人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

全ては自分自身から

2018-01-29 09:12:07 | Weblog
 良くは分からないのですが、この世に生ずることの全ては、自分自身の心の現れだと感じています。
何かを求めれば求めるほど、その何かは逃げていく。そんな経験はないでしょうか。

 心配をすると言うことは心に大きなストレスを与えます。心配をしすぎると、心配していたことが
現実のものになってしまいます。病気がそうです。いつも体のことを気遣っていると、いつの間にか
心配していたことが現実のものになってしまいます。

 今の世の中は情報が多すぎます。そのために私たちは過剰なまでに体のことを気遣うようになっています。
癌になりはしまいか。なったらどうしよう。そんなことばかり考えていると、いつの間にか本当に癌に
冒されていた等と言うことも少なくないようです。

 暴飲暴食など常識外れな行動や生活習慣は改めなければ行けませんが、普通に生活していたら良い
のではないでしょうか。

 更に気がかりなのは除菌、除菌と盛んに除菌を強調した宣伝です。かつて洗濯機が普及し始めた頃、
この洗剤を使えばよりきれいになると強力な界面活性剤が販売され、それを使ってきました。洗濯機の
普及と洗剤メーカーの宣伝によって、環境に大きなダメージを与えるような化学製品である洗剤を
買わされて来ました。

 その結果、みるみるうちに河川は泡だらけになり、奇形の魚が泳ぐようになり、汚染されて魚の棲めない
ような川や池や湖が増えていきました。そしてついには海にもその影響が出るようになってきました。
赤潮や青潮と言った異常プランクトンの大発生です。

 多少、衣服の汚れが落ちないからといって気にすることはないのです。その昔は揉んで川水ですすぐ
だけの洗濯でした。固形石けんが普及しても洗濯板と盥(たらい)でもみ洗いをして、きれいな水で
すすぐだけでした。

 その頃の池や川、海は本当にきれいでした。魚もいっぱいいました。鰯などは群れになって浜に
押し寄せて来ました。私たち70代のものが子どもだった頃のことです。生活の質が向上したと
喜んでいる一方で、大切な池や川、そして海が汚染され続けているのです。

 私たちはマスコミの宣伝やコマーシャルに踊らされることなく、真実なるものは何かということを
見極められるような目を養うこと、そうした宣伝に惑わされて心の中に負のイメージを作らないように
することが大切です。

 最近になって、やっと良心的な医師の中には薬の使いすぎだとか、癌は切るもの、抗がん剤で抑える
ものと言った考えは間違いだと主張する人が出てくるようになりました。

 私たちの周辺には癌の原因になるようなものが溢れています。しかしながら何故癌になるかという
肝心なことが明らかになっていません。年齢を重ねればそれだけ癌の発生を抑える体のシステムが
衰えてくるのですから、癌になるのはある意味仕方がないことだと思います。

 また、若い世代の癌についても過剰なストレスが原因になっていることが少なくないようです。
そうした真の要因を取り除かない限り、癌の発生を抑えることは出来ないでしょう。

 この世の全ては「神の領域」のことです。ですがその「神の領域」だと言われることこそ、実は自分自身の
心の中のことだと言うことを、もう一度考えてみたいものです。全ては自分自身に始まり自分自身で解決する
しか頼るべき道はないのです。

 マスコミや他人がどうのこうのと言うことを鵜呑みにする前に、自分自身がどう考え判断するかが
一番大切な事だと思うのですが。
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行く年来る年

2018-01-02 06:22:49 | Weblog
 2017年が終わり2018年、それにしても昨今の変化はめまぐるしい。矢継ぎ早に事件が起き、
やがては忘れられていく。「光陰矢の如し」とは、このような状態を言うのであろうか。

そして事件の真相は分からないまま、多くの人は報じられるままを信じて騒ぎ、その騒ぎもやがては
過去のものになっていく。

 「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」信長の辞世の句のように伝えられている
言葉であるが、どのように華やかな人生もやがては野の花のように枯れていく。
 
 赤や黄色、青などと色鮮やかな花々も時節を過ぎると、やがては色褪せて枯れていく。人生も同じだ。
日々変化しないものはない。美しいものもやがては老いさらばえ消えていく運命にある。諸行無常、
これが世の常である。

 人は他人のことを羨む(うらやむ)。羨むが故にそれは嫉妬に変わり我が身をさいなむ。他人(ひと)は
他人(ひと)、それぞれがそれぞれの人生を選んでこの世に生を受けた。

 そして巷間に伝えられているような決して一度きりの人生ではない。輪廻転生、人は必ず生まれ変わり、
また他の人生を歩む。常に繰り返しであり、繰り返しは同じように見えて決して同じではない。

 人それぞれの人生を生きており、これらの人生は幾重にも複雑に重なって様々な社会現象を作り出していく。
この組み合わせは実に多種多様であり、個々の人生もそれに応じた様々な人生模様を描いていく。
その人生模様を描いていくのは他ならぬ自分自身なのである。

 決して人を羨む必要はない。羨んでも意味がない。自分は自分自身の白いキャンバスに思い思いの
人生を描いていけば良い。

 世に争いごとは絶えない。争いごとは良くない。争いごとは相手と同じレベルに立つから争いになる。
相手を超越すれば良いことだ。相手の口車に乗せられて同じレベルで言い争うから腹が立つ。喧嘩になる。
そうですかと素直に聞き流して置く方が良い。やがては時間が解決してくれる。いつまでも同じ状態は続かない。

 人は必ず死んでいく。生と死は対極にある。生まれた時から死での旅路が始まっている。
人生は長く生きてもたかだか百年。もっともっと人生を楽しんだ方が良い。自分で自分を縛る必要はない。
自分の心を解き放ってやれば良い。

 自分を縛っているのは自分自身なのだ。生きて行くには川の流れのように自然であれば良い。
水は高いところから低いところへと流れやすいところを選んで流れていく。人生もそのように
ごく自然に生きて行く方が良い。

 何かをなし得ることが使命のように考えない方が良い。どんなに優れた発明も発見も
今は明らかにされていないだけで、元々はこの地球上、いや宇宙に初めから存在していたものだ。
私たちが幼稚だったから見えなかっただけのことである。大発見だ、大発明だと大騒ぎする必要は何もない。

 ただ坦々と生きて坦々と死んでいく。それが人生というものであろう。全ては自然の摂理であり
生業(なりわい)である。
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