人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

潮時

2016-09-30 05:49:46 | Weblog
 釣りをされる方なら誰しもが経験された事だと思うが、つい先ほどまでは入れ喰い
状態だったのに、餌を付け替えていた間に手の平を返したように釣れなくなる時がある。

 海面を見ていると魚の群れが急に遠ざかり視野から消えてしまい、更には完全に潮が
満ち次の引き潮が始まるまで、しばらく海に変化がなくなるときがある。

 つまり魚たちは常に群れで泳いでおり、その群れは必ずしも一カ所に止まっていない。
また群れにも幾つかあって、先ほどの群れが去ると、次の群れが去った群れの後を埋めるように
やってくると言う具合に、常に変化している。この状態は寄せては返す波にも似ている。

 そして潮目にも大きな変化をもたらす満潮から干潮へ、干潮から満潮へと言う変化である。
これは魚の群れの動きにも影響を及ぼすほどの大きな変化である。

 潮の流れが止まると、瀬戸内海のように潮の流れが速いところでもさすがに波も立たず
べったりと凪のように海面が静かになってしまう。こうなると、どんなに撒き餌をしても
釣りにはならない。また、次の引き潮に向かうときに釣れるかというと、その保証はない。


 やはり早朝が干潮で、それから満ち潮に向かうときがもっとも良く釣れる。これが同じ
海かと思うくらい変化が激しい。魚の食欲を促す何かがあるのだろうか。

 朝日が斜めに差し込み海水面にさざ波が踊るとき、満ち潮に乗って魚たちが押し寄せて来る。
さざ波は決して海そのものの変化によるものだけではなく、魚たちが身を躍らせて押し寄せて来る
姿でもあるのだ。

 そこへ釣り針を投ずると、すぐさま糸はピンと伸び、更には先端の浮きが水中に沈み
やがて魚がきらりと光る。その瞬間を逃さず竿を持ち上げると糸の先で魚が跳ねている。



 世の動きにも海の潮の変化のように潮目だとか潮時だとかいったようなものがあるようだ。
それが今、私の周辺で起き始めている変化だ。

 回船問屋が指定管理となって1年猶予、未だ押し寄せるほどの観光客は来ないが、何となく
問い合わせの件数や内容に変化が見られる。その変化というのは、ここで食事をしたいという人や
団体が徐々に増えているのだ。

 そして何よりうれしいのは来年の3月に劇場公開される「ひるね姫~知らないワタシの物語」
というアニメ映画だ。舞台は倉敷市下津井。主役のここね役の声は人気女優「高畑充希」さんが
吹き込んでいる。

 そして更に・・・。私が回船問屋の館長を引き受けたもう一つの動機が、回船問屋が建っている
下津井地区の観光地としての体制立て直しである。

 回船問屋がオープンして今年で21年目。開館当初こそ瀬戸大橋ブームも手伝って大勢の
観光客が押し寄せたらしいが、ブームが去り次第に低調になっていった。そして街は過疎化の
一途を辿っている。交通が不便なこの街を活性化することは容易ではないが、何とかして
いきたいと思っている。

 まずはここへ住んでみようという人をこの地へ招き、道を切り開きたい。と言うことで今年に入り
急激に訪問者や関心を寄せてくれる人が増え始めた。海で言えば今が潮時なのかも知れない。

 明らかに今の情勢は、底が見えた干潮から潮が満ち始め、満潮に向かい始めている。さあ船を
出そう。そして帆をいっぱいに張ろう。下津井を滞在型のリゾート地にしていこう。そうしなければ
この街の未来はない。
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時は流れて

2016-09-25 05:55:25 | Weblog
 ことのほか時間の流れが速い。振り返って見れば、9月も終盤に近い。やがて10月が来る。
回船問屋の場合は、お役所と一緒で4月からが新年度の始まり。それから数えても半年が
過ぎたことになる。

 しつこいほど繰り返しやってくる台風。そして異常続きのお天気。記録ずくめの土砂降りの雨。
原因はともかく、異常気象であることは間違いない。珍しく北海道や東北地方を台風が直撃し
農作物に大きな被害が出ている。北海道では広大な土地が被害を受けただけに、被害額も
被害規模も桁外れに大きい。

 ここ瀬戸内海地方も暑い夏だった。瀬戸内海の海水温の上昇は海産物にも異常を来している。
未だ日中は汗をかくような日も少なくない。いつになったら本格的な秋になるのだろうか。

 さて、回船問屋は10月に北前船まつりを開く。特別展示と蔵ほーるイベントが中心となる。
広く県内外の人に、もう一度、回船問屋のことを宣伝したくて開催するイベントだ。

 ここ下津井と回船問屋は、江戸時代から明治時代にかけて、北前船によってもたらされた
経済、文化、人の行き来の中心となったところだ。ここから飛躍的に周辺の発展が促されたと
言っても過言ではない。それほど殷賑を極めた港だった。

 昨年は「湊明かり」と言うイベントと「蔵の市」というイベントを開いた。イベントについては
何が良いか試行錯誤している。衰退していく町を活性化することは容易な事ではない。色んな
ことをやってみて、良いものを残し続けて行くしか道はない。その繰り返しの道半ばである。

 約束した三年間という私の限られた任期中にやっておこうと思うことをやっている。その内の
一つが古民家を活用しての移住促進や空き家が目立つ町中へのショップのオープン支援だ。

 回船問屋だけの賑わい作りでは限界がある。町づくりについて県も市も応援してくれない。
こうした孤立無援の中での試行錯誤である。果たして何処まで出来るやら。

 国も口では観光立国などと良いながら、全くの無為無策、挙げ句の果てには動きのあるところを
支援しているなどと、そんな事なら誰も支援など期待はしない。人の尻馬に乗っているだけの話では
ないか。行政の劣化が目立つ。

 行政が確たる方針を定め、その方針に向けて、みんなが取り組む。支援の必要なところには
必要に応じた支援をしていく。県や市の言っていることは、全く逆のことをやっているし言っている。
決して過剰な支援を期待しているわけではない。

 問われれば応えるだけの意見を準備している。どうか前線で精一杯取り組んでいるもの達の
悲痛とも思えるような意見を聞き、必要な支援をして貰いたいと願っている。

 倉敷の美観地区の今日の繁栄があるのは、気の遠くなるような長い期間、手厚い行政のてこ入れや
支援が背景にあったからだ。今や美観地区の一人勝ちであり、これ以上、支援はなくても十分やって
いける。

 待ち望んだ「地域おこし協力隊」もリスクを避けようとする市のガードが堅すぎて誰も来て
くれなかった。
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自然が一番

2016-09-15 04:59:34 | Weblog
 何かをすれば次の何かをしなければならなくなる。これは日頃の私たちに、ついて回る事なのです。
例えば何か不祥事が生ずるとする。そうすると、それを繕おうとして行動を起こす。しかし、人間の
起こす行動に完璧なものはない。どこか中途半端でほころびがある。

 そのために起こした行動や対策に対して、また行動を起こし何らかの対策が必要になってくる。
私たちには成功体験より圧倒的に失敗や満足の出来ない結果が多い。実はこれが当たり前の世界だ。

 さて、俳人「小林一茶」は、たった一間のわび住まいだったと言われている。雨露さえ避けることが
出来れば、それ以上のものは望まない、必要ないという考えであったようだ。

 わび住まいの庭先に来て遊んでいく幼子達の姿を見ては目を細め、舞い降りてくる雀たちに語り
かけていた。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「我と来て遊べや親のない雀」。

 何気ないときに、母が歌っていた何とも寂しげな小林一茶を歌った歌が今も消えずに残っている。
「一茶のおじさん、一茶のおじさん あなたのお国はどこじゃいなあ。はいはい私のお国はのう 
信州信濃の山奥の そのまた奥の 一軒家 すすめとお話ししてたのじゃあ 我と来て遊べや親の
ないすすめ」

 何とも言えぬ哀愁を帯びたメロディを聞く度に、子供心にも涙ぐむほどの寂しさを覚えたものです。
 
 小林一茶のわび住まいは障子を開ければ、そこは自然のままの景色が広がる庭で、目に入る景色
全てが我が家の庭だったようです。何ら手を加える必要のない自然のままの庭だったのです。

 ここまで生活がシンプルであれば、たとえ天災があったとしても失うものは少なく、ものに執着
することもなかったはずです。シンプルであったが故に、戸に鍵をかけることもなく、泥棒に入られる
心配もなく、持たないからゆすられることもないし命を失うこともなかった。

 私たちは持てるものが多い故に火事や天災で一度失うと落胆が大きく、二度と再び立ち上がる
勇気も湧いて来ないという悲劇を何度も味わっています。

 何かをすれば次の何かを行わなければならなくなる。このドミノ倒しのような連鎖を断ち切るには
まずは自分の心の中の整理を行わなければ始まらないことなのかも知れません。

 北海道は繰り返し襲われた台風によって、一部の地域は壊滅的な被害に遭いました。収穫間際の
にんじんが流されタマネギが流され、その上、ジャガイモまで土から露出するという何とも悲劇的な
惨状となったようです。

 人の営みは、いつまた同じような被害に遭うかも分かりません。いよいよ心の備え、覚悟が必要な
時代になったようです。私たち熟年世代は、これ以上の何も欲しがらず、ひたすら安らかな日々が
送れ、更には安らかな最期を迎えることが出来るように祈るばかりです。

 シンプルな生き方。口では簡単に言えても欲する心を押さえてシンプルに生きることは、なかなか
難しい事のようです。何やら自己反省を含めてとめのない話になってしまいました。
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映画と私

2016-09-13 04:49:50 | Weblog
 シン・ゴジラなる映画が劇場公開されました。久々の日本初のゴジラ映画です。今までにも
ゴジラは様々に姿形を変えて登場してきました。しかし、強く記憶に残っているのは何と言っても
円谷監督による最初の映画でした。

 この初めての「ゴジラ」なる映画が上映されて、ずいぶん長い年月が過ぎました。この映画を
観たのは小学生の頃でした。確か学校から、みんなで歩いて映画館へ行きました。 興奮冷めやらず
映画を見終わって暗い客席から映画館の外に出て、ほっとしたことを思い出します。そして長く
記憶に残ることになりました。

 最初の映画は、非常にメッセージ性の高い映画でした。被爆国であり、第五福竜丸の被曝事件も
あって、放射能被害が声高に論じられていた時代でした。放射能は突然変異を引き起こし、巨大な
化け物のようなものを作る。それが映画を見終わっての印象でした。

 この映画のことが忘れられなくて作文に書きました。その作文が評価されて賞を貰い、文集と
なったものが、今も私の手元にあります。

 広島、長崎、そしてビキニ環礁沖のマグロ漁船の被曝、更には今回の福島第一原発の爆発事故と
それに伴う放射能汚染。どうして日本はこのような運命にあるのでしょうか。不思議な事です。

 娯楽の少なかった時代、芝居や映画が大好きだった私は、幼い頃から両親に連れられて良く映画を
観に行きました。住んでいた神辺の映画館だけでなく、電車に乗って福山の映画館にも行きました。

 そして、その頃は盛んに小学校の講堂でも映画鑑賞会が行われていました。講堂の床に茣蓙を敷き
その上に座って映画を観ました。また、中学校の校庭でも映画が上映されました。夏のことです。

 私は、何本観ても飽くことはなく、友達の中には映画を観ると頭が痛くなると言う子もいましたが
何故か私は平気でした。と言うか、続けて何本観ても飽きなかったのです。

 こうして学生時代も、そして大人になっても映画好きは続きました。夜勤明けにも関わらず一日中
映画館で過ごしたこともありました。映画を観ていれば幸せでした。

 この頃は、しばしば映画監督になることを夢見ていました。小説好きだったこともあり読んだ小説が
ことごとく映画のシナリオになり、配役まで頭の中に浮かんでいたのです。

 そして、今も少しだけ映画に関わっています。無声映画の弁士をしています。無声映画の弁士と
言えばスクリーン横に立って映画説明を行う人の事ですが、私のイメージの中の弁士は講談師のような
語り口調でした。

 しかし、初めて実物を見た弁士は少し違っていました。声高に語るのではなく、どちらかと言えば
淡々と台詞を語り、映画説明を行う女性弁士にすっかり魅了されていました。

 このときから映画好きだった私に次の展開が準備されていたのかも知れません。女性弁士との出会いも
唐突で不思議でしたが、その後も何かに突き動かされるようにして弁士を呼び、活弁シネマライブなる
ものを開くようになっていました。

 そして、いつしか私たち夫婦も活弁のまねごとをするようになっていました。脚本を書き、練習を
繰り返し、作曲を頼み、時には演奏して貰うという、活弁をやろうと思えば大変は大変ですが、なかなかに
面白いものでもあります。

 今も映画は大好きです。今は近くに映画館がなくなったので車で移動しなければなりません。更には
ゆっくり映画鑑賞でもという時間がなくなりました。それでも映画館に足を運んでいます。映画には
テレビでは味わえない良さがあります。
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女性の時代

2016-09-09 05:04:46 | Weblog
 豊洲移転が揺れている。築地の次の移転先だとされていた豊洲、ここにはガス工場があった。
土壌が色んな化学物質で汚染されていることが、移転が決まる前から問題になっていた。

 汚染土壌を取り除き、その上にきれいな土を盛って、その上に新しい魚市場を作るという
計画だった。しかし工事の手抜きだったのだろうか、それとも初めから、そのつもりは
なかったのだろうか。移転間際になって、そのことが問題になり移転の延期どころか移転
そのものが難しくなってきた。

 問題視され始めたのは小池都知事になってからの事だった。もし小池さんが都知事になって
いなかったら、どうなっていたのだろう。都民の圧倒的な支持があったからこそ、出来たこと
だろう。そして石原都政以来の歴代の知事はいったい何をしていたのだろう。

 明らかに天球の巡りは争いの時代から安らぎの時代へと入りつつある。魚座の時代から
水瓶座の時代へ。

 魚座の時代、躍動の時代ではあったが反面、猛々しい男の時代でもあり、戦争の時代でも
あった。20世紀は戦争で幕開けし、世界中が戦争にのめり込み、そして多くの犠牲者を
生んできた。

 今もなお、その余波が残っているような気がしなくもないが、少なくとも世界規模の戦争は
なくなった。これから世界戦争だと言うことにでもなれば、明らかに核戦争の時代であろう。
それは地球という美しい星を、そして人類を壊滅させてしまう戦争であろう。

 そんな時代にあって、相次いで女性のリーダーが誕生しつつある。元始女性は太陽であった
とはかの有名な「平塚らいてう」が、自ら主宰した青鞜という本に書き残している。

 遺伝学的にも細胞の中の細胞と言われるミトコンドリアは母系である。少し余談になるが
ミトコンドリアの系譜をたどれば、とある一人の女性にたどり着くと言われている。

 この女性のことを「ミトコンドリアイブ」と呼んでいる。人類全ての母なる母だと言われている。
決して男性ではない。

 生物進化の眼から見ると、原始の時代より、置かれた環境により男は男として猛々しくあれと
進化してきた。それは生きる手段である獲物を手に入れるためであったろう。

 一方、女性は子どもを産み、そして育てるという重要な役割を担ってきた。その結果、女性が
社会というものを形成してきた。

 それがいつの間にか男性に取って代わられるようになってしまった。それは物質的な進化と
言うものが、そのようにしてきたのだろう。

 しかし、社会の基本単位は変わらない。やはり女性が中心だ。日本でも八百万の神々の束ねは
天照大神であるし、国の始まりは卑弥呼であった。

 猛々しい男性ではなく、コミュニケーション能力に長けた女性が首長になって、平和で心優しい
時代や社会を作って欲しい。それが天球の巡りで言う21世紀という時代の姿ではないだろうか。
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魚が煮えている

2016-09-09 04:41:20 | Weblog
 魚が煮えている。この衝撃的な言葉は、私が勤めている下津井地区の有名な料理屋さんの
店主の言葉だった。

 この衝撃的な表現は、今の地球環境を如実に表現していて面白い。と言うよりは、実に
深刻な問題でもある。いま瀬戸内海は、海水温の上昇、河川から流れ込む水の減少、小雨
海砂の大量採取など、様々な要因によって海の環境が劇的に変化している。

 その結果、資源である魚が次第に減少し、先の店主によると、魚の質まで変化している
のだとの事だった。長年、包丁を握って魚と向き合って来た人が、そう言うのだから
間違いはないだろう。

 先人達が、様々な資料に書き残した、大量に捕獲された時代、しかも瀬戸内海の魚は旨いと
いう評判は、今後どのように変化していくのだろうか。

 それほどまでに、私たちを取り巻く地球環境は劇的に変化し続けている。その結果、あり
得ない減少が、今年の夏は続いた。海水温の上昇によって日本近海で台風が発生するという
想像だにしなかったことが、ごく当たり前のように頻発し始めている。

 海水温の上昇は、閉鎖的な海域である瀬戸内海だけの現象ではなかった。日本列島の外海に
まで及んでいるのだ。今や台風の発生海域は、赤道直下だけではなく、日本近海にまで北上して
いる。

 その結果、列島を北上した台風が通り過ぎることはあっても、そのまま北海道に上陸など
あり得ないことが、ごく当たり前のように生じ始めた。

 台風のたどるコースも混乱を極めている。八丈島周辺で発生したものが沖縄近くまで行き
そこでUターンして、今度は一気に北上するという珍しい現象が生じた。

 あのスーパーコンピュータ「京」が、何年か前にシュミレートした今後の気象予測に良く
似ている。

 そればかりではない。あの永久凍土帯と言われた地域の凍土が溶け続けている。この永久
凍土帯が溶けると言うことは、大量のメタンガスが放出されることになる。

 メタンガスは、温室効果の元凶だと言われている二酸化炭素より遙かに保温効果が高い。
これらが大量に発生することになれば、地球の温暖化は、加速度的に進むのではなかろうか。

 こうした自然界の大きな変化は人間の行為によるものだ。確かに一方の人が言うように
太陽活動の影響によるものもあるかも知れない。しかし、太陽活動は、どうやら寒冷化に
向かっているようだ。

 この状況の中で大気だけでなく、海水温まで上昇を続けているこの現象をどのように
考えれば良いのか。

 ご存じのように、水は比熱の大きな物質の一つだ。温めにくく冷めにくいのが水の特徴だ。
その水が、今やはっきりと分かる形で上昇を続けているのだ。

 もはや私たちの今の社会は、崩壊に向かっているのかも知れない。何かしら経験したことの
ない時代に突入しつつあるのかも知れない。そんな気がする昨今である。
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