人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ゴミ問題を考える

2010-03-31 16:27:21 | Weblog
 私は今、倉敷市に於ける環境行政の一翼を担う「倉敷市環境基本政策策
定市民委員会」の一員として活動を続けている。仕事はボランティアであり
始まったばかりである。

 これは市民目線での今後の倉敷市の環境行政がどうあるべきかという
指針を作る仕事である。いわば、環境問題に関しては、将来はこうであって
欲しいという願望を絵に描き、それに道筋を付けるようなものであろうか。

 多くは素人の集まりである。従って専門的な知識を持ち合わせている
訳ではない。しかし、一市民として今の環境がどのような状況にあり
今後どのようにあるべきかという問題意識だけは持っている。

 そこで考えられるのは私達の生き方の問題である。私が環境問題を語る
とき、常に頭の片隅にあるのは私達の生き方を変えなければ抜本的な解決
にはならないと言うことである。

 世間では昔に戻れと言う。しかし、これほど便利な世の中を一度体験して
しまうと、これを捨てるのは容易なことではない。しかし、そうしなければ
解決できそうもないのも事実である。

 では、どうすべきか、ある程度のことは今の環境行政の中で解決できる
かも知れない。それは資源ゴミと呼ばれている空き瓶や空き缶や古紙の
回収である。

 しかし、日々出てくる家庭ゴミの多くは分別収集に向かないものである。
その一つが生ゴミであり、各種の包装材である。過剰とも思えるような
包装が、その日に消費してしまうようなものにまで使われている。衛生と
見た目の美しさであろうか。

 私達が幼い頃、冷蔵庫はなかった。あっても店や特別な家庭であった。
従って、余分なものを買い置きするような習慣がなかった。常に使いきり
が基本であった。

 お米も炊いたら一粒残らず食べていた。夏のことなら匂いがするような
ものでさえ熱い白湯をかけ、すすぎ洗いをしながら食べていた。更に残れば
洗濯糊の代わりになっていた。

 野菜や残り物は犬や猫、果てまた鶏の餌になっていた。生ゴミは残らない
ようになっていた。豆腐は駕籠を持って買いに行き、酒も量り売りを買って
いたし、みそは入れ物を醤油は一升瓶を持って買いに行っていた。

 近所にはスーパーなどと言うものはなく、全ては単品を売る店であった。
街中の商店が集まれば今のスーパーと同じ機能であった。店同士は互いに
売り買いの中で支え合って生きてきた。

 こうしたシステムの中に過剰包装の入る余地はなかったのである。包み
紙の主役は古新聞であった。古紙の回収などと言う手間は必要なかった。

 食事は薪や炭で作り、暖房も炭や後には練炭であり豆炭であった。これも
ほとんどは使い切りのものであった。炭駕籠は焚き火に使っていた。

 倉敷市のようにゴミの回収や焼却に70数億という費用など必要なかった
のである。むろん燃やさないからダイオキシンなどと言う心配もなかった。

 江戸の町の生活が窮屈な暗い生活だったろうか。描かれている浮世絵の
多くは大らかな人生讃歌である。暗さは微塵も感じられない。それどころか
季節季節に応じた行事が華やかに散りばめられ、人々は自然との共生を
大いに楽しんでいた。

 今の世に、そのような豊かさや大らかさがあるだろうか。ただただお金に
翻弄され日々汲々として追いまくられているだけではなかろうか。環境を
考えるとき、生活レベルは下げても質を落とそうと言うのではない。

 それなりの豊かさを感じつつ自然に優しい生き方をしていこうという
提言である。時あたかも「降りてゆく生き方」という映画が日本各地で
上映され続けている。この映画の中にこそこれからの生き方のヒントが
隠されているのではないだろうか。

 自然を壊す生き方ではなく、自然に寄り添うような生き方が求められて
いる。
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何か変

2010-03-31 15:33:18 | Weblog
 「疑わしきは罰せず」は法の精神である。司法は三権分立の一角を占める
強大な権力である。この権力の元に数々の冤罪事件が起き、今も続いて
いる。

 罪なきものをあたかも犯罪者の如くでっち上げ、犯罪者として社会の
片隅に葬り去った事例は少なくない。今の密室での取り調べでは、被疑者
の立場は極めて弱い。

 さて、国松長官の事件に関して、犯人の特定が出来ないまま時効を迎え
幕引きとなった。その際、特定は出来なかったものの犯罪集団としての
オーム真理教の名前が上がった。異例中の異例の事である。

 犯人として特定することが出来なかったとか、証拠不十分で起訴出来
なかったと言うことは、白か黒かで言えば白である。司法の場でのグレー
はあり得ない。

 先には政治資金規正法の問題で小沢さんの検挙には至らなかった。小沢
さんは白であった。それを今も犯罪者の如く、グレーや限りになく黒に近い
グレーなどと言っている。このような表現はあり得ない。

 今も民主党に関しては様々な形の政治資金問題が取りざたされ、国民に
悪い印象を与え続けている。その結果、民主党の支持率は調査の度毎に
下がり続けている。

 自民党時代、刑務所の塀の上を綱渡りしていると揶揄されながら逮捕に
至らなかった人はざらにいた。それも政治資金規正法等という生やさしい
ものではなかった。多くは贈収賄事件がらみであった。それでも逮捕や
検挙に至らなければ白である。

 私達は勇気を持って民主党を選択した。だからこそ多くの改革が行われ
今も行われ続けている。

 積年の垢はなかなか簡単には落ちない。ましてや政治は生きものである。
世論の動向を見ながらの改革である。一朝一夕に済むはずがない。

 徳川幕府が倒された時と同じである。多少の政治的混乱は当然であろう。
今もアメリカからは基地問題で難題を押しつけられている。いずれ政治的
妥協は仕方のないことではなかろうか。

 その時には沖縄に今暫し我慢をして貰うような事になるかも知れない。
しかし、それは妥協であって永遠のものではない。自民党時代のように
先の見えない押しつけではない。

 今年の夏は参議院選挙が行われる。最早、自民党の選択はあり得ない。
自民党を選択すれば再び暗黒時代への回帰となる。民主党も党内論争や
幹事長問題で不協和音を奏でているときではない。党が結束して闘うとき
である。

 私達有権者も孫子の将来を考えたら民主党を選択すべきではなかろうか。
そうしなければ永遠にアメリカの属国になって利用され続けることになる。
それは日本国民にとってもアメリカ国民にとっても良いことではない。

 お互いに主権のある国家としての自立した道を歩むべきである。そして
アメリカは軍事力ではなく、民主国家としてのリーダーシップを発揮すべき
であろう。

 直ちにイラクの進駐やアフガンの進駐を中止すべきである。そうすれば
分相応な軍事力で済むはずである。沖縄の基地問題も日本駐留も必要なく
なるのではないだろうか。
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寒い

2010-03-29 11:03:39 | Weblog
 ここのところ、ずっと気温の低い日が続いている。特に朝晩の冷え込み
は厳しい。もう三月も終わりだというのに、この冷え込みは何故だろう。

 これも地球温暖化現象の現れであろうか。山の畑に植えているジャガイモ
の芽が突然見えなくなったと思っていたら、どうやら霜でやられたのか
葉先が枯れてしまったようである。先日、霜注意報が出ていた朝の事で
あろうか。例年よりも植える場所を広げたばかりだと言うのに、とんだ事に
なってしまった。

 それでも春は止まらない。梅の花が咲き、続いてサクランボの花が終わり
アンズの花が咲き、今、スモモの花が咲いている。

 ただ、心配なのはこの寒さ、実の成長に影響はないのだろうか。少し
気がかりなことである。反面、良いこともある。害虫と呼ばれる虫たちの
姿をあまり見かけないことである。

 今は枇杷の実の手入れをしている。花柄を落とし、実を間引くのが日課
である。追って袋掛けが待っている。桃の開花も間近だ。そしてナシや
リンゴの花へと続く。柑橘類の花は、それからずっと後のことになる。

 この寒さでも鶯が鳴いている。すぐ側まで来ている。自然は常に動いて
いる。動きを片時も止めることはない。

 さて先日、玉島で活弁の相談があった。街おこしイベントとして映画を
活用したいという話しである。本番は秋にプロの活弁士を呼んで行うライブ
である。それまでの繋ぎと宣伝のために、秋までに二度ほどプレイベント
をしてみようと言う計画である。

 その他にも岡山で二カ所、地元児島でも秋には、お願いをしたいという
申し入れを受けている。どうやら今年は活弁の年になりそうであり、新作
の準備が急がれる。

 活弁に関しては何かと不思議な巡り合わせが続いている。その一つが
今度行う玉島である。玉島は古くから商人の町として栄えたところである。
町人文化が花開いたところである。当時、多くの文人墨客がこの地を訪れて
いる。

 その一人が、家内の祖先である黒田綾山である。南画の絵師として歴史
にも残るような人物であり、綾山の業績を印した墓が墓地内に置かれて
いる。墓地は大原家の大きな墓地の隣接地にある。

 また、何という不思議な縁であろうか。私達夫婦が夫婦活弁を始める
ことになった映画が、尾上松之助主演の「豪傑児雷也」である。

 その尾上松之助が映画監督の牧野省三とであったのが、玉島という
この地であった。牧野省三が金光に来ていて、松之助の芝居を見に来た
ことから二人の関係は始まったようである。

 初めから松之助を起用しようと考えてきたのか、偶然、芝居を見に来て
松之助をスカウトしたのか定かではない。(ある資料によると牧野省三は
金光教の信者であり、長男、マキノ雅弘の名前を教主に付けて貰うために
金光教本部にきていたとある。その際、教主より、この近くに求めている
人材がいるというご託宣を聞いて来たと言うのであるが、真偽のほどは
定かではない)

 しかし明らかに、この地で二人の出会いはあったようであり、それが
松之助や省三の運命を大きく変えていった。日本映画の草創期の話し
である。ちなみに牧野省三は津川雅彦氏などの祖父である。

 私の家内の事と言い、尾上松之助の事と言い、不思議な縁を感じるので
ある。
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時間

2010-03-26 09:35:02 | Weblog
 先日、田舎暮らしを選んだ若い人の話を聞いた。一年間の生活費用が
僅かに30万円だという。その生活はどのような生活なのだろう。むろん
彼は独身のようであって、彼以外に生活費を必要とするような家族は
いないようである。

 聞けばほとんどが自給自足であり、使う道具類の手入れは全て自分の
手でするのだと話していた。彼にあるのはお金ではなく、有り余るほどの
時間である。その時間の全ては自分のために使うことが出来る時間である。

 会社勤めをしていたのでは、こうはいかない。睡眠時間以外の半分以上
は仕事に拘束されている。自分の時間と言えば実に僅かな時間しかない。
それも大半は雑用に追われる時間であって、趣味など自分が好き勝手に
使える時間は皆無に近いのではなかろうか。

 日本人は実に勤勉な国民である。仕事が趣味のような人もいるし、仕事
に生きがいを感じている人も少なくない。それはそれで良いだろう。

 しかし、仕事の成果がなかなか見えにくい時代である。従って、一般的
に仕事に生きがいを見出すことは難しい。

 今日、成果が見える仕事と言えば、唯一、第一次産業である農林業かも
知れない。畑や田んぼと言った身近な仕事場で間近に作物の成長を眺める
のは実に楽しいものである。

 ましてや実った作物を目の当たりにすることほど喜びに満ちたものは
ない。時間は自分のために使っているようなものである。


 私は定年になって初めて自分の自由に出来る時間を手にすることが
出来た。在職中の半分以上を労組の執行委員として過ごしてきたから
現役時代は一人で二役をこなしてきた。とても時間的な余裕などなかった。

 実はそのはずなのだが、執行委員という立場もあって、残業はほとんど
しなかったし、有給休暇も完全消化をしてきた。だから趣味もほどほどに
楽しめたのかも知れない。

 それでも一日の大半は会社に拘束されていたのだから、時間は自分の
ものではなかった。こうして定年後も5年を経過してみると、時間の全ては
自分のために使っているわけで、どんなに忙しくても充実している。

 忙しいのは誰かから命じられているのではなく、自分自身の裁量の中で
そのようにしてきたものである。今はある意味、会社勤務時代より忙しい
かも知れない。
 
 文化活動、環境活動、趣味の農作業、そして近年始めた活動弁士などが
ある。月初めには空白の多かったカレンダーも瞬く間に埋まってしまう
ような状況が続いている。これも夫婦ともに健康であればこそ出来ること
だと日頃から感謝している。

 さて、その時間であるがお金には代えがたいものである。お金を選ぶか
時間を選ぶかは個々人の考えによるものではあるが、もう一度、初めに
紹介した青年に戻って考えたい。

 人間の一生は誰もが同じである。金持ちや社会的に地位が上の人だけに
持ち時間が多いわけではない。

 昨今、仕事や人間関係に疲れて精神的に病む人が少なくない。誰のため
の人生だろうか。もっと自由に生きてみるのも選択肢の中に入れても良い
のではなかろうか。

 私の実体験を通して考えてみれば、どのように生きても人の一生は一生
である。だったら、もっと自由に生きてみるのも、もう一つの選択ではない
だろうか。

 その選択は東京のような大都会にはない。日本中のありふれた田舎に
こそ残っている。田舎へ帰ろう。田舎に帰って自分自身の人生を生きて
みよう。これが人生の先輩からの経験的に言えるアドバイスである。

 人には二物を同時に得ることは出来ない。同時に二つの人生を生きる
ことは出来ない。そして、一つが充実すれば一つは捨てることになる。
みんなが手にすることが出来るもの、それは誰しもが同じだと言うこと
である。
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降りてゆく生き方

2010-03-24 14:15:13 | Weblog
 東京へ行くたびに思うのだが、東京には何故こうも人が多いのだろうか。
それも圧倒的に多いのが若者である。それに引き替え地方の若者は極端に
少ない。

 岡山県でも比較的若者が多いのは都市部であって、地方の駅に降り立って
まず感じるのは、その街が寂しいこと、若者と言えば学生しか目にしない
ことである。それら高校生もやがては進学して都会に出て行くのであろう。

 それに引き替え地方で増えているのは、高齢者とデイケアセンターなど
高齢者の福祉施設や葬祭場である。

 日本はある意味、成熟社会である。中国やインドなど発展途上国とは
異なる。日本にもかつて中国やインドのような時代があった。昭和30年代
から40年代である。家庭には電化製品が増え、やがては自家用車や空調機
が当たり前の時代になった。

 その代わり次男、三男ばかりでなく長男までもが都会や新産業都市へ
動員され、田舎にはその親や年寄りしか居なくなった。農業は時代遅れだと
第二次産業や第三次産業が主流になった。

 田舎では高い農機具や化学肥料や除草剤を使わなければ、米や野菜の
生産が出来なくなった。私達の幼少期の田植えや稲刈り時期には農繁期
として学校までもが休みになり家族総出の農作業が行われていた。

 一人で農業をするには高い農機具や化学肥料や除草剤を使わなければ
とてもやってはいけない。

 都会では人余り現象が生じている。大学を卒業しても就職先がない。
高校を卒業しても採用してくれない。そうした就職浪人が増えている。
その上にリストラされ就職先のない人がたくさんいる。

 失業者が多いと言うことは購買力に劣ると言うことである。右肩あがりが
普通であった日本経済も曲がり角に来たことは否めない。お年寄りは相も
変わらず将来に多くの不安を感じている。

 現に痴呆症や身体機能に異常があって介護を必要とする人が増えている。
寿命は伸びてもとても健康とは言えない。こうした人達はお金を持っていても
使おうとしない。

 ぎりぎりの生活をしている高齢者がいる一方で、お金の使い方が分から
ない、何となく不安だからと、お金を持ったまま死んでいく人も少なくない。
それが異常な預貯金率となって現れているのではないだろうか。

 経済の活性化だけを考えれば預貯金は、ほどほどの方が良い。しかし
それを許さぬ国民性と将来に対する漠然たる不安がある。これを解決しない
限り、日本の経済回復はあり得ない。また、高齢者問題も食糧自給率の
問題も解決しない。

 かつて私達世代の多くは民族の大移動の如く就職列車に揺られて田舎から
運び出されてきた。このいびつな人口構成を抜本から見直す必要がある。

 かつて出来たのだから出来ないと言う理由にはならない。そのための
施策が整っていないだけの話である。確かに部分的には変化の兆しは
見えるが、とても国家的規模とは言い難い。

 生活や子育てだけを考えれば地方の方が暮らしやすい。東京一極集中を
やめ、地方への分散が急がれる。


 今、巷間に「降りていく生き方」という映画の上映会が企画されている。
武田鉄矢主演の映画である。映画は見てのお楽しみというわけでストーリー
さえ分からない。

 しかし、題名だけから判断するに、明らかに過去の映画とは違うようだ。
右肩上がりの生き方ではなく、むしろ今とは逆行するような生き方を描いた
もののようである。

 資源、エネルギー、経済、社会、環境問題、どれ一つを取ってみても
今までのような生き方をしていたのでは、全てが破綻してしまうことは
火を見るよりも明らかである。

 一時代も二時代も過去の時代に戻らなければならない時代のようである。
それは発展途上国も同じである。全てには限界がある。

 一例を挙げれば中国の水問題は深刻である。あの大河が途中で消えて
しまうほど水の消費は年を追う毎に増え、大きな問題となっている。

 中国は13億もの人の生活を支えることと、発展のためにあらゆる資源を
海外に依存している。しかし、水資源だけはどうにもならない。その限界が
すでに目の前に来ている。

 地球規模の資源問題や環境問題は地球の限界を超えている。折しも今年は
生物多様性の年である。資源開発と称して多くの森林資源が壊されてきた。

 過去の多くの文明が自然破壊の後、失われていった。これは多くの遺跡
が証明している紛れもない事実である。かつての地域的な文明崩壊は地球
規模で始まっている。

 単に生物種が消えていくだけでなく、人間という種も消える運命にある
のだろうか。それも他ならぬ人間自身の手によってである。

 映画「降りてゆく生き方」は降りていくのではなく、本質的なものへの
回帰だと思うのだが。
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今年は活弁

2010-03-16 04:34:46 | Weblog
 どうやら活弁が新しい展開を見せ始めたようである。活弁とは活動写真
に音楽や語りを付けて見せるという無声映画時代に大流行した映画鑑賞の
手法である。

 その昔、明治時代から昭和初期にかけて大衆娯楽として一挙に広まった
映画はことごとく音のない映像だけのものであった。鑑賞の手法としては
生音楽を入れるかフィルムのところどころに差し挟まれた字幕を読んで
鑑賞していた。

 ところが日本では映画解説者なるものが登場し、映写機や映画の仕組み
を解説するだけでなく、映画そのものについても解説するようになった。
これが活弁士であった。

 活弁士は映画館の舞台の脇に立ち、出演者の声色(こわいろ)を使い
解説を入れながら面白可笑しく語った。これが大衆に大受けをして映画
に火がついた。

 活弁時代の始まりであった。活弁士によって映画館の入りが変わると
いうくらい活弁士はもてはやされた。映画と弁士と楽団が、映画鑑賞の
標準スタイルだと言う時代が長く続いた。

 しかし、トーキーなる技術が開発され、活弁士は用なしになってしまった。
映画に音声が入るようになったからである。こうして長く忘れ去られていた
活弁が近年になって甦り、いま新たな文化として脚光を浴びようとしている。

 活弁にはトーキーにはない魅力がある。それは活弁士の語りによるもので
ある。まるで映画の登場人物そのものが声を出しているように聞こえて
くるから不思議である。

 子ども達に見せると一様に映画の中から声が聞こえたと感想文に書いて
いる。あれはおじちゃんやおばちゃんが声を出していたのかと不思議がって
いる。

 また、活弁は単なる吹き替えではない。弁士は要所要所に解説を入れて
いく。その解説によって鑑賞者はより一層の感動をあおられるのである。
一度鑑賞するとその魅力の虜になってしまう。

 さて、今年も早速、玉島で活弁を行った。また四月には西大寺で行う
事になっている。更に秋には二カ所の予約が入っている。いよいよ活弁
なるものが次第に定着を始めたような、そんな予感がする昨今である。

 私達夫婦は活弁なるものの楽しさを味わって貰いたいと言う一心から
自らも活弁に取り組んでいる。私達の活弁を聞いて欲しいと言う気持も
あるが、プロの弁士の語りを心ゆくまで味わって貰いたいのだ。

 私達も語れる映画を増やしたいと鋭意努力中である。「豪傑児雷也」
以来、「月世界旅行」や「突貫小僧」に取り組んできた。いまここで
「子宝騒動」や「瞼の母」などにも挑戦しようとしている。

 特に「瞼の母」は活弁なるものを漠然と想像していた頃からの私個人の
大きなテーマであった。いつかこれを語ってみたいと思い描いていた映画
である。何とか本年度中にものにしたいと考えている。

 そして、おじいちゃんやおばあちゃんに感動の涙を流して貰いたいと
いうのが夢である。
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春はそこまで

2010-03-15 06:36:35 | Weblog
 二月は逃げる、三月は去るともいう。なるほどと思わされるような
今日この頃である。今日は3月16日、火曜日である。暑さ寒さも彼岸
までとも言う。そう言えば春のお彼岸は3月21日である。ところが
先週は思いがけなく春の雪が降り、ここのところずっと天候不順な日が
続いている。

 一方、雨が上がると春を思わせるような陽気でもある。春は、すぐそこ
まで来ているようだ。早朝の窓の外からは鶯の鳴き声が聞こえてくる。
工場の空き地には子雲雀でもいるのだろうか。早くも親雲雀が上空を
鳴きながら飛んでいる。

 長い間、咲き続けていた臘梅も色褪せ、梅の花が咲き、そして散り
サクランボの花が終わり、沈丁花も盛りを過ぎてしまった。足下には
パンジーやアネモネの花が咲いている。これからは百花繚乱の春である。

 自然の移り変わりはよどみなく、人の世のどんな変化とも関係なく
続いていく。自然は偉大である。

 一昨日は倉敷瀬戸ライオンズクラブの記念式典があった。私は早くから
栄えある記念式典での記念講演を頼まれていた。どんな話をしようかと
考えた末、ライオンズクラブが取り組んでいるEM関連の話を取り込んだ
「生物多様性と環境問題」というテーマにした。

 聞けばライオンズクラブではEMの普及と水質浄化を目標にしている。
どんな経緯からEMを選んだのか興味のあるところではあるが、336
複合地区全体としても早くから何かと環境を活動のテーマにしているようで
EMの活用は、その取組みの一環でもあるらしい。

 EMを使うことだけが環境改善の手法ではない。EMをまじえながら
環境問題を語るにはどんなテーマが良いか。そこで考えついたのが生物
多様性についてであった。その上、今年はCOP10で生物多様性問題
がテーマになっている。

 私達人間は生物進化の末端にこの世に生まれ、微生物達が気の遠くなる
ような長年月をかけ営々として貯えてきた地下資源を使い果たし、挙げ句
の果てには地球環境を著しく壊し続けている。

 実は地獄の釜のような状態だった原始地球に誕生し、今日の環境を作り
出してきたのは光合成細菌を初めとする夥しい微生物達であった。二酸化
炭素を分解し、酸素を作り炭素は固定して原油など地下資源として貯えて
来た。

 私達人類は地球時間の大晦日の、しかも年改まる直前に現れ、貯えられて
いた地下資源の全てを勝手気ままに浪費してきた。その結果、自然環境は
著しく傷つけられ、修復不可能なまでに破壊されてきた。

 その結果、多くの種が開発という名の下に、地球上から姿を消している。
この世の中に無駄なものは何一つない。一見無駄に見えても、それは私達
が気付いていないだけのことであって、何かの必要があって、地球上に
存在するものばかりである。それは多くの病の原因だとされている細菌や
ウイルスとても同じ事である。

 こんなことを記念講演として多くの方々に聞いていただいた。講演終了後
多くの方々から感動しましたというお言葉を頂いた。ほとんど無名に近い
私から、このような話を聞かされようとは思っていなかったようだ。

 私は講演の締めくくりとして、このような地球環境を作ってきたのも
私達人間だが、こうした環境を修復できるのも私達人間であるという事を
強調して演壇から降りた。
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トヨタ問題

2010-03-07 17:29:09 | Weblog
 如何に巨大企業と言えども安閑とはしておられない時代である。まるで
バッシングのようなアメリカ発トヨタ問題の報道は世界を駆けめぐった。

 いったい何が問題だったのだろうか。アメリカ議会での論点はアクセル
ペタルの不具合による急加速問題だと言うのだが。はたまたこの会社に
何が生じているのであろうか。

 私はこの会社が1兆円企業となり世界一の売り上げを記録したときから
この日が来るのではないかと密かに懸念していた。成長には必ず陰りがある。
それがこの度の問題である。世界企業になればなるほど世間の風当たりは
厳しくなってくる。

 ましてや世界のトップの座にいたアメリカの名だたる自動車企業が
ことごとくリーマンショック以降に会社が倒産するかも知れないと言う
危機的状況に陥っている。アメリカにしてみれば面白くないに違いない。
そう言うことには非常に自尊心の高い国である。

 自らの経営の失敗を棚上げにして、今がチャンスとばかりに議会や
マスコミをしてトヨタつぶしにかかっているのであろうか。

 しかし、そのトヨタにしてもおごりがあったのではなかろうか。
かつてトヨタ発の「カイゼン」は他の企業もお手本にすべきこととして
宣伝されてきた。しかし、その「カイゼン」は必ずしもトヨタ独自で
達成し得たものではない。多くの中小零細企業の犠牲の上に行われて
きたものである。仕事がなくなってはいけないと泣く泣く協力させられて
きた下請け企業も少なくない。

 大企業たるもの常に謙虚でなければならない。みんなに支えて貰って
いるという謙虚さが必要である。如何に大企業と言えども多くの人々に
支えられて今日がある。そのことを考えると本来の企業のあるべき姿が
見えてくる。

 また、企業は良いものを作れば売れる。これは永久不変の大原則である。
良いものをこつこつと謙虚に作り続けることこそ日本企業のあるべき姿
ではなかろうか。

 日本は戦後一貫して、このあり方で今日の地位を築いてきたのでは
なかったか。それがいつの間にか製品の良し悪しよりは売り上げのトップ
を目指し始めた。そこに大きな落とし穴があったように思える。

 日本は元々資源の少ない国である。それを智恵や工夫で研鑽を重ね
技術力を磨いてきた。今こそ原点に立ち返り真剣に「もの作り」に付いて
考えてみるべき時ではないだろうか。

 外国から入ってくる品物に比較すると、全ての点で日本製品は優れて
いる。それは今も昔も変わらない。


 さて、アメリカではトヨタ問題の始まりに衝撃的な報道がなされた。
アクセルが利かなくなった車のドライバーが交換手にかけたという電話
の録音である。

 そもそも命に関わるような危急の時に携帯電話をかけ続けられる余裕が
あるのだろうか。携帯電話の録音は、車が赤信号のまま交差点に突っ込んで
前の車に追突し、その衝撃で40数㍍飛んで下の河原に転落したという
痛ましい事故で終わっている。事実とすれば非常に衝撃的な報道である。

 この録音は大きく報道されアメリカ国内に大きな衝撃となって駆け
めぐったようである。電話の相手は交換手と言うが、誰が録音したものか。
そもそも友人からの電話を録音するような人が通常いるのだろうか。

 これが本当にアクセルペタルの不具合による事故だとしたら、亡くなった
人には心から哀悼の意を表したい。しかし冷静に考えれば考えるほど疑問
が湧いてくる。

 私には9.11以来、手放しではアメリカという国を信じることが出来なく
なっている。それは政治資金問題に端を発した新政権に対する執拗なまで
の取り調べに対しても共通する問題である。背景にあるものは何だろう。
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どうしてこんな事件が

2010-03-06 14:26:47 | Weblog
 以前にも、このブログで取り上げた事なので、書こうか書くまいかと
迷ったのだが、私の胸の内のむなしさを抑えきれなくて書くことにした。

 相次ぐ幼児の餓死事件のことである。育ち盛りの子供に食べ物を与えず
餓死させる。こんな理不尽な事があって良いのだろうか。大飢饉に襲われて
食べるものが何もない国のことではない。

 テレビを点ければ何かと食べ物の番組ばかりである。自給率僅かに40%
のこの国にしては飽食過ぎる時代にある。そんな時代に親に見捨てられ
挙げ句の果てに餓死させられる。

 こんな事なら子供を産んで欲しくない。また、育てられないのなら施設
に引き取って貰う方が、その子にとって幸せだったかも知れない。餓死に
せよ虐待にせよ問題の根は同じである。

 産んだ子を愛することが出来ないと言う、親の心の闇の部分が子ども達
に大きな影を落としている。自分が産んだ子供でありながら可愛くない
から育てたくないとか、他の子と差別をしていたというような事は過去にも
皆無ではなかった。私の父方の祖父がそのような育てられ方をしていたと
聞いている。

 従って、全てを今の時代のせいにするわけにはいかないだろう。しかし
あまりにも目に余るほど、この種の事件が多すぎる。ここに今の社会の持つ
病的な面を感じるのである。

 人の問題なのか、はたまた社会の問題なのか、あるいは時代がそのように
させているのであろうか。親や他の兄弟達が食卓を囲んで美味しそうに
食べているのを横目に見て、その子は何を感じていたのだろうか。

 こうした子供達に共通しているのは、それでも親を恨んでいないと言う
ことである。それどころか幼いながらも自分を責め、ひたすら両親に
すがろうとしていることである。その心情を思うとき、哀れさを通り越して
痛ましささえ感じてしまうのは私だけであろうか。

 これは単に法的な問題として裁くだけでは意味がない。もっと人として
あるべき姿は何なのかを鋭く問いかけていくべき問題である。法で裁くこと
以前の問題として指摘しておきたい。

 とは言っても私に具体的に提案できるようなものは何もない。それが
また私をして悔しい思いにさせているのである。緊急の課題であり私達の
社会が共有すべき問題として考えていきたい。

 今日も巷では幼い子が虐待を受け、餓死しているかも知れない。
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チリ大地震

2010-03-01 04:46:21 | Weblog
 すさまじいばかりの火山の炸裂、そして巨大地震が次々に発生し大地が
裂け海に沈んでいく。そのすさまじさは圧巻であった。そして巨大地震と
地殻変動による大津波は、ヒマラヤ山脈まで飲み込んで行く。まさにこの
世の終わりを思わせるようなシーンである。

 これは「2012」という題名の近未来を描いた映画の一シーンである。
ここのところ大地震が相次いでいる。インドネシア、中国、サモア、ハイチ
そして今回のチリである。

 地震大国日本としては決して他人事とは思えない。日本でも阪神淡路
大地震以来、久しく巨大地震は発生していない。阪神淡路の時は直下型の
地震であった。しかも都市部であったため人的被害も大きかった。

 今回のチリの場合は首都サンチャゴから300キロ離れた場所が震源地
であったため地震の規模の割には被害も少なかった。それでも多くの方々
が亡くなられ貴重な建物や施設の倒壊が相次いだ。

 私も5年前チリの首都やこの周辺を旅したことがあって、他人事では
ない思いがしている。あの人口密集地である首都サンチャゴ直下での地震
であったなら、この程度の被害ではなかったであろう。

 日本の首都は言うまでもなく東京である。とてつもなく人口密集地で
ある。直下型地震や東海地震の影響が懸念される。プレート直下型の地震
はそれぞれの周期を持って発生している。

 大陸の地下に海からのプレートが潜り込むとき、両プレートの間には
大きな摩擦が生じる。実はヒマラヤ山脈もチリの背後にあるアンデス山脈
も大陸と海側プレートが衝突して生じたものである。いわばプレートの
しわとでも言うべきものであろう。

 これだけ大きな地殻変動をもたらすだけに、そのエネルギーは膨大な
ものであって、このエネルギーが蓄積され一挙に解放された時、想像を
絶するような大地震となる。地殻に溜まったひずみが一挙に解放される
時に吐き出されるエネルギーである。

 人間の力では、とうてい作り出すことの出来ない巨大エネルギーである。
日本列島には幾つかの力が加わっている。そのエネルギーが未だ解放され
ていない。その力は相当なものであろう事が想像される。

 今後、東海、東南海、南海地震が懸念される。これらは過去にも大災害
をもたらしたものである。また、巨大地震は連動して発生することも考え
られている。

 その規模と範囲は日本列島を覆い尽くすほどのものである。建物などの
倒壊だけでなく、人的被害も膨大なものになるのではなかろうか。よほど
心を決めておかなければ咄嗟の事態に対応できない。

 しかも、その発生時期は切迫している。今回のチリ大地震は1960年
以来だと言うから今年で50年目である。こうした地震は確かなる周期で
襲ってくる。出来るだけの備えと心構えをしておきたいものである。

 今回の地震は前回と同じように津波となって日本列島を襲った。過大な
予測だという批判もあるようだが、地震の規模や発生地点からしてあの
程度の避難勧告や指示は仕方なかったであろう。気象庁の責任ではない。

 現に、海には甚大な被害が広がっている。解放された巨大なエネルギー
がうねりとなって押し寄せた。こうしてみると地球も意外と小さい。
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