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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR羽村駅~多摩モノレール・柴崎体育館前駅。その3。羽村堰下橋。羽村大橋。河口より53㌔。福生かに坂公園。玉川上水旧堀跡。福生加美上水公園。(「たまリバー50キロ」第1日目。)

2025-04-13 20:07:58 | たまリバー50

「羽村堰下橋」人道橋。対岸に向かう人たち。

右奥の橋は「羽村大橋」。

羽村大橋は昭和45年(1970年)から工事に着手し、昭和49年(1974年)3月に完成しましたが、都市計画で定めた幅の半分(多摩川の下流側半分)しか完成していないため、狭い歩道が片側にしかありません。
 このため、東京都では、未整備の多摩川の上流側半分に新しい橋を整備し、現在の橋と併せて、「羽村大橋」として完成させる予定です。
 これにより、両側に幅の広い歩道が完成し歩行者、自転車が安全・快適に「羽村大橋」をご利用いただけるようになります。また、車道は往復2車線のままですが、奥多摩街道交差点についても改良を行い、朝・夕の混雑を緩和する予定です。

※対岸は、東京都あきる野市。

上流方向。対岸は、羽村市。

「左岸 河口より53㌔」。

この付近から福生市に。

サイクリングを楽しむ人が多い。

「福生かに坂公園」。

ここは夏になると、『福生カニ坂ロックフェスティバル』という催し物が開催され、たいそうな盛り上がりをみせるようです。

※「福生かに坂公園」にまつわるお話

●大蛇と蟹の闘争

神話の八岐大蛇伝説にあるように、竜蛇が河川の化身であることは広くいわれていますが、同様に、蟹は河原の泥砂だともいわれます。洪水で荒れ狂う河川(蛇)に対して、堤防としての川岸の泥砂、州丘(蟹)が対抗する、という意が、へびかに合戦の背景にあるものと思われます。

●蟹坂

かにざか公園口にあって、旧玉川上水が洪水で決壊したために、新しく水路を掘りかえた所です。近くの新堀橋際に、海神である金比羅様を祭ってあるのをみても、いかに水難の歴史があったかがうかがわれます。

(この項「福生市観光協会」HPより)

左手の坂を上がると、「玉川上水旧堀跡」の碑。

「玉川上水では、元文5年(1740)に、多摩川の洪水被害を避けるための掘り替え工事が行われました。このとき廃棄された堀の遺構が玉川上水旧堀跡です。承応3年(1654)の完成から約90年が経った玉川上水では、多摩川の出水によって福生市内の一部で上水の土手がしばしば崩壊し、このままでは通水に支障が生じる恐れもありました。そのため代官上坂安左衛門のもと、上水世話役川崎平右衛門によって、337間(約613㍍)ほどの新しい水路が作られました。」

・・・掘りかえられたのは現水路の宮本橋上流約 100m 地点から、新堀橋上流約 60m 地点までの全長約 600m 区間です。新堀の多摩川寄りには現在旧堀跡が残されており、史跡に指定されています。       

「福生かに坂公園」を振り返る。

運動広場では親子連れがボール遊びで楽しんでいます。

ちょっと脇道にそれると、

中西悟堂「野鳥村」構想の地。

日本野鳥の会の創設者・中西悟堂が、日本初の野鳥研究所を兼ねた「野鳥村」建設の構想を描いた地としても有名。

「福生加美上水公園」。

玉川上水新掘開削時の遺構があり、自然の残る公園。

玉川上水。  

多摩川にもどります。 

公園、グランド、芝生広場などが整備され、荒川・江戸川と比べ、土手に草花が少ない印象。

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