今日の朝刊には全国学力調査の結果、夕刊には習熟度別・少人数教育の調査結果。全国学力調査への文科省のコメントは、「基礎的事項を徹底する学校現場の努力で成果は上がりつつあるが、国語の記述式問題などにはなお課題が残る。」と。
その新聞紙上での小学校の先生のコメントに、「数字で一喜一憂している文科省を見ていると、こっけいに感じる。計算や漢字は、百ます計算や漢字ドリルの旋風が吹き荒れたのだから上がるでしょう。そんなことで上がるものを学力と呼ぶのは恥ずかしい。」と。
たしかに「ゆとり教育批判」によって、しぶしぶ文科省は現場教師の尻をたたき、計算や漢字の読み書きなどの反復練習に駆り立て、その成果をことさら自分たちの成果だとうそぶいているのにはもう噴飯モノだ。
現場でこれまで彼らが何を言ってきたか。これからの学習指導は、指導するのではなくて、あくまでも子どもたちの考える力を引き出すことが大事です。これこそがゆとり教育です。だから指導ではなく助言です、励ましです。こういって、それまで地道に学習指導を積み重ねてきた、多くの現場教師の疑問や不安、反対を押し切って推進してきたのは、一体誰だったか。
そうした傾向に疑問を投げかけてきた陰山さんたちの地道な努力・成果を、かたちだけうまくかすめ取り、全国に強引にどこでも「百ます」どこでも「ドリル」どこでも「朝読書」を進めたのはいったい誰だったのか。
しかし、その成果は、反復基礎事項だけが向上。表現力も身に付かない。漢字ドリル・算数ドリルにしても、ずっと前にはどこの学校でもやっていたこと。そうした現場の努力を評価せずに、己の場当たり的な政策能力ばかりを過信した文部官僚の化けの皮が剥がれた無惨な結果だと思う。
「完全学校五日制」のもとで、クラブは社会教育へ、土曜は親子の対話や地域交流・・・などと口先できれい事を言っていたのは、いったい誰だったのか。条件整備もなにもせず、ただただ口先の理想論を権力的に押しつけてきた。それでいて、ひとたび「ゆとり教育」に世論からの声によって、黄色信号が点灯するや、ただちに前言を翻したりごまかしたりして、ゆとり見直し、削除した教材復活と次々となし崩しにしていったのはどこの誰だったか。国民や現場教師はもうとっくに見抜いているのである。
特に政治家のその場の思い付き発言に右往左往しながら、それでもけっして政策上の誤りを認めないのはどこの誰か。
そもそも今の中山文科相もまるっきり理念なき非教育的人物。全国学テ競争で競わせれば学力は向上する、と検証もないままに無責任な発言をし、歴史教科書問題でも自らの政治信念を押しつけようとする。今度もゆとり見直しは考えていないと結果を無視、あくまでもゆとり教育反対を貫く考え。といっても所詮秋の内閣改造までの大臣、辞めた後は知らぬ存ぜぬでいくに違いない。
さて、夕刊には、習熟度別・少人数教育の成果の調査。習熟度も少人数もほとんど効果なし、と言う結果が。中には、習熟度ではないほうが高い成果があったケースも。
鳴り物入りで導入し、他の施策には金も人もつぎ込まないのに、この二つにだけは金も人もつぎ込んだ。そのあげくが、ほとんど成果なし。いったいどういうこと?
こんなことになるのは、とっくに現場では分かっていた話。子どもたちはさまざまなレベルの子ども集団の中でこそ、それぞれが伸びていくという教育の当たり前な基本をいいかげんに考えていた結果。これも誰も責任をとらない、むしろ、まだまだ成果が出るほどやっていない、現場の先生にも指導の工夫をさせていかなければ、とまたしても矛先を現場の教師の怠慢に持っていこうと画策している。
この十年、日教組もいよいよじり貧で、社会党は社民党になってますます面影なし。そうでしょね、いまだに秘書疑惑の土井さんしかいないんだから。自社連立政権が社会党の命取りになった、といってももうとっくに後の祭り、教員もだいぶ物わかりがよくなって、組合員の意識も多様化、その中で、日の丸・君が代の強制でも見られるように、これを機会に一気に教員の意識改革と管理体制だけはぎゅうぎゅうにして物もいわせずにしてきた。その結果、今やモノ言えば唇寒しになってきた現場。
文科省・各教育委員会は、憎きマルクス・レーニン主義の教員どもによってめちゃくちゃにされた戦後教育の正常化だ、と今の世間の草の根保守主義にも乗って、やりたい放題、好き勝手放題の処分主義の横行。学力の上がらないのも、教師の指導不足と、世間からの教師不信を擁護するどころか、そうだそうだと上から煽っている始末。これじゃ、現場はたまったものじゃない。
管理職になるのも嫌がって、若くて経験も少ない連中が受けては受かる時代。なにしろ、教頭試験などに受ける人もだんだん減っているので、授業もろくに出来ない人が、教室から逃走するために試験を受ける。バカでも三回くらい受ければ、受かるシステム。だから、管理職もまったくの人材難。よけい教育委員会の機嫌も悪くなり、ますますの現場不信から、手の上げ下げ、足の運びまでいろいろ指示する。従わなければ勿論、処分。そのほとんどが、職務命令違反。もう日本の学校は、教育・学習という体を為さない有様。
これで未来の日本はどうなるの? 否、今の子どもたちはどう大きくなって日本や世界を担うようになるの? これは、もうほとんど絶望的な話し。
文科省はいらない!日本の教育の現状を打破するには、もうこれしかない。
その新聞紙上での小学校の先生のコメントに、「数字で一喜一憂している文科省を見ていると、こっけいに感じる。計算や漢字は、百ます計算や漢字ドリルの旋風が吹き荒れたのだから上がるでしょう。そんなことで上がるものを学力と呼ぶのは恥ずかしい。」と。
たしかに「ゆとり教育批判」によって、しぶしぶ文科省は現場教師の尻をたたき、計算や漢字の読み書きなどの反復練習に駆り立て、その成果をことさら自分たちの成果だとうそぶいているのにはもう噴飯モノだ。
現場でこれまで彼らが何を言ってきたか。これからの学習指導は、指導するのではなくて、あくまでも子どもたちの考える力を引き出すことが大事です。これこそがゆとり教育です。だから指導ではなく助言です、励ましです。こういって、それまで地道に学習指導を積み重ねてきた、多くの現場教師の疑問や不安、反対を押し切って推進してきたのは、一体誰だったか。
そうした傾向に疑問を投げかけてきた陰山さんたちの地道な努力・成果を、かたちだけうまくかすめ取り、全国に強引にどこでも「百ます」どこでも「ドリル」どこでも「朝読書」を進めたのはいったい誰だったのか。
しかし、その成果は、反復基礎事項だけが向上。表現力も身に付かない。漢字ドリル・算数ドリルにしても、ずっと前にはどこの学校でもやっていたこと。そうした現場の努力を評価せずに、己の場当たり的な政策能力ばかりを過信した文部官僚の化けの皮が剥がれた無惨な結果だと思う。
「完全学校五日制」のもとで、クラブは社会教育へ、土曜は親子の対話や地域交流・・・などと口先できれい事を言っていたのは、いったい誰だったのか。条件整備もなにもせず、ただただ口先の理想論を権力的に押しつけてきた。それでいて、ひとたび「ゆとり教育」に世論からの声によって、黄色信号が点灯するや、ただちに前言を翻したりごまかしたりして、ゆとり見直し、削除した教材復活と次々となし崩しにしていったのはどこの誰だったか。国民や現場教師はもうとっくに見抜いているのである。
特に政治家のその場の思い付き発言に右往左往しながら、それでもけっして政策上の誤りを認めないのはどこの誰か。
そもそも今の中山文科相もまるっきり理念なき非教育的人物。全国学テ競争で競わせれば学力は向上する、と検証もないままに無責任な発言をし、歴史教科書問題でも自らの政治信念を押しつけようとする。今度もゆとり見直しは考えていないと結果を無視、あくまでもゆとり教育反対を貫く考え。といっても所詮秋の内閣改造までの大臣、辞めた後は知らぬ存ぜぬでいくに違いない。
さて、夕刊には、習熟度別・少人数教育の成果の調査。習熟度も少人数もほとんど効果なし、と言う結果が。中には、習熟度ではないほうが高い成果があったケースも。
鳴り物入りで導入し、他の施策には金も人もつぎ込まないのに、この二つにだけは金も人もつぎ込んだ。そのあげくが、ほとんど成果なし。いったいどういうこと?
こんなことになるのは、とっくに現場では分かっていた話。子どもたちはさまざまなレベルの子ども集団の中でこそ、それぞれが伸びていくという教育の当たり前な基本をいいかげんに考えていた結果。これも誰も責任をとらない、むしろ、まだまだ成果が出るほどやっていない、現場の先生にも指導の工夫をさせていかなければ、とまたしても矛先を現場の教師の怠慢に持っていこうと画策している。
この十年、日教組もいよいよじり貧で、社会党は社民党になってますます面影なし。そうでしょね、いまだに秘書疑惑の土井さんしかいないんだから。自社連立政権が社会党の命取りになった、といってももうとっくに後の祭り、教員もだいぶ物わかりがよくなって、組合員の意識も多様化、その中で、日の丸・君が代の強制でも見られるように、これを機会に一気に教員の意識改革と管理体制だけはぎゅうぎゅうにして物もいわせずにしてきた。その結果、今やモノ言えば唇寒しになってきた現場。
文科省・各教育委員会は、憎きマルクス・レーニン主義の教員どもによってめちゃくちゃにされた戦後教育の正常化だ、と今の世間の草の根保守主義にも乗って、やりたい放題、好き勝手放題の処分主義の横行。学力の上がらないのも、教師の指導不足と、世間からの教師不信を擁護するどころか、そうだそうだと上から煽っている始末。これじゃ、現場はたまったものじゃない。
管理職になるのも嫌がって、若くて経験も少ない連中が受けては受かる時代。なにしろ、教頭試験などに受ける人もだんだん減っているので、授業もろくに出来ない人が、教室から逃走するために試験を受ける。バカでも三回くらい受ければ、受かるシステム。だから、管理職もまったくの人材難。よけい教育委員会の機嫌も悪くなり、ますますの現場不信から、手の上げ下げ、足の運びまでいろいろ指示する。従わなければ勿論、処分。そのほとんどが、職務命令違反。もう日本の学校は、教育・学習という体を為さない有様。
これで未来の日本はどうなるの? 否、今の子どもたちはどう大きくなって日本や世界を担うようになるの? これは、もうほとんど絶望的な話し。
文科省はいらない!日本の教育の現状を打破するには、もうこれしかない。