人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

夫婦活弁士むっちゃん・かっちゃん

2018-09-29 13:27:01 | Weblog
 私たちは趣味で活弁士もどきのようなことをしています。ことの始まりはピースボートに
乗って地球一周の旅をしたときでした。船の上では乗客を飽きさせないように様々な催し物が
行われ、それに伴うワークショップも行われていました。その一つが活弁でした。

 私たち夫婦は、この活弁にすっかり魅了され、無謀にも地元で活弁シネマライブなる
イベントを始めたのがきっかけで、自らも活弁士まがいのことをするようになりました。

 先日の口演を含め、色んなところへ何度出向いたことでしょうか。その度に驚きの目で
見られ、興奮した感想を聞かせて頂くようになりました。

 持っている映画素材には限りがあるものですから、何度も同じところへ行くわけには
いきません。せいぜい二回か三回、先日お邪魔したところは三回目でした。昨年、お聞き
していた要望もあって、ついに、とっておきの長編映画を持って行きました。

 かつて映画と言えば活弁士や楽士がお馴染みでした。トーキーと言われる台詞や音楽が
吹き込まれた映画が世に出るまでは、映画館には活弁士がいて楽士がいました。

 映画に合わせて「ブンチャカ、ブンチャカ」と楽士が音楽を奏でていました。そして
活弁士が上映される無声映画の前で熱弁を振るったのです。映画と音楽、活弁士の語りと
お客さんとが一体となったとき、映画館の中は最高潮に達したそうです。

 先日、活弁口演を行った場所は二十人ばかりの小さな会場でした。施設の方に聞きますと
会場のあちらこちらではハンカチを手にした人が涙を拭いておられたそうです。そうです、
この日、演じたのは「瞼の母」というおなじみのお涙ものの映画でした。

 私たち夫婦は、男性の台詞、女性の台詞を分け合って演じています。言わば夫婦での
掛け合い漫才のようなものです。従って、二人のタイミングを合わせるのが難しく何度も
躓きながら練習を続けています。

 私たちは、いままさに消えていこうとしている、活弁士が映画説明やスクリーンの中の
役者達の台詞を語るという日本独自の「語りの文化」を少しでも長く残しておきたいと
微力ながらがんばっています。

 活弁口演のご希望があれば書き込み欄にその旨を書き込んで下さい。喜んで相談に
乗らせて頂きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かを得て何かを失う人生

2018-09-20 09:55:02 | Weblog
 今回の引っ越しで私の生涯の引っ越しは終わりそうです。住み慣れた借家であった家を出て
熊本へ就職したときが初めての引っ越しで、転勤で熊本の社員寮からから倉敷の社員寮へ
引っ越したのが二回目、結婚して倉敷の社員寮から隣接する社宅へ引っ越したのが三回目、
そして一戸建ての家を建てて引っ越したのが四回目でした。

 それから40数年間、住み慣れた家を出て、今のマンションに移り住むことになりました。
大いなる決断でしたが、この機を逃せば再びチャンスは巡ってこないと思い、思い切って
引っ越すことにしました。5月頃のことでした。

 そう言えばピースボートという船で地球一周の旅をするための契約のサインをしたのも
十数年前の5月のことでした。この時も今回と同じように、さしたる決断をしたわけでもなく、
気が付けば船に乗っていたといった状況でした。

 どうやら人生とは、そのようなものらしいと言うことが分かりました。人生は、さしたる
思いがなくても行き着くところへ行くものだという気がしています。それは川の流れに似ている
ような気がします。川の水は途中でどんな障害物にぶつかろうとも必ず海へ流れ着きます。

 人生も同じように、どんなに抗(あらが)おうとも結局は、その人なりの人生を歩むように
なっているのかも知れません。有名人の人生なども、成るべくしてなっていると言うような
気がします。

 初めから人それぞれの人生は大方決まっているのかも知れません。しかし、決まってはいても、
どのような人生なのかは誰にも分かりません。分からないから思い悩み、喜び苦しみ、泣き笑い、
人生はバラエティに富んでいて面白いのかも知れません。

 さて、今はマンション住まい。得たものがあれば失ったものもたくさんあります。私は高層階に
住んでいるのでベランダからの展望は抜群です。瀬戸内海が一望の下にあります。小さく四国の
街並みが見えます。背後には四国連山が見えます。児島の中心市街地が一望の下にあります。
風がよく通ります。ベランダ側の窓と入口側のドアや窓を開けておくと風が吹き抜けて行きます。

 その代わり以前の家のように自然を感じる事はあまりありません。小鳥たちの騒がしく鳴き
交わす声も虫が奏でる音も季節の移り変わりを知らせてくれる花や花が発する匂いも感じられません。
私は何かを得て何かを失ったようです。天は二物を与えずと言いますが、こう言うことなのかも
知れません。

 セキュリティは抜群です。ドア一つ締めれば安全は確保されます。心配なのは昨今の天災です。
風当たりの強い南側の窓は大きなガラス窓です。先の台風の時も大きく湾曲するのが良く分かりました。
そして何より怖いのは停電になった時です。エレベータが使えなくなると全てのことがお手上げに
なります。そうならないことを祈るばかりです。そのためには何らかの対策を講じておくべきかも
知れません。

 ともあれ移り住んで半年も過ぎてはいません。この先どんなことが起きるやら。まだまだ先には
色んなことがありそうです。私たちは誠に不安定な時代に生きています。どんな時代にも何かが
あるのが人の世なのであって当たり前なのかも知れません。また色んなことを経験できるのが現世
というものかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実は自分の目で

2018-09-17 16:37:11 | Weblog
 かつてサラリーマンの所得が増え始めた頃、百科事典ブームがやって来ました。中でも記憶に
残っているのは、ブルタニカという百科事典でした。出版元は外国だったようです。
 
 猛烈なセールスによって爆発的に売れ行きを伸ばしたようです。一軒にワンセットと言っても
過言ではないくらいの普及率だったのではないでしょうか。私も思わず手が出そうでしたが思い
止まりました。

 私はブルタニカの百科事典を買う代わりに日本の出版社が発刊した科学百科を買いました。
この百科事典も分厚い本で、幾らかは目を通しましたが、どこの家でもそうであったように
本棚の飾り物になってしまいました。

 このように何々百科などと言うものが次々に売り出されては消えていきました。今では誰も
見向きもしない本棚の厄介者になっています。そしてパソコンが普及した今、更にはスマホという
手の平サイズの万能機器が普及した昨今、百科事典の必要性はなくなってしまいました。スマホや
パソコンで検索すれば色んな情報が手に入ります。まさに情報の宝庫だと言っても過言ではないと
思います。

 その代わりネット上の情報の中には信頼性の薄いものも少なくないようです。さて情報は確かな
ものでなければなりません。科学百科に書かれていた情報も大きな変化はないものの、近年の著しい
発見や科学技術の進歩で書き換えられた部分も少なくないのではないでしょうか。そう、情報は
時々刻々と変化するものなのです。

 かつて人類は天体望遠鏡というものを手に入れ、宇宙と言うものの歴史を知りました。天井から
漏れてくる光のように思えていたものが、実は果てしない空間にある星という存在であることも
望遠鏡の進化によって大きな変化を見せました。

 望遠鏡の進化は、その初めから意図されていたかのように宇宙全体の謎を解き明かし、私たちの
意識にも大きな変化をもたらしています。そして新しい発見がある度に意識の変化は今も続いて
います。

 空に穴が空いていて、そこから光が漏れているように見えたような時代から、今は何万光年彼方
もの宇宙の姿を見ることが出来るようになりました。宇宙の観測技術は進化し続けています。
進化と共に新しい発見があります。

 そして気が遠くなるような137億光年の彼方には宇宙誕生当時の姿を見ることが出来るように
なりました。しかし、光の速度での137億年ですから、見ているものはもうとっくに消えている
ものなのかも知れません。今見えているのは過去の宇宙の姿、それがやっと今、地球に届いている
のです。

 と言われてもピンと来ません。真実は自らの目で確認したものでなければ確かなことは分からない
のです。特に時々刻々と変化している世界情勢は報道されているものを見聞きしただけでは本当か
どうか分かりません。

 ニュースソースの発信元(何々通信社)が意図して報道している場合があるかも知れません。
外国から入ってくる情報は数少ない特定の発信元が情報提供者という場合が多く、そうした情報は
日本の報道各社がお金を出して買ったものです。

 だからこそ現地で真実を確かめたいとフリーのカメラマンなどの活躍の場があるのだと思います。
情報提供者が、都合が悪いと思ったら、そのような情報は止めてしまいます。○また、多くの場合、
その国や地域に住んでいないと分からない「何か」があります。その「何か」が事件の背景になって
いることが少なくありません。そんな「何か」は、そこに住み続けてみなければ分かりません。

 このように真実と言うものはなかなかつかめないものです。人の噂や作り話に惑わされないように
真実を見極める確かな目を養いたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙規模の変化

2018-09-13 06:12:30 | Weblog
 明日が分からない。先には2018年の異常気象や大地震などいわゆる天変地異に
ついて書いてみました。

 いっぽうここ数年、我が母なる天体である太陽にも様々な変化が起きています。
それも周期的な変化という枠を逸脱するようなものです。

 太陽にも磁極というものがあるようですが、数年前に大きな変化がありました。
この変化がこのまま終わるのか、更に変化があるのか分かりません。

 太陽の活動状況を知る指標として、古くから観測されてきたものに黒点があります。
周辺域より黒く見えるところで、温度が低いところだと言われています。通常、数に
変動はあっても必ず存在するものとされてきましたが、ここのところ皆無に近いような
こともあるようです。

 そして今は、コロナホールという巨大な暗い場所が太陽表面全体に広がっています。
この部分も極めて温度の低いところだと言われています。このコロナホールが太陽の
全域を覆うように広がっています。

 太陽には11年周期という活動が活発な時とそうでない時が繰り返されてきました。
ところが、その周期に変化が起きています。

 今、太陽に何が起きているのでしょうか。肉眼で観測できませんので、私たちには
窺い知ることが出来ません。

 私たちの地球は、太陽風と呼ばれるもので常に宇宙線の影響から保護されています。
しかし太陽の活動が弱くなると太陽風も弱くなり、宇宙線の影響をより強く受ける
ことになります。

 雲は、最近の研究から宇宙線の影響を受けて発生していることが明らかになりました。
従って、大雨による被害が日本だけでなく他国にもひんぴんとして発生しているのも
単に地球温暖化の影響ばかりではなさそうです。

 宇宙線は放射線と同じように電磁波と呼ばれるものです。従って、他の放射性物質が
発する放射能と同じように体に大きな影響を及ぼします。極端なことを言えば、太陽風が
なくなったら私たちは宇宙線に直接さらされることになり、大きな健康被害を受けることに
なります。

 そして地磁気(地球の磁気)も年を追う毎に弱くなっています。地磁気がどんな影響を
及ぼしているのか、ゼロになったらどうなるのか、私たちは体験したことがありませんから、
想像もつきません。例え一瞬に過ぎないようなことであっても、きっと大変なことになる
のではないでしょうか。

 どうやら平穏な日々は遠いものとなりそうです。何度も書きますが、今から60数年前の
子どもの頃、変わらぬ季節があり、山河は豊かで新鮮でした。変わらぬ日々が永遠に続く
ような気がしていました。事実、太陽に変化が生じるとか、地球の地磁気が消えてしまう
などと誰が想像したでしょうか。それがやがて現実のものになるかも知れないのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激動の年

2018-09-12 05:14:24 | Weblog
 アキアカネが空を乱舞する季節になりました。このトンボ、暑い夏は高原の方にいて気温が
下がると低地に降りてきます。秋の風物詩の一つです。

 かつて、私の子ども達が幼かった頃の思い出です。琵琶湖近くに会社の健康保険の保養所が
ありました。そして保養所の近くに「びわ湖バレイ」という観光地がありました。

 ここは琵琶湖が一望出来る高原でした。いつも涼しい風が琵琶湖から吹き上げてくるような
ところでした。この風にのって数え切れないほどのアキアカネが乱舞していました。懐かしい
思いでの一コマです。

 さて長い夏が終わりました。とは言いながら日中は30度近くの時もあるようですが、
季節は確実に移り変わっているようです。

 今年ほど自然災害の多かった年はないのではないでしょうか。まさに天変地異。天皇が退位される
最期の年。平成30年、平成は今年で終わりです。激動の平成でもありました。

 今年を振り返ってみますと、いつになく長雨が西日本地方に洪水や山崩れ等の大きな被害を残しました。

 と同時並行のように次々と台風が襲ってきました。中には東から西に向かうような飛んだ
迷走台風もありました。そして台風21号は関西地方に大きな被害をもたらしました。関西空港が
機能不全になりました。

 そして地震も起きました。珍しく高槻を中心にして関西方面を襲った地震でした。そして北海道の
胆振地方に大地震。何と北海道では初めてという震度7でした。北海道全域が停電になってしまいました。

 こうした大きな災害が起きる度に大勢の人の命が奪われています。ここ倉敷の真備地域も大勢の
被災者と命が奪われました。天災の少ない岡山というのは迷信になってしまいました。岡山県は
倉敷だけでなく他の市町村も大きな被害を受けています。そして私の出身地である広島県の被害も
大きかったようです。

 どうやら私たちは激動の最中に生きているようです。2018年は最大の鬼門の年になりそうです。
そして肝に銘じておかなければならないのは、いつ誰の身辺にも何が起きるか分からないということ
ではないでしょうか。

○気候変動による大雨や台風の被害は、私たちの乱雑な消費生活が作り出していると言っても過言では
ないでしょう。二酸化炭素の排出による地球温暖化の問題です。温暖化は端的に海に現れています。
世界の漁業資源に大きな変動をもたらしているようです。瀬戸内海も似ています。

 私たちは、あまりにも水をおろそかにしてきました。少なくとも水道が普及していなかった頃、
水を使うことは簡単なことではありませんでした。深い井戸からくみ上げることは、井戸ポンプにせよ
釣瓶でくみ上げるにせよ全て人力でした。

 水道が普及して無尽蔵に水が使えるようになると水は垂れ流しになってしまいました。その上、
洗濯洗剤やボディシャンプーなどが普及すると排水の汚染が始まり、排水溝や川の汚染がどんどん進み、
影響は海にまで及ぶようになりました。赤潮や青潮などと言う聞き慣れない言葉が聞かれるようになりました。

 井戸のほとりには神様をお祀りし、いつも感謝の祈りを捧げていた、あの謙虚な姿はどこへ消えた
のでしょうか。今年もまだまだこの先に何があるか分かりません。どうか心して生きて行きたいものです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする