朝、朝食を取るため、さまよい歩いていたら、
やはり華僑のレストラン(食堂)なのだが、レストランの中に屋台風の店が
数軒あるレストランがあった。
今風に言うならば、「フードコート」だ。
ただ、今風の「フードコート」のような清潔感はない。
どの屋台にも、
「雲呑麺」(ワンタンミン)「大」5.5MR「中」5.0MR 「小」4.0MR と
ガラスに書いてある。値段は同じだ。
だから、客を集めるには「味で勝負」と言う事になるのだろう。
僕はその屋台の一軒で「雲呑麺」の「大」を注文した。
やがて、運ばれて来たのは、小さなお椀に入った「ワンタンスープ」
お椀の中にはワンタンが3個入っている、
それと皿に盛られた炒麺だ。
僕は「ドキリ」として、ワンタン麺って「湯」(スープ)に
入っているんじゃないの?と屋台のオバチャンに言った。
オバチャンは「この辺じゃ、ワンタン麺ていうのは、それのことよ」と
言って笑った。
「ワンタン入りスープ」と「炒麺」
確かに、間違いなく ワンタンと麺だ!→「ワンタン麺」!
こんな時に限ってデジカメを持っていない。
食べ終わり、お金を支払う時に、
オバチャンは「ム・ホーイ・シー・ア」(こめんよ)と広東語で行った。
僕も広東語で「モーマンタイ」と答えた。
「あんたどこから来たの?」
「日本から」
「アイヤ~~~、トーチェ・トーチェ」(え~~~っ、ありがとね)
なんだか、今日一日、出足が好調だ。
クアラルンプルは大都会なので、CITI Bankもある。
僕はこの旅行にあたっては大金を持ち歩いてはいない。
CITI Bank で現金を引き出して当面の資金にしている。
今日の朝イチの仕事は、このCITI Bank に行くことである。
電車でCITI Bankのある駅で下車した。
CITI Bank の隣がインターコンティネンタル・ホテルだ。
なんでも、以前は、日航ホテルだったのだそうだ。
ロビーにはクリスマス・ツリーが飾られ、
フロントではお金持ちそうな人がチェックアウトしている。
ソフィステケーテッドなホテルだ。
今の僕にはまったく不釣り合いのホテルだ。
ここから、僕の徘徊は開始だ。
もう名前も忘れてしまったが、この建物の前では
超ショート・コースの車のレースが土・日と行われるらしく
今日の「金曜日」は公開練習日のようだった。
どんどん中に入っていったら、「パスを持ってなければこの先はダメ」と
言われてしまった。
そこから中華街
ヒンドゥー寺院
これなど、ここは南インドですと言っても「納得」してしまうだろう。
セントラル・マーケットを巡り
ジャメ・モスクへ
金曜日とあってムスリムの人たちでごった返していた。
このモスクから、また徒歩で国立モスクへ行った。
国立というだけあって、広いモスクで、なんでも今日は
特別の礼拝日で、国のオエライさんも来ているので警備が厳しい。
お昼の礼拝が終わると
人・人・人の波だ。
モスクの出口の周囲には「屋台」がならび、大変な混雑だ。
さすが商売人だ。
礼拝の終わるのが午後1時、皆 お腹をすかせて出て来ることを
予測しての商売だ。
一方、玄関口の横の「貴賓館」通路からは
白バイに先導されて
出て来る「首相」(?)「国王」(?)の車。
その後に車列が20台くらい続いた。
さすが、ナショナル・モスクだ。
ナショナル・モスクの向かい側は「アルジャジーラTV局」だ。
この近所にムスリム・アート・ミュージアムがある。
ムスリム芸術や世界の美しいモスクのミニチュアーが展示してある。
この博物館をでて、旧マレーシア鉄道のKL駅に向かう途中で
スコールに会った。
ナショナル・モスクの階段口で雨宿りすることにした。
雨宿りしている最中にも団体観光客がやってくる。
その中の、個人で組んだ団体なのか8人組みの団体が
僕の座っている隣に並んで腰かけた。
会話は中国語だ。
僕は話しかけてみることにした。
「みなさんは中国からですか、それとも台湾からですか?」
「私たちは中国からです。あなたは?」
「私は日本人です」
「どうして中国語を話すことができるのですか?」
「この4月まで、香港に居て、中国にもしょっちゅう行ってました。
みなさんは中国のどこから来たのですか?」
「私達は広東省の東莞から来ました」
「え~~~!東莞!」
「東莞 知ってるんですか?!」
「はい、太平のアパートにも住んでました」
「それじゃ~~、太平の何区ですか?」
「五区」
「五区なら富民花園を知ってますか?」
「私は あそこに住んでました!」
「私の親戚は富民花園に住んでます。時々行きますよ」
大変な出会いになってしまった。(笑)
みな、30代から40代の男性4人に女性4人、つまり夫婦だ。
相当のお金持ちではければ、海外渡航も難しい国だ。
「みなさん、大金持ちで、会社じゃ「老板」(社長)なんでしょ?」
「ははは、違いますよ。名刺ください」と言われたが
今の僕には「名刺」などない。
ここから始まるのだ。(笑)
「チャンスがあればあなたの会社のお手伝いをしたい」と。
丁度、その時、彼らのミニバスがやって来た。
僕はほっとした。
雨が上がったので、僕は歩きだした。
明日から始まるマレー鉄道の旅にふさわしく、
旧マレー鉄道の始発駅を見てみたかったからだ。
ここが、現在は鉄道省になっている。
車の出口・入り口には鉄道時代の信号機がある。
この向かいが旧マレー鉄道の始発駅、クアラルンプル駅だ。
現在はコミューターの駅として1階とプラットホームが使用されている。
軌道が狭い旧式の方式を取っているため、現在ではクアラルンプル
近郊のみの運行となっているようだ。
確かに乗車して見ると車内はせまい。
東京でいえば、大江戸線や都営地下鉄の車輛のように狭い。
この電車に乗り、次の駅のセントラルで下車し、
宿に戻ろうとした。
昼飯もまだ食べていない。時刻は4時に近い。
これから昼飯を食べれば夜は食べれなくなってしまう。
インド料理屋、と言っても、この界隈にはしゃれたレストランはない。
「食堂風」の店だ。
そこに入り
マサラ・ドーサとコーヒーを注文した。
看板がタミル語で、
英語でカーヴェリー・レストラン(南インドの川の名前)だ。
南インドなので「チャイ」ではなく「コーヒー」が常道だ。
何年ぶりで「ドーサ」と「コーヒー」を注文したことか。
この写真では、まだ「サンバル」(カレー汁)が来ていないので
「サンバルは まだ?」と言ったら、即座に持って来た。
食べ終わり、支払いは7.5MRだった。
夕暮れ迫る宿に戻り、明日の準備をして、
夜8時過ぎに、また中華とビールを食べに出かけた。
いよいよ、明日からマレー鉄道、マレーシアからバンコックの旅に出る。
やはり華僑のレストラン(食堂)なのだが、レストランの中に屋台風の店が
数軒あるレストランがあった。
今風に言うならば、「フードコート」だ。
ただ、今風の「フードコート」のような清潔感はない。
どの屋台にも、
「雲呑麺」(ワンタンミン)「大」5.5MR「中」5.0MR 「小」4.0MR と
ガラスに書いてある。値段は同じだ。
だから、客を集めるには「味で勝負」と言う事になるのだろう。
僕はその屋台の一軒で「雲呑麺」の「大」を注文した。
やがて、運ばれて来たのは、小さなお椀に入った「ワンタンスープ」
お椀の中にはワンタンが3個入っている、
それと皿に盛られた炒麺だ。
僕は「ドキリ」として、ワンタン麺って「湯」(スープ)に
入っているんじゃないの?と屋台のオバチャンに言った。
オバチャンは「この辺じゃ、ワンタン麺ていうのは、それのことよ」と
言って笑った。
「ワンタン入りスープ」と「炒麺」
確かに、間違いなく ワンタンと麺だ!→「ワンタン麺」!
こんな時に限ってデジカメを持っていない。
食べ終わり、お金を支払う時に、
オバチャンは「ム・ホーイ・シー・ア」(こめんよ)と広東語で行った。
僕も広東語で「モーマンタイ」と答えた。
「あんたどこから来たの?」
「日本から」
「アイヤ~~~、トーチェ・トーチェ」(え~~~っ、ありがとね)
なんだか、今日一日、出足が好調だ。
クアラルンプルは大都会なので、CITI Bankもある。
僕はこの旅行にあたっては大金を持ち歩いてはいない。
CITI Bank で現金を引き出して当面の資金にしている。
今日の朝イチの仕事は、このCITI Bank に行くことである。
電車でCITI Bankのある駅で下車した。
CITI Bank の隣がインターコンティネンタル・ホテルだ。
なんでも、以前は、日航ホテルだったのだそうだ。
ロビーにはクリスマス・ツリーが飾られ、
フロントではお金持ちそうな人がチェックアウトしている。
ソフィステケーテッドなホテルだ。
今の僕にはまったく不釣り合いのホテルだ。
ここから、僕の徘徊は開始だ。
もう名前も忘れてしまったが、この建物の前では
超ショート・コースの車のレースが土・日と行われるらしく
今日の「金曜日」は公開練習日のようだった。
どんどん中に入っていったら、「パスを持ってなければこの先はダメ」と
言われてしまった。
そこから中華街
ヒンドゥー寺院
これなど、ここは南インドですと言っても「納得」してしまうだろう。
セントラル・マーケットを巡り
ジャメ・モスクへ
金曜日とあってムスリムの人たちでごった返していた。
このモスクから、また徒歩で国立モスクへ行った。
国立というだけあって、広いモスクで、なんでも今日は
特別の礼拝日で、国のオエライさんも来ているので警備が厳しい。
お昼の礼拝が終わると
人・人・人の波だ。
モスクの出口の周囲には「屋台」がならび、大変な混雑だ。
さすが商売人だ。
礼拝の終わるのが午後1時、皆 お腹をすかせて出て来ることを
予測しての商売だ。
一方、玄関口の横の「貴賓館」通路からは
白バイに先導されて
出て来る「首相」(?)「国王」(?)の車。
その後に車列が20台くらい続いた。
さすが、ナショナル・モスクだ。
ナショナル・モスクの向かい側は「アルジャジーラTV局」だ。
この近所にムスリム・アート・ミュージアムがある。
ムスリム芸術や世界の美しいモスクのミニチュアーが展示してある。
この博物館をでて、旧マレーシア鉄道のKL駅に向かう途中で
スコールに会った。
ナショナル・モスクの階段口で雨宿りすることにした。
雨宿りしている最中にも団体観光客がやってくる。
その中の、個人で組んだ団体なのか8人組みの団体が
僕の座っている隣に並んで腰かけた。
会話は中国語だ。
僕は話しかけてみることにした。
「みなさんは中国からですか、それとも台湾からですか?」
「私たちは中国からです。あなたは?」
「私は日本人です」
「どうして中国語を話すことができるのですか?」
「この4月まで、香港に居て、中国にもしょっちゅう行ってました。
みなさんは中国のどこから来たのですか?」
「私達は広東省の東莞から来ました」
「え~~~!東莞!」
「東莞 知ってるんですか?!」
「はい、太平のアパートにも住んでました」
「それじゃ~~、太平の何区ですか?」
「五区」
「五区なら富民花園を知ってますか?」
「私は あそこに住んでました!」
「私の親戚は富民花園に住んでます。時々行きますよ」
大変な出会いになってしまった。(笑)
みな、30代から40代の男性4人に女性4人、つまり夫婦だ。
相当のお金持ちではければ、海外渡航も難しい国だ。
「みなさん、大金持ちで、会社じゃ「老板」(社長)なんでしょ?」
「ははは、違いますよ。名刺ください」と言われたが
今の僕には「名刺」などない。
ここから始まるのだ。(笑)
「チャンスがあればあなたの会社のお手伝いをしたい」と。
丁度、その時、彼らのミニバスがやって来た。
僕はほっとした。
雨が上がったので、僕は歩きだした。
明日から始まるマレー鉄道の旅にふさわしく、
旧マレー鉄道の始発駅を見てみたかったからだ。
ここが、現在は鉄道省になっている。
車の出口・入り口には鉄道時代の信号機がある。
この向かいが旧マレー鉄道の始発駅、クアラルンプル駅だ。
現在はコミューターの駅として1階とプラットホームが使用されている。
軌道が狭い旧式の方式を取っているため、現在ではクアラルンプル
近郊のみの運行となっているようだ。
確かに乗車して見ると車内はせまい。
東京でいえば、大江戸線や都営地下鉄の車輛のように狭い。
この電車に乗り、次の駅のセントラルで下車し、
宿に戻ろうとした。
昼飯もまだ食べていない。時刻は4時に近い。
これから昼飯を食べれば夜は食べれなくなってしまう。
インド料理屋、と言っても、この界隈にはしゃれたレストランはない。
「食堂風」の店だ。
そこに入り
マサラ・ドーサとコーヒーを注文した。
看板がタミル語で、
英語でカーヴェリー・レストラン(南インドの川の名前)だ。
南インドなので「チャイ」ではなく「コーヒー」が常道だ。
何年ぶりで「ドーサ」と「コーヒー」を注文したことか。
この写真では、まだ「サンバル」(カレー汁)が来ていないので
「サンバルは まだ?」と言ったら、即座に持って来た。
食べ終わり、支払いは7.5MRだった。
夕暮れ迫る宿に戻り、明日の準備をして、
夜8時過ぎに、また中華とビールを食べに出かけた。
いよいよ、明日からマレー鉄道、マレーシアからバンコックの旅に出る。