百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

半世紀逃亡。

2024年01月31日 | 百伝。

ああ無情、レ・ミゼラブル。

ほぼ半世紀近く毎年毎年、日本の自殺者は2万人を超えているという統計数字。

つまりは、この50年間で100万人以上が自殺している日本社会なのです。

教育の根本は、よき人生観に培う感化を与えて、その究極は生き延びる力を育むとの事。

昭和40年代後半の中学生、高校生の頃、大日本帝国の亡霊を見たような事件。

約30年近くグアム島のジャングルやフィリピンの密林に潜伏していた元日本兵の横井庄一さん、そして小野田寛郎さんが発見されて帰国したニュースは、衝撃的な事件でした。

全く別の意味での潜伏逃亡劇。

今から27年ほど昔、福井市内で逮捕された殺人逃亡犯、福田和子の事件も衝撃的でした。

愛媛県松山ホステス殺人犯福田和子、15年間に及ぶ偽名詐欺めいた逃亡人生、時効寸前のあと21日前に逮捕。

福田和子が、福井から四国松山へ護送される当日は、ヘリコプターが飛ぶ、福井駅周辺は騒然、取材陣、大音響でごった返していました。

そして今、死に際に約50年もの間の潜伏した半世紀逃亡者桐島聡を名乗った人物。

50年も生きていない若い世代には、衝撃的な事件に映るようです。

職場の若い世代にも話題になっていました。

つい各々の人生と比較してしまうのでしょう。

コンクリート・ジャングルの都会、自然豊かな田舎、現代社会で携帯電話も銀行口座も免許証も健康保険証も年金手帳も無し、選挙権も無し、社会保険福祉の受給権利放棄、自らを証明できるモノが無い生活が、半世紀、50年もの間、生活が可能だったのか?という特異な生存能力です。

息子からも、「この桐島聡、尾道の高校出身なんだ?」と聞かれました。

「叔父さんのバレー部の1学年先輩がクラスメートだったみたいだよ」と答えました。

「桐島、部活(逃亡生活)やめたよ」ではないけど、「逃げ切った、逃げ通した、勝利宣言」というマスコミ・メディアのコメントがありました。

最後の最後、本名を名乗ったというのは、多分、きっとです。

「逃げてはいけなかった」

福山、尾道間、毎日の往復通学途中に眺めていた尾道水道。

 


百年物語。

2024年01月29日 | 百伝。

「桐島、逃亡生活やめるってよ」という映画になりそうなニュースが流れています。

思い起こせば、50年前は、物騒な時代だったかもしれません。

50年後は、どうかな?

地元の進学校尾道北高校を卒業して、何を思ったのか爆弾テロ犯に、20歳から70歳まで、およそ50年間の逃亡生活、銀行口座も健康証も無く今は重篤な末期ガンでガリガリ、ヨボヨボ、自ら逃亡犯だと名乗ったという桐島、今朝のニュースで亡くなったとの事。合掌

一方、36人の犠牲者を出した京都アニメの放火殺人犯青葉への死刑判決、精神耗弱を理由に無罪を主張する弁護団は控訴するという・・これが民主主義国家です。

「政治資金収支報告書に記載漏れ」、本人は全く知らなかったという、かつて下着泥棒、パンツ大臣と呼ばれた政治家、今度は裏金作りの関与はしていないと言い離党も議員辞職も否定・・脱税では?何ゆえに不起訴?

馬鹿馬鹿しくなるぐらい優遇されている日本の政治家です。

英国に倣って政治資金の流れは全てクレジットカードを通すのがよいのでは?

過ちを犯すのも人間。

反省できるのも人間。

それでも、権力欲、金銭欲に固執するのも人間です。

大食い、大酒飲みでなければ、金持ちになっている人間は大勢います。

生き恥を晒さないように❗

高齢者になると、「お腹が差し込むように痛い」と体調不良になる事があります。

人生は、平坦ではありません。

この頃、聞いたいい話。

百島で暮らしている同級生が、毎朝ゴミを拾いながら散歩しているとか、どうか健やかに長生きして欲しいものです。

人生は、ドラマです。

NHKの大河ドラマ「光る君へ」、平安朝の時代、公家筆頭となる政治家となる藤原道長と朝廷随一の文学者となる紫式部が、ソウル・メイトという設定から物語が進んで行きます。

この発想、展開が、とても千年昔の物語とは思えないストーリー、人間描写です。

せめて、いとおもしろき百年昔の物語に映ります。

ユニークかつ面白いです❗

これからは、生成AIを駆使して、物語を書き始めても楽しいかもしれません。

感謝を伴う物語を創りましょう。


一期一会

2024年01月21日 | 空木宝剣

日本は広いようで狭い。

北海道から沖縄まで、知人のいない県を探すほうが難しい。

今日は、山形で花が咲いた。

本間宗久(1724~1803)、生誕300年。

「本間さまには及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」後世に言われるほどの政治家が、この令和に在るのか否か?

山口のヒレ酒や山形の月山を呑みながら、政治とは、お接待と心得る。

国民を旨くお接待すると好景気。

そのアンチは、不景気やがて戦争。

そんな話で盛り上がった、山形ブースの82歳の名前も知らぬ人だった。

この試み、同じスタートからゴールまでの約2時間のあいだ、全国のブースの名品銘酒を飲み歩き出来るのが楽しい。

只、飲み過ぎに注意❗


第29回全国都道府県別対抗男子駅伝大会。

2024年01月21日 | 空木宝剣

広島平和祈念公園前12時30分スタート。

石川県頑張った❗

富山県頑張った❗

福井県頑張った❗

北陸勢頑張った。

広島県頑張った。

第1区の長崎県代表の高校生、川原 琉人 (五島南高)。

離島の高校陸上部(部員5人)に所属、京都の都大路の高校駅伝出場とは無縁。

島で祖父とずっと一緒に練習していたという川原選手。

アッパレです❗

第1区、区間新記録の1等賞、見事な走りでした。

素晴らしい❗

優勝は長野県、三連覇の通算優勝10回目とは凄い。

陸上王国長野県勢は、山道坂道での走法練習で鍛え方が違うのかな?

別格の素晴らしい走りでした❗

全国都道府県、全て踏ん張った❗


奇跡の島 百島にて。

2024年01月21日 | 百伝。

今日は、広島にて毎年恒例となった全国都道府県別男子駅伝大会開催予定、楽しみです。

さて、様々な推定人口の論文があります。

1600年の関ヶ原の戦い、つまり徳川幕府の江戸時代が始まる頃の日本の人口は約1200万人程度だと言われています。

その後、江戸時代中期から明治になるまでは、日本の人口は推定約3000万人程度だったとの事。

1711年、福山藩が残している記録資料によれば、百島の人口は、587人。

1815年には、883人。

日本の人口約3000万人の江戸時代、百島の人口は驚くべき数字なのでは?

(資料提供 百島ふるさと文化誌)

さらに、明治時代に入ると、より詳しい人口推計となります。

1873年(明治6年)の日本の人口は約3340万人だったとの事。

1872年明治5年、百島の人口は、1624人。

移住、職業選択自由となった明治維新後、約5年間で人口が2倍に増えています。

この人口増加は、驚異的とも言えます❗

安心安全な地域を選んだ移住なのかと推測できます。

日本列島は、古代から火山列島、あるいは地震、台風、災害が多発する地域です。

ただ、その長い日本列島の中で安全地帯となるスポットが、瀬戸内海。

その瀬戸内海の山陽側中央部に位置する百島。

瀬戸内海の潮の流れは、東西からの潮の満ち引きがあります。

この瀬戸内海地域も、過去南海トラフのような大震災、大津波、巨大台風一過、何度も被災したと考えられます。

ただ百島の西側には、備後の尾道から伊予の今治まで芸予諸島(しまなみ海道)が、百島の防波堤のような役割となっています。

百島の東側には、鞆の浦から沼隈半島、口なし瀬戸沿いに南側には内海町(田島、横島)が大きな壁となり燧灘からの突風、大津波を防いでくれています。

まさしく百島は、天然要塞地、海里の食糧庫あり、飢饉とは無縁の島でした。

さて、日本の人口が1億人を超えたのは、明治維新1868年から百年後の1967年(昭和42年)だとの事。

つまり、およそ百年間で日本の人口は約3倍に増えたという事です。

小学生の頃、先生から間もなく日本の人口が1億人に達成すると教えられた事を覚えています。

昭和50年、高校卒業する頃までは、百島の人口は約2000人程度でした。

小さな百島での農業漁業を生業とする生活許容人口は、約3000人程度迄が限界と言われていました。

人口が3000人を超えると、百島から他所の土地に移住するのが当たり前でした。

時代が変わり、車社会、移動社会、高速情報社会。

人と金は、地方から益々と都市圏へ集中。

東京一極集中への弊害が続きます。

1945年昭和20年の戦後の焼け野原から、世界が驚く奇跡の経済発展を遂げた日本社会。

1990年代平成時代に入り、バブル崩壊後の「失われた30年」と呼ばれる日本経済社会。

2024年令和6年の現在、日本の人口は約1億2000万人。

日本社会は、2050年には、人口約9500万人に減少するとの予測データがあります。

人口減少時代に突入した日本社会、天地を揺さぶり動かすような大地震、大津波と突然遭遇しようとも、救われた命は生きて行かねば、全ての人生は、恐怖と驚異と期待の繰り返し。

成功社会よりも成長社会を❗

成長社会よりも安定社会を❗

防災減災、安全な治安、心休まる日本社会を❗

奇跡のような百島で考えました。

百年後、あるいは千年後には、日本の首都東京、世界のTokyoは、限界が近づいています。

日本の首都を広島県尾道市百島を中心とした備後地方へ遷都しましょう。

エーゲ海よりも、ヴェネチアよりも美しく、世界が納得するBingo❗となるでしょう。


能登はやさしや土までも。

2024年01月16日 | 百伝。

あれから29年、明日1月17日は、阪神淡路大震災の日。

今年元日の能登半島の大地震から2週間が過ぎて、今年も早くも24分の1が過ぎてしまいました。

時は、惜しみなく過ぎてしまいます。

町内の新年会にも出席、地元の氏神神社の石鳥居の再建話が上がりました。

その予算再建額、鳥居で隔てる俗域から寄付金で賄う?

神域の神社も参拝者を増やす営業努力が必要なのでは?

日本の株価市況が活発、株価の高い状況は、新NISA開始が最大要因だとか?

新NISA、若い世代の皆さんにとっては、20年後、30年後を考えての少額投資非課税制度かもしれません。

我々高齢者は、よく考えた方がよいかも。

百島の同級生で親友の保ちゃんは、お母さんが亡くなって、家屋田畑の管理を含めて、鎌倉から百島リターンを真剣に考えているとの事。

彼が百島に戻ると、また賑やかな同級生仲間が復活するような気がします。

他にも仲のよい同い年の同級生も、この歳になると、いろいろです。

若干、認知症になった者。

完全なる無職、年金生活者になって、毎日昼間から酒を飲んでいる者。

選手、監督として、シニアソフトボールチームで楽しんでいる者。

何が善いとか悪いとかではなく、何でも楽しんで生きていれば、「ええのう❗」なのです。

北陸地方には、越中乞食、加賀強盗、越前詐欺と、各地域を揶揄した言葉の表現があります。

それ故なのかな?

素朴な人柄、人情厚く、風光明媚、そんな風土を言い表している言葉が「能登はやさしや土までも」と伝わっています。

道路寸断、救援物資が届かず、断水、停電が、まだまだ続く能登半島。

とりわけ、奥能登の皆さん、1次避難場所から、2次避難場所へ向かいましょう。

生き延びた命を守りましょう。

昨晩、同じ三日月を眺めていたのかな?


ミュージック&タイミング。

2024年01月11日 | 百伝。

昨日は、父 の生誕百年。
今日は、父の命日。

思えば百年前の1924年(大正13年)は、どんな時代だったのだろう。

関東大震災(1923年)の翌年に生まれ、1929年の世界大恐慌に少年時代を過ごし、やがて、1941年の太平洋戦争の時に青春期。

船乗りとして、夏は、ベタ凪の日本海まわり、冬は、太平洋まわりの北前船のように、荒海を避けながらの人生航海だったようです。

さて、1945年の終戦後。

震災の被害の大きさを並べると、東日本大震災、阪神淡路大震災、その次に甚大な被害を受けているのが1948年(昭和23年)の福井大震災です。

戦後間もなく当時、子供だった福井の高齢者の皆さんが言うには、「あの頃はテレビも電話も無い。今の時代と違い誰も外から助けに来てくれなかった。それぞれの地区、集落で助け合って生き延びた。」と、言います。

奥能登の震災発生10日が過ぎました。

惨状を見るにつれて、日本という国家は豊かになったのだろうか?

あるいは、75年昔同様に未だに貧しい国家なのか?

貧しき家庭に子沢山は、夢があった昔話。

政治家は自らの裏金作りのシステム構築を考えるよりも、国家の社会的弱者を救うべきシステムを素早く構築、実現する、これこそが国家百年の計。

さもなければ、日本の限界集落ならぬ限界国家へ。

職場の施設には能登半島先端海沿いの出身の方が暮らしています。

福井にお嫁に来るまで、21歳まで能登の海岸沿いで暮らしていたそうですが、今は認知症。 

テレビで故郷の能登の悲惨な現状を観ても、認知できないようです。

認知機能低下、認知症であった方がよいのかも知れない、日本の後期高齢者の人生縮図です。

ケセラケセラ♪・・福井から眺める今日の夕陽を浴びる白山連峰です。

はて、内憂外患とは、国家もしくは個人にも当てはまります。

去年暮れ、大動脈の太さを測った際、すい臓に影があるとの事。

今日は、その為に造影剤を入れてCT検査、結果は大丈夫だとの事。

帰りは、嬉しくて、いつも使うエレベーターではなく駐車場の階段を上っていたら、躓いて転倒しました。

痛い、今は右脚、右腕を庇いながら歩いています。

人生、油断大敵です。

痛くて、歩きながらも、耳に残るのは、細かいリズムを刻むような大晦日の紅白歌合戦でのAdoの唱、Yoasobiのアイドル。

外国人が日本語を話すような速いテンポ❗

圧巻でした❗

この場合のアイドルは、偶像の(idol)ではなく、中間ギア、遊び歯車のアイドルギア(idle gear)で使う怠け者の(idle)なのかな?

若い頃にファンだった女性ロッカー、スージ・クアトロを連想しました。

職場でテレビ録画している昨年大晦日の紅白歌合戦は、利用者さん、職員と一緒に何度も観る事が出来ます。

驚く事を言う人有りです。

紅白歌合戦、今までに応募葉書が当選して、福井から大晦日に上京して4回も生放送を観劇したという高齢者ご夫婦。

20年ほど昔、僕も親孝行の為、50枚ほど往復葉書で応募したけど落選した記憶が甦りました。

演歌歌手、竹島宏さん(福井市出身)が、今回も紅白歌合戦には出場できないと悔しがる人、馴染みの子なのか、自分の孫みたいに想うのでしょう。

ルビーの指輪を歌う寺尾聡さん、父親の宇野重吉さん(福井市出身)の思い出を語る人。

職員のある人は、身内に「ゆず」の北川悠仁さんと従姉がいると言う、北川さんの祖母が福井の方だとか。

今年は話題性が多く、職場で盛り上がった紅白歌合戦でした。

今年の大晦日、石川さゆりさんには、出世作の「能登半島」を歌って貰いたいものです。

個人的な感想。

25年前のブラックビスケットの「タイミング」の♪ズレた間のワルさも君のタイミング、♪ヒトも街も宇宙も まわるまわるタイミング♪

ハマいく「 ビートdeトーヒ」の♪ずっとずっと鳴り止まないでミュージック♪

ミュージック&タイミング・・そっくりなリズムだなぁ❗

来月、クイーンの日本公演予定、家内は観に行くとの事。

そのタイミング、僕は、百島で草刈りをしていた方が楽しみです。

今想う父の後ろ姿。


能登地震発生から一週間。

2024年01月09日 | 空木宝剣

冬の日本海は厳しい。

防風林や間垣で、住宅を囲い、モンスーンを避けていた。

震災は、時、人、所を選ばずやってくる。

明日の事は、分からない。

明日は我が身かも知れない。

南海トラフの不安もある。

一体全体、人は、地球や宇宙の事をどれほど理解し把握しているのだろう?

理解が及ばないから、有り余るほどの武器を作り、世界から戦火は絶えない。

理解が及ばないから、未だ天変地異に対して、神頼みの域を出し得ない。

線が壊れたら、点から点を結ぶ、ドローンがもっと活躍するかと思っていたが意外だった。

人を守る為の、物や金の筈が、人を脅かす存在にもなる。

令和6年正月早々。

能登半島大震災と、その救援の為の海保機とJAL機との羽田事故。

不条理である。

存在の足下を揺るがす不条理。

間垣からの景色のような安心感。

それを取り戻すには、当面能登半島を大本営とし、平和の砦を築く事かも知れない。

写真 実業之日本社 (S51年発行ブルーガイドブックスより)


能登 石動(いするぎ)

2024年01月05日 | 空木宝剣

正月の 石動山(564米)に 星降りて

弓なりに湾曲した日本列島。

その弓の握りの線が、フォッサマグナ(糸魚川 静岡構造線)。

北東日本と南西日本とに分割する。

太平洋に突き出す房総半島に対峙して、日本海の防波堤のような、能登半島。

令和6年の幕開けと共に、震度7強の大地震。

その被害の大きさが、日毎に増して報道される。

団塊は幼少の頃、珠洲市に半年ほど住んだ記憶がある。

あれから70年。

お世話になった中道さん。

思い出だけの存在にしても、時間を通り越して心配が走る。

能登金剛 千枚田 曽々木海岸  禄剛崎 軍艦島  

風光明媚な能登半島。

石動権現 鎮まれ鎮めたまえと祈る。


今年の目標。

2024年01月04日 | 百伝。

一年の計は元旦から、今年は「明けましておめでとう」が憚られる新年スタート。

元日、能登地方から日本を取り巻くような激震状況。

「能登は土まで優しい」と言われる土地柄、胸が痛みます。

正月二日は、被災地に支援物資を運ぼうとした海保の飛行機とJAL旅客機の羽田空港での衝突事故、まるでドミノ倒しのような年始です。

今週末、北陸地方に雪が降るとか、被災地の能登地方に暖かい援助がはやく届きますように。

戦後間もなく、父と母は結婚後、一時能登の珠洲市で暮らしていました。

大漁が続いていれば、我が家族は能登に住み着いていたかも知れません。

その珠洲市は、今は壊滅的な惨状だとの事。

正月三日、箱根駅伝、「負けてたまるか作戦」の青山学院が大会新で総合優勝。

日本全体の防災減災、その後の災害復興対策のリーダーには、青山学院大学駅伝監督の原さんのような人材が案外適任かもしれません。

原監督を筆頭に広島県勢尾三地区の活躍が目立ちました。

8区、9区の区間賞は共に尾道、三原出身の世羅高校OBだとの事。

敢えて残念な事を言えば、8区にエントリーしていたのは敦賀気比OBの福井県勢の選手でした。

急遽世羅高OBの選手に変更、青学にとっては「負けない作戦大成功」の結果オーライ、その一方で心待ちして応援する家族身内にとっては悔しい交代劇でした。

加えて、ここ10年間、箱根駅伝は駒沢と青学ばかりが目立つかな?

人生勝ち負けではないけど、他校は常勝軍団に勝てる戦略、作戦を考えないとね❗

正月四日の今日は、仕事初めのホンダディーラーへ。

ランプチェックのあと、福袋を頂きました。

産業革命以前、車も飛行機も冷暖房器も情報ツールも無い時代、人間の寿命は、人生50年と言われました。

今は、人生百年と呼ばれる時代となりました。

ホンダの店内に貼られていたポスターの標語。

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はるか遠くの未来。目の前にある今日。

いちばん前を走る人。毎日、一歩づつ歩く人。

変えていくつ覚悟。変わらない信念。

人類の大きな夢。たった一人の小さな幸せ。

きょう、だれかをうれしくできた?

~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年の目標は、肉体改造。

ストレッチと筋トレをしないとね。

今日、誰か一人でも嬉しい気分にさせたかな?


2024 元日。

2024年01月01日 | 百伝。

明けまして、おめでとうございます。

今年は、辰年の令和六年の昇龍道。

元旦とは元日の朝。

目が覚めて、窓を開けて外を眺めると、なんと北陸新幹線の「かがやき」が3月開業に向けて試運転走行をしていました。

新しい一年の始まり、何かしら目出度い気分でした。

新年一番目の朝食は、東京の兄が送ってくれた御節料理を家族で頂きました。

初詣は、日本古来の四大明神の一つ、パワースポットと名高い毛矢黒龍神社へ。

日本の守り神の四大明神とは、鹿島大明神、熊野大明神、厳島大明神、そして、ここ越前黒龍大明神なのです。

九頭龍川の守り神でもあります。

箱根にも九頭龍神社があります。

とりわけ、今年は辰年、参拝客が多かったです。

黒龍大明神様も多くの願いを受け入れるのは大変です。

もう一つ、北の庄城跡にある柴田神社にも初詣。

祭神は、柴田勝家とお市の方。

画家の故平山郁夫画伯のルーツは、ここから始まったとの事。

柴田勝家の隠し子が、北の庄城落城の折、瀬戸内海の生口島(尾道市)まで逃げて、その子孫が平山家だとの事。(平山画伯談)

午後の昼食は、再び御節料理を頂きました。

夕方4過ぎ、大地震。

福井市は震度5弱の強い揺れ、1分間ほど続きました。

台所で食器棚が倒れないように必死で押さえていました。

それでも、お皿が数枚割れました。

職場からの連絡では、エレベーターが止まって、上階層の居室で浸水、床が水浸しだとの事。

業者さん、急遽正月休み返上で、あちらこちらで徹夜作業になるとの事。

福井県でも、こんな状況です。

震度5強だった金沢市の知人宅は、台所の床面いっばいに食器の破片だらけで片付けが大変だとの事。

停電、断水、ネット、道路寸断、震源地の石川県能登半島は、もっと大変な状況だと考えます。

余震は続いています。

踏ん張ってください❗

余談ですが、中部地方には、能登半島から伊勢湾までの昇龍道(ドラゴンロード)というルートがあります。

能登半島は、龍の頭。

龍の頭が動けば、龍の尻尾は必ず動くとの事。

震災大国の日本、次は南海トラフかな?

もし、今日の令和6年能登大震災、昨日の大晦日に発生していたのならば、NHKの紅白歌合戦は取り止め、放映中止だったのかな?

何にも無い事、無事がいいなぁ。

平和とは、波乱万丈では無い事。

大雨、大雪、大地震、大津波とも無縁のような故郷の瀬戸内海の百島は、何かに守られているような気がします。

穏やかな事、朗らかな事、和やかな事、そして、健やかな事❗

2024年令和6年元日。