのも何だが、一度や二度の
失敗で人生を諦めることはない。がんばれ。

 十代や二十代の若い世代の人たちの人生は、これからだ。長い長い、それでいて
過ぎてみれば短い人生は、実に波乱に富んでいる。むろん中には、順風満帆で
穏やかな人生を終える人も居るかも知れない。しかし、多くは大なり小なり波乱に
富んでいる。

 人生は先が見えないから面白い。そして、浮き沈みがあるから面白いとも言える。
人生を全うし、あの世に旅立つまで、何があるか分からない。これが人生という
ものだろう。喜びもあれば悲しみもある。

 かく言う私自身も実に波乱に富んだ人生を過ごしてきた。そして70歳を越えた今も
波乱の中にいる。まだまだ人生は分からない。

 ところで不気味な予言をしている人がいる。地震についての情報である。あの
忌まわしい2011年の東日本大震災と似通った現象が生じているというのだ。
あの2011年2月にニュージーランドで大地震が発生し、クライストチャーチと
いう町に大きな被害があった。

 ちなみにこの町は、倉敷市と姉妹都市縁組みを結んでいる。実に自然豊かで美しい
町だ。市内を美しい川が流れている。何でも地下水が湧き出し流れているそうで
町の中を流れている川とは思えないほど、その水は澄んでいて清らかだ。川の畔には
これまたオシャレな住宅が建ち並んでいる。

 何でもこの川の流れと倉敷市の美観地区を流れている掘り割りが似ていて美しい
と言うことでの姉妹都市縁組みであったらしい。しかし水のきれいさは比べるべくも
ない。比較にならないぐらいクライストチャーチの方がきれいだ。

 クライストチャーチは、チャーチと付いているように、古い教会を中心に発展した
町のようだ。町の中心市街地に、この教会の建物が立っている。観光名所となって
いて、多くの観光雑誌に紹介されている。

 さて2011年の3月に東日本大震災は発生した。今回もこの2月に同じクライスト
チャーチ周辺で、大規模な地震が起きている。まさか遙か彼方のニュージーランドと
日本が連動しているなど考えられないことだが、地球規模の視点から見たときに
どうなのか分からない。要心をするに越したことはない。

 珍しく鳥島周辺でM6.2の地震が発生し、東京でも震度2の揺れを感じたらしい。
関東地方では盛んに大小の地震が生じている。いつどんな地震が発生しても不思議
ではない。地震列島、地震は時も場所も選ばない。

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ジカウイルス

2016-02-09 05:34:22 | Weblog
 国内では昨年、デング熱なるものが流行の兆しを見せたばかりだが、今度はブラジルを
中心にジカ熱なるものが世界流行の兆しを見せマスコミ各社は連日のように大騒ぎをして
いる。また、アフリカではエボラ出血熱なるものが、かつてないほどの猛威を振るい世界
を震撼させたことは記憶に新しい。

 どうやら今年は、ジカ熱の病原菌たるジカウイルスが猛威を振るうような流行の兆しを
見せている。どうして、こうまで次々に得体の知れないウイルスや細菌が猛威を振るうように
なったのだろうか。

 忘れたかも知れないがサーズなるものが流行の兆しを見せ、その時にも大騒ぎになり
にわかに隔離施設なるものが各病院に設置され大騒ぎになったことがある。我が家には
その時にまとめ買いしたマスクが今も残っている。

 今も新型インフルエンザの元になる鳥インフルエンザの恐怖は終わっていない。そもそも
人間とウイルスや細菌とのつきあいは長い。しかし、多くは今日ほど私たちを脅かすことは
あまりなかった。人の行き来が限定されていたからだ。

 歴史を紐解くと、大流行というものは、ヨーロッパではペストやコレラ、日本でも維新前後に
ヨーロッパから持ち込まれたコレラが大流行した。コレラに感染すると、ころりと死んでしまう
ことから当時は「ころり」と呼ばれたりした。

 こうしたウイルスや細菌による感染は人間の移動と密接不可分な関係にある。かつて日本には
なかったコレラが流行したのも外国人との交流が活発化してからのことであった。

 かの不治の病と言われたエイズウイルスもジャングルから人間世界に持ち込まれたのが
始まりだと言われている。元々は猿にしか感染しなかったウイルスのようだが、ジャングルの
開発に従って、人間世界に感染が広まっていったと言われている。

 地球温暖化にせよ、こうした様々な感染症にしても、全ては人間によって持ち込まれ、人間に
よって広がっている。人間活動が全ての始まりである。

 狂牛病という奇妙な病気がある。ウイルスでもなければ細菌でもない。しかし、牛や家畜だけ
でなく人間にも感染する不思議な病気である。これなどもその病気に感染している家畜の骨などを
骨肉粉として加工した物を家畜に食べさせたことから始まっている。

 本来は草食動物に他の動物の肉や骨を食べさせるなど考えられないことだが、早く太らせたい
ために、こういう飼料を与えたのだ。これも人間の欲がなせる業である。

 人間に限らず地球上の生き物は、全て微生物と呼ばれている細菌やウイルスなどと密接不可分な
関係にある。単純に言えば全ては、こうした微生物が始まりで、人間といえど進化に関しては
例外ではない。

 そして今も多くの微生物に助けられていることは、よく知られていることだ。徹底的に
洗浄したり、除菌する潔癖症な人も少なくないが、これは大いなる誤りである。除菌など
除菌剤を売るメーカーの宣伝に踊らされているだけだ。いくら取り除いても水も空気も
ミクロレベルでは、ウイルスや細菌だらけなのだ。意味がないことをしている。

 そもそも人間の体の細胞以上の膨大な数の微生物と共生しているのが、私たち動植物だ。
従って、必要以上に洗浄や消毒しても意味がない。

 確かに人混みの中やインフルエンザ患者のいた場所から帰った時に入念な手洗いやうがいを
することは、必要なことかも知れない。しかし、人間は長い長い進化の過程の中で、様々な
細菌に感染し、ウイルスなどに冒されながら進化してきた。その経験から体の中に免疫という
システムを作り上げてきたのだ。

 かつてヨーロッパでは、生後間もない幼子を厩(うまや)に連れて行ったという。それは
細菌の巣窟である家畜小屋の中で、わざと病原菌に触れさせ免疫力を付けさせるためであった。

 またマンモス象は、子象が誕生したら母親の排泄物を食べさせた。母親の排泄物には乳離れを
したときから食べたものの消化に必要な微生物叢を消化器の中に作るためであった。

 牛も馬も草食動物は、同じように消化の悪い草が消化できるようにお腹の中には微生物を
飼っている。微生物が草の消化を助け、体が吸収しやすい状態に変えているのだ。人間にも同じ
機能が備わっている。

 このお腹の中の微生物叢が様々に変化することによって下痢をしたり便秘をしたりする。
それは私たち人間の日々の生活や食事と密接不可分な関係にある。

 人間は、あまりにも雑食であり、消化を手助けしている微生物たちにとっては決して住みやすい
環境とは言えない。日々、変わらぬ食事をしていれば安定した微生物叢(そう)が作られるのだが
余りにも雑食過ぎて安定しない。粗食が体に良いと言われる所以はそのあたりにある。

さて、微生物の話に尽きることはないが、果たして流行の兆しのあるジカ熱はこの夏どのように
なっていくのだろう。

 先日、エボラ出血熱の流行の始まりから終結までの特集を見たが、まさしく人間の移動が広大な
地域への感染に繋がっている。少しでも早く手を打っていれば、こうした悲劇は生じなかった。
また、不治の病のように言われているが、生還した人もいる。特効薬はなくても辛抱強く
治療を続けていれば、自分の免疫力で助かる人もいることが実証されている。
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芸能界ゴシップの影に

2016-02-05 06:00:54 | Weblog
 ベッキー、SMAP、清原と芸能界のゴシップには事欠かない昨今。その陰で進む戦争への足音。
こうしたゴシップが意図されたものかどうかの判断はつきかねるが、常に感じられるのは、何となく
きな臭い匂い。

 しかし、何故いまなのかと言う疑問は、常につきまとう。国会では連日のように政府自民党と野党間で
議論が交わされている。これら全て私たちの生活に陰に陽に関わりのあることばかりだが、国民の
関心は薄い。

 こうして、いつの間にか重要法案が難なく国会を通過し、気がついてみれば抜き差しならない状況に
置かれているということは少なくない。

 かつて太平洋戦争突入当時、国民は、ただただ戦争への道をひた走りに走っていた。その先に
どんな悲惨な結果が待っているのかも知らずに。明治政府が出来て、富国強兵の中での教育勅語など
天皇を中心とする国家体制の中で軍閥の台頭は著しかった。

 レールが敷かれていたとは言え、国民自身がある時期、戦争を望んでいたことは間違いのない事実
のようだ。国民もマスコミも挙げて戦争を望んでいた。従って、後になって騙されたとか、誰かに強制
されたからだという言い訳は通じない。

 いつの時代も国の政治は国民が決めるべきことで、一部の政治家だけに任せておけばそれで良いと
言うようなものではない。いま朝鮮半島で何が画策されていて、それがどのように進展しようとして
いるのか、もっと関心を持つべきだ。

 北朝鮮は、いつの間にかミサイルを持ち、原爆や水爆までも有する国になった。経験のない若い
独裁者が支配する国である。いつどんな形で暴走するか分からない。そして、多くの国民は塗炭の
苦しみの中にある。この国の独裁者をどんな形で排除したとしても多大な負の遺産を抱えたこの国の
面倒を誰が見るのか。

 あの豊かな国ドイツでさえも西ドイツを併合したときには多くの負の遺産を抱え込み、経済的にも
多くの負担を強いられた。そして、未だ完全に傷が癒えたとは言えない状況にある。

 ましてや、ことはアジアの国でも隣接する国である。この国の体制が崩壊すれば、多くの難民が
発生するに違いない。そして、経済的に陰りの見える中国や韓国にとって、多大な負担を背負い込む
ことは今の段階では難しい。

 日本に難民が押し寄せないと誰が保証できようか。多くの問題を抱えた国である。望むべくは
平和裏に解決したいものだ。それには自立できるようにする経済援助しかない。核を放棄させ、
更には国民の人権を守ることを条件に経済援助で自力で立ち直させる。国力を付けさせる。
国民を豊かにさせる以外に道はない。太陽と北風で言えば太陽だ。

 そして、陰に潜んだ戦争屋たちに、戦争の口実を与えないような政策に転換していくことが必要だ。
アジアや世界に緊張がある限り、これら戦争屋の影は消えない。

 今、政界は大きな岐路に立たされている。中東から始まった混乱は、今やヨーロッパ全体に
難民問題として押し寄せている。あのドイツのメルケル首相でさえ、シリアの内戦が終結したら
難民は自国へ戻るべきだと言い始めている。日本も決して蚊帳の外の話ではない。

 芸能界の些細なゴシップ報道に惑わされることなく、いま何が起きようとしているのか
何を今選択すべきなのか、真剣に考えるべき時ではないだろうか。
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マイナス金利

2016-02-02 05:47:50 | Weblog
 映画「オールウエイズ 三丁目の夕日」では、焼け野が原になった東京に、復興のシンボルのような
東京タワーの建設が始まった。戦後間もないことである。東京タワーは日に日に高くなり、それとともに
人々の生活も少しずつ変化し始めた。

 いわゆる日本の戦後復興期のことであった。昭和38、9年頃から始まった高度成長期は、戦争で
発展が遅れ、更には戦争で何もかも失った日本が、飛躍的な復興を遂げる。まさに奇跡と呼ばれた
経済復興期であった。

 私も昭和38年に社会人となり働き始めた。労働運動に身を投じ、総労働対総資本という対決構造の
中で25年間、赤旗を振り続けた。その結果、経済復興とともに消費は拡大し、毎年のように何万円という
今では信じられないような賃上げの時代が続いた。

 経済の拡大もいわば消費の拡大によるものであった。三種の神器や白物家電などと言う電化製品が
飛ぶように売れ、家庭に普及していった。戦後の驚異的なインフレ時代は、こうしてもたらされた。

 決して日銀が、銀行の預金金利をマイナスにしたからではない。今の時代を見てみると、世の中は
まるで様変わりしてしまった。それはバブルが崩壊し、氷河期と言われた時代に突入してからは
物があまり売れない時代になった。

 馬鹿みたいな大量消費の時代が終わったからだ。消費の拡大は大量のゴミを生み、それらは公害と
なって、私たち自身の生活を脅かし始めた。生活ゴミを燃やせば出るダイオキシンは癌の原因になると
大騒ぎになり、各自治体はゴミの焼却炉を新しく作り替えなくてはならなくなった。


 デフレスパイラルと言われたのも耳新しい。作っても売れない。売れないから価格を下げる。それでも
なお売れない。典型的なデフレ構造であった。理由ははっきりしている。かつてのようにあれも欲しい
これも欲しいと言う大量消費の時代ではなくなったのだ。時代は成熟期に入ったと見た方が良いだろう。

 人間に例えれば一番お金が必要な子育て時代から、子どもたちが親元を離れ、夫婦だけの質素な生活に
戻った時代だと考えれば理解しやすい。更に言えば高齢者となり、いつお迎えが来ても良いような年齢に
なったと言うべきだろ。あれが欲しい、これが必要だという時代はとっくの昔に過ぎたのだ。

 それを今回は、三本の矢とか何とか言ってインフレ率を2パーセントに持って行くという目標のため
だけに、日銀の金利をマイナスにして、銀行が預けているお金を市場に出回らそうと言う考えの基に
行われていることである。物の売り買いという経済原則から逸脱している。三本の矢は自民党の宣伝に
過ぎない。

 かつては消費がインフレを推し進めてきたが、今は姑息な手段でインフレに持って行こうという考えだ。
たとえ成功したとしても数字の上だけのことであって、根本的な解決策にはならない。

 インフレは金余りの現象、デフレは物余りの現象。いずれもお金と物との関係で決まる。その上、最も
大事なエネルギー資源である石油までもが余り始めた。完全に経済の仕組みが変わり始めている。
そのことが分かっていながら従来型の経済政策しか取り得ないところに今日的な問題がある。

 これからの世の中は、物やお金に価値を置く考え方から、もっと別なものに価値を置く考えに変えない
限り、今の状況を抜け出すことは難しいだろう。

 もう戦後復興期の東京タワーのようなシンボル的なものはなくなった。オリンピックの招致も前回の
時とは大きく様変わりした。そんなことだけで、かつてのように経済は動かなくなったのだ。
コメント
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