百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南の島で。

2023年06月29日 | 百伝。

学生レポーターとして行ったグアム、サイパン島での思い出。

テーマは、「小さな島で大きな地球を考える」でした。

選ばれた学生レポーター逹は、皆優秀。

同じく随行した先生方は、映画監督、音楽家等々。

その日の先生は、東京大学出身の映画監督。

脚本家の倉本聰さんは、学生時代からの同志だとか。

自己紹介方々、東京芸大生やら後輩となる東大の学生レポーターとは話が盛り上がり・・美学の世界だとか、昔話とか、大盛り上がり。

売れる役者、売り込みの鉄則、等々。

僕は黙って聞いていましたが、そのうち、監督が「君はどこの学生さんかな?」と僕に話を振って来ました。

東大、東京芸大、京大、早稲田の学生の自己紹介から、一気に偏差値下げて「亜細亜大学です」ではね⁉ 空気が変わりそうな雰囲気?

これでは物足りなくなりそうなので、「杉並区の下宿先の近くに、菅原文太さんが住んでいます。それから東映の大泉撮影所にはエキストラのアルバイトで何度も通いました」と付け加えて答えました。

すると監督、急にウィスキーを、そのまま直接アイスペール(氷入れ)に注ぎ込み、それを回し飲みをするようにと指示を出します。

「明日は、映画を観に行くぞ。ここではブルーフィルムが公に観られるぞ」

若い学生逹にとっては、悦びそうなプランでした。

そうこうするうちに、酔いが回った頃には、「皆、もう仲間だ。証に同盟血判状を作ろう。親指に傷に入れて・・」と監督は言います。

まるで、ヤクザ映画ではないか?

映画界は厳しいなぁ❗

上下関係もツライだろうなぁ❗

未来ある賢い学生レポーター逹は皆、静まり返り、その雰囲気に引いてしまいました。

これからの人生、何を売りにするのか? 人生に何を求めて買うのか? 

何を選択すべきかを少し気付いた瞬間でした。

あの時、率先して血判証に押印していれば、人生どうなっていたかな?

もう40年以上昔の思い出話です。

当時、監督の年齢は40代過ぎたばかりの働き盛りだったのが意外、もっと老いた雰囲気がありました。

売れる映画、売れない映画の狭間の中で、きっと映画への想い、野心、希望、多くあったのでしょう。

その先生は、「日本の首領」、「極道の妻たち」等々、東映京都で数々の映画を撮られた中島貞夫さん。

中島貞夫監督の訃報ニュースを知り、御悔やみ申し上げます。

南の島で出会えた時間、青春時代のひとこまに感謝です。

合掌


百百(百々)廻り。

2023年06月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

淡路島に参りました。

ちょっと思い出した事。

何かの記事で読んだ農業ビジネスの話です。

化学肥料、農薬、畜産廃棄物を使わない。何も染み込んでいない耕作放棄地から雑草を刈り取る。刈り取った雑草から堆肥をつくる。

そのような話でした。

さて、百々(どど、もも、どうどう)という地名、家名、苗字、店名を、案外多くみつけることがあります。

百足屋という町名が、京都の四条通り沿い十文字、藤本町近くにあります。

ところで、百島(百嶋)さんという姓(苗字)の方が、北海道や九州に多く分布されているような気がします。

そのなかで、北海道に生まれ暮らす百島さんが、「自分の百島という姓のルーツは、富山県から北海道へ移住したと先祖から聞いている」というコメントがありました。

確かに調べてみると、富山県には、百島という姓(苗字)をもつ方が多くいます。

近隣では、尾道市街地にある産婦人科、鞆の浦にある海産物屋(?)に「百島」という名があったのを記憶しています。

個人的な見解ですが、やはり、百島姓のルーツは、瀬戸内海に浮かぶ百島が、発祥地の源ではないかと考えるのです。

昔、北前船が、蝦夷(北海道)と上方(関西)の間を、日本海をぐるり周回して、瀬戸内海を通り抜けて物資を運んでいました。

江戸時代の百島の人口は、現代の百島の人口よりも多いのです。

その際、かなり多くの百島の先人の方々が、北前船に船乗りとして出稼ぎに行ったのではないかと推測できるのです。

港、湊のある・・北海道や北陸や九州へ、そのまま永く住みついた方も多いと考えます。

そして、明治に入り、故郷の「百島」を思い浮かべ、そのまま「百島」を自分の姓(苗字)にしたのではないかと想像するのです。

先人の皆さんは故郷を離れても、遥かな百島の姿を想い浮かべたのでしょう。

さてはてと、元気を出さないと、活気も生まれてきません。

痩せないと、元気も生まれてきません。

百々、胴廻りの草刈りを励まないとね❗


香川県琴平町百々。

2023年06月22日 | 日本の百々巡り。

琴平町と言えば、金比羅さんの金比羅本宮。

子供の頃、親に連れられて長い石段を上がった思い出があります。

香川県仲多度郡琴平町苗田百々(どうどう)まで参りました。

琴平町には、法然上人由来の百々が辻という場所もあるようです。

車のナビに従い到着したのは、街の中心街、金比羅参道から歩いても、約30分程度のやや離れた郊外。

ちょうど田植え時期の田畑のど真ん中でした。

流石に、金比羅さんが鎮座する地域です。

見上げた電信柱に、何故か「天皇」という地域名。

百々と天皇の関わりはなさそうですが、不思議な地域名を名付けるものです。

地元の方に訊くと、百々という地域名だが、自主的な自治区ではないとの事。

とても眺めの好い百々の田園地帯でした。

讃岐富士の飯野山も見えます。

天皇と苗田と百々という地域の関連性、後世に残して、「百々の謎」に興味を懐いた方に解明して頂きたいものです。

因みに、百々のある愛知県豊田市と岡崎市には、琴平という地区が在ります。

弘法大師、空海の故郷、讃岐。

地元の讃岐うどん、さすがに大変美味でした。


香川県観音寺市百々。

2023年06月20日 | 日本の百々巡り。
  • はじめに、観音寺市と言えば、海辺近くにある琴弾(ことひき)公園内にある砂地に描かれた「寛永通宝」。

 

この銭文字を見れば、長生きして、お金に不自由しないとの事。

さて、香川県観音寺市木之郷町百々(どうどう)まで出掛けて参りました。

車のナビは便利なもので、琴弾公園から4~5キロの距離にある百々地区まで簡単に導いてくれます。

降り立った地点は、何にもないバス停留所前でした。

傍らに、旧百々村の鎮守の小森。

石碑には五穀豊穣と村内繁栄と刻んでいました。

見渡す限り、古くから続くの農村地帯というイメージです。

百々の集落に入ると、電信柱に「火の用心」という百々自主防災会。

これまた、百々という地名が消えかかった公民館の看板・・・少し残念。

ご近所の方に、百々の謂れを訊ねると、よく知らないとの事。

以前、百々の地域史を研究されていた方が、7年前ぐらいに亡くなられたとの事。

その息子さんを紹介されて、訪ねてみました。

父親と違い、自分は「百々の歴史」には、それほどには興味が無かったので、詳しくはないとの事。

牛舎か? 鶏舎か?

この地域を見渡す限り、水の謂れとの関連性が見えて来ない地域でした。


石鎚山禅定

2023年06月15日 | 空木宝剣

空海 (774~835)  道元(1200~1253)

旧暦6月15日は、空海お大師さんの誕生日。

中国は唐の時代。

我が道元禅師の中国は宋の時代。

生まれた年は、426年の差がある。

大雑把に言って、この世は、目に見える物と、目に見えないもので成り立っている。

誰も、死後の世界も知らず、宇宙の果ても知らず生かされている。

お四国さん88ヶ所は、阿波の竺和山霊山寺に始まって、讃岐医王山大窪寺の、うどんならぬ、おんごくそばを食って結願となる。

お四国さんのお接待は、所謂おもてなしと違う。

見返りを期待するか否かを、第22番白水山 平等寺が表す。

団塊73歳の札所は、お大師の生まれた善通寺にある第73番 我拝師山 出釈迦寺。

この1年、虚空蔵菩薩 (のうぼう あきゃしゃきゃらばや  おんありきゃ まりぼり そわか)を唱えながら、夢は高野を駆けめぐる。

それにしても、岐阜の陸上自衛隊で今年4月に入隊したばかりの18才の未成年に、いきなり実弾での銃撃訓練をさせるとは、お笑いのやすこのように、ほふく前進をみっちりやってランクが上がってからでは、間に合わないのか?

第二次大戦の多大な犠牲を反省して、自衛に限られた軍隊像。

衣のしたの鎧が、表面化しつつあるようだ。

石垣島沖で墜落した海自ヘリのその後の事故原因の報道もない。

自由な報道が制限されるところから、平和はほころび、戦争へと舵をきる繰り返しをチェックするのは、人間でなく、AIしかないのか?

昔のアメリカ配給のテレビ番組、ミステリーゾーンでは、昭和30年代に、すでに人工頭脳を描いていた。


故郷は遠くなりて。

2023年06月11日 | 福伝。

我が国、日本国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている歴史的な六つの史跡をご存知ですか?

京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺、奈良の平城京跡、広島の厳島神社、そして福井の一乗谷朝倉遺跡の六つのみなのです。

そのうち一乗谷朝倉遺跡を除いては、すべてが世界遺産に登録されています。

逆に、一乗谷朝倉遺跡が世界遺産に登録されていたならば、残念乍、受け入れ側の福井県の観光客対応の態勢が整っていないので大混乱を生じているかもしれません。

およそ400年もの間、田畑に埋もれていた戦国城下町、日本のポンペイとも呼ばれる一乗谷。

福井県が世界に誇る県立恐竜博物館、県立年稿博物館、そして新しく県立一乗谷朝倉遺跡博物館がオープン、見学に行って参りました。

戦国大名朝倉氏は、一乗谷に京から文化、技術、専門家を招いて学ばせて、学んだ者は、他国に行くことを禁じて独自の栄華を築いたようです。

地域ブランドを守る為の保護政策です。

中世の都市国家ベネチアに似ています。

ベネチアではグラス作りの職人が他国に行くことを許さず、グラス作りの秘伝を守る為に、逃げた者には暗殺団を送ったとの事。

その半面、職務励行なグラス職人には手厚く保護したとの事です。

因みに、この一乗谷には、遠く中国からは勿論、シルクロードを経由して、遥かなヨーロッバからのガラス製品を含めて多くの輸入品が発掘されています。

一時、京を凌ぐ繁栄ぶりだと言われたのは、確かな事実かも知れません。

来年春は、いよいよ北陸新幹線が金沢から福井県敦賀まで延伸、百年に一度という福井県の歴史的な転換期と位置づけています。

日本で唯一、フルマラソン大会が開催されていない福井県。

来春のフルマラソン大会開催に向けて準備が始まりました。

日本で唯一、イオンがない福井県。

昨年、イオン系のトップバリューという店舗がオープンしました。

福井県は、学力、体力、貯蓄力、幸福度、健康度、求人倍率等々、その殆どが日本の歴史的な観点からもトップバリューに位置するのに、地味と言われる県民性、福井県民の多くが、その実力に気がついていません。

御食国若狭越前(福井県)という地域が無ければ、畿内のヤマトの平城京、平安京も歴史上成り立っていません。

若狭神宮寺からのお水送りが無ければ、東大寺のお水取りは無いのです。

昔も今も、水と電気エネルギーを送り続ける福井県。

曹洞宗総本山永平寺、道元禅師の禅の教えと布教。

浄土真宗吉崎御坊、蓮如上人の南無阿弥陀仏の教えと布教。

禅という小さなパラダイス。

一向一揆という大きなヘブン。

自力と他力。

小さなパラダイス。

大きなヘブン。

2つのバランス、そのライフ。

地味さを加味した宗教王国の福井県。

今は、歴史を通り越して、恐竜王国だと叫ぶ福井県。

生きることは、障害だらけ。

歴史は、難問だらけ。

自由に行きたい場所で生きてゆけるのが、パラダイス。

誰もが自分らしく生きてゆけるのが、ヘブン。

思い描く生活を可能にするのが、道標ライフ。

桃源郷から黄金郷に続く、故郷は遠くなりて。