百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

トイレの神様 来福帰福。

2016年05月31日 | 百伝。
1年半ぶりの外泊旅行・・楽しかったなぁ♪

子供の頃のように、ワクワクと大はしゃぎしました。

京都から博多まで・・水田がほとんど無い瀬戸内海沿いに新幹線で西へ。

広島カープのマツダ球場だ!







徳山駅から見える風景は、威容を誇る異様なコンビナート。





徳山駅と周南駅の間に見えた石の塊のような山。

・・不思議だったなぁ。

徳山のHさん・・どうしているのかな?

小倉港が見えて、あっという間に過ぎました。

・・50年以上昔、あの港の岸壁に停泊していた貨物船の中に僕は居た。

お隣りの滋賀県・石川県を除いて、1年半ぶりに県外へ出かけて参りました。

・・1年半ぶりの電車移動。

昨年は、自治会長と宮総代として町内を空けることが出来なくて、今年は早々に重篤な状態で入院・療養生活。

この頃、やっと自由に身動きできるようになりました。

広島での甥っ子の結婚式・・よかったなぁ。

昨日、無事に、博多から福井へ帰宅できました。

福岡市が、神戸市の人口数を追い抜き、東京、横浜、大阪、名古屋に次ぐ、日本第5位の大都市になったとのこと。

広島駅と博多駅は、新幹線に乗れば、1時間ほどで行き来ができる距離感でした。

間に挟まれている山口県の方々は、どちらの商圏を好むのかな?

それにしても、とても一日だけでは廻れない福岡市観光でした。

博多駅周辺エリア、天神エリアを少しだけ、百道エリア、大濠公園のある福岡城エリアは、行けなかったです。






博多駅前に、丸井と日本郵便が共同で新しく立ち上げた商業施設KITTE博多を見学。

ニューオータニ博多の中にあるカフェ&レストラン「グリーンハウス」を見学。



紫陽花が咲いていた・・渡辺通り1丁目界隈の交差点。



あの道の先が天神エリアで、岩田屋というデパートがあります。

50年ほど昔、岩田屋で・・父が、算盤を買ってくれたのを思い出しました。

でも、その建物やら風景が一変していて、思い出せません。

博多・・福岡は、人もいいね!食もいいね!

「食とは人を良くする」とのこと・・結婚式で、甥っ子の上司が、そう言っていました。

福岡の人の話も面白いです。

・・福岡人の印象?も訊かれました。

博多っ子純情というナントカもあるけれど、荒くれという玄海灘の印象もあります。

福井やら北陸の人々は、真面目に映るようです。

・・その通りなんです。

北陸の自慢話も訊かれました。

「広島も博多も構内にある公衆トイレの汚さ、壊れたドアやら便器を見ると、北陸のトイレ、北陸人の品性の善さを誇り高く思えます」と答えました。

京都から福井まで・・水田が続く琵琶湖沿いにサンダーバードで北へ。





日本三大弁財天の竹生島も見えました。



美味しいものをいただくと、トイレに行く当たり前の便りのある弁財天。

・・トイレの神様はいらしゃるような気がしました。

あれこれ考えながら、広島経由で、福岡まで来訪、福井へ帰宅。

よい時間を過ごしました。感謝。

広島の空♪

2016年05月29日 | 百伝。
今朝の広島港は、残念ながら濃霧に覆われて対岸の金輪島が全く見えません。

昨日の午後、広島のホテルに到着。



一昨日のオバマ大統領の広島訪問の興奮醒めやらぬせいなのか、外国人観光客が多い広島の街でした。



ホテルの部屋から見える対岸の金輪島は、懐かしい!





50年以上昔、僕が幼稚園児の時、金輪島ドックに入った父の船の修理中に数日間暮らした思い出があります。

紫陽花の花が沢山咲いていた金輪島の記憶があります。



それにしても、甥っ子に感謝。

僕の体調を気遣いながらも、招待してくれた甥っ子の結婚式は、素晴らしかった!

その余韻が醒めやらぬ深夜、NHKテレビ の「今夜も生でさだまさし」
を観ていると、我が家のある福井から生中継。



さだまさしさんが、福井から「オバマ大統領の広島訪問」について熱く語っていました。



長崎出身のさだまさしさん・・涙が溢れたとのこと。

そして、福井から「広島の空」を熱唱していました。



広島で、その歌を聴きながら不思議な想いに囚われてしまいました。

昨日の披露宴、すっかり減塩食を摂ることを忘れていました。



自慢の甥っ子に感謝です。



広島の空の下で、新しく人生を歩む甥っ子夫婦の日々が、どうか晴れ渡るぐらいの幸福となりますように。



感謝。

人間の爪跡。

2016年05月27日 | 千伝。
この頃、手の指10本の爪の真ん中に横線が入り、思わず爪を隠してしまいます。

広島・長崎の原爆投下から71年・・今日は、現職のアメリカ大統領オバマ氏が、広島へ歴史的な訪問。

ロシアのプーチン大統領にも、ヒロシマ・ナガサキへ訪問していただきたいものです。

今回のG7サミットに参加した国の首脳たちへも、特に、英国と仏国の首脳には・・。

何らかのメッセージが伝わったのかな?

今日のオバマ大統領の広島スピーチに関して・・ひとつだけ残念だったのは、原爆資料館に10分程度だけの見学。

「原爆資料館を見学して、ほんとうに核兵器は、人間が人間を破壊する恐怖」という認識アピールが欲しかったです。

今から35年前、1981年、同じく広島平和公園でのローマ法王の歴史的な名スピーチを思い出しました。

当時、まだ若かった僕は、「これで世界は変わる」という被爆者二世としての強い希望を抱きました。

しかし・・35年前と何が変わったのかな?

ちょっと長いですが・・あの時の歴史的な全スピーチを此処にカソリック教会から引用・掲載させていただきます。

~教皇ヨハネ・パウロ2世 広島平和アピール~

戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の街、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。
もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの街、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない街です。
この2つの街は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。
広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。

1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。
 この地上のありとあらゆるところに、戦争のもたらした惨事と苦しみのゆえに、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く、存在しています。それは、人類の犯した悲しむべき行為だといわねばなりません。戦勝記念碑-- それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。国のために命を落とした人々、崇高な目的に命をささげた人々が横たわる墓地があります。同時に、戦争のもたらす破壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般の人々が横たわる墓地もあります。強制収容所や死体処理場の跡-- そこでは、人間と侵すべからざる人権とがいやしめられ、野卑と残酷とが最も強く表されたところでした。戦場-- そこでは、自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。
 あの陰惨な一瞬に生命を奪われた、数多くの男女や子供たちのことを考えるとき、私は頭をたれざるをえません。また、身体と精神とに死の種を宿しながら、長い間生き延び、ついに破滅へと向った人々のことを思うときにも、同様の気持ちに打たれるのであります。この地で始まった人間の苦しみは、まだ終わっていません。人間として失ったものが、全部数え尽くされたわけではありません。人間の考えやものの見方、ないし人間の文明に対して、核戦争がもたらした実害を目のあたりにし、将来の危険性を考えるとき、特にそうした想いに駆られるのであります。

2.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。この広島でのできごとの中から、「戦争に反対する新たな世界的な意識」が生まれました。そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。
 核戦争の恐怖と、その陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。当地でのできごとを体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえ、そう考える人がいます。また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には、核戦争は起こりえないと考えたがる人もいます。さらに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。

3.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれがいだく「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますますふえ、破壊力をも増大しています。

 核兵器は依然として製造され、実験され、配備されつづけています。全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。」

4.過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。戦争という人間がつくり出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。文化、社会、経済、政治の面で、さまざまな発展段階にある諸国は、多種多様の問題をかかえており、そのために、国家間の緊張や対立が生じています。こうした問題は、国家間の正当な協定や、国際機関のよって立つ、平等と正義という倫理原理に添って、解決されねばなりません。それは、人類にとって肝要なことです。国内秩序を守るために法が制定されるように、世界の国々には、国際関係を円滑にし、平和を維持するための法制度が作り上げられなくてはなりません。

5.この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。

6.35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。

各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
 正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
 今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。
 人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
 暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。

この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
  国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
 平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。
 相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。
 再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。

全世界の若者たちに、次のように申します。
 ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
 窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。
 あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。

すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
 「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。

神を信じる人々に申します。
 われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
 神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
 愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。

最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
 神よ、わたしの声を聞いてください。それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
 おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。
(広島にて 1981年2月25日)

さて、明日、広島へ行く支度を、これから始めます。

爪の真ん中にある横線は、爪は1ヶ月で3ミリほど伸びるので、約3ヶ月ぐらい前に体調が悪かったという証だそうです。

・・ホッとしました。

今日のオバマ大統領の広島訪問が、核廃絶に繋がる平和の新しい一歩となりますように!

竹取物語

2016年05月26日 | 空木宝剣
笹の露 阿波の阿南陀 平等寺

広島は今、27日のオバマ米国大統領来広で、平和公園界隈は、既に蟻の子一匹漏らさぬ厳戒態勢である。
テロの時代に、世界平和の時津風が吹き渡ることを、
広島市民は期待する。
先日の「家族に乾杯」徳島は阿南の平等寺。
空海(774~835)の時代に「平等」の言葉が存在した事に驚かされる。
清貧を除けば良寛(1758~1831)さながらに子供らと遊ぶ笑福亭鶴瓶は良かった。
新野町の竹林で、タケノコ掘りした朝ドラの木村多江さんは、藪をあかるくしたかぐや姫。
おんころころ せんだり まとうぎ そわか
(薬師如来)。


辻が花。

2016年05月24日 | 百伝。
今日の日中は、30℃を超える真夏日でした。

夕暮れ時、散歩。

夕焼けに染まった西の空は、美しかったです。



途中、途中・・目に映るお花が、美しいと感じるようになったのは、年齢のせいでしょうか?

・・美しいね。



先程まで観ていた民放のテレビ番組・・室町時代から桃山時代に流行した「辻が花」という豪華絢爛な着物の模様染めを、現代に甦がえらせた故・久保田一竹さんの生涯を特集していました。

生誕100年となる久保田一竹さんが、辻が花という「幻の染め」の究極美を追い求めた一生涯を上手くまとめていました。

辻が花の着物一着1000万円・・高価、豪華絢爛。

浅田飴の会長さんや黒柳徹子さんが、御召しになられていました。

久保田一竹さんの息子さん・・兄の知人ではなかったかな?



そうそう、それから・・サイズが合わない!

広島の結婚式に着て行く新しいYシャッツを注文するために洋服店まで散歩。



猫バスだ!

・・懐かしいね。

猫ひろしさん、リオ五輪マラソン出場おめでとう!

そう言えば、スーツも数多く箪笥の中、ネクタイも百本ほどあるけど、箪笥の肥やしになっています。

生き方を変えて、身に着ける機会が、少なくなりました。



・・雑草の中に咲く花も美しいね。

この美点は、何だろうね?

ネクタイで首を絞めていた息苦しさから、解き放されたときの「幸福」なのかな?

ほんの少しでも、この世に生まれてよかったという想いを伝えて去ること。

花の命は、短くても、美しいね。

海の駅

2016年05月24日 | 空木宝剣
春小川 笹舟流し 川の駅

山と海をつなぐ川。
田舎と都会をつなぐ道。
鉄道に駅あり、車にも出来た道の駅。
海にも道あり港あり。
日本のエーゲ海、瀬戸内海にもっと欲しい「海の駅」。
金毘羅 舟々小舟に帆かけてシュラシュシュシュ。

「自然に帰れ」のジャンジャック・ルソー(1712~1778)に従えば、島国ジャポンは「海に帰る」時か。
昭和16年5月20日東京港開港。
(NHKラジオ今日は何の日から)


国立西洋美術館 世界遺産へ。

2016年05月21日 | 空木宝剣
桜咲く 上野の森の 美術館

1970年「民衆を導く自由の女神」や「ファウストの挿絵」等、ドラクロワの作品が来日。あれから43年。
3年前の花見の頃、ラファエロの「大公の聖母」に会いに上野の西洋美術館へ。
37才で亡くなった自画像と500年余の時を隔て、目と目があった感激。
メルシー ル・コルビュジェ(1887~1965)。




カレーの市民。


ロダンの地獄の門。


弓を引くヘラクレス。

百願成就。

2016年05月19日 | 百伝。
退院して、およそ2か月。

退院した当初は、しばらくモノの全体の流れ、車の流れ、電車の流れ・・時間が止まっているぐらい物凄くゆっくり動いて見えました。

この頃、まともなスピード感覚に戻ってきたようです。

それを自覚したのは、今日の午後に観た映画「ちはやふる 下の句」でした。



百人一首・かるた部の高校生の青春友情物語ですが、なかなか面白かったです。

福井県の田園風景、田圃道でのロケシーンも沢山映えており、なかなか楽しかったです。

エンディングに歌う広島県出身のPERFUMEのFLASH♪・・いいね。

ただ、この映画・・福井に暮らす新くんの家族は、ストーリーに登場するけど、他の登場人物の家族は一切出て来ない演出!

ひたすら、目にも止まらぬ速さで、かるた取りに熱中する青春群像でした。

実際、福井では、かるた(百人一首)が盛んで、小学校で親子かるた大会に参加したことを思い出しました。

「あらぶる」と「ちはやぶる」の異なる意味を、独楽を使っての説明シーンもよかったなぁ。

今朝、毎月の定期検査で、レントゲン、心電図、血液検査・・ほぼ正常でした。

退院して、2か月も過ぎたのに、まだ点滴のあとが残る左腕です。



黄昏時に散歩。



毎日がお祭りの日々でも、毎日が仕事ばかりの日々というのも軸の無い「荒ぶる日々」のようです。

微笑む元気こそが「ちはやぶる日々」のようです。

シャルル・ペロー (1628~1703)

2016年05月18日 | 空木宝剣
竹林に カメオの浮月 子安貝

熊本は今、日本の中心である。
震度七の大地震を二度も被り、一か月経ても未だに余震が続いている。
傷ついた大地と日常生活。
熊本が集中治療室を出て一般病棟へ移り、
やがて退院。
そして竹林のように地震に強い都市を構築するには、「長靴をはいたクマモン」ほどの周到な知恵を、ドクターやスタッフは発揮すべき時か。


旅をする本。

2016年05月13日 | 百伝。
昨晩、観ていたNHKBSの「旅をする本の物語」・・よかったなぁ。

星野道夫さんのエッセイ集「旅をする木」が辿る一冊の遍歴だけど、生きることへの励ましを与えてくれるメッセージでした。

案内人は、ドリアン助川さん・・この方の書き物も好きです。

生きていると人間関係に煩い悩むこと、自分がこの世にいなくても、何も変わらないだろうという無力感、虚無感。

・・そんなものに襲われることありませんか?

星野道夫さんがお亡くなり早20年・・でも、アラスカを愛した星野さんの言葉は、輝いているんだなぁ!

「旅をする木」・・何度読み返したことか♪

ぼくは、アラスカではないけど、スコットランドのハイランドで同じような体験をしました。

月や星を眺めている時間、自然と向き合っている時間・・日常的な生活の中に、もうひとつ、そういう時間の流れがあることを知るということ。

そういう意識・時間の流れがあると、人生の歩き方には、天と地の差があること。

木に一を足すと、本になります。

さて、今朝も歩きました・・今日は、いつもお世話になっている弁護士先生の事務所まで。

五月の連休も終わり、駅前周辺は、いつものように閑散とした風景に戻っていました。

駅前に立つ・・恐竜だけが、唸っていました。



そうそう、スコットランドの南北が、ローランドとハイランドなのですが、その境となるのが、恐竜伝説のあるネス湖なのです。

ネス湖は、百島の泊の殿山からの眺望と似ていて、それが延々と細長く続いているのです。

減塩食をいただきました。



他人と過去は変えられるものではありませんが、自分と未来は、変えられます。

感謝。

尾道ぎらい。

2016年05月11日 | 百伝。
この頃、「京都ぎらい」(井上章一著、朝日新書)という本が売れて話題になっています。

先週も著者御本人がラジオ出演していたり、新聞コラムでも賑わしています。

僕も、著者の京都嫌いの理由を知りたくて、読んでみました。

京都市内の洛中に暮らす人から見ると、洛外となる嵯峨も嵐山も山科も大原も「京都にあらず」なのでしょう。

売れて話題となる理由が、ほんとうに分かります。

京都に限らず、日本全国津々浦々、いや世界中の人々が、住む場所の優越感と劣等感の序列感覚が複雑に共感するのではと思いました。

身近な話では、尾道もそうです。

尾道水道沿岸の旧市街地に暮らす人から見れば、故郷の百島も同じように洛外のようなものです。

最近は、因島も瀬戸田(生口島)も尾道市内になりましたから、洛外が広がるばかりです。

そして、現在でも「広島」と言うと、安芸の国が中心であり、備後の国は、洛外のようなものなのです。(笑)

だから、少し前まで、尾道市内でも福山市内でもなかった百島の対岸にある常石(現・福山市内)を応援していました。

今では、備後地方を牽引する常石グループです。

京都やパリやベニスは、自ら観光宣伝しなくても、世界中から観光客が集まって来ますが、今の時代は、アピール出来ない場所は埋もれてしまいます。

以前、このブログにも書きましたが、パリのモンマルトルの丘に暮らす人々は、パリよりもモンマルトルの誇りを大事にしています。

東京に暮らせば、正直・・鳥取県や島根県や佐賀県、そして福井県のような小県の存在価値など見向きもしないのです。

英国に暮らせば、太平洋よりも大西洋に目が向いてしまうのです。

福井県(旧和泉村出身)のタレントの清水国明さんも面白いことをおっしゃっていました。

子供の頃、隣りの大野の街に行くと大都会に思えて、福井市に行くとニューヨークのように思えたと述懐していました。

清水さんは、京都産業大学に進学して(笑福亭鶴瓶さんと同級生)、歌手(あのねのね)となり、タレントとなり、自然塾を経営をして河口湖に居をかまえたり、瀬戸内海の離島で暮らしたりしていますが、病気になると故郷の福井に戻ってくるとのこと。

そう、自分の生まれ育った場所、国が世界の中心なのです。

だから、田舎と見下ろすという気持ちも郷土愛、祖国愛なのです。

それに反発するのも郷土愛、祖国愛なのです。

人間は、暮らす場所(百々府県別・国別)を序列化、ランク付けするのは、どうも大好きなようです。

国内では幸福度県別ランキング、学力ランキング等々・・オリンピックともなると世界各国の金メダル獲得数ランキング。

対立も戦争も生じる理由は、自己愛、郷土愛、祖国愛からです。

そうそう、最後に「京都ぎらい」の著者井上さんは、「京都が好きなくせに」と言われたそうです。

ぼくは、尾道好きです。

錬金術。

2016年05月11日 | 千伝。
今朝の日本のトップニュースは、現職アメリカ大統領オバマ氏が、5月27日に広島への歴史的な訪問というニュースでした。

謝罪要求? 謝罪訪問?・・韓国の慰安婦問題、中国の南京虐殺問題と同レベルの過去への過ちではなく、未来への平和提言となるべき訪問だと考えます。

日本政府も、被団協も、日本人誰も、謝罪を求めていないことも伝えて、原爆投下後の悲惨さを世界に伝えることの方が、遥かに重要なこと。

たまたま当日に広島市内に入る予定でしたが、厳戒な警備体制を避ける為に、翌日に予定延期変更しました。

同じくして、昨日は、世界を揺るがす「パナマ文書」の公表という大きなニュースがありました。

世界各国の指導者、企業、富裕層の個人名、住所が、ICIJ(国際ジャーナリズム連合)のホームページ上に載っているとのこと。

企業は、ビジネス目的だとコメントしていますが、ビジネス目的と言えば、何でもまかり通ってしまう社会もどうかな?

東京都知事の舛添さんの金銭感覚問題、熊本地震に被災地で増える空き巣泥棒・・これも生きる術のビジネスかな?

そして、国会議員の給与が今月から月約26万円アップ・・?!

何だかフェアではないという感覚となるのは、一般人の正論だと思います。

さて、今回のオバマ大統領の日本訪問に絡んで・・。

8年前、オバマ氏を勝手に応援活動する会を立ち上げて盛り上がった福井県の小浜市も誘致運動を絡めればよかったのに・・大統領就任最後の年の日本でのサミット会議なのに、何も動かず、チャンスを逃しました。

冗談めかしても小浜市がオバマ氏に訪問要請すれば、ユーモアあふれる錬金術だったのにと考えます。

いちばんの錬金術は「銭洗い弁財天」で、お札を水に濡らして、お守り代わりに財布の中に入れるとでも言って置きましょう。



終わりのない始まりはなく、始まりのない終わりはない事を知りながら。

錆びない鉄、枯れない花、死なない命を・・人間は、追求して来ました。

百島は最高舞台。

2016年05月11日 | 百伝。
昨夜のBSテレビ朝日の「オトナの社会科見学」。

番組内容のタイトルは、「第二の人生!田舎暮らし」でした。

千葉県、山梨県、そして、広島県代表として、百島が特集されていました。



東京から百島へ移住された深澤さん御夫婦・・とても素敵でした!

いい人生を歩んでいらっしゃる・・羨ましくもあり、御夫婦にあやかりたいものです。

とある日の午後のティ・パーティ風景。



キャプテンの姿も見えた・・いいね!

そして、埼玉から移住された西野さん御夫婦・・これまた結婚したてのステキな御夫婦です。





彼が、百島ライフの見本を体現してくれているような感慨深いものがあります。

インドで出会ったという若き御夫婦・・「百島での生活は不便ではない」という言葉に人生の意味深いものを感じました。

これからの二人の未来に大いなる幸と福あれ!

我が母校・・百島中学校(現:アートベース百島)。





アートベース百島のチーフマネジャー大橋さんも登場されていました。



大橋さんは、京都出身・・百島から世界へ発信する役割を担っています。

百島を踏み台にして、大きく羽ばたいて欲しいものです。

テレビを観ながら、パチパチと写真を撮りましたが、ほとんどピンボケしていました。残念!

登場した皆さんの人生の終幕が、黄金色となりますように!



百島からの夕暮れ風景は、最高に美しいです。

華厳経

2016年05月11日 | 空木宝剣
蜘蛛の糸 秋田横手に 大曲

一昨夜のNHKプロフェッショナル、佐藤 久男氏 72歳。
NPO蜘蛛の糸を起ち上げて14年、自殺者ワーストワンの秋田県の自殺者数を半減させたという。
絶望の血の池地獄にはまった時、一縷の希望が芥川龍之介(1892~1927)の蜘蛛の糸。
その芥川も、ぼんやりとした不安という言葉を残して自殺。
人生不可解という「厳頭の感」を残して華厳の滝に飛び込んだ旧一高生 藤村 操(1886~1903)から、はや一世紀以上。
自殺者も低年齢化して、今朝のニュース13才の女子中学生2人が都電に飛び込んだという。
「絶望とは愚か者のだす判断です。愚か者にならぬようみんなで考えましょう」で始まる山谷新平のラジオ番組が懐かしい。


百寿世界。

2016年05月07日 | 百伝。
昨夜のNHKラジオの深夜便・・興味深い内容でした。

ゲストの慶応大学医学部のちょっと変わった先生が、面白いことを言っていました。

白寿、百寿を迎えた高齢者の生存理由を研究しているとのこと。

100歳の方が、80歳代の頃には「何を食べていたのか・・医学的にも非常に興味深いものがある」とのこと。

この頃、日々・・減塩食をいただいております。

そうなると、お弁当やらレストランの食事をいただくと、お味が濃く、胸やけがするようになりました。

御馳走とか豪華な御料理とは、自分が美味しいと感じる食事なのかもしれません。

100歳まで生きたいとは思いませんが、せめて70歳ぐらいまでは生きていたいものです。

今朝も散歩しました。



午後から、プラネットドームへ。





地球から月や太陽系の最果ての小惑星・彗星まで・・ほぼ1光年(約10兆KM)となる太陽系の世界。

宇宙の中の極めて小さな「限界集落?」なのかもしれません。

百光年だって、とても小さな集落かも知れません。

参照:
「太陽系は約2億2600万年かけて銀河系内を一周(公転)しています。光年というのは時間の単位ではなく距離の単位です」

それを考えると、百万光年先の遥か向こうにある宇宙って、どんな世界だ?

さらに・・1億光年先の無限のかなたの距離にあるような宇宙の世界は?

・・途方に暮れますね(笑)。

満天の星々を見ていると、僕らは、どこから地球という奇蹟のような星に来たのかと考えてしまいます。



今日も、宇宙への想像の翼を広げます。