575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

松坂屋・伊藤次郎左衛門さんのこと  竹中敬一

2016年10月28日 | Weblog
「百貨店・松坂屋 初代社長の伊藤次郎左衛門祐民 (すけたみ ) が、
タイの留学生を名古屋へ受け入れて今年で80年。遺族と日本人同級生 対面へ」
という記事が今年10月19日の中日新聞に出ていました。

祐民が、大正から昭和初期にかけて、自身の別荘「揚輝荘 (ようきそう)」に
タイをはじめ東南アジアからの留学生を受け入れ、支援していたことは、よく知られています。

松坂屋のキャッチフレーズは「生活と文化を結ぶ松坂屋」。
私もテレビ局在職中、ディレクターとして、この文句とカトレアのマークを入れた
テレビCMを、何本か制作した覚えがあります。

昭和30年代初め、私は当時の松坂屋社長、伊藤次郎左衛門氏にお会いしたことがあります。
経済記者クラブにいて、名古屋商工会議所の相談役だった伊藤次郎左衛門氏の招待による
会合に出席したのです。

記者クラブからは、新聞社から中日、朝日、毎日、名古屋タイムズ、それに放送では私一人の5人。
場所は名古屋観光ホテル。このホテルは、昭和11年、伊藤次郎左衛門氏が中心になって設立した
名古屋初のシティホテル。戦後、一時、米軍に接収されていたこともあります。
(私はこんな高級ホテルに入ったことはありませんでした。)

少人数のため、ホテル内のレストランで、まず、商工会議所の会頭を務められたことのある
次郎左衛門氏が挨拶されたのですが、緊張ぎみに立ったまゝお話になるので、
「私たちと同じようなに座ってください」と云ったことを憶えています。

偉ぶったところが全くない紳士という印象で、お話の後、ご馳走になりました。
洋食のフルコース。こんなことは初めての経験でした。
私だけでなく、ほかの記者もナイフやフオークの使い方もぎこちなく、戸惑っていると、
会頭は「そんなに緊張することはありません。ナイフやフオークと決まっているわけではなく、
箸でも構わないですよ。」と云って下さって、皆、ほっといたことを思い出します。

私たちが "次郎さん"と親しく呼んでいたのは、多分、2代目松坂屋社長、
第16代伊藤次郎左衛門に当り、慶応大学で美術史を専攻されたと聞いています。
歴代の伊藤次郎左衛門は文化面でも造詣が深く、名古屋の文化の発展に大きく貢献したと思います。

なお、揚輝荘は、名古屋市・覚王山の丘陵地にあり、平成18年度末に名古屋市に寄贈されました。
現在、南園にある「聴松閣」と北園にある「庭園」が公開されています。


コメント
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