人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

活弁口演

2011-03-29 06:32:59 | Weblog
 去る3月27日、19時から水島の喫茶店「竹」で活弁を行った。この日、上映したのは「突貫小僧」
と「子宝騒動」。

 残念ながら宣伝が充分でなかったからか、あるいは活弁なるものの知名度が低い為かお客さんは
極めて少なかった。

 この日の口演は東北関東大震災後になったため、当初の予定を変更し、売上金の全額を義捐金に
回すことにした。

 とかく暗くなりがちな昨今ではあるが、せめて古き良き時代のばかばかしい喜劇映画で気晴らしを
して欲しいというのが私達夫婦活弁士の願いであった。

 一週間前までは「最後の五匹」というミュージカルを上演したばかりで、とても私達の活弁を
宣伝するなどと言う余裕はなかった。しかし、お客さんの中には仲間内のお金を預かってきたという
Mさんなどが来て下さり、本当に人の繋がりの大切さと温かさを感じた次第。私達も売上金にプラス
してカンパ箱に入れさせていただいた。

 昨日は同人誌「みんなの雑記帳」の30周年を祝しての食事会、朝日新聞の取材もあり大勢の仲間
が参加した。

 年度末、人の異動、大震災、世相は騒然として落ち着くことを知らない。ここ瀬戸内海には久々に
春らしい温かさが戻ってきた。被災地にも一日も早く春が来ることを願っている。

 終戦で焼け野原に立った日本人は何を考えたのだろう。戦地から、そして海外から多くの引き揚げ者
が帰国し、帰らぬ人となった多くの戦争犠牲者がいた時代。

 その時代に幼児期を過ごしたものとして、親の苦労や悲嘆は知らぬまま、ただただ無邪気に大きく
なってきた。それが芽吹くもののエネルギーと言うものであろう。

 一昨日は真冬にも滅多にお目にかかることもないほどの大霜の朝であった。こんな霜に遭遇しても
春の芽吹きを止めることは出来ない。新生日本を目指して既に列車は動き始めている。希望は捨てまい。
生きてある限り、生かされていることの意味を噛みしめながら生きていこう。
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現実を見つめる

2011-03-26 10:12:56 | Weblog
 春が来て庭には沈丁花の香りが満ち満ちている。梅が花開き、サクランボの花が咲き、そしてアンズや
スモモが花開こうとしている。こんな春なのに心晴れぬ日々が続いている。今回の大震災では大きな
被害を受けた上、今もなお福島原子力発電所では一進一退の状況が続いているからだ。

 被災地に関わる話を聞く度に、こみ上げてくる涙を押さえることが出来ない。自分はこんなにも涙
もろかったのかと驚いている。しばらくはテレビ・ラジオ・新聞から遠ざかっていた。被災地の悲惨な
状況や原発報道を見聞きするに耐えられなかったからである。

 しかし、事態が長引くに連れ、避けているばかりでなく現実と向かい合わなければならないと思う
ようになってきた。時あたかもマヤの予言は2012年である。次元上昇などと言う超現実的な話も
現実味を帯びてきた。

 いったい私達人間はどこへ向かおうとしているのだろうか。今、起きている事の全ては本当に現実
なのだろうか。夢を見ているのではないだろうか。私達は当てのない船に乗って大海原を彷徨っている
小舟のような気がしてならない。

 人生は千人いれば千人の人生がある。同じ時間に生きていても人それぞれに人生は異なる。この現実は
どうしようもない。そしてある意味、人は孤独である。他に頼ろうにも頼る手段がない。生き残ることが
出来たもの、命を落としたもの、時と場所が一緒であっても冷酷にも明暗は分かれる。

 エイズ、新型インフルエンザ、口蹄疫、鳥インフルエンザ、戦争、交通事故、天災と様々な災難が
何の前ぶれもなく訪れ、その度に多くの不幸な人を作り出してきた。運不運は誰にも予測は付かない。
また、このまま生き長らえていても果たして幸せかどうかも分からない。

 こんな事を考えれば考えるほど般若心経の一節一節が貴重なものに思えてくる。ともかく先々を心配
しても仕方のないことなのだろう。今は今だけを見つめて生きていきたい。

 被災地の子ども達は健気にも元気だ。こんな生き生きとした姿を見るのが、せめてもの救いだ。若さ
故だろうか。生きる力が子ども達をこんなにも輝かせているのだろうか。そう言えば在りし日の私達も
このようにして生きてきた。

 被災地では復興の目処の付かないままがれきの山が幾重にも山積している。そして一部の人の中には
故郷を捨てて移動を始めた人もいる。残るもの去っていくもの、それぞれに明日を知れない人生が待って
いる。

 今回の原発騒ぎである日のことを思い出したので書いておこう。それは私が高校生だった50年ほど
前の事である。

 その頃、アメリカ、フランス、ソ連等、先進各国は競うようにして大気中の核実験を繰り返していた。
地下核実験なるものに切り替わったのは最近の事である。

 実はその頃、私は高校の原子力研究班に入ってクラブ活動をしていた。そこで繰り返し行われていた
のが大気中の核物質を収集し、収集したものを蒸し焼きにして放射能の濃度を測定することであった。

 ある日、学校近くの山の頂にワセリンを塗った紙を置きに行くのが同級生と私の順番になった。当時
核実験が行われて数日を経て核降下物質は日本へ到達していた。それを集めるのがワセリンを塗った
紙であった。私達は、どこでどう迷ったかのか山中を彷徨い歩く事になってしまった。やっと民家の
近くまで降りてきて、何かの施設だったと思うが、そこへ駆け込んで乾いた喉を潤した。苦い経験で
ある。秋だというのに全身は汗びっしょりであった。

 私達は先生に命ぜられるままに白菜だったかキャベツだったかをレントゲン検査で使う感光フィルム
にあてがい、その後、現像したことがあった。現像したフィルムを光に透かして見ると無数に幾つもの
放射性物質に感光した斑点が残されていた。

 あの頃、健康被害を及ぼすような安全基準もなく、水で洗うことが唯一の健康被害から身を守る方法
であった。確かあの頃、世界中に降下していた放射能物質はセシウム137やストロンチウム90等で
あったと記憶している。その量は計り知れない。

 私達は今までにも何度も核による被災を繰り返している。もういい加減に核の恐怖とは決別したい。
そうしなければますます地球は核物質で汚染され続けることになる。そして今もなお核戦争の恐怖は
終わっていない。
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変わるべき時代

2011-03-22 17:08:41 | Weblog
 水車小屋でお米を搗き、わずかばかりの乳牛を育て乳を搾る。お米の運搬も牛乳の配達も馬に
引かせた荷馬車で行う。どんな用事でも遠方なら荷馬車や自転車で移動する。これは先ほど脚本を
書き上げたばかりの「春はまた丘へ」という無声映画に描かれた田舎の生活である。

 実は、そんな生活が太平洋戦争後まであった。特に農山村では、これが当たり前の生活だった。
食料として買うのは塩だけ、他は全てが自給自足そんな時代でもあった。母の生まれた育った農家
が、そうであった。味噌も醤油もコンニャクも豆腐もみんな家で作っていた。

 従って、買うのは鰹節だけという生活であった。夏には川で鮎を捕り、それを乾燥させて保存食
にしていた。それが次第に貨幣経済に取り込まれ、ついには現金収入なくしては生活出来ないような
時代になってしまった。

 そして今回の東北関東大震災と、それに続く原子力発電所の事故である。今回の原発事故は天災に
よるものであった。と同時に人間が作り出した人災でもあった。地震列島と呼ばれる日本には絶対に
作ってはいけないものであった。

 想定外とは建設した人達の言い分だが、想定外を自分の都合の良いようにしか考えなかった建設者
サイドの問題でもある。人間の想定とは誠に貧弱なものであり、あまりにも自己中心的である。

 自然への干渉は出来るだけ最低限にした方が良い。と言うのが「わら一本の革命」と言う本を書き
残された福岡正信先生の言葉である。歴史的にも多くの文明が自然を破壊した結果、消滅したことが
明らかになりつつある。

 私達は便利さや快適さを追求するあまり原発への依存度を高めてきた。実は原発に依存しなくても
発電能力には余力があると言われている。日本の電力事情は夏場のピーク時を想定して建設されて
いる。また、原発の発電量をコントロールするのはかなり難しいと言われている。

 従って原発では一定量の発電を維持し、電力需要への対応は火力発電や水力発電に依存している。
残念ながら電気は保存できない。大量に貯めておくことが出来ない。従って、夜間の余剰電力は揚水
発電所で水を汲み上げてダムに貯めている。この作業でのエネルギーロスは著しい。

 こんなに不便でエネルギーロスの多いものを便利だというだけで惜しげもなく使っているのが現実
の姿である。とんでもない話である。今や電気は空気と同じような存在として扱われている。しかし、
今回のような事故があって初めて考えさせられる問題である。

 そして今回の地震が私達に与えたインパクトは限りなく大きい。濁流渦巻く大津波が田畑を覆い尽くし
家や車を飲み込んで多くの方々が亡くなられ行方不明になっている。実に恐ろしい自然の力を目の前に
見て心が凍り付き、体が硬直し手が震えていた。

 とても千キロ以上離れた場所での出来事とは思えなかった。波に飲み込まれていく人達の叫び声が
聞こえるようであった。

 福岡先生は「わら一本の革命」の中にも書かれているように自然に逆らわない生き方とはどんなものか
を生涯を通し実験し実践された人である。一例を挙げれば稲作である。不起耕栽培にこだわって来られた。

 更には、自給自足のために麦と稲の二毛作を実践されてきた人である。国土の狭い日本でも、さして
労力を要することなく自給自足は可能だと書かれている。実際に不起耕、無農薬、無肥料栽培で反当たり
の収穫量が一般的な他の田んぼより多いことを実証されている。

 日本人は戦後の逼迫した食糧事情を改善するためにアメリカ式の農法を導入し、牛や馬に変わって
耕耘機を購入し、化学肥料を大量に使い、病害虫の予防だとして人体にも影響のあるような農薬を大量
に使ってきた。そして田に草を生やさせないために除草剤を使ってきた。

 これら全て人体に有害なものであることは間違いない。こうして作ったものは野菜や米の形をした
栄養価の低い化学合成物質だと断言しておられる。お手本にしたアメリカ農法は大地を疲弊させ再生
不可能なほどに砂漠化が進んでいる。

 私達は福岡先生の言葉を思い出すまでもなく、今回の大地震、大津波、原発事故から多くのことを
学ぶチャンスを貰った。それらの全ては尊い犠牲者によって得られたものであるが、この教訓を無視
できない。原発に依存しない生き方、自然の大きな懐に抱かれた生き方を考えてみたい。

 過去の苦い経験から、より高い堤防を築いて見たが波は軽くそれを乗り越えてしまった。そんな
人工物を作ってまで、その場所に住む必要があるのだろうか。タヒチの原住民達は津波の被害を恐れ
内陸部の山深いところに住み、海へは歩いて通ったと言われている。

 これが自然の生き方ではないだろうか。やたら海を埋め立てた結果、波の力をうち消す砂浜を失って
しまった。美しい海岸線が失われたばかりでなく、稚魚たちが育つ海を失ってしまった。自然に任せて
おけば、全てのことに於いて問題なく生きていけるようになっている。

 人間の乏しい知識や傲慢な思い上がりで自然に立ち向かうなどと言う愚かな事は言わぬ方がよい。
自然に寄り添っていれば自然は望むものを与えてくれるのである。

 これからは今までと違う生き方を考えてみたい。復興を経済活性化の起爆剤などと考えない方が良い。
私達日本人に与えられた生き方を変えるためのチャンスだと考えたい。GNPやGDPなど糞くらえで
ある。そんな数字を誇ったところで何になる。

 現に、ヒマラヤの山懐に抱かれたブータン王国では国民の幸福度を国の指標にして生きている。経済
発展一辺倒のあり方が今日を招いたことを強く反省し、これからの教訓としたい。被災地に一日も早く
幸福な日々が甦ることを祈っている。

 そして世界に先駆けて新しい生き方を見付けた国民として手本になるような日本人になって欲しいと
思っている。それが多くの犠牲者に対するせめてもの供養ではなかろうか。自然にありがとう。
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ミュージカル終わる

2011-03-21 05:24:49 | Weblog
 3月20日(日)ミュージカル「最後の五匹」は終了しました。坦々と進む舞台上の後片付けを
見ながら、私は少し離れた場所から舞台の儚さを感じていました。正に夢幻の如くすべては終わって
しまいました。音、映像、光の中で繰り広げられる踊りや演技、これらは幻影のように私達の心に
何かを残しつつも目の前から消えてしまいました。

 振り返ってみればミュージカルを制作するには遅すぎると言われながら昨年の中頃になって、慌た
だしく取り組みを始めました。何もかもの始まりは作家の石井敏弘さんに脚本をお願いに行った時から
でした。

 そして本格的な取り組みは、演出をお願いしていたM先生が練習会場に姿を見せてくれた国文祭の
終了後のことでした。本格練習は実に数ヶ月という慌ただしさでした。直前まで続いたダメだしを
聞きながら、果たしてこれで本番を迎えることが出来るのだろうかと一抹の不安を抱いていました。

 しかし、本番当日のゲネプロ、そして本番と実に見事な仕上がりを見せ、その懸念は払拭されました。
出演者の演技や踊りが全く異なったものに見えたのです。数多くのダメ出しが、実は見事な仕上がりに
通じていて演出の見事さに感服致しました。

 ミュージカルの取り組み開始時も開始後も多くの問題や不安材料はありましたが、不思議な事に
不安感はありませんでした。だから何もかも終了した当日も、さして大きな虚脱感がなかったのかも
知れません。ただ長い長い練習から解放されたという思いだけが残りました。

 名前だけの演技部長でしたが、私の仕事は人と人の間に立ち、出来るだけもめ事の起きないように
すること、演出家や出演者が心地よく練習に徹して貰えるようにすることでした。何も順風満帆で
問題がなかったわけではありません。問題はその都度、幾つか抱えていました。しかし不思議に
その都度、新たな解決策が生まれ難問をクリアして来ました。

 それは自らの手で行ったものもありますが、多くは自分が手を下さなくても周辺が支えてくれ、
アドバイスしてくれたものでした。全てに恵まれていたように思われます。

 それは練習会場に象徴されていました。琴浦東文化会館が事務局長の地元にあり、常に手続きなし
で借りることが出来たこと。そして本番直前には児島文化センターを貸しきりで使うことが出来た
ことなどです。

 通常の公演ではあり得ないことです。そして、その費用は倉敷音楽祭の費用の一部として無償だった
事です。その他にも脚本を書いてくれた人が地元の人であったこと、演出家が岡山県の中学校の演劇部
の重鎮であったこと、作曲や演奏家が三人も揃い鉄壁の布陣であったこと、衣装デザイナーが超一流の
人であったこと、その衣装をボランティアで作ってくれる人が地元の人であったこと等、数え上げれば
切りがないくらいたくさんありました。

 そしてオープニングの映像や音響の全てを手がけてくれたO君の存在なしでは実現できなかった事
でもあります。そして何よりも出演者が素晴らしい人達ばかりででした。この間、主演女優が出産と
いうお目出度い出来事もありました。ミュージカルは生まれたばかりの赤ちゃんと共に成長し、本番
で花開きました。

 練習会場は先生の教え子であり、かつては演劇の指導も受けたこともあるというお母さん達が生んだ
子ども達も参加し、練習日の度毎にはしゃぎ廻る姿に心癒されました。

 全ては川の流れの如く坦々と日を重ね終わりの日を迎えました。今は全ての人と物に対する感謝の
気持でいっぱいです。ありがとう。

 今朝ほどは夢を見ていました。本番が終わったというのに小道具が新たに運び込まれて来るという
夢でした。そして、翌日行われた打ち上げに付いてのお礼メールを添付して「最後の五匹」を締め
くくります。


 「最後の五匹」メーリングリストの皆さん昨晩はご苦労様でした。また、都合で参加できなかった
人については申し訳なく思っています。

 さて、昨晩の打ち上げは大いに盛り上がり、ついには涙々の打ち上げになってしまいました。
本番前日までダメ出しが続き、本当にこれで大丈夫なのだろうかと心配していました。反面、私は
楽観論者ですから何とかなるのではないかという根拠のない自信のようなものも感じていました。

 そして迎えた本番当日、ゲネプロに若干のヒヤリはあったものの本番での出来は素晴らしいものが
ありました。舞台とは、このようにしてエンディングを迎えるものかと、その見事さに感嘆いたし
ました。

 今回の舞台は多くの出会いがあり、新しい人と人の交流の始まりでした。O君岡田君にお願いして
しばらくはこのMLを残していただくことになりました。どうかこのMLを活用して更なる交流の
輪を広げ繋げて行こうではありませんか。

 私はかねがね人生は自分が主人公の舞台だと思っています。そして他の人の舞台では自分が脇役です。
私もこのようにして私自身の人生を生きてきました。

 多くの若い人達にとっては正にこれからが人生の大舞台です。私達シニア世代は脇役として若い
皆さんを支えていきたいと思っています。どうか臆することなく思い切り自分自身の人生を生ききって
下さい。

 今回の大震災を経験後のこれからは新しい価値観が生まれてくる、そんな予感がします。また、そう
ならなければならないと思っています。心からありがとう。
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最後の五匹

2011-03-19 05:19:35 | Weblog
 被災地の皆さんに心からお見舞い申し上げます。元気を出して下さい。そして救援活動や原発の
事故処理に当たっておられる多くの方々に心から感謝いたします。ありがとう御座います。頑張って
下さい。

 私達は昨年の9月以降、懸命に取り組んできたミュージカル「最後の五匹」をいよいよ明日演ずる
事になりました。3月20日(日)の午後14時開催です。多くのミュージカルが1年前とか1年半前
から取り組むと言う中で、実に遅い取り組みでした。

 しかも演出家が国民文化祭の関係で11月にならなければ着手出来ないと言う中での取り組みでした。
出演者は赤ちゃんから幼い子ども、小・中学生、高校生、大学生、社会人と言った人達で、練習は夕方
以降の限られた時間帯でした。

 しかし、日々変化していく踊りには目を見張るものがありました。主演女優もこの間、出産という
こともあり、赤ちゃんを連れての練習の日々が続きました。赤ちゃんの成長と共にミュージカルも
成長してきたように思います。その上、この赤ちゃんや幼い子ども達の無邪気さにどれだけ癒されて
来たことか。心から感謝しています。

 音楽の作曲・演奏家が三人、選抜された合唱隊、倉敷・岡山の演劇人とアマチュアばかりの集まり
ですが、こんなにも素晴らしいものが出来るのかと驚いています。

 そして、何より不思議なのは脚本の内容が今日を予測していたかのような内容なのです。何かしら
運命的なものを感じています。

 こんな非常事態の中ですから倉敷音楽祭の大半の行事は中止になりました。その中で唯一、劇場を
使ってのミュージカルです。

 私達は演出家の野田秀樹さんの書かれているように演劇の灯を消してはいけないと思っています。
そして私達の元気を被災地に送り届けたいと思っています。日本人の底力を示したいと思っています。
必ず明るい展望が見える灯がやってきます。時は刻々と動いています。その悠久の時の流れの中で
私達は今を生きています。そして、今をより大切にしたいと思っています。

 すべての事に感謝をしながら、いよいよ明日を迎えます。ありがとう御座いました。
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今改めて思うこと

2011-03-17 06:06:40 | Weblog
 かつてないマグニチュード9.0という大地震が何故、日本を襲ったのか。単なる自然現象として
済ませてしまうことが出来ような出来事を振り返りながら色々と考えている。

 そして、福岡正信先生の書かれた「わら一本の革命」と言う本を改めて読み返している。この本を
購入したのは今回の大震災の数日前である。いつもの悪い癖で手にはいると、すぐには読まずに手元
に置いたままのことが多かった。しかし、今回に限って読まずにはおられないような気がして暇さえ
あれば少しずつ読んでいる。

 まるで福岡先生は今日あることを予測されたかのようなことを書かれている。私流に解釈すれば
自然の有り様には全て意味がある。自然の有り様には人知の及ばない深い何かがある。それを無視
して開発こそが進歩発展だとしてきた人間の生き方を悔い改めるべきだと述べられている。

 また、自然に寄り添って生きていれば自然は何もかも与えてくれるとも書かれている。それを見失い
生きてきたことに新たな問題が生じ、その問題を解決するために更に新たな難問を抱えることになると
書かれている。まさしく今日の環境問題がそのような状況を呈している。

 私達は災害復旧と被災者の救済、原発事故の問題と、これから解決しなければならない多くの問題
を抱えている。どんな時代も困難はあった。どの時代に生きた人にも喜びもあれば悲しみもあった。
しかし、みんなそれらを乗り越えてきた。私達が今の世に生かされていることの意味を噛みしめて
みたい。

 また、人生は一度切りだと考えている人が少なくない。本当にそうなのだろうか。私にはそうは
思われない。一度きりの人生だと思うから、全てに感謝する心を忘れ、自己中心的な生き方をして
来たのではないだろうか。

 しかし、これから先もあるのだと考えれば生き方も変わってくるはずだ。自然の行いに意味のない
ことはない。この言葉を噛みしめて実態を直視しながら今後の復旧を考えてみたい。

 そして、これ以上の不幸を呼び込まないようにしよう。私達は自らが招いた社会に絶望し、明るい
未来を考えてこようとはしなかった。不幸は不幸を呼ぶと昔から言われている。病は気からとも言われて
いる。

 大きく傷ついた東日本を癒すためには、半分の西日本が元気で明るく生きなければ助けることも
出来ない。日本人には壊滅的な破壊から敢然と立ち直ってきた過去がある。戦後の復旧である。私自身
が幼い頃から体験してきたことである。

 やれば出来る。人間は単なる動物ではない。明確な意志や意識を持った特別な存在である。その自覚
を忘れることなく今後に当たりたい。
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ありがとう

2011-03-14 17:31:08 | Weblog
 こんな時にこんな事を書くのは本当に辛いのですが、書かずにはおられない気持になって書いて
います。

 被災地の皆さん本当にご苦労様です。心からお見舞いを申し上げます。私がため息をついても何の
役にも立たないのですが、被災地の状況を考えると、独りでに涙がこみ上げてきます。今、こうして
書いている時にも苦しみと悲しみで心が震えています。

 被災地で被災者の方々の救済に当たっておられる人達、そして原発の事故現場で必至でがんばって
おられる人達に心から「ありがとう」と感謝の言葉を述べさせていただきたいと思っています。そして、
政府の方々も様々な方面から色んな批判の声を浴びせられているようですが、心くじけずに頑張って
下さい。本当にご苦労様です。ありがとう御座います。

 私達は人に対して口汚くののしってはみても、心の底からの「ありがとう」という言葉を使って
こなかったように思います。人に感謝の心をどのように伝えてきただろうか。自然の恵みにどのように
感謝してきただろうか。このような自然の猛威を前にして初めて気付かされたような気がするのです。

 実は、私達は「最後の五匹」というミュージカル公演を目指し昨年の9月から取り組んできました。
そして、いよいよ発表の日が3月20日と直前になっています。このミュージカルのラストシーンに
「ありがとう」と言う言葉がキーワードのように登場します。

 実は、このミュージカルのワンシーンに、あまりにもリアルタイムな津波シーンがあって、さすがに、
この時期にふさわしくないとして脚本を書き換えようと思っています。何もかもが今日を予期したような、
このミュージカルに関係者一同、運命的なものを感じています。今は一日も早く被災地に笑顔が戻る日の
ことを願っています。

 ここに一冊の本があります。福岡正信先生がずっと前にお書きになった本です。「わら一本の革命」
という本です。私がこの本と出会ったのは20数年も前のことになります。以来、ずっとこの本のことは
心の中に止まり続け、いま心新たに読み返してみました。まさしく私達が生き方を変えなければ、この
先に幸せはないという警告の本でした。この時期だからこそ、この本をもう一度多くの方々に読み返して
貰いたいと思っています。

 そして「風の谷のナウシカ」という映画ももう一度鑑賞して貰いたいと思っています。この中にも
私達の生き方について何らかのヒントが隠されているような気がするのです。
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国のあり方、私達の生き方を考えるとき

2011-03-13 05:35:07 | Weblog
 この時期に、この記事を書くべきかどうか迷っている。しかし、書くとすれば今のタイミングしか
ない。そう思って書き始めた。

 私は昨晩、不思議な夢を見た。これが自分の家なのか他人の家なのか分からない家で目覚めた。
外の騒がしさに戸を開けてみると大勢の若者が庭にテントを張って寝起きしているようであった。
何の必要性があって街に出かけようとしていたのか定かではないが、彼らに見送られて家を後にした。
山を下り山裾にある神社の前に立っていた。どうやらこの場所は私の故郷、黄葉山の裏側登山口のようで
あった。黄葉山山頂に向かい手を合わせ、大鳥居の脇にある小さな神社に手を合わせていた。

 そして街に着くと凄まじい爆音が響き、空には型の古いジェット機が二機アクロバット飛行をしていた。
地上すれすれの空を飛んでいた。航空ショーの夢を見るのは久々のことであった。そして、これら一連
の奇妙な夢も久々であった。また、何故か幼少期から高校卒業まで一緒だった旧友も夢に現れた。

 何故こんな奇妙な夢を見たのか思い当たる節はない。それから目が覚めてしまい、それとはなく
原発の事故のことなどを考えていた。そしてリアルすぎるほど国家存亡の危機とも言えるような今の
惨状に似ている「最後の五匹」というミュージカルのことに思いを巡らせていた。

 昨日もミュージカルを続けるべきか中止するべきか、ともに苦労して今日にまで、やっとこぎ着けた
旧友である事務局長とも話し合っていた。しかし、今だからこそ演ずるべき時ではないかという思いに
傾いている。また、この災害に関しても、なるようにしかならないとも思えるようになってきた。
思い悩んでも何ら具体的な解決方法はないからだ。

 人間は結局、自然の猛威の前には無力であった。自然がほんのわずかだけ手を振っただけで全てを
なぎ倒してしまった。多くの人が犠牲になり多くの家や財産が失われ、今もなお原発の脅威に震えて
いる。

 今は政策や政権運営を政争の具にしているときではない。超党派でこの国難を乗り切るべき時では
なかろうか。そして私達自身もこの世の約束事に過ぎない地位や名誉に囚われるべき時ではない。
地位も立場もそれぞれが、それぞれの役割をそつなくやりおおすべき時ではないのだろうか。

 2012年、奇しくもマヤ歴は今の世が終わるときだと啓示している。アセッションなるものが
ささやかれ、ある団体はマイトレーヤなる救世主が現れるとしている。

 しかし、2012年でなくても、あるいは救世主が表れなくとも、自然は自らの脅威を見せつける
ことによって何らかの啓示をしているように思えてならない。そう言えばスマトラ沖の大地震や
大津波の時に私達は何を学んだのだろう。対岸の火事としてしか捉えていなかったのではないだろうか。
自らのこととして捉えるべきではなかったのだろうか。

 原発の是非が問われ初めて久しい。原発が必要だったのか、原発に依存しない生活は出来なかった
のだろうか。しかし、このような事がなければ誰も本気になって論ずることにはならなかった。

 今は西日本と、かろうじて残された日本の頭脳とも言うべき首都圏が一緒になって東日本を助ける
べき時である。私達は逃れてきた東北地方の人をいつでも受け入れる用意がある。また、今を不幸と
して捉えるのではなく、来るべき新時代を生きるためのスタートだと考えたい。

 私はかねてより千々に乱れた昨今の世の中を見ていて、どん底に突き落とされなければ誰も何も
感じないのではないかと思っていた。しかし、思いがけないことから真実になってしまった。

 かつて阪神淡路大震災の時、多くの助け合い精神が芽生えた。今がその時ではないだろうか。
マイトレーヤは特別な救世主ではなく我が心の中にある。奇しくも「最後の五匹」を3月20日の
日曜日に演ずることになっている。今は多くの人に見ていただいて、これからの生き方を考える
チャンスにしていただきたい。そう思っている。
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超巨大地震

2011-03-12 05:44:52 | Weblog
 実に恐ろしいことが現実のものになってしまった。それも我が国で生じようとは。昨日は「みんな
の雑記帳」という同人誌が30周年記念号を発刊したと言うことで地元の山陽新聞の取材があった。
場所は唐琴公民館。

 公民館登録をしなければならないと言う用事もあったので出かけた。取材を受けた後、何気なく
耳にした短いニュースが今回の大地震のニュースだった。地元の放送局のもので簡単なものだった。
マグニチュード7.0という数字に驚いてNHKに切り替えた。

 大津波警報が各地に出されていると言うことで、琴浦園に立ち寄った後、直ちに家に引き返しテレビ
を点けた。次々に映し出される映像は津波関連のものであった。地震発生から既に一時間近くが経過
した時間であった。

 一番ショックだったのはヘリコプターからの映像であろうか。仙台平野をなめ尽くすように海岸から
数㎞内陸部まで田畑やビニルハウス、家々をなめ尽くすように進んでいく黒い水の固まりであった。
まるで悪魔が大きな舌で全てをなめ尽くすようなシーンであった。

 川には海から逆流する水が逆巻き堤防を越えて流れ出していく。初めて目にする巨大津波の姿で
あった。正視できなかったのは津波がすぐ近くまで押し寄せてきていることを知らずに道路を走って
いる車の多いことであった。それらも瞬く間に飲まれてしまった。あの人達はどうなったのだろうか。

 私の手は心なしか小刻みに震えていた。東京の長男夫婦のことが一番に気になったので電話をかけて
みた。しかし、当たり前のように通じなかった。家内も出かけていたので非常事態を知らせようと
何度も電話をかけ直すのだが通じない。マナーモードにしていたらしい。

 家内が帰り、事態を知らせた後に長男の嫁からメールが来た。とりあえず無事だというメールだった。
しかし、長男とは連絡が取れないとのこと。もう一度、長男に電話をしてみる。奇跡のように繋がった。
商談中だという短い受け答え。商談中とは呑気なものだ。ともあれ無事で良かった。

 早速、嫁にメールする。夕方になって、今度は長男から電話。嫁は帰りたいのだが帰る手段がない
とのこと。首都圏は鉄道関係が麻痺状態。嫁には会社にいるようにと指示したとのこと。テレビには
大勢の人が歩いて移動している姿が。こんな時は少しでも早く家族の元にと思うのだろうが無理を
しない方が良い。

 地震は東北地方太平洋沖地震と命名された。当初、マグニチュード7.0だったものは8.4になり
最終的には8.8に修正された。かつてない大地震である。しかも震源地が何カ所もあり、これらは
連動して生じたように思えるのである。津波も10㍍を超えるような巨大なものであった。

 また、今回の地震で一つ気になることがある。各地で飛び火のように地震が頻発していることである。
今回の地震とは関係ないと専門家は言うが関係ないとはとても思えない。明らかに今回の超巨大地震に
触発されたとしか思えない。発生が懸念されながら未だ生じていない東海、東南海、南海地震への
影響である。これらが連動するように生ずると日本列島は東から西まで壊滅状態になってしまう。
太平洋戦争以来の国難の時代である。

 もう一つの懸念材料は起きて欲しくないと真に願う原発事故である。冷却水のポンプを動かすことが
出来ないと言う非常事態になっている。緊急放出もあり得るとの報道である。今はただこれ以上のこと
にならないことを祈るのみである。

 復興を論ずるには早すぎるかも知れないが、復興には多くの時間と困難が伴うだろう。何はともあれ
ライフラインの確保と衣食住の問題である。東北地方はまだ寒い。山間部には多くの雪が残っている。
余震も頻発しているようである。

 私達も直ちに何らかの支援をしていかなければならないと思う。どうか、被災地の皆さんだけでなく
日本国民が一つになってこの国難を乗り切りたいと思う。心一つにして取り組もう。
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大山鳴動してネズミ一匹も出ず

2011-03-06 06:18:43 | Weblog
 政治資金規正法による違反事件は枚挙にいとまがない。今もまた民主党の前原氏が在日朝鮮人の
寄付金を受け取っていたことで外務大臣の座を辞任せざるを得なかった。

 また、暴力団のフロント企業によるパーティー券購入を巡っての民主党議員や、果てまた野党議員
の一部にも疑惑がささやかれている。

 さて、小沢氏の政治資金問題は二転三転している。執拗に疑惑がささやかれ、検察が一度は不起訴
にしたものを検察審査会なるものが不起訴は不当だとして、弁護士による起訴という前代未聞の裁判
が行われようとしている。

 しかし、その起訴理由は当初の水谷建設からの裏金問題とは大きくかけ離れた小沢氏と小沢氏の
秘書三人との共謀罪だとのことである。今までの経緯を振り返ってみると理解しがたいものに変質
してしまっている。今更ながら政治資金に関する小沢問題とは何だったのだろうと言う疑問を抱か
ざるを得ない。

 先のNHKの特集番組「日本人はなぜ戦争に向かったのか、第3回”熱狂”」では、政府関係者
は勝ち目のない戦争だと知りつつ、何故、太平洋戦争に突入したのかという戦争前の状況を多くの
証言者の言葉によって克明に描いていた。見られた方も多いのではなかろうか。

 政府が限られた報道機関に情報を漏らす。その情報が報道機関によってセンセーショナルに書き
立てられる。煽られた国民は、それが全てのことのように受け取ってしまう。今度は煽られた国民
が報道機関の報道は生ぬるい論調を批判する。その批判は報道機関だけでなく政府にも向けられる。
こうして政府も報道機関もそして国民も混沌として、先の読めぬ間に戦争と駆り立てられていく。

 ある意味、今の世情が似てはいないだろうか。冷静になるべきは報道であり国民である。むろん
常に政治に対する批判の目は持ち続けなければならない。しかし、一方的な報道に踊らされ当事者
であることを忘れ、半ば観客になっているのは私達自身ではないのだろうか。

 せっかく政権交代をさせても、その成果の得られないままに民主党は自壊を始めている。民主党
のあるべき姿を絵に描いて見せた人が隅の方に追いやられ、半ば党内野党だった人が政権の場にいる。
このいびつな状態を作ってきたのは他ならない新政権を思い描いてきた私達自身ではないのだろうか。

 あたら限られた報道機関とニュースショーが繰り返し行う正体不明の世論調査に、それが全ての
ように思い込まされてきたのではないだろうか。私達は有り余る情報の中で、自分なりの選択が
出来る能力を持たなければならない。そうしなければ、ついには戦前のような愚かな行為を自らの
手で招いてしまうことになるのではないか。

 今、新しい動きとして自由報道記者クラブ協会なるものが設立され、大手マスコミだけに掌握され
てきた情報を別な視点で捉えてみようと言う試みがなされている。情報は広く公開されなければなら
ない。限られたものだけが独占してきたのが従来の報道であった。

 日本国民は決して馬鹿な国民ではない。正しい批判の能力も有している。しかし、感情に流され
やすく、ある意味騙されやすい。もっと、世の動きに対して批判的な目で見ることが出来るように
ならなければならない。

 世界はしたたかである。沖縄問題に関するアメリカの高官の発言を巡って大きな問題になっている。
しかし、これはアメリカという国が日本という国を見ている時の本音であろう。彼は正直に語ったに
過ぎない。沖縄問題の根深さを伺わせる発言であると共に、アメリカという国を見るときの見方を
変えなければならないと思うのである。

 時あたかも9.11の映像がリークされた。出所は明かではない。しかし、この映像の中に真実が
隠されているのではないだろうか。だから今まで一般に公開されなかったのである。
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