人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

未来への提言

2021-08-24 05:15:45 | Weblog
天災や新型コロナ、こんなことが動機かどうかは分かりませんが、
かつてないほどに人の流動化が始まっているように感じています。
先日もある県から開放的な海辺の町に住みたいと
下津井シービレッジプロジェクトを訪ねて来てくれた人がいます。

また、理由は様々ですが東京や茨木など関東地区方面からの
移住者も増えています。

東京や東京周辺部に日本の人口の1割以上が住むと言うのは
健全な姿だとは思われません。
東京一極集中と言うことは、良い部分と悪い部分を比較すると
圧倒的に悪い部分の方が多いと思います。

今は未だ懸念材料に過ぎませんが、この地域で大地震が発生したら
多くの死傷者を出すことは間違いありません。

今回の新型コロナでも病院の収容能力を簡単に超えて
しまうようなことが起きています。

東京都や国は自宅療養等とナンセンスな事を言っています。
完全に患者の見殺しと変わらないことをやらざるを得ない
状態になっています。インフルエンザではないのです。

地方が次第に過疎になって行く半面、都会へは人が集中する。
そのために都市のインフラが追い付かないような状態にも
なっています。

もっと広く余裕をもって日本列島を活用したいものです。
都市機能を移すには最適な場所が岡山県にはあります。
有名な作家さんが同じようなことを述べておられますが、
私も早くから吉備中央町の活用を考えていました。

吉備高原一帯は古来より断層が少なく、強固な地盤に
支えられているようです。
ここへ首都機能を移転する。

岡山空港はこの地域の一角にあります。
そして中国自動車道と山陽自動車道も近くを走っています。
その他の交通手段は既成の鉄道網だけでなく
岡山市や倉敷市を結ぶ鉄道を敷設する。それだけで広大で
盤石な土地を活用できるのです。

おまけに四国山脈と中国山地に挟まれて台風などの天災も
少ないと言う、これから更に気候変動が危惧される中にあっては
有利な条件を備えています。

また、農産物にも海産物にも恵まれています。
このように様々な条件を満足できるような場所は
なかなかないと思います。
一日も早く政治的な決断をすべき時です。

第二の関東大震災や富士山の爆発など、いつ起きても
不思議ではない状況にあるからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まん延防止等重点措置が我が町にも

2021-08-23 06:21:17 | Weblog
とうとう倉敷市は「まん延防止等重点措置」の対象区域に
なってしまいました。
緊急事態宣言並みの対応が必要とのことのようです。
公民館や観光施設など公的な施設は、一様に緊急事態宣言時の
ように9月12日までは活動停止となるようです。

そんなわけで玉島北公民館で予定されていた私たち夫婦の
活弁も中止になりました。
残念なことではありますが、仕方がないことです。

何かと番狂わせな新型コロナですが、ものがウイルスだけに
これからもどんな変化を見せるのか分かりません。

何年か、あるいは何十年か先には全容も明らかになって
行くのでしょうが、当面はオロオロ、ウロウロするばかりです。

この感染症が十年前に発生していたとしたら対応も
大きく変わっていただろうと思います。
第一にコロナウイルスに対するワクチン、特に今回使用した
遺伝子操作を行ったワクチンなどはなかったと思いますから、
あたらワクチンに頼りすぎることはなかったろうと思われます。

この新型コロナ対策ワクチンはmRNAワクチンと言いますが、
従来型のワクチンとは大きく異なっているようです。

懸念されるのはADE等と聞きなれない言葉を使われているように、
体内では謎の現象が起こる可能性のあるものだと言われています。

これしかないからこのワクチンに頼る、良く分かりますが
本当にそれで良いのでしょうか。
その疑問があるが故に、日本だけでなく諸外国でもワクチンを
拒否している人がいるのです。

かくゆう私も疑問を抱く一人ですが、今も続けている活動上
止む無く一回だけ受けました。

しかし、三回目の接種が必要だと言われ始めているような
ワクチンをたった一回接種しただけで効果はあるのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚座から水瓶座の時代へ

2021-08-22 06:21:17 | Weblog
8月21日、早朝、まぶしいばかりの太陽が顔を見せました。
一瞬だけ見せて、今は雲の中です。
昨日の夕食時にはアーチ形の大きな虹かかかっていました。
きっと直前まで降っていた雨粒に西に傾く太陽の光を受けて
虹色に輝いたのだと思います。

とにかく、ここのところ普通だと思うようなことが
少なくなりました。
「従来になく・・・」という表現が当たり前になるほどの
異常気象が世界各地で連続しています。
そして異常気象に伴い世界的な食糧不足が懸念されています。

また天体の動きにも変化や異常が見られます。
今は天の巡りが魚座から水瓶座に移ったところです。
女性のようなナイーブな優しい時代が到来すると言われています。

ご存じのように魚座の時代は物質的なものに溺れ、
戦争や抗争に明け暮れる激動の時代でした。
男性の時代とも言われて来ました。

今は、魚座から水瓶座に移るために乗り越えなければいけない
試練の時なのかも知れません。

ともあれ新型コロナ騒動や環境問題に起因する様々な問題が
次々に難題となって解決を迫っています。
この時代をどの生き抜くのか、それぞれの人間性の真価が
問われる時代です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏

2021-08-20 05:52:41 | Weblog
8月も残り少なくなって来ました。
異状とも言える夏がやがて終わろうとしています。
台風9号が過ぎ去った後、秋雨前線が停滞しているとかで
連日のように大雨が降っています。
ここのところ列島のどこかで線状降水帯が発生し
各所に大雨による被害が出ています。

今は稲の穂が出て花の咲く時期なので、
今年の収穫高に影響はないのだろうかと心配です。
世界的な食糧危機が懸念されています。

その上のコロナ、コロナです。
いささかこちらの方もコロナ疲れと言うところでしょうか。

病床が足りないので自宅療養とか、自宅療養中に亡くなる人も出ています。
ワクチン接種を二度受けたが、それでも感染したとか。
いささか耳を疑いたくなるようなニュースが流れています。

そんなわけで一つの感染対策に三度目のワクチンなどと言う話も出ています。
ただでさえ問題があるワクチンを三度も注射するなど考えられないことです。

諸外国の中には、たった一人の患者が出ただけでも
ロックアウトをするとか、他に打つ手はないような
パニック状態が続いています。
もはや医療崩壊の前に、どこの国も政治が機能していないような状態です。

一方、一時はどうにもならないほどお手上げ状態だった
インドでは、イベルメクチンと言う寄生虫の特効薬が
画期的な効果をもたらし感染者が激減したとか言われています。

ところが、あまり噂にならないのは何故でしょうか。
副作用も聞いていません。日本でも使用してはどうかと言う
議論の対象にはなったようですが、その後を聞いていません。

副作用がないのなら何故使おうとはしないのか?
様々な副作用が懸念されるワクチンより、よほど良いのでは
ないでしょうか。

じわじわと子供たちの間にも感染が広がっているようです。
夏休みが終わったら、感染が一気に広がる懸念もあります。

イベルメクチンは買いました。たんぽぽ茶も飲んでいます。
ワクチンは一回だけ受けて、家内にひどい症状が出たので
二回目は止めました。ワクチンや感染後の人の中でADE等も
懸念されています。何故こんなことが起きるのでしょうか。

ワクチンに付いては本当に有効なのか、今一つ信じられないのです。
何年か先に「どんでん返し」のようなことが起きなければ良いのですが。
どうもこのウイルスは、エイズウイルスと同じように
一筋縄ではいかないようです。

自己免疫を高めるための納豆など発酵食品はたくさん食べています。
自分で出来ることは出来るだけやっています。
それでも感染したとなると、それまでの寿命だと
覚悟せざるを得ないです。

畑仕事は過酷な水やりからは解放されました。
その代わりこの長雨で夏野菜は一気に終わってしまいそうです。
昨年は遅くまで収穫できたトマトでしたが早々と
終わってしまいそうです。

なすびは枝を切り戻して秋ナスを期待しています。
キュウリの種を蒔きましたが、先端の芽を摘んだのが
良くなかったのか、未だに3本収穫したのみです。

安政柑は実太りが良く、重さで垂れた枝の支柱が必要になりました。
実の姿が見えなかったスイーティが5個実を付けています。
夏みかん、八朔、橙は成長が良く、実が例年のように
たくさん付いています。
スモモの黄色い実の方は葉が秋の黄葉ようになっています。
キウイはオスの木の方が繁殖しています。
メスの木の方は実が一個付いているだけです。

せっかくたくさん実がついたブルーベリーは全部の
収穫が追い付かないままに長雨になってしまいました。
未だに木に着いたままです。このままですと収穫できない
ままに終わってしまいそうです。取れすぎるのも考えもんだと
贅沢なことを考えています。

いずれの果樹もここ数年の夏場の水不足が影響し
枯れたもの、枯れそうになるほどに弱ったもの。
様々ですが、自然相手なのでどうしようもありません。
そういったことからすれば、ここ数日のまとまった雨は
天からの恵みと言うほかはありません。感謝です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西日本豪雨を思う

2021-08-19 05:54:50 | Weblog
振り返ってみれば今から3年前、私達夫婦が思い切って
このマンションに引っ越した年のことであった。

このマンションの正式な引き渡し手続きが行われたのが、
その年の5月で、場所は中国労働金庫水島支店だった。
実はこの日も大雨が降っていた。

このマンションは築10数年を経ており、たまたまその年が
大改修の年であった。
それまで知人が住んでいた中古マンションであったが、
外壁などの共有部分は全て塗装などの改修工事が行われた。
いわば外回りだけはリニューアル途中のマンションであった。

別にリニューアルを期待していたわけではなかったが、
おまけのようなものであった。

ベランダからのロケーションは最高ですよと言うのが、
前に住んでいた知人の自慢であった。
確かに11階からの眺めは素晴らしかった。

しかし残念なことに入居してもしばらくは工事が続き、
工事用の足場が組まれており、工事用のネットも張ってあり
外の景色は良く見えなかった。

この工事用のネットが一日も早く取り除かれ、視界を遮る
もののない状態で外の景色を眺めるのが楽しみであった。

実はこの年は岡山県にとって最悪の年であった。
晴れの国が自慢であった岡山県では珍しく大雨の日が続いた。
ただでさえ工事用のネットで鬱陶しいのに来る日も
来る日も雨であった。

中断された改修工事、その工事用ネットを伝って
幾筋もの雨が流れ落ちていた。
こんなに降るのは珍しい。
そう思っていたら真備町一帯の大洪水であった。

この年は真備町以外にも広島県や岡山県内でも各所に
おいて大きな被害が出ていた。

そして今、向かいのマンションが、このマンションの
改修工事に遅れること三年、高い足場が組まれ、
工事用のネットが張り巡らされている。

向かいのマンションとこのマンションは相次いで建てられた。
同じ会社によって建てられた姉妹マンションである。
そして今は別の会社が管理会社になっている。

向かいのマンションが改修工事にかかろうかと
言う今年の8月、まさに三年前と変わらぬ大雨、
何かの因縁か。

いま私は、向かいの工事中のマンションを眺めながら、
過ぎ去った三年前を思い出して感慨に耽っている。

調べてみると令和3年から遡ること令和2年、令和元年、
そして平成30年とここ数年、繰り返し毎年のように
どこかで大雨による被害が出ている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癒しの旅

2021-08-18 05:31:21 | Weblog
私の知り合いの女性二人は今も旅をしています。
癒しの旅です。
その二人に来て貰い「癒しの体験会」を開催しました。

良い機会でしたから大勢の人に呼びかけて来て貰いました。
癒しには楽器を使います。
叩けば深淵なる音のするガラスの楽器です。
また、もう一つは弦楽器で多数の弦が張られています。
こちらの弦楽器も聞いたことのない不思議な響きを持っています。

その他の楽器も使うようですが、心を癒す楽器はこの二つです。
癒しを受ける私達は床にマットを敷いて横になります。
目をつむり楽器の演奏に耳を傾けます。

楽器の演奏をしている二人の女性は、ある日、突然の閃きを受け
こうした楽器を購入し、以来演奏を続けているそうです。

二人の女性には宇宙語が降りて来るそうです。
聞いても意味不明の言葉ですが、二人には良く分かっているそうです。
二人の語る言葉はそれぞれが宇宙語ですが、全く異なっています。
異なる星からの宇宙語だそうです。

彼女たちが語るには私の前世は宇宙軍の戦士だったようです。
正義を貫くために他の星で闘っていたそうです。
従って、この世に生まれ変わってもなお正義感が強いのは
その頃の名残だそうです。

人間には心に感じる心地よい周波数の音があると言います。
私の体験では癒しとか何かが劇的に良くなったということは
ありませんでしたが、長く苦しめられてきた湿疹が暫くして
次第に良くなり始めました。
因果関係は分かりません。

彼女たちの出張先では数々の奇跡のような出来事が
起きているそうです。
満更作り話ではなさそうです。
第一そんな嘘をつくような人ではありません。

ユーチューブで宣伝していて、来てほしいと言う
要望があれば出向くそうです。
そうして全国津々浦々、いったん出かければ月の内の
半分くらいは出張しているそうです。
癒しを求めている人、心の病を抱えている人も多いようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの世とこの世

2021-08-15 06:04:30 | Weblog
今日はお盆です。
そして太平洋戦争の終戦記念日です。
そんな日に先祖供養をしながら、こんなことを考えてみました。

あの世とこの世の境には三途の川が流れているそうです。
幼い頃からそう聞かされて大きくなりました。
死に損なった人の中には、暗いトンネルだのお花畑だの
三途の川と言った様々な経験談を語っています。

私たちの多くは、人生は一度切りだと思っています。
本当にそうなのでしょうか?
一度切りの人生だとは言いきれないし、
反対に生まれ変わりもあるとも言い切れません。
肯定も否定も五分五分なのです。

ちなみに仏教では輪廻転生を語っています。
特にチベット仏教では輪廻転生の中で
必ずしも人間に生まれるとは限らないとも言っています。
畜生道もあるそうですから。

人生は修行の場だと言う人がいます。
本当にそうなのでしょうか?
これは人間の悪行に対しての戒めだとしか思えません。
私は修行の場だとは思いません。
何故、修行しなければならないのか、
その理由が見つからないからです。

この世に生を受けた理由はただ一つ。
ゲームのように現実(現実に見えるだけの虚構の世界かも)を
楽しむためのものではないかと思っています。
人生をゲームのように楽しむ・・・。

それでは、あの世とはどんなところでしょうか。
想像してみるに何もかもが満ち足りた世界。
苦労や苦しみや悲しみ、果ては喜びさえもない世界。
言い換えればこの世とは正反対の無味乾燥な世界。
それだけに何の楽しみも面白味もない。

そこで人間は、悩んだり苦しんだり喜んだり悲しんだり
そんな刺激を求め、この世を選んで生まれてくる。

生まれる時間も場所も自分で選んで生まれてくる。
その時に選んだ記憶は全てリセットされる。
以前経験したことのある世界とは
比較できないようになっている。

全ては赤ちゃんの状態からスタートする。
全ての経験は初めてだから面白い。
生まれた場所も時間も環境も全て異なるから面白い。
白紙の状態だから何もかもが新鮮だ。

望めば幾らでも新しい経験が出来る。
人生ゲームは尽きない。
私達は五欲を満たすために、ひたすら走り続ける。
そんなことを想像しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

季節を知らない野菜たち

2021-08-14 05:24:08 | Weblog
スーパーマーケットに行くと色んな野菜が並んでいます。
パプリカと言うピーマンに似た野菜には
赤や黄色の色鮮やかなものがあります。
かつてはあまり目にすることのなかった野菜です。

季節の野菜としてはキュウリやトマトやなすびなど。
そんな中に早々とマツタケが置かれていました。
今時珍しく量り売りと書いてありました。
重さで価格が決まるようです。

こうして季節を問わず多くの野菜が並んでいるのですが、
多くの野菜に本当の季節が無くなってしまいました。
冬でもスイカはあります。
キュウリもトマトもなすびもあります。
これら多くの野菜が温室で栽培されています。

しかし温室栽培の野菜にどんなに形よく、
色よいキュウリやトマトであっても
あの夏野菜特有の味や香りがほとんど感じられません。

いつも不思議に思うのですが、自家栽培で収穫した
キュウリの味と香りの良いこと。
トマト特有の甘みと酸味、こうした野菜本来が持っているものが
どうして感じられないのでしょう。
実に不思議なのです。

確かに、水を控えめにした特殊な方法で栽培した
トマトの中には甘みの強いものがあります。
しかし価格が高く、数量も少ないようです。

大量に売られている大きなトマトは、色は赤くて
奇麗なのですが美味しくないのです。
わざわざ買って食べようとは思いません。
買うとしてもせいぜい彩(いろどり)に添える程度のものです。

でも農家でない人や家庭菜園がない人は、
これが当たり前だと思って買っているのだと思います。

今年も我が家の畑ではキュウリやトマトが思いの他たくさん採れました。
今もトマトもなすびもピーマンもそしてインゲン豆も採れています。
枝豆もたくさん収穫出来ました。
遠く離れた娘や息子のところへ畑で採れたおすそ分けを
何度も送っています。
知り合いの家からも我が家で作っていないものが届きます。

こうして今年の夏も季節の野菜が食卓を飾って来ました。
一方、お店では季節を知らない野菜たちが幾つも並んでいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナは何をもたらすのか

2021-08-13 05:36:15 | Weblog
98歳になると言う高齢の女性の蘊蓄のあるお話を聞きました。
太平洋戦争前後を通じての経験談です。

「欲しがりません、勝つまでは」は、太平洋戦争中の合言葉でした。
戦争に多くのものが注ぎ込まれ、食べるものさえ十分ではなく
大人も子供もいつも飢えていました。
戦争さえ終われば全てが良くなる。
また元のような生活が戻ってくる。
ひたすらそれだけを胸に耐えてきたようです。

しかし、戦争が終わって見れば全ては様変わりしてしまい
元のような生活は戻っては来ませんでした。
戻って来ないどころか、人の考え方も価値観も大きく
変化してしまったのです。全てことが様変わりしてしまったのです。

おまけに多くの都市が空襲にあって住む家さえないような状態でした。
鬼畜米英と呼んでいた連合軍が進駐し日本は占拠されたのです。
戦時中のものの考え方は裏と表が入れ替わるほどに変化し、
それまで威張り散らかしていた軍人たちは影を潜めてしまい、
中には自分とは関係ないと言わんばかりに知らん顔をする人も。
戦前や戦中のことは過去のものとなってしまったのです。

農地改革は進み、大地主は居なくなってしまいました。
教科書は変わり、学校教育も大きく変化しました。
軍国主義的な教育は180度方向転換をして民主教育に変わりました。
憲法は天皇陛下を中心とする明治憲法から
基本的人権を元にした平和憲法に変わったのです。

その後、戦後を生きた人達は多くを語ろうとはしませんでした。
中には嫌な時代のことは意識的に忘れようとしている人もいたようです。
こうして今を耐え忍びさえすれば次の新しい時代がくる。
ひたすら耐えて生きて来たのにほとんどの事は幻想に過ぎなかったようです。
そもそも思い描いた次の時代がどんな時代だったのか。

さて今回の新型コロナ騒動は爆弾の雨こそ降らないものの
みんなの心の中には早くコロナ騒動が終息し、コロナ前の自由が取り戻したい。
そう思っていると思います。

コロナ前は、お金さえ出せば何でも手に入るような時代でした。
行きたいと思うところは、どんなに遠くても、あるいは僻地でも
行くことが出来ました。
・・・あの時代はどこに行ってしまったのでしょうか?
それらの事は、一昨年や二年前のことであっても、
何かしら遠い日の幻のように思えてきます。

このコロナは人と人とを遠ざけ、国内外の行き来を
閉ざしてしまいました。
お金が幾らあっても簡単には使えないような状態です。
芸能人やミュージシャンは仕事がなくなって困っています。
多くの楽しみが奪われてしまいました。
多くのことが更に変わろうとしています。
それらは目に見えるものだけでなく、心の中まで変化させています。

太平洋戦争後の状況が大きく変化してしまったように
コロナの前とコロナの後では大きく変化しようとしています。
その変化はこれからも続きます。どんな変化が待っているのでしょうか。
国はそんな権限を持っていたのかと思うほどコロナを人質に
専制的になっています。
民主主義も基本的人権もコロナの前にはひとたまりもありません。

さあ、次の時代はどんな時代になっていくのでしょうか。
次の時代は既に始まっているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックからパラリンピックへ

2021-08-11 04:22:05 | Weblog
二週間にわたる東京オリンピックが終わりました。
オリンピックの旗は東京都知事からパリの市長に渡りました。
過ぎ去って見れば、あっという間の二週間でした。
懸念された新型コロナの感染拡大は一進一退の状態です。
このまま治まってくれれば良いのですが。

それにしても望んだこととは言え、日本が開催国になった
年に、このような因果な病気が流行するなど、どこまで
不幸な国なのだろうかと思う。
また、逆に考えれば日本だからこそ実施することが
出来たとも言える。やはり定めというものはあるのだろうか。

人間とは実に現金なもので、始まるまではオリンピック
など今更と思っていましたが、いざ始まってみると
一生懸命応援している自分がいました。
ましてや知り合いが出場しているとなると猶更の事で
ありました。

選手の皆さんにとっては1年待たされ、待ちに待った
オリンピックだったのだと思います。
それは獲得したメダルの数に現れています。

また、メダルには届かなかったものの、惜しい試合も
少なくなかったように思います。

アスリートの皆さんには、まずはご苦労様とその労を
ねぎらいたいと思います。

今回のオリンピックには悲壮感がありませんでした。
特に十代の若い選手の皆さんは、先のオリンピック時代
とは人種が異なるのではないかと思えるくらい、気持ちが
軽く、言葉だけでなく心から競技を楽しんでいるように
思えました。

特にスケートボードの協議では本来はライバルである
はずの選手たちが失敗した選手のことを気遣って
駆け寄る姿を見て、これこそがスポーツの良さだと
感じました。

こんなシーンは他にも数多くありました。
これこそが国境を越えた真の人類の姿だと思います。
最早、かつてのように国威発揚だとか国家間の
競争のためにオリンピックが、あるいはスポーツ競技が
使われる時代は終わったのだと感じました。
ましてや薬物を使ってまでメダルを狙うなど愚かなことだと
言う他はありません。

かつて日本選手は緊張のあまり、実力はありながら
良い成績を残すことが出来ない時代がありました。
しかし、今回出場した多くの若者たちが心から競技を
楽しんでいるように見えました。
人種が変わったのかと思わせるような今の若者たちに、
心からエールを送りたいと思います。

コロナ禍と言う最悪の状況の中でのオリンピックでは
ありましたが、良いオリンピックだったと思います。

さて次はパラリンピックです。こちらも何事もなく
明るい競技大会であって欲しいと願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする