ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

盆堀林道から今熊山へ、腰のリハビリと野の花観賞1/2 ――― 花を愛でながらの林道歩き

2015年05月18日 | ハイキング/奥多摩

2015/5/5  前回の山行でS子が腰を痛めました。GWには2泊3日くらいで雪の残った春山へ行くつもりでしたが、見送らざるを得ません。珍しく家でぼんやりと過ごすGWです。

とは言え、少し腰の調子が戻って来ると、じっとはしておれません。腰に対する負荷は少なく、でもそれなりの距離は歩きたい。激しい高低差(アップダウン)は腰への負担が大きいからです。と言うわけで、こういうケースでない限り絶対に選ぶはずもない"林道歩き”をすることとなりました。

選んだ林道は盆堀林道。正式には「林道 盆堀線」と呼ぶそうですけれど、盆堀(ぼんぼり)林道でいいでしょう。
この林道は盆堀川の流れ沿いに通っています。今日のような暑そうな日にも少しは涼しいはず。それに歩き始めは標高200mで、徐々に標高を上げ、最後に林道を離れる場所では標高600mになっているのです。そこからすぐのこの日の最高到達点、刈寄山が687.1mですから、アプローチというよりも、登山ルートと言った方が適当です。


▲シャガですね。日陰で地味に咲く花、そんなイメージを抱いている方が多いのかもしれません。でも、見てください。結構明るくて派手な花なんです。9:19ころ。
ネットで調べてみると、学名は Iris Japonica です。アヤメの仲間だというのは分かりますが、Japonica だから日本の固有種かと思いきや、中国原産なのだそうです。
また、三倍体だとかで、種子ができないそうです。ですから、日本中のシャガはすべて同一の遺伝子を持っているわけですね。当然、自然に繁殖したのではなく、人為的に繁殖地が広がったんだとか。身近なシャガにも不思議がたくさんあるのですね。


▲ハルジオン(春紫苑)だと思います。9:22
これも改めて調べてみて、「ハルジオン」だと分かりました。つまり、「ハルジョン」とか「ハルシオン」とかではないのです。僕もあやふやにしか覚えていなかったものですから。
似た花でヒメジョオン(姫女苑)がありますが、これも僕は「ヒメジオン」、「ヒメジョン」などと呼んでみたり、いい加減だったのです。
それにしても非常に似た花なのに、どうして微妙に異なる呼び方にしたのでしょう? 「ハルジオン」と「ヒメジオン」。あるいは「ハルジョオン」と「ヒメジョオン」。こんな風にすっきりと命名できなかったんでしょうか?
ヒメジョオンが明治時代に日本に入って来た時、本当はヒメシオン(姫紫苑)と命名したかったのだそうですが、すでに同名の花があったんだそうです。そこで、シ(紫)をジョ(女)に代えた「ヒメジョオン」にしたのだとか。「ハルシオン」さんに名前を譲ってもらえば良かったのに。


▲ジシバリ(地縛り)だと思います。僕はジシバリで覚えていますが、正式和名はイワニガナ(岩苦菜)と言うのだそうです。9:34ころ。


▲頭上に送電線が近づいて来たころ、道路の左に山道の入り口が現われます。篠八窪尾根の末端です。9:35ころ。
ずいぶん昔、大怪我をしたS子のリハビリ山行を繰り返していた時に、この尾根をここから登ったことがあります。この入り口には看板が掛かっていて「ここから刈寄山へは登れません」と書いてあるのです。僕はこの看板の文句は登山者を登らせないようにするための脅し文句に違いないと確信、「登れるんだ」「山道が続いているんだ」と考えたのです。
でも、本当に登れませんでした。途中で尾根が消えているのです! 本当です! 
上部に採石場があって、数百メートルにわたって尾根がごっそり削り取られてしまっているんです。


▲小宮神社がありました。古来よりこの土地の産土神(うぶすながみ)のようで、道路沿いの鳥居にも「村社」と書いてあります。中世、このあたりを小宮氏が支配し、この神社の北の山頂には戸倉城(小宮城)もあります。古くて、土地に根差した神社なのでしょう。
狛犬のようなものもありますが、獅子ではありませんし、狼にしてはちょっと変です。どう見ても狐ですね。ネットで調べてみると、写真のこの狐は左手で鍵を持っているのだとか。もう一対の狐は宝珠を持っています。9:40ころ。


▲最下流の盆堀集落です。9:42ころ。


▲クサノオウ。9:45ころ。


▲車のことはまったく無知な僕です。でも、いかにもアメ車っぽい車が道路際に廃棄してありました。ポンティアック(PONTIAC)と書いてあります。ネットで調べてみると、GMの車でスターチーフ(Star Chief)の Secand generation に似ています。1955~1957年の車のようです。9:47ころ。

 
▲ノリウツギだと思います。糊空木と書き、むかし和紙を漉く際の糊としてこの木の樹液を利用したのだそうです。9:48ころ。


▲慰霊塔が立っていました。「天正十八年」とあるので古そうです。調べると、1590年とのこと。僕が読める漢字を並べてみると「天正十八年戸倉〇〇 合戦盆堀〇戦没者 慰霊塔 黙〇〇書」とあります。
どうやら豊臣秀吉が小田原攻めの際、1590年に八王子城攻めをし落城させています。それに伴って戸倉城も廃城となったそうですから、その戦役での死亡者の慰霊塔なのでしょう。9:52ころ。


▲竹の秋! 竹の葉は秋ではなく、晩春に色が黄色に変わり、落葉します。それが「竹の秋」。春の季語です。9:55ころ。


▲馬頭観世音の碑がありました。でも、馬の絵は現代的! 9:59ころ。


▲普通の馬頭観音? 9:59ころ。


▲上流の盆堀集落。これより先には民家はありません。10:05ころ。


▲ヤマフジ。10:11ころ。


▲採石場です。10:17ころ。
この対岸に棡葉窪(ゆずりはくぼ)があります。小さいけれどまとまった佳い沢です。


▲沢へ降りて、小休止。20分くらいして出発です。10:43ころ。


▲ちょっと変なスミレが咲いていました。小さな花が葉の上にちょこんと乗っかるような感じで咲いています。ただ、よく見ると花の柄が実は長くて、葉の柄同様に伸びているのですね。
ネットや植物図鑑で調べましたけれど、スミレはやっぱり難しい! 名前は分かりませんでした。10:47ころ。


▲盆堀林道はこんな感じ。思いのほか涼しく歩けます。11:17ころ。


▲ウツギです。茎が中空になっているので「空木」。「うつぎ」の「う」をとって「うのはな」つまり「卯の花」はウツギの花のことです。卯の花が咲くころなので、旧暦4月を卯月と言うのだそうです。日本人の季節感と密着した花だったんですね。11:19ころ。


▲林道山側の金網にこんな花が咲いていました。これもいろいろ調べましたが、手掛かりすら掴めません。11:24ころ。


▲クサイチゴ(草苺)です。草とありますが、落葉小低木なのだそうです。キイチゴなどと違って、つける実の数は少ないですけれど、ぼくは好きです。11:29ころ。


▲身近にもよく見るカキドオシ(垣通し)。小さな花ですが、浴衣美人の風情を湛えた美しさがありますね。11:47ころ。


▲ミヤマキケマン(深山黄華鬘)。「深山」とありますが、さほど深山で咲いているわけではありません。「華鬘」とは仏堂の荘厳具で、サンスクリット語では「花輪」のことだそうです。仏教発祥のインドでは生花を飾ったり、花輪として人に贈ったりする習慣がありますが、その花飾りを恒久化した装具がケマンです。11:48ころ。

林道も徐々に向きを変えていきますし、空の雲もどんどん消えていきましたから、林道への日当たりもよくなってきました。日陰を探して、しばしの休息。


▲ムラサキケマン(紫華鬘)。12:39ころ。


▲標高は上がりましたけれど、陽射しも強くなり、隠れる日陰もなくなりました。12:43ころ。


▲タンポポです。西洋タンポポ。12:44ころ。


▲刈寄山687.1mが前方左に見えて来ています。12:58ころ。

このあたりでほぼ林道は終わりです。後半は別として、日陰も多くありましたし、涼しく歩けました。季節や天候、日陰のでき方等を考慮すれば、林道歩きも楽しいかも、とちょっとだけ感じましたね。

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