百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

手の届かない世界

2011年04月29日 | 千伝。
幼稚園の頃、よく手をつないでくれて助けてくれたのは、しっかり者の「まゆりちゃん」だった。

しっかり者の同級生のまゆりちゃんは、小学生になると、どんどん容姿端麗、成績優秀となってゆく。

その一方で、小生は、どんどん愚鈍な児童となり、そのまま中学生となった。

中学二年生となった春・・憧れのまゆりちゃんは、転校してゆくことになった。

残された小生も同級生も、涙、涙である。・・40年昔の春の別れである。

心秘かに彼女を思い出す時、幼稚園の頃に力強く握ってくれた手の温もりがある。

それから、10年後・・。

つまり30年昔、チャールズ皇太子とダイアナ妃の世紀の結婚式・・ロンドンに街並みを馬車でパレードの「世紀の結婚式」を当時、東京のオフィスビルの一角でテレビで観ていたのを思い出す。

今夜、英国のロイヤル・ウェディングをテレビを観ながら・・小生、延べ三年ぐらい英国で暮らしていたなぁ・・と改めて思い出していた。

生前のダイアナ妃と少し話をして握手も交わしたと言っても、誰も信じてもらえないだろう。

弱弱しい手の握り・・。

手の届く世界よりも、手の届かない世界の方が美しく安心するのは何故だろう?

ハネムーンは、「日本の元気を取り戻すためにも・・ようこそ日本へ」と。

日本政府も皇室も、英国王室へ招待状を送付するのも、手の届かない世界だとは思わない。

今日一日、幸せな気持ちでした。感謝。

ああ青春♪

2011年04月23日 | 百伝。
元キャンディーズ、女優の田中好子さんが亡くなられた。

昭和31年生まれの田中さんとは、同い年でもあり、憧れのアイドルという存在ではなかったが、とても親近感のある存在であった。

高校時代に仲間内で、キャンディーズの3人のメンバーの中で、誰がいちばんカワイイのかと言い合った思い出もある。

振り返ると、田中好子さんは、うまく歳を重ねてきたような気がする。

映画「黒い雨」での演技力と存在感は、同年代として羨ましいぐらい成長した人間を魅せられたような思いがした。

と同時に、同じ年にこの世に生まれてきたのに、其々の生きている時間の厚み、重さというものを年輪として刻んでゆくのが人生かな・・というものを、田中好子さんは示してくれたとも言える。

メディアは、田中好子さんの55歳の死を「若すぎる!」と言っているが・・小生、心臓を患って思うのだが、病に年齢は関係ないのである。合掌。

そんなことを思っていると、二時間程まえに広島の高校時代の同級生から電話があった。

夏の同窓会の準備計画で集まっているそうである。

出席メンバーの名前を聞いていると、尾道、福山、三原界隈でほぼ会社経営をしている地元の名士達?である。

その中の一人で、仲良しだったN君と久しぶりに会話できたのは嬉しかった。

最近まで、毎朝、NHKの朝ドラマ「てっぱん」で尾道の千光寺から眺めて、向島に暮らす彼の家をテレビを通して観ていただけに、元気そうで何よりだった。

酒の肴で、小生の話題が出たのであろう・・電話連絡して頂けるだけでも感謝せねばならないのであろう。

いつも気にかけてくれるT君には、お礼を言う。

彼は、田中好子さんのファンだったかな?・・その思い出話をするのを忘れていた。

高校時代・・街中に暮していた或る同級生に「百島には電気がついているんか?」と言われて、「やかましい。いらん世話じゃ」と言って顔を殴ってやったこともある。

・・ああ、あれも青春?

心臓が動くかぎり、生きているかぎり・・人生に争えば、殴られる。

「♪もうすぐ春ですね」と口ずさんでいた君恋し。

会うと元気になると思われる人間でありたいと呟いた君恋し。

・・ああ、これも青春!

あの青春の頃には、戻れない。

されど・・ああ青春♪、心動く限り終わらない。

ありがとう!

井上文七軍曹殿の御子息様

2011年04月22日 | 百伝。
はじめまして。

コメント・・ありがとうございます。

軍隊時代の初年兵の時期は、上官から士気鼓舞と称されて、意味もなく殴られたりもした嫌な思い出も沢山あったのでしょう・・戦友会には、足を運んでいないはずです。

父は、戦時中の多くの悲惨な出来事を何気なく語っていましたが、ちょっと笑えるユーモアやお世話になった方々のよい話も聞かせてくれました。

父は、井上軍曹殿に可愛がられた思い出があったのでしょう。

母に聞きますと、生前、父は「どうしているのやら、お会いしたいなぁ・・」とお父上様の井上文七軍曹のお人柄とお名前を出して、思い出を語っていたようです。

もう少し早ければと残念でもありますが、父の墓前に井上軍曹殿の御消息を報告させていただきます。合掌。

井上様

小生のメールアドレスを下記にご連絡させていただきます。

何かお気づきの事あれば、御一報の程、宜しくお願い申し上げます。
幸甚極まり嬉しく存じます。

fairyland@khf.biglobe.ne.jp

取り急ぎご報告まで。感謝。天谷

まつりごと 未来誘致

2011年04月17日 | 千伝。
瀬戸内海の尾道を舞台にした「てっぱん」から、信州の安曇野を舞台にする「おひさま」へと・・NHKの朝ドラマが変わった。

尾道と安曇野は、毎年必ず訪問する地域なのだが、風土・風景・言葉・人が変われば、全く異なる視点、世界が開く。

広島市がオリンピック誘致断念の報道・・小生、広島がオリンピック開催誘致に乗り出せば必ず成功する・・と以前から何度か意見を述べた経緯がある。

それだけ、ヒロシマの名は、日本の首都東京よりも世界的にインパクトが強いのである。

だから、広島市前市長の秋葉さんが、オリンピック誘致に乗り出すと知った時には、思わず膝を叩いたものである。

それが、いつのまにかオリンピック誘致の断念を発表となった広島市の頓挫は、残念な話でもある。

スポーツの祭典五輪を通しても、世界は、人類が犯した教訓として、ヒロシマを学ぶべきなのである。

ところで、福島原発問題・・フクシマは、ヒロシマとナガサキの原爆惨禍からの過去の復興を考えると、何らかの未来の指針となるかと思う。

因みに、小生は、原発増進には反対ではない。

太陽系のおひさまエネルギーや風力だけでは、未来の人類は、地球の寿命と共に太陽系内に埋没して消滅してゆく生命の種でしかない。

・・それでもいいのかもしれない。

だが、何千年後、何万年後・・人類は、太陽系外の世界(宇宙)に新天地を求めて進化してゆく生命の種だと考えるのである。

原子力は、人類の何万年の未来に必要不可欠となるエネルギー源だと考えるのである。

今回の東日本大震災・・思うのに、日本の防災面、自治体権限の諸々を考えると、現状の日本の都道府県制よりも道州制への移行の移行したほうが、良くなるのではないかと思うようになった。

これに関連して、日本の復興リーダーには、広島県6区(尾道界隈)選出の亀井静香さんが相応しいという声も上がっているが、小生も賛成である。

更に、瀬戸内海沿岸が、中国州もしくは中四国州に拡大されるとしても、広島市や岡山市に対抗して、尾道市が、福山市と協力し合い尾道から鞆の浦界隈までの地域に州都を誘致、立候補するのも面白いと思う。

日本の百名山の大半が鎮座する長野県は、そのまま信州となるのであろうか?

瀬戸内海は、温暖で雪も雨も少ないが、天災も少ない地域である。

いつか、日本の首都が瀬戸内海に映ることは未来にあるのだろうか?

日本の今の惨禍から考える・・未来への故郷賛歌。

花祭り もんじゅの憂鬱

2011年04月09日 | 千伝。
昨日は、花祭り・・お釈迦さまの誕生日であった。

遠くインド・ネパール辺りにお生まれになった、お釈迦さまは、遠く東の島国「やまとの国」を知っておられたのか・・。

お釈迦さまは、おそらく放射能線などにも微動もしない人類が進化した化身であったかもしれない。

人類が、放射能物質に耐えられる生物に進化するには、あと何万年も必要とするのか?

さて、天災と人災のどっちが怖いかと聞かれると、命の危険が押し迫った「助かる助からない危険度・距離間」で返答が分かれるはず。

小生が20代の若い頃、東京墨田区横綱にある安田財閥の安田善次郎が創設した安田学園に取材に行った折に、あれこれお世話ご案内してくださった方が、関東大震災と東京大空襲の両方を体験した方だった。

「どちらかが怖いかというと・・私は空から落ちてくる爆弾から逃げ場のない戦時中の東京空襲の方が怖かったです」と答えられていたのを思い出す。

大津波・・これは九州や四国にも300年に一度ぐらいの割合で南海大地震で襲いかかる可能性があることを・・先日のNHKの直送ローカル番組「大震災 そして九州・沖縄は」を観て知った・・既にいつ何時起きてもおかしくないぐらいのエネルギーが蓄積されている・・という内容であった。

南海どころか東海も含めると・・日本列島は、まるで地震列島の天災国家ではないか!

加えて、最近、気にかかるのが、福島第一原子力発電(軽水炉)の人災の問題である。

だが、その人災問題も今年中に何とか収束に向うと仮定して、その後の人災国家としての日本の未来の姿である。

日本のほとんどの原発は軽水炉であるが、それ以上に、はるかに深刻な問題となる可能性が進行中というのが・・知恵を司どる仏の文殊菩薩から名付けられた福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」だという。

何故か解らないが、高速増殖炉の危険度の避難距離は、福井県全体は勿論、隣県の岐阜、滋賀、京都、さらに大阪、兵庫の大都市圏までにも及ぶという。

想定外の日本の人口の大移動に、どこに安住を求めるのか・・?

今年、卯の年の守護仏は、知を司る文殊菩薩だとか・・。

だが、三人寄って、初めて文殊の知恵となる。

今日現在の東日本大震災の死者行方不明者の数、3万人弱。

日本の自殺者は、12年連続、3万人強。

世界でも体験したことのない超高齢少子化社会が進むニッポン。

日本の地方に行けば、限界集落がたくさんある。

その日本の山村漁村離島に若者が暮らせるための仕事や生活の備えを速やかに用意すべきである。

日本が、仏頂面のオシャカとなる国家、限界国家となる掌まえにである。

梅の花が咲いて、桃の花も咲いて、桜の花も咲く・・この日本の春、四季。

このニッポンが大好きである。

憧憬の人 平山郁夫画伯

2011年04月03日 | 百伝。
平山画伯の画は、何か落ち着くのである。

とりわけ、東日本大震災の影響がつづく混沌した日常の気持ちに重なって、眺める画は和やかな癒しの時間になる。

ヒロシマの被爆体験とシルクロードを歩いた人生観なのだろうか・・平山画伯の世界は、感情を押し殺した冷静さと理知的で優しい落ち着きなのである。


中学生の頃、地元の新聞記事に平山郁夫先生の「人なり。画なり」の事が紹介されていたのを思い出す。

何気ない生き様と人生の色使いに魅了されたのを思い出す。

その後、学生時代によく散策した東京吉祥寺の井の頭公園のベンチに坐って、絵画をたしなむ友人と平山先生のことを論じあった記憶もある。

さらに、勤務先でよく可愛がっていただいた上司が、往年の名女優の原節子さんのご近所(鎌倉)に暮らしておられて遊びに行ったおり、名作「東京物語」の尾道のシーンを鎌倉在住の平山先生が画くと面白いと言っておられたのを思い出す。

東京芸術大学は、学園祭のおりに招待されて一度しか行ったことがないが、小生、平山先生のイメージを追いかけていた・・小生にとっては、憧憬の人なのである。

そして、ずっと生涯会えないであろうと感じていた・・近くて、そして遠い憧憬の人であった。

ところが・・小生、ご生前の平山先生とお話する機会を得たのである。

最近、NHKの大河ドラマ「江」の影響なのであろう。

福井市中心部にある北の庄城跡(柴田神社)にどっと観光客が押し寄せている。

北の庄は、柴田勝家公とお市の方(織田信長の妹、茶々(淀君)、初、江の母親)が、羽柴秀吉に攻められて自害した史跡である。

その場所に、かれこれ七年前の今の時期、平成16年4月、柴田神社が北の庄史跡公園として界隈が整理された際、その記念式に平山郁夫画伯とご家族一同が、広島県生口島の瀬戸田町(現、尾道市)から訪問されたのである。

詳しい解説は省くが、平山家の祖は、柴田勝家公の末裔にあたると代々と伝わっているのである。

越前の国から瀬戸内海の島まで逃れたというのである。

小生は、北の庄の近所に暮らしており、息子と二人とその記念式に参加した。

その際、平山郁夫先生と僅かな時間だったが・・小生というよりも、息子が平山郁夫先生とお話をする機会を得たのである。

会場の裏手、また再び偶然、その日の午後、尾道に帰省されるために福井駅に向う途中で、平山先生の兄上様、平山美術館館長をなされている弟さんである平山助成氏ご夫妻・・平山家の皆様にも、ご挨拶ができたのである。

その後、館長の助成氏から平山郁夫美術展の招待券が送られたり、感無量の歓びと想いを頂いたのである。

小生の叶えられない希望に終わったが、平山郁夫画伯には、是非一度、百島を画いて頂きたかったなぁ!

あらためて平山郁夫画伯のご冥福を祈るとともに、平山家の皆様の幸せを祈念します。

ちょうど七年前の四月吉日に感謝。そして合掌。