人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ケアグループ「そよかぜ」

2011-01-31 05:17:16 | Weblog
 労働金庫が発行している「さんぽみち」の私達の記事が縁で、玉野にあるケアグループ「そよかぜ」
で活弁口演をやらせて頂いた。

 聞けば、このグループは玉野市が主催している特定非営利活動法人で、デイケアセンターなどに入れ
ない高齢者を対象に、公民館など空き施設を利用して活動しているようだ。

 従って、運営をしている人達は、それぞれに介護士などの資格を有し、健康体操や簡単な手作り品
などを作る指導などを行っている。

 この日は年が明けての初めての集まりだったようで、私達夫婦が活弁士だと言うことをさんぽみち」
で知ったMさんが電話を下さった。どこにどんな縁があるか分からないものだ。

 今回伺った「滝」と言う地区以外にも三カ所同じような施設があるらしい。今回は滝公民館を使って
の集まりだった。近隣の高齢者が、それぞれに自転車や徒歩で集まって下さった。

 滝地区という場所は由加山を越えたところにある農村地帯だ。地区のことを歌った歌詞にも書かれて
いるように春夏秋冬、美しい景色が楽しめる桃源郷のようなところらしい。

 実は私達が所属していた「友歩会」でも一度だけこの地区を歩いたことがある。その時には由加山の
トンネルを抜けた先にある道を下り、急流のある場所にたどり着いた事がある。恐らくはこの急流が
水量を増すと滝のようになるのではなかろうか。なかなか風情のある場所であった。

 私達の住んでいる児島上の町から、車だとほんの一走りで着くような場所である。従って、パソコン
で滝公民館を検索し地図をプリントアウトして持参したが、地図に頼ることもなく目的地へ着くことが
出来た。

 40名ばかりの人が来られていたであろうか。さして広くはない会場はほぼ満席であった。家内の
「面白かったら遠慮なく笑って下さい」という前置きが良かったのか、始めて間もなくから笑いが
始まった。

 会場毎にこの笑いは異なるが、いつ聞いてもうれしくなる笑いである。活弁士も笑いに誘われる
ように乗ってくる。会場の笑いに誘われて弁士が乗り、弁士が乗って会場を湧かす、この観客と
弁士のコラボレーションが活弁と言うものを面白くしている。

 悲しい映画の時は弁士の語りに誘われてすすり泣き、弁士の笑いを誘う語りに反応しての笑い声、
全ては観客と弁士の駆け引きのようなものである。活弁は決して弁士一人の力ではない。観客と弁士
が一体となって作り出すものだと思っている。

 人に関わることが大好きな私達夫婦にとって、夫婦活弁士というまたとない仕事を得たことに感謝
をしつつ演じた今回の滝口演であった。

 この日、演じたのは「突貫小僧」と「子宝騒動」と言う映画二本、そして活弁始める前のお話しを
入れての約一時間少々、拍手喝采の内に今回の口演も終了した。

 私達も地区の人と一緒に健康体操を行い、昼食までご馳走になって会場を後にした。次回会場は
ここから少し先のJAが入っていたという建物だと言うことで、会場の下見をして帰途に着いた。
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感動「ミュージカル・最後の五匹」

2011-01-25 05:52:57 | Weblog
 週末の土曜日と日曜日、そして火曜日と夜遅くまで猛烈な練習が行われている。まさしく周辺を
巻き込んだ手作りのミュージカルと化してきた。

 先日も衣装の件でこんな出来事があった。素晴らしいデザインなのだが期待していた地元の人の
手では縫えないと言うことが明らかになった。急遽、東京、大阪の専門家のところへ問い合わせたが
断られたり返事が来なかったり。万事休すの状態になっていた。

 困り果てたあげく、地元の人達に相談を持ち掛けたところ、それでは私達がと名乗りを上げて
くれた人達がいた。とてもプロのような訳にはいかないと言いながらも何とかデザインに沿う形で
作ってみようと言うことになった。

 衣装製作の打ち合わせの日も練習日だった。打ち合わせ後に、その人達にも練習風景を見て貰った。
練習の立ち居振る舞いから衣装のイメージをくみ取って貰いたかったからである。

 その翌日のこと、その練習風景を見た人の一人が感動の余り興奮して寝付けなかったと聞いた。
よほど熱意溢れる練習風景に感動されたのであろう。

 それぐらい、このミュージカルは素晴らしいものになりつつある。脚本を舞台にしていくという
作業は想像以上に大変な事だ。しかし、やりがいのある事でもある。残された練習日は限られている
が、演出家の胸中には成功への確信のようなものが見え始めているのではないだろうか。

 とは言いながら準備すべき事も課題も多い。全ては今後のかかっているのだが、前売り券の販売
状況が良くない。地域を挙げて応援して貰いたいようなミュージカルなのだが、その思いもみんなに
伝わっていない。どうすれば伝える事が出来るのだろうか。

 この練習風景をみんなに見て貰いたいと思っている。さて、明日は舞台照明、音響の会社に打ち合わせ
のために行くことになっている。
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発想の転換

2011-01-24 06:50:52 | Weblog
 確かに今の政治を見る限り八方ふさがりのような状況だ。期待して選んだ民主党も蓋を開ければ
自民党と何ら変わらない権力闘争の明け暮れである。

 検察の執拗なまでの金と政治の問題を権力闘争の道具にしているのが、菅さんを中心とする一派と
自民党を中心とする野党だ。これでは国民のための政治などと言っても誰も信用はしない。政治不信
は、ますます募るばかりである。

 日本は未曾有の経済不況にある。長引く経済不況は国家財政にも大きな影を落としている。どの政党
が政権の座に着こうとも、この状況から容易に抜け出せるものではない。だから自民党が政権を放り
出したとも言えるのではなかろうか。

 国は金がなければ何も出来ない、何もしようとしない。しかし、本当に金がなければ何も出来ない
のだろうか。国を家庭に置き換えて見ると、どのように見えてくるのだろう。どう考えてみても金回り
の良かった昔のようには行かないのは理の当然だ。

 だったらどうすればよいのか。何だかんだと言ってはみても身の丈にあった生活に戻らなければ
ならないのではなかろうか。結局、こんな世の中にしてきたのは、そんなことも判断できないような
政治家を選んできた私達にも責任がある。

 日本は、高度経済成長で浮かれ浮かれてにわか成金になりきっていた。家の中には有り余るほどの
あぶく銭があったものだから、家族みんな後先のことも考えず使い放題使ってきた。当の財布の紐を
締めなければならない一家の主婦(自民党)までもが、まるで放蕩息子の如く国家財政を食い物にして
きた。

 その後の尻拭いをしているのが民主党だが、これもまたバブル時代の感覚が抜けきっていない。
銀行や国民から借金をしてまでも、今までと同じような生活をしようとしている。今は緊縮財政に
切り替えて借金を返すべき時ではないのだろうか。

 それを国債という未来の重い付けにして、あぶく銭を増やしているに過ぎない。それは徳川幕府の
ように一両小判の質を落としてまで、一両を一両半に変えようとしているのと同じ事だ。その程度の
事しか考えられないのだろうか。

 国家百年の計がない。確たるビジョンが全くない。しっかりとした将来計画が示されれば増税も
許されようが、何もなくては判断のしようがない。これは政権交代の問題ではなく、発想の転換の
問題だ。今の発想の延長上に何ら解決策はない。

 既に医療保険も年金保険も制度的には破綻している。それを隠しながら政権維持の道具にするのは
辞めて貰いたい。現状をきちんと説明し、今後をどうしていくべきか問うのが政治家の仕事ではない
だろうか。納入すべき国民が受け取る国民に比較して圧倒的に減少している現実を考えれば、今まで
の制度を維持していくのは無理だろう。

 団塊の世代と言われる高齢者が増えている。少子化と言われて久しい今日、これら高齢者を今までの
ような制度の中で面倒を見ていくことは困難だ。だったら、どうすべきか。今から真剣に議論を重ねて
いかなければ遅すぎる。

 何もかも発想を変えなければ出来ないことばかりである。色んな問題を抱えながら時は慌ただしく
流れていく。
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街づくり国づくりに関する提言

2011-01-23 06:27:58 | Weblog
一言、現実問題としての意見を申し上げます。

これからの街づくりを考えるとき生活空間としての利便性を最優先にすべきだと思います。
私達中高年者の世代の多くは他の市町村からこの地に移り住んで家を建ててきました。
ところが多くの住まいが開発によって造成された土地に住んでいます。
これらは非常に不便なところが多く、若い頃は何とも感じなかった坂道が苦になったり
自家用車が無ければとても生活できないようなところが少なくありません。

現に私の趣味仲間の多くが公民館等へ来られなくなり辞めて行きました。
高齢者の生きがいは趣味ですが、その趣味さえ楽しむことが出来ないのです。

こうした実情を考えるときそこへ行けば人に会える、買い物も出来る、銀行や郵便局もある
病院もあるという街づくりが必要だと思います。

また、そこへ行く手段をどのように確保するかも大きな問題です。
もっと巡回バスなど移動手段が必要ではないでしょうか。

また、自転車を使いたいのですが、道が整備されていないため
交通事故が心配です。車を規制した道路などの確保が必要かと思います。

倉敷、児島、玉島と三地区が孤立した状態にあります。
三市が合併して以来、この問題に誰も関わっていません。
私は以前、水島臨海鉄道を利用して三地区を結ぶ、循環線設置を提案したことがあります。
バブル前の列島改造の頃のことでした。しかし、とうとう実を結ぶことはありませんでした。
あの時、鉄道の敷設が出来ていたら、上記のようなことも事情は変わっていたかも知れません。

いずれにせよ街づくりは、そこに住んでいる人達の生活をどのように考えるかと言うことに尽きます。
どうか、街づくり委員会など広く市民の意見を聞く場を作り、三世代がどのように交流しながら
生きていくかという問題を考えていただきたいと思います。

 これは私の住んでいる倉敷市に対し、メールでお願いをした街づくりについての私からの提言です。

 この他にも提言すべきことは多々あると思いますが思いついた事だけを書いてみました。昨今
限界集落という実に寒々しい言葉を耳にします。しかし、限界集落と言われているのは農村だけの
問題ではないのです。

 現に、私が住んでいる地域にも一人住まいの家が実に多いのです。一人住まいの方がお亡くなり
になると空き家が一軒増えます。こうした家が少なくないのです。また、最近の現象として、お葬式
を出さないという家も増えています。出来ないからしないのか、ただ出さないだけなのか定かでは
ありませんが、お亡くなりになったことに気が付かないこともあるのです。

 こうした変化は、家族の有り様そのものが変化してきているように思われます。また、大都会周辺
では団塊世代という人達が70代から80代になると、高齢者問題が一挙に浮上してくるのではないか
と言われています。年金だけでなく医療も介護も大きな課題になりつつあります。

 菅内閣は、内閣改造の目玉として与謝野氏を起用し税制問題に手を付けようとしています。消費税
を増やし社会保障を何とかしたいと考えているようです。しかし、実際問題として年金の支給額を
見直すだけで良いのでしょうか。

 年金が老後の生活を支えるのに足りないことも問題ですが、支給額を増やすだけでは解決出来ない
問題も多々孕んでいます。年金受給者の中には、生活コストの安い海外へ移り住むような人も現れて
います。高齢者を抱え、老々介護を嫌ってメイドさんを雇うことの出来るタイなどに移り住むような
人もいます。

 世は様々ですが、それくらい高齢化社会を目前にした日本の抱える問題は深刻だと言えます。一方
高齢者が生き生きと老後の生きがいを見付けて暮らしている町もあります。老後の問題は、単に年金
支給額を増やすだけでなく、根底から社会のあり方を考えていくべきではないかと考えています。

 また、これからの社会のあり方は、高齢者だけの問題だけではなく現役世代の問題でもあります。
少子化の中での国のあり方をどうしていくのか。これは政治家だけに任せておくべき問題ではないと
思います。自らの問題として真剣に考えていくべきではないかと思うのです。

 これまで私達は、右肩上がりの経済が当たり前のように思い努力をしてきました。今、経済界は
こぞって中国やインドやインドネシアに目を向けていますが、これにも限界があることを考えておく
必要があろうかと思います。

 中国へ工場を作ったが、工作機械さえ国内に引き上げることが出来ないのだと、先日ある人から
聞きました。どうやら中国に全ての財産は取り上げられたようです。法律が異なるからでしょう。
安易に中国へ進出することには様々な問題があるようです。

 隣人とは言いながら日本人とはまるで思想も歴史も異なる国なのです。もっと足下に目を据えて
今後の日本での生活のあり方を真剣に考えてみるべき時代なのではないでしょうか。
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光陰矢の如し

2011-01-21 06:57:46 | Weblog
 ここのところ肌寒い日々が続いている。近年、比較的温かい冬が多かったので、余計に寒く感じる
のだろう。

 考えてみれば私達が子どもだった頃、これくらいの寒さは普通だった。まだ舗装されていなかった
道路の水たまりには分厚い氷が張っていたし、小学校近くの池にも子どもが乗れるくらい分厚い
氷が張っていた。小学校へ大きなつららを持ってくる子供もいた。

 そんな寒い冬だったが、家にあるのは火鉢と炭を入れた炬燵ぐらいなものだった。むろん今のような
床暖房もなければ空調機もなく石油ストーブやガスストーブさえもなかった。手や足は霜焼けで赤く
ふくれあがっていた。風呂にも入れないものだから、あかぎれが痛かった。

 お昼時になると「だるまストーブ」の周辺から異様な臭気が漂ってくる。弁当の中の貧しいおかずの
一品が「たくあん」だった。何とも言えない匂いは、その「たくあん」からのものだったのだ。卵一個
の卵焼きと梅干し、または「たくあん」というだけの実にシンプルで質素な弁当が普通の弁当だった。

 クラスの中には、お弁当さえ持ってくることの出来ない子供さえいた。昼食時になると、そっと
教室を抜け出し、みんなの食事が終わった頃、帰ってくる。家が近い子は、家に食べに帰る。そんな
時代だった。

 霜焼けは春先に血の巡りが良くなると、たまらなく痒くなる。隔靴掻痒と言う言葉があるが、まさに
そのような体験を何度も何度も繰り返し味わってきた。


 さて、1月も残すところわずかとなった。慌ただしい日々が続いている。畑の手入れも十分でない
まま、最後の五匹、環境、活弁と様々な行事に追われている。そして、ここで新たな大仕事が加わり
と、こんな具合である。

 菅改造内閣の行方は、小沢問題の行方は、インフルエンザの大流行は、相次ぐ寒波の襲来は、長引く
円高不況は、世情は騒然として止まることを知らない。

 隣国の韓国では口蹄疫が、今もなお広がりを見せている。その上に鳥インフルエンザ、北朝鮮の砲撃
と、ここもまた混乱の最中にある。

 中国はアメリカ発の金融危機にもめげることなく10パーセントという驚異的な経済成長を遂げて
いる。飽くなき巨大怪獣は自国の資源だけでは満足せず、世界の資源を求めて彷徨している。

 日本列島にも巨額の資金が投入され、北海道など広大な土地が他国の持ち物に変化している。日本
列島にありながら日本では無い土地が出来ている。武器を用いない侵略が静かに始まっている。

 タイガーマスクは誰なのだろう。伊達直人は誰なのだろう。寒々しい事件の多い中で久々に聞く
清々しい出来事だ。善意の輪が更に広がることを願っている。新しい時代の到来を予兆させるもので
あって欲しい。
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ミュージカル「最後の五匹」・窮すれば通じる

2011-01-20 06:08:14 | Weblog
 年が明け、いよいよ開演の日も近くなってきた。おおよそミュージカルの大要も見えてきた。
自画自賛となるが、素人集団で作り上げるミュージカルとしては実に素晴らしい。

 しかしながら難題も少なくない。まずは舞台装置、東京だとか由加だとかの背景、何しろ作るもの
全てが大きいので想像も付かない。

 また、ニューヨークのシーンやアフガンのシーン、そしてと今まで誰も手がけたことのないものを
作り上げていく。地元の大工さん、ペンキ屋さんなどの協力を得ての作業である。小道具の槍や刀も
やっと完成の目処が付いたところだ。

 問題は衣装だ。メインキャストの衣装デザインは素晴らしい。しかし、これだけのものを採寸から
型紙を起こし、縫製まで出来る人がいなかった。東京、大阪の業者に見積もりを依頼したが無しの
つぶて、万事休す。

 そんな中、地元の人達の中に一肌脱ごうという人がいて一件落着、ホッと胸をなで下ろしたところだ。
次は狐の衣装をどうするかだが、こちらは数も多い。まだまだ課題は多そうだ。

 しかしながら「窮すれば通じる」で、何とか一つ一つが解決に向かいつつある。考えてもしようが
ないので、今はただただ目標に向かって走るだけ。しかし、不思議に助けの神が現れるもので、こう
言うのを「窮すれば通じる」と言うのであろうか。今はただ感謝あるのみ。

 私自身も他の大仕事を抱えながらのフル回転の毎日である。先日もある自治会から活弁口演の申し
入れがあったのだが、どうしても日程調整が出来ずお断りした。初めての事である。申し訳ない。

 さて、果樹の手入れをどうするかだが、今のところ時間的な余裕が見いだせない。こればかりは
助けの神も現れそうにない。春までの時間との勝負である。


 1月の子育てサロン、今回は新しい人達がどっと来てくれた。厳寒期とは言え、この日は寒さも
少し緩んで室内には燦々と日の光が射し込み温かい。一歳未満の子ども達が圧倒的に多い。

 ママ達には節分にちなんで鬼の角を作って貰った。それを頭にかぶせてみると、みんな可愛い鬼の
赤ちゃんに変身。実に愛らしい。しかし、一様に頭に何かを付けられるのがいやのようで、写真を
写す間もなく取り外してしまう。大変賑やかな1月の子育てサロン プーさんだった。
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東京散歩・冬編

2011-01-16 10:22:38 | Weblog
 先週の10日から13日まで東京に滞在していた。10日の早朝に家を出て駅駐車場に車を預け
そこから瀬戸大橋線で岡山へ。岡山から新幹線で東京へ向かった。

 私達夫婦は比較的多い国内旅行のことを考えて「ジパング倶楽部」に入っている。これに入ると
乗車料金が二割から三割安くなる。使用回数が増えれば増えるほど得になる。今回の東京行きもも
ジパングを使った。

 この日は全国的に冷え込んだ。早朝の駅構内は人も少なく寒々としていた。この時刻に乗る人の
大半は関空から海外へ旅立つ人のようで、それぞれに大きな荷物を持っていた。実は私達もスーツ
ケースを持っていたので電車待ちの人から海外旅行ですかと尋ねられた。

 京都を離れた頃から車窓は雪景色に変わった。米原付近が最も白く、窓の外を吹雪のように雪が
流れていく。かなり降っているようだ。そして名古屋を過ぎると、その先は晴天だった。明るい
日差しと青空、冬特有の澄んだ空だ。富士山がくっきり見え、横浜の近くまで見えていた。

 第一日目の東京は山手線目白駅隣のホテルにチェックイン、荷物を預けて新宿へ。新宿の裏町を
歩くのは初めてのことだ。飲食店が多い。これだけの店舗がひしめいていても、それぞれにやって
いけるところがすごい。地方ではあり得ないことだ。東京へ来るたびに思うことだが、この人通り
の何分の一かでも地方に分散できれば地方の様相も多少は変わるのではなかろうか。

 今回の上京はピースボートで一緒に旅行をした女性が久々に出演するという演劇鑑賞が目的だった。
見落としてしまいそうな看板が出ているビルの地下が会場だった。観客席は階段状になっていて
そこに座椅子のようなものが置かれていた。足も伸ばせないほどの狭さであった。50席ぐらいは
あっただろうか。満席だった。

 舞台は出入り口とほぼ同じ高さ。ここに大きなテーブルが置かれていた。演題は「12人の怒れる
シェークスピア」。舞台装置らしきものは全くない。ただテーブルを囲んで延々と続く議論。要は
シェークスピアの悲劇、ロミオとジュリエットの結末を脚本にどのように書くかというお話し。
こんな芝居もあるのかと舞台というものの幅広さを感じた。

 夕方は、この日の舞台鑑賞に集まった仲間達と新宿で会食。このように呼びかければすぐにでも
集まってくれる仲間がいる。

 翌日は船上のお父さん、お母さんと慕ってくれ、彼女たちの結婚式にも招待されたことのある女性
の子どもの顔を見に行った。大宮からニューシャトルに乗って鉄道博物館で下車。歩いて10分余りの
マンション。赤ちゃんはお母さんの背中におんぶされて駅までやってきた。可愛い男の子。まだ一年
にもならない赤ちゃんだ。話しかけるとニコニコ。本当に可愛いらしい。

 その日の午後は当初の予定を変更し高円寺へ。ともかく寒い。下北沢のような狭い通りが幾つも
あり、下町らしい賑やかなところだ。余りの寒さに早々に引き返す。夕方は「しゃべり場」の仲間と
ベトナム料理店へ。三々五々勤め帰りの仲間も集まって賑やかに会食。それぞれに将来の夢を語り
悩みを語り、話は尽きない。

 翌日は夫婦二手に別れて行動開始。ホテルではバイキング形式の朝食があるのがうれしい。品数も
多くシティホテルとしては珍しいほどの朝食だ。ここで遅い朝食を済ますと昼食は抜きでも良い。

 テオ・ヤンセン展が日本科学未来館で開かれていた。テレビの特集番組で見ていたので、会場の
展示品にさして目新しいものはなかった。この会場では最近開発された「ミドリムシクッキー」を
買った。食に関する講演の題材に使おうと思ってのこと。

 ここを出て、周辺の建物の中へ。全ては近代的で巨大な建物ばかり。中でどんな事が行われている
のだろう。多くは国の建物のようだが、これらの建設費、維持管理費はどのようになっているのだろう。
地方では想像も付かないような無駄遣いが為されているような気がしてならない。

 現に東京国際交流館の一部は事業仕分けで3月までには閉鎖されるとのこと。それはそうだろう。
維持管理費や人件費だって馬鹿にはならない。

 この日は寒さも和らいで心地良かった。コンビニで買ったものを海岸に座り、陽光に輝く海を眺め
ながらの遅い昼食。

 その後、お台場を離れ家内と渋谷で合流し、水本俊也さんの写真展を見に代官山へ。代官山は
お洒落な街だ。この一角の建物の二階で展示会が開かれていた。水本さんとは47回のピース
ボート以来の再会。

 ほんのわずかな期間だけ一緒だったのに、私達夫婦の顔を覚えていてくれたのがうれしい。写真
の大半は子どもさんを連れてのピースボートでの旅のスナップのようであった。再会を約束して
暮れゆく代官山の街へ。

 こうして滞在三日目の行動は終了。晩は長男夫婦と渋谷で待ち合わせ遅い夕食を。最後の日は
帰るだけ。ホテルをチェックアウトの後、山手線で品川へ。ここへ荷物を置いて品川宿の見学へ。
旧東海道品川宿、ここも観光地として売り出すための街通りの整備を行っていた。寺社の幾つか
を見学して早々に引き上げる。とにかく寒い。暑いのもいやだが、こう寒くては遠距離を歩くのも
億劫だ。

 帰りも富士山がきれいだった。そう言えばホテルの窓からも富士山が見えていた。
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2011年の幕開け

2011-01-02 07:07:51 | Weblog
皆様、明けましておめでとう御座います。日々、送られてくる皆様方の活動を拝見させていただき
日頃のご無沙汰を痛感しています。

私も及ばずながら自分の手の届く範疇で何とか世のため人のためひいては自分のためにと色んな
事を手がけています。いずれ花開く日もあろうかと思います。

私も自然農法を目指していますが、今年も専門家に負けないような甘いミカンが出来ました。
自然は決して嘘をつかないと身をもって実感しています。また、自然の中にこれから生きて
いくべきヒントが隠されているような気がします。

さて、人間社会はと言うと経済という虚構の中で踊らされているような気がしてなりません。
私達自身がしっかりとした自分を持ち、意識を変えないと今の状況から抜け出すのは困難です。

昨年は国境問題が大きく意識される事件が多発しましたが、これら全て経済という化け物に
踊らされた結果だと捉えています。まだまだ自国だけでなく世界各国がこのような状況にあり、
その状況を抜け出すのは非常に困難を極めると思いますが、何もしないと何も変わらないのも
事実です。明日からと言わず今日から行動を起こしたいものです。

先進的な取り組みを行っておられる皆様には釈迦に説教かも知れませんね。
今年もよろしくお願いいたします。

*********************************************

明けましておめでとう御座います。
皆様には良い年を迎えられたことと思います。
旧年中は何かとお世話になりました。

県北では大雪警報が長時間出ていましたが如何お過ごしでしょうか。
聞けば南半球のオーストラリアでは記録的な大雨による大洪水が発生しているとか。
北半球の大雪や寒波と南半球の大雨とは決して別物ではないような気がしています。
気象変動による特徴が良く現れているように思えます。

それにも関わらず多くの人々の関心は別のところにあるような気がしてなりません。
経済発展という化け物に取り憑かれた人間がますます増えているようです。
宇宙船地球号はタイタニック号のように、浮かれ騒いでいる内に、いつの間にか沈んで
しまったと言うことのないようにしたいものです。
今年もよろしくお願いいたします。

*********************************************

謹賀新年

皆様明けましておめでとう御座います。
旧年中は何かとお世話になりました。
今年も変わりなくよろしくお願いいたします。

児島では倉敷市の助成金を受けて3月20日開催予定のミュージカル「最後の五匹」公演に向けて
練習と準備に忙しい毎日を過ごしています。
ポスター並びにチラシも出来ましたので近日中に持参いたします。
このミュージカルが単なるミュージカルだけでなく地域興しの起爆剤になればと考えています。
皆様方のご支援を心からお願いいたします。

追伸

私達夫婦の演ずる活弁も大きな反響を呼び旧年は多くの団体での口演を行ってきました。
皆様方が取り組まれている地域イベントにもぜひとも加えていただくようにお願い申し上げます。

*********************************************

皆様、明けましておめでとう御座います。
旧年中はお世話になりました。
また、様々な情報を寄せていただき感謝しています。
環境問題、政治経済ともに行き詰まり感の強い昨今、この状況を変えるには私達の意識を
変革する以外に方策はないように思います。
今年も旧年に変わらずお付き合い頂きますように心からお願い申し上げます。

*********************************************

「最後の五匹」メーリングリストの皆さん明けましておめでとう御座います。
楽しいお正月を過ごしておられるでしょうか。
早速、1月8日からは練習が始まります。
3月20日に向けてがんばりましょう。
今年もよろしくお願いいたします。

*********************************************

 これら新年の挨拶は、私が所属している団体に向けて新年の挨拶として書き送ったものです。
政治、経済、そして環境問題と諸問題を積み残したまま年を越しました。そして、状況にに変化は
見られません。未だ解決の糸口さえ見えない状況が続いています。

 しかし、決して展望がないわけではなく、昨年の暮れに書きました「だっぴ50×50」のような
素晴らしい活動が始まっているのも事実です。それもこれから日本を背負って立つべき若者世代の
動きです。既に新しい時代の胎動は始まっている。そんな気がしています。

マイナスイメージの報道が多く、国民はこれらの報道にマインドコントロールされています。マイナス
ではなくプラス思考で行きたいものです。明るい展望を持ち、それに呼応するように私達一人一人が
意識を変革することこそ必要なのではないでしょうか。何ものにもとらわれない強い意志を持ち
新しい時代を展望すべき意識の変革と行動を始めたいものです。


 31日は強風でした。ハッサクや夏みかんの収穫をしていても時折吹き付ける強い風に吹き飛ばされ
そうな威圧感を感じながら作業をしていました。
 
 朝から昼近くまで作業を行い途中止めして家に帰りました。厚手の作業服でさえ寒さを感じるような
一日でした。大山のスキー場では新雪雪崩による死者が出たとか、国道9号線では車1000台が
立ち往生したなど大雪による被害も出ていました。

 岡山県の県北でも大雪警報が31日から出ていて、翌1日も出ていた。まさに山陰や県北は記録的
な大雪でした。一方、ここ児島では時折、雲間から朝日も差すような穏やかな年明けでした。

 1月1日には年末の傷の手当てにかかりつけの医者に行き、その足で氏神様である八幡様に初詣を
済ませて帰りました。家に帰り、帰省していた息子夫婦を交えての家族五人の食事、新年を祝って
お屠蘇、おせち料理、雑煮を頂きました。

 年賀状が山ほど届きました。変わらぬ友情に感謝しながら読ませていただきました。ここのところ
添え書きもない年賀状を出しては皆さんに失礼しています。お許し下さい。幾人かの方々にはホーム
ページやブログなどで日々の消息はお知らせしているつもりです。積もる失礼をお許し下さい。

 さて、昨年の夏は記録的な暑さが続き、世界各国でも気象関係の大きな異変が生じています。冬は
冬で記録的な大雪や寒波が繰り返し押し寄せています。南半球ではオーストラリアに大洪水の被害が
出ているようです。相変わらず温暖化による気象変動の幅は拡大を続けているようです。

 今年はどのような年になるのでしょう。占うのも困難な昨今の状況ですが、皆様方のご多幸を心から
お祈りしています。そして私にとっても大きな変革の年になりそうです。
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