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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

ペットショップのペットの行方

2005-04-16 12:08:03 | 世間世界
 我が家には、2匹の猫がいる。生まれたばかりで神社の境内に捨てられ鳴いていたのを、高校生の息子が見つけ、家で飼ってほしいと、小さな段ボールに入れて持ってきた猫たちだ。二人とも掌に乗るくらいの大きさだった。
 最近また家の近所の国道沿いに「ペットショップ」が出来た。チェーン店らしく派手で大きな店構えで、小さな子ども連れの家族でにぎわっているようだ。車で出掛けると、あちこちでペットショップをよく見かける。特に今まで普通の店だったのがペットショップに変わる場合も多い。
 かつて、小鳥屋とか犬や猫などを売っている店は、店構えからして雑然としていて薄暗く、動物の鳴き声と餌や体臭などで、一種独特の臭いがした。それも今のようにあるわけではない。ホンの数軒、ぽつんぽつんとあったきりだった。子どもの頃、そうした店の前を通るたびに犬や猫やの鳴き声と臭いが好きでなく、足早に通り過ぎたものだった。
 今時のペットショップは、こぎれいで明るい雰囲気。檻の中にかわいらしい犬や猫たち。それも血統書付きであろう、高級な動物が売られている。今流行中の種類の動物が、「安売り」「特価」とかの注釈付きで売られている。動物たちは生まれたばかりの小さな鳴き声で、それでいて精一杯鳴いている声が、外の通りまで聞こえてくる。買われて引き取られる子犬や猫たちは、新天地で可愛がられて欲しい、といつも思う。
 でも、もし売れなかったら、この子犬たちの運命がどうなるのだろうか、いつも気にかかっていた。小さくてかわいい、それすらも客の好みで判断される。売れないままに成長した動物たちの行く末は、どうなるのだろう。おそらく保健所に持っていったり、しかるべき場所で処分(殺される・何かの実験材料に・・・?)されるに違いないだろう。
 また、流行しているうちはいいが、その種類の犬や猫でなくなったら、それも同じように処分されてしまうのか。(そういえば、一時あちこちで見かけたシベリアンハスキーは、今どうしているのだろう)そう思うと、子どもの頃の理由とは違ってはいるが、今でもペットショップの前を通ることは好きではない。
 この間、TVで何匹もの犬や猫が放置されていたというニュースを見た。どうも大きくなって売れなくなった動物の処分に困って放置したのではないか、と言われていた。その犬や猫は、ニュースを見た人たちが、ぞれぞれ引き取って行ったという。助かったな、君たち。
 売れればそれでいい、儲かればそれでいい、これを高く売れればいい、そのためにうまく育てよう、外国から輸入しよう・・・。
 癒し効果か、ステータスの証なのか・・・、ペットを飼う人・家族は増えているのだろう。だから、ペット業界は今や大繁盛。しかし、動物の生命をあまりにも粗末にはしていないか。小さくて可愛いうちは売り物になるが、成長して売れなくなったら、即、厄介払いではあまりにも残酷ではないか。生命をもてあそんではいないか。
 せめて、処分する前に欲しい人に、あるいは飼ってくれそうな方に譲るというようなシステムを業界や動物園、動物愛護団体などからの知恵を出しあい、創ることが必要ではないかと思う。そしてまた、それをインターネットなどで情報提供するシステムも必要だ。
 我が家の猫たちはもう8年目を迎えた。2匹ともいい(?)おジイさん、おバアさんになった。そして、今も押入の布団の上で丸まって寝ている。我が家の子どもたちも、この猫たちと一緒に成長した。
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