ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

金山沢大荒川谷は美しいナメ滝の多い佳い沢でした 1/2 ――― 初日は入渓地点を通り過ぎ、それでも頑張りました

2016年08月09日 | 沢登り/荒川水系

2016/7/23  YYD入会後、2度目の泊りの沢登りです。1回目の釜ノ沢西俣同様、奥秩父ですが、今回は埼玉県側の奥秩父主脈の北側の沢ですから、雰囲気も釜ノ沢とはかなり違うはずです。まったく初めての沢なので、期待に胸が膨らみますね。

三峰口駅で3人が集合し、バスに乗りました。てっきり秩父湖行きに乗るのだと思っていたら、川又への直行便があるのですね。驚きました。驚きと言えば、途中バスから見える風景もまるで昔と違っていました。車では滝沢ダム方面の新しい道路を走ったことはあるのですが、今はバスもそちらを走るのですね。ダムに水が貯まっているのを見るのも初めてでした。僕が持っている昭文社の地図は2002年発行(僕の感覚では最近の地図なんですが・・・・)なので、ダム湖も新しいバス路線も記されていませんでした。


▲川又バス停です。ここに来ることはめったになかったと思います。恐らく2回目ではないでしょうか。大昔にS子と二人で入川上流の柳小屋から股ノ沢を遡行した際に多分ここから歩いたのだと思います。9:34ころ。


▲夕暮キャンプ場がありました。9:57ころ。


▲それまでの林道と離れて、川沿いの道に向かいます。10:19ころ。


▲何やらたくさんの人たちが何かを探しています。枯葉をひっくり返してみたりしていました。10:22ころ。


▲道はいつの間にか古いトロッコ軌道の跡になっています。前を歩くSS木さんの左の方も先ほどのグループの方です。グループの別の方に聞いてみると、どうやら粘菌の観察会が催されていたようですね。その方は年配の方で「私はもう年金生活者ですから」とおっしゃってました。それに対して「大江健三郎の小説に粘菌生活者というあだ名の人物が出て来ますよね」と僕が答えると、「よくご存知で」と誉めてくれました。種を明かせば、来る途中で読んでいた文庫本の中にそのことが出ていたので覚えていたのです。ちなみに本の名前は『くう・ねる・のぐそ』(伊沢正名著・ヤマケイ文庫)です。S﨑君お薦めの本です。10:26ころ。


▲赤沢出合では10分ほど休憩しました。11:07ころ。


▲赤沢の吊橋を渡ります。11:09ころ。


▲赤沢を右下深くに見ながら北西方向へ進みます。11:21ころ。


▲いったんは赤沢沿いに登っていましたが、入川側へ回り込んで来ました。11:39ころ。


▲入川の北岸200m以上高いあたりをこの登山道は通っています。緩やかに登ったり下ったりしながら西へ進みます。樹間から僅かに見える遠い対岸の地形に神経を配りながら、金山沢の窪んだ谷地形を探します。山腹を巻いている山道ですから、越えて行く支尾根や渡った支沢やルンぜなどの数を数えながら進みました。写真の支尾根も特徴的な支尾根です。地形図でチェックして現在位置を確認しました。12:19ころ。


▲どうもこのあたりから僕自身は少々混乱してきています。写真は水は流れていないのですが、沢地形を渡っているところです。このすぐ後にも沢地形を渡るのですが、地形図と一致させるにはかなり強引に解釈しなければならなくなります。現在地の確認に自信がなくなり、不安になってきます。12:39ころ。


▲どんどん山道は入川の流れに近づいて行きました。赤沢の吊橋からもすでに2時間ほど歩いています。これまでのペースから考えると、金山沢への下降点はとっくに通り過ぎている時間です。ここまで来ると、我々の間違いは明らかでした。S原さんが念のために山道の先を確認して、結局ここから引き返すことにします。13:27ころ。


▲先ほどの(2つ前の写真)支沢に戻って来ました。13:49ころ。


▲来るときにも見た道標です。ネットで調べた金山沢への下降点の目印がやはりこんな道標だったのですが、もっと新しいもののようでしたし、柱の下には赤テープが幾重にも巻かれている写真でした。ですから、これではないと判断したわけです。まあ、それ以上に現在地を誤って認識していたわけでしょうから・・・・ 14:06ころ。

結局、1時間40分以上タイムロスしたことになります。
二万五千図と首っ引きで地形を確認しながら進んでいました。S原さんも僕もです。でも、下降点の支尾根を見落としました。理由はいくつかあると思いますが、二人とも古い地形図でしたから、登山道の破線が載っていませんでした。SS木さんが持っていた新しい地形図には登山道が載っていたのですね。そちらを見ればよかったのですが・・・・


▲支尾根を下降していきます。何となく踏み跡がありますし、赤テープも要所要所に付けられていました。それでもかなり緊張する下りでした。14:29ころ。


▲入川本流に降りて来ました。ここで沢装備を身に付けます。14:44ころ。


▲先ほどの場所からほんの少し下流に下ると、金山沢出合です。15:05ころ。


▲入渓してすぐに、いい雰囲気になりました。15:12ころ。


▲高巻きしなければならないような滝もすぐに出て来ました。15:25ころ。


▲岩盤の上を水が流れています。15:35ころ。


▲美しい沢の光景が続きます。そのすべてが見事でした。16:06ころ。


▲焚火痕がありました。ビバーク適地です。でも、我々は先へ進みます。16:08ころ。


▲高巻きは比較的易しい場合が多かったですね。16:18ころ。


▲ここも焚火痕のあるビバーク的地です。普段ならこの時刻でも遅いくらいですが、今日は下降点を見つけるのに大きなタイムロスをしていますから、頑張ってもう少し先まで進むことにしました。16:24ころ。


▲ミヤマカラマツ(深山落葉松)ですね。16:32ころ。


▲谷は次第に白い霧に包まれ始めて来ました。16:33ころ。


▲大きな倒木も多くあります。16:40ころ。


▲ガクウツギだと思うのですが・・・・ 17:02ころ。


▲いよ~っ! 出て来ました! ゴンザの滝です。17:22ころ。


▲右から高巻きます。17:29ころ。

高巻きが終わってすぐのところに、ビバーク的地がありました。出合から2時間以上歩きましたし、この先すぐに再びビバーク可能な場所が現われるのは難しそうです。
急いで焚き木を集めます。タープも張ります。谷底ですし、なおさら重く霧が澱み溜まっているようです。


▲焚き木に火がなかなかつきませんでした。写真の右上に白い点々が見えますが、フラッシュで光った霧の水滴です。19:24ころ。


▲でも、いったん火がつくと、焚き木は乾燥具合のいい焚き木でしたから、後はもう心配いりません。19:51ころ。


▲今回も夕食担当はSS木さん。釜ノ沢でも美味しかったので、期待は高まります。今晩は中華料理の酢豚です。美味、美味! 19:56ころ。


▲漂っている霧の水滴が少し大きくなって、霧雨のようになりました。僕は雨具を着、S原さんはタオルで頭を覆っています。でも、火のそばを離れるほどではありませんでした。20:21ころ。


▲焚火をフラッシュを焚いて撮ると、火の赤みが消えてしまいます。上の写真もそうですが、火以外で写したいものには懐電の灯りを当てるのです。上の写真ではS原さんに、この写真では焚き木にライトを当てています。20:49ころ。


▲SS木さんが木の枝にマシュマロを刺して炙っています。焼酎のお湯割りをチビリチビリやっている僕は遠慮させていただきました。21:27ころ。


▲焚火をじっと見つめるのが僕は大好きです。炎には様々な表情があります。21:33ころ。


▲今回は僕流の火の消し方をさせてもらいました。主な木の燃え差しを少しだけ遠ざけて、燠が溜まっている中心部には満遍なく石を置いておくのです。朝には、石をどけ、火種をつけると、すぐに燃え上がります。22:22ころ。


▲霧が立ち込めていましたし、それが夜のうちに雨になる可能性もありそうでしたから、タープをすごく低く張りました。寝ると顔の前にすぐタープがある、そんな感じです。やまづとの会装備のタープ初使用ですね。22:31ころ。

今日は金山沢への下降地点がすぐに見つからず、1時間40分以上もタイムロスしてしまうアクシデントがありながら、よく頑張ってここまで来たと思います。おそらく、そのタイムロスがなかったとしても、この同じ場所でビバークしたことでしょう。
これで明日の行程がすごく楽になりそうです。

今晩は僕はシュラフカバーだけです。夏ですから、それで寒くはありません。寒くはなかったのですが、何故かしら目が冴えて、なかなか眠りに落ちませんでした。夜中過ぎの何時ころだったでしょうか? 少しだけうたた寝をしてすぐに目覚めると、タープが明るく光っていました。もう朝が来たのかと、時刻を見るとまだ夜中です。明るい理由は月のようですね。月明りが強いということは霧雨も完全に上がったということです。明日の好天を約束してくれているのでしょう。

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