人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

奢る平氏久しからず

2016-01-31 06:10:06 | Weblog
 傲慢にも議員の数にものを言わせ、何でもありのように振る舞ってきた自民党。かつて
民主党に大敗を期し、野に下ったときの様相に何やら似通ってきた昨今。

 今回の甘利氏の大臣辞任劇も、その一つの現れではなかろうか。大臣辞任に至った経緯は
色んな報道を見る限り、そう単純なものではないようだ。複雑な裏があるようで、官憲の
捜査や全容の解明が待たれる。

 一方、甘利氏のTPP交渉における実績を評価して、大臣の辞任を惜しむ声もある
ようだが、これは、あくまで甘利氏個人の実績などではなく、多くの官僚を含め
その任に当たったものの実績である。これだけ多岐にわたる交渉を一人の大臣で成せる
ものではない。また、TPPの評価も分かれていて、良かったか悪かったかは今後に
かかっている。評価云々は早すぎる。

 権力の座にあるものは、よほど我が身を慎まなければならない。悪徳商人と悪代官の話は
単純な時代劇における主要なテーマだが、そのテーマそのままなのが権力の座にあるものと
権力にすり寄って利権を求める輩らによる様々な事件である。

 かつて平氏は、源氏を倒し、我が世の春を謳歌していた。しかし、清盛亡き後は急速に
衰退の一途を辿ることになる。そしてついには源氏に追われ追われて一族郎党もろとも
海の藻屑として消えてしまう。

 平家の我が世の春は、長くは続かなかった。また、続くものではない。それは仏教の
教えによって広く諭されている。この世は、まことに泡沫(うたかた)のようなものである。
勝った負けたも、この世だけのもの。権力もお金も財産も、そして名声もまた、この世
だけのものである。

 信長が死の間際に詠じたとされる「人生五十年、夢幻のごとし」とは、まさにそのことを
言い表しているように思う。人はもっと謙虚に、そして慎ましやかに生きなければならない。
しかし、分かっていても、なかなか実行できないのも、また人間の性(さが)である。

 仏の教えを学べば学ぶほど、経典が出来た時代から、人間というものは全く進歩して
いないように思われる。いま人間社会は急速に衰退の一途を辿っている。世のあらゆる
混乱が、それを象徴している。人間は、もっと謙虚になって自己を見つめるべき時代に
立たされているのではないだろうか。

 この世が滅びるのであれば、それはそれで良い。成るべくして世は大きく変化している。
これからどうなるか、それは一重に私たち自身の生き方によって決まるのではなかろうか。
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大寒波去る

2016-01-28 05:54:39 | Weblog
 先には異常とも言えるほどの大寒波が南下し、日本各地のみならず大陸の各国にも大きな被害や
影響を及ぼした。沖縄県や奄美地方では、みぞれが降ったと言うから南国の人も震え上がったことだろう。

 また、九州や山口県では水道管が破裂して断水のところもあるようで、この被害も甚大だ。
思い出せば私の工場勤務時代にも大寒波があって、この日は、朝方の気温より時間を経るに従って
急速に気温が下がり氷点下以下になってしまった。

 工場内の大事な配管には保温材等を巻いてあるのだが、そうでない配管は、次々に凍り付き破裂して
大騒ぎになったことがあった。いくら蒸気で暖めても気温が急速に下がり、広い工場全体のこと
だったので対応が追いつかず、トラブルが広範囲に及んだ。

 後にも先にも私の工場勤務時代では、このときだけのことだったが、今でも忘れない大寒波であった。

 冬だから寒いのは当たり前、しかし、近年のように温暖化傾向の中であっただけに、突然の大寒波には
やはり弱い。こうした傾向も地球温暖化ゆえの特徴的なものだと思われる。気候そのものが安定して
いないのだ。

 私たちの子ども時代は、もっと寒かった。しかし、そして寒さは安定していた。秋から冬にかけて徐々に
気温は下がり、12月の末頃から1月、2月は最も寒かった。舗装されていない道路に出来た水たまりには
分厚い氷が張っていた。むろん池や沼にも氷が張っていた。子どもたちなら載れるくらいの分厚さだった。

 細い川の流れのあちこちには、太いつららが下がっていた。住んでいたところは海岸からは離れていたが
さほど山深いところではなく盆地であった。それでも冬は特別に寒かった。春が待ち遠しいくらい寒かった。
家の中の暖房器具と言えば火鉢と炬燵くらいのもので、部屋全体を暖めることが出来るようなものは何も
なかった。ただただ春が待ち遠しかった。

 それを思うと今は天国のようなものだ。その代わり地球温暖化という取り返しのつかない大きな代償を
払うことになってしまった。何を得して何を損したか分からない。長い目で見ればきっと大きな損をして
いるに違いない。

 私たちは、ある意味、物質という幻想の中に生きている。目に触れるもの体に触れるもの全ては、現実の
ものに見えながら現実のものではないという矛盾した存在である。私たちの意識が、そのものの存在を認識して
いるに過ぎない。従って、意識を持たないものにとって、存在を自覚することは出来ない。カタツムリは
果たして周辺の存在を自覚しているのだろうか。

 今回の大寒波は北極海上空に非常に温かい空気があるからだと言われている。地球温暖化による経年変化の
シュミレーションを見ると、北極周辺は年を追う毎に真っ赤になっている。最も地球温暖化の影響を強く受ける
地域のようである。

 従って、本来は北極海上空にあるはずの寒気が南へ押し出されているようだ。それにエルニーニョなどの
影響もあって、今回のような大寒波の南下が生じたようだ。気候は年を追うごとに大きく変動し続けている。

 大寒波、大雨、どか雪、巨大台風、どれをとっても、私たちが子どもだった頃には、滅多に体験することの
なかったことばかりだ。それが、ごく当たり前のように日常茶飯事のことになっている。この先、いったい
何があるのだろう。
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廃棄食材横流し

2016-01-23 06:15:05 | Weblog
 かつて中国国内では、中華料理店などから排水と共に流れ出た油をくみ取り、それを再び食用油として
売っていたと報じられた事件があった。この油のことを地溝油などと言っていた。

 今回は、日本で食品に関する不愉快な事件が起きている。地溝油ほどではないが、廃棄物として
処分されたものが、再び食品として販売されていたと言うから驚きだ。

 そう言えば、かつて廃棄肉をミンチなどに加工して、学校給食の材料などとして売っていたと言う
食肉業者もいた。日本人はとかく中国人のことをモラルがないなどと言うが、日本人もさして変わらない
ことをやっている。他国のことなど、とやかくは言われない。これが人間の本性というものだろうか。

 一般的に廃棄物というものは、廃棄された時点から処分場で最終処分されるまで廃棄物の追跡調査が
可能なようにマニフェストなるものが定められている。(業者から業者へ、産業廃棄物とともにマニフェストを
渡して行く。排出事業者は、それぞれの処理終了後に、各業者から処理終了のマニフェストを受け取ることで
委託内容どおりに廃棄物が処理されたかが確認できるシステム)このシステムは、廃棄物の運搬に関わったものや
廃棄物処理業者が、きちんと産業廃棄物を最終処分まで行ったかどうか、確認することが出来るようにしたものだ。

 むろん、中には、こうしたシステム外で闇から闇へと処分されていくようなものもないとは言えない。
しかし、このシステムは、運搬業者などが不法投棄などを行うことがないようにするために考え出された
システムである。私も工場勤務時代に何度か最終処分場まで廃棄物運搬業者の車に同行し、相手先の処理業者が
引き取った旨のサインを貰って帰ったことがある。

 近年になって大きな工場では、大抵このようなシステムで廃棄物の処理を行っている。更に一歩進んだ
ところでは、ゼロエミッションなどと称し、工場から廃棄物を出さないようにしようという活動も行われている。
工夫さえすれば何でも可能だと思うのだが、残念ながら考えようとしない。

 会社には社会的信用が欠かせない。従って、法令遵守が厳しく叫ばれている。にもかかわらず大会社での
事件が絶えない。東芝の会計処理上の不備による社会的信用の失墜など、大会社と言えども法令順書を怠ると
厳しく追及され会社の運命さえ左右されかねない。

 そういった観点からすれば、廃棄物として処分された食材が、再び商品として販売されるおがなどもっての
他である。事件は壱番屋のカツだけでなく、他の会社のものも様々に扱われていたようで事件は更に広がりを
見せている。

 法令遵守という話へ戻るが、今回のバス会社が起こした大きな事件のことが思われる。あたら有意な
若者たちの多くの命が奪われた。この罪は大きい。と同時に、いつも事件後に報じられることだが、今回の
この事件も営業許可が免許制度から許可制度に変わった後、新規参入業者が増え、監督官庁の指導や取り締まりが
甘くなったことに起因しているのではなかろうか。

 多くの事件に於いて、監督官庁は蚊帳の外にいるが、一番の責任は、許可をした監督官庁にある。
何故かニュースでも、そこのところを取り上げたものがない。こうしたことにも目を向けなければ
事件は絶えない。監督官庁もまた事件から逃げてはいけない。
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時代の変わり目

2016-01-20 05:40:15 | Weblog
 雪が少ないだとか、暖冬だとか言われて来ましたが、今週になって大寒波がやってきました。
雪深い地域の皆さんのご苦労は大変なことと思います。ニュースや特集などで取り上げられますが
過疎化と高齢化、中には屋根の雪下ろしさえ出来ないような家も少なくないとか。

 深刻な問題です。同世代のものとして心から同情致します。こうした地域の住人のただ一つの
救いと言えば、暖房に使用する灯油が安いことです。暖房に灯油を使用する家庭にとって価格が
少しでも下がれば、それだけ経済的な負担が少なくなり助かります。

 石油価格の低下は、昨年ぐらいからじわじわと進んできたようです。一時的な現象かと思えば
どうやらそうばかりではなさそうです。

 原因は色々あるのでしょうが、まずは消費が減ってきていること。何と言っても大消費国の
アメリカや中国の国内消費事情があるのではないでしょうか。アメリカはもともと産油国である
にも関わらず、国内の原油は使わずに、大半を中東諸国に求めていました。

 そして今は、オイルシェールなどから比較的簡単に低価格で採取出来るようになりました。
今度は輸入国から輸出国に転換するようで、日本にも輸出されるようです。

 中国も産油国ですが、その消費量は群を抜いています。中国は、いよいよバブル崩壊が
現実のものとなってきました。日本が辿ったと同じ道を辿っているようです。未曾有の
好景気と高度成長、そのスピードが早かっただけに、バブルが弾けるのも時間の問題だった
ようです。株価の大暴落と産業の長期低迷は避けられないようです。

 中国は発展を急ぐ余り、公害防止にも資本を投ずることなく、安かろう悪かろうと言った
商品をどんどん生産してきました。それらの商品は中国国内でも、また輸出先に於いても
様々な問題を生じてきました。

 今や発展途上国から成熟国としての品位を取り戻すときに来ているのではないでしょうか。
しかしながら問題は山積しています。日本の高度成長期のように、底辺に至るまで豊かさが
浸透しないままに今日の状況を迎えています。高度成長の恩恵は一部にとどまっています。
こうしたことから石油の消費も減っているのでしょう。

 そして世界的な動きとして、自然エネルギーへと大きく舵を切ったことも、じわじわと
影響を及ぼしつつあります。もはや今までのように産油国だからといって豊かさを享受する
ことは難しい時代になりつつあるのではないでしょうか。サウジなどはそのような状況に
あるようです。

 やっと中東にも陰りが見え始めたと言うことでしょう。20世紀は、何と言っても資源
エネルギーの奪い合いの時代でした。そのためには手段を選ばす戦争を仕掛けたのはアメリカです。
中東での支配権を握り、その延長線上に9.11同時多発テロをでっち上げアフガニスタンへ
軍事侵攻しました。イラクに言いがかりを付けサダム・フセインを追い詰め殺したのも
アメリカです。まるでアメリカの開拓時代にやってきた白人のやり方そのものです。

 しかしながら石油の価値の低下は、人々の意識に大きな変化を生み出します。その変化が
様々な訳の分からない混乱に拍車をかけているるような気がしてなりません。既に近代資本主義は
終焉を迎えつつあるようです。新しい価値観が定着するまでには、なお時間を要するかも知れません。
しかし八方ふさがりに見える今の状況にも、やがて日が差す時が来るに違いありません。

 その時代は、地球の限られた資源を使い尽くすような大量消費や限られたものだけが
富を独占し、権力を有するものだけが特権階級になるような、そんな時代ではなく
誰もが平和と幸せを享受でき、必要なものは必要だけ生産し、平等に富の行き渡るような
時代でなければならないと思います。

天国は、あの世だけに存在するものではなく、現世にも作り出すことが出来ることを確信しています。
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