575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

民間放送第一声の地・名古屋へ ( 1 ) 最初の仕事はリライト  竹中敬一

2016年10月07日 | Weblog
私が名古屋へ来たのは、昭和32年(1957)のことです。
就職難の時代で、東京の大学を出たものの、なかなか就職先が見つからず、
マスコミ関係の会社をあちこち受けて、やっと創業して間もない
中部日本放送に拾ってもらいました。

名古屋駅から、これまた開業したばかりの地下鉄に乗って終点・栄まで。
道行く人に「CBCはどの辺りですか」と聞くと、東の方向を指差して、
「ここから10分も歩けば、これと云つた目ぼしい建物はありませんから、
すぐわかります」とのことでした。

当時は、まだ平屋の多い街並みで、鉄筋六階建てガラス張りの建物がすぐ目に。
配属されたのはラジオニュース部。テレビよりラジオの方が幅を利かせていた時代です。

仕事は、主に中日新聞や共同通信からの原稿を放送用にリライトすること。
中日新聞本社からは、係員が専用電話で新聞原稿をそのまま読み上げてきます。
これを速記係りの二人の女性が受けていました。新米の私たちが電話を取ることも。
必死になって相手の声を聞き、書き取るのですが、遅い上、時々、立ち往生しました。

"アイチケンアマグン…" と言う声に、"アマグン"て、どういう字を書くのですか?"
と問い返そうものなら、" オマエさん、アマグンも知らないのか"と電話の向こうで怒鳴り声。

「共同からのヘル」(共同通信から送られくるファックスのようなもの)からもニュース。
縦書きの字が書かれた幅2センチくらいの細長い紙が機械から吐き出されてきます。
これを適当な長さに切り、原稿用紙に貼り付けるのはアルバイトの仕事。
それを放送用にリライトしてアナウンサーに渡すのですが、すべて手書きのため、
なかには癖のある字を書いて大変、読みにくい原稿があるのを、
NHK出身のアナウンサーが流暢に下読みするのを見てビックリ。

海外旅行など夢のまた夢だった時代、アナウンサーが「 パリ発AP共同」などと
外電を落ち着いた口調で語り始めれば、それだけで信頼性が出て来るから不思議です。

勤務はまず、夕方からの宿直、直明け翌日10時まで。休み、休み、ときて、日勤が三日。
放送現場では、このルールを守りたくとも、守れず時間外勤務をしていました。
ある同僚は新しい公団住宅に引っ越ししてしばらくたった時、近所の人の間で
"あの人、キャバレーに勤めているらしい" と噂さになったそうです。

CBCのある東新町界隈もすっかり様変わりしました。、
私たちがよく利用したトンカツの「石川」、うどん・そばの「とらや」、
和食の「安田屋」なども、姿を消してしまいました。
近くの雑居ビルの中の「あんかけスパ」の店「そーれ」にもよく行ったものです。
その後、枝分れして、その一つが栄の横井のスパになったと聞いています。
東京へ転勤になってあの味が忘れられず探したのですが、どこにもなく、
たまに帰って来ると、栄の横井に立ち寄りました。

(なお、リライトとは、新聞用の漢字の多い表現を、中学生でも分かるように書き直す作業。
これが、分かりやすいテレビのニュース原稿の基礎となっています)
コメント
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