人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

目から鱗

2011-06-30 06:41:39 | Weblog
 地球温暖化による気候変動など環境問題を人に語るとき、何となくもどかしさを感じるのは私だけ
であろうか。語っているのは環境問題であっても、その実、私達の生き方、考え方そのものを問われて
いるからだ。

 先日も環境問題に取り組んでいる仲間が集まりスキルアップの為の学習会があった。この学習会に
先立って講師からの質問に対し、古くから講演活動や出前授業を行ってきた仲間が私と同じような
考えを持っていることを知った。

 ゴミ問題も森林破壊の問題も地球温暖化の問題もすべからくは人間の生活そのものから発生した
問題である。私達の様々な欲求が高まり、欲求に呼応するように経済活動が活発になり、それに伴い
森林資源や地下資源は次々に開発され消費されてきた。

 一方、煽り立てるような企業のコマーシャルは私達の欲しいという欲望を駆り立ててきた。その結果、
資源は枯渇寸前であり、更には大地震に伴う原発の壊滅的な破壊に繋がり、深刻な電力不足が懸念
されている。

 私達地球上の生き物すべては水と太陽エネルギーにより作られている。唯一、太陽エネルギーとは
異なるものが原発という核分裂によるエネルギーである。

 私達自身の体も太陽エネルギーにより作られ、太陽エネルギーによって作られたもので生かされて
いる。言い換えれば太陽の分身とも言えるものが、地球上に存在する全ての生きものだと言うことが
出来る。

 そして地球上の生き物の中で、人間だけが太陽が作り出した石油や石炭、天然ガスという過去の
エネルギーを使って生きている。それも将来を考えることなく浪費に近いような形で使っている。

 これら全てが地球温暖化に繋がっているし、多くの生物を殺している。こうしてみると人間という
存在が如何に異質なものであり、地球にとって罪深き生きものだと言うことが出来よう。

 今回の学習会では、こうした太陽を中心とするエネルギーの循環という観点から全てを見直すことの
大切さを学んだ。省エネとかリサイクルとかに焦点を絞るのではなく、太陽エネルギーの恩恵の中で
生かされていることを考えながら、もう一度環境問題を考え直すことが必要だ。

 環境問題は私がかねてより考えていたように、私達の生き方そのものを問われているような気がして
ならないのである。
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放射能汚染と健康問題

2011-06-27 05:37:42 | Weblog
 蒸し暑い日が続いている。畑仕事を終え家に帰ると汗で作業着が重くなっている。梅雨の中休みか
ここのところ降ったり止んだりの天気が続いている。この雨の間を縫うようにして畑仕事を行っている。
適度な雨と太陽の光、そして温度上昇、こんな中で夏野菜は一気に成長を始めた。

 いよいよ本格的な夏の到来か。都会の高層ビルに窓はあっても開けることは出来ない。そのような
構造になっていないからだ。冷暖房の全ては電気を使って行われる。電気は常にあることを前提に
した上での設計である。このような建物に扇風機や団扇、扇子は全く通用しない。

 しかし、連日のこの気温と湿度である。空調機なしで過ごすことは出来ないであろう。ましてや
熱中症などの事を考えると空調機は適度に使って貰いたい。また、子どもや子育て中の家庭、妊産婦
そして高齢者は優先的に使うようにして貰いたい。命に関わる問題である。

 その代わり使わなくても良いところもたくさんあるはずだ。日中にも関わらず街灯の消し忘れ
必要以上に明るい展示場など、周辺には使わなくても済むようなところがたくさんあるはずだ。
この際、真剣にエネルギーのこと、地球温暖化による気象変動のことなど考えてみたい。都会でも
緑地を増やせば増やすほど地温は下がり気温も低くなる。ビルの代わりに緑地をもっと増やしたい。

 さて、放射能汚染が深刻化している。日々、見えない放射能の恐怖と闘いながらの生活は耐え難い
ものであろう。かつて核実験が盛んに行われていた頃の汚染と、今回の原発事故での汚染の比較対比は
ないのだろうか。被爆直後の広島や長崎の放射能は、どんな状態だったのだろうか。いつ頃から濃度は
下がっていったのだろうか。

 広島や長崎の被爆地で同じような体験をしながら後遺症のほとんど出なかった人と、そうでない人の
違いはいったい何なのだろう。聞いてみたい疑問がたくさんある。

 先日、マクロビオテックの食事をお客さんに出している「百姓屋敷わら」の船越さんの話を聞く
機会があった。船越さんによると、きちんとした食生活さえしていれば放射能など恐れることはないと
言うのだ。その食事とは玄米や野菜中心の食事である。

 現に広島でも長崎でも被爆者の中に、この食事を続けていて後遺症もなく生き続けた人があるとの
話であった。

 小腸は消化したものから栄養を吸収している臓器であるが、それだけではなく血を造ったり免疫細胞
を作っていると言われている。生物がこの世に誕生した頃からの極めて大切な器官であったようだ。

 その小腸には人間の全細胞の数より多い100兆個もの微生物が住み着いていると言われている。
この微生物と小腸の細胞とは密接不可分な関係にあり、これらが免疫を造る働きに関わっているようだ。
いわば私達の小腸と腸内に住み着いた微生物は共生関係にあると言っても過言ではない。

 従って、最適な腸内環境を常に作っておくことが生きていく上で最も大切なことになる。その環境
とは善玉菌を増やし悪玉菌を抑制することだ。腸内の環境を良くするための食事が玄米などを主食と
するマクロビオテックに基づいた食事と言うわけである。

 常に免疫細胞さえ造る体制が整ってさえいれば、たとえ放射線によって遺伝子が傷つき、突然変異
による癌化した細胞が出来ても免疫細胞が取り除いてくれると言うわけである。

 私達は核物質だけでなく常に農薬やダイオキシンなどと言った化学物質による脅威にさらされている。
従って、免疫細胞を常に大量に作れる体制を作っておくことが大切だ。

 私達はあまりにも食事に対して無頓着であり過ぎる。飽食の時代と言われ腹一杯に食べることが
当たり前になり、抗生物質と人工飼料に肥育された家畜の肉を大量に消費している。こうした肉類が
どのような工程を経て生産されているかご存じであろうか。これらは本来の動物の肉から大きくかけ
離れたものであると言わざるを得ないようである。

 生肉を食べて感染した病原性大腸菌O157の問題や国内の問題や野菜からではないかと言われて
いるヨーロッパでの問題など食に関する事故も多発している。そして鳥インフルエンザや牛や豚の
口蹄疫、更には、いつ突然変異を起こすかも分からない強毒性のインフルエンザなど、肉食に関する
問題は少なくない。

 これらは、いずれも食に関わる問題であり、私達の食の在り方に対し何かを問いかけているように
思われてならない。こうした問題全てを原発問題と同じように神からの警告と受け止めたい。

 また、心配するあまり免疫機能を低下させるようなことがあってはならない。どうやら必要以上に
心配するのは止めた方が良さそうだ。今の時代、恐怖は核物質による汚染の問題ばかりではない。
あらゆる加工品に入っている増粘剤や着色剤、発色剤、防腐剤など数え上げれば切りがない。

 これらの物質は、全て自然には存在しないものばかりである。虫に食べられていても農薬に汚染
されていない野菜を使い、食べることを感謝しながら腹八分目を守る。これが船越さんが私達に
語りかけた正しい食事の在り方のようである。
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地球温暖化と原発事故

2011-06-26 16:43:21 | Weblog
 原発事故の実態が次第に明らかになりつつあるが、これほどまでに危険なものを運転しながら、
その危険さが全く認識されていなかったような気がしてならない。

 原子炉が冷却水系統の電源を失って間もなく炉内は異常温度上昇を始め、瞬く間にメルトダウンへ
と進んだ。その結果、燃料棒の被覆が溶け水素ガスが大量に発生した。

 本来なら水素ガス発生による内圧が高まれば、当然ながら圧力に耐えきれなくなって大爆発をする
ところであった。関係者はぎりぎりのところでベントと呼ばれている設備のバルブを開け、内圧を
下げる作業を行った。

 ところが開放したはずのベントは大気放出とはならず建家の中へ放出された。その水素ガスに何ら
かの原因で火がつき建家を吹き飛ばすほどの大爆発となった。

 ベントの開放は人力で行われたのであろうか。電源もなく制御設備も地震と大津波で壊れていたで
あろう。作業員はいつ爆発するかも分からないと言う恐怖と闘いながらの作業であったに違いない。

 ベントの開放は最後の手段であった。これを行えば内圧を下げることは出来ても水素ガスと共に
大量の核物質が大気中に放出されるからである。だから設備はあっても絶対に捜査してはならない
ものであった。

 こうした一連の経緯を報道で知り、私は私の在職中の事を思い出した。化学工場にも同じような
設備が設置されているからだ。それは合成樹脂を作る重合という工程にある。反応缶に圧力を掛けて
いるものもあれば大気圧で行われるものもある。

 いずれにせよ通常の場合、何ら心配するようなことはない。しかし、反応中に電源を失ったときは
直ちに非常電源に切り替わり運転が続けられるようにしている。

 私は新しい設備の設計時、ことのほか反応缶の電源喪失時に関し、こうした設備はどのような経過
をたどるのか事故防止に付いて考えたことがあった。電源を失うことは致命的な事故になりかねない
からである。

 専門家やオペレーターに何度と無く、そうした状態に対処すべき方法について問いただしたことを
今は懐かしく思い出す。最終的には内圧を下げるために大気放出しか無いという事であった。 その
設備が使うようなことがあってはならないベントという大気放出のための設備であった。

 運転現場では、原子炉が作られた当時の人は非常に少なくなっているのではないだろうか。大半は
職場を変わり、中には定年退職をした人もいるだろう。

 設備は20年、30年前を経過したものであるが運転している世代は次々と変わり、設計思想が
どの程度受け継がれて来たのか、危険性がどの程度認識されていたのか、多くの疑問が残る。

 恐らく、この原子炉を作った人達の多くは様々な経験の中から危険きわまりないものだという認識
があったに違いない。だから試運転時など緊張の連続だったのではないだろうか。しかし、その緊張
は次々に引き継がれていく世代に、どの程度認識されていたのだろうか。

 原子炉の爆発は化学工場の爆発とは本質的に異なる。被害の度合いが根底から異なるからである。
にもかかわらず電源が失われたとき、原子炉が万が一暴走を始めたとき、そのような不測の事態を
どの程度認識していたのであろうか。

 原子炉建家周辺の排水口のあちらこちらから汚染水が洩れだし、それが海に流れ込んでいるという
報道がなされていたとき、ああここも老朽化が進んでいたのだな、それにも関わらず一般の工場と
同じように修理のための投資も行われず、コスト面だけが追求されていたのだなと思った。

 原子炉は本来コストを考えてはいけない設備であった。にもかかわらず経済効率のみが重視され
それ相応の投資がなされてこなかったのではないだろうか。実は、これが我が国の経済の実態であり
世界の経済の実態である。

 全てが経済効率というものの考え方で行われてきた。そして人の世は移ろいやすい。先輩達が緊張
の中で運転を始めた頃の思いは次第に薄れ、後輩達には伝わっていなかったのではないだろうか。

 今回の事故は起こるべくして起こったと言っても過言ではない。神ならぬ人間が行うことである。
そこには目に見えぬほころびが至るところに垣間見えるのである。そして核汚染は偏西風に乗って
瞬く間に世界中へと拡散していった。そして海も汚染された。

 しかし、同じような核物質による汚染は50数年近く前にもあった。それは繰り返し行われていた
大気圏内の核実験である。競うように繰り返し行われていた核実験により大量の核物質が情け容赦
なく私達の上に降り注いでいた。

 その核汚染の紛れもない目撃者の一人が私である。その頃、今のように放射能測定器は一般的に
知られていなかった。わずかにガイガーカウンターという奇妙な名前の測定器が放射能を計るもの
だと認識されているに過ぎなかった。その測定器を使って降下してきた放射能を測っていた。

 今にして思えば恐るべき放射能の量であった。地球人は一様にモルモット状態であった。そして
核実験場近くの住民達は、もっとひどい被爆者であった。一般の人が放射能の怖さを知ったのは
ソ連時代のチェルノブイリ原発事故の時からであった。

 事故発生後、周辺住民は数日間何も知らされないまま被爆し続けたのであった。その結果、多くの
子ども達に放射性ヨウ素による甲状腺異常が生じた。そして今も多くの人が後遺症に苦しんでいる。

 原子炉という人間の制御が出来ないものを残しておくべきではない。今こそ本気になって省エネ
に取り組むべき時ではないだろうか。私には遅々として進まない二酸化炭素の削減に、いらだった
神が与えた警告のような気がしてならないのである。

 このまま運転を続けるならば第二、第三の原発事故は、いつ生ずるか予測も付かない。ましてや
活断層が原発の下にもあり地震国日本に於いてである。

 経済一辺倒の考えを改めると共に、本気で地球温暖化による気象変動に目を向けるべきである。
神は人の手で解決出来ないような試練は与えないと言われている。であるならば今こそ真剣に省エネ
と二酸化炭素の削減に取り組むべき時ではないだろうか。そして一日も早く脱原発を行うべきである。

 次回は放射能被害と健康について考えてみたい。
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砂上の楼閣

2011-06-18 05:04:59 | Weblog
 NHKでは大津波を防ぎきれなかった防波堤など防災設備の検証を行っていた。水深60㍍
の海底に築いた防波堤、海岸近くに作られていた城壁のような防潮堤、大津波はそれらを易々と
乗り越え、更には破壊してしまった。

 また、他の被災地では海岸近くに作られていた真新しい浄化設備の建家も破壊してしまった。
これらの力はいずれも津波が引き起こすとされている様々な力によるものである。

 しかし、見ていた思ったのは、どのように頑丈な防波堤を作ろうとも巨大な岩盤に基礎を置か
なければ砂上の楼閣に過ぎないのだと言うことであった。遙か沖合に作られた2㎞にも及ぶような
巨大な防波堤も基礎は砕石であった。砕石が波にさらわれ脆くも崩れ去ったのである。

 海岸の防潮堤は中に詰められた土砂が吸い出されて流れ去ったために表面を覆っていたコンクリート
ブロック壁がズレ落ちてしまった。壁のわずかな隙間から始まった崩壊のプロセスである。

 こうした事例を見てみると人間の作るものに完璧なものはないと言うことである。さて、崩壊して
しまったこれらの堤防をどのように修理していくのか。まずは壊れた防波堤の撤去が先であろう。
このように巨大な構造物を撤去するだけでも莫大な費用と日数を要するに違いない。

 作ることに莫大な費用と日数を費やし、その上、壊れたものを撤去して更に新しいものを作る。
素人の私には想像できない難作業である。自然に手を加えれば更に何かをしなければならなくなると
言う典型的な事例である。自然は自然のままが良い。

 釜石湾の防波堤が完成したのは2009年であった。わずかに数年前であった。私達が行ってきた
ことは、ことごとくこのような事の繰り返しであった。過去にも築城間もなく大地震で壊れたこと
など、このような事例については枚挙にいとまがない。

 それでも私達は同じような事を繰り返している。山の上に住み、必要な時にだけ海岸に行き魚や
貝を捕る。こうした時代にはたとえ津波が来ても失うものは何もなかった。落ち着けば再び海岸に
行けば良かった。今でもタヒチの原住民の中には先祖からの教訓が生かされている。彼らは決して
海岸に家を建てない。山深くに家を持ち家族を住まわせ、必要なときに海へ出ていく。

 今回は、これから先へ家を建てるなという石碑よりも更に奥地まで津波が侵入したと言われている。
自然はいつどのような姿を見せるか分からない。およそ人が考え得る範疇を越えるような事もあり
得ることを今回の大地震と大津波は教えてくれた。

 どうか復興計画に当たっては二度と再び愚かな事の繰り返しにならないようにして貰いたい。
そう願うばかりである。人知を越えたと良く言われるが、おおよそ人間の考えることはこの程度の
ものであることを肝に銘じたい。
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果樹の収穫

2011-06-17 04:39:51 | Weblog
 青森から岩手沿岸では今まで獲れたこともないマダイの豊漁が続いているらしい。海の中にも何か
異変が生じているのだろうか。

 吉村昭氏の史実に基づいた「三陸海岸大津波」という小説の中にも、かつての災害時に先立って
魚の異常な豊漁が見られたと書かれている。専門家によると震度7程度の地震の再来はあるかも
知れないとのことであるから用心に越したことはない。これが杞憂に終わることを心から願っている。

 さて、我が家は果物の収穫のシーズンでもある。気候不順な昨今ではあるが梅の収穫に引き続いて、
ビワの収穫、そしてアンズの収穫、そろそろスモモの収穫も近づいてきた。

 ビワは今年も大変な豊作であった。収穫のタイミングも良く、袋の中で萎びてしまったような
ものはほとんどなく、ネットを早めにかけたこともあってカラスやヒヨなどの被害に遭うことも
なかった。

 ビワは作りやすい果樹である。その割には店頭に並んでいる品数も少ない。そして安くもない。
リンゴやミカンの様に、わざわざ買ってまで食べようとは思わないものではあるが季節のものである。

 我が家に於けるビワの収穫は近所より一週間くらいは早い。どうやら品種だけの事ではないらしい。
私はビワ用の袋は使わない。ブドウに掛ける白い袋を使っている。この袋だと色付き具合が良く分かる
からである。これは私の経験からの工夫である。色付きが早いのも、あるいはこの白い袋によるもの
かも知れない。

 今まで実を付けたこともなかった梅の木に実が付いたのも今年のニュースではなかろうか。これも
EM効果だと思っている。私は果樹畑では除草剤も化学肥料も全く使わない。農薬も最低限に止めて
いる。まあこれで良く出来るものだと感心するくらいである。木村式とまでは行かないが出来るだけ
木を丈夫に育てることで何とか病害虫に対処したいと思っている。

 果樹作りも野菜作りも同じであるが手をかけすぎても良くないし、手をかけなくても良くない。
これは子育てにも通じることかも知れない。

 ビワは甘く煮詰めてコンポート、古い梅酒から取り出した梅はもう一度煮て食べやすくした。
これら全ては女房殿の仕事である。小生はもっぱら収穫係である。

 先日は山へジューンベリーを採りに行った。これらの木々は偶然に見付けた自然のものである。
私はジューンベリーなるものを全く知らなかった。実物を発見したときネットなどで調べて分かった
ことである。

 翌年、さっそく苗を二本植え、更に挿し木をしてみた。4本が根付き、今は植木鉢に植え替えて
育てている。ジューンベリーはジャムにしてみると色は良く似ているがブルーベリーとは異なる
味わいである。

 さて、今は梅雨の最中である。果たしてスモモの収穫が上手く行くだろうか。梅雨時の雨によって
毎年のようにたくさんのスモモが腐ってしまうような事が続いている。今年はどうだろう。

 スモモが終わればいよいよ桃の収穫期がやってくる。まさしく果物の王様か女王様の登場である。
桃は完熟前に収穫するのが鉄則である。これもつい最近、人から聞いて知ったことである。何でも
かんでも完熟が良いのではないようだ。
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世界は変わる

2011-06-07 09:43:19 | Weblog
 大震災と原発事故、そして被災地の復興と原発の事故処理。そんな最中に国会では菅おろしが始まり
政治的な混乱は今も続いています。

 震災は自然現象ですが原発を推進し原因を作ってきたのは長く続いてきた自民党政権とそれをバック
アップしてきた経済界です。その自民党が原発の事故処理に不備があったと菅さんをこき下ろしている
のですから天唾も良いところです。

 そして連立については何だかんだと様々な条件を並べ立てています。真の狙いは混乱に乗じて一気に
政権を奪い返そうと言う目論見のようです。被災地から見れば良い加減にしろと言いたいところでは
ないでしょうか。

 そんな日本国内から目を転じればギリシャに始まったヨーロッパに於ける経済危機は終息どころか、
新たにポルトガルまで及んでいます。ポルトガルと言えば江戸時代には日本とも交流のあった、かつて
の先進国でした。

 そして、アルジェリアに始まった中東に於ける革命の嵐は今も止むことなく続いています。どこまで
広がって行くのか予測さえつかない状況です。

 隣国中国では内モンゴル自治区内での些細な事件から民族的な対立まで事態は進んでいるようです。
堪え忍んできた政治的な不満は頂点に達しているようです。いつ暴動が生じても不思議ではない状態
のようです。

 中国も急速な経済発展と貧富の拡大、政治的な抑圧、官僚の横暴と汚職など、不満はくすぶり続けて
いるようです。新疆ウイグル自治区、チベット自治区、そして今回の内モンゴル自治区と多くの不安定
要因を抱えたままの危機的な政治的状況は続いています。

 中国当局は必至になって軍事力を増強したり、インターネット上の情報の監視強化や取り締まりを
強めています。中東の革命の嵐がいつ飛び火するかも分からないような状況です。

 こうしてみると形は異なるものの、どこの国に於いても大きな変革期を迎えているのではないかと
いう気がします。二酸化炭素による地球温暖化や太陽活動の変化など、これらが一緒になって気象にも
大きな変動が見られるようです。

 また、一説によれば銀河系宇宙規模の大きな変化の中にあって、これらが地震や火山活動など地球の
地殻変動をもたらしているのではないかとも言われています。いわば人知を越えた大きな変動期にある
のではないかと思われます。

 私達は何もかも分かったように思っていますが、実は分かっていることはほんのわずかばかりで、
ほとんど何も分かってはいないのが実状です。その最も分かっていないのが、当の人間自身(自分自身)
だと言うことに気が付いていないのではないでしょうか。

 これだけの大きな出来事があり、ショックだったはずなのに、相も変わらず大震災前と同じような
事を繰り返しています。それは政治に最も良く反映されているようです。人間の実に愚かな部分を垣間
見るような気がしてなりません。

 さて、「目に青葉 山ホトトギス 初がつを」と句にも詠まれているように、山の緑はより一層
色濃さを増してきました。目覚めるとホトトギスの鳴き声が遠く聞こえてきます。カエルの鳴き声も
聞こえてきます。ユスラウメの実が赤く熟し、今またグミの実が赤く熟しています。

 我が家では初ビワを収穫しました。毎年の事ながら近隣では一番早い収穫です。種ばかりが気になる
ビワですが季節ならではの味わいです。店頭にはサワラに続いてマナガツオが出始めました。これも
季節の魚です。自然だけは休みなく時を刻んでいるようです。
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