徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 熱海日乗(平成30年3月21日、水曜日、雨)

2018年03月22日 | 日記
  今日は「春分の日」なのだが、関東地方は雪だ。
  熱海市内は雨だが、山の上は
       
       雪模様だ。
       箱根は20センチくらいの積雪のようだ。

    今朝も朝4時に起きて『文芸春秋』三月特別号に掲載されている芥川賞受賞作の
    「おらおらひとりでいぐも」を読んだ。
    読む人によっては方言混じりの文体はなじめないし、何を言っているのか分からない
    かもしれないが、ワタシの故郷の「釜石弁」と「遠野弁」はほぼ同じだから、
    すらすらと読むことができた。
    ワタシたちが話す土地言葉はそこに住む町の方言として理解しており
    作者は遠野で生まれ育ったから「遠野弁」と言う。
    生まれ育った環境で微妙に方言が異なるので、我々は「町」ごとに「町の名前」を
    つけて「なになに弁」と言うのだ。
    「釜石弁」「大槌弁」「遠野弁」「山田弁」「盛岡弁」「花巻弁」などなど。
    そうそう、宮沢賢治は「花巻弁」だ。
     宮沢賢治の詩の「永訣の朝」で死に瀕した妹が
      「あめゆじとてけてくんじゃ」と言う。
     釜石弁だと
      「あめゆぎとってきてけろ」となる。
     目上の人には
      「あめゆぎとってきてけねんか?」
     丁寧語になると
      「あめゆぎとってくださんせ」となる。

    歳を取ると、なぜか分からないが、と言うか、やはり生まれ故郷の言葉が
    心の深い襞に沈澱していて、時折「方言」が湧き上がってくるのだろうか、
    ワタシもこの小説で描かれているように「釜石弁」でひとりごとが浮かんでくることがある。
    その意味でも、主人公の一人暮らしの「桃子さん」の「ひとりごと」(心に浮かぶ言葉)は
    ワタシの「ひとりごと」にも似ていてのめり込めた。
    でも考えて見れば、日本の各地の方言が文体に表現されている作品はあまたあるので
    この今回の芥川賞受賞作だけが「特別」なわけではない。
    このなにを言っているか分からない方言の作品を、よく選者は選んだものだ。

     「んだんだほんだんだんだほんだんだんだほんだ」(作品の中から)

    寒いし、一日中雨なので読書の他に「お絵かき」もして
    夕方は大相撲をテレビで観戦した。
    今場所は「一人横綱」で、最後に鶴竜が登場するのだが、
    花道から出て来る時の
       
        「つけ人」の白縁の眼鏡といいコワモテの顔つきといい、
         横綱の掴みどころのない鶴竜の顔より貫禄があり、
         まるでボディー・ガードのようだ。(笑)
        「番付」ではどのへんにいる力士なんだろうか?
        興味がある。(笑)

   夜は「禁酒」して、ごはんとみそ汁と納豆の簡単な夕飯にした。
   ワタシだって、「やればできる!」(笑)
   まっ、1日くらいならね。
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