百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

神様、ごめん。

2022年08月31日 | 易行難行修行
昨日、8月30日は、ハッピー・サンシャインの日だとの事。

昨日、4回目のワクチン接種を行いました。

4回目、接種するつもりはなかったけど、周りにコロナ感染陽性者、濃厚接触者が増えているから、やはり用心の為。

今日は8月最後の31日、朝から副作用のせいか、おかげさまで体調不良、熱発、左腕が重い、ベッドで横たわっています。

8月30日、31日・・小学生の頃を思い出します。

毎年毎年「神様、助けて❗」と叫びながら、夏休みの宿題と格闘していました。

早目早目に宿題を片付けていればよいのにね、この性格一生涯治らないかな?

子供の頃の夏休みの楽しみは、海の中に潜り、竹竿の先に矢じりを付けて魚を追い回す事でした。

海の中で何度もばく転するのが楽しくて 小学5年生の頃には、海中で躰、手足を捻りながら自由自在に自分の位置をコントロール出来ていました。

ただ、ドン坂(いっきに海底が深くなる境目)の向こう側は、怖い世界でした。

半世紀以上昔の思い出、ベッドの中で甦りました。

50歳手前、サラリーマンを辞めて、個人事業主、自営業を目指した事がありました。

いろいろ心労が重なって、拡張性心筋症という病気になり、しばらく入院。

病院には図書室があって、毎日読んでいたのが、ロシア、東欧に詳しい故米原万里さんのエッセイ、五木寛之さんの書籍。

五木寛之さん、随分昔から自分の寿命はもう終わりのような書き方、言い方をしていましたが、長生きしています。

どこかのジャングル密林に行くと、禿げがいなかったので、殆ど洗髪しない、風呂にも入らないとの事、だから五木先生の頭は黒々と髪の毛も多いです。

五木寛之さん、健康診断も精密検査も受けないと書いていました。

でも五木先生の奥様が医者だったようで、金沢で暮らしていた頃、福井の病院に勤務していた奥様を毎週のように福井まで送り迎えに行っていたとの事。

だから、健康には案外、言葉と裏腹に気を付けているかもしれません。

五木寛之さんと故石原慎太郎さんは、同年同月同日の誕生日だとの事。

五木寛之さんと故立松和平さんの「自力と他力」の対談書は興味深い。

五木寛之さんと故稲盛和夫さん、同じ歳で同じく九州男児の対談も興味深い。

経営の神様、京セラ、KDDI 創業者、稲盛和夫さんの御冥福を祈ります。

50歳の頃、福井の盛和塾が後援?主宰?で稲盛さんの講演会に参加した思い出があります。

経営哲学、托鉢の話、どれもこれも、自分を律するという人生論でした。

稲盛さん、「神様、ごめん」と毎日、反省の言葉として使っているとの事でした。

以来、携帯は、ずっとKDDI. au を使っています。

「神様、助けて」と叫んでいた子供の頃、今も同じように叫んでいるのかな?

「神様、ごめん」という言葉、久しぶりに思い出した稲盛和夫さんの訃報でした。

合掌、そして感謝。

明日から、もう9月です。

忙しくなります。

「神様、助けて」ではなくて、「神様、ごめん」。


百の行進曲。

2022年08月29日 | 萬伝。
国連での核拡散防止条約(NPT)再検討会議にて、全会一致で採択できる最終文章が、ロシア一国の反対で決裂となった。

核兵器を備える軍事大国強国が、核兵器を持たない小国ヘの侵略。

核抑止力が平和維持ならば、核兵器=平和は、明白な大国本性の発露、権力を持つ政治リーダーの真っ赤な嘘っぱちである。

日本と同じく非核三原則を堅持するウクライナにはやく平和が訪れますように。

ところで最近、新聞のお悔やみ欄に載る同年代の方、分かるはずもないのだが、その生涯に掌を合わせる。

前期高齢者になると、ある程度人生の寿命に関して達観する。

先日のニュース、関東に暮らす60代夫婦(夫は同年代)、娘婿に刺殺される。

酷い家族崩壊に何とも言えない、合掌。

同日のニュース、祖父(同年代)が、孫を助けようとして溺死。

孫を助けたならば、本望かなぁ? 合掌。

昔、若い頃に蒲田行進曲という映画を観た。

見せ場の階段を転げ落ちるシーン、あれぐらいならば、躰を捻りながらぐるぐる回り落ちれば、簡単にできるという感想を持った記憶があった。

あれから40年、最近、映画蒲田行進曲を再び観た。

あの階段を転げ落ちるシーン、今やるならば首の骨を折る全身打撲傷の大怪我になるだろうなぁ。

前期高齢者になると通院が多くなった、眼科、歯科にも通う。

されど、若い世代の方々も顔面の髭を脱毛、同じく頭部へ植毛する人が多いらしくて、ややこしい。

主な理由は、仕事上の爽やかなコミュニケーション作りだとの事。

自然第一よりも、見た目の大事さかな?

これからまだまだ長く仕事をする若い世代たちの人生、見た目の爽やかさ、清潔感、迫力が求められる世間体の圧? 見た目ヘの圧力は大変だぁ❗

先日、NHK プロフェッショナル仕事の流儀、再放送を観た。

愛媛県の日振島でマクロ養殖をしている福島さん56歳が主人公。

僕よりも10歳ほど年若いけど、離島の親世代の生き様を観たような気がした。

昔、尾道駅前にリスボンという喫茶店があった。

東京でさえ、ロンドンとか、パリとか、マドリードとか、そんな店名が多くあった。

地域名には、お客さまを呼び込むためのブランド力があるのだろう。

最近、百島がイノシシ被害に遭う離島として、ちょくちょくとメディアに登場する。

猪の島として、怖いもの観たさのお客さんを呼びこめる?

戦時中、地図に載らなかった毒ガスを製造していた大久野島、今はウサギが繁殖して、かわいい兎の島として海外へも名を知れた観光地となってしまった。

郷土愛から世界へと羽ばたいた話題。

昨日、世界バドミントン選手権女子単、山口茜選手が二連覇達成。

素晴らしい❗ 現在、プロ選手ではないのに世界ランキング第一位だ。

山口茜選手、地元福井県では、茜ちゃんと呼ばれて絶大な人気を誇る。

僕も、直接的には面識がないが、茜ちゃんと呼んでいる。

天才バドミントン少女と呼ばれて、県外ではなく、地元の雪深い福井県勝山の公立高校に進学した。

高校卒業後は、バドミントン部のある熊本県の再春館製薬に就職。

あれから、25歳になった茜ちゃん、今尚純朴で、勝っても大袈裟な目立つようなパフォーマンスも、歓喜のポーズもしない、勝利インタビューにも淡々と答える。

だが、地元福井県勝山ヘの郷土愛は、しっかりと応じる正確さ、、純朴さ、凄さは学べる。

テニス界の大坂ナオミさんのグローバルなアプローチとは、ちょっと違うかな。

時々、故郷の百島を思い出そう。

一歩一歩、百歩、一の日、平和な世界を希望する。

実現させよう。










ドン・キホーテとハムレット。

2022年08月25日 | 易行難行修行
人間も、動物も、国家でさえ、これで終わりかも知れないという瀬戸際に追い詰められた場合、どうするか?

昨日のお昼にTBS系列の「ひるおび」という番組で、猪による大きな被害に遭っている百島の状況を、また再び全国放映していました。

イノシシの身体能力、まさしく猪突猛進。

平地ならば時速50キロで駆け抜ける走力があるとの事。

100メートル/10秒のオリンピック選手レベルが、時速36キロだから、逃げたらダメ。

襲いかかってきた場合、頭部を3回蹴るか、叩く事。

イノシシの知的レベルは、人間の3~5歳レベルだとの事。

イノシシの天敵は、かつては日本狼だったとの事、日本狼が絶滅したので、今やイノシシの天敵は、人間のみだとの事。

ところで、人間の場合、瀬戸際に追い詰めらた時には、身を伏せて悲運な運命を耐え忍ぶか、あるいは武器を手にして苦難に立ち向かい、難のトドメを刺すまで踏ん張るのか?

シェイクスピアの名作ハムレットで余りにも有名な科白(セリフ)。

To be , or not to be : that is the question.
生きるか、死ぬか、それが問題だ。

欧米の方々は、何かあれば、この科白を多用します。

ハムレットは、行動よりも思考が先にあり、自問自答を繰り返して苦悩します。

例えば、「死ねば、眠りに落ちるだけ、眠りに落ちれば、心の憂いも、体の痛みも、一切の苦悶は消えてゆくのでは?」と。

こうした人間の行動、思考を性格上、ハムレット型人間と言われています。

その真逆が、ドン・キホーテ型だとの事。

猪突猛進のイノシシは、まさしくドン・キホーテ型。

因みに、最高傑作である両作品・・英国のシェイクスピアの悲劇「ハムレット」と、スペイン国のセルバンテスの「ドンキホーテ」とは17世紀の初頭、奇跡的にも全く同じ年に出版されています。

日本では、徳川家康が江戸幕府を開いた時代になります。

参考に、ロシアの文豪ツルゲーネフは、ハムレットとドン キホーテを、それぞれに「求心的」人間と「遠心的」人間だと対比しています。

「ハムレットは、考えてばかりいてさっぱり実行しない頭だけの人間。自分にだけかまけていて他人のためには藁屑ひとつ動かそうとしないエゴイスト」
「ドンキホーテは、何の反省もせず衝動のままに動くので行為がいつもちぐはぐになる感情の人間。真理と理想を信じ自己をまったく犠牲にして虐げられる人々を救わんとする実行者」

どうなのかな?

百島に泳いで渡るイノシシは、自己犠牲を伴ない、百島を救う救世主になりなさい。

さもなければ、生か、死か、生かすか、殺すか、それが亥問題。


(写真映像提供:百島ネット)

デジタル国家の出現。

2022年08月24日 | 資本と社会の問題
先日観たNHKBSの「資本主義の欲望、メタバースの衝撃」は、非常に衝撃的かつ興味深い番組内容でした。

欲望の資本主義とは、貨幣というマネー、お金の事。

今、世界中の多くの知識人、起業家、社会学者、経済学者が、メタバースの世界(企業)から生まれるデジタル国家の出現を予言しているのです。

メタバース企業へのユーザーをクリエイターとみなし、全員が収益を得られるデジタル国家として発展させると豪語しています。

お金を稼ぐというチャンス、多くのユーザーに等しく行き渡る未来社会、より民主的なデジタル、テクノロジー経済。

モノも夢も金も人間すら、全部がバーチャル世界に存在して生きるというデジタル国家のパラドックス。

貨幣というマネー、お金が、テクノロジーによって、デジタル国家で流通すれば、人類の歴史上初めて国家の通貨に対する競争となるとの事。

バーチャルなデジタル国家は、リアルな中央集権国家にとって大変な脅威となると予測されているのです。

つまり、資本主義の本質を闊歩するのが、虚構世界の中にあるのならば、現実の流通経済は、何か間違っているのではという事になるのでは?

未来予測では、人間の仕事を減らし、その雇用を奪い続けるのが、AIというデジタル経済なのでは?

現実の資本主義経済が偏重され続けて、所得格差、貧富の不平等が拡大するならば、人類は滅亡しかないと言います。

そんな現実世界を救うのが、メタバースの世界というのは、ちょっと理解しがたい難問です。

未来の世界経済、バーチャル企業を牽引する経営者、知識人、賢人たちの姿は、儲かればよいという資本主義の悪しき欲望だけを引き継いで欲しくはない。

仕事の価値観は、何だろう?

現実の仕事を否定するバーチャルなメタバース企業、デジタル経済からの収益は、不信感を生じます。

デジタル国家の貨幣のすべてが、使用期限のあるクーポン券のようなモノならば、現実の世界通貨ドルやユーロ、円を凌ぐ貨幣となるかもしれません、いいえ期待です。

一番興味を惹いたのは、どこのメタバース企業にユーザーとして参加したいかというハードルです。

アメリカ発のメタバース企業か?日本発のメタバース企業か?あるいは中国発ののメタバース企業か?

それらも取捨選択、最終的には集約されて、世界中で2つか、3つか、僅かな巨大なメタバース企業しか残らないだろうとの事。

歴史学者に問いたいものです。

空気も水も土地もバーチャルなデジタル国家の出現、待ち遠しいですか?



次は北信越だ。

2022年08月23日 | 福伝。
昨日の夏の甲子園決勝戦。

百年にわたる東北勢の悲願、やっと扉を開けた仙台育英高校の優勝、おめでとう❗

そして、山口県勢の64年ぶりの優勝ならず、されど7度目の準優勝回数は、日本一。

思い出すのは、僕が20代半ば、池田高校初優勝の夏。

決勝戦相手は、広島商業、大敗の準優勝、無念でした。

それまでは、広島県勢、決勝戦では、ほぼ負けないというジンクスがありました。

そのジンクスを打ち破ったのが、打て、打て、打て❗の池田高校でした。

徳島県勢としても、悲願の夏の甲子園初優勝。

あの頃・・勤務に異動があり、上司につれられて内幸町の日本石油本社ヘ挨拶回り。

上司と懇意にしていた日本石油の社員の方にもご挨拶。

帰り際、「彼は甲子園の優勝投手だったんだよ。板東英二に投げ勝った人」だと教わりました。

頂戴した名刺の名前から辿ると・・今から64年昔、昭和33年夏の甲子園優勝チーム、山口県代表柳井高校野球部主将、投手。

準優勝校となった決勝戦相手は、徳島県代表の板東英二投手を擁した徳島商業。

その甲子園大会での板東英二投手の奪三振83個は、未だに破られていない高校野球記録です。

20世紀、食の革命を興した安藤百福さんが発明した世界初インスタントラーメンが売り出された昭和33年の夏でした。

さて、プロ、アマで野球を続けた人、活躍した人、活躍しなかった人、野球から離れた人、タレントになった人、道を踏み外した人・・かつての甲子園球児の人生もいろいろです。

・・高校野球、何故かな?

世界中どこを探してもない高校生が主役で盛り上がる大会。

甲子園の熱闘。

今年も観ていて楽しめました。

64年ぶりの優勝を逃した山口県勢、残念です。

球速140キロ台出す4人の投手を擁した仙台育英は、これからのチーム作りのお手本となるのかな?

第104回大会での白河の関を越えた東北勢の初優勝、素晴らしいです❗

夏の甲子園、優勝していない地域は、北信越地区のみとなりました。

石川県、富山県、新潟県、長野県、そして、福井県勢のこれからの奮闘努力、活躍を期待します❗

次は、北信越だ❗



ユートピア。

2022年08月22日 | 百伝。
イギリス人のトーマス・モア(1478年―1535年)によって書かれた思想本「ユートピア(ラテン語)」。

当時の日本は、室町時代末期、応仁の乱から戦国時代の頃。

その頃、早くもトーマス・モアは、この世のどこにもない国という意味であるユートピアを夢見ていたのでしょう。

ユートピアという国は、大西洋の真ん中にあるとします。

王様も貴族も僧侶も居ない身分差もなく理想的な社会を想像したのでしょう。

ユートピアには、貧乏人というものが居ません。

資源物質は、ユートピアの国民の共有財産。

誰もが同じように労働を楽しみます。

金銀財宝、真珠、宝石は玩具扱い、それを欲しがる人もいません。

財宝、金貨銀貨を持たない人ばかりが住んでいるユートピアという国。

しかし、怠惰は罪となります。

労働時間は、1日6時間のみ。

あとは、読書や音楽やら談話などをして1日を過ごします。

心身の健康は大切なものと扱われます。

病気をするのは、ダメ。

信仰の自由は、認められています。

男女は平等であり、戦争を放棄しています。

ユートピア国においては、軍隊の備え、軍隊を絶体に持たないと決めています。

もしも戦争を仕掛けられた場合、外国の傭兵によって国を守るとの事。

今から500年以上昔、トーマス・モアが夢見た理想郷です。

そう、資本主義も共産主義も確立していない500年もの昔。

現在の多くの国々が理想としているような国家の姿を描いているのです。

トーマス・モアなる人物の生涯の終焉は、国王ヘンリー8世によって断罪処刑されてしまいます。

トーマス・モアは、どこにも無い国、ユートピアが存在すれば、世界はどんなに楽しいだろうかと、夢見ていたのでしょう。



桃源郷。

2022年08月22日 | 百伝。
昔、昔、大昔、千年昔、あるいは二千年昔、いつの頃か分からない中国の物語。

現在、桃源郷という言葉は、憂いの無い理想郷という意味合いでに使われています。

昔、中国の武陵という土地に、とある漁師が住んでいました。

ある日の漁の時、舟で川を上っていた所に桃の花が咲き乱れる場所が現れました。

さらに、舟をその奥まで進めていくと、人の身体1つ、やっと抜けられるぐらいの小さな洞窟の洞穴がありました。

その洞穴の中を抜けて潜り抜けて入っていくと、目の前が突如広がりました。

開けた豊かな田畑が広がり、人々は楽しく働いているのです。

漁師は、ここは中国武陵には違いないと思うのですが、どこだろうかと思案していました。

すると、村人が近づいて来ます。

ここに来るまでの一部始終を話しをすると、家に招いてくれて歓迎の宿泊、食事を用意してくれるのでした。

村人たちは優しく、客人として立派な寝室、御馳走まで振る舞ってくれたのです。

集まった村人によれば、村人のご先祖様が、幾百年昔、戦乱を逃れてこの隠れ里に移り住んだとの事。

それ以後は、外界との接触を一切断って暮らしているとの事。

数日間、夢のような美しい里で過ごした漁師が去る際に、ここでの出来事を固く誰にも話さないと口止めをされます。

でも、故郷に戻った漁師は約束を守れません。

あの美しい隠れ里での出来事を話してしまいます。

その話を聞いた役所の人は、さっそく漁師にその美しい里まで案内するようにと命令します。

しかし、どの川、どの道を辿っても隠れ里に通じる洞穴を見つけ出すことが出来ません。

漁師が、帰り道にひそかに付けておいた目印も見つける事も出来なかったのです。

漁師の不思議な体験から、その美しい隠れ里を「桃源郷」と呼ぶようになりました。

そして、人々は、いつまでも今なおも「桃源郷」を探し求めるようになったという物語です。

終り。

昔、昔、大昔から人間の暮らしというのは、戦乱によって平和な生活が壊されていたのでしょう。

戦(いくさ)の無い土地、平和な里の生活を願望している民衆の願望が「桃源郷」。

桃には、何かよい気、兆が実るようです。

続く。➡ユートピアヘ。



国葬はなむけ。

2022年08月21日 | 萬伝。
今朝、開いた新聞を読んで驚いた記事。

NZ (ニュージーランド)が、生涯喫煙禁止を目指しているとの事。

国家レベルで「たばこのない国」が誕生すれば、世界初。

オランダのように大麻を容認している国々のコメントを聞きたいね。

NZ のお隣リ、オーストラリアは、オリビア・ニュートンジョンさんの国葬を執り行うとの事。

日本からは、何故かな?

三宅一生さん、森花恵さん、御二人を国葬にしようという声が政界からあがってもよいのでは?

お国柄が見えてきます。

日米豪印4カ国のクアッド一国、インドは、中国、ロシアの共同軍事演習に参加するとの事。

NATO に加盟しているトルコは、ロシアの武器、軍機を輸入している。

インド、トルコ、なかなか強かな国である。

思い出すのは、国が葬るという国葬外交。

国葬として非暴力を訴えたインド独立の父ガンジーという死の重み。

日本人アツシ・ミヤザキ氏を外国人初の国葬として執り行ったトルコ。

出来る限りの国葬が執り行われる国は、火薬のにおい、たばこの煙り、花火が目に滲みるデザインの国。

旅立ちの時、行き先の方向ヘ馬の鼻向ける。


フレアな物種(ものだね)。

2022年08月20日 | 百伝。
コロナ禍第7波、毎週行う抗原検査、昨日も陰性でした。

いつまで続くのかな? 

これは健康的な日常ではありません。

心身症という病気があります。

心配事から情緒的に不安定になるのが、心身症の主な要因。

将来の見通しが明るくないと思うと劣等感が生じて絶望視する傾向となります。

精神的な健康維持、安定感がないと、心配事は心臓、循環器、神経系全体に影響を及ぼして身体の健康を蝕みます。

生きている地球にも寿命、心身症があります。

地球が怯えるのは、いつか届く太陽面爆発、太陽フレアというコロナに蓄えられた磁場のエネルギーが爆発的に解放される現象です。

魂の病は、恐ろしいです。

その魂の逃げ道を探し、辿るように行き着く場所が、宗教という集団かもしれません。

ただ、旧統一教会のように被害者が多いという宗教団体には問題があるのでは?

更なる貧困に陥る金欠病、人間関係による情緒不安定となれば、死というものを考えてしまいます。

朝起きて、歯みがきをしながら今日一日を考えます。

趣味は、草刈りと散策と・・。

隷属的なものから解放される魂の声。

そのあと、コーヒーを飲みながら故郷を想い描きます。

空気の美味しい場所、眺めのよい場所、歩きながら得られる海と繋がる風景と光景の連続。

百島と百々には、好奇心を育む世界観があります。

倦怠と疲労は、人生の大敵劣化、魂の宿敵老化となります。

生まれ方は1つなのに、死に方は色々、様々です。

人生は、命あっての物種。



迎え火、送り火。

2022年08月17日 | 百伝。
一昨日8月15日は、終戦記念日。

昨日16日は、送り火。

子供の頃、ご先祖様の霊を迎える迎え火、見送る送り火を焚いていた墓地での光景が赤々と甦ります。

中学生、高校生の時かな、フィリピンの密林に30年近く潜んでいた元日本兵の横井庄一さん、小野田寛夫さんの祖国帰還が大きなニュースになりました。

あの頃、密林生活ではないけど、終戦後に中国に残った元日本兵の方が、祖国故郷の百島ヘ帰国した出来事もありました。

子供の頃、お墓で聞いていた話。

終戦時、海外に居た日本人ヘの憎しみ怨みから邦人社会は大パニック、目の前で現地人によって親を殺されて、生き地獄の沙汰をくぐり抜けて、やっとの想いで祖国日本、故郷の百島ヘ帰国したとか。

母が語ったヒロシマの惨状も酷いけれども、異郷の地で襲われて家庭、生活が崩壊する恐怖も子供心に胸を締め付けられるようなトラウマになるような戦争の悲劇です。

終戦直後、作家の坂口安吾は「堕落論」でこんな事を述べています。

「戦時中の日本は理想郷でした。多くの国民が徴兵されて戦っていただけでなく、女性は軍需工場で兵器を作り、学生たちも働きました。家庭の鍋などは兵器の材料として回収され、食料は配給制、泥棒すらいませんでした。戦時中の日本人は一丸となって戦っており「虚しい美しさにあふれていた」のです。

虚しい美しさ?

国家とは、家族家庭という小さな集団が集まり、それが地域となり拡充したものの成り立ちだと理解できます。

家族の一員であれば、何者かが家庭に理不尽に侵入乱暴して来るのであれば、当然思い付く限りの抵抗手段を使い追い出します。

家庭愛、家族愛と愛国心、祖国愛も然り。

他国から暴力、攻撃を受けた場合、武器を手にして戦うでしょう。

とは言いたいけれども、戦争の起因となるのは、何だ?

昨日のニュースで、武器見本市に現れたプーチン大統領が、自国の武器の素晴らしさをセールストークしていました。

武器とは、人を殺傷する道具、それを公然と売りたいというのは、殺人幇助罪なのでは?

例えば、北の隣国、西の隣国。

隣国民を責めているのではありません。

指導部の政策が虚しいのです。

核兵器があるから強国と自慢気に威嚇します。

ほんの30年前まで、日本人給与一人分で30人雇えると言われていた貧国の中国でした。

共産党指導のもと市場開放して、世界の工場から、今や世界の大国としての強権的な振る舞い。

虚しくなるような豊かさです。

共産主義制度国家なのに、貧困格差が存在するという社会矛盾。

共同富裕という中国の政策は、自国内向けではなく、世界に向けてアピールすれば、中国株はもっと上がり、大国中国の評価は上がるのにと考えます。

政策指導者は、自国の事ばかり・・否、自分の事ばかり考えています。

稼ぐ力を備えて、金銭的に豊かになれば、いい車を買いたくなるし、さらには土地家屋を買い求めてゆく・・その富裕者が権力者になると、車が武器となり、土地家屋が領土拡大に成り代わるだけなのでは?

富裕層、権力層に位置する上級国民が、一般国民を優先せず考えていないという事実。

歴史は、それを繰り返し何度も証明しています。

家長やら指導者に未来を握られている国民は、哀しみの国家。

日本にも「戦争反対」と言えない時代がありました。

戦争反対と唱えれば、非国民と罵られて逮捕されて殴られ殺される時代もありました。

権力を持つ国家指導者達が、愛国心、祖国愛のもとに、一般国民、貧困層の国民に命令指示、戦わせる、動かせるという圧政、専制政治は、正義悪です。

行きたい場所にも行けない、言いたい事も言えない、行動と言論の自由のない国には、暮らしたくもありません。

人間には寿命があるのにも関わらず、我々は地球の一国に、人殺しの兵隊として生まれてきたのではありません。

況してや、他国の軍隊に殺されたくもありません。

巨万の富を稼ぐ為に武器を造り、武器を売り買いする戦争国家、武器商人・・何が生き甲斐なのでしょう。

武器製造、核兵器が戦争抑止力?

例えば、目の前に刀剣、銃器があれば、手にしてみたくなりませんか?

人間の業?

世界経済ヘの貢献、グロバール社会ヘの貢献?

突き詰めると、資本主義社会の根幹が「マネー、お金」。

そのお金が、命の無い不死身の生き物だと思えてなりません。

何でも買えるお金、お金の為ならば人殺しもする人間。

ならば、お金にも賞味期限を❗使用期限を❗

少なくとも、平和ヘの近道となります。

命を、お金を燃やせますか?



今宵満月、お盆入り。

2022年08月12日 | 萬伝。
今宵の満月は、大きく明るく冴えています。

百島からも今宵満月は、見えているのかな?

今夏のお盆帰省は、北陸自動車下りの通行止め、台風8号の接近、そしてコロナ感染予防の為、取り止めました。

ところで、37年前の今宵の月は覚えていないけど、37年前の1985年(昭和60年)の今日は、忘れられない一日です。

あの日、日航ジャンボ機が御巣鷹山へ墜落。

520人の尊い人命が失われました。

あの日の午後、僕は、浜松町界隈に仕事で出かけていました。

お盆の帰省で、浜松町からモノレールで羽田空港に向う多勢の人の流れを眺めながら、田舎に帰省しない自分を恨めしく思っていました。

帰宅後、夜のニュースで、墜落事件を知りました。

あの浜松町で、すれ違った見ず知らずの人達の何人かが、あの飛行機に乗り、永遠に旅立ったのかと思うと、心が痛みました。

真夜中、調布飛行場からの離陸、着陸の飛行機音が延々と鳴り響いていました。

一睡も出来ないまま翌日の朝、僕は、世界一美味しい飲茶(レストラン)があるという華僑の友人に会うために成田空港からマレーシアへと飛び立ちました。

現地クアラルンプールのホテルで、目にふれた華僑系の新聞。

紙面には大見出しで日航機墜落事故を「JAL123便、4へ飛ぶ」・・というような死の意味合い持つ中国漢字が踊っていました。

あの日から37年・・今でも忘れられない夏。

犠牲者の御冥福を祈ります。

合掌。


山の日 (8月11日)。

2022年08月11日 | 百島極楽遊園地
山の日や 天保山の 夜明け前

日本一の癒しの山は、標高184米の百島の十文字山である。

さて、NHKラジオ深夜便 天地茂(1931~1985)の歌声で目が覚めると、4時からは、低山ならぬ、超低山登山家、加藤さんのお話。

天保山の4.53米より低い、宮城の日和山が3米で、日本一の最低山との事だった。

若者は、その健脚で高さを競い、深田久弥(1903~1971)の日本百名山を踏破。

中年高齢者は、酒場詩人吉田類さんの百低山で一献と、洒落神戸の六甲山ときた。

いよいよ後期高齢者となれば、気の向くまま、足の向くまま、故郷の山に向かいて言う事なしの室生犀星(1889~1962)。

であるが、故郷の山は荒れている。

3米程の団子岩から、184米の十文字山まで、殿山、叡列山、軍殿山(石山)、東浦、岩の花など、百島には、100の超低山が在る筈だが、現在はジャングル。

おまけにイノシシに占拠されているとの事。

為替が、360円の頃、瀬戸内海を、360度見渡せた、大パノラマが懐かしい。

団子(だんご)岩、これからは、百島の団子山と称して、日本一低い(海抜)山と成す。


サンセット77 (1958年~1964年)

2022年08月05日 | 空木宝剣
戦後77年の夏。

8月がやって来た。

あの吉永小百合さんや松原智恵子さんも77歳。

戦後の青春スター。

それに続く団塊世代も、いつのまにか高齢者になってしまった。

団塊にとって、平成18年、小泉さんの次に首相になった安倍さんが、初めて年下の総理大臣だった。

それが、先月7月8日、奈良での暗殺事件。

団塊の少年時代にも、社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件が、大きく報道され記憶に残っている。

戦後77年。

世界状況は、地球温暖化にコロナ禍。

それにウクライナ戦争。

ナポレオンやヒットラーに攻めらても、追い返した冬将軍のロシア。

そのロシアが、夏将軍となって、ウクライナに侵攻。

世界の貿易や経済のバランスを危うくしている。

一国の宰相は、隣国のことまで、大国先進国のリーダーは、世界や地球、宇宙まで気を巡らす資格を要する。

団塊より年少の69歳、プーチン大統領。

夏将軍から頭を冷やして、もとの、広大なロシアの冬将軍に鉾を戻すべきである。

戦争は、攻めるも守るも、集団虐殺、集団自殺。

儲かるのは、死の商人のみ。

自明の理であるにも関わらず、大国のリーダーは、死の商人に支配され、平和の時代をサンセットさせ、不安な暗闇の世界を暗示している。

第一次大戦(1914~1918)に従軍したヘミングウェイ(1898~1961)。

その体験を、「日はまた昇る」や「武器よさらば」の小説に著すが、そのかいもなく、第二次大戦(1939~1945)が勃発。

無力感に苛まれたヘミングウェイは、武器を口にくわえて自殺。

戦争によって、「失われた世代」の代表とされるが、サンセットは、誰彼選ばす全体を闇夜に導き、平和のサンライズとの繰り返しの危険性を身を持って教えてくれた先人である。

平成、令和生まれの幼児、子供、若者の未来が平和でありますように。

戦禍よ去れ‼️



気づいていますか?

2022年08月04日 | 百伝。
先日、ラジオから流れてくる昔ヒットした失恋ソング、🎵地球なんか壊れてしまえ~ と、そんな歌詞が流れていました。

戦争、天災、人災、必ず地球上に起きるのにね。

失恋は、この人にとっては、地球以上の宇宙の大問題なんだね。

僕らが生きている世界は、危険がいっぱい。

今日は朝から福井地方、大雨が降っています。

福井市全域に避難指示も出たけど、そんな事すると都市部の避難所は満杯、殆ど99%の市民が入りきりません。

最近の自治体の素早い避難指示は、備え有れば憂い無し。

何かあった時の責任逃れ、保身行政にも映ります。

猛暑、干魃、豪雨、地震、噴火、台風、大雪、冷害・・自然災害、天災いろいろと起こります。

一応、防災士の資格を持っていますが、故郷の百島は、地理的にも、やはり何かに守られているような気がします。

ところで、人災とも言うべき国家指導者たちのいろいろ異論、正論。

中国の台湾への対応。

台湾をぐるりと取り囲んでミサイル発射の軍事演習・・意地が悪いですね。

大国中国の小国のような大人げない面子の振る舞い、威嚇。

こんな事をして、誰が幸福になるのやら?

国家指導者が立派で賢明な人物ならば、相手国の国民に対して、移民移住したくなるように、いかに自国の暮らし、社会制度が素晴らしいかをアピールするのが、国家、自治体を含めたリーダー、指導者の役割なのでは?

核兵器拡散を訴える国家指導者、核兵器を脅しに使う国家指導者。

親ジャカならぬ、国ジャカを嘆く人間が、この地球上にどれくらいいるのやら?

昭和の敗戦後に日本で生まれた僕らの年代世代は、若い世代からは「逃げ切り世代」とか呼ばれています。

確かに、このまま戦争も、日本の大凋落、経済貧困国になるのを知らないままに、あの世に逝く世代かもしれません。

残される次なる子や孫の世代が、悲しい時代に遭遇しない事を希望します。

第三次世界大戦は、いつ始まるのやら?

日本では必ず南海トラフのような大震災が繰り返しやってくる。

付け加えるならば、食べ物がない、水がない、電気がない、そうなると都市生活者は悲惨です。

備えること、まえもって備えること。

地球上の人間同士の争いごと、競いあい、奪いあい、お金を稼ぐ為の疲弊、生活不安。

お金に振り回されている不平等な人間格差社会。

誰もの命に寿命があるのに、何ゆえマネー、お金に寿命が無いのかな?

蓄財も人財もダイバーシティ(多様性)・・・性別、年齢、国籍、人種、民族、宗教、社会的地位、障がいの有無、性的指向・性自認、価値観、働き方等の多様性を重視する時代。

これを変革(イノベーション)の未来社会とも呼んでいます。

多様性を認める自由があるならば、僕は訴える。

お金にも寿命を❗

問題は、経済市場からの欲望という免罪符、幸福満足という個人の蓄財権利と権力行使。

脅し、威嚇、虐め、暴力、殺人、戦争なんて、地球上の人類は、罪作りな悩み多き人間格差社会を創造したものです。

はて、面白い箴言を見つけました。

人間には、大きくて高いハードルが、4つあるとの事。

生きるというハードル。
老いるというハードル。
病むというハードル。
死ぬというハードル。

こんなハードルなんか、生まれてきた人間は誰もが全て平等に乗り越えているのです。

気づいていますか?

「人間は誰かを幸せにする為に生まれてきた」と思えば、簡単に和やかに穏やかになります。

お金に賞味期限を❗
お金に使用期限を❗



百と百々の水脈流源。

2022年08月01日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
僕の故郷は、瀬戸内海に浮かぶ百島。

その百島の祖となる先人は、嘉吉の乱の後に逃げてきた赤松一族だと伝え聞いています。



嘉吉の乱(かきつのらん)とは、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。

僕の記憶では、それ以前の百島は、桃島と呼ばれ、桃島の北浦某が倭寇として、中国大陸で活躍したと、尾道市の歴史編遷の何かに記載されていました。

活躍というのは美化しすぎ、倭寇というのは、要するに大陸まで遠征して略奪を繰り返していた日本の海賊です。

海賊の始まりといえば、伊予の河野水軍です。

嘉吉の乱、1441年の頃、まだ村上水軍は、伊予河野水軍を主家と仰ぎ、配下として動いていました。

さて、百々(もも、どど、どうどう)という一族、姓、地域があります。

この名の始まりは、伊予の河野氏がルーツとなるのです。

しかも、時は、嘉吉年間。

百々氏は、嘉吉年間に伊予の豪族・越智通春が戦乱を逃れるために義父の京極高経を頼って近江に移り、小野庄百々村に住んで「百々盛通」を名乗ったことが始まりとされる。その後は京極氏に代々仕え、摺針峠の関所の管理を任されていた。戦国期には浅井氏に属し、浅井長政に仕えた百々隠岐守盛実が佐和山城の城代を務めた。浅井氏滅亡後は織田氏に仕え、京極氏の頃からの関所管理の役目を追認されている。一族の百々越前守綱家は織田秀信の家老となり、関ヶ原の戦い後は土佐藩主・山内一豊の請願によって6千石の築城総奉行として山内氏に仕えた。
(彦根市歴史編遷史)

この彦根の百々村というのは、水の音、轟き、等々力、あるいは百済寺の百から派生しているのではないかと想像は出来ます。

ただ、現在における日本各地に散らばる百々という地域名、姓名のルーツが、嘉吉年間に始まるという僕の個人的な推測、発見です。

嘉吉の乱の以前、既に室町時代は混乱状態でした。

赤松が統治していた播磨の国でも統治不能状態、こんな記述があります。

「播磨国の土民が、去年の冬の京都と同じように蜂起。国中の侍をことごとく攻める。荘園の代官や守護方の軍兵が、土民らに、殺されたり、追放される。一国の騒動としては、世にもめずらしい例であるという。土民らは、侍を播磨には必要なしと、乱世が来てしまったといえる。このため、播磨の守護である赤松満祐が、京都から出陣。納税者の土民(農民)は、「徴税者の侍はいらない」という宣言。もう1つの徴税者側の公家は、これを「乱世の至り」と表現するだけで、実行力がないので、赤松氏の出陣を見守っている。」
(公家中山定親、薩戒記の現代訳文)

つまり、土民(農民)の立場からすれば、室町幕府も侍も必要無いという宣言みたいなものです。

さらに、京では、万民恐怖政治を行う籤引きで選ばれた将軍足利義教が登場。

嘉吉元年1441年6月、播磨の守護赤松満祐は、その悪名高き将軍足利義教を暗殺します。

これが嘉吉の乱。

この事件が伝わると、国中で起こる土民一揆、さらに幕府の赤松討伐も遅れて大混乱。

それを治める為、地方の豪族は次々に徳政令を発します。

ついには、室町幕府も日本国中ヘ徳政令を発布。

これが嘉吉の徳政令。

多分、土民一揆の武力に対しては、海賊の民を利用するのがよいと考えたのが、当時の権力者の意図だったのでしょう。

近江の京極氏は、伊予河野氏ヘ援軍要請、百々氏の始まりです。

その伊予河野水軍、幕府から赤松討伐を命ぜられていたが、嘉吉の乱の後、宗家と分家に分かれ対立、衰退ヘ向かいます。

京の山名氏と細川氏と勢力争いを含めて、伊予、備後の海上警備警固の役割は、だんだんと村上水軍が主流となります。

嘉吉の乱を切っ掛けに、時代は、応仁の乱、戦国時代へと移り変わります。

さて、不思議なのは、嘉吉の乱によって逃げ延びた赤松一族が、何ゆえ、どのように、百島で安住出来たのか?

赤松氏は、元々村上源氏の流れを汲むと伝わります。

因みに、村上水軍と村上源氏の繋がりは、歴史が積み重なり複雑で全く分かりません。

一点に絞るならば、百島と百々との地下に脈々と繋がる情報ルート、水脈源に興味があります。

八月になりました。

時々、百島をシェアします。

ドキドキ、百島愛、百々愛に行きます。