徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーマレーシア・クアラルンプル徘徊ー12月14日

2011年12月20日 | マレーシア・シンガポール
朝、朝食を取るため、さまよい歩いていたら、
やはり華僑のレストラン(食堂)なのだが、レストランの中に屋台風の店が
数軒あるレストランがあった。
今風に言うならば、「フードコート」だ。
ただ、今風の「フードコート」のような清潔感はない。

どの屋台にも、
 「雲呑麺」(ワンタンミン)「大」5.5MR「中」5.0MR 「小」4.0MR と
 ガラスに書いてある。値段は同じだ。
 だから、客を集めるには「味で勝負」と言う事になるのだろう。

 僕はその屋台の一軒で「雲呑麺」の「大」を注文した。
 やがて、運ばれて来たのは、小さなお椀に入った「ワンタンスープ」
 お椀の中にはワンタンが3個入っている、
 それと皿に盛られた炒麺だ。

 僕は「ドキリ」として、ワンタン麺って「湯」(スープ)に
 入っているんじゃないの?と屋台のオバチャンに言った。
 オバチャンは「この辺じゃ、ワンタン麺ていうのは、それのことよ」と
 言って笑った。
 「ワンタン入りスープ」と「炒麺」
 確かに、間違いなく ワンタンと麺だ!→「ワンタン麺」!

 こんな時に限ってデジカメを持っていない。

 食べ終わり、お金を支払う時に、
 オバチャンは「ム・ホーイ・シー・ア」(こめんよ)と広東語で行った。
 僕も広東語で「モーマンタイ」と答えた。
 「あんたどこから来たの?」
 「日本から」
 「アイヤ~~~、トーチェ・トーチェ」(え~~~っ、ありがとね)

  なんだか、今日一日、出足が好調だ。

  クアラルンプルは大都会なので、CITI Bankもある。
 僕はこの旅行にあたっては大金を持ち歩いてはいない。
 CITI Bank で現金を引き出して当面の資金にしている。

  今日の朝イチの仕事は、このCITI Bank に行くことである。
   
   電車でCITI Bankのある駅で下車した。

  CITI Bank の隣がインターコンティネンタル・ホテルだ。
  なんでも、以前は、日航ホテルだったのだそうだ。
  ロビーにはクリスマス・ツリーが飾られ、
  フロントではお金持ちそうな人がチェックアウトしている。
  ソフィステケーテッドなホテルだ。
  今の僕にはまったく不釣り合いのホテルだ。

   ここから、僕の徘徊は開始だ。
    
    
     
    もう名前も忘れてしまったが、この建物の前では
    超ショート・コースの車のレースが土・日と行われるらしく
    今日の「金曜日」は公開練習日のようだった。
    どんどん中に入っていったら、「パスを持ってなければこの先はダメ」と
    言われてしまった。

    そこから中華街
     
     
     

    ヒンドゥー寺院
     
     
     
     
     
     
     これなど、ここは南インドですと言っても「納得」してしまうだろう。

    セントラル・マーケットを巡り
    ジャメ・モスクへ
     
     金曜日とあってムスリムの人たちでごった返していた。

     このモスクから、また徒歩で国立モスクへ行った。
     国立というだけあって、広いモスクで、なんでも今日は
     特別の礼拝日で、国のオエライさんも来ているので警備が厳しい。
     
     お昼の礼拝が終わると
      
      人・人・人の波だ。
      モスクの出口の周囲には「屋台」がならび、大変な混雑だ。
      さすが商売人だ。
      礼拝の終わるのが午後1時、皆 お腹をすかせて出て来ることを
      予測しての商売だ。

      一方、玄関口の横の「貴賓館」通路からは
      
      白バイに先導されて
      
      出て来る「首相」(?)「国王」(?)の車。
      その後に車列が20台くらい続いた。
      
      さすが、ナショナル・モスクだ。
      

      ナショナル・モスクの向かい側は「アルジャジーラTV局」だ。
      
      
      この近所にムスリム・アート・ミュージアムがある。
      ムスリム芸術や世界の美しいモスクのミニチュアーが展示してある。
      
      
      この博物館をでて、旧マレーシア鉄道のKL駅に向かう途中で
      スコールに会った。

      ナショナル・モスクの階段口で雨宿りすることにした。
      雨宿りしている最中にも団体観光客がやってくる。

     その中の、個人で組んだ団体なのか8人組みの団体が
     僕の座っている隣に並んで腰かけた。
     会話は中国語だ。
     僕は話しかけてみることにした。
     「みなさんは中国からですか、それとも台湾からですか?」
     「私たちは中国からです。あなたは?」
     「私は日本人です」
     「どうして中国語を話すことができるのですか?」
     「この4月まで、香港に居て、中国にもしょっちゅう行ってました。
      みなさんは中国のどこから来たのですか?」
     「私達は広東省の東莞から来ました」
     「え~~~!東莞!」
     「東莞 知ってるんですか?!」
     「はい、太平のアパートにも住んでました」
     「それじゃ~~、太平の何区ですか?」
     「五区」
     「五区なら富民花園を知ってますか?」
     「私は あそこに住んでました!」
     「私の親戚は富民花園に住んでます。時々行きますよ」

     大変な出会いになってしまった。(笑)

     みな、30代から40代の男性4人に女性4人、つまり夫婦だ。
     相当のお金持ちではければ、海外渡航も難しい国だ。

     「みなさん、大金持ちで、会社じゃ「老板」(社長)なんでしょ?」
     「ははは、違いますよ。名刺ください」と言われたが
     今の僕には「名刺」などない。
     ここから始まるのだ。(笑)
     「チャンスがあればあなたの会社のお手伝いをしたい」と。
     
     丁度、その時、彼らのミニバスがやって来た。

     僕はほっとした。

     雨が上がったので、僕は歩きだした。

     明日から始まるマレー鉄道の旅にふさわしく、
     旧マレー鉄道の始発駅を見てみたかったからだ。

     
     ここが、現在は鉄道省になっている。
     車の出口・入り口には鉄道時代の信号機がある。
     この向かいが旧マレー鉄道の始発駅、クアラルンプル駅だ。
     
     現在はコミューターの駅として1階とプラットホームが使用されている。
     
     
     軌道が狭い旧式の方式を取っているため、現在ではクアラルンプル
     近郊のみの運行となっているようだ。

     確かに乗車して見ると車内はせまい。
     東京でいえば、大江戸線や都営地下鉄の車輛のように狭い。

     この電車に乗り、次の駅のセントラルで下車し、
     宿に戻ろうとした。
     昼飯もまだ食べていない。時刻は4時に近い。
     これから昼飯を食べれば夜は食べれなくなってしまう。

     インド料理屋、と言っても、この界隈にはしゃれたレストランはない。
     「食堂風」の店だ。
  
      そこに入り
      
      マサラ・ドーサとコーヒーを注文した。
      看板がタミル語で、
      英語でカーヴェリー・レストラン(南インドの川の名前)だ。
      南インドなので「チャイ」ではなく「コーヒー」が常道だ。

      何年ぶりで「ドーサ」と「コーヒー」を注文したことか。

      この写真では、まだ「サンバル」(カレー汁)が来ていないので
      「サンバルは まだ?」と言ったら、即座に持って来た。

      食べ終わり、支払いは7.5MRだった。

      
      夕暮れ迫る宿に戻り、明日の準備をして、
      夜8時過ぎに、また中華とビールを食べに出かけた。

     いよいよ、明日からマレー鉄道、マレーシアからバンコックの旅に出る。

     
     
          
      
      
     
         
     
     

       

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーマレーシア・クアラルンプルー

2011年12月17日 | マレーシア・シンガポール
12月15日、昼、バリ島からマレーシア航空でクアラルンプルに戻る。
飛行機の乗客の大半は、なぜだかインド人・パキスタン人が多かった。

多いとどうなるか?

彼らの荷物が多い!(笑)
並ぶのに慣れていない。(笑)

搭乗が始まって、ボーディングパスを持って進んでいると
ワタシの肩の上から手が伸びてきて、
ワタシよりに先にボーディング・パスを渡そうとする。(笑)

紳士・淑女顔した夫婦だったが・・・・

DNAがそうさせるのだろうか?(笑)

クアラルンプルは、12月4日に一泊してバリに向かったので、
今回の旅では2度目だ。

宿は前回の宿の近所に取った。

今回はマレー鉄道で北上する旅だ。

そう、沢木耕太郎の『深夜特急』と同じ旅だ。
沢木耕太郎のこの紀行文は、ワタシと同時代の作品だ。
現在でも旅にあこがれる若い人に人気があるらしい。

インターネットで旅の情報を収集していたら
「沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで、旅に出たくなりました。
マレーシアからインドまで電車で行く方法を教えてください」
なんていう問合せまであった。

 人に訊くより、まず自分で調べろよ!(笑)

と言う訳で、

ワタシも、たまには沢木耕太郎風な書きかたをしてみよう。
もちろん、一人称は「ワタシ」ではなく「僕」だ!(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕はバリ島での、ささやかな自分なりの休暇を終えてクアラルンプルに
戻った。
宿は明後日からのマレー鉄道の旅に備えて、セントラルの近い所にした。
セントラルの西出口にはヒルトン・ホテルやメリデアンという5星ホテルが
駅前にあるが、モノレール駅にも近い東側は、猥雑とした町で、開発工場中だ。

華僑、マレーシア人、インド人が入り乱れた町だ。

夜になると、僕は
    
     中華料理のヒンアン・レストランに向かう。
    
    緑のドレスを来たのがプロモーション・レディー(促販係)だ。
    普通はプロモーション・レディー(促販係員)は
    若い女性にきまっているが
    この店のプロモーション・レディーは若くはない。
    だから写真を撮ろうとしたら逃げてしまった。
    その代わりテキパキとして、店の従業員よりも気が効く。
    僕が11日ぶりで訪れると、
    「今日もひとり?そこに座って」と言って
    路上のテーブルを指差す。
    僕がメニューで悩んでいると
    「この前は、これを食べたから、今日はこれにしたら」と言う。
    いやに記憶力の良い女性だ。
    僕も負けずに、「注文した料理が出て来るのが遅いから
    ピーナツをたのむよ」
    
    ピーナツを食べながビールを飲む。
    
    今日は豆腐の卵とじみたいなもの。
    
    ナマズの蒸し煮だ。
    
    マレーシアの「カールス・バーグ」にはラベルがない。
    
    一見、僕の生存証明写真を撮ったかのようだが、
    実は狙いは別にあるのだ。

    右端の高いビルが僕の投宿しているホテルだ。
    その横をモノレールが走っており、その線路が境界線で
    あるかのように「濁」の町が存在する。
    写真の真ん中の白く輝いているのはホテルの看板で、
    その右の白いモルタルの建物が
    実は「売春宿」で、左の赤い建物は「中国寺院」だ。
    まさに聖と濁が混然一体となっている。
    「売春宿」と言っても、「泊まる」ほどの広さはない。
    僕が垣間見たところによると、2畳くらいの部屋に
    ベッドがシーツも敷かずにおいてあり、ベニヤで仕切ったような
    部屋になっている。
    この「売春宿」の入り口の路上では「屋台」が軒を並べているので
    さりげなく中を垣間見ることが出来るのだ。
    建物の入り口には「用心棒」なのか、一見、優しそうなオヤジが
    立っている。中は両側が部屋で真ん中が通路になっており、
    部屋の前には「女」が立って客待ちをする。
    マレーシアと言えば、回教徒が80%以上いる国で、
    戒律が厳しく、クアラルンプルは奇麗な街で
    「酒」も「女」もダメかと思ったら
    こんな状態だ。

    この通りのもう一つ東側の通りには学校やヒンドゥー寺院、
    キリスト教の教会がある。

    僕は、こんな混然一体となった町が好きだ。

    この雰囲気の中で、ひとり、路上で酒を飲む。


    明日はクアラルンプルの町を徘徊しよう。

    僕は売春宿の隣の小さなスーパーで買い物をしてホテルに戻る。
    
    
    
    
         

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーバリ島・レギャンでの日々ー

2011年12月15日 | インドネシア
バリ島はウブドで5日間暮らしたあと、クタの近くのレギャンという海岸沿いの
リゾート地に来た。

 ここでも5日間の滞在。
 そのうちの1日はジョグジャのボロブドール観光弾丸ツアーだ。
 本当は、砂浜でまったりすごそうと思ったが、海は思いのほか汚いし
 宿から海まで15分くらいかかる。

       
       
       海には廃棄物(ゴミ)がたくさん漂流しており、
       泳ぐどころではない。
       それでもサーフィンをしている外人がいる。

     宿は、お土産屋、スポーツ・バーなどの並んだ繁華街のそばだ。
       
      一応 プールがある。レギャンの海は汚いので
      各ホテルや安宿にもプールがある。
      もちろんワタシの宿泊しているホテルは安いので
      プールもウブドと同じく小さくて銭湯なみだ。
      
      部屋はトイレとの仕切りがカーテンだけなので、
      困るよな~~~~~。(笑)
      「大」の後の・・・・ドリアンの臭いがな~~~(笑)
      ワタシ ひとりだからいいものを・・・・。

     朝食付きで、朝食はすぐ前の宿と繋がっているスポーツバーで朝食だ
      
      最近の旅では、ここの朝食は良かった。
      
      夜はこんな感じになる。
      バーやレストラン、ポン引きやSPAの客引き・・・・

      どんな所かというと
      
      2002年バリ島のクタで爆弾テロ事件があった近所なのだ!
      過激派イスラム教徒が仕掛けた自動車爆弾は、外国人の集まる
      エリアを標的とし、アメリカ人を殺そうとした。
      その慰霊碑がこれだ。
      亡くなった人の名前が刻まれている。
      日本人 2名、 一番多いのはオーストラリア人 88名

      過激派は英語を話すのは全部アメリカ人と思ったのだろうか?

      過激派の活動は静まった訳ではないので、
      「え~~~、やべ~~。こんなところに俺泊まって大丈夫?」

      宿に併設されたスポーツバーは24時間営業でサッカーなど
      ライブ放映しているので、夜中もうるさい。

      ついついワタシも過激派になって「殺してやろうか」と思う。(笑)

      昼はプールに浸かり、垢を落とす(笑)

      読書、スケッチ
      
      もう、プロみたい。(笑)

     ワタシがこんなことをしているので、宿の従業員も
     「絵描きさんですか?」とか「学校の先生ですか?」とか訊く。

     いかんな~~~~あ。
     薄い頭髪から知識人としてのエネルギーが
     発散されているのだろうか?(笑)

     隠すに隠せない(笑)

    どうも、いつも「先生ですか?」と言われる。

   だから、この繁華街でも
    1日目 「女 ほしいか?」と声を掛けられたが
    2日目から 「元気ですか」との声はかけられても
        「女」のお誘いはない。(笑)

     お土産も買う事が出来ないワタクシが一番高い買い物の「女」を
     買い物するわけがない。(笑)

     この通りで食事をすると高いので、路地を入ったところの
     現地マーケットでだ
       
       焼き魚だって 3分の1の値段だ。
       
       仕上げに 「ミーゴレン」
       これで750円。やはり一番高いのはビール代。2本(笑)

      夜、宿にもどる時でも、だれも声を掛けてこない。

      貧乏人に見えるのが「正解」だ。(笑)

     ミャンマーに入国できる方法が分かったので
     ヴィザ用の写真をここで撮っておくことにした。

     物価の安い国だと写真代も安いからだ。

     やっとヴィザ用の写真を商売としている店を見つけた。
     れっきとした「富士フィルム」の店だった。
     撮影後 15分で出来上がり。
     5枚セットで、な、なんと 250円。
      やす~~~~~~っ!

    これでバンコクに行って写真のために走りまわらなくて済む。

    インドネシアの人、バリの人もみな親切だった。

    若いお兄ちゃんに道を訊いたら、教えてくれたが
    それが間違いだったらしくて、英語が話せる友達と
    走って追いかけてきて、謝りながら正しい道を教えてくれたり

     今日、これからマレーシアのクアラルンプルに戻る。

    旅はまだまだ 続くのだ~~~~~~。
       
              
      
      

       
     

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインドネシア・ジョグジャで散髪ー

2011年12月15日 | インドネシア
そんな訳で、お客さん(ワタシ)のリクエストに
ガイドさんはドライバーさんと相談して、観光しながら「ローカルな散髪屋」を
探すことになった。

   床屋に行く前に、もう一か所の仏教寺院に行った。
      
      座禅ではなく、椅子に座っているようなお釈迦様だ。
      
      お線香があったので、お参りした。

     あっ、ちなみにガイド嬢は回教徒です。

     このお寺の庭には
      
      インドネシアで一番大きな菩提樹
      垂れ下がっている蔦で「ターザンごっこ」(古い言い方だね)が
      出来る。

    近くには
      
      教会もありました

      一応、観光客向けの「お土産屋さん」(ジャワ更紗、銀細工)の
      店に立ち寄ります。

      これが団体ならば、誰かが買うでしょうから、こちらは
      サービスのコーヒーなど飲みながら休憩すれば良いのですが
      「ひとり」ですから、店の係員がつきっきり。

      なんか買わなければガイド嬢にもキックバックがなく、
      ガイド嬢は「ケチな人」と思うだろうな~~~~とか、
      買っても、これからの旅の邪魔になるしな~~~とか
      小心者の徘徊老人は悩むのでした。

      で、結局、自宅のテーブルクロスにでも使おうと布切れを
      買いました。

      銀細工のお店では、係のお兄さんと会話を楽しみ、
      買う事をまぬがれました(笑)

      そこから「ローカルな床屋」を探しに出発です。

      いざ探そうとするとなかなか見つからないものです。(笑)

      やっと、街道沿いの4軒ほどならんだ店にひとつ「床屋」が
      あることを発見。

      ガイド嬢と車を降りて、店に入ると
      若いお兄ちゃんが椅子に座って寝ていました。

      1個しかない「椅子」に腰掛け、
      ガイド嬢がワタシのリクエストを通訳する。
      「頭の上の髪はカットしない。両脇と後ろの髪をカット」(笑)
  
      バリカンだけでカットだ。
      「もみあげ」と「襟足」は「T字カミソリ」で剃る。(笑)

      ガイド嬢は保護者よろしく、この辺をもっととかダメを出す。

      ありがたいな~~~~。(笑)

      そして、髪をササッと洗い、(これがお湯ではなく、水!)

      約10分でオシマイ!

      日本の1000円床屋さんと同じ!

      多分、料金は300円以下だと思った。

      ワタシはあらかじめガイド嬢に300円(3万ルピア)渡していたが
      ガイド嬢が支払うと「おつり」が来たようだ。

      ワタシは見ないふりして外にでた。

      「おつり」はガイド嬢へのチップだ!(笑)

      「おつり?」

       紙幣の色から 100円だったかもしれない。

       100円 返せと言わない、ワタシの大人ぶり!(笑)ははは・・・

       で、さっぱりした後、まだ午後5時だが「夕食」だ。
       これもツアー費用に組み込まれている。

       夕食は「中華」だ。

       またしても、まだ夕飯には早いので、レストランにはワタシ だけ
           
        今度も6皿!食べきれないよ~~~。
        ガイドさんと一緒に食べたいな~~~~~(笑)
       ガイドさんは「私はあっちで待ってます。時間がたっぷりあります。
       ゆっくり食べてください。集合時間は7時にしましょう」

       「え~~~~っ! 2時間も~~~」
           
       結局、全部無理して食べないことにした。
       デザートとコーヒー。デザートもふた切れづつだけ食べた。

       残りの時間は「旅日記」など書いて時間を潰す。

      ガイド嬢は「普通は時間一杯、お土産の買い物に走りまわり
      食事の時間と飛行機の時間が危ない時もあるんですよ~~」だって。

     で、時間はまだ早いが、空港に行ってもらうことにした。

     時間はたっぷりあるが、ガイド・ツアーは空港までなので
     もうガイド嬢を開放してやろうと思ったのだ。

     ガイド嬢が別れ際に言った言葉
      「ヨシさん、まるで私のお父さんみたいでした!」

     リップ・サービスでもうれしいじゃありませんか。

     飛行機は午後8時30分頃来て、乗客が降りると
     20分くらいで、バリ島デンパサール行きとして搭乗開始だ。

     座席に着くと、前の乗客のおしりのぬくもりが残っていた。(笑)

     そして、乗客全員が搭乗すると、あっと言う間に出発。
     午後8時50分の最終便は午後9時10分に出発。

     バリ島のデンパサール空港には時差があるので午後11時、無事到着。

     空港では 某H.I.Sの係員が待っていて、車でホテルまで。

     面白い弾丸ツアーだった。

          

     

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインドネシア・ボロブドール日帰りー12月13日

2011年12月14日 | インドネシア
今 宿泊している宿はWi-Fiが無料で使えることになっているが
朝6時から午後5時59分まで、どうしても繋がらない。

 これは、どうもワタシのPCのせいではなく、
 ホテル側のせいのような気がしてならない。

 今日(12月14日)は珍しく、日中から繋がっている。

 ホテルの従業員に訊いても、「おかしいですね」というだけだ。

 ま、それはさておき、

 12月13日、日帰りでジョグジャカルタに飛んだ。

 ジョグジャカルタ、縮めて「ジョグジャ」と一般的に言う。

 当初、バスでジョグジャに行こうとしたが片道 12時間。
 日程的に時間がないので、飛行機で飛ぶことにした。

 某旅行代理店H.I.Sに出向き、
 「ボロブドール観光一日ツアー」に申し込もうとした。

 最低実施人数は2名様よりで、おひとり様 275USドルだとのこと。
 
 スタッフに「私はひとりだけれど、どなたかと一緒でかまわないから
       275ドルにしてください」と依頼したところ

      「おふたり様はお二人様でのツアーで他人様はご一緒できません」

      「おひとり様の場合 375ドルになります」

   ボロブドールはどうしても行きたいところだったので
   その375ドルで行くことにした。

   朝、4時半、旅行会社の車がホテルに向かえに来た。(時間ぴったり)

   車は「乗あい」ではなく、「ワタシ ひとり !」

   高い金を払っただけはある。

   デンパサール空港から

     
      ライオン・エアーの朝一番の飛行機だ。朝 6時出発だ。
      某H.I.S社のこのツアーの参加者はワタシひとりだけではなく
      数組いたが、みんなグループごとの団体というかグループに
      なっており、
      「みなさ~~ん、ここからはボロブドール観光一日ツアーの
       みなさんは、この旗が目印ですから、団体行動ですよ~~~」

      と、言うのではない。

      2人組は2人組み、3人組は3人組とグループごとに別だ。

  だから、みんな、しら~~~~として、別の組みとは口をきかない。(笑)

      
      ライオン・エアーは格安航空会社なので、水も出ない。

      
      30分ほどで窓から山並が見えてきた。

      1時間でジョグジャの空港に到着。

      空港には某H.I.Sの提携現地旅行会社のガイドが
      待っているはずである。

      待っていたガイドさんは、  
       な、なんと インドネシア人の若い女性でした。(ラッキー!)

      ♪♪うれしいな、うれしいな♪♪

      インドネシア民謡を思い出した!
      梶 なんとか という人が歌ってたな~~~~。
      「歌声喫茶」などでも歌われていたみたいですね~~~。
      
      ♬かわいあの娘(こ)は 誰のもの
       かわいあの娘(こ)は 誰のもの
       かわいあの娘(こ)は 誰にもの

       いえ あの娘は ひとりもの♬

       この歌の次の歌詞が、まったくわけがわからない(笑)

       「ノナマニサパヤップニャン」 ていうんですから

       ♬俺には「サッパリワカラニャン」♬
      

     ともあれ
      運転手つきで、彼女と二人で(笑)、これから13時間の観光だ。

      で、上記のインドネシア民謡の最後のフレーズをちょっと変えて

       ♬いえ あの娘は 俺のもの ♬   だ~~~~!

       でも、まだ朝が早い!

      取りあえず
       プランバナンというヒンドゥー寺院に行く。
        
        
        
      早速、「写真と撮りましょうか?」と言われ、お願いした。
        
        
        
        
        寺院の周りには小さなヒンドゥー寺院がたくさんあったが
        2010年のムラビ山の地震と噴火で崩れ落ちたのだそうだ。
        遠くにムラビ山が見える。 

        ワタシは足が元気なので、どんどん歩き、予定時間より
        早め早めに観光が進んでしまう。

       次は「王宮」に向かった。

     だが、「王宮」では王様が儀式をおこなっているため
     「部外者の入場禁止」だった。

      ったく!、その儀式にワタシを招待してほしかったな~~~(笑)
   
      もう、王様も自分勝手だよな~~~~(笑)

     ガイドさんは「すみません」と謝るのを鷹揚に受け止め
     それでは、「水の宮殿」にご案内となった。
        
        水の宮殿と言っても、
        なんのことはない、王様が妾の沐浴を覗くための宮殿だ。(笑)
        
        
        上の階から王様はこの沐浴場を覗き、
        今夜の「夜伽」を決めたのかな~~~~~。(笑)
        まったく、男ってものは!(笑)
        王様はいいな~~~~~っ!(笑)

        でも、今の王様は 奥さんが ひとりなんだそうです。
        でも、でも、子どもは女の子だけで、お世継ぎがいないとか。
        で、次の王様は「弟」が継ぐことになるという。

     こんとなころを観光しても、スラスラ、階段もなんのそので
     登り降りしてしまうので、想定予定時間より早く終わってしまうので

     ガイドのお嬢さんも、困って、「早いですがランチにしますか?」
       
      車で、ランチ予定のレストランに到着。

      午前10時半だ!

      当たり前だが、午前10時半にランチなんて

      レストランに ワタシがひとり。

      ガイドさんは原則として同席しないのだそうです。

      ガイドさん
      「時間がたっぷりありますので、ゆっくりお食事してください」
         
        タピオカ・チップ(ポテトチップみたい)
         スープから始まる
          
         こんな沢山の皿。
         チキンカレー、ビーフカレー、野菜、魚、 
         これもツアー料金に入ってます。

         アルコールは別料金
         
        デザートとコーヒー。

     なんとか12時まで時間を潰して

    ボロブドールへ

    入場料はUS15ドルだが、これもツアー料金に含まれている。

    ここでガイドはガイド嬢から、ボロブドールのガイドに交代。

    今度は男性だった。
        
        
        
        
       この仏教遺跡は火山の噴火のダメージであちらこちら修復が
       行われている。
        
     ボロブドールに入ってすぐにスコールに見舞われた。
     なかなか止む気配がないが、傘を持って
     ブッダの生誕物語を説明するようお願いした。

     ガイドさんは日本語ガイドさんで、ワタシの要求にいやな顔を
     せず、しっかりレリーフに沿って説明してくれた。
        
         
        
       雨上がりの景色
        
      上段の3層にはこのようなストゥーパがあり、中には
      仏像があるのだが
        
        こんな具合に・・・・
        別に風呂に入っている訳ではない・・・・ 

      このガイド料も無料で(笑)

     出口で待っているガイド嬢と待合室で「お茶」

     次の観光地に行く前に、まだ時間がたっぷりありますから
     「どこか行きたいところは?」との質問に
     徘徊老人は
      「連れ込みホテル」とは言わずに
      「ローカルな床屋」と答えたのでした。

      「えっ!床屋ですか~~~?
       いままでガイドをしていて、そんな質問されたことありません」
      「髪が少ないので、ハイクラスなカット・サロンじゃなく
       ローカルな床屋に行きたい」
      「予算は?」
      「300円」
      「え~~~~つ。ドライバー に訊いてみます」    

         
               
         
               
   

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