人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

久しく書かぬ間に

2010-07-21 17:23:02 | Weblog
 ブログに久しく触れぬ間に日々は過ぎていく。梅雨が明けて一挙に
気温が高くなり、連日30度を大きく上回るような日々が続いている。

 それにしても、日中のこの静けさは何だろう。例年なら梅雨明けと
時期を同じくしてうるさいほどの蝉の声が聞こえ始めるのに、今年は
単発にしか聞こえてこない。それも大半はツクツクホウシである。

 あの騒がしいクマゼミやアブラゼミ、ニイニイゼミはどこへ行って
しまったのだろう。まだ、蝉が出て来るには早い時期なのだろうか。
余りにも静かすぎる家の周辺に不気味ささえ感じてしまう。

 スモモの季節が梅雨最中に始まり梅雨明けとともに終わってしまった。
先日は早くも桃を収穫した。少し固い桃が多かった。次は白鳳である。
白鳳が終わると桃の王様とも言われている清水白桃となる。

 どういうものか我が家の桃は早生でもないのに収穫が比較的早い。
土地と何らかの関係があるのだろうか。それは桃だけでなく枇杷等
も同じである。

 環境問題の出前授業や講座、活弁口演やそれに関する打ち合わせや
取材と実に慌ただしく日々を過ごしている内に夏風邪を引いてしまった。
妻の方が数日早く、私が19日頃から同じ症状となった。

 やっと昨日、今日になって熱も下がってきたようで、気分も少し良く
なってきた。今回は医者にも行かず、買い置きの漢方薬だけで治した。

 これも私なりの挑戦であった。薬には頼りすぎまいと言う考えから
である。本来、人間には免疫力がある。免疫力とは発熱もその一つ
である。発熱は体温を高くして細菌を殺そうという人間に備わった
働きの一つである。

 その働きを抑えているのが熱冷まし、詰まり解熱である。熱が高いと
かなりきついのだが自分の快復力を信じて今回は抗生物質も解熱剤も
服用しなかった。

 抗生物質を飲めば治りは早いのだが、代わりに抗生物質によって
胃腸内の細菌バランスを壊してしまう。それによって食欲がなくなり
体力の回復を遅らせることになる。薬に頼りすぎるリスクは大きい。

 私を含め日本人は薬好きだと言われている。その薬好きが製薬会社を
成長させてきた。今、抗生物質の効かない菌が増えつつある。いわゆる
耐性菌である。こうなると菌と新薬の追いかけっこである。

 製薬会社にとっては願ってもない状況が生まれている。人が他の動物
と同じように薬などと言う手段を持たなかった頃は自分の持つ免疫力や
快復力に頼るしかなかった。他の動物は今も同じような状況にある。

 薬に頼りすぎると言うことは、こうした免疫力を弱らせてしまうのでは
ないだろうか。また、免疫力のバランスを欠くようなアレルギーと言われる
病気も増えている。

 人は病と向き合うことによって、得たものも大きいが失ってきたものも
少なくない。ともかく今回は幾つかの会合や行事などをキャンセルしたが
体にとって、またとない休養であった。世の中は私などの存在がなくても
何事もなかったように過ぎていく。そのようなものである。
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サーカスが街へやってきた

2010-07-12 05:33:02 | Weblog
 久々にサーカスが岡山にやってきた。木下大サーカスである。このサーカス
は地元岡山がホームグラウンドだそうである。

 小学生の頃、サーカスが来たら学校から集団で見物に出かけた。それも
神辺から福山の中央公園までの長い道のりを徒歩で出かけた。貸し切り
バスはあったかも知れないが、とても借ることの出来ないような貧乏な
時代のことであった。

 行きはともかく、帰りは疲れてしまい大変だったのではないだろうか。
しかし、サーカスで見た幾つかのシーンは覚えているのに、行き帰りの
ことは、ほとんど何も覚えていない。子ども達にしては遠すぎるほどの
距離だったはずなのであるが。

 子どもの頃サーカスと言えば、叱られるとサーカスに連れて行かれると
脅かされたものである。サーカス芸人の多くは何らかの事情があって、
サーカスに身を置いていると信じられていた時代の事である。

 美空ひばりの「越後獅子の唄」にも歌われているように、芸がまずいと
親方さんに撥で叩かれ叱られる。そんな世界のことを、いつも想像して
いて厳しく辛い世界のことだと信じていた。

 事実、よほど運動神経の優れた人でなければ空中ブランコなど単なる
努力だけで出来るものではないだろう。世の中全体が貧しく暗い時代で
あっただけに、サーカスは一見華やかに見えても辛く悲しいところだと
思い込んでいた。

 だからこそピエロのおどけたしぐさの中に悲しさが見えたのかも知れない。
そんなサーカスも今は随分と変わってきたようだ。あの華やかな世界が
好きで入団する人も少なくないようである。

 また、シルクドソレイユ等という世界的な規模で活躍している集団も
ある。これらは単なるサーカスと言うより、まさに舞台芸術と言った
世界ではなかろうか。

 さて、木下サーカスと言えば子ども達にも思い出多いサーカスである。
長女が保育園に通っていた頃のことだっただろうか。私が連れて行った
事がある。

 その時、幕間にピエロが風船を売り歩いた事があった。長女は買って
欲しいのに、それが言えなくてもじもじしている内に売り切れてしまった。
それがよほど悲しかったのか泣き出してしまった。何とか慰め、帰りに
代わりのものを何か買ったのだが諦めきれなかったようである。

 サーカスの話が出るたびに、その時の話が出た。そして大人になって
再び二人で行く機会があった。また、その話が出て、よし、それじゃあ
今日こそは買うことにしようと言って大笑いをしたことがある。

 今は懐かしくほろ苦い思い出である。サーカスが街にやってきた。
今回は岡山の操車場跡地、岡山ドームの横で開催されている。一段と
グレードアップした世界規模のサーカスだとの事である。
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梅雨最中

2010-07-11 06:39:36 | Weblog
 昨今のお天気を異常気象と言うのであろうか。最近では異常気象が
どのようなもので、正常と言えるものが、どのようなものなのか区別が
付きにくくなってしまった。

 それほど、年を追う毎に従来経験したこともないようなことが頻々と
して発生するようになっている。

 それは天候ばかりではなく、人間社会にも共通して言えることのようで
異常とも思えるような事件が少なくない。気象異変と人間の行動との間に
何か共通するようなものがあるのだろうか。あるとすれば、それは一体
何に起因するものなのだろうか。

 一昨日、昨日、夜になると窓を開けたままにしておけないほど寒い。
一般的に梅雨寒などと言うけれど梅雨寒なのだろうか。この気温の低さ
が、一方では大雨をもたらしているようだ。

 寒い空気に向かって温かく湿った空気が太平洋から次々に流れ込み
ここへ梅雨前線が発達して大雨を降らせているようだ。岡山県の県北では
豪雨とともに突風が吹いて死傷者を出している。

 我が家の畑ではトマトが熟れ始めた。キュウリは気温が上がるまで
なかなか脇芽を出さなかったが、ここのところ適当な雨と日中の気温上昇
で盛んに脇芽を伸ばしている。

 お陰で毎日食べきれないほどのキュウリが出来ている。近所の畑でも
同じようで食べないかと声を掛けて貰うのだが丁寧にお断りしている。

 我が家にスモモは二種類あるが大石早生が終わり、次のスモモも
やがて終わろうとしている。スモモの収穫期は桃と同じように短い。
短期間に集中する。特に梅雨時期でもあり気温も高い。この品種は
非常に腐りやすく、多くが腐って落果している。

 それでも小家族では十分すぎるほどの収穫量である。やがて早生の桃が
食べられるようになるだろう。まだ、青い桃を食してみた。香りは最高、
かすかに甘い。

 冬場の省エネ対策のため居間や台所の窓をペアガラスにした。ついでに
長年の課題でもあった居間の改造も行った。お陰で明るくなった。

 年を取って一番に感じるのは目の衰えである。明るくなければ見えない
見えにくいものがたくさんある。眼鏡をはずして目を近づけてみて初めて
若い頃は、全てがこんなに鮮明に見えていたのかと驚くことが多い。

 さて、予定していた活弁口演や環境に関する出前授業など、わずか
ずつながら消化している。この先も次々に予定が入っている。問い合わせ
も少なくない。忙しいながらも充実した日々を過ごしている。

 外へ出ていく予定もなくお天気の良い日は畑仕事、よほど暇なときは
パソコンに向かっている。晴耕雨読の毎日である。大過なく過ごせる日々
に感謝しつつ年を重ねている。

 今日は参議院選挙の投票日である。どんな結果になるのだろうか。一日
も早く安定した政治が行われ安心して暮らすことが出来るように望んでいる。
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