百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

金沢駅にて

2006年07月24日 | 千伝。
昨日のNHKのスペシャル番組「働いても働いても豊かになれない。ワーキングプア」を観た感想。

・・重いというか重苦しい映像だった。

人間が安く使われている。

日雇い生活。立ちんぼう。

一部の支配層が、外国に援助交際。

国民は働き蜂状態である。

良し悪しは別として、

安くて余っていた中国から、労働力を高くて足りない日本にぶつけたサヤ取り商売が、このバブル崩壊後は成功している。

悲しい哉・・この手法は、いつの時代でも不変の定理だと思う。

近江商人は、商社の先走りと言われ、物も無いのに物を売っていたようで、いわゆる周旋屋であった。

情報で余ったものを足りないところに運ぶ周旋屋。

何か、収入を吸収するポンプを考えねばいけない。

お金を考えるからややこしくなる。

基本は物物交換である。

自分の仕事と物とを交換しているだけである。


近江 安土城跡

2006年07月17日 | 千伝。
たまたま、安土城跡と国宝の彦根城を見学してきたので、NHKの「功名が辻」と「フランスの世界遺産宮殿フォンテンブロー」を観て考えてしまった。

日本の城の石垣石段の曲線美とフランスの宮殿庭園の直線美を比較してしまうのである。

安土城は、今まで遠くから眺めていたちっちゃい小山の印象を持っていたが、天まで続くようにみせかけた湾曲した石垣や石段を見ると、よく工夫された城跡だった。

ただ、あの山を中心にして、ほんの三年間で、あの城や城下町楽市楽座を造ったというのは、常軌の沙汰でない。

織田信長は、やはり狂人だったのだろう。(豊臣秀吉も同じく)

そして、自ら国王と名乗るのも理解できるが、あの城、屋敷、地位を残したまま、明智に殺された怨念は、いかばかりかと思う。

戦国の乱世から安土桃山時代・・

戦国の武将の辞世の句に、「夢」とか「雲」とか「山」とか「花」とか詠むのは、受け容れがたい現実を直視すると殺し合いという狂人になっている素性を忘れることができるからだろうか。

栄華を誇った安土城を見たかった。

織田信長が生きながらえていたならば、日本の歴史も、あの界隈(安土、彦根、米原、長浜、関ヶ原、大垣、岐阜)も、随分と変わっていたのであろう。

まさに、功名が辻かもしれない。

ところで、今秋から安土城跡に入るのに入場料が必要になる・・と看板に書かれてあった。

今まで無料だったのが不思議である。

フォンテンブロー宮殿もベルサイユ宮殿も入場料をちゃっかりと徴収される。

曲線美は、防御的で滅びゆくものを避けようとする美しさがある。

直線美は、攻撃的で滅びゆくものを残そうとする美しさがある。

・・そんな事を書きたくなりました。

知らぬが仏

2006年07月03日 | 千伝。
知らぬが仏という言葉がある。

いろんなことを知っていくのが人生としたら、すべてを無にしたら仏様ということか。

無垢の頭脳が、いったん疑問を持つと、矢継ぎ早に、答えを要求するようになる。

人間社会では、多くのことに答えられる人間が賢明ということになっている。

が、百知るも千知るも、仏の世界、曼荼羅宇宙からすると、五十歩百歩のようである。

むしろ、真実一路が、仏にかなった道ということかも知れない。
 
阿弥陀のような、迷路は人生を迷わす。