徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人のひとりごと 『インド夢枕 第12回』(1994年) 再録10

2021年10月22日 | 南アジア
         「インド夢枕 第12回」 再録10

  ウーティーの赤茶色の水とコインバトゥールのコーヒーの匂い

  北インドのぎすぎすした人間模様から逃れるなら、南インドに旅に出たほうがよい。
 人間が優しい。高原の避暑地ならバンガロールが有名だが、もう少し足をのばして
 ウーティ(ウダガマンダラム)まで行くのも面白い。近くの空港はマイソールである。
 マイソールからバスで行くかコインバトゥールから登山列車で行くかである。登山列車は
 ダージリンのトイ・トレインに似ている。僕らはマイソールからバスでウーティー入りした。
 終点のウーティーのバス・スタンドからオートリキシャで一番高そうなホテルに行ってくれと
 頼む。オートリキシャは山道を登り広々とした庭のあるファーンヒル・インペリアル・ホテル
 へ。古めかしくも格式のありそうなホテルで、すぐの気に入りチェックインを済ませる。
 部屋は20帖はあるかと思われるほどの広さで、広いダブルベッド。今宵はわが愛する妻とと
 思う。しかし、しかしである。トイレに行った妻が水が流れないと苦情を言う。すぐさま部屋を
 変えてもらうことにする。今度の部屋はそれほど広くはないが部屋まで行く廊下に二人掛けの
 ソファーがさりげなく置いてあり、夕暮れ時には読書をしながら優雅に紅茶などを飲むことがで 
 きる。夕食は由緒ありげな広々とした食堂でフランス料理を、これが女王の丘と呼ばれる避暑地
 の夜なのかと満足する。部屋に戻り、衛星放送でテレビを観ながら風呂に入ろうと蛇口を
 ひねって腰を抜かしてしまった。出て来るお湯は赤茶色、レンガ色のお湯なのだ。
 妻はこんなお風呂には入れないと言い出す。僕はというとレンガ色だろうと赤茶色だろうと
 お湯には違いがないと負け惜しみをいいながらのんびりと風呂に入ることにする。
 白いタオルが赤茶に染まった。
 涼しい高原の夜がこのお風呂のおかげで台無しになってしまったのは言うまでもない。
 それでも二泊してしまったのだ。
  僕らはウーティーからバスでコインンバトゥールに戻る。
 ウーティーからニルギリ山脈を越え、今度はコインバトゥールを経由してマドライまで南下
 しようというのだ。バスはマドゥライまで行く巡礼の団体で一杯だ。彼らはバジャン(ご詠歌)
 をタンバリンや鐘の音に合わせて歌いまくる。この歌声がどれくらい持つかと思いきや、
 やはり1時間もするとみんな歌い疲れて静かに眠り込んでしまった。バスは山道を下る。
 涼風が窓から入り込み、眼下には谷に落ちる滝が見え隠れする。しばらく山を下ると気温が
 上昇したように感じるころ、バスはコインバトゥールの街に入る。
 窓からなんとなくコーヒーの香りがしてくる。この街はあまり外国人観光客の来ない街では
 あるが活気あふれる街で、夕暮れ時、街のスナック・レストランは盛況でテーブル拭き係の
 少年がテーブルの上をきれいにするために水を掛け、車のフロントガラスを拭くワイパーの
 ように、竹の棒でテーブルの上をなぞる。これがこの街のテーブルの拭き方と感心してしまう。
 飲み物は紅茶よりもコーヒーだ。コーヒー豆の卸問屋が軒を連ねているところもあり、
 そこからコーヒー豆のかぐわしい香りが僕のコインバトゥールの印象だ。
 半日しか滞在しなかったが、コインバトゥールはコーヒーの匂いという思い出を
 昨年インドからやって来たコインバトゥール出身の人に言うと嬉しそうに顔をほころばせた。

 ※ 情報誌 『Suparivaram』 No.17 (発行所:JAYMAL 1994年11月15日号)
   情報誌には「第10回」と書いたが第12回と訂正する。

  手元に残っている『Suprivaram』掲載したエッセーはこれだけだ。
  これで「断捨離」できます。
  発行者であるインドレストランにJAYMALさんはその後閉店し山形に移転した。
  つたないワタシのエッセーを掲載していただき感謝いたします。
  ありがとうございました。
 

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徘徊老人のひとりごと 「インド夢枕 第11回」(1993年5月30日) 再録9

2021年10月22日 | 南アジア
      「インド夢枕 第11回」  再録9

  久しぶりのインド (2)

  夕方6時、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に着いた。予想していたよりも気温が
 高い。例年なら寒いくらいなのに用意したジャンパーが不要なのだ。タクシーで友人宅に向か
 う。至る所、道路を掘り起こしている。その土埃がすごい。友人宅の近所の邸宅も取り壊しの
 さいちゅうだ。だいたいがレンガを中心にしたコンクリートの建物だから、壊すときもレンガ
 を打ち砕くのでその埃が乾燥した空に舞う。それと自動車の排気ガスがあいまって鼻の中が
 真っ黒になる。友人宅に着くとすぐに顔を洗うことにする。友人の家は三世代18人位が一軒
 の家に暮らしている典型的はインド的大家族だ。18人位とあいまいに書くのは、いつも親戚
 が遊びに来ていたり、兄弟のだれかが出張で出かけていたりして常に人数が変わるからである。
 かく言う僕も家族の一員のような顔をして三階の書斎を自分の部屋にしてしまうのである。
 そんな僕が数年ぶりで来るというので孫の所に遊びに行っていた数人も帰って来て僕を迎えて
 くれた。ありがたいことだ。
 数年ぶりで会う子供達は皆青年になり大学に通うようになっていた。今回の滞在は5日間だけ
 なので夕食は家で取ることと釘を刺される。休養に来たはずがいつも走る回ることになるので
 みんなが家に居ろと言う。それでも本を買いに出かけたり、知人にばったり出会ったり、床屋に
 行ったり(日本では散髪代金が高いのでカミさんに切ってもらう。だからインドに来ると床屋に
 行くことにしている)、義理で知人の家に行ったり、と忙しい毎日で、出歩く度に鼻の穴が真っ
 黒になり、目やにも黒く、咳も出る。公害のひどさには閉口してしまう。ついには「まいった!
 デリーは公害都市だ」と文句を言う。インド人の友人はすかさず「お前のおかげでデリーが公害
 都市になってしまったんだ」と切り返す。「おまえ」つまり僕の名前は「スズキ」であり、
 今、デリーで爆発的に売れている自動車が鈴木自動車との合弁会社の「マルティ・スズキ」とい
 う小型乗用車なのである。排気ガス規制にマッチした車なのだが公害をまき散らさないガソリン
 よりも安くて走行距離の稼げるガソリンの方がいいと思っている人の方が多い。かくして「マル
 ティ・スズキ」の小型乗用車は安いガソリンでデリーの街を排気ガスをまき散らしながら走りま
 わるということになる。車の絶対量が急激に増えているのだ。オールド・デリーのダリヤガンジ
 地区などはバス、車、オートバイが相変わらずひしめき合い、昔のように野良牛が道路にのんび
 りと寝そべることもできないし、人間が道を横断することさえ難しいくらいだ。そして排気ガ
 ス。もう二度と冬のデリーには来るまいと思うほどだ。
  各地で頻繁に起きている宗教対立も個々人の意見では衝突はよくないと言うが集団心理の恐ろ
 しさ、その恐ろしさを知っているためテレビではこの宗教対立の模様を流さない。アヨーディヤ
 襲撃の映像は僕らは日本でテレビニュースで観たがインドでは流されなかったと言う。
 そう言えば「おしん」の放映がデリーでも始まった。英語の吹き替えなので、あまりピンとこな
 いがどのような反応か今後が楽しみだ。デリーの街は郊外も急激な勢いで宅地化が進んでいる。
 その最たるものはネルー大学裏の荒涼とした岩だらけの原を宅地に開発していることだ。ヴァサ
 ント・クンジュ地区というのだが宅地造成がまだ終わっていない所もあり大変な土埃だ。
 「ああ、やだやだ」と思いながらも義理を果たすために友人の家に。もう明日はロンドン発デリ
 ー経由ボンベイ行の飛行機に乗らなければならない。みんなになんで早く日本に帰るのかと文句
 を言われながらデリーの街を走りまわる。翌朝。11時の飛行機に乗るため空港へ。なんと飛行
 機はロンドンを発っていないという。こちらは明後日の飛行機で日本に帰らなければならない。
 どうしてくれるんだと係員に抗議すると今夜のモスクワ発デリー経由ボンベイ行の予約を取って
 あるので大丈夫と。「ノープロブレム」と言って友人宅までのタクシー代をくれた。また友人宅
 に逆戻りで、みんなに日本に帰るのを諦めたのかと冗談を言われる。夜まで友人宅で時間を
 潰し、今度こそはと空港へ。12時間遅れの別便も結局は午前3時まで遅れたのであった。
 飛行機はロシアの飛行機(後日、デリーで着陸に失敗したのと同じ型の飛行機)で心許なかった
 がなんとか早朝のボンベイに到着。そして12時間後のキャッセイ機で日本に。
 なにがなんだかわからないうちに10日間のインド旅行が終わったのであった。

 ※ 情報誌『Suparivaram』No.16  1993年5月30日発行
   (発行所:JAYMAL)
   情報誌には『インド夢枕 第9回』と記したが第11回に改めた。
 

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徘徊老人のひとりごと 熱海日乗(令和3年10月21日、木曜日、晴れ)

2021年10月22日 | 日記
  今日も忙しい一日だった。
      
      朝の太陽が昇る前、まるで「旭日旗」のような雲。

  その後、
      
      広重の「富岳三十六景」にある波のような雲。

  今日は天気がよいので午前中は「石垣ガーデン」の草むしりとマンションの駐車場の
  側溝に溜まった落ち葉と泥を掻き出す。
  側溝の格子状の金属の蓋が案外重いのでギックリ腰にならないよう腰をしっかり下ろして
  作業をする。マンションの駐車場周りはワタシの仕事ではないのだが、気になるので
  ついつい仕事をしてしまう。

  明日は雨が降るというので、「日向ぼっこ」は明日はできないから今日も行こうと
  昼飯を食べた後に今夜の夕飯用に「芋煮」を作る。
  こうしておけば、「日向ぼっこ」から帰って料理をする必要もないからだ。
  芋煮を作り終えて30分ほど横になって、
  午後2時に岸壁に出かけた。
  途中、スマホを忘れたのに気が付いたが、毎日アイゴばかり釣っているので
  写真に撮るのも飽きたので、まあスマホがなくてもいいかと思った。
  今日は釣り人が少なくて、ワタシの定位置にはだれもいなかったのでのんびり
  日向ぼっこをしようと思った。
  釣り糸を垂れたのは午後3時だ。
  日が短くなったので午後3時に開始し太陽が山に隠れる午後4時15分には釣り終了が
  ワタシのルーティンだ。そして市役所の4時半のメロディーが流れるころまでに
  後始末を終えるのだ。
  で、今日も午後3時に開始すると1投目からアイゴが掛かった。
  演歌に『おやじの海』という歌があるが、熱海は『アイゴの海』だ。
  ♬ 海はよ~~~、海はよ~、熱海の海はよ~~、俺を育てたあ、アイゴの海だ~♬(笑)
  立て続けにアイゴばっか!
  まあそれでもクーラーボックスを椅子がわりにして日向ぼっこするのはいい。
  何度目かにまたウキがドスンと沈んだ。
  この引きはまたアイゴだと合わせた。
  強い引きだ。アイゴに間違いない。
  糸を切られるかもしれないから魚の動きに合わせて駆け引きする。
  魚影が見えて来た。腹が白い。やはりアイゴか?それにしてもデカイ。
  ワタシが魚と格闘しているのを見て顔見知りの釣り人が駆け付けて助言してくれる。
  魚はアイゴではなくイスズミだという。
  魚が海面から顔を出し静かになったところでタモ網ですくい上げてくれた。
  釣竿で岸壁まで引き上げるのは無理だった。
  タモ網の径と同じくらいの大きさだった。
  記念に写真を撮ろうとしたが今日はスマホを持ってきていない残念。
  近くで釣りしている人も寄ってきて、「大きいね~~」と言ってくれる。
  大きさは40センチを超えている。
  こんな魚、持って帰ってどうするの?
  イスズミは臭いって言われているので食用に適さないとも言われているそうだ。
  なので、「持って行きますか?」と言ってみる。
  こう勝ち誇ったように言ってみたかった。(笑)
       
       イスズミという魚の写真を魚類図鑑から添付。
       大きさは70センチくらいになることもあるそうだ。
       磯でメジナの外道として釣れることもあるが、食用として適さないので
       リリースすることが多い。とのことだ。

  顔見知りの釣り人が「それじゃ~、俺にくれる?」というので「いいですよ」と言うと
  「これは内臓が臭いので捌くコツがあるから俺が捌くよ」と。
  ワタシはいつもウロコ取りと包丁は持っているのでそれで鱗を取り、
  頭と内臓を取りだすのは彼に任せた。
  うまく捌いてくれた。
  それじゃ三枚に卸しましょうかというと、せっかくだから釣ったアンタも持って行きなよと。
  「ここからここまでは俺が持って行くから」とぶつ切りを希望だ。
  まあ、ご要望に従いましょっと。
  で、3分の1ほどをワタシが貰った。(釣ったのはワタシだがね。(笑)
        
        どれほど大きいかというと幅だけでも20センチのバットに入らない。
        
        背と腹までは20センチもある。右側の切り身は尻尾の方なのだ。

         二切れ持ち帰ったがどうする?という大きさ。
         今夜は刺身で、明日はムニエルかな~~?

  夜は「芋煮」と
        
        イスズミの刺身。白身の魚でメジナのようにこりこりして弾力がある。
        捌き方が良かったのか、新鮮だからか、臭みが全然なかった。
        でもワタシは刺身ならマグロが好きだな~~~。
  

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