人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

戦争という時代

2006-06-28 09:55:46 | Weblog
 日本は他国と異なり、ここ六十数年間、他国と戦争をしたことがない。
それは憲法九条で非戦をうたっているからだ。今も多くの国では他国と
戦争状態にあり、国内でも紛争に明け暮れている。戦争がないと言うこと
は何と幸せで心安らかな事か。

 今、NHKの朝の連続ドラマで「純情きらり」を放送している。時代は
戦争に向け何となく落ち着きのない心暗い時代だ。皆さんは「赤紙」を
ご存じだろうか。そして「千人針」をご存じだろうか。それ何のことと
言う人が多いに違いない。私自身も昭和十九年生まれなので見たことは
ない。
 しかし、戦後になって母からも父からも聞かされた。「赤紙」は召集
令状である。兵士として何月何日までに所属の連隊に入営しなさいと言う
国からの命令だ。むろん私の父は「甲種合格」という恵まれた体格をして
いたので召集令状が来て、生まれ故郷近くの福山連隊に入営し、そのまま
満州に送られ九死に一生を得て帰還した。
 その召集令状が赤い紙だったので「赤紙」と言っていた。ドラマの中で
届けた人は市町村の役人だったのだろうか、「おめでとう御座います」と
言って届けていた。
 お国のために働くことが出来るという理由から「おめでとう御座います」
と言ったのだろうか。受け取った方は儀礼的に「ありがとう御座います」
と言っていたけれど、心の中では来なければ良いと思っていたものが来た
ので憂鬱だったに違いない。
 当時、戦地に行けばいつ屍(しかばね)になって帰ってくるか分から
なかった。半ば死出の旅路であったに違いない。ドラマの中では若い男が
好きな相手のことを気遣い、あえて結婚をしてくれと言い出せず、心なら
ずも他の人と結婚するからと言ってしまう。こんな時代がほんの六十数年
前までは、現実にあったと言うことを思い出したい。
 「千人針」は、そんな出征兵士の武運長久(ぶうんちょうきゅう)を
祈って白い布に赤い糸で一針、一針縫っていくものだ。「千人針」は戦後
になって戦地で亡くなった兵士の遺品の中からも見つかり、何度か新聞等
でも紹介されたので、知っている人もいるかも知れない。誰が発案し全国
へ広がって行ったのだろう。
 これを貰った兵士にとって「千人針」は心の支えになったのであろうか。
それとも戦地に行けない女達のせめてもの慰めの現れであったろうか。
万歳、万歳と門毎の歓呼の声に送られて兵士達は家を出ていった。
如何に「千人針」と言えども幾万もの兵士達の命を守るような神通力が
あったとは思えない。竹槍と同じように一億玉砕という意気込みを見せた
だけのものではなかったろうか。
 みんな心の中では悲壮な思いでいたに違いない。しかし、そんな声を
わずかでも漏らそうものなら非国民として後ろ指を差され、官憲に危険
人物としてマークされた。実に梅雨の空のように鬱陶しく重苦しい時代
だった。

 そんな時代に生きた人達のことを生き生きと描いているのが、この連続
ドラマだ。四人兄弟の一番上の姉さんは女学校の教師だった。教育監督の
居る中での授業は、源氏物語でさえも天皇に対する不敬に当たるとして
禁止されてしまった。姉さんは危険人物としてマークされ退職をするよう
に迫られる。その姉さんが退職を覚悟して「言いたい事が自由に言えず、
我が心まで偽って生きるくらいなら教師を辞める」と決断し、教え子達に
「自分の心に正直に生きろ」と言い残して教壇を去る場面があった。涙
なくしては見られないような良い場面だった。
 政治を牛耳った数人の指導者達の誤った判断の元に、数千万もの人が
戦争に巻き込まれ塗炭の苦しみを味わうことになった過去の幾多の戦争は
このように理屈に合わない理不尽なものであった。憲法九条はそんな多く
の人々の思いが凝縮されたものだと考えれば、そう簡単に変えるわけには
いかない。

 昨日、ジャガイモを掘った。まだ梅雨の雨が残っているような状態だった
が、梅雨の雨がいつまで続くか分からないような状態だったので、この日
しかないと考えて掘ってみた。小さいのもたくさんあったが、まあまあの
出来だったと思う。ジャガイモと私は相性が良い。と言うよりは我が家の
畑とジャガイモの相性が良いのかも知れない。
 新ジャガは水洗いして皿に盛り、ラップをかけて電子レンジに入れると
湯がいたようになる。これに塩を付けたりバターを塗って食べると、それ
だけでビールが旨い。
 今年も味の良いスモモはほとんど収穫できなかった。害虫にやられ、鳥
につつかれ、その上に雨でカビてしまったからだ。毎年のことで当たり前
のようになっているので、さしてがっかりもしていないのだが、何か良い
方法はないのだろうか。
 冬野菜として買った残り種があったので、ダイコン、ニンジン、キャベツ、
ブロッコリーを植えてみた。多少虫食いではあるが、それなりに食べられ
そうなものが出来た。
 また、夏野菜としてのインゲン、ナスビ、キュウリは食べきれないほど
出来はじめた。何もかも一時に集中するのが欠点だが、出来の良いことに
文句は言えない。感謝しながら食べている。今日は早速、ブロッコリーを
湯がき、キュウリを添え物にしてマヨネーズで食べた。また、ジャガイモ
を電子レンジで調理して主食代わりに夕飯を済ませた。
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生きるということ

2006-06-24 06:17:11 | Weblog
 科学者である柳澤桂子さんが書かれた「生きて死ぬ智慧」という般若
心経に関する本の中に、こんな一節がありました。「お聞きなさい、形の
あるものは、いいかえれば物質的存在を私たちは現象としてとらえている
のですが現象というものは時々刻々変化するものであって変化しない実体
というものはありません。実体がないからこそ形をつくれるのです。実体
がなくて変化するからこそ物質であることができるのです」これは般若
心経の一節「色即是空、空即是色」の部分を柳澤さん流に解釈されたもの
です。多少難解な表現ですが、般若心経の解釈としては当を得ているよう
に思われます。

 日々、畑に立ち自然と向き合っていると、その変化に驚かされること
ばかりです。一年として同じことはなく、一日たりと同じことはないの
です。「昨年のこの季節はこうだったな」という記憶はあっても、その
記憶や経験が役に立たないことばかりです。それは気象条件が大きく
左右しているからだと思います。晴れる日、曇る日、雨の日、日照り続き
の日、それらの繰り返しなのですが、その組み合わせは実に多種多様で
あり、気象条件によって出来の良い年もあれば、さんざんな年もあります。
 害虫と言われている虫たちもいわばこの自然の摂理の中で生きています。
昨年、あれほど多かったアブラムシが今年は意外に少なかったとか、春先
からモモやリンゴやナシに大きな被害をもたらした害虫がある日を境に
すっかり姿を見せなくなったとか、私達人間には感じることの出来ない
気象の変化の中で植物や昆虫たちは生きているのです。

 こんな劇的な変化を目の当たりにすると、柳澤さんの解釈を思い出す
のです。自然はとどまることなく変化し続けている。実体があるようで
実体のないとは、どんなことなのでしょうか。私にも良く分かりません。
しかし、物質を形作るものも量子という最小単位でみれば、まるで空気
との境のない様なものに見えるのではないでしょうか。ユラユラとこの
大宇宙の中に漂っているガスの状態を想像しています。
 これらは常に離合集散を繰り返しながらこの宇宙をさまよっています。
私達も今は生あるものとしてこの地球上にありますが、いつかは土に帰り
無機質なものになってしまいます。地球や太陽系でさえ宇宙という時間帯
の中では、いつかは霧散霧消してしまう日が来るに違いありません。その
時には間違いなく塵となって、あるいは量子となってこの宇宙を漂うこと
になるのです。

 さて、悲しむべき事件がまた起きてしまいました。そうでなければ良い
のだがと思っていた奈良県の火災事件です。やはり行方不明になっていた
長男が起こした事件だったようです。お母さんや幼い兄弟まで殺さなければ
ならないような理由がどこにあったのでしょうか。
 前の事件のニュースが毎日のように報道されている最中に、早くも世間
を騒がすような別の事件が起きるような昨今です。殺したいほど憎んで
いたお父さん。そのお父さんと愛する息子の間にあった確執とは何だった
のでしょうか。子育てを終えた親としても他人事には思えないような事件
です。

 子はいつかは親元を離れていきます。また、親子とは言え、子は親とは
まったく別の人格です。親が子の将来を思うのは親として当然なことと
しても、ある一線を越えてしまうことは子供の人格をも否定してしまう
ことになりかねません。
 聞けばこれに似た事件がここ数年、激増しているとも言われています。
恐らく事件として表に出てくるものが、十数件を下らないと言うことは、
事件にならないまでも、その底辺には無数の問題ある家庭があるに違い
ありません。子供の心の中の積もり積もった鬱憤はいつか何らかの形で
噴き出す運命にあったのではないでしょうか。

 過保護といい、子離れできぬ親と言い、貧乏人の子だくさんの時代には
なかった事です。豊かな時代だからこそ起きた事件だとも言えます。日々
の生活に事欠くような時代や家庭には親が子を思う気持ちはあっても、
とても子供のことばかりに関わってはおられませんでした。
 先日、スカベンジャーと呼ばれているゴミ拾いをして生計を支えている
フィリピンの子供の生活を追ったドキュメンタリーがありました。父を
亡くし、産後の状態が良くない母親と幼い多くの兄弟達を、わずか十四歳
の女の子が養っているのです。夥しいゴミの山から再生できそうなプラス
チックゴミなどを拾い集め、それを売ってわずかばかりのお金を稼いで
いる日々を追っていました。涙なくしては見られないようなドキュメン
タリーでした。

 豊かな生活の中で離ればなれになっていく家族、貧しくてその日の食事
さえも得ることが出来ないような生活をしながら、なおも親子の絆を強め
ていく家族、いったいどちらが幸せな家族なのでしょうか。考えさせられ
る問題です。

 子供は親の私物ではありません。子供には生まれてきたときからきちん
とした人権があります。また、子供は無限とも言うべき可能性を秘めて
います。それは勉強が良くできるという単純なものではありません。

 動物や鳥の世界では、子が一人立ち出来るまで大きくなったら親は子を
寄せ付けません。それが子離れ親離れ、親子の決別の時なのです。特に
動物の雄の場合は厳しく追い払われます。こうして子供は生きて行くこと
の厳しさを身をもって体験していくのです。その子に優れた知恵があれば
その知恵を働かせ、優れた才覚があればその才覚を生かして生きて行く
ことになります。

 私の父の時代、貧しい家庭の子は高等小学校を卒業したら、すぐに丁稚
として働きに出されました。手の悴むような冬の朝、冷たい水で雑巾がけ
をしたと父が話していました。こうして生きていく事の厳しさを身をもって
体験したのではないでしょうか。こんな生活をしながらも心はいつも田舎
の両親や兄弟のことを考えていました。今度の藪入りには何をお土産に
買って帰ろうか、そんなささやかな楽しみを胸に日々の厳しい生活に耐え
てきたのです。

 今さら昔に戻れとは言いません。また、昔のすべてが良かったと言う
つもりもありません。ただ、人々はそんな生活をしながらも心豊かにお互
いのことを気遣いながら生きてきた時代もあったと言うことを思い出して
貰いたいのです。
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あるメール

2006-06-22 16:39:14 | Weblog
 最近、一日に何通という迷惑メールが届く。先週も古い友人から迷惑
メールが多いのでメールアドレスを変更する旨の連絡があった。私の場合、
ホームページを公開しているのでメールアドレスはオープンになっている。
従って、迷惑メールが多いからと言って簡単に変えるわけにはいかない。
また、変えたとしても必ず、その内に迷惑メールは増えてくる。いわば
鼬(いたち)ごっこなのだ。
 その上、私の場合はホームページ上に掲示板を設置している。この掲示
板はメールと同じように読んでくれる人との接点になっている。従って、
怪しげな書き込みがあったとしても簡単に閉鎖というわけにはいかない。
 迷惑メール、掲示板への書き込み、いずれもアダルトサイトや怪しげな
商売(金貸し)など様々で、ろくでもないものばかりである。本当に迷惑
な話である。
 昔はメール一つにもエチケットなるものがあって、他人の誹謗中傷は
もちろん、迷惑メールなるものもお互いに厳しく戒めていた。いつから
こんな無節操な社会になってしまったのだろう。

 そんな迷惑メールの多い中に、時には心温まるメールを頂くことがある。
それは親しい友人のものであったり、遠く離れた家族からのものもある。
ましてや私のサイト(ホームページ)を読んでの感想などを頂くと何とも
うれしいものである。
 そんな心温まるメールが先日、突然飛び込んできた。ある美術館の館長
さんからであった。私の膨大な記事の中から「国定忠治」のことと「安政
の大地震」に付いての記事を読んでの感想であった。
 館長さんの美術館には安政の大地震の絵と数少ない(実は皆無に近い)
国定忠治の絵があるとの事であった。絵を描いた人は「田崎草雲」という
江戸時代から明治にかけて活躍した画家で、この人の業績をたたえて市立
美術館が建てられている。(美術館のアドレスは下に紹介しておきます)
 私は国定忠治という幕末に生きた侠客が好きで、ある本を読んだことが
きっかけで、彼のことを書いたことがある。「赤城の山も今宵限り・・・」
という芝居の名台詞が好きで、国定忠治と言えば東海林太郎の名月赤城山
という歌を思い出す。
 また、安政の大地震に付いては、かねてより地震の起きた時代背景と
大地震そのものに非常に興味があって、江戸東京博物館言ったとき、私が
上京するのを待っていたかのように特別展が開かれていた。その時、見た
大地震による被災図がきっかけで関連記事を書いた。
 いずれも意図して書いたわけではないが、読む人が読めば単なる偶然と
は思えなかったのかも知れない。国定忠治が生きた天保から大地震が発生
した安政に至る間はわずかに二十数年という年月でしかない。ペリーが
浦賀に黒船を引き連れ来航し、世の中は物情騒然としていた。
 そんな時代はある種、今の時代に通ずるものがある。人間社会の価値観
が大きく変化していく時代である。ペルーが来ようが来まいが、長く続い
た徳川幕府や士農工商と言った階級制度に行き詰まり感が生じていた。
人々は何らかの変化を望んでいたのではないだろうか。
 政治に関心のあるものもないものも、また、江戸という大都市だけでは
なく日本の南端である鹿児島の村々まで何となく浮き足立った時代だった
のではないだろうか。
 何故か歴史年表をたどってみると、歴史の節目の時代には天災が相次い
で生じ、人心は乱れに乱れている。子が親を殺し、子がまた親を殺すと
いう人の世の乱れは必ず天災を呼び覚ます。それは理屈を越えた不思議な
事実である。
 「ええじゃないか、ええじゃないか」と伊勢神宮のお札が舞い、人々は
狂ったように集団となって通り抜けていった時代であった。

草雲美術館
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/01_kakuka-page/10_kyouiku/05_
bunka/so-un_bijyutukan/top.htm

私のサイトから
国定忠治
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/kunisadatyuuji.html

安政の大地震
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/anseinooojisin.html
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自衛隊の派遣は両国に何を残したのか

2006-06-20 18:02:31 | Weblog
 いよいよ自衛隊の撤退が決まったようだ。しかし、完全撤退ではない。
航空自衛隊の一部は残り、更に活動範囲を広げると額賀防衛庁長官は発表
しているからだ。
 撤退と聞いたからと言って格別の感想はない。と言うのも自衛隊を戦地
に派遣することは、どのように言葉を飾ろうとも、憲法に違反している
からだ。今回の自衛隊派遣はアフガニスタンの時と同じように単なる救済
活動ではない。
 ましてやアメリカのイラク侵攻事態が厳密に言うとルール違反である
からだ。ありもしない大量破壊兵器があると大嘘をついて、無理矢理
戦争を仕掛けたのはアメリカだった。その尻馬に乗ったのが多国籍軍で
あり日本等、参戦国だった。
 自衛官の皆さんに罪はない。今はただご苦労様でしたと申し上げたい。

 しかし、これが慣行慣例となり、アメリカの侵略戦争の片棒を担ぐよう
なことだけはさせたくない。しかし、その思いとは裏腹に、なし崩し的に
憲法九条は無視され続けている。いったい紛争地帯に赴くとき、戦場と
戦場でないという線引きを、どこですると言うのだろう。

 一方、自衛隊が撤退するからと言ってイラクの国内が安定に向かって
いるわけではない。現に、つい最近もアメリカ兵二人が拷問を受けた後、
殺されている。今までは独裁的なフセイン政権下であったからこそ、問題
があったにせよ一応国内は安定していた。
 あらためてイラクの人達に聞いてみたい気持ちだ。フセイン時代なら
何とか我慢できたのか、身近でいつテロが起きるか分からない今の方が
良いのか。
 イラクの中には色んな宗教や思想の人が混在している。なかなか一筋縄
ではいかない国なのだ。その国にフセインという重しがなくなったとき、
そこはハチの巣をつついたような大混乱が生ずるのは、誰の目にも明かな
ことであった。それを知らなかったとすればブッシュ政権の中枢は大馬鹿
者ばかりだったと言うことになる。もし、分かっていて混乱を持ち込んだ
とすれば、こんな罪なことはない。

 いずれにせよ国内が安定するまでには長い歳月が必要であり、紆余曲折
が予想される。小泉さんは自分の任期中に一応の幕引きが出来たと喜んで
いるに違いない。
 振り返ってみれば歴代の総理の中で、この人ほど運の良かった総理は
いなかったのではないだろうか。自分の政権下で何もかもが、この人の
思うように出来たきわめて珍しいケースではないだろうか。
 政権誕生の時には多勢に無勢の中で国民の判官贔屓もあり、更には田中
真紀子さんという力強い人が応援をしてくれ小泉人気を不動のものにした。
 あの拉致問題では二度も北朝鮮を訪れ拉致被害者を国内に呼び戻すこと
が出来た。これほど国民感情を我がものに出来るパフォーマンスはなかった
のではないだろうか。しかし、その見返りとしてのお土産がどれほど大きい
ものかは明らかにされていない。
 先の総選挙では「郵政民営化賛成か反対か」という分かりやすい選択を
国民に迫り大量得票をものにした。本来の敵である民主党は何ら対抗すべき
手段を持たず、自ら瓦解してしまった。天に助けられたという他はない。
 格差社会だと言われ、医療費アップや年金制度の方向が定まらないまま
混乱が続いている。小泉劇場で現実味のない芝居を見ている内に国家財政
建て直しのためだと言って、現実の生活はますます悪くなっている。
 それにも関わらず国民の支持率は相変わらず高い。小泉さんにしてみれば
国民とはこの程度のものだと思っているのかも知れない。

 しかし、小泉後の政権はどうなのだろう。盛んに安倍だ、福田だと言わ
れているが、いずれにせよ今後の政権は難しい舵取りが迫られる。意外に
短命の政権になるかも知れない。先送りされてきた多くの問題があるから
だ。
 小泉流のパフォーマンスは多くの問題を生じ、それらは、これから長く
尾を引きそうな感じだ。特に外交問題では多くの問題を残した。そうで
なくても教科書問題などで、ぎくしゃくしがちな中国や韓国との間に
大きなしこりを残してしまった。これらをどのように解決していくのか、
大きな課題だと言えよう。

 さて、我が家の畑では青梅の収穫が終わり、引き続いて枇杷の収穫が
済んだ。そして、わずかばかりの量であったが、アンズの収穫が終わった。
枇杷は収穫にさえ丸二日余を要するような大量であった。来年からのことを
考え、木の剪定を行って一回り小さな木にした。
 アンズも大半は害虫にやられ、その傷が元で腐って落ちた。それでも
幾らかは残ったので収穫し、家内がジャムにした。オレンジ色をした
きれいなジャムだ。
 これから順調にいけばスモモが収穫できる。この後、モモが収穫でき、
リンゴの津軽が収穫できるようになるまでは果樹の収穫はない。今は柑橘
類が大きくなりかけている。また、キウイが目に見えるほど大きくなって
いる。こうして自然の営みは変わることなく今も続いている。
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インターネット万能時代

2006-06-19 06:20:27 | Weblog
 ワールドサッカーのドイツ大会では、日本代表は緒戦のオーストラリア
戦で敗退、二回戦のクロアチア戦では引き分けとなり、決勝リーグへの
進出は、ますます望み薄となってきた。考えてみれば緒戦のつまずきは
大変大きかったようだ。オーストラリア戦がせめて引き分けであったなら、
ここまで追いつめられることはなかったであろう。
 ヨーロッパ各国や他の多くの国に較べれば日本のサッカーは後進国だ。
日本では野球人口の方が遙かに多い。しかし、日本にもサッカーリーグが
誕生してからニュースでも盛んに取り上げられるようになり、外国で活躍
するような有名選手も出てくるようになって何かと注目されるようになって
きた。
 私達の子供時代には、サッカー等というものは遠い存在だった。高校に
ラグビー部はあってもサッカー部はなかった。歴史と伝統の重みは如何
ともしがたいようだ。ともあれ、これからもサッカー人口を増やし選手層
の厚さを増していくことが急務ではないだろうか。

 さて、今日はインターネットを含むパソコンについて考えてみたい。
ほんの十年ほど前を考えるとパソコン人口は急増した。機械が良くなれば
使用する人が増える。使用する人が増えれば機械は良くなる。こうした
相互作用から、今やパソコンは生活に欠かせないものになりつつある。
十年ほど前に誰が今日の様な状態を想像したであろうか。
 我が家には古いデスクトップパソコンが一台と、いま使っているデスク
トップパソコンが一台(これは子供達が退職祝いにプレゼントしてくれた)
古いノートパソコンが2台、新しいノートパソコンが1台(これは家内が
常用している)ある。
 パソコンは使いこなせば、こんなに便利なものはない。買い物から航空機
のチケットの予約まで何でも可能だ。先日も沖縄行きの格安チケットを
買った。
 家内が岡山空港発沖縄行きの便を調べたのだが既に満席状態であった。
次ぎに広島空港発を調べてみたが、こちらは帰りの便がなかった。日程の
変更は出来なかったので諦めかけていたら、「そうだ神戸空港がある」と
いうことを思い出した。幸いここには往復便で格安チケットが残っていた。
早速、予約をし支払いは近くのファミリーマートですることにした。
予約完了時に折り返しメールで予約を受け付けたという返事が来た。
 一連の作業は正味三十分くらいで終了した。旅行会社に行くにしても
空港窓口に行くにしても、とても三十分では片付かない。しかも、支払い
は近くのコンビニでOKだというのだから、こんなに便利なことはない。
 先日、家内の従兄弟が有名だという取り寄せのお菓子を送ってくれた。
通常、その店に行かなければ買えないようなものであった。それが、居な
がらにして味わうことが出来たのだ。インターネット時代でなければ出来
ないことである。
 昨年の暮れ、私達は家内の友人の家で餅つきをした。その時使った石臼
はインターネットオークションで買ったと言っていた。聞けば立派な石臼が、
そんな値段でと思うような安さであった。
インターネット上には百科事典もある。地図もある。電話番号が分かれば
地図にその店が表示される。地図の中には衛星写真が映し出されるような
ものまであって、それだけでも楽しめる。
 株の売買という素人には近づきにくかったものが身近なものになったのも
インターネットが普及したからに他ならない。お金の決済もインターネット
で出来るようになっている。私達がインターネットなるものを始めた頃に
考えていた夢が、今や夢ではなくなった。
 写真検索をかければ、その人物やその人物に関連する写真がすべて映し
出される。今や検索機能は文字だけではなくなったのだ。その情報量は
すごい。これからもますます機能アップし続けるインターネットに注目
したい。
 私はホームページを公開しブログを書いているが、時々、思わぬ人から
メールを貰うことがある。そんな出来事があったので、後日、そのことに
少しだけ触れてみたい。
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季節は巡る

2006-06-16 05:54:49 | Weblog
 先日、家内が夕飯時に外の景色を見て「私はこの季節の今の時間が一番
好きなん知っとる」とポツンと言った。初めて聞く話だった。人にはそれ
ぞれ好きな季節がある。もっと厳密に言えば、その季節のある時間帯が
ある。
 家内が好きなのは一日が終わりホッとした夕暮れ迫る時間帯だ。日暮れ
が遅いこの季節、外はまだ十分に明るい。散歩にでも行けばよいような
時間帯だ。その頃の景色が好きなのだろうか。私もこの季節の、この時間
が嫌いではない。
 私の場合は木々の芽が一斉に伸び切り若葉となって一段落した頃が好き
だ。時間帯で言えばお昼少し前くらいだろうか。人には色んな季節の色んな
思い出がある。多くは幼い頃、感じたことであり、幼い頃、見た景色では
ないだろうか。

 さて、我が家の今の季節は春の花が終わり夏の花が次々に咲いている。
一番に目に付くのはホタルブクロだ。どういうものか紫色だけだった
はずなのに少し離れたところで白い花が咲き始めた。そして友達の家から
貰ったコバノタツナミソウ、この花は小さくて目立たない花だが一斉に
咲くと地面が紫色になり、それなりに見応えがある。
 そして地面を埋め尽くしているのがウツボグサ、この可憐な花に何故
こんな名前が付いているのだろう。この花にはささやかな思い出がある。
それは新婚早々、家内と一緒に奈良に旅して、そのついでに柳生まで足を
伸ばした時であった。季節はやはり今頃だっただろうか。田舎道には
たくさんこの花が咲いていた。この花を知ったのはこの時が初めてで
あった。その時から機会があれば、この花を植えてみたいと思っていた。
 裏の畑では片隅に枯れることもなく花菖蒲が毎年花開いている。そして
キンシバイが咲いている。少し盛りは過ぎたが忘れてならないのはサツキ
だ。色とりどりのサツキが花開いている。
 数年前から一本が二本に二本が四本にと次第にその数を増やしている
のがチョウセンアサガオだ。大輪の白い花は美しい。しかし、この植物
には猛毒があると言うから「美しい花には毒がある」と言うのは、この花
のことだろうか。この花にはほのかな匂いがある。夕暮れになると花開く
この花からは、上品な匂いが庭に漂っている。
 目立たない花と言えばこの地方では代表的な花、アクラの花だろうか。
冬になると赤い実が美しい木だが、その花は実に地味である。葉陰に
小さな花を咲かせている。
 地味な花だが匂いの強烈なものもある。オガタマの木の花である。神が
宿る木として大切にされてきた木であるが、花びらが紫色の小さな花で
ある。この花が開き始めると庭一面に何とも言えぬ甘い香りを漂わす。
今は終わってしまった。
 そして、歌にも歌われてきたのが「卯の花」である。歌に歌われた花が
どの種類なのか知らないが、卯の花と呼ばれるものの種類は多い。すべて
「ウツギ」(空木)の仲間である。この木は木の芯が空洞になることから
「ウツギ」と呼ばれ、卯の花と言われるようになってきた。種類は実に
多い。大山などに行くと夏の盛り近くまでタニウツギの花が咲いている。
 山の畑では今クリの花が咲いている。悩ましげなこの匂いを嫌う人も
多いが、独特の匂いはこの季節を代表するものである。細長い穂のように
なって咲く白い花は、穂の付け根当たりに実になる雌花が付いている。
長い穂の先の大部分が雄花で、その根元に咲くのが雌花である。
 今は終わってしまったが柿の花にも特徴がある。固い蝋細工のような
花びらが特徴であり、やはり目立たない白い花である。花が終わりやがて
中には小さな実が出来る。その頃になると剥がれ落ちるように花びらは、
ぽとりと地面にこぼれるように落ちてしまう。俳句では、この様を見て
詠んだ句も多い。
 このように季節は花と共に始まり実に成長するものは実になって終わる。
自然は絶え間なく、この繰り返しである。季節は巡り来て、また去っていく。
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大地震

2006-06-12 05:39:34 | Weblog
 朝、何気なくパソコンに向かい、いま地震が起きたらこのパソコン台は
どうなるだろう。上に載せている買ったばかりのプリンターは落ちてしまう
だろうか。何か良い固定方法を考えなければいけないな等と漠然と考えて
いたら、いきなり小さな揺れが始まった。その内、揺れは次第に大きく
なった。パソコン台の横にある本棚に積んだ本が二冊ほどこぼれるように
下に落ちた。これはいけないと大慌てで本棚を押さえにかかった。揺れは
しばらく続いた。近頃には珍しく大きな揺れであった。
 揺れが治まって家内が寝ている寝室に行ってみると家内はベッドの横に
小さくなってうずくまっていた。寝室はかねてより倒れてくるものや落ちて
くるものがないように、テレビ以外は何も置いていない。従って、家が
倒れるようなことでもない限り安心だ。
 また、オーディオ機器やパソコン台も安定性を考えて、下の方に重い
ものを置くようにしている。こんな対策をしていても震度5以上であれば
どうなるか分からない。
 この日の場合、岡山県南部地方は震度4だったようでさしたる被害は
ないだろう。ここのところ伊予灘周辺部を中心とする地震が何度か起きて
いる。近隣の中では一番地震が多いところだ。
 「地震、雷、火事、親父」と言われるほど、地震は怖いものの筆頭に
あげられている。なければない方が良いに決まっているが、地震列島と
言われるくらい日本には地震が多い。避けて通れるものではない。
 従って、日頃から訓練なり備えをして万全を期す以外にはない。ともあれ
人的被害と物的被害を最小限にくい止めるような手段を講じたい。


 さて、村上ファンドの村上代表が逮捕され、インサイダー取引の内容が
次第に明らかになりつつある。嫌疑をかけられているのは、ニッポン放送
を通じてフジテレビまでも買収しようとした一連の出来事の中で起きた
ことらしい。仕掛け人は誰だったのか。シナリオを書いたのは誰だったのか。
その事実が明らかにされつつある。
 当初はライブドアの堀江被告だったと思っていたが、調べてみると村上
ファンドの村上代表だったと言うから驚きである。いわば村上代表が書いた
シナリオで堀江被告達が踊らされていたと言うことになる。
 立て板に水のような村上容疑者の、あの言葉の裏に真実は一つもなかった
と言うことになる。オーバーな表現やぎょろ目の仮面の裏には金儲けに
徹した冷徹な男の顔があったことになる。
 かくして時代の寵児ともてはやされた堀江被告も村上容疑者も金に取り
憑かれた、ただの「がりがり亡者」だったことになる。会社は社会のもの、
そこで働く労働者のもの、お金はただの流通手段、お金でお金を売り買い
するなど考えるべきではない。また、お金はほどほどにあればよい。
 儲けすぎた人は何らかの形で社会に還元すべきだ。それが仏の教えだと
言うことを堀江被告も村上容疑者も、そして市民金融と称して金貸し業で
莫大な資産を作った人も、市民金融に融資していた市中銀行も大いに
反省すべきだろう。それを助長した政府も監督官庁も同罪である。
 世の常識に照らして不当な手段で儲けたお金は身に付かない。因果応報、
悪銭身に付かず。合掌。
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石油危機

2006-06-11 05:36:59 | Weblog
 いよいよ中四国地方梅雨入りをしたようだ。昨日は一日中、薄日が差す
程度の曇り空だった。梅雨寒とでも言うのだろうか。朝晩は少し肌寒さを
感じた。窓を開けたまま寝ていたので鼻が詰まって夜中に目が覚めた。
危うく夏風邪を引くところだった。
 この季節は寒暖の差も大きいので、気を付けないと風邪を引いてしまう
ことがある。

 さて、我が家の畑では早くも夏野菜の収穫が始まった。初めて収穫した
のはキュウリである。出来初めのキュウリはとにかく旨い。キュウリ特有
の新鮮な香りが何とも言えずみずみずしくて良い。漬け物などにしなくて
も塩を付けただけで十分美味しく食べられる。
 昨日は朝から枇杷の収穫と梅の収穫をした。我が家の枇杷は何故か東側
の方から熟れ始める。実に甘くて果汁がたっぷりだ。収穫をしながらの
つまみ食いは最高の楽しみだ。ラジオを傍らに置いて薄日の差す畑での
収穫は苦労した者でないと分からない喜びだ。
 その後、梅の収穫をした。何しろ伸び放題に大きくした梅の木なので
登らないと収穫できない。小さな木にしなければと思いつつ、未だに
大きな木のままだ。結局、登ったり降りたりと半日以上かかってしまった。
大きな竹籠に約二杯分の収穫量だった。
 花が終わったときには珍しく大量の実が付いていたので、今年は今まで
になく大豊作だと思っていたが、収穫近くになってチョッキリゾウムシや
カメムシの被害にあって次々に落果、ほどほどの収穫量となった。これで
良かったのかも知れない。
 我が家では焼酎に漬けて梅酒にしている。梅干しは一度作ってみたが、
それ以後は作っていない。あまり梅干しを食べないからだ。

 昨年から石油の高騰が続いている。一時的なものかと思っていたが、
どうやら慢性的なものになってきた。イランやイラクなど中東情勢の
不安要因が一つ、もう一つは中国やインドと言った大国が大量に消費
し始めたからだ。
 元々、天然資源は産出量に限りがある。必要だからと言って急に産出量
は増やせない。プールに溜めてある石油だと考えてみよう。たとえバケツ
一杯ずつとは言え汲み出せば、わずかずつながら減っていく。汲み出した
量だけ補給すればプールは空にならない。
 しかし、昨今の状態はバケツで汲み出す量に対して、プールに補給できる
量はコップ一杯程度といった状態だと聞いたことがある。これではいつか
プールも空になってしまう日が来るに違いない。
 そもそも私達が子供だった頃、石油はよくもって二十世紀の後半には
使い切ってしまうと聞いていた。しかし、その後の著しい開発技術の進歩
によって、世界中のあちこちから新たな油田が開発され今日に至っている。
 しかし、開発には莫大な資金が必要だ。仮に汲み出せるようになっても
いつかは空になる日が来るに違いない。
 こうなると天然ガスや石炭に依存するようになるのだろうか。私達は石油
高騰を一つのビジネスチャンスと捉え、自然エネルギーの使用は考えられ
ないのだろうか。風力、太陽光など利用できる自然エネルギーは無尽蔵に
ある。石油や石炭や天然ガスが過去の太陽エネルギーの蓄積だとすれば、
自然エネルギーは現在も使用可能な太陽エネルギーだ。
 我が家の太陽光パネルに関しては以前にも紹介したことがあるが、
一ヶ月の使用量に対して太陽光発電による発電量の方が多いので、電気代
はゼロないし儲けになっている。
 もっともっと石油資源節約のためにも、家庭での太陽光発電を普及させ
たいものだ。
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功名が辻

2006-06-06 22:16:24 | Weblog
「功名が辻」は司馬遼太郎さんの原作をテレビドラマ化したものである。
ドラマは織田信長が家臣である明智光秀に討たれるという前半の最大の
山場近くである。
 ご存じのように「功名が辻」の主人公は土佐の城主だった山内一豊と
その妻「千代」の出世物語である。山内一豊の妻「千代」は夫に名馬を
買い与え、内助の功誉れ高き女性として長く言い伝えられてきた。

 戦国時代はその時代を生きる武将にとっても、また、その妻にとっても
非常に厳しい時代であった。特に信長のように気性の激しい主人に仕えた
武将達にとっては、戦場で戦うことだけでなく如何に主人に気に入られ
気分を損ねぬようにと内心戦々恐々の日々であったのではないだろうか。
 気むずかしい信長を「館ひろし」が上手く演じている。信長は近隣の
国々を切り従えるばかりでなく、時には激しい憎悪を燃やして相手を倒す。
その姿はまるで鬼のようである。そこには神も仏もなく石山本願寺すら
焼き討ちにしてしまう。

 世間の非難を一身に浴びながら信長は一体何を考えていたのだろう。
本能寺で光秀に討たれる前には、自らが神となり天皇すら必要ないと言い
始め、自らが王となると宣言する。
 かつて日本には、天皇を利用したり天皇を担ぎ上げることによって実質的
な権力を掌中にしたものは多い。しかし、天皇を排斥し自らが王を名乗った
ものはいない。
 しかし、お隣の中国などでは前の権力者を葬り、自らが王を名乗ることは
少なくない。本当に権力を我がものにしようとすれば、前の権力を徹底的
に消滅させるのが常道であろう。
 かの平清盛も源氏の血筋を完全に断ち切らなかったばかりに、自分が亡く
なった後で平家滅亡を招いてしまった。前の文化や文明を完全に断ち切る
ことから新しい文化や文明が生まれてくる。
 信長はそれまでの価値観を完全に断ち切ろうと考えたのかも知れない。
もしこれが実現していたら、日本にはかつてない世界が新たに出来上がって
いたかも知れない。

 しかし、信長の野望はやがて足元から崩れてしまうことになる。結局、
英雄にはなりきれず志半ばにして光秀の前で自ら命を断つことになる。
救われたのは信長を殺した光秀自身ではなく、信長に仕えていたその他の
武将であった。次は自分の番ではないかと思っていたはずである。
 かくして時代は大きな転換を見せ秀吉の時代となる。秀吉は弔い合戦と
称して光秀を倒し、一気に先陣争いの先頭に躍り出る。
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病んだ社会

2006-06-05 09:09:34 | Weblog
 今朝、畑に行ってみると野菜が急速に成長していた。曇りや雨の多かった
五月が終わり、畑にも本格的な夏がやってきたようだ。ここのところ晴天
続きで汗ばむような陽気が続いている。自然のものは人間以上に気温の変化
や太陽の光に敏感だ。
 そんなわけで、なかなか大きくならなかったキュウリやトマト、ナスビ
やピーマンと言った夏野菜が急速に丈を伸ばし、キュウリは収穫間近な実
を付けていた。大根なども冬栽培に比較すると倍ほども成長スピードが
早いようだ。

 昨日は孫の顔を見るために出かけた。孫は先月の連休に来たときより
一段とたくましくなっていた。体も堅太りになり幾分スリムになっていた。
また、寝返りも上手に出来るようになっていた。赤ちゃんの成長は著しい。
日々、新陳代謝を繰り返し急速に大きくなっていることが、外見を見た
だけでも良く分かる。
 また、機能の方も同じように発達しているようだ。寝返りを打つこと、
寝返り後は背筋を反らし首を持ち上げて周辺を物珍しそうに見ている。
買い物に連れて行くと声を出して喜ぶと言っていた。赤ちゃんにとって
何もかもが珍しいことなのだろう。

 その赤ちゃんにとって大切なものは両親の愛情と体の成長に欠かせない
母乳である。幸い孫にとって母親の母乳は十分で今のところ離乳食もせず
母乳だけで育てている。
 その母親の弁を借りると母乳は母親が食べたものと密接に関連している
という。母親が肉を食べた後の赤ちゃんの便は非常に臭いとの事だった。
お米や野菜中心の食事の時には果物のような甘酸っぱい匂いの便だという。
また、カレーを食べた後の便はわずかばかりカレーの匂いがするという。
 当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、この話を聞いて実に不思議
な気がした。いったん母親の体内に取り込まれたものは完全に消化され
糖分や脂質やカルシウムに分解されて母乳になるのかと思っていたが、
どうやらそうではないらしい。
 と言うことは母親の食事が直接赤ちゃんに取り込まれていると言うこと
になる。喫煙や飲酒などしていたらタバコや酒も何らかの形で赤ちゃんの
体内に入ってしまうことになる。考えてみれば実に恐ろしいことでもある。
母親が赤ちゃんにとって如何に貴重な存在か、母乳だけを取ってみても良く
分かる。

 恐ろしい事件が起きてしまった。我が子を失った母親が警察の捜査に
不満を持って近所の子供を殺してしまった。まだ、捜査中で確定的な事は
言えないようだが、人の心の闇の部分を垣間見たような事件だ。
 鬼子母神は他人の子をさらっては、その肉を食べていた。その話を聞いた
仏様が懲らしめのため鬼子母神の子をさらって隠してしまった。鬼子母神
は気が狂ったように我が子を探し回った。それを見た仏さんは鬼子母神に
「お前の嘆きや悲しみは、お前がさらっては食べていた子供達の母親の
嘆きや悲しみと同じ事だ」と諭しました。
 そこで鬼子母神はやっと他人の母親の嘆きや悲しみに気付き、以後は
子供をさらって食べることをやめたという話が残っている。

 何故か、この話を思い出すような事件だ。子を思う親の心は時として
こんな過ちを起こしてしまうのだろうか。実に悲しい事である。また、
鬼子母神となってしまった母親に納得のいくような捜査説明が出来なかった
のだろうか。母親の心のケアをすることが出来なかったのだろうか。
もし出来ていればこんな悲しい痛ましい事件にはならなかったはずなのだが。
(この記事を書いている途中で我が子の死に関しても疑問があるような
報道がなされていた。事件はますます謎めいてきた。この女性の心中に
何があったのだろうか)
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