百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

地と知。

2020年03月30日 | 百伝。
こちら地元は、先日まではコロナウィルス感染者がゼロでしたが、今日現在で15人に急増。

自粛・・・不要不急の外出を控える。

ウィルスが感染を拡げているのではなくて、人間の行動が感染を拡げているのです。

自宅に引きこもって、テレビを観たり、ラジオを聴いたり、音楽を流したりするだけで、感染拡大防止の一助になるのです。

自粛、感染拡大防止策・・・高齢者用施設では、在宅勤務なんて無理です。

50代からの仕事は道楽気分、60代からは仕事は趣味として働いていますが、とんでもない状況となりました❗

利用者も職員も全員感染者だという前提で勤務しています。

かなりの緊張感を強いられながら、働いています。

首相の昭恵夫人の行動やら、加藤厚生大臣の満員の通勤電車の経験がないという発言を知ると・・・何だかね⁉

その富裕層の余裕に較べて、一方で東京の庶民はスーパーに行って買いだめの行列。

いつの頃か、東京へは行きたくはなくなりましたが、それでも、兄弟、身内、友人がいちばん多く暮らしているのが、東京です。

「東京は大丈夫かな?」と心配になります。

東京一極集中の弊害、日本社会のシステムは変わらないとね❗

毎日、世界中が新型コロナ感染のニュースばかり、いつまでも続くのかな?

アメリカ、イングランド、スウェーデンに暮らす知人たちも大変な事態に戸惑うばかりだとのこと。

今年の夏は、40度超える猛暑になるとか、豪雨、巨大台風、停電、水不足、天災、地震・・・人間社会の地上生活の脆弱さ、限界も試されているような気もします。

災害やらウィルスと対峙した前では、人間皆、平等。

勉強も然り、されど、生活環境の中での行動力によって、運命は大きく変わるのでしょう。

恐怖感よりも、勇気を❗

免疫力の強化策は、心の中の自由と規則正しい呼吸法です。

空気を沢山吸えば、寿命が縮む地上世界。

命の最果ての日、知が生まれる。


思い残し桜。

2020年03月24日 | 千伝。
東京オリンピックの延期が確実とのニュース報道。

新型コロナウィルスの感染拡大によって、東京封鎖とか、首都圏封鎖という予測もあります。

その時は、新しく出来上がった国立競技場やらスポーツ施設を、新型コロナウィルスの重度感染者の隔離病棟施設に転用できるのでは?

個人的に気になるのは、まだ感染者が出ていない鹿児島県。

今年の秋には、鹿児島県で国民体育大会(国体)開催の予定です。



地方にとっては、全国から集う国体開催はオリンピックよりも重要な大イベントなのです。

国体は、延期も中止も難しいのでは?

東京オリンピック終了後予定だった国体開催ですが、どうなるのかな?

自粛、不要不急の外出規制の要請・・・桃、桜の花見時季なのにね。



今年、福島県三春町の滝桜を見終えると、自分の桜見遍歴に思い残す事はないと考えていますが、福島県行きを来年の春まで延期にしようかどうか? 思案中です。

思い残す事のない生き方の生きる意味は何だろうなぁ?

自分を想い遺す事かな?

呼吸法の奥義・・・知っていますか?

福島県と鹿児島県は、今、いちばん訪ねたい場所です。

非合法の暴力と言葉。

2020年03月24日 | 千伝。
映画「三島由紀夫vs. 東大全共闘 ~50年目の真実~」観て参りました。

昭和44(1969)年5月13日、場所は東京大学駒場校舎900番教室。

右派の三島由紀夫氏と左派の全共闘が、 形而上学、倫理学、意識、認識、自意識、文学、哲学、政治学、歴史学、その存在論を論じます。

右派と左派、認識と行動、知性と反知性、合法の暴力と非合法の暴力肯定、エロとか野次とか自然とか、日本人やら天皇やら盛り沢山、非常に満喫できる討論会に参加した面持ちです。

翌年、昭和45年11月25日、三島由紀夫氏、割腹自殺。



あの日のことは、まだ中学1年生でしたが、暴力を振るった一日で憂鬱気分。

帰宅後、三島由紀夫氏の自決ニュースは、かなりショックな出来事でよく覚えています。

5年後、昭和50年に東京に出た頃は、下宿屋の同じ浪人生に誘われて民青のデモ隊に参加したり、未だに革マル派と中核派の内ゲバが盛んで、大隈講堂の前で起こった実際の乱闘も目にしました。

新宿の歌舞伎町界隈では、シンナーを吸ってフラフラしていた若者も多くいた時代です。

あの時代は元気がありましたが、地方から出た僕には、東京は集団暴力が蔓延る危険な都会に映りました。

大学に入れば、当時の東京の大学勢力は、左派よりも幅を効かせていたのは、国士舘大学をトップにした右派でした。

それでも、嫌がらせやイジメ集団相手に対しての喧嘩やら暴力は、「サシで勝負せいや❗」と言えば? 殴れば?・・・まだ通用した時代でした。

三島由紀夫氏の言う非合法の暴力、個人的な肯定に繋がります。

全共闘の学生リーダーが、「野次を飛ばすならば壇上の舞台に上がって、三島を殴れ。」と言っていたのも、格差階級が見え隠れします。

「金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ」 (神はいないと叫んだサルトルの言葉)

気違い、気狂い、キチガイ、その集団とは、何だろうか?

言葉の暴力もない、言霊(こだま)が響くようなドキュメンタリー映画でした。

千秋楽。

2020年03月22日 | 空木宝剣
春場所や 悪魔払いの 腕(かいな)かな

今日は、大相撲大阪場所の千秋楽。

新型コロナウイルスの為、無観客での15日間。

力士から一人でも感染患者が出れば、即中止という条件下での取組だった。

お相撲さんの四股は、邪悪を地中に閉じ込める所作という八角理事長の挨拶。

現代人が、地中深く眠っていた化石燃料やらを掘起こしたつけの邪気かも知れない。

♪小忌衣(おみごろも)
さす腕には悪魔を払い
おさむる手には寿福を抱き
千秋楽は民を撫で
萬歳楽には命を延ぶ
相生の松風颯々(さっさ)の聲ぞ楽しむ
颯々の聲ぞ楽しむ~

コロナウイルス退散‼️


蘇民将来之子孫也。

2020年03月20日 | 百伝。
今日は、春分の日。

今年の冬は暖かく、全く待ち遠しくない春の予感。

昨日は快晴、隣町の一面が菜の畑に出かけて参りました。



3年後、金沢から敦賀まで延伸予定の北陸新幹線の突貫工事も真最中です。

延伸開通後は、ここの菜の花畑、新幹線の窓外風景からインスタ映えする話題に成るだろうと思います。

さて、毎日毎日、世界のトップニュースとなる新型コロナウィルスの動静。

コ・ロ・ナという君が、人間をイジメて、人類の叡智を試しているかのような様相です。

世界中で、失業者やら自殺者が増えるならば、この自粛は如何なものか?

平成時代、日本の年間自殺者が3万人以上を超えた統計値。

10年以上続いた一時期がありました。(毎日、平均約100人が自殺)

昨今は、減少したものの、それでも昨年度は2万人を超えています。

新型コロナウィルスの年齢別の致死率と免疫率の関連数値を示してほしいもの。

ヨーロッバでの感染率の高さは、都市の景観美が石の建築物による文明も加担しているやも?

もともと、ヨーロッバの石で出来上がった都市部の生活空間は、不潔で臭い、疫病がまん延する坩堝の世界でした。

だから、香水の文化が、大きく発達したのです。

苔むすこともない石の世界は、ウィルスも行き場が無いのでしょう。

雪解けの大地が、免疫の命を芽吹かせますように。

この菜の花畑の匂う雰囲気に立つと、恐らく新型コロナウィルスも逃げ去るような気もします。



駆け出したくなるような黄色い風景でした。

50歳になるまで、毎日ジョギング10キロ程度走っていました。

持病で、ドクターストップ。

10年ぶりに走って見ました。



百メートル、走れました❗



そうか、百メートル走れること。

免疫力を備えるという事は、走れること。

備後の国、桃島に暮らしていた疫病払いの祭神、蘇民将来。

疫病退治に茅の輪くぐりが各地で急遽催事される流行。



蘇民将来之子孫也。

百島 野外劇場。

2020年03月16日 | 百伝。
一昨日から今も、ほとんどベッドの中で過ごしています。

座禅瞑想ならぬ臥禅瞑想で、いろんな夢が現れます。

英国の最西南の果ての不便な地に造られたミナック・シアターという野外劇場も、夢の中に現れました。



断崖絶壁の海に面した場所で、ロウィーナ・ケイドという女性が1931年から1983年に89歳で亡くなるまで、50年もの歳月を、自ら石をひとつひとつ運び、積み上げて、造って見せたという驚きの劇場です。 (ミナック・シアターHPより文章写真抜粋)

このミナック・シアターの夢から、随分昔に見た夢を思い出しました。

百島の十文字山頂上で、誰かが独りコツコツと野外劇場を造っていました。

十文字山山頂は、周りの半島、島々の山々より低いので、宙に浮かんでいるような山頂です。

山々を背にした東側の観客席から、海を見渡す舞台、まるで天空に浮かぶような十文字山の野外劇場でした。

この連想夢、百島というタイムカプセルの中に、ちょっと書き残して置きます。

百島は、大きなノート、原稿用紙、画用紙にも似た野外劇場かもしれません。

世界は白内障。

2020年03月14日 | 空木宝剣
団塊や 老いという名の パンデミック

歴史には、戦争 災害 パンデミック

人生には、生老病死

季節には、春夏秋冬  

小生、初めての白内障手術。

左目が1、2までに回復。

世の中が途端に明るくなった。  

目だけは、若さを取り戻した実感。  

術後の検査は順調。

目が若返ったついでに、顔も変えて欲しいと申せば、それは叶いませんと、先生の弁。

0、5の右目も後日の予定。

失敗しない医師という職業の大変さに感謝。

猛威をふるう新型コロナウイルスの現場で戦う、様々な職業に感謝。

団塊が若い頃、医は仁術か算術かの武見会長の時代だったが、この度、医は技術の時代を痛感いたしたところ。

世の中、パンデミックやら、株価の暴落で先行き不透明である。

パンデミックも不景気も、既に経験済みの人類の筈だが、疫病神は忘れた頃にやってくるから厄介。

世の中のガラスばりがスリガラスになって見通しが悪くなれば、当然、手術の技術が必要。

衝突防止、ドライブレコーダーや自動運転のインダストリーを政治経済にも応用するべきであるか。


フィットネス!

2020年03月10日 | 千伝。
空気の無い世界では、音は聞こえません。

火は燃えません。

水という液体は存在しません。

空気が無ければ、人間は、生きてはいけません。

そして、宇宙空間やら、真空状態とは、どういう世界なんだろう?

光とか、熱とかは、宇宙空間を飛んでいるはずです。

空気という気体の世界は、人間の目には見えないだけであって、酸素や窒素の分子が存在します。

微生物も、花粉も、インフルエンザも、細菌も、最近大流行の新型コロナウイルスなども飛び回っているのでしょう。

飛び回るということは、空気の世界は、宇宙のような広い大きな空間があるのでしょう。

空気の流れの中には、命の源泉となる善き抗体を感染させるウィルスもあれば、悪しき病原体を感染させるウィルスもあるのでしょう。

よく、「空」と「気」という波動、波長のようなエネルギーが話題になります。

空気の流れが止まれば、気が淀んでしまうのかもしれません。

感染予防のためには、換気の必要性を声高に叫ばれる今日この頃・・・。

地球にへばりついてついている空気、大気が、宇宙の空間に吸い込まれていないのも、ひとつの奇跡の星だとか。

人間でさえも、この奇跡の星、地球にパラサイトしているウィルスのような存在です。

「魚心あれば、水心」

人と人との出会いも別れも、運命の善し悪しの因果関係にあるかもしれません。

何十億という人間の命、生きていると不確実なものは「未来」ですが、確実なものは「遅かれ早かれ、あの世へ誰もが行く」という事実です。

それまで、コロナにも負けずに、心身共に、快活に、フィットネスです。


尾崎放哉 (1885~1926)

2020年03月07日 | 空木宝剣
鄙の地の 百年越しに 咳ひとつ

朝日新聞社昭和経済50年史によると、昭和は、波乱含みのスタートを切った。



年号が変わって間もない昭和2年3月15日、東京渡辺銀行が倒産、「金融恐慌の始まりである」とある。

第一次世界大戦による好景気を享受した大正デモクラシーの時代が終わり、バトンタッチした昭和が、早速恐慌という洗礼を受けたのである。

令和2年3月7日。  

新型コロナウイルス騒動で、戒厳令を彷彿させる世相であるが、ついに、わが広島にも感染患者が現れた。 

戦々恐々とする令和の幕開けだが、恐慌から戦争へと舵を切った昭和前期の二の舞は、土佐の後免である。

「咳をしても一人」ほぼ百年前の俳人、放哉の自由句である。 

放哉の時代の結核は、死に直結した恐怖だった。

動悸の住処。

2020年03月05日 | 百伝。
今日は、大きな病院での定期受診。

新型ウィルスの影響のせいか、いつもより患者さんが少ないように映ります。

それでも、日本の認知症高齢者の人口が、近い将来に約1000万人を超える統計数値があります。

さっき、院内での受診待ち時に「久しぶり」と声かけられたが、最後まで誰だか分かりませんでした。

僕も、記憶障害、認知症の始まりかもしれません。

認知症という言葉表現は比較的新しくて、かつては、痴呆とか、呆けとか、ボケ老人と呼ばれていました。

ボケ老人とは、会話が成り立たないから、そんな風に呼ばれたのでしょう。

療養型病院で勤務していた頃、家庭介護を経て入院する患者さんよりも、施設生活を経由した患者さんの方が、褥瘡(床ズレ)、認知症率が高いのは何故かと、ずっと疑問に思っていました。

昨年、高齢者施設に転職して、認知症の方と接すると、ある程度、認識を新たにしました。

老人は、本来は、生き方よりも、死に方を考える存在です。

高齢者を含めて、現代の風潮の流れは、デイサービスという通所は、老人の健康スポーツジム化しています。

その迎えのバスに乗るのが嫌で、幼児のように駄々をこねて通所拒否する高齢者の多さ。

一方で、施設内での生活理念は、その人らしい生活をお手伝いする優しさに包まれた生活です。

毎日三食用意され、毎朝バイタルチェック、毎週二回以上の入浴、規則正しく定められている生活、冷暖房完備の季節感のない日常。

延々と変わらない個室での日常生活、いつまでも帰る場所がないという焦燥感、未来が暗くなるのです。

人は、明るい場所に戻りたいという帰宅願望、せん妄が表れ、認知症を発症するのは、必定かもしれません。

実際、認知症の方と話していると、明日のこと、来週のこと、来年のこと、未来の話が出来ないのです。

彼らの現在は、過去の時間軸が基準になっていますから、繰り返しになります。

老人からみれば、成年も青年も少年少女も過去の人です。

だから、自分の過去の人物像である成年、青年、少年少女、あるいは幼児にまで遡り、成りきります。

認知症の高齢者は、肉体は老いても、気持ちは、いつまでも若くて幼いのです。

認知症高齢者約1000万人となる少子化高齢社会。

人間社会の活性化に必要なもの?

あの地域に暮らしたいという動機付けが必要です。

その施設で暮らしたいという動機付けが必要です。

この病院へ入院したいというのは、動機付けではなくて、動悸付けとなります。

病いは気の毒から、悩みは気の迷いから、そんな動悸は必要ないです。

若い頃の日々、笑って楽しむ気持ちが充満する社会にならないとね❗

人生は結果オーライにしないとね❗



咲う花。

2020年03月04日 | 千伝。
一昨日、観ていたNHK の「事件の涙」。

34年前、1986年(昭和61年)、東京中野区の中学生13歳の鹿川君が、このままならば、「生き地獄だよ」という遺書を遺して自殺した事件がありました。

日々の暴力的な虐めに加えて、クラス全員、担任先生も色紙に書いた「葬式ごっこ」という残虐なメッセージに、13歳の少年の胸の中は、心中察するという言葉では表現できません。

当時、この事件を担任した元記者の豊田さん、80歳過ぎても今尚も自分自身の宿題として、事件の真相を風化させてはならないという想いを、番組で追っていました。

あれから34年、振り返れば、当時の仕事上で僕自身も、この事件と少し関わっていました。

当時、20代だった頃に考えていた事が、60代になると変わってゆくのは当然の成り行きかもしれません。

ただ、個に対する集団によるイジメは、大人も子供も、自殺が増えるという社会は、闇です。

イジメは、パワハラとか虐待とかいう言葉に連結して、意味合いが広がっています。

10代、20代、30代の死因のトップが、自殺とのこと。

20代の死因の半分が自殺だとの統計があるようです。

40歳から64歳までの引きこもりが、約61万人。

ウィルスよりも人間が怖い社会。

明日が見えない「生き地獄」のようなものです。

とりわけ若者には、勇気を持って、自分の未来の生き方と闘って欲しいものです。

チャップリンは、「人生に必要なものは、勇気と想像力(ユーモア)、そして、少しのお金」と言いました。

少しの腕力と脚力があれば、尚更好いです。

逃げる勇気があれば、また闘えるし、失恋する勇気があれば、また恋します。

生きていればこそ、人生には続きのストーリーが出来上がります。

命の花を、自分で散らせてはなりません。

花咲う幸福とは、幸せを遠ざける嗤うではなく、幸せを呼び込む笑いを供えること。

リハビリ・スタート。

2020年03月01日 | 千伝。
今日から弥生三月。

毎日毎日、新型コロナウィルス肺炎のニュース。

感染後、80代過ぎの高齢者の致死率は、25%とかいうニュースを見聞きすると、高齢者は不安になります。

実際上、入院後の寝たきり患者さんの死因が多いのは、嚥下能力の低下です。

痰とか唾とか、飲み込みが大変なのです。

60歳過ぎると、水を飲んでむせたり、咳き込んで、死ぬかと思うような体験は数多あると思います。

その状況が、入院中の深夜に起これば窒息死です。

心不全とか誤嚥性肺炎とか、考えてみると、ほんとうの死因は何だろかと思う幅広い病名です。

ここで余り多く語りませんが、大事な事は、病院へ搬送しないように、施設では、リハビリ体操、舌体操を徹底しています。

嚥下能力の向上のために、舌を上下左右に動かしましょう。

トイレットペーパーが無ければ、お尻拭きを用意しましょう。

お尻拭きが無ければ、必要ない衣類をカット切れにして使えます。

水洗トイレには、流せません。

新聞紙にくるんで棄てます。

人生最大のテーマは、自分を介護すること。

山へ、里山へ、トレッキングに行くと、いざとなれば、穴を掘り、用を足して、葉っぱで終了です。

うがいのあと、新しい唾をごくりと飲み込みます。

リハビリ・スタート。