百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

備後商船からの告知

2019年03月31日 | 百伝。

明日4月1日より、常石港も、福田港同様に、乗船券は、自動販売機から購入となります。

以下、備後商船告知を掲させて戴きます。

日頃より弊社・備後商船運航の⛴フェリーならびに🛳客船をご利用頂きありがとうございます!!

さて、3月19日にも配信致しました通り、予てより準備をしておりました常石港に於ける券売機の運用をいよいよ明日4月1日05時40分より開始致します事、ここに再告知致します!!

これにより常石港では、いままで乗船後にお買い求め頂いておりました乗船切符は、福田港と同様に必ず乗船前にお買い求め戴く事となりますので、ご注意ください。

尚、尾道市が発行した敬老バス・船舶共通利用券および障がい者船共通券をご利用の場合は、今まで通り船上で乗船券をお買い求めください。

乗船がスムーズに遅滞なく行えるように、皆様のご理解とご協力を重ねてお願い申し上げます。

#券売機、#常石港、#備後商船


いのちの歌。

2019年03月28日 | 千伝。

昨晩、NHK「シンガーソングライターの竹内まりや Music&Life 〜40年をめぐる旅〜」の番組を観ていました。

33年前に自殺されたアイドルスター岡田有希子さんへの想いもコメントしていたので、ちょっと驚きました。

竹内まりやさんの歌と言えば、「元気を出して!」とか「人生の扉」とか・・・聴き応えのある歌も多いです。

先日、出雲まで出かけた時、そんな歌を思い出しながら、夕方遅くなって宿探し。

竹内まりやさんの実家でもある出雲大社参道にある旅館「竹野屋」さんへ。

予約も無しに直接伺うと、やはり希望したお部屋は満杯で、残念・・・とテレビを観ながら思い出していました。

岡田有希子さんが自殺した当日、あの場所をタクシーで通り過ぎたあとに、事件発生。

・・・ショッキングな日でした。

竹内さん、岡田さんのデビュー曲から5曲ほど提供していたとのこと。

番組最後に歌った「いのちの歌」・・・いいね。

竹内まりやさん、「星の王子さま」と故郷の「出雲、日御碕」を愛しているのが、よく解るフレーズがありました。


~いのちの歌 作詞:竹内まりや(Miyabi)~

生きてゆく事の意味 問いかけるそのたびに 胸をよぎるいとしい人々の暖かさ

この星の片隅で 巡り会えた奇跡は どんな宝石よりも大切な宝物

泣きたい日もある 絶望になげく日も そんな時側にいて寄り添う あなたの影

二人で歌えば  懐かしくよみがえる

ふるさとの夕焼けの  優しいあのぬくもり

本当に大事なものは  隠れて見えない

ささやか過ぎる日々の中で  かけがえない喜びがある

いつかは誰でも この星にさよならをするときが来るけれど

命は次がれてゆく  生まれてきたこと

育ててもらえたこと  出会ったこと 笑ったこと

その全てにありがとう

この命にありがとう


雨姿風伝。

2019年03月26日 | 空木宝剣

大岩や 社をまもる 山まもる

毘沙門や 糊口潤す 虎口かな

緑井や 権現阿生は 八木の山

広島市街地、江田島、能美方面を望む。

緑井駅より、左権現山から右阿生山を望む。

毘沙門の天井岩。

秘すれば花は、世阿弥(1363~1443)であるが、念ずれば花開くは、坂村真民(1909~2006)。

2014年8月20日、広島土砂災害で77名の犠牲者を出した。

天文(1532~1555)の頃、香川勝雄という武将が、大蛇を退治したとある。

現在においても、大蛇は鉄砲水や洪水に姿を変えて現れる。

大蛇を閉じた祠。貴船神社とある。

阿生山や 貴船竜神 たかおかみ

砂防ダム 霊を鎮める ピラミッド


命は見える?

2019年03月25日 | 百伝。

風が、見えるかなぁ?

音が、見えるかなぁ?

命が、見えるかなぁ?

今日は、月曜日、NHK朝ドラの「まんぷく」も、まもなく終了。

今日のドラマ内容は、「テレビ宣伝広告をしたにもかかわらず、店頭に置いた百円のまんぷくヌードルが、まったく売れない。」という状況で、「さて、どうするか?」という展開でした。

当時、百円が高い・・・思い出すなぁ。

カップヌードルが登場したのは、ぼくらが高校1年生か、2年生の時でした。

モデルは、日清のカップヌードルです。

創業者の安藤百福さんは、名前の如く、百円にこだわったのでしょう。

あのカップヌードルを初めて買って食したのは、お店からではありません。

尾道の中央桟橋近くの海岸通りに設置されていた自動販売機からでした。

自動的にお湯が出て、その場で食べることができたのです。

これが、若者の中で大ヒット、現在につながるカップ麺の大ブームとなったのです。

「これ(カップヌードル)高いけど、うまいぞ!」と教えてくれたのは、誰だったかな?

高校時代は、とくに土曜日の半ドンの帰り道、お好み焼き店やらラーメン屋やら喫茶店に立ち寄っていたなぁ。

当時のお値段は、いくらぐらいだったのかな?

まだ、マクドナルド店もミスター・ドーナッツ店もなかった時代です。

人間は、生きがいとか、やりがいとか、食べたいものがあれば・・・幸運な人生というもの。

基本となる切っ掛けは、やはり人間関係に尽きるものだと思います。

さて、昨日の日曜日は、彼岸明け。

昨日まで仕事予約があり、やっと今日は、お墓参りをさせていただきました。

ところで、先週、百島のご近所の京泉さんらから、百島のとある場所の空撮写真を送っていただきました。

さて、ここは、どこでしょう?

御蔭様で、彼岸の期間中、何度もお参りできました。

感謝、感謝。

合掌。

お墓掃除、お墓参りは、べつに苦にもなりません。

我が家のお墓の近くに、キリスト教信者ばかりの墓地があって、興味深い言葉に出会うのです。

永遠の安息の地です。

帰り道、歴史上、有名な人物のお墓へも、時々参ります。

柴田勝家公、お市の方のお墓です。

小さなお墓です。

お市の方は、織田信長の妹であり、豊臣秀頼、徳川家光の祖母となる女性です。

この墓地から歩いて、百メートルもない近い距離に、松尾芭蕉が「奥の細道」の道中に宿泊した場があります。

その隣りに、幕末の悲劇の志士「橋本左内」が眠る墓地があります。

西郷隆盛を心腹せしめた、と記録してあります。

西郷隆盛が、死の直前まで、橋本左内の手紙を大切に持っていたとのこと。

僅か25年の生涯、橋本左内。

橋本左内15の歳に執筆した「啓発録」です。

のちに、15歳の「立志式」という形で、日本全国に広まっていきました。

 一、稚心を去る

 一、気を振う

  一、志を立てる(立志) 

   一、学に勉める

           一、交友を択ぶ

最近、新しい職場で、1~2週間に一度、高齢者の前で、1時間近く、ラジオ体操に始まり、リハビリ体操、タオル体操、舌を動かす運動、発声運動、そして、レクと称する時間、個人的なクイズやらゲームやら、健康指導、元気に導くようなものを行うのですが、自分自身のリハビリ気分にもなります。

そう、命とは、芽吹くもの。

柴田勝家が、毛利家の小早川隆景と懇親であれば、日本の歴史は、大きく変わっていたかもしれません。

・・・はて?

大切な事なことは、目に見えないもの。

夫婦だって、愛だけじゃ、長続きはしません。

お互いに友情というものがないと、長続きはしません。

忙しいということ、忙しいという生き方・・・これは、どういう事なんだろう?

命とは、時間そのものかもしれません。


メーテルリンク (1862~1949)

2019年03月21日 | 空木宝剣

幸福の スカンジナビア 青い鳥

NHKニュース7によると、日本の幸福度ランキングは、世界で58番とのこと。

1位は、フィンランド。

2位は、デンマーク。

3位は、スウエーデンとのこと。

因みに、アメリカは19位。

中国は93位だった。 

「最大多数の最大幸福」の幸福とは、何ぞや。

上を見れば限りがない。

下を見ても限りがない。

この上限と下限の中に、幸福が潜んでいる。

中世において、猛威を奮った大海賊バイキングの国々が、現代では、幸福の青い鳥が棲む国に、変貌を遂げたとは。

幸福度下限の国々は、北欧に進路をとる以外アルマーニ。 


年金落武者。

2019年03月21日 | 百伝。

早朝、琵琶湖湖畔まで出かけて参りました。

高島市にある白髭神社の湖畔に立つ赤い鳥居。

多くの外国人観光客の方が、わざわざ早朝から、鳥居のバッグに浮かぶ陽が昇る光景の写真を撮っていました。

広島県の福山ナンバーの車に乗った年金受給者のような年齢の方も、写真を撮られていました。

この鳥居、実際は、百島の対岸の道越(浦崎)にある鳥居よりも、小さいかもしれません。

それでも、琵琶湖に佇む赤い鳥居として、インスタ映えするのでしょう・・・人気スポットです。

さて、平成の時代も、あと1ケ月余りを残すことになりました。

平成が始まった頃、時の首相は、島根県選出の竹下登氏。

初めて、税制上消費税3%を初めて導入し、「ふるさと創生」を旗印に掲げ、各自治体に1億円を配ったものです。

今や、その消費税の使い途は、社会福祉保障費とか、国防、防災・・・矛盾だらけです。

政治家や官僚、公務員は、国民を豊かな生活にするのが、いちばんの使命ではありませんか?

国民生活の豊かさよりも、国家の権威や政治家、公務員の豊かさを優先してはなりません。

かつての昭和の時代、東京から地方へ転勤、移住することを、やたらに「都落ち」という言葉が使われていました。

いつのまにやら、「都落ち」という言葉が、差別的表現として使われなくなりました。

そうではなく、「都落ち」という地方へ移住できるほど、都市生活者に経済的な余裕が無くなったのでしょう。

以前、亡くなった叔父が、百島の波止場を「年金波止場」と表現していました。

年金者が、波止場を潤し、屯していたからでしょう。

地方では、その年金者受給者でさえ、少なくなる一方です。

都会では、生活維持のためにダブル・ワークという掛け持ちの仕事、労働者が増え続けているとのこと。

都市部での高齢者年金生活者の最低生活維持の限度も困窮度も増すばかりです。

今こそ、政府は、新たなる「ふるさと創生」の概念、基盤作り、都会の年金生活者への一助として、「地方移住」を促進すればよいのにと考えます。

かつての日本は、源平の戦い以降、全国に散らばった平家の落人が、日本の地方創生の基盤作りに大きく関与、地方の発展となりました。

これからの「日本のふるさと創生」、地方の救世主は、年金落武者だと考えます。

年金落武者と呼び名が拙いのならば、もしくは、シニア十字軍、年金サムライ隊は、如何でしょう。

・・・今日は、春分の日。


百島喜兵衛殿。

2019年03月17日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

ちょうど1年前の3月16日に投稿したものを、偶然見つけました。


再掲載します。


今回、茶臼山に登ったことと、何かしらの因果関係があるのかもしれません。


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タイトル 百島喜兵衛殿。(2018年3月16日)


百島喜兵衛殿をご存知ですか?


村上喜兵衛高吉・・百島 曹洞宗 萬松山 西林禅寺を建立。


瀬戸内海の覇者であった村上水軍の中でも、もっとも有名な人物が、能島村上の総大将であった村上武吉(1533年生)です。 この村上水軍の栄光盛衰の歴史推移は「武家万代記(能島、来島、因島の村上三島海賊家軍日記)」に基づいたものです。 それを口述証言したのが、村上武吉と同じく1533年生まれの百島村上再興を果たした村上喜兵衛高吉なのです。 強いて言えば、日本の歴史上の表舞台に村上水軍を登場させた第一人者(功労者)が、百島の村上喜兵衛高吉なのです。 「百島 喜兵衛」と書いて、「百島 よろこべぇ」と読むのかもしれません。 戒名は、安養院殿 春紅桃林大居士。 百島茶臼山城が居宅跡、西林禅寺のお墓に眠っています。 民泊新法(旅館業許可不要で民泊ができる制度である住宅宿泊事業法 施行日が2018年6月15日)のニュース。 昨日から、日本全国、誰もが、各自治体へ申請できるとのこと。 春紅桃林大居士、百島喜兵衛殿が、何事かを伝えようとしているような気配がしました。



百島 茶臼山登頂記。

2019年03月16日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

おはようございます。


百島で迎える朝に感謝。


朝起きて、泊の神社まで散策。



 



大正9年、百年昔、百島の先人の皆様が建立した「日御碕大神」の石碑に参拝、報告。





帰り道、御近所の京泉さんと少し立ち話。


太ったとの指摘あり・・痩せないとなぁ。


さて、昨日の午前中、出雲の日御碕から、百島に帰省。


墓参りのあと、百島一番のパワースポットとも言える茶臼山登頂に挑戦しました。


今まで一度も入っていない未知の領域です。


 


上り始めて、振り向けば、対岸の常石が見えます。



延々とジャングルのような道なき道を上ります。


格闘すること、30分後? 60分後?


頂上は、背丈を超えた竹藪の世界でした。


およそ50メートルぐらいの長細い台地があるかな?


二つの巨石があるのが、分かりますか?




僅かの間から、下界風景が垣間見えます。



しばらく、言葉がでないくらいのパワーを感じました。



62歳での初挑戦、茶臼山登頂成功❗


富士山登山に使った杖が頂上で折れました。


折れた杖は、巨石に供えました。


心は、折れません。


かつては、300度見渡せた極めて重要な場所。


(あと60度は、背後に十文字山あり。)


後ろは、十文字山、因島村上水軍のみ。


先人は、凄いよ❗


この茶臼山の所有権は誰? 西林禅寺かな?


真っ正面に、広島県有数の高級リゾートホテル、ベラビスタ境ガ浜を見下ろします。


靹の浦からの口無し瀬戸の船の行き来も丸見え。


左側に向島、松永湾、そして、石山、軍殿山がすぐ隣りに手の届く距離です。


右側には、横島、田島の睦橋が真下に、その向こう燧灘も見えて、遠く四国山脈の西日本最高峰石鎚山も見えるはず。


つまり、この場所は、尾道からも、靹の浦からも、燧灘からの船の行き来も丸見えなのです。

瀬戸内海の村上水軍盛衰の歴史は、この茶臼山城主村上高吉が、この場所で考え、口述したと伝わっています。


百島の茶臼山は小さな山ですが、目印を付けながら登らないと、降りる際は、ジャングル状態なので迷います。


西林禅寺の裏手の畑に無事下山、茶臼山登山終了です。


一泊40万円から100万円の超豪華客船ガンツウも停泊しているのが見えます。



茶臼山頂上は整備すると、瀬戸内海屈指の眺望を望めるかもしれません。


対岸のホテル宿泊客からも見上げる存在となります。


将来・・茶臼山にも登って欲しいものです。


唐突ですが、尾道のいちぱんの宝は、何だと考えますか?


リニューアルされた尾道の玄関となる尾道駅ではありません。


いちばんのは宝は、向島です。


さもなければ、尾道水道は、存在しないのです。


同じく、百島が存在しなければ、備後の国は、殺風景で、蘇民将来も存在しません。



北海道の北に千島。


鹿児島の南に十島。


真ん中に、百島と名付けた智恵ある先人は、どんな人物だったのかな?


百島の先人たちは、茶臼山頂上から、百の夢を見て、旅立ったのかもしれません。


今日は、百島からの発信でした。


神蹟 隠ケ丘。

2019年03月15日 | 空木宝剣

日御碕神社参拝後、駐車場の裏手を歩いていると、見過ごすような場に、こんな指標が有り。

折角だから、参拝。

すると、高齢者の方が一人、僕を待っているかのように立って居られました。

とても、お上品な言葉使い、立ち居振舞いで、こんな事をお喋る。

「私は、ここに毎日参るのですよ。今、90歳です。学徒動員で広島で被爆者になったけど、これまで一度も病気をしたこともありません。ここで毎日祈るからだと考えてます。」

「生き仏様、いいえー、生き神様のような方なのですね。」と、僕は応えて、いろいろと話すと驚く事が多かった。

母と同じ歳で、誕生日も16日違いで、同じく被爆者。

若い頃、この出雲の殿様(男爵)に仕えていたから、ここの隠ケ丘を守っているとの事。

春には、ここは(隠ケ丘)、桜が咲いて、とても美しいとの事。

この鳥居は、日御碕神社の裏手にあるキツネに繋がっているとの事。

キツネは、神様との連絡係だとの事。

「あなたは、○○○もしくは○○○○になれる」と告げられました。

公表できません。

「私と同じ歳のお母さまを、お大事にしてくださいね」と言われ・・一期一会かな。

感謝。

帰り道々、いろいろと考えてしまいました❗

もう、今日は、百島行き最終フェリーには間に合いません。

今夜、出雲泊。

明日、百島泊。

ここに集う皆様へ。

もし、日御碕神社に参拝される際は、隠ケ丘へ。


百枝槐社。

2019年03月15日 | 百伝。

出雲日御碕大神宮。

通常、日御碕神社。

伊勢神宮に真摯に向き合うならば、不便な場所に鎮座されていますが、日御碕神社に一度は参拝すべきでしょうか。

伊勢神宮が、日の本の日出る昼を守り、この日御碕神社は、日の本の日沈む夜を守るからです。

周辺を散策して参りました。

経島です。

ウミネコが、いっぱい集まる事でも有名です。

日本の灯台百選の一つ、日御碕灯台です

さて、この地の砂を患部に当てると、はやく治ったとか❗

日沈宮、日御碕神社、元をただせば、百枝槐社。


出雲大社。

2019年03月15日 | 千伝。

出雲大社は、今回参拝する予定ではなかったのですが、メインの最終目的地である日御碕神社からの帰りが遅くなり、昨日、出雲泊となりました。

鳥取県の米子、境港、島根県の松江、出雲は、中海、宍道湖を中心とする一つの経済圏です。

宍道湖は、百島界隈の瀬戸内海よりも広く、驚かされます。

そこに位置する松江市は、スイスのチューリッヒを思い起こすような洗練された都市です。

境港から松江に移動する際、中海に浮かぶ島を渡って行くのですが、あの橋は、急坂の写真で有名になった橋やら、水面上に道路を盛り上げてたり、デンマークか、オランダの道を走っているかのような感覚でした。

あとは、米子市にあるアジア博物館の見学。

出雲大社の参拝。

アジア博物館、維持管理が大変だと思います。

 

以上、写真報告のみです。

出雲大社に関しても、コメントしません。

 

以上、写真報告でした。


星取県。

2019年03月15日 | 百伝。

この頃、自分を車に例えたら、オールドカー、せめてクラシックカーと呼ばれたいのかな?

ポンコツ車だと言われたら、嫌だね。

鳥取砂丘から島根県の出雲の日御碕まで、山陰道を走ってみようと思い立ち、出掛けて参りました。

ただ走り抜けるだけ、鳥取県も島根県も通過するだけと考えていましたが、山陰道は、なかなかの風光明媚、歴史風土、想像以上の生活感、その創意工夫した鳥取県、島根県、同じく人口80万人にも満たない福井県で暮らす者の目線で学ぶ事が多くて、楽しかったです。

福井県には空港がないのに、鳥取県には、二つもあります。

その正式呼称も、鳥取コナン空港、米子鬼太郎空港。

しかも、鳥取県から、星取県と呼ばれたいようです。

ネーミングもユニークです。

鳥取砂丘も白兎海岸も雄大な風景でした。

早速、鳥取砂丘をダッシュして参りました。

因幡の白兎伝説、白兎海岸、白兎神社では、今時のかわいいに変えるユニークさが光ります。

この郵便ポストも、因幡の白兎伝説も、日本最古の恋ばなしに変化しています。

さすがに、スタバが無いのを逆手に、スナバカフェを登場させる土地柄です。

ちなみに、お隣りの島根県の出雲大社の真ん前に、正式なスタバのカフェがオープンしていました❗

境港の独特な情緒風情ある漁港に、ゲゲゲの鬼太郎が現れる水木しげるロードが登場します。

行くつもりは無かったけれど、見学に参りました。

境港から、隠岐の島まで船が出ています。

そして、大山の麓の地域には、移住者が増えて人口増だとか・・・分かるような気もします。

水木しげるロードから、出雲路へ。


皇寿まで・・・。

2019年03月12日 | 千伝。

昨日は、東日本大震災から8年。

5年前、息子と一緒に、東北地方の太平洋沿岸を南下して、宮城県気仙沼市へ訪問したことを思い出していました。

当時、復興が終わるまでには、「あと5年はかかる」と言っていたけど、まだまだ復興は終わっていません。

全部流された更地に、ポツンと立っていたプレハブ住宅。

「ここさ帰る」かな?

「ここ栄える」かな?

ずっと、思い出す標語「ココサカエル」です。

今、新しく勤務している高齢者用介護施設には、あの大津波で家を流された方も暮らしています。

東北から北陸へ移住されて来られているのです・・・記憶が飛んでいるのか、忘れようとしているのか、昨日は全くの無表情でした。

福井で暮らす娘や息子が、故郷の親を引き取って、施設に入居させているのです。

遠く故郷を離れて想い巡らす若者ではなくて、高齢者の想いは、どうなんだろうね?

さて、日本の30代~40代の年齢層の約4人のうち1人が貯金無し、50%が、貯金50万円以下だとのこと。

人間、明日死ぬのであれば、貯金なんて必要ないんだろうけど、日本の老後社会の年金生活時代が暗いんだろうね。

ところで、新しい元号となる5月には、今日出かけた車のディーラーも9連休、眼科医院も10連休だとのこと。

・・・凄いね!

日本の社会機能は、マヒ状態になるのではないかと、心配になります。

とは言うものの、僕個人も、明日から5連休です。

勤め人としての経歴の中で、5連休なんて、人生初めてだったかな?

神々の爪痕が残る出雲や吉備と、生き仏様の足跡が残る四国に挟まれた、瀬戸内海の百寿の島まで出かけようかなぁ。

皇寿まで、あと何年ですか?