おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR福知山線の脱線事故

2005-04-25 19:17:51 | 世間世界
 昨日、鹿児島まで日帰りで出掛けた。当然、往復は飛行機だった。このところ、整備不良が相次いで見つかったことで、ちょっぴり飛行機に乗るのが不安であった。でもしかたがないと諦めた。無事に帰ってきた。
 今朝、大惨事が起こった。この地域をも襲った阪神淡路大震災から10年。今度は、明らかな人災か? まだ若い運転手も気の毒だが、遅れを取り戻すためにスピードを出しすぎ、カーブを曲がりきれずに脱線したと言う見方が強い。乗っていた乗客も怖いくらいだった、ずいぶんとスピードを出していた、と。
 運転手の年齢が若く、経験年数が1年に満たない事なども伝えられている。ニート、フリーターが取りざたされる中で、この青年は、それなりに真面目に将来を見据えて、一生懸命、仕事に励んできたのだろう。
 遅れを取り戻すべく飛ばしていたのだろうか。ただ、自分で車を運転してスピードを出しすぎて高速道路のカーブを曲がりきれなかった、というようなしろものではない。
 また、車掌が前の駅でのオーバーラン携帯電話で報告している最中に、今、脱線したという連絡になったとも。車掌の携帯が公的なものであったかどうか知らないが、まさかミスや事故の報告を携帯で行っているのも驚きだった。
 これからさまざまな角度から現場検証が行われ、事故の原因究明が始まるだろう。その際、この大事故の責任・原因を運転手一人に帰してはならないと思う
 最も気になるのは、ひとたび事故が起きれば、多くの人命を奪う、という基本的な倫理観に立ってすべての事業が行われる、という意識がJR組織全体の中で薄くなっているのではないかということだ。
 この運転手の場合、1分少しの遅れを早く取り戻さねばならないという焦りが、安全運行よりも優先されたのではないか。もしかしたら、JRのマニュアル通りの処置だったかも知れない。
 この間の東武鉄道の踏切死傷事故も、内部では長い間踏切を閉めず、ほんのわずかでもその時間を縮めることが組織的に容認されていたという。その流れの中で、人命を失う事故が起こった。
 今や、企業など多くの組織は、時間管理・数値管理が絶対的評価基準となって、それがそこで働く人間の管理の最優先基準になっているのではないだろうか。学校も今やそうなってきているのだが。業績を上がったと見せかけるためには粉飾決算も当たり前。数字によるごまかし。
 それに追い打ちをかけるようなリストラの徹底。少ない人数で多くの複雑な業務を遂行する。それがイヤなら、成果が上がらないなら、即、お払い箱の風潮。疲れ切った中間管理職。ミスや手抜きはごく日常茶飯事になってしまった。
 国家も、三菱自動車も、センター試験も・・・。職種の、大小の、いかんを問わず、なにもかもいい加減になってきているのではないか。まさに、日本全体が疲れ切ってしまっているのだ。家庭も地域もあわせてずたずた? そして、ささやかな、その束の間の平安も瞬時に奪われる現実の無惨さ。
 事故を起こす当事者たちも、被害者たちも地獄! 嗚呼!
 いまだに車内に閉じこめられた方もいるようだ。必死の救出活動が続く。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする