百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

桃栗三年。柿も八年。

2011年02月11日 | 百伝。
和歌山県産の梅と柿は、たしかに美味しい。

では、桃は、どこの桃が美味しいのかな?

・・と思いながら、昨日今日と体調(心臓の動き)がよくないので寝ていた。

百島中学時代の同級生の「やっちゃん」から電話が入っていたので、こちらから話をする。

今は鎌倉に暮らす「やっちゃん」は、広島県の我々同年代の高校野球関係者の中で、今でも記憶に残る野球選手の一人である。

先日、高校時代の同級生のTからも、僕の病(心臓の拡張性心筋症)を気にしてくれたのか・・連絡を頂いた。

いつだったか・・今は、三原市の教育委員長をされている高校時代の恩師から連絡を頂いた。

「同窓会に出て来い」と言われたが、あまり出席したい気分にもなれない。

でも、感謝である。

最近、自分の残りの寿命を考える。

葬式は、家族葬もしくは不要。戒名も不要でいい。

では、自分の骨は、どこに眠る。

西行は、桜の花樹の下でとか。

東行(高杉晋作)は、梅の花樹をこよなく愛でたとか。

僕は、桃の花樹がいいな。

桃を食べて不老を望まないが、百島で桃の花樹を愛でたいかな。

「やっちゃん」には、百島に桃の花を咲かせる活動をしたいなぁ・・というプランを話したが・・桃栗三年、柿も八年。

僕は、あと八年も生きてられるのかな。

パワースポット

2011年02月08日 | 百伝。
よくは知らないが、東京都内を中心に活動するムジカ(musiqua)という音楽バンドがある。

そのメンバーのギタリストの保道くんのブログで、祖父母のお墓参りのため百島に来たという文面を綴っていた。

尾道と三原の間を走る抜ける山陽本線の列車から眺める瀬戸内海の風景にも感銘を憶えるギタリストの保道くんの情感にも共感できる。

あの場所から因島が見える。

大阪の宮地運送の会長さんが、「吉野のしだれ桜」に並び賞賛されるぐらいに、自分のルーツとなる因島にも「しだれ桜の名所」をつくりたいと・・たくさんの桜を毎年寄付し続けているという記事を読んだ。

この宮地さん、戦時中の子供の頃には、母方の出身地となる百島にも疎開していたという。

よくはわからないが、因島出身の音楽グループのポルノグラフィックという花が、これから咲き残るかどうかはわからない。

僕と同年代の長渕剛やサザンオールスターズの桑田が今尚活躍して残っているのは、勇気づけられる。

桑田が、深夜のラジオ放送で「スポンサーは常石造船でした」と連呼していたのには驚いたが・・。

最近、パワースポットという言葉が流行っている。

日本語で表すとパワーを貰える光景なのかな。

ムジカという音楽バンドに大きな活躍を期待したいものである。

大きな花を咲かせてほしいものである。

できるならば、百島というパワースポットを再認識したいものである。

自分の心臓の調子が、もう少し良ければ、春には、桃の花が一斉に咲き誇る山梨県笛吹市界隈に出かけてみたいな。

僕個人としては、桜咲く花もいいが、桃の花の方が鮮やかに映る。

百島も、かつては桃の花が咲き誇っていたのだろうか。

古来、桃は、桃源郷という呼び名もあるぐらいに神聖なるものであったらしい。