百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

「枯葉」イヴ・モンタン(1921 ~1991)

2017年11月30日 | 空木宝剣
シャンソンを 歌えば枯葉 舞い降りる




(平和公園相生橋側)

原爆ドームと元安川と銀杏


原爆供養塔


昭和20年8月6日、被爆して亡くなった人14万人から15万人。
そのうちの身元不明者7万柱が、ここに眠るとある。


年の瀬に 時の流れと 太田川 (太田川本川)


あの日、落ち葉ではなく、多くの死体を浮かべた、本川の今。

イージスの楯(=アイギスの盾)。

2017年11月27日 | 百伝。
もう随分昔の思い出となりましたが、京都府舞鶴港に自衛隊のイージス艦を見学に行ったことがあります。

あの時、香川県の直島から来られていた親子(父と少年)と出会ったことを思い出していました。

ちょうど、我が親子とほとんど同年代で、しかも同じく瀬戸内海の島を故郷とする姿にとても親しみを感じたものでした。

あれから、あの父子は、どんな人生を歩んだのかな?


(写真提供:直島観光協会)

直島・・行ったことはありませんが、年間約35万人の観光客(そのうち半分が外国人観光客)を集めるようです。

海外メディアの情報として、日本のトップ20の観光地として取り上げられたり、パリやドバイとともに「死ぬまで行きたい場所」として取り上げられた経緯もあるようです。

でも、個人的には、百島を知る者として、それほど行ってみたいという気持ちにはなりません。

さて、来月師走、年末年始の勤務表作成も終えました。

新年には、チカチカする目の手術もします。

その前に一度・・広島で「お好み焼き」も食べたい気もします。

人生で一番の贅沢な時間は、「何もしないまま、ずっとボーと海を眺めている時間だ」と何かに書かれていましたが・・そうかな?

もし、自分が二十歳ならば・・自営以外ならば、どんな仕事に就きたいのかと自問することがあります。

今ならば、ディズニーリゾートか、豪華客船クルーズの一員かな?

やはり介護かな?

介護という仕事は、あらゆる人間、さまざまな家族、職場の実態を突きつけられて、幸福という制限時間、空間、存在概念をこれほど考えさせられる仕事はありません。

来年、目がよく見えるようになれば・・還暦過ぎの就活・終活に挑戦しようかな?

性格温厚、介護力有り、読み書き計算可能、英語力多少有り、コミュニケーション能力(とりわけ高齢者には抜群)有り。

あと、目力無しのひと月ちょっとで新年です。

来年の抱負を早目に書き認めました。

セルバンテス (1547~1616 )

2017年11月26日 | 空木宝剣
三島忌に 明日は我が身の 大三島

三島行きの電車に乗ったから三島由紀夫。
大三島行きの船に乗っていたら、45歳の生涯が90歳の卒寿に伸びていたかもしれない。
それにしても、遅かれ早かれ枯れる命。
七生報国。
亀は何年生きても鶴にはなれない。
宴に遅れてきた軍国少年は、ドン・キホーテを演じてしまったか?
いや日本人全体がラ・マンチャに変貌したのか。
その真意は未だ不明。

源頼光 (948~1021)

2017年11月18日 | 空木宝剣
分け入って 酒呑童子の 大江山

♪ 我が名を酒呑童子と云うことは。
明暮れ酒を好きたるにより。
眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。
さればこれを見 かれを聞くにつけても。
酒ほど面白きものはなく候。
客層達も聞し召され候へ
( 謡曲 大江山より)

「横綱に横道無し」酒席での喧嘩沙汰、只では相撲界。
連日の報道に、猩々もびっくり。
これから忘年会 シーズン。
二次会以降に現れる虎熊童子など、酒呑童子の使いに御用心。
酒呑童子に呑まれしは、渡辺綱がやって来る。

うつぶせの声。

2017年11月17日 | 千伝。
夕方、散策。



さて、自分の背中の痛みが気になるこの頃です。

それに関連して、とても気になるのが、自分の寝姿(体位)です。

食後の休息は、心臓に負担をかけないように右側臥位となります。

睡眠時も同じく、心臓を上にした状態である右側臥位にしています。

それが、正しい食後の寝姿だと信じていました。

ところが、最近やたらに、真逆の左側臥位が、胃袋の形を考えると健康の常識だという情報が入ってきます。

先日、ラジオを聴いていると、あるパソーナリティの方が、同じような疑問をネタにしていたので笑ってしまいました。

20年程昔、息子が生まれた頃、赤ん坊には「うつぶせ寝」が良いということで、どこの産婦人科でも大流行でした。

うつ伏せ状態で苦しそうな赤ん坊の我が子を観ながら・・これで肺、背筋も鍛えられているんだと確信していました。

しかし、うつぶせ寝の赤ん坊の窒息死事件が相次いで起こり、その「うつぶせ寝」の流行も、そこで終焉となりました。

話は戻りますが、右側臥位か、左側臥位か?

毎晩・・迷いながら、右を向き、左を向き、我が身をベッドの上で転がしています。

然れど、百歳過ぎても活躍された医師の日野原先生は、うつぶせの状態で、よく休息、寝ていたとか?

そこで、うつぶせ寝に変更。

今夜は、NHKドラマ「この声をきみに」の最終回。

・・言葉の力、声の響き、数学のような朗読。

そして、うつぶせ寝状態で耳に入った悲しいニュース。

「それいけ!アンパンマン」のドキンちゃんの声やナレーションをしていた鶴ひろみさん(57歳)が、東京の首都高速上の車内で意識不明の状態で発見され、その後亡くなったとのこと。

原因は、大動脈解離(大動脈剥離と同義)だったとのこと。

あの大動脈解離の痛みに耐えながら、首都高でハザードランプを点灯して停車したとは、立派な行為だと思います。

鶴ひろみさんのご冥福を深くお祈り申し上げます。

今日の夕陽。



合掌。

結局、今夜も仰向けの仰臥位になったまま、スマホの画面を観ています。

ルイ14世(1638~1715)

2017年11月13日 | 空木宝剣
鉄冷えや 鉄は国家の 八幡宮

八幡製鉄の稲山嘉寛(1904~1987)や富士製鉄の永野重雄(1900~1984)の頃は「鉄は国家なり」だった。
八幡と富士が、合併して新日鉄誕生。
日本鋼管も川崎製鉄と合併してJFEスティールに、そして住友金属も新日鉄住金となる。
大手鉄鋼メーカーが合併する中で、小型シャベル・溶接棒・機械加工と重工業を兼ねた神戸製鋼所は、合併もせず独力独歩。
現場では、許容範囲か、誤差の範疇か。
品質管理の不正が発覚。
昔は鍛冶屋、有事には軍需産業にもなる神鋼。
太陽王ルイ14世の「朕は国家なり」の国家と、21世紀のリーダーの国家に進歩と差異がなければ、これまた歴史の品質低下?
グローバル時代、銀行を初め、合併して消えた企業名数多。
名を残せないのも、ひとつの倒産といえるかも知れない。
さて、神鋼の名前は残せるや否や、命運は如何に。

ブレードランナー。

2017年11月12日 | 千伝。
今日は、日曜日の秋日和。

駅伝、介護フェア、映画等々・・走り回るような一日でした。



まずは、市内一斉掃除日。



朝から、町内掃除に参加してまいりました。





そのあと、介護フェアへ見学。







年末年始の勤務日程表作り・・始めないとね。

・・散策。



近くの中華店ピリケンで昼食。





半額の五目ラーメン、餃子を注文。





美味しかった。

昼食後、今年最後となる「第33回 スーパーレディス駅伝 2017」を観戦応援。

実業団、大学、強豪高校、県選抜チームで競い合うユニークな大会なのですが、今年最後となるのは残念です。



この駅伝、第20回までは、北陸女子駅伝として開催されて、当時は、海外からのチームも参加、東京の我が母校の女子チームでさえも参加した驚きの人気急上昇の大会でした。

そこで、日本を代表する真の女子駅伝チャンピオンを決める大会のさらなる高見を目指したのでしょう。

北陸女子駅伝大会の名称を「スーパーレディス駅伝」と変更しました。





あれから、12年。

昨今は、全国各地で女子マラソン大会開催も同時季に増えて、だんだんとこの大会のメリットにも翳りが見え始めたのも事実です。

去年まで在籍していた京都の佛教大学、駅伝ランナーへの最後の応援。



・・ファイト。

帰路、映画「ブレードランナー 2049」を観る。



35年前の「ブレードランナー」の続編です。

ハリソン・フォードも、ライアン・ゴズリングも、いい役者だけど、上映時間2時間50分。



・・人間とは?

余り水分を摂らないで観た方がよい・・我慢の映画でした。

帰り道、クリスマスイルミネーションが灯っていました。



高齢者だけのランナー大会があってもよい時代なのかもしれません。

長い一日、日曜日でした。

ブレードランナー・・意味深々と不明。

どう生きるのか?

2017年11月10日 | 千伝。
秋の紅葉が、里にも色づくこの頃です。



最近、かなり驚いたのは、引退表明を撤回したジブリの宮崎駿監督が、3~4年かけて新作を制作中という発表。

さらに驚いたのは、題名が「君たちはどう生きるか」。

もう80年程昔、吉野源三郎氏の名著と同タイトルでした。

宮崎駿監督曰く、「その本が主人公にとって大きな意味を持つという話です」との事。

・・非常に楽しみです。

ジブリの映画は、子供から大人まで幅広く支持されていますが・・最近はどうだろう?

映画は七色のファンタジーでも、職場はブラックという現実を超えられるのかな?

「世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。」
(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」より)

今日は、越前陶芸村のある宮崎村(現丹生郡越前町)まで出かけて参りました。



福井で暮らし始めた頃は、よく出かけたものです。

日本で一番美しい道並み、家並みのある村として、国から表彰を受けていたはずです。

それぐらい美しい宮崎村でした。

当時、日本最高齢の首長であった宮崎村村長さん、越前焼の重鎮であった木村先生・・。

時の流れを懐かしみながら・・公園内を歩いてみました。





・・秋の気配を感じます。



「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである」

「人は、軽蔑されたと感じる時によく怒る。だから自信のある者は、あまり怒らない」

・・と教わったのは、三木清氏の名著「人生論ノート」からでした。

春満開に咲く桜並木にも紅葉が始まりました。



これから、僕たちは、どう生きるのか?






 
もう一度、「君たちはどう生きるか」「人生論ノート」・・読み直したいものです。

宮崎さん、宮崎村にて。

百島ポート。

2017年11月07日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
はじめに、尾道港から百島経由、常石港までのフェリー百風、高速船びんごに関して・・一日乗り放題の乗船券があれば、嬉しいです。



さて、わが母校、百島中学校の思い出を辿っています。



まず、この校門を通って、自転車通学をしていました。

今は、雑草になっていますが、校門の横に、屋根付きの自転車置き場がありました。

その自転車通学の許可があったのは、泊地区の男子生徒のみ。

女子生徒は、一番遠い海老呑地区からでも徒歩通学でした・・今思うと、とても変、差別的な校則です。

福田地区の生徒は、学校裏手にある八幡神社からの石段を下りて、通学してきました。

本村地区は、あっちこっちの道から通学してきます。



なかなかの見栄えのよい学校でした。

こんもりと緑に覆われている場所には家庭科教室。

スロープの踊り場の中程に保健室。

体育館の裏手には、技術科教室がありました。

放課後のクラブ活動の合間に体育館の横で、あれこれと喋っている時間が、楽しかったなぁ。

百島中学校の各部活動は、それぞれに厳しかったです。

お蔭様で、尾道市内、近隣地区では、強豪チームというイメージがあったようです。

と、家内に自慢気に説明放題。



校舎の窓から見える風景・・長閑でした。

当時、向こうの小高い二つの山は、全部、段々畑でした。



青い空が、いつも一面の広がっているような光景でした。

とは言うものの・・いい思い出ばかりではありません。

裏手の八幡神社で、喧嘩やら殴られた思い出もあります。

当時は、引き籠りやら不登校・・そういうものは無かった。

学校史上最低レベルと言われた同級生は、仲が良かったです。

足を引っ張るよりも、手を引っ張る。

真面目だけど成績は悪い、よく騒ぐけど喧嘩は弱い・・人の弱み、哀しみ、いたわりを知るクラスでした。

同級生の中で「桃ちゃん」という絵を画かせると非常に巧い方がいました。

子供心に天才だと思っていたし、美術担当の女性教諭高垣先生が、絶賛していたのを憶えています。

ただ、中学校を卒業して以来、一度もお会いしていない・・中学卒業後、そのまま就職したとのこと。

百島の桃ちゃん・・どうしているのかな?

絵心・・ずっと持ち続けていたならば、嬉しいです。

およそ500年前、嘉吉の乱があり、赤松一党が逃げてきたのが発端という百島史の起源。

振り返ると、大変です。

されど、およそ500年後・・ひょっとすると、この界隈は、尾道、福山、府中がまとまって「BINGO city 」備後市となって、中国四国地方の州都になっているかもしれないし、日本の首都となっているかもしれません。

そうなると、百島は、空港エアポートとして、変貌しているかもしれません。

でも、未来社会は、空飛ぶ自動車が、いちばん利便性のある交通手段になっているはずです。

そして、巨大船が、動く海上住居、海上自治体となっているはずです。

桃ちゃんは、そんな未来のポートレート(絵)を描いていました。

・・もうひとつ。

中学3年生の時、生徒会の役員をしていました。

退任の挨拶の時に、二つ年下の1年生の女子生徒が、目一杯拍手してくれていたのを、ずっと憶えています。

・・感謝。

その方の息子さんが、今、百島に移住されて活躍されています。

・・踏ん張って欲しいものです。

百島は、人生の母港でもあります。



人生には、いつも百々風が吹いていて、その流れにうまく乗船できますように。

百島アート。

2017年11月06日 | 百伝。
百島アートベースのシンボルは、やっぱり、柳幸典さんのコレかな。





この作品も、なかなかインパクト度が強いです。





リカちゃん人形も勢揃いすると、楽しいかもしれません。



原口典之さんも、山本基さんも・・いいね。



それと、今年は、2017年だよね。



それから、石内都さんの被爆者の遺品の写真展・・考えさせられる時間を頂きました。

昨日、帰福への道中・・ずっと、先日買った手嶌葵さんのCDを聴きながらドライブしていました。



すごく穏やかなメロディと声で、気がつけば、高速道で時速70キロぐらいに減速して走っていました。

後ろから煽られることもありますが、手島葵さんの唄を聴いていると・・安全運転になります。

でもね・・手嶌葵さんという名前でCDを買って聴いていることに気がつきました。

これが、同じ曲を無名の素人の方が歌っていると、どんな上手い歌でも買わなかったと思うのです。

アートの世界も同じだね。

山本基さんの作品だから、九州から、百島まで足を運んでくださる方もいらっしゃる。

草間彌生さんのカボチャがあるから、大勢の人が直島まで行く。



・・続く。

百島ハート。

2017年11月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
昨日の夕方、百島に到着しました。

郷土愛、母校愛、色んな形がありますが、百島は、ハート型、そして、ツィータの鳩の型に似ています。

向島の歌港(向東町)から乗船。



そうそう、夕食用に持ち帰り買った弥生寿司店(向東店)、握り、丼物も美味しかったです。

お奨めです。

フェリー百風から見る、百島の対岸にある道越地区(浦崎町)。



左端の白い建物・・とある情報源では、EXILE のヒロさん、女優上戸彩さん、ご夫婦の別荘だとか?

ヒロさんが、子供の頃、この界隈で暮らしていたとの事。

その背景事実確認はよく分かりませんが、これも彼の郷土愛なのでしょう。

さて、百島上陸。



初めに、五右衛門風呂のある家へ。





ここには、金沢在住、尾道出身の山本基さんの塩の作品が展示されています。

凄いの一言です❗



白いカーテンのレースでは、ありません。



塩一粒ひとつぶの集まり、銀河宇宙の世界を見るようでした。





山本基さんの作品を鑑賞するために、昨日一日で30人ぐらい来られたようです。

ここから見える対岸の道越の白い家。



基さんもヒロさんも、郷土愛溢れる持ち主なのでしょう。

それよりも驚いたのは、常駐されているボランティアの案内人の方は、泊地区の煙草屋界隈の佐藤兄弟のお兄様でした。

母からの話では、僕よりも十歳程年長の関東在住の方で、とても親孝行、そして百島愛溢れる方でした。

エール、元気を頂きました。感謝。

久しぶりの家内との百島散策。

若いカップルも何組か歩いていたり、自転車に乗っていました。



まるで、北鎌倉か京都大原の里を散策しているような雰囲気でした。



・・続く。



百島アートベースへ。

文化の日。

2017年11月03日 | 百伝。
今日は、文化の日。

美しい朝焼け、夕暮れでした。



明日の日本シリーズ。

福岡ソフトバンクが優勝するならば、東浜投手で終えて欲しいなぁ。

横浜ベイスターズが優勝するならば、山崎投手で締めくくって欲しいなぁ。

今夜のNHK「72時間」。

大西洋に浮かぶスペイン領のカナリーアイランドの港でした。

そこに寄港する日本の遠洋漁船と船員たちが主人公でした。

船乗り・・どうしても、親父の背中を追いかけます。

かつて、シェアハウスで暮らして居た頃に、カナリー諸島からの若者が居たなぁ。

還暦60歳を過ぎると、心の負のエネルギーを、プラス方向のエネルギーに転換しければならないと思い始めています。

例えば、百島詣が、伊勢詣と同じくらいの高揚とした新鮮な気持ちになるとかです。

実際、そうかもしれません。

さて、文化の日とは?

1946年11月3日の日本国憲法公布の日を記念して「文化の日」と定めた。
1947年5月3日の同憲法施行の日を「憲法記念日」と定めた。

そう、11月3日は世界で初めて戦争放棄を憲法で宣言した重大な日である。

「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として、この趣旨のもとに、芸術祭や文化勲章の授与、文化功労者の表彰などが行われている。
(ブリタニカ辞典より)

明日は、朝早くから、家内とドライブです。

ポエニ戦争( BC264~BC146)

2017年11月01日 | 空木宝剣
スキピノや ザマの戦い ハンニバル

大スキピオ(BC236~BC184)は、ローマに遠征中のハンニバル(BC247~BC183)の虚を突いて、カルタゴ本国に侵攻。
帰国を余儀なくされたハンニバル軍を、ザマにて打破。
そんな歴史を思い出させる、神奈川県は座間市。
二か月の間に九人殺害の事件。
隣の相模原でも身障者の大量殺人事件の記憶は新しい。
教育の貧困は、全ての貧困に及ぶ。
まず幼い頃には、べカラズ教育で基礎固め。
善悪の判断力が培われた後に、ベシ教育。
基礎固め無しのベシキョウイクは、砂上の楼閣。
人間性は、紀元前の人間より如何ほど進歩したことやら。