「霞ケ池」を眺めながら「成巽閣」方向へ。
正面奥に大きな建物。国の重要文化財「成巽閣(せいそんかく)」。
成巽閣(せいそんかく)
文久3年(1863年)に加賀藩13代藩主・前田斉泰が母・真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として兼六園内の竹沢御殿跡の一隅に造営されたもので、金沢城からみて東南方即ち巽(辰巳)の方位に在るとして当初は巽新殿と名付けられたが、明治7年(1874)に兼六園が一般公開された時に成巽閣と改称された。
・・・幕末武家造りの遺構として他に類例がないものと高く評価されている。昭和13年国宝建造物に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている。建造物および藩政時代の美術工芸品が公開され、季節ごとの展示替えが行われる。
4月16日までは「雛人形・雛道具特別展」を開催中。
「根上松(ねあがりのまつ)」。
根が地上にせり上がった迫力の奇観で有名な黒松。13代藩主前田斉泰(1822~1866)が、稚松を高い盛土にお手植えし、徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられる。
「明治紀念之碑」。
像は日本武尊。明治10年(1877)西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祀った記念碑。明治13年(1880)に建てられた。
隣には見事な松。
園内の樹木はどれもすばらしく、じっくりと見て回りたいところですが、時間も無く・・・
「菊桜」。
日本で一つしかなかった天然記念物、兼六園菊桜の2代目。一つの花に花びらが300枚以上つき、ちょうど菊の花のように咲くことからこの名で呼ばれています。開花期は4月下旬から5月上旬までの約2週間。普通の桜と違って、濃紅、薄紅、白と色が移っていくのが特徴。全国にある桜のなかでも特に珍しい品種です。(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/point_win/21/より)
見た目、身体中に包帯を巻かれたような有様で(もちろん、樹勢を保つためでしょうが)痛々しい印象です。
「七福神山」。
別名「つつじが岡」または「福寿山」とも呼ばれる築山に、七福神をなぞらえた天然石が置いてあります。「どの石が大黒様かな?」と探しながら見ると楽しいですよ。
七福神山は、12代藩主斉広が造った竹沢御殿の庭園の一部で、曲水護岸の石組み、雪見橋や雁行橋、雪見灯籠などの配置もほとんど当時のまま残っています。
(「」HPより)
園内は観光客もたくさん。
「霞ヶ池」の向こうは「内橋亭」。
兼六園の中程にある大きな池「霞ヶ池」。その池のほとりに立つ お食事処・お土産処です。池の上に立つ水亭と手前のお部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれました。もと蓮池庭(兼六園の始まりとなった庭園)内にありました四亭の中の一つで、鯰之亭(なまずのてい)ともいわれており大変歴史のある建物です。(「同」HPより)
「唐崎松」。
兼六園の中で最も枝ぶりが見事な松である。13代藩主・斉泰が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて実生から育てた黒松である。11月1日に雪吊り作業を始める。北陸の冬の訪れを告げる風物詩となっている。(「パンフレット」より)
(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/new/ivent/yukituri.htmHPより)
「雁行橋」。
11枚の赤戸室石を使って雁が列をなして飛んでいる姿に作られているので雁行橋と呼んでいる。また、一枚一枚の石が亀甲の形をしているので別名を亀甲橋ともいう。(「パンフレット」より)
今度は芭蕉の句碑がある「山崎山」に向かいます。
正面奥に大きな建物。国の重要文化財「成巽閣(せいそんかく)」。
成巽閣(せいそんかく)
文久3年(1863年)に加賀藩13代藩主・前田斉泰が母・真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として兼六園内の竹沢御殿跡の一隅に造営されたもので、金沢城からみて東南方即ち巽(辰巳)の方位に在るとして当初は巽新殿と名付けられたが、明治7年(1874)に兼六園が一般公開された時に成巽閣と改称された。
・・・幕末武家造りの遺構として他に類例がないものと高く評価されている。昭和13年国宝建造物に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている。建造物および藩政時代の美術工芸品が公開され、季節ごとの展示替えが行われる。
4月16日までは「雛人形・雛道具特別展」を開催中。
「根上松(ねあがりのまつ)」。
根が地上にせり上がった迫力の奇観で有名な黒松。13代藩主前田斉泰(1822~1866)が、稚松を高い盛土にお手植えし、徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられる。
「明治紀念之碑」。
像は日本武尊。明治10年(1877)西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祀った記念碑。明治13年(1880)に建てられた。
隣には見事な松。
園内の樹木はどれもすばらしく、じっくりと見て回りたいところですが、時間も無く・・・
「菊桜」。
日本で一つしかなかった天然記念物、兼六園菊桜の2代目。一つの花に花びらが300枚以上つき、ちょうど菊の花のように咲くことからこの名で呼ばれています。開花期は4月下旬から5月上旬までの約2週間。普通の桜と違って、濃紅、薄紅、白と色が移っていくのが特徴。全国にある桜のなかでも特に珍しい品種です。(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/point_win/21/より)
見た目、身体中に包帯を巻かれたような有様で(もちろん、樹勢を保つためでしょうが)痛々しい印象です。
「七福神山」。
別名「つつじが岡」または「福寿山」とも呼ばれる築山に、七福神をなぞらえた天然石が置いてあります。「どの石が大黒様かな?」と探しながら見ると楽しいですよ。
七福神山は、12代藩主斉広が造った竹沢御殿の庭園の一部で、曲水護岸の石組み、雪見橋や雁行橋、雪見灯籠などの配置もほとんど当時のまま残っています。
(「」HPより)
園内は観光客もたくさん。
「霞ヶ池」の向こうは「内橋亭」。
兼六園の中程にある大きな池「霞ヶ池」。その池のほとりに立つ お食事処・お土産処です。池の上に立つ水亭と手前のお部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれました。もと蓮池庭(兼六園の始まりとなった庭園)内にありました四亭の中の一つで、鯰之亭(なまずのてい)ともいわれており大変歴史のある建物です。(「同」HPより)
「唐崎松」。
兼六園の中で最も枝ぶりが見事な松である。13代藩主・斉泰が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて実生から育てた黒松である。11月1日に雪吊り作業を始める。北陸の冬の訪れを告げる風物詩となっている。(「パンフレット」より)
(http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/new/ivent/yukituri.htmHPより)
「雁行橋」。
11枚の赤戸室石を使って雁が列をなして飛んでいる姿に作られているので雁行橋と呼んでいる。また、一枚一枚の石が亀甲の形をしているので別名を亀甲橋ともいう。(「パンフレット」より)
今度は芭蕉の句碑がある「山崎山」に向かいます。
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