おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

初めての釧路。その1。

2018-05-10 19:50:45 | つかのまの旅人
                                丹頂鶴自然公園。
 台湾から帰国して次の日曜日。釧路に出かけました。初夏の台湾から4月の東京に戻り、そしてまだ春浅い釧路へと日帰りの旅。
 しばらく音信不通だった方とお会いすることは出来ず、残念! でも、他の方々のお元気な姿に一安心。釧路空港に着いてからのひとときと帰りの便までの間のひととき。ちょっとばかり釧路の観光案内をしてもらいました。
「釧路市丹頂鶴自然公園」パンフレット。
 この公園は絶滅の危機にあるタンチョウを保護増殖するため、昭和33年(1958年)5羽のタンチョウが放され開園しました。
 10年後に自然ふ化、昭和45年(1970年)には人工ふ化に成功して以来、多くの増殖を手がけてきました。・・・現在、20羽のタンチョウが放飼されています。

餌場に近づくタンチョウ。

餌を食べにやってくるタンチョウ。それ以上にカラスが狙って横取り。しかし、タンチョウは鷹揚に構えています。 

 柵に囲まれていますが、園内は自然の湿原を保っています。
 

                    

 冬の季節では園外で自然に生活するタンチョウを身近に見ることができます。しかし、それも保護活動によるところが大きいようです。冬に入ると、大部分のタンチョウは給餌場に集まってきます。

 以下、HPより。

 開発で森は消失し湿原も荒廃してしまい、湿原の生物多様性も危機にさらされています。
日本野鳥の会では、タンチョウを湿原の生物多様性保護のシンボルとして、その保護活動に取り組んでいます。
タンチョウとは
 日本で最大級の野鳥

 タンチョウは日本の野鳥の中では最大級で、全長は1m40cm、つばさを拡げると2m40cmもあります。生息地は北海道東部に限られていて、本州などではほとんど見ることができません。日本では7種類のツルが観察されていますが、国内で繁殖するのはタンチョウ1種類です。
 巣は湿原のヨシ原の中で、ヨシを直径1mほどの大きさに積み上げて作ります。巣は卵を2個産み、雌雄が交代で温めて約1ヶ月でふ化します。ヒナはふ化するとすぐに歩くことができ、両親と一緒に湿原の中で餌を探しながら育ちます。子別れは翌年の冬が終わる頃です。
 大陸ではロシアや中国の東北部にも生息しています。大陸のタンチョウは渡りをし、冬は朝鮮半島や中国南部に移動しますが、現在の日本のタンチョウは渡りをしません。
 タンチョウは漢字で「丹頂」と書きます。「丹」は赤い、「頂」はてっぺんという意味で、頭のてっぺんが赤いためこの名前が付きました。頭の赤いところには羽がなく、ニワトリのとさかのようになっています。
 江戸時代までは北海道各地にたくさんいたようで、関東地方でも見られたようです。
 しかし明治時代になると乱獲され、さらに生息地である湿原の開発により激減してしまいました。そして全く見られなくなったため、大正時代には絶滅したと思われていました。
 しかし大正時代末期の1924年に、北海道東部の釧路湿原で十数羽が再発見されました。その後、1935年に天然記念物、1952年には特別天然記念物に指定され、国や自治体による保護施策が講じられるようになりました。当初は、ドジョウの放流やセリなどの植物の移植などが行われましたが、なかなか数が増えませんでした。
 1950年頃の猛吹雪の日、数羽のタンチョウが畑に置かれた冬の保存用トウモロコシを食べにきました。これをきっかけに給餌がうまくいき、各地で給餌活動が行われるようになったことで現在は千羽を超えるまで数が回復しています。
 千羽を超えたことは良い傾向ですが、しかし依然として北海道東部にだけの分布で、昔のように広く見られることはありません。生息地である湿原の面積は減少する一方で、残されている湿原も保護指定がなされていないところも多く、いつ開発されてもおかしくない現状です。
湿原の減少に加え、周辺の森林の多くも伐採されてしまいました。森が無くなると湧水が少なくなるので、川が冬になると凍ってしまいます。凍ってしまうと餌を採ることができないため、冬は人からの給餌に依存し生き延びている状況です。
 近年では道路に出てきて交通事故にタンチョウもいます。また列車や電線への衝突事故もあります。
数が増えてきているとはいえ、決して安心できる状態にではありません。
 日本野鳥の会では1987年に北海道阿寒郡鶴居村に「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」を開設し職員を常駐させました。ここは故・伊藤良孝氏の所有地で、元々、伊藤氏が個人で給餌をしていた場所です。伊藤氏と協定を結ぶことで、サンクチュアリとなり、伊藤氏が亡くなられた後も、協定はご遺族に引き継いでいただき、サンチュアリは継続しています。
 サンクチュアリでは、伊藤氏の活動を引き継いだ冬期のタンチョウへの給餌活動のほか、生息する湿原の保全や調査、普及教育やボランティアの受け入れなど様々な活動を行っています。
 伊藤良孝氏は、鶴居村で酪農の傍ら1966年(昭和41年)よりタンチョウに給餌を始め、その後北海道の委嘱でタンチョウ給餌人(1968年~1996年)、タンチョウ監視人(1981年~2000年)を務め、タンチョウ保護を支えられました。
 サンクチュアリがオープンした1987年以降は、サンクチュアリのタンチョウ・レンジャーとして後進の指導、育成にもあたられ、タンチョウへの給餌の方法や採餌環境の整備など様々な知識が現在のレンジャーへ受け継がれています。
 1987年に北海道根室市でタンチョウが営巣する湿原約8haを買い上げ、民間としては初めての野鳥保護区を設置しました。その後も湿原を買い取るなどして保護区化を進めた結果、現在では21ヶ所、約2,600haをタンチョウの生息地として保護しており、そこにタンチョウ30つがいが生息しています。
 これらの野鳥保護区は当会のレンジャーが定期的に巡回し、タンチョウの生息状況や環境の変化、侵入者などの監視なども行っています。
 鶴居村の早瀬野鳥保護区温根内では、周辺の森林の開発により湿原に土砂が流れ込むことで、ヨシ原にハンノキが繁茂し、1994年以降、タンチョウが繁殖できない環境になってしまいました。1999年からハンノキを伐採し、ヨシ原を復元する事業を進めてきた結果、2002年から再び繁殖がはじまりました。・・・
 現在、タンチョウの生息数は千羽を超え、極めて危険な状態は脱しました。しかし冬の採食場所はまだ少なく、給餌に依存して越冬している状況は改善されていません。その原因のひとつは、明治時代以降の森林伐採で土地の保水力が不足し、湧水が減少してしまったことです。湧水が豊富に流れ込む川は厳冬期でも凍結しない水面が残り、タンチョウが餌をとれます。また湿原を乾燥化させて農地などにしたため、やはり冬に凍らない水面がほとんど無くなり、湿原でも餌を探せなくなっています。
 このため、現在では冬の採餌環境(冬期自然採食地)を増やしたり、復元する活動を進めています。2009年には、サンクチュアリ内に、冬も凍らない水路を作り、タンチョウが利用しやすいように樹木の間伐を行いました。すでに、最大20羽にもなるタンチョウが冬に利用しています。
 2010年には、鶴居村内の農家の協力を得て、樹木に覆われた水路を整備することで、タンチョウの自然採食地になるようにしました。今後も、畑の水路や採餌場所となる水辺を整備し、自然採食地を増やしていきます。
 現状では、冬の給餌を行わないと生息数は10分の1にまで減るといわれています。11月~3月までの冬期、餌不足を解消するため、サンクチュアリの給餌場で飼料用トウモロコシ(デントコーン)を給餌しています。サンクチュアリの給餌場は約13haの面積があり、タンチョウが来ない春~秋の間は、牧草の採草地として地元の酪農家に活用されています。採草地に使われていることで、管理コストをかけずに給餌場に適した草地環境を維持することができています。
・・・
 10月~3月の間は、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリのネイチャーセンターを開館しており、どなたでも無料でお入りいただけます。センターではタンチョウの生態や保全状況など様々な情報をご提供しています。センターの利用案内はこちら。そのほか、フォトコンテストや写真展などを全国で開催したり、環境イベントにブース出展してタンチョウの現状について広く伝えています。また、タンチョウの生息する地域の子どもたちを対象に、タンチョウイラスト展を実施しています。
 タンチョウの繁殖環境や冬期自然採餌環境の保全、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの運営は、日本野鳥の会への会費や寄付を財源に進めています。タンチョウと湿原の生物多様性保護のため、どうぞご支援をお願いします。

タンチョウ(丹頂、Grus japonensis)種小名japonensisは「日本産の」の意。
 鳥綱ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類。その美しさから、日本や中国では古来深く親しまれてきた鳥である。 折鶴、千円札、昔話などで身近なことから、鶴(タンチョウ)は日本を象徴する鳥になっている。
 全長102 - 147センチメートル。翼長64 - 67センチメートル。翼開長240センチメートル。体重4 - 10.5キログラム。全身の羽衣は白い。眼先から喉、頸部にかけての羽衣は黒い。頭頂には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出する。タン(丹)は「赤い」の意で、頭頂に裸出した皮膚に由来する。・・・
 食性は雑食で、昆虫やその幼虫、エビ類・カニ類などの甲殻類、カタツムリ類・タニシ類などの貝類、ドジョウ類・コイ・ヤチウグイ・ヌマガレイなどの魚類、エゾアカガエルなどのカエル、アオジ・コヨシキリなどの鳥類の雛、ヤチネズミ類などの哺乳類、セリ・ハコベなどの葉、アシ・スゲ・フキなどの芽、スギナの茎、フトモモ・ミズナラなどの果実などを食べる。
  奈良時代以降は他種と区別されず単に「たづ・つる」とされ、主に「しらたづ・しろつる」といえば本種を差していたがソデグロヅルも含んでいたと推定されている。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさしてたづ鳴き渡る(山部赤人「万葉集」)

 アイヌ語では「サロルンカムイ」と呼ばれ、これは「葦原の神」の意がある。
 日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは絶滅したと考えられていた。
 北海道での生息数は2012年における確認数は1,470羽で生息数は1,500羽以上と推定されている。
 江戸時代には、江戸近郊の三河島村(現在の荒川区荒川近辺)にタンチョウの飛来地があり、手厚く保護されていた。
                            広重「蓑輪金杉三河島」。
タンチョウは毎年10月から3月にかけて見られたという。幕府は一帯を竹矢来で囲み、「鳥見名主」、給餌係、野犬を見張る「犬番」を置いた。 給餌の際はささらを鳴らしてタンチョウを呼んだが、タンチョウが来ないときは荒川の向こうや西新井方面にまで探しに行ったという。タンチョウは午後6時頃から朝6時頃まではどこかへ飛び去るので、その間は矢来内に入ることを許された。 近郷の根岸、金杉あたりではタンチョウを驚かさないように凧揚げも禁止されていたという。こうした“鶴御飼附場”では将軍が鷹狩によって鶴を捕らえる行事も行われた。 
 東アジアにおいては古くから、タンチョウはその清楚な体色と気品のある体つきにより特に神聖視され、瑞鳥とされ、ひいては縁起のよい意匠として、文学や美術のモチーフに多用されてきた。 また、「皇太子の乗る車」を指して「鶴駕(かくが)」と呼ぶように、高貴の象徴ともされた。
 道教的世界観の中ではとくに仙人、仙道と結びつけられ、タンチョウ自体がたいへんな長寿であると考えられたほか、寿星老人が仙鶴に乗って飛来するとか、周の霊王の太子晋が仙人となって白鶴に乗って去ったといった説話が伝えられている。
 なお、古来の日本で「花」といえば梅を指したのと同じように、伝統的には、中国や日本で単に「鶴」と言えばタンチョウを指しているのが通常である。
 通俗的には、「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と能曲『鶴亀』や地唄にも謡われるように、鶴と亀はいずれも長寿のシンボルとされ、往々にしてセットで描かれてきたほか、また花鳥画以来の伝統として松竹梅などとあわせて描かれることも多い。花札の役札「松に鶴」などもこうした流れのものであるということができる。
 アイヌ民族の間にはタンチョウの舞をモチーフにした舞踊なども伝えられている。
 1964年(昭和39年)、北海道の道鳥に指定されている。 日本航空のシンボルマークはいわゆる「鶴丸」。
      家紋としての「鶴丸」。
(以上、「Wikipedia」参照)

              

解説板。

 身近に見ることが出来ました。大型でなかなか見応えのあるツルでした。

 今日から16日までの7日間が「愛鳥週間」(バードウィーク)です。

帰りがけに、柵の向こうになにやら?

奇妙な球状の植物がぎっしり、頭を連ねています。何ですかと聞くと、「谷地坊主(ヤチボウズ)ですよ。」


 そう言われてみると、けっこうあちこちに群生しています。頭を覆うように枯れ草がたっぷり。己と比べてそのたくましさに敬服。ただし、季節的には春、まだ浅しで枯れ草の塊のようになっています。そこで、

釧路湿原の魅力3 ヤチボウズ・ヤチマナコ
 ヤチは谷地、湿原を意味し、マナコは眼のことで、漢字を当てれば谷地眼。ヤチボウズは谷地坊主と書く。谷地を歩いていると必ずこの異形の存在に出会う。楽しいトレッキングは、一気にミステリーゾーンに迷い込む。ヤチマナコとは、要するに水が溜まった落ち窪みのことで、例えば夕日に赤く照らされた水面などは夕闇の中で赤い眼がギロリと見開いているように見えないこともない? ところで、ただの水溜まりと侮ってはいけない。底なし沼というほどではないが、マンホールほどの大きさの穴の深さが3〜4メートルにも達するという。
 一方、ヤチボウズだが、その名のとおり高さ1メートルほどの坊主頭が草原に点々と並ぶさまはかなりシュールである。実は丸坊主ではなく、長髪もいればモヒカン頭もいる。これはスゲの根っこが未分解物とともに成長を重ね、さらに冬の凍上現象が加わって長い歳月をかけて盛り上がってできたものらしい。 湿原ならではの水のいたずらでできた、マナコとボウズの凹凸コンビ。不気味ではあるが、ちょっとユーモラスでもある。

 

(以上、HPより)

 「谷地坊主」をもう少し詳しく説明したもの。
 川の流域や沢地に、カブスゲやヒラギシスゲといったスゲ類の植物が盛り上がって株をつくります。これがヤチボウズです。
葉は秋に枯れて倒れます。枯れた葉は気温が高いと微生物などに分解されてなくなることが多いのですが、低温過湿の湿原では微生物の活動が活発ではなく、枯れた状態で残ります。
 冬には凍結作用で株ごと持ち上げられ、春には雪解け水が根元を満たして株周囲の土を侵食し、枯草の間から新しい葉や茎が生育してきます。
これを繰り返し、40~50cmの高さに盛り上がります。形がちょうど坊主頭のように見えるので、ヤチ(谷地)すなわち湿地の坊主、ヤチボウズと呼ばれるようになりました。
(この項、HPより)

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