百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

晦日 みそか

2013年12月30日 | 百伝。
今日は、買い物に行ったり・・

年賀状を書いたり、掃除をしたり・・

父が、床の間に、餅やら、みかんを飾っていたのを想い出しながら・・

正月用の注連縄、天神さんの掛け軸を準備用意をしていました。

自分なりに、新春用にと・・床の間の飾りをアレンジしてみました。



新しい一年に向かって・・ちょっと新鮮な気持ち、ちょっと嬉しい気持ちです。

家族に感謝です。

良くも悪くも、可も不可も無く、凡々と無事に一年を過ごせましたから、素晴らしい一年です。

さて、百島参拝から始まった今年も残すところ、あと一日になりました。

来年、百島には、一月中旬に父の法事に合わせて帰省の予定になっています。

でも、初詣は、百島が、僕にとっては、やっぱり日本一かな?

日帰りで、帰ろうかな?

今日は、みそか。

明日は、大晦日。

明日、ブログに投稿できるかな・・?

皆さんに感謝です。

年の瀬

2013年12月29日 | 百伝。
子供の頃は、年の瀬が大好きでした。

慌ただしく過ぎてゆくのですが、何か、夢みたいなのが沢山詰まっているような時季に思えたです。

船乗りの父が帰ってくる・・そんな喜びもありました。

さて、年の瀬も押し迫ったこの時季に、日本年金機構から一枚の葉書が届きました。

62歳から受け取れる金額・・。

65歳から受け取れる金額・・。

・・??

そんな馬鹿な!!

老後の年金をあてにしているわけではありませんが、自分が受け取れる金額は、こんなに少ないの!!

「驚き、桃の木、山椒の木」・・状態です。

日本全国、今、ぼくと同じように憤慨している方は、かなりおられるのでは?

社会保険庁って、新年に向かう夢やら希望を壊すような詐欺行為をしているのでは?

ましてや、社会保険庁が行っていた数々の無駄無能の政策は、横領罪と同じなのでは?

・・老後生活の資金運営等、真剣に考えないと、声をあげないと・・日本は、ダメな国になります。

今更のように、父の言葉を思い出します。

「年金制度があるから、、金銭面で、親の面倒を見なくていいから、よい時代になった」とよく言ってました。

日本の年金制度が出来上がったのは、戦後になってからです。

それ以前の家族のカタチは、老いた親の生活の面倒を、子供が丸ごと支えていたのです。

父は、船員年金だけを貰っていました。

ほんとうは、戦争中、足の脛を銃弾が貫いていたので、傷痍軍人としての恩給、それ以前の軍属での恩給を含めると、かなりの金額となる年金を頂く資格もありましたが、一切、申請していませんでした。

・・知らなかったのかな?

・・「貰い得」という風潮が嫌いだったのかな?

今では、その理由が分かりませんが、父は、船員年金だけでも満足しているようでした。

だって、当時は、55歳から受給されていたのですから・・。

しかも、僕が、近い将来に受給されるであろう金額を比較するほどに、信じ難いことばかりです。

年の瀬に、こんなことを考えさせるような通知連絡をしてくる日本年金機構は、どういう組織なんだ?!

超高齢少子化社会は、たちまち貧民国家に変わる可能性が大きくなります。

社会福祉保証論のテキストを読みながら・・

これからの家族、我が子、その孫の時代になると、この日本という国は、どんな国になるのかな・・?

そんな複雑な想いを・・課題文に当り散らして書いています。

聖夜 メリー・クリスマス

2013年12月24日 | 千伝。
身の周りが、インフルエンザに罹った方が多くて、大変です。

ぼくの体調も、余りよくありません。

今夜は、我が家では、出前を取り、みんなで食事・・食後のデザートは、ショートケーキとアイスクリーム。

息子は、そのあと、そのまま、どこかに出かけてしまいました。

メリークリスマスという今夜は、若者とばか者は、風邪もインフルエンザも無縁なのかもしれません。

若い頃のクリスマスイブ・・あの高揚感は、どこに消えたのでしょう?

まったく・・緊張感の無いクリスマスイブ、聖夜です。

幼い頃、枕元に赤い靴のプレゼントを置いてくれたサンタークロースさん・・。

明日は、サンタークロースさんになれるかな?

メリー・クリスマス♪


百年蒲鉾

2013年12月24日 | 百伝。
昨日は、冬至。

今日は、天皇誕生日。

山中温泉の旅館宿から帰って参りました。

よい御湯加減でした。

山中温泉湯治養生心得十二か条というものもあります。



よい御部屋でした。





よい御料理でした。



日本海の御肴料理は、瀬戸内海の小魚と違い、ちょっと豪快なのです。

よい例が、かき(牡蠣)です。

・・広島のかきと違って、地産地消をメインとする若狭や能登のかきは、巨大なのです。

でもね・・。

日本海には無い、瀬戸内海の逸品があります。

それが、「てんぷら」と呼ぶ、じゃこ天の類です。

これは、瀬戸内海が誇る和食なのでは・・?

以前、福山駅で、よく買った「行きしな帰りしな」を思い出しました。

宇和島の「じゃこ天」も大変美味でしたが・・

今日、自宅に戻ると、尾道の桂馬から、「じゃこ天」が届いていました。

尾道で創業して百年蒲鉾と銘を標していました。

来年の干支は、ウマだから、旨い、美味い、ウマいを掛けたのかなぁ・・(笑)。

早速、年越し用に、越前蕎麦を贈らせていただきました。

百年蒲鉾・・美味しく戴きました。

感謝です。

ありがとうございます。

玉子百珍

2013年12月19日 | 百伝。
江戸時代、天明年間の料理本「万宝料理秘密箱(まんぽうりょうりひみつばこ)」に関するコラムを読んでいます。

103種類の卵料理が紹介されており、「玉子百珍(たまごひゃくちん)」とも呼ばれていたようです。

ふと、思い出すのは、百島で過ごした子供の時代です。

山羊もいた・・。

にわとりを飼っていた家も多かったなぁ。

にわとりに、指を噛まれて、痛かった。。

たまねぎを切っていると、何故か、涙が出てきて。。驚いた思い出もあります。

その後、独り暮らしをするようになった頃から、自分で料理を作っていました。

料理と言っても、ラーメン、焼きそば、パスタ、カレーライス、丼もの、時々、にくじゃが・・ぐらいのものです。

でも、必ず玉子「卵」という食材を入れていました。

玉子・・幼い頃から大好きでした。

子供の頃、百島の本村には、「お好み焼き屋」がありました。

保ちゃんとこで、卵一つ貰って、そこに行くと、お好み焼きに玉子付きになったものでした。

泊地区にも、「お好み焼き屋」がありました。

それから、「たこ焼き」を作って売っていた・・おばさんもいました。

夏には、「かき氷」も売っていたお店もありました。

泊地区のメインとなる場所には、お店は五軒ぐらい並んでいました。

・・凄いね!

最近は、自分で料理をしなくなっています。

今週末は、隣県の温泉宿で、忘年会があります。

あったかい心やさしくなる食事が欲しいなぁ。

玉子百珍・・挑戦してみようかなぁ。

輪・・今年の漢字。

2013年12月13日 | 千伝。
京都清水寺の毎年恒例行事になった墨書での「今年の漢字」は・・「輪」でした。

ピンと来ないので、地元の京都新聞「梵語コラム」を下記にシェアさせて戴きました。

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

[京都新聞 2013年12月13日掲載]
漢字学者の故白川静さんによれば、「輪」に含まれる「侖」は、ひもで閉じた木簡「冊」などを丸く巻いた形をさすらしい。意味は「つながり、まとまる」である▼今年の世相を一字で表す漢字に「輪」が選ばれた。2020年東京五輪の開催決定で喜びの輪が広がったことなどが大きかったようだ。もっとも、まとめ役の都知事が5千万円受領問題で自ら輪を崩すようでは情けない▼7月の参院選でねじれ国会が解消し、自民党の一強多弱時代に。安倍晋三首相は経済政策「アベノミクス」で景気回復に輪をかけたいところだが、ここへ来て車輪の回転は失速気味。来春の消費増税を乗り越えてうまく転がるか▼輪といえば、環太平洋連携協定(TPP)の協議も焦点に。ただ、協議は秘密裏に進む。本当に国益につながるかはふたを開けないと分からない▼秘密の極め付きは、もちろん特定秘密保護法。数の力で成立させた与党に世論は厳しく、内閣支持率は急落。国民の心は知る権利を侵害される不安で丸く収まらない▼首相の「コントロール」発言とは裏腹に、福島第1原発の汚染水問題は解決の糸口が今も見えないまま。そんな中、東北を一つの輪にしたプロ野球・東北楽天の日本一に心が温まった。来春で震災から3年。支援の輪の継続を忘れぬよう。

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因みに、第二候補は、「楽」だったそうです。

「和」も・・いいなぁ。

一枚の感謝状

2013年12月11日 | 百伝。
子供の頃、死ぬほどシュークリームを食べたいとか・・

嫌になるほど、スキ焼のお肉を食べたいとか、いろんな夢がありました。

大人になって、それらを死ぬほど食べきってしまう体験をしても、子供時分の空腹感を憶えています。

でも、子供の頃に、「いい人間になりなさい」と教えられても・・

嫌になるほど感謝したいとか、嫌になるほど感謝されたい人間になりたいとか・・

子供の頃は、・・そんな気持ちは無かったように思います。

感謝したいとか、感謝されたいとか、その発心は、やはり相手を認めるという大人としての人道的な精神です。

マザー・テレサ然り、ネルソン・マンデラ氏然りなのです。

例えば・・核兵器が、人道的な兵器でしょうか?

世界の誰もが、非人道的な兵器なのを知っているのに、廃絶が出来ないのが人間なのです。

そして、今尚も、人種、民族、宗教への差別、対立、偏見・・あらゆるものが解決されていないのが現実の人間世界です。

さて、今日は、日本グッド・トイ委員会、東京おもちゃ美術館から感謝状を頂戴致しました。

何だか・・嬉しい気分です。



沖縄県国頭村の「やんばる森のおもちゃ美術館」の設立にあたって、一口館長になったのです。

いつか、行ってみたい気持ちにもなりました。

百島への「東京おもちゃ美術館」の誘致運動やら、百島ピクニックやら、空き家、休耕地活性化やら・・

心浮かぶ発想をするだけでも嬉しくて、そんな時代、そんな過疎環境に生まれたことに感謝なのです。

現在は、就職しないニートが取締役全員となる「ニート株式会社」を創る時代でもあります。

彼らも、何かをしたいのです。

そして、都会へ行けばホームレスの方も多くて、地方へ行き、農業や漁業、そして林業に関わって欲しいと思うぐらいです。

彼らも、何かを求めているはずなのです。

そんな自由な人生指針や選択進路変更が出来易い日本社会になってほしいと考えます。

一枚の感謝状で、心の温もりが伝わってきました。

何もしていないのにね・・感謝です。

身の重さ

2013年12月10日 | 百伝。
故郷の広島県尾道市の沖合に浮かぶ百島から東京に出て行った18歳の時、ぼくの体重は、50キロをやや超えていたと思います。

あれから、40年近く・・コツコツと真面目に脂肪を貯蓄したかのように毎年平均1キロづつ増えて、とうとう体重が90キロを超えました。

「百」という文字は大好きなので、このまま生きて、あと10年後には、念願の100キロへと・・ぼくの体重は到達するのだろうか?

さすがに、動くにも苦しい・・生きてられないなぁ!

・・この場合の「百」の到達には、どうしても避けたいものです。

八十とか七十とか・・それぐらいがほどよい重さかもしれません。

ぼくの体重が、六十キロぐらいの時・・南アフリカのネルソン・マンデラという人物を知りました。

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)対して、世界の批判が集中している頃でした。

当時の日本のメディアは、彼のことをほとんど取り上げず、ずっと南アフリカでの日本人は「名誉白人」として処遇されているという不可解な日本人の誇りを報道していたぐらいです。

ネルソン・マンデラ氏を知ったのは、海外のメディアで頻繁に登場するニュースからでした。

当時、監獄に居たネルソン・マンデラ・・その3年後に釈放されましたが、どんな人物なのか興味津々と英字新聞を読んだものでした。

44歳の時に国家反逆罪終身刑として投獄されて、ほぼ27年間の獄中生活を経て、71歳で釈放されたのです。

これは、南アフリカに対するアパルトヘイト反対という立場を貫いた世界中のメディアと良識人の訴えの勝利でした。

ネルソン・マンデラが釈放されて、はや24年・・そして、95歳で逝く波乱万丈の生涯でした。

ネルソン・マンデラ、そして、マザー・テレサの言葉や生き様は、人類のインスピレーションや警告となるような輝きがあります。

簡単に言えば・・です。

一方で「幸せ太り」が続いた結果が、他方で「身が重く」なるという辛さになるのです。

人生の「身の重さ」というバランスを推し量れということなのでしょう。

合掌。

遊・・幟旗

2013年12月05日 | 千伝。
今日は、大きな病院に行き、小生の身体を診ていただきました。

帰りは、書店へ。

・・肝腎要とは、肝臓と腎臓のこと。

「すでに志があるならば、ことは果敢に行うべきである」・・と言ったのは中国文学者で漢字研究第一人者の白川静先生。

白川先生は、好んで「遊」という文字を使われていたとのこと。

「遊」というのは、吹き流しをつけた旗竿のカタチと子とを組み合わせたもので、旗竿を持つ人を意味したとのこと。

古代中国では、自分の暮らす土地(故郷)を離れる時、その氏族を表す旗を掲げて行動したとのこと。

旗には、神霊が宿るとのこと。

・・それを表現する漢字が、「遊」とか「游」の文字を指すとのこと。

「遊」、「游」は、ともに現在「あそぶ」という意味になっていますが、もとは、神霊が、あそぶということ。

神が、自由に行動することを意味したとのこと。

のちに、人が興のおもむくままに行動して楽しむという意味に用いられたとのこと。

~ 白川静 生誕之地に石碑に刻まれた文言です。~

遊ぶものは神である。
神のみが、遊ぶことができた。
遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。
それは神の世界に外ならない。
この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。
「文字逍遥 白川静」

白川先生の創造力・・凄いものです。

夕方、あみだそば本家「遊歩庵」に立ち寄りました。



越前おろしそば・・美味でした。

百会

2013年12月05日 | 百伝。
「和食」が無形世界遺産に登録されたとのこと・・嬉しいニュースです。

まだまだ、美味なものを食したい希望はあります。

自分の身体が、だんだんと壊れてゆくような感覚とは、断固として対峙して闘うつもりです。

昨日は、リハビリ室に行き、全身をマッサージ、とりわけ足の裏を揉んでいただきました。

熱い温泉浴も、よいかもしれません。

百島の同級生との会話で「今度は、みんなで温泉でも行って同窓会もいいね」という言葉を思い出しました。

百島ピクニック(探検隊)と称して、日本有数の一つでもある百島一のパワースポット茶臼山周辺と福田の山の中腹にある地名は思い出せませんが、「石上の展望台」に行ってみたいです。

それまでに、何とかしなくてはと、ヨガやら太極拳やら気功とかの資料を読み漁っていると・・、

昨夜のNHKスペシャルは「宇宙生放送、彗星爆発、太陽系のなぞ」・・素晴らしい映像でした。

子供の頃、夜空を見上げては、壮大な宇宙のロマンやら神秘・・宇宙の果ての外側には、どんな世界があるのかと想像を膨らませたものです。

それが、小さな島、百島で考える宇宙の空でした。

宇宙のことを考えると、ほんとうに奇跡の星、地球に生まれてきたことが不思議です。

思わず、NHKのテレビ画面を写真で撮ってみました。

高知上空からの画像:



大阪上空からの画像:



名古屋上空からの画像:



美しい地球の表面・・人類の科学の力も見事です。

でも、この地球も、この太陽系も・・この大宇宙の中では、塵ひとつのような芥子粒にも満たない小さな存在なのです。

嗚呼、人間なんて・・。

ウィルスにも等しい・・。

それでも、生まれてきて、ヨカッタです。

百会とは、宇宙に通じる頭の頂上にあるツボです。

ノーサイド

2013年12月02日 | 千伝。
師走になりました。

昨日、今日と、相変わらず両足はしびれて、右目は強膜炎でズキズキしています。

昨日のお昼・・NHK総合テレビで早明戦の大学ラグビーを、久しぶりに観ていました。

ぼくは、早稲田のOBでも、明治のOBでもありませんが、この伝統の早明戦には、懐かしいものがあります。

昭和50年代の正月の大学スポーツと言えば、ラグビーでした。

まだ、同志社も、神奈川も、そんなに強くない時代・・大学ラグビーと言えば、早明戦でした。

今年の伝統の早明戦・・現在の国立競技場での最後の試合になるということで、両校のラグビー部部員があちらこちらに呼びかけて「国立を観客でいっぱいにしよう」と自ら立ち上がったそうです。

・・見事でした!

超満員に近い5万人の観客を動員できたのです。

このプロジェクトを応援した東京おもちゃ美術館の多田さん(明治出身、早稲田講師)も、その一人です。

試合終了後には、ユーミンが「ノーサイド」を、観衆5万人の前で歌ったとのこと・・サプライズのような企画です。

さすがに、NHKのテレビでは、そこの部分を放映してはいません。

夜のNHKスポーツニュースも、早明戦ではなく、今、大学最強と言われる帝京と慶応のラグビー戦を取り上げていました。

編成部の方針でしょうが、慶応のOBがいるのかな?・・(笑)

でも、フェアな感じがします。

ラグビーが面白いと思ったのは、激突して、逃げて逃げて、攻めて、スクラムあり、個人技あり・・。

倒れた選手に、大きなヤカンから頭に水をかけると、その選手が、再び立ち上がって試合に戻る姿でした。

・・不思議な勇気を貰ったものです。

今回は、そのようなシーンは、ありませんでした。

ノーサイドではなくて、いつも at your side です。