人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ドバイショック

2009-11-30 06:53:08 | Weblog
 昨年のリーマンショックもおさまりきらない昨今、今度はドバイショック
である。

 ドル安、ユーロ安の反面、円は急激に高騰し、立ち直りかけた輸出
産業に大きな打撃を与えかねない状況になってきた。政府は先の選挙
で約束した民主党のマニフェストの見直しを行ってまで緊急な予算の
見直しを迫られている。

 ドバイ首長国という国は中東にあって石油の産出国である。いずれ
枯渇するであろう原油の将来を見越して、一大商業リゾートを目指し
各国から大型投資を呼び込んできた。

 衛星画像でも確認できるような奇妙な形の宅地造成を行い、その上
に神の領域をも脅かすほどの高層建築物を次々に建ててきた。まさに
砂上の楼閣であった。

 そもそも需要のない建物を何故造り続けてのきたのだろう。それは
単純に人間の欲深さに根ざしたものであった。

 リーマンショックの時も同じであった。いずれ支払いが滞ることが
予想された低所得者に低金利のお金を貸し付け、次々に新しい住宅を
建設し、その建設資金への投資を呼び込んできた。その貸付金の回収
が滞って、資金繰りが上手く行かなくなり、ついには破産と言うこと
になってしまった。

 その背景には、債務保証におおよそ価値のない格付け評価という
見せかけを行い投資を呼び込んできた。信用の根拠など全くないものに
あたかも信用があるように見せかけたのが格付け評価である。

 上辺だけの信用という鎧の下に、実はとんでもないものが隠されて
いたのである。

 実は首都圏の再開発を初めとした日本の建設ブームも同じ事であった。
それが何年か前に経験した日本発のバブル崩壊であった。考えてみれば
私達は同じ過ちを三度も経験したことになる。

 私は早くからこうなるであろう事を見越してホームページにも書き
ブログにも書いてきた。その通りになったのである。全ては必要のため
ではなく、お金に踊らされてきただけの話である。

 天を突くような無用の長物が、今まさに崩壊しようとしている。これを
現代の「バベルの塔」と呼ばずして何と呼べば良いのであろうか。

 このショックの影響は少なくない。当分続くのではないだろうか。
私達は、もっとお金というものの在り方を考えなければならない。
本当に必要なお金とそうではないお金と、同じお金であっても二通り
あることを考えてみたい。

 お金がお金を生むような現代の錬金術は存在しない。また、お金は
必要最小限あればよいと思うのだが。
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映画「2012」

2009-11-28 06:19:11 | Weblog
 既に皆さんは、この映画を見られたであろうか。壮大なスケールの
映画である。恐らくはCGなど大量に駆使して制作された映画に違い
ない。大音響とともに次々に展開する地球の最後の姿を見ることが
出来る。

 さて、昨今の政治、経済、その上、環境問題と私達の将来は決して
明るいものではない。政治や経済の混乱が人心を惑わすのか、あるいは
人心の乱れが政治や経済を悪化させているのか、その原因は定かでは
ない。

 しかし、この世の中は人が作るものであって見れば、人の心に何か
大きな問題があって、世は乱れに乱れているのではないだろうか。
どこでどんな事件が起きても決して珍しいことではない。そんな昨今
である。

 だからこそ2012年が、とりわけ大きく報じられるのであろう。
2012年はマヤ歴で人類最後の年とされている。詳しくは2012年
12月21日が最後の日とされている。それから先に地球の歴史は
ない。

 折しも昨年から今年にかけて蜜蜂が大量に失踪するような事件が
報道され、カエルやオタマジャクシが空から降ってきたと大騒ぎに
なった。こうした事件も2012年と何か関係があるのだろうか。

 過去には惑星直列が騒がれ、ノストラダムスの大予言が騒がれてきた。
しかし、何事も起こらなかった。起こらなかったと言うより大きな変化
はなかったと言うべきかも知れない。

 人の世の変化は今も目に見えないような形で続いている。地球温暖化
は、このまま何の対策もしなかったら、いつか破局的な現象が生ずる
のではないかと言われている。マヤ歴が予言しているように大変な時代
の入り口にあることに違いはなさそうだ。

 果たして人間は愚かなる行為を止めて、まともな世界に戻ることが
出来るのだろうか。

 古代マヤ人達は詳細な暦を作っていた。天体観測と言っても今日の
ような優れた資機材のない時代に、実に詳細で正しい暦を作っていた。
地球の公転が365日等と言うことを、どのようにして知り得たので
あろうか。

 恐らくは長年にわたる太陽の詳細な観測を通じて知り得た知識なの
であろうが、その正確さ故に、何故、マヤの暦は2012年で終わって
いるのか不思議と言えば不思議である。

 そして、古代人達が伝えてきた他の予言の中にも同じような事が
記されているとしたら、それはいったい何を意味しているのだろうか。
謎は深まるばかりである。

 映画は巨大な地殻変動や、それによって生ずる巨大噴火、そして
ヒマラヤ山脈をも飲み込むような巨大な大津波を生じさせてみせる。
息付く暇もないくらいの巨大スペクタクルである。

 この映画では箱船の建造場所が中国(チベット)であり、主人公達が
中国に向かう飛行機はロシアのアントノフという古い型のジェット機
である。

 この映画にアメリカに関するものは、ほとんど出てこない。と言う
よりアメリカは壊滅してしまう国として描かれている。何かしら今の
アメリカの姿をあからさまに反映しているようで面白い。

 そして、お決まりの家族愛がテーマの映画である。最後は必ずハッピー
エンドである。ここら辺りがアメリカ映画らしいと言えば言えなくも
ない。

 果たして現代の箱船は、2012年の最後の年に向けて密かに建造
されているのだろうか。そして、その箱船は人類の救世主となりうる
のだろうか。

 私には、人の心の中にこそ人類が救われるための箱船が準備されて
いるように思われるのだが。

 そして、平日での映画館。中高年の夫婦が実に多い。これも今の
時代の現れであろうか。
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錦秋の出雲路

2009-11-26 05:37:10 | Weblog
 去る11月22日と23日の両日は、恒例となった神辺中学校時代
の同級生との旅行を兼ねた同窓会であった。毎年のように続けてきた
ミニ同窓会ではあったが、私が忙しかったこともあって、昨年は開催
できなかった。今年は友人に頼んで幹事になって貰い何人かの仲間の
お世話で開催可能となった。

 当然のことながら、それぞれに年を重ね、初参加の人にとっては
竜宮城から帰ってきた浦島太郎状態だったのではなかろうか。私も
初参加だという女性二人から挨拶を受けたが、記憶の消滅とその姿
の変化に、残念ながらすぐには思い出せなかった。お互い様であろう。

 中には大きな手術をしたという人も幾人かいて、多くの同級生が
一病息災と言ったところであったろうか。そんなこともありながら
こうして共に旅行することが出来たのは何よりの喜びであった。

 一同に会することが出来たものの、それぞれがそれなりの苦労は
重ねてきたようだ。今、やっとそうした煩わしさから解放されて
この場へ集まった人達であった。

 行き先は皆生温泉一泊と出雲路の旅であった。第一日目は冬型の
気圧配置が強まり、空は今にも降ってきそうな様子だった。そして
何となく肌寒い一日であった。

 蒜山に着いたとき大山は山頂を雪に覆われていて、とてもきれい
だった。昼食弁当を駐車したバスの中で済ませ、一度は行程表から
削除していた「とっとり花回廊」へ行くことになった。行程表から
削除していたのは、連休の人出で途中の道が渋滞することを考えて
のことだった。

 しかし、ここまで何ら渋滞もなくスムーズに来ることが出来た。
花回廊では、この季節のことなのか、特別この日が少なかったのか
場内は閑散としていた。

 良く整備された場内にはパンジーが花開き、クリスマスの飾りが
至る所に見られ、とてもきれいだった。入口正面のドーム型温室内は
さすがに温かく、冬の気配も寒さも感じることなく熱帯植物が青々と
した葉を繁らせていた。この頃から屋外では小雨が降り始め、いつしか
大山も薄い雲の中に隠れてしまった。

 周辺が紅葉や冬景色の中、人目を引く花があった。皇帝ダリアという
大きなダリアであった。この花、最近では良く目にする花である。
周辺の景色が色を失い始めた頃、このダリアだけは異常に草丈も高く
ひときわ人目を引く花であった。

 そして、どんな方法で咲かせているのだろうか、いつ来ても咲いて
いるのが各種のユリの花であった。この日も数多くの種類が花開き
強い芳香を放っていた。

 次に着いたのが「伯耆古代の丘公園」であった。この公園は各種の
ハスの花で有名なようだが、むろん、この季節に花開いているはずも
なく、他に見るべきものもほとんどなかった。

 と言うより公園そのものの規模が非常に小さく、わざわざ立ち寄る
ほどのものではなかったと言った方が良いかも知れない。むしろ公園
横と言おうか前と言おうか、すぐ側にある幾つかの墳丘墓に登った
方が良かったかも知れない。

 私達は早々に公園を出て、私からの提案で、この公園からほど近い
「妻木晩田遺跡」の方へ向かった。ここはゴルフ場開発の途中、偶然
に発見された巨大弥生遺跡群であった。

 広大な丘陵部に展開する遺跡の大半は弥生時代の集落跡であり
住居跡や方形をした特殊な墓地が多数出土している。あまりにも
広大すぎて、ほんの一部(15%)しか発掘されていないようである。

 弥生時代の住民達は、この丘陵部を点々と居住地を変えて移り住んで
いたようで、その時代は非常に長期間に及んでいる。

 これからの発掘調査が楽しみな遺跡である。今、ここは国の管理する
遺跡となっていて、見学は無料であり、ボランティアガイドさんが
希望者の時間を聞いて案内をしてくれる。私達もガイドをお願いした
のだが、時間の都合で、ほんの一部分しか見学することが出来なかった。

 実は、この下の方に先ほど紹介をした公園や墳丘が見える。恐らくは
稲作が本格化するに連れ、居住地も便利の良い下の方に移っていった
のではないだろうか。

 ちなみに、この丘に立つと田畑の向こうには大きく弓なりになった
海岸、弓ヶ浜を見ることが出来る。雄大な眺めである。この丘に住んで
いた人達は朝な夕なこの景色を眺めていたのではないだろうか。

 いよいよ皆生温泉到着である。今宵の宿は皆生温泉の端の方にある
簡保の宿であった。かいてもいない汗を流し、いよいよ宴会であった。
そして恒例のようになっている部屋へ帰っての二次会で盛り上がり
夜は次第に更けていった。

 翌日は素晴らしいお天気であった。青空が戻ると共に気温も上昇し
コートの必要もないようなお天気になった。私達の同窓会はお天気が
不安定な時期に開催してきたにも関わらず、晴天に恵まれてきた。

 今回も一日目こそ肌寒く小雨のぱらつくようなこともあったが
そんなお天気にも関わらず予定外の場所に二カ所も立ち寄ることが
出来た。そして今日は穏やかな小春日和であった。

 運転手さんの温かい配慮で、通常の観光バスでは走ることのない
宍道湖の中を突っ走り、更には宍道湖のほとりを延々と走ってくれ
秋の宍道湖や周辺の景色を堪能することが出来た。

 どこから飛来して来たのだろう。夥しい水鳥達が宍道湖一帯に広く
群れていた。宍道湖は豊かな湖なのであろう。

 二日目は神仏を訪問する旅であった。最初に訪れたのは一畑薬師
である。山頂近くにあるこのお寺は、ご本尊が薬師如来であり、特に
眼病全てに御利益があると言われている。

 バスは長い山道を何度もカーブしながら登っていく。そのカーブ毎
に視界が開け、眼下の景色が広がっていく。眼下には陽光に白く輝く
宍道湖が見え、山はきれいに色付き秋盛りの景色である。明るい日射し
と澄んだ空気に木々の紅葉が色鮮やかであった。至福の時である。

 今回の参加者の中に近い内に白内障の手術を受けるという人もいて
タイミングの良いお参りだったのではないだろうか。この日の参拝で
急遽、参加者全員の厄払い祈願をして貰おうと言うことになり、団体
だったこともあって予定外の時間にご祈祷をして頂いた。

 この頃から予定外の行動もあって行程は少し遅れ気味であった。
その上、鰐淵寺近くまで来たときから車は渋滞をしていた。後で
分かったことだが、上の駐車場が満杯で通行制限をしているようで
あった。

 この日、この寺では紅葉狩りの客だけでなく、大護摩法要が行われて
いたので、その関係者も多かったようである。私達はずいぶん手前の
駐車場からお寺までを歩いた。体調のすぐれないものも仲間の中には
いて、とても厳しい行程であったに違いない。

 本堂近くなって長い長い石段が続いていた。この石段を登りきった
ところに大きな本堂があった。その本堂の横で山伏達による法要が
行われていた。薪を井桁に組み、燃え上がる火の中に護摩札が投げ
込まれる度に火の粉が高く飛散していた。

 時間が切迫していたので大急ぎで山を降り、次の目的地に向かった。
予定していた昼食予約時間を大幅に超えていた。次の訪問地は出雲大社
であった。

 大社近くの大きな土産物店の二階が昼食会場であった。遅い昼食が
終わり、この店の女性がガイドさんとなって出雲大社を案内してくれた。
大社の本殿の屋根の葺き替え工事が行われていて、本殿の姿を見ること
が出来なかった。

 最近になって出雲大社は巨大な建築物だった事が明らかになった。
その当時の建物に使われていたという巨木を三本束にした柱が発掘
され話題になった。言い伝えられていたことの事実が判明したので
ある。その柱跡と柱の一部が残されている。

 ただ、拝殿に手を合わせるだけの見学ではなく、ガイドさんによる
見学は初めてのことであり、出雲大社の歴史や建物の事など詳しく
聞くことが出来、良い見学であった。

 私達の旅は、どこかへ立ち寄る度に荷物が増える。ここでも買い物
に余念がなかった。たくさんの手荷物、いや土産を持って帰路に就いた。
帰りは高速道路に入って一部が渋滞をしていた。それでも比較的早く
帰れた方ではないだろうか。

 こうして、次回の再会を約束して解散をした。みんな元気で。また
会いましょう。  
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予算審議と事業仕分け作業

2009-11-21 06:11:02 | Weblog
 今、新しい政府によって盛んに予算の見直しが行われている。
人の世を動かすには人、物、金の三つが必要だと言われている。

 人は組織だとも言い換えることが出来る。何はともあれ人の世の中
なので、何事に寄らず人を抜きに語ることは出来ない。

 そして物とは資源とでも言い換えることが出来ようか。私達人間社会
は自然という存在に全てを依存して生きてきた。その結果、自然は何と
でもなるものだという思い上がった考え方が芽生え、果ては地球温暖化
という、とんでもないしっぺ返しを受けている。物とは乱開発するもの
でもなければ、乱用すべきものでもない。

 そして、誰が考え出したか知れないが、お金という便利な物がある。
しかし、このお金が人間の必要度を超えて悪いことに使われている。
もともと労働の対価や物と物の売り買いの仲介役でしかなかったお金が
世の中の全てを牛耳るようになってしまった。

 そして一番大切な人間の心まで踏みにじるようになってしまった。
それが昨今の世界の全てである。お金さえあれば何でも出来ると考えて
いるような輩が少なくない。本当にそうだろうか。人間社会は本当に
そのように安っぽいものなのだろうか。

 さて、いま国会では民主党を中心とする政権に代わり、それまで
自民党、公明党時代に作り上げてきた予算案の大幅な見直しが行われて
いる。政権が変わったのだから当然のことであろう。

 何をするにもお金がなければ何も出来ない。従って、民主党が考える
政治を行おうとすれば、まずは予算を見直すのが当然であろう。そして
各省庁の大臣に命じて削減できるものは削減を行った。

 その一つが八ッ場ダムである。削減対象は八ッ場ダムだけではない。
このような無駄だと思われるような事業は少なくない。そして、今盛んに
行われているのが第三者の目から見た予算の無駄遣い排除という事業
仕分け作業である。

 事業仕分け人と各省庁の役人との間で、火花の散るような辛辣な
やりとりが行われている。各省庁の背後にはお金を待ち受けている
色んな団体や人がいる。こうした諸団体も徒党を組んで各省庁の後押し
を行っている。

 しかし、ここで冷静に考えてみたいのは、予算の全ては私達国民が
供出した税金である。何事に寄らず国民の利益を最優先に考えるべき
ではないだろうか。

 そして、最も大切なことは、何事にもこれしか方法はないと言い
切れるようなものはないことである。工夫次第でお金は何倍にも跳ね
返って利益をもたらしてくれる。もう過去のように国家予算を湯水の
ように使う時代は終わった。

 実は、家計は火の車状態なのである。それでも日々の生活は続けて
いかなければならない。だとすれば何をどうすべきかは明らかである。
初めから他人の財布のような安易な考えで予算を使ってきたのが
各省庁であり外郭団体だったのではないか。

 その最たるものが天下りであった。必要もない団体を多種多様に
作り、それらが官庁OBの天下り先になっていた。それは高級官僚
だけのことではない。悪しき習慣は末端の役人にまで及んでいる。
また、一部民間企業でも同じような事が行われている。

 どうしても必要な団体や機関であれば、何故これから日本の将来を
担って立つような若者達が働く場に出来ないのだろうか。いつまでも
私達OBが飯を食うための場所であってはいけない。

 高級官僚達のように有り余る資産を持っていながら、この上、更に
何を求めようと言うのであろうか。

 とにかく道は決して一本ではない。同じ目的に達するにも多くの方法
があり道がある。少ない予算の中でもやりくりをすれば何とでもなる
こともあろう。また、事業仕分け人も単に予算切りをするのではなく
アイディアがあるならば提供してはどうか。予算とは対立の中で作る
ものではなく、共同作業で作り上げるものだと思うのだが。
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錦秋の有馬温泉

2009-11-20 21:07:27 | Weblog
 有馬温泉は日本有数の名湯だと言われている。古くは秀吉がこの地に
遊び、その妻ねねが愛した温泉だと言われている。

 こんなに近くにありながら、この地を訪れたのは先週の13日が
初めてであった。と言うのも、ある事情から、つき合いに行って
みましょうと言うことになって、この地を訪れたのだ。

 驚いたことに、山に囲まれた狭い盆地に良くもまあ、これだけの
建物を建てたものだと思うくらいに多くの旅館やホテルが所狭しと
建ち並んでいた。そして、今も新たに建設されていた。

 こうした建物の間を縫うように細い道路が何本もあり、両脇には
土産物店や民家が軒を連ねていた。

 有馬温泉には二種類の温泉が湧きだしていることでも有名だ。その
一つが金湯と呼ばれている鉄分で真っ赤になった温泉である。金湯とは
おおよそほど遠い、言ってみれば赤湯とも言うべき色をした温泉である。

 そして、もう一つは炭酸ガスを多量に含んだ銀湯という温泉である。
これも飲むと炭酸特有の舌を刺すような味がする温泉である。こうした
温泉の泉源と言われるものが町のあちこちにあって、こうした場所を
訪ねるだけでも楽しい。

 金湯と呼ばれる泉源付近の石垣や石畳は赤錆た鉄の色で染まっていた。
また、炭酸ガスを含んだ水は口に含むとラムネの炭酸が抜けたような
味がした。まさしく炭酸泉である。

 実は有馬温泉の近くの宝塚と言うところにも温泉がある。こちらの
温度はさほど高くはないようであるが、宝塚温泉と名が付いているし
街の中には炭酸煎餅なども売られている。この地域一帯に広く炭酸泉
は湧きだしているようである。

 さて、有馬温泉は非常に古くから親しまれた歴史のある温泉だと
言われているが、その地下泉源はどのようになっているのだろう。
近隣にそれらしき火山もなく、城崎温泉などからも遠く離れている。

 私達が訪れた日は天候が危ぶまれていた。しかし、着いた頃には
薄日さえ差すような天候に回復していた。しかし、一歩外に外に出ると
さすがに寒く、長くはじっとしておれないような気温であった。

 太閤橋を渡ると、そこは賑やかな温泉街であった。私達は荷物だけを
この日の宿泊先である兵衛向陽閣に預けて街へ出てみた。土産物店が
立ち並ぶ路地を歩き、特産品であるという有馬筆の店や竹細工の店に
立ち寄った。また、主要な泉源全てを見て歩いた。

 そして、観光案内所で聞いた瑞宝寺という名刹を訪ねた。ここは
紅葉でも有名なお寺であった。この日も平日だというのに大勢の人が
この地を訪れていた。境内一帯が紅葉の真っ盛りであった。かつて
太閤殿下もこの寺の紅葉を殊の外愛でたと伝えられている。

 さて、私達は翌日、六甲山をケーブルカーとバスを乗り継いで、娘
夫婦が住んでいる神戸に向かった。山一つ越えれば神戸である。

 この日はあいにく低気圧の影響もあって山には深い霧が立ちこめて
いた。半ば紅葉鑑賞はあきらめてケーブルカーに乗った。まるで雲の
中をゆくような感じであった。

 そして山頂を越えると展望は一気に開け、眼下には神戸港が間近に
見えた。そして神戸側をケーブルカーで下る頃になると雨上がりの
紅葉が朝日の中でキラキラととてもきれいだった。空は青く澄んでいた。
まさに六甲山は錦秋の頃であった。

 そして更に翌日は六甲山中にある神戸市立森林植物園に行った。
ここには世界中から集められたという色んな木々が植えられていた。
ここにも、この日大勢の観光客が訪れていた。池の周辺には様々な
色をした紅葉が今を盛りに美しい紅葉や黄葉を見せていた。

 孫の玄はドングリ拾いで一生懸命だった。最近はドングリだと見れば
ポケットに入れるのだと言っていた。この日もポケットはドングリで
はち切れんばかりであった。それにも関わらず、おしっこをするときに
トイレに何個かこぼれ落ちたと言って大泣きをした。ママが大急ぎで
代わりのドングリ拾いに走っていくような一幕もあった。

 こうして二日間、たっぷりと紅葉が進む有馬温泉や神戸の行く秋を
楽しんだ。
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児島市民文化祭終わる

2009-11-09 06:32:22 | Weblog
 約二週間の児島市民文化祭は第三期展と芸能発表大会を持って、全て
の行事を終了した。

 昨日の芸能発表大会は開演時こそ閑散とした会場であったが、時間
を追う毎に入場者も増え大盛況であった。一週間前の音楽コンサート
も同様であった。過去には入場者数も少なく発表者だけのような年も
あったが、今年は違っていた。主催者としてはうれしい限りである。

 どういう関係だろうか、入場者の中には中国人(縫製工場の研修生)
や青い目をした外人さん達もいて、国際色ゆたかであった。

 そして、新しい参加団体も増え、活性化を見せている。但し副会長の
閉会の挨拶にもあったように男性の参加者が少ないこと、若い世代の
参加者が少ないことなど、色々な事情はあるようだが、検討すべき課題
も少なくない。

 しかし、私が誘って入会してくれた事務局員も多く、何事に寄らず
大きな牽引力になりつつある。これらの行事が一時的なものではなく
今後は若い世代にも引き継ぐべきものとして大きく成長して貰いたい
と思っている。

 児島市民を繋ぐものは物やお金だけではない。引き継ぐべき無形の
ものとしての文化や歴史がある。これからも、より一層、市民のため
の文化行事として広く知れ渡り、大きく成長してくれる事を願っている。
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王地小学校訪問記

2009-11-08 06:13:59 | Weblog
 去る11月6日の午後、私は徳島県の三好市立王地小学校にいた。
実は省エネコンシェルジュとして省エネの出前講座のため、この小学校
を訪問していたのだった。

 今、この小学校ではゴミの分別収集など環境問題に取り組んでいる。
そんな事から今回、省エネセンターが募集した出前授業の受講を希望
したようだ。そして、講師として派遣されたのが私であった。

 徳島県に来たのは久々であり、それも、こんな山間部に来たのは
初めてのことであった。上の町駅から観音寺行きの普通列車に乗り
多度津駅で特急に乗り換え、阿波池田で更に徳島本線に乗り継ぎ
着いたのが、この小学校の最寄り駅である江口駅であった。

 徳島本線の普通列車もワンマンカーなら、この駅も無人駅であった。
幸に、こんな山あいの無人駅にもタクシーが二台停まっていた。話し
好きな運転手さんのタクシーで着いたのは遠目にも小さな小学校で
あった。

 南に四国山脈、北には香川県と境を隔てる山並みが連なるという
山あいの小さな小学校であった。近くを四国三郎吉野川が豊に流れて
いる。学舎としては申し分のない環境であった。

 こんに美しい自然に囲まれた小学校で環境問題を語っても子ども達
には、ピンと来ないかも知れない。駅に降り立ったとき、そんな事を
考えた。地球温暖化問題等と行っても縁のない話かも知れなかった。
そんな素晴らしい環境の町であった。

 全校生徒はわずかに95人、恐らくいじめも登校拒否もない学校に
違いなかった。全校生徒みんなが兄弟のような学校ではないだろうか。
そして、私を迎えてくれたのが今回の担当教諭であるT先生と校長先生
だった。お二人ともこの小学校にぴったりの優しげな女の先生であった。
 
 しかし、この小学校さえも新型インフルエンザだけは避けようもなく
数人が発症し学校を休んでいるとの事であった。こんな時代であるから
いくら手だてをしても防ぎようの無いことなのかも知れない。ただただ
何事もなく無事に大風が吹きすぎてくれるのを待つばかりであろう。

 私の授業は五時限の45分間となっていた。全校生徒が真新しい
集会場に集まってスクリーンに映し出される図に集中していた。私が
作る資料に比較すると、持たされた説明用の資料は、温暖化に関しても
さらりと触れただけのものであり、子ども達の感性に訴えるには、多少
物足りなさを感じていた。

 そして、低学年の子ども達には難しかったかも知れない。それでも
盛んに手を挙げて発言してくれたのは圧倒的に低学年の子ども達で
あった。5、6年生に質問しても、みんな後込みして答えてくれなかった。
シャイな年頃なのであろう。

 それとも遠来のおじさんに遠慮しての事であったろうか。この日は
いつものラフなスタイルではなく家内が勧めてくれた背広姿であった
ので多少の遠慮を感じたのかも知れない。

 45分間では足りないくらい、あっという間に終わってしまった。
時計を見ると予定していた列車時刻までにはかなりな時間があった。
列車時刻を調べなおして貰うと、江口駅に停車する列車は当分無く
それでは阿波池田駅まで送っていきましょうと言う事になった。

 校長先生が予定時刻の特急列車に間に合うようにと言うことで
30分ほど先にある駅まで自家用車で送って下さった。ところが
数分待てば予定列車のもう一つ前のに乗れるかも知れないと言う
事で大急ぎで駅に駆け込んだ。数分の待ち時間で特急南風に乗り、
乗り換えナシで児島駅に着いた。実に帰りはとんとん拍子だった。

 何と予定していた帰着時間より2時間も早かった。それにしても
四国とは言え意外に近いものだと感じた。あっという間の四国への
出前授業は終了してしまった。
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児島活弁シネマライブ終わる

2009-11-05 05:15:35 | Weblog
 私にとっての大任でもあった児島活弁シネマライブが終了した。
昨年に比較すると入場者数にやや不足はあったものの大方の評価は
良く、まずまずの成功だったと言えるのではないだろうか。

 今年は前座で行った「突貫小僧」口演は「むっちゃん、かっちゃん」
こと矢吹勝利本人とその妻の夫婦で演じた。本番は言うまでもなく
「佐々木亜希子」弁士によるチャップリンの「消防夫」と、キートンの
「セブンチャンス」であった。

 これに楽士としてNさんとTさんが加わり、いずれもエレクトーンに
よる二重奏であった。エレクトーン二台による演奏は、まるで管弦楽
のように豪華であった。

 それにエレクトーンが作り出す鐘の音などの擬音が加わり、まさに
現代映画に於けるバックグラウンドのように壮大なスケール感があった。

 これに佐々木弁士の巧みな声の使い分けや解説が入り、いつかしら
往年の名画がリメイクされて現代に甦ったような感があった。初めて
鑑賞した人からは感激の声やメールをたくさん頂いた。関係者一同
ホッと安堵の胸をなで下ろしているところである。

 会場の前には石原裕次郎の主演映画やフーテンの寅さんやSF映画
の草分けである「ゴジラ」の看板などを派手に並べての演出であった。
この看板に誘われるようにして会場に入り「今日はこの映画を上映する
のですか」と質問した人もいたくらいで、宣伝効果は抜群であった。

 この看板、実は貰い物である。かつては倉敷東映などで看板書きを
していた人が制作したもので、それを倉敷の町おこし行事の際に使用
したものらしい。その関係者が長らく自宅で保管していたものだが
もう使うこともないだろうと譲ってくれたものである。

 それを今年の夏の日に倉敷まで取りに行き、やっとの思いで車に
乗せ、持ち帰ったものである。大きなものが5枚もあった。

 実はこの看板のことが私達関係者の間で話題になり、この看板に
描かれている映画の上映会を開いてはどうかと言うことになった。
なかなか手続きなど難しいこともあるようだが、実現すれば素晴らしい
ことに違いない。

 さて、児島活弁シネマライブも5周年を無事終えたものの、これから
先をどうするかと言うことになってくる。正式な反省会はしていないが
打ち上げの席では、このまま続けていこうと言うことになっている。

 また、佐々木弁士サイドからは子供向けのワークショップ等を開き
子ども達やその両親を巻き込んだライブにしてはどうかという提案も
頂いている。

 いずれにせよ折り返し地点に立ったわけで、これから先は一工夫も
二工夫も要るところであろう。また、楽士を担当してくれたNさんや
Tさん二人には、喜ばしい話が舞い込んでいる。

 佐々木亜希子弁士が所属している会社のオーナーから来年の広島市
映像文化ライブラリーでの活弁口演に二人を招待したいという話が出て
いる。一回切りの口演で終わるのは惜しい演奏だったと言うのである。
何と児島活弁シネマライブは、なおも発展系で前進を続けているので
ある。

 確かに無声映画は音楽だけで見せるように作られているわけで音楽
を付けて見せたのは欧米の映画鑑賞の文化である。それに十分応え
うるだけの曲である事を考えると、今回使った曲を、もう一度多くの人に
楽しんで貰いたいと思っているのはプロダクションのオーナーひとりだけ
の思いではない。ぜひとも実現して欲しいものである。

 活弁という素晴らしい映画文化が、この日本にあった事をもう一度
思い出して貰いたい、若い世代にも受け継いで貰いたいという強い思い
から始めた児島活弁シネマライブが大きな花となって、いま地方から
開こうとしている。「活弁よ永遠なれ」と心から願っている昨今である。
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いよいよ活弁

2009-11-02 05:07:03 | Weblog
 児島市民文化祭も順調に日を重ね、30日のギャラリーコンサート
そして、31日のリハーサルに引き続き11月1日の音楽コンサート
の本番も無事に終了した。

 ギャラリーコンサートでは新たな出演者も加わり、地元にもこんなに
素晴らしい音楽関係者がいたのかと驚かされたり感動したり。

 また、音楽コンサートの方はリハーサルと本番という二日続きの
大仕事に私自身もすっかり疲れてしまった。それに引き替え出演者の
みなさんはみんな元気だ。

 今年の音楽コンサートは近年になく入場者が多く、出演者も熱が
入ったのではなかろうか。一方、久々に出演予定だった鷲羽高校が
新型インフルエンザのために直前になって出演の取り止めになって
しまった。誠に残念な事であった。

 幸にも琴浦中学校の方は予定通り出演してくれ音楽コンサートに
華を添えてくれた。

 展示会場の方も一期展、二期展が終わり、三期展に入った。昨晩
音楽コンサートが終わって二期展の撤去と三期展の会場づくりを
行った。昨日から展示が始まっている。

 そして、11月3日には第5回となる児島活弁シネマライブが開催
される。今年は今まで見たくても見ていただけなかった人達にも来て
頂きたいという思いから昼間の口演にしたのだが、11月3日と言う
日は他の行事も多く、昨年より少し入場者が減りそうだ。

 しかし、ファン層の定着も見られ楽しみにしている人も少なくない。
活弁としての知名度も次第に高くなっているようだ。私達夫婦も佐々木
亜希子弁士の前座として出演が決まっている。
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