人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

放射能被害について考える

2011-11-20 05:24:48 | Weblog
 放射能被害に関しては様々に語られており、私達一般人にとって何が正しくて何が間違いなのか
皆目分からないのが実状です。だからと言って自分で測定しても測定器の性能や測定の仕方によって
数値は様々に変わるので、これだけは経験がものを言う世界なのです。それは私の技術屋としての
長い経験から言えることなのです。

 従って、数値に踊らされたり一喜一憂する事なく冷静に事態の推移をみていて貰いたいのです。
多くの情報を得ることは良いことですが全ての情報を鵜呑みにしないこと、得てして人間はそのこと
だけに目を向け始めると他のことが見えなくなってしまう傾向にあります。その方がかえって怖い
ような気がします。もし、子どもさんの健康が心配であるならば放射能の影響がないところへの
思いきった移転をお勧めします。

 私が心配しているのは過剰なまでの心配はかえって免疫力を弱めるし、子どもさんに対しての
影響も少なくないからです。子どもさんは親の気遣いに敏感に反応します。それが体調不良を
助長することがあります。今日の研究では気持の持ち方によって免疫力が大きく変化することが
知られています。放射能被害を跳ね返すくらいの免疫力を高めたいものです。

さて、今日のAsahiコムにはこんな記事が掲載されていました。

 東京電力福島第一原発周辺の住民が食事や呼吸で放射性セシウムを体内に取り込んだ結果、被曝
(ひばく)量がどれくらいになるかを京都大などのグループが調べ、14日発表した。

 最大に見積もって計0.16ミリシーベルトで一般市民の年間線量限度1ミリシーベルトを下回った。
京大防災研究所の石川裕彦教授(環境災害)らは7月2~8日、住民が実際に食べたり吸ったりする
食料やちりに含まれる放射性セシウムの量を調べた。

 福島第一原発の20~70キロの圏内のスーパーマーケットで食料と飲料水を集め、放射性セシウム
の含有量から食事による内部被曝量を推定。平均で年間0.003ミリシーベルトで、濃度の高い
食料を毎日食べ続けたと仮定した最大値は0.083ミリシーベルトだった。

 地上1.5メートルの空気中のちりを集め、含まれるセシウムから被曝量を推定。ほとんどの場所
が年間0.003ミリシーベルト以下で、最も多い浪江町で0.077ミリシーベルトだった。食事
の最大値とあわせると0.16ミリシーベルトになる。

 こうした年間内部被曝量は、数時間いただけで浴びる線量と同じ程度の場所もあり、グループは
外部被曝対策の方が重要としている。(鍛治信太郎)

この記事を信じるか信じないかは読んだ人次第と言うことになります。

 また、私の知人の田中優さんはこんな記事を送ってくれました。少し長くなりますがそのまま手を
加えずに掲載しておきます。但し、掲載するに当たってはご本人の了解を得てと思いメールで問い
合わせ中なので差し支えある場合は取り下げるつもりです。御了解下さい。

ポスト311、何を食べたらいいのか

◆放射能の何が危険か~内部被曝◆
放射能とは放射線を出す能力のことで、被害を与える本体は放射線だ。
それは電磁波の一つで、光や携帯電話の電波と同じものだ。だがその
中に、とてつもなく体に悪いものがある。それが電離放射線と呼ばれ
る放射線だ。その放射線は遺伝子を切ってしまう。私たちの体の設計
図だ。それでも一本残っていれば再生できる。遺伝子である二重らせ
んのDNAは、二重らせんで対面するペアの組み合わせが、互いに必
ず決まっているからだ。ところが細胞分裂するときには一本ずつに分
かれてそれぞれが新たなペアを作っていく。そこで切断されたら再生
できなくなる。ぼくら大人はすでに成長しているから、もはや細胞分
裂は多くない。でも雨後のタケノコのように育つ子どもたちは、細胞
分裂を限りなく続けている。だから子どもへの方が数百倍もの影響す
るのだ。
その放射能が数メートル先の地面にあって、そこからの放射線で撃た
れるとき、被害はさほど大きくない。放射線は四方八方に飛び散るた
め、自分に当たる角度に飛ぶものだけが当たるからだ。そしてまた放
射線は、近くの方がエネルギー量が大きい。離れれば影響は小さくな
る。しかしその放射能を食べてしまって、体の内側から撃たれたらど
うなるだろう。距離が近い上に、どの方向に飛ぼうが全部が命中する
ことになる。だから外からの外部被曝よりも、内側からの内部被曝の
方が被害は数百倍も高くなるのだ。

◆どの放射能を気にすべきか◆
今回の福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と違って核爆発
ではなかった。そのため爆発温度が低く、金属が蒸発するほどの温度
に達していない。おかげでチェルノブイリのように金属核種が蒸発ガ
ス化して、風に乗って遠くまで飛ぶということはなかったようだ。
そのおかげで心配されたプルトニウムはほぼ原発敷地周辺と風下にあ
たった飯館村にとどまり、骨に蓄積して体外に排出されにくいストロ
ンチウムも被曝量でセシウムの一万分の一以下にとどまった。
当初に人々を被曝させたヨウ素は遺伝子を傷つけてしまったので将来
に被害をもたらすものの、寿命が短かったおかげで現時点では数億分
の一まで下がっている。今後気をつけなければならない放射性物質と
しては、ほぼセシウムに限定されていると言えるだろう。

◆セシウムの性質と食べ物の汚染◆
だからセシウムを含んだ食べ物が怖い。食べ物が放射能に汚染されて
いたら、体の中に蓄積されて、内側から放射線に撃たれることになる
からだ。体内に入った放射能も、時間が経てば排泄されていく。
この時間を「体内半減期」と言って、物質によって大きく時間が違っ
ている。しかし今回の福島第一原発事故では、最大の被曝量となるの
はセシウムだから、そのセシウムを見ておこう。
セシウムは水に溶けやすいと言われる。しかし現実には溶けやすすぎ
るのだ。マイナス116℃で水と反応するセシウムは、常温の大気に出て
くれば必ず大気中の水蒸気と反応する。そして一度水と反応したセシ
ウムは、二度目の反応はしない。だから常温の世界では水と反応しな
いのだ。水と反応したセシウムは、粘土やホコリと反応する。余った
電子の数が、粘土を引きつけるからだ。だから現実には、セシウムは
必ずホコリと共にやってくる。水の底に沈んだ汚泥や側溝の下、雨ど
いの下やすべり台の下に集まるのはすべてそのせいだ。エアコンや車
のフィルターに集まるのも同じだ。
逆にそのせいで、最初の雨水に叩き落されはするが、その後の雨には
含まれにくい。野菜も同じで、当初ホコリと共に降り注いだセシウム
が野菜を汚染したが、その後の野菜の汚染レベルをみると、ほとんど
汚染されていない。根を経由しての汚染は、ほとんど見当たらないの
だ。汚染度は以下のHPに掲載されている。
全食品 http://yasaikensa.cloudapp.net/browsebyproduct.aspx
淡水魚 http://www.nuketext.org/parts/tansui_gyo.pdf
底生性生物 http://www.nuketext.org/parts/soko_uo.pdf
回遊魚 http://www.nuketext.org/parts/uki_uo.pdf

◆産地と濃度に気をつけるべき食品◆
逆に言うと、汚染されている食品は限定されている。それらを覚えた
方がずっと早い。
第一に生体濃縮による汚染だ。栄養と勘違いして集めてしまったセシ
ウムを、微生物、小魚、大魚と濃縮してしまった場合だ。この生体濃
縮に注意すべきものは、「肉・卵・魚・牛乳」だ。しかし日本の畜産
ではアメリカ産の配合飼料を与えるのが一般的であるため、家畜の汚
染度は高くない。当初の汚染されていた稲藁を与えてしまった牛肉や
牛乳以外では高くはない。むしろ問題なのは天然由来の魚介類だ。

魚の汚染度を見てみると、大まかに淡水魚、海の底生生物、海の回遊
魚の順に汚染が下がっていく。淡水魚の中でも特にアユが高い。これ
は特殊にセシウムを集めるコケを食べているためだ。それ以外の淡水
魚も高い。これは栄養分の少ない川に生息しているためだろう。汚染
されている海は限定的だ。特に福島沖と茨城沖が高い。福島原発から
莫大な放射能が海に流されたが、その流れは北から流れてくる千島海
流が南に押し、茨城と千葉の県境にある犬吠崎で、南からの強い流れ
である黒潮に押されてハワイ方向に流されていくためだ。もちろん乱
流もあるので周囲に広がりはするが、汚染度の高い場所は福島と茨城
沖に限られている。

第二に特殊に集める生物がある。直接食べることはないがコケ、特に
注意すべきなのはキノコ、とりわけシイタケ、ナメコだ。キノコは菌
類であるせいか、よく周囲からセシウムを集めてくる。他に葉の固い
イネ、笹、竹などが集めやすい。特に来春のタケノコは要注意だ。
日本では一般的ではないが、チェルノブイリではブルーベリーが非常
に高く汚染されていた。

第三に幹や枝葉から汚染が伝った可能性のあるものとして、果物、クリ
、ウメ、お茶がある。福島周辺は3月の時点では若葉はまだ生えていな
かった。幹と枝ばかりの落葉樹には、幹自体に汚染が取りついた。それ
が樹幹流と呼ばれる雨水の流れとともに、果実に入り込んだのだろう。
お茶の調査では根から吸い上げたものではないとされている。汚染され
た落ち葉も、2011年の葉よりも2010年に落ちた落ち葉の方が汚染度が高い。

第四に部分的に集めている作物がある。特にコメの胚芽部分、小麦の麦
芽部分だ。チェルノブイリの調査では、胚芽部分に93%の汚染が集中し
ていたというデータもある。胚芽部分を除いた白米では、汚染は相当低
くなる。

◆にわかベジタリアンに◆
他の野菜類は根から集めていないようだ。そもそもセシウムを植物は吸
い上げたくはなく、カリウムと間違って集めている。カリウムが十分な
土地では集めないのかもしれない。しかもチェルノブイリでは、年数が
経つにつれてセシウム汚染は下がっている。セシウムは粘土に吸い込ま
れやすく、年を追って引き出されにくくなるようだ。その結果、ホコリ
をかぶった当初の野菜を除いて、ほぼすべての野菜の汚染度は極めて低
い。ホウレンソウもナタネもヒマワリも集めていなかった。特にナタネ
が集めていないことを知ったとき、正直ほっとした。というのは、日本
人が食べている野菜の中では、ナタネと同じアブラナ科の植物が圧倒的
に多いからだ。ということは、私たちの食品の汚染はかなり汚染を避け
られるのかもしれない。
そう考えてみると、誰が風評被害を作っているのかはっきりする。それ
は汚染食品を怖がる私たちではなく、キログラム当たり500ベクレル以
下という甘すぎる基準を作った日本政府が元凶なのだ。野菜はほとんど
一ベクレルも汚染されていない。ところが500ベクレルの基準以下と言
われるだけなので、安心して食べることができないのだ。
私たちは当面、にわかベジタリアンになろう。とにかく安心して暮らせ
ることが大切だ。そして落ち着いた気持ちになれたら、本当の元凶であ
る原発を止めよう。大丈夫、脱原発を求める私たちの方が確実に多数派
なのだ。テレビ・新聞が何を言おうが放っておけばいい。私たちは圧倒
的多数派なのだから、今の仕組みの方をを変えてしまえばいいのだ!

 原発推進派が息を吹き返そうとしています。しかし、原発の制御の上において問題になっている
ことは何ら解決していません。

 それどころか福島第一原発の事故以前から言われていた問題が多々あります。それは建設後30年
以上を経た原発がたくさんあることです。そして耐震化の見直しも十分には出来ていません。

 更に言えば老朽化した原発をどうするかと言うことや使い古した核燃料棒の保管や始末さえ出来ない
ような状況なのです。原発は作ることより維持管理に関する様々な問題や廃棄に大きな問題を抱えて
いるのです。

 私達の生活の質を落としてでも原発依存は止めるべきだと思います。生活の質を落としたからと
言って死ぬようなことは全くありません。そのような状況の中で私達は生まれ大きくなってきました。
格段に技術は進歩しているのですから、こうした先進的な技術を生かして生きるべき道を模索して
いくべきだと思うのです。
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活弁三昧

2011-11-13 05:43:01 | Weblog
 活弁なるものを始めて四年になる。そもそも死語にも近いような活弁というものについて説明して
おかなければならないだろう。

 昭和10年くらいまでに製作された映画は、少なくとも洋画、邦画を問わず無声映画であった。
その後に開発された映画フィルムに音声を刻む方法がなかったからである。音声を刻むと言っても
本当に刻むのではなくフィルムに音波を波形にして印刷し、それを読みとる方式である。

 こうして現在にも伝わるトーキーという映画方式が確立したのである。ちなみにレコードは文字通り
音声をギザギザの波としてレコード盤に刻んである。これをレコード針が振動として拾い電気信号に
変えて増幅している。

 昔の蓄音機は電気的な信号として拾う方法も増幅手段もなかったので、そのまま音波として取りだし
ラッパのようなもので増幅していた。いわゆる蓄音機と言うものである。

 そもそも写真でさえ珍しかった時代に、その写真が動くのだから一般の人は驚いたに違いない。
これを写真が動くと書いて活動大写真と呼んだ。活動写真に弁士なる人が声色や映画説明を加え
面白可笑しく見せたのが活弁の始まりのようだ。

 活弁映画の始まりであり活動弁士なるものの登場であった。欧米では字幕と演奏家による音楽を
付けて見せていたらしいが、日本では昔から浄瑠璃や語りの文化なるものがあり活弁士なるものが
生まれる土壌があったのではないかと言われている。

 全盛期には、活弁士は映画スター並の地位を築いていた。もてはやされるような時代があったので
ある。かくして、にわか活弁士や活弁士を真似る人もたくさんいたようである。ひいきの活弁士に
惚れて夫婦になったという女性も少なからず居たようである。

 しかし、トーキーが発明され活弁士はお払い箱になった。私達もにわか活弁士から本格的な活弁士
となり多くのところから招待を受けるようになった。当初、かくも多くのところから招待を受ける
ようになろうとは思いもよらぬことであった。今月だけで三カ所で活弁口演を行った。

 この内の一回は地元児島で毎年開催している児島活弁シネマライブであった。佐々木亜希子弁士の
前座を勤めさせて貰った。そして三日ほど間をおいて11月11日岡山市民会館の「年金受給者の
つどい」と称する式典で、アトラクションの一つとして行った。引き続き11月12日は矢掛の中川公民館
から招待を受けての活弁口演であった。

 特に音響設備の整った、しかも生演奏の児島文化センターでの口演や岡山市民会館での口演は
非常に多くの方々からお褒めの言葉を頂いた。

 そして今月の末、11月27日には岡山デジタルミュージアムで「大正の時代」展と称する行事の
一環として活弁を行う予定になっている。デジタルミュージアムは私達夫婦(みょうと)活弁士誕生
の場所である。実に丸4年ぶりの活弁口演で誠に意義深いものを感じている。

 振り返ってみれば活弁というものに対するあこがれだけで始めた「児島活弁シネマライブ」だった。
親友のK君を強引に説き伏せての開始であった。彼がいささかなりとも映画に関係していたことが、
せめてもの救いであった。そして後押しをして下さったのが、わが児島文化協会の会長M氏であった。
学生だった頃、東京で杉村春子さん等とも知り合いだったと言うこともあって映画に関しても知見が
深い人である。

 今、児島活弁シネマライブは岐路に立たされている。年を追う毎に入場者が減少しつつあるからだ。
これからも続けるべきか、それとも止めるべきか。続けるとすれば如何にすべきか、課題は多い。
何しろ相当数の入場者がいないと東京から弁士を呼んでくる費用が捻出出来ないからだ。

 反面、毎年欠かさず見に来てくれる固定客とも言うべき愛好者も少なくない。これらの人のことを
考えると、止めてしまったらどんなにがっかりするだろう。そう考えるとつらい。友人の一人はぜひ
続けようと言っている。これからの課題である。

 さて、活弁を多くの人に知って欲しい、楽しんで欲しい。決して古いものではなく今にも通じる
文化だと思い始めた夫婦活弁士だが、今や多くのところから声がかかるようになった。それというのも
テレビやラジオ、新聞や小冊子にまで取り上げて貰えるようになったからでもある。また、来年に
向けての新しい取り組みも始まろうとしている。さて、どのようなことへと進展していくのであろう。
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とんでもない時代の到来

2011-11-07 14:08:31 | Weblog
 あまり考えたくないことだが「とんでもない時代」がすぐ目の前に来ているような気がしてならない。
そのとんでもない時代は環境的にも経済的にも自然災害さえも、いずれもが複雑に絡み合っている
ように思えるものだ。

 そもそも環境問題を語るとき、経済問題を抜きにして語ることは出来ない。それも全ては人間の
欲望に根ざしている。飽くなき人間の欲望は自然を壊し自然を犠牲にしながら拡大の一途をたどって
きた。

 その結果、自然環境は大きく損なわれ、その上に気候変動という、かつてない大きな問題を引き
起こしてきた。もはや再び、その昔を取り戻すことは不可能なほどに自然は損なわれてしまった。

 地球上の人口が70億人を越えたと聞いたとき素直には喜べないものを感じたのは私だけだろうか。
ただでさえ損なわれた自然が更に壊されていく危険性を感じたからである。

 そして自然を修復不可能なまでに壊してきたのは経済発展という魔物であった。富を得たものは
更に富を増やし、貧しいものはますます貧しくなると言うのが昨今の構図である。それは国と国の
間にも生じている。

 一方、浪費癖のついた世界経済は国家経済が破綻を来すというとんでもない現象を生んでいる。
その代表的なものがユーロ圏におけるギリシャやイタリアである。ヨーロッパはユーロという経済圏
を作り成功したかに見えたが、内部破綻を来たしたギリシャの為に今や塗炭の苦しみの中にある。

 ヨーロッパにおける多くの銀行が巻き添えを受ける可能性があるからだ。ギリシャに金を用立てて
きた銀行が倒産するような事になれば、その影響は計り知れない。かつてのバブル崩壊時の日本が
そうであったし、つい最近生じたリーマンショックによるアメリカ発の金融危機がそうであった。

 金融市場は巨大になりすぎ、その上に様々な形で複雑に絡み合った国際経済は世界規模で影響を
与えかねない状況にある。これらの背景にはマネーゲームに走る国際的な金融組織も背景に潜んで
いる。

 このような巨大化した経済システムは最早、簡単に修復は出来そうにないくらい内部は腐敗し
切っている。お金という得体の知れないものに振り回されている人間の姿がかいま見えてくる。
そして国も個人も共に借金地獄の中にある。

 こうした状況をいち早く解決するには国家的な取り組みが必要なのに、どこの国も政党同士の
政権争いが続き、国民の声を政治に生かすにはほど遠い状態である。政府は政府としての機能を
果たし得ていない。

 一方、中国やかつての社会主義国であったロシアなどは一党独裁という構図の中で腐りきっている。
こうした状況が一触即発の状況を生んでいる。こうした状況はロンドンでもアメリカでも若者達の
反政府、反政党的なうねりとなっている。

 そして中東では独裁政治打倒の嵐が吹き荒れている。今やイスラエルとパレスチナの対立とは
異なる構図を見せている。

 奇しくも終末論さえささやかれている2012年を目前にして世界はどこへ向かおうとしている
のだろうか。私達人間はどこへ向かおうとしているのだろうか。

 それは私達自らが見極め決めなくてはならないことだ。真の世界平和と私達の生活の安定に向けた
大きな一歩が踏み出されようとしている。それまでにどんな波乱が待ちかまえているのだろうか。
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京都「おぶぶ茶苑」の試飲感想です。

2011-11-05 06:10:53 | Weblog
今回の試飲モニターは私が以前から加入しているシニア・ナビの企画で参加しました。
「シニア・ナビ」のホームページは http://www.senior-navi.com/です。ぜひ多くの方々の参加を希望しています。
「おぶぶ茶苑」は次のサイトです。アクセスしてみてください。 http://www.obubu.com/
送られてきたお茶は水出しで飲みました。さすがに水出しだったので抽出には時間を要しましたが、癖がなく飲みやすいお茶でした。我が家はお茶が好きなので感謝しています。ありがとう御座いました。
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