百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

朋輩

2012年09月30日 | 百伝。
子供の頃、仲良しや親友のことを、ほうびゃぁ(朋輩)と言っていました。

是非を、「ぜっぴ」とも言ってました。

ほうびゃぁ(朋輩)という言葉は、備後地方の界隈では、百島だけで使う方言?

・・だと考えていたのですが、伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)のある淡路島の一部地域と伊勢、尾張、三河の一部地方でも使うようです。



三河の国(愛知県)八橋(やつはし)は、昔から 杜若(かきつばた)の名所だったようです。

そこで詠まれた歌が、あります。

ー伊勢物語 第九段ー

からごろも(唐衣)

きつつ なれにし

つましあれば

はるばるきぬる

たび(旅)をしぞ思ふ


各一文字目を読むと「かきつばた」になる折句。

「からころも」は「着る」の枕詞。

「からころも着つつ」までが「慣れ」を導き出す序詞。

唐衣、着、慣れ、褄、張るが着物の縁語。

「妻」と「褄」、はるばるは「遥々」と「張る張る」が掛詞。


日本の未来において、古語や方言によるコミュニケーションの時代が脚光を浴びるのか? 廃れるのか?・・どうか判りません。

が、語源を紐解くことが、地域と地域、ビジネスとビジネスを結びつける要素になるような気もします。

花鳥風月

2012年09月29日 | 千伝。
テキストと新聞コラムを読んで・・

健康で長生きをする秘訣とは何か?

「教育」と「教養」だそうです。

・・??、間違いです。

「きょういく」と「きょうよう」が、正解です。

「今日、行くところがある」

「今日、用事がある」

明日は、中秋の名月ですが・・台風17号が近づいてきています。

日本三大名月の里・・滋賀の石山寺から観る月、京都の大覚寺から観る月、長野県千曲市の姨捨(おばすて)から見る月。

また、土佐の桂浜、さらに備後の桃島から観る月も、いと美しいものだと思います。

その名月や・・もし月が存在しなければ、地球の海の潮の満ち引きは、3分の1の規模は小さくなるということです。

生命の進化が、遅くなるということだそうです。

そして、地球は、8時間程度で自転するようです。

そうなると、毎日が巨大な台風並みの嵐に見舞われる日々です。

大きな声を出さないとコミュニーケーションが、成り立ちません。

花も咲きません。

鳥も飛びません。

月の引力とは、優しい摩訶不思議な力です。

明日、行くところがあります。

明日、用事があります。

あれもこれもしなければならない思いは、月観る余裕も花を愛でる余裕もありません。

道半ばで、志半ばで、人生の幕が降りるのは、案外幸福なのかもしれません。

花鳥風月の趣きとは、まさしく奇蹟な世界です。感謝

輝く月

2012年09月28日 | 千伝。
ラジオを聴いていると、「今年、9月30日、カヤックを漕ぎながら中秋の名月を観よう」というイベントを地元の方が告知していました。

・・いいなぁ。

不便だから、不幸というのは無いです。

今日は、送別会。

退職される方は、四国八十八か所のお遍路に参るそうです。

・・いいなぁ。

学力の偏差値が高いか、低いか・・ではありません。

人間は、出世したか、どうか・・ではありません。

生きる面白さ、楽しさを・・発見できる能力が、大切だと思うのです。

この世は、身の上の巡礼旅。

すべてが、授かりものです。

住ませていただいています。

働かせていただいています。

生かせていただいています。

夜空に輝く月を見て、嬉しくなります。

小生、まだまだ半人前の修行中の身です。

「終わりよければ、すべて善し」

百島 再発見

2012年09月27日 | 百伝。
百島の地図を眺めています・・。

はて、百島で生まれ育ったにしろ、未だに行ったことのない場所、まだ見たことのない場所があるはずだと気づかされました。

そう言えば、小生、一度も本村地区の茶臼山(茶臼山城址跡)に登ったことがありません。

福田地区のさくら通りにある如意輪観音堂? 椋の木? それからニセアカシアの花畑?・・行った記憶がありません。

本村地区の寺男の墓? 首なし地蔵? 大畑大師堂? 白石神社? 稲荷大明神? 御衣大師?・・全く記憶にありません。

百島小学校近くにある「荒神の丘」は、記憶に残っています。

泊地区を御案内します。

野鳥の森もあります。

端っ先(はなぱっち)という場所もあります・・昔、デゴン(スナメリクジラ)の置き場所でもありました。

それから、最上(さいじょう)稲荷・・子供の頃から神秘的な結界のような場所に映りました。

さらに、泊の厳島神社(明神さん)の近くに小さな池があって、メダカが沢山泳いでいました。

絶滅危惧種に指定されているメダカです・・今も、あの池に生存していれば、神さま、明神さん、もしくは弁財天さまの御加護に違いありません。

個人的な興味なのですが・・百島の西側に明神岬(明神ケ鼻)というチンカカ奇石群のある海岸線があります。

海老呑へ海岸沿いに歩いて行くのに、とても難所だった記憶があります。

チンカカという名称も不可思議です。

泊の厳島神社(明神さん)は、元々、このチンカカ(明神ケ鼻)にあり、移転されたとの言い伝えがあります。

百島の最北端が、女男石。

百島の最南端が、だんご岩。

つまりは、陰陽石をも意味します。

九州には、千手・女男石という地名もあります。

陰陽石神社もあります。

昔の先人は、いろいろと考え抜いたものです。

百島の御弓神事・・西日本一帯で伝わる「百手神事=御弓神事」発祥の地が、百島であるとアピールも出来ると思います。

百島に桂川が流れています。

あの桂川の名前は・・どこに由来するのか?

遠い昔、祖母が、井戸の事を「川」と呼んでいた幼い頃を思い出します。

百島 弁財天

2012年09月26日 | 百伝。
徳川幕府体制の江戸時代・・日本の人口は、おおよそ3000万人程度で推移していたと考えられています。

これを踏まえて想像するのに、300年昔、当時の百島は、われわれが想像する以上に賑やかな島だったのかもしれません。

江戸時代の百島の人口の推移です。

宝永8年  1711年 61戸 587人
文化元年 1804年 128戸 729人
文化12年 1815年 128戸 883人

百島八幡神社は、天文4年(1535年)の創祀とのこと・・足利幕府体制の室町時代、豊臣秀吉が生まれる前年?。

百島厳島神社は、宝暦3年(1753年)の創祀とのこと・・徳川幕府が、薩摩藩に木曽川の治水工事を命じた年。

さて、弁財天の謂れ(歴史展開)を説明すると長くなりますが、ヒンズー教、仏教、日本神道、七福神、民俗風習、民間信仰に辿り着きます。

弁財天は、海や湖や池や湧水の近くに祀られていることが多いのです。

例としては、鎌倉の銭洗弁財天が、とても有名です。

要は、水神さまを起源と考えた方がよいのです。

我が家にも、水神さま・・つまり弁財天を祀っています。



神仏習合思想のひとつに本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えがあります。

日本の八百万の神々は、仏や菩薩や観音に成り変って、日本の居られるという権現さま思想です。

水の神・・・市杵島姫 = 弁財天
火の神・・・秋葉権現 = 観音菩薩
無病息災・・須佐之男(スサノオ)= 牛頭天王(スサノオ)→ 天王社、祇園社 ← 蘇民将来(備後国桃島)説。

そう、市杵(岐)島姫命(いちきしまヒメノみこと=弁財天)を祀神とするのが、厳島神社なのです。

つまりは、泊にある厳島神社は、弁財天を祀っているということにもなります。




「ふるさと百島」からの伝言

2012年09月23日 | 百伝。
「百」は、口、日、白、一ノ九十九と連なり、笑、陽、水、福を備える縁起の善い文字です。

整理していると・・「再発見!ひろしまの100」という冊子が出てきました。

これは、10年ほど昔、広島県がNPO法人ひろしま生涯教育研究所に委託して、広島県内の「人物13、行事20、自然35、史跡22、まち並み10」の5分野をあわせて100を紹介した・・広島県の「観る、知る、学ぶ」百選を載せた貴重な記録冊子です。

これは、広島県の100に、尾道・百島を紹介した記念品として贈られてきた冊子です。

この100の最後に紹介されてある百番目が、「尾道の寺と町並み」でしたから、よかったです。

さて、「ふるさと百島」「ふるさと百島~くらしと うつりかわり~」という二冊の冊子も出てきました。

父も会員だった「百島ふるさと文化史研究会」が、2002年(平成14年)と2004年(平成16年)に編集・印刷・製本まで手掛けてある・・非常に貴重な故郷百島の歴史記録集と言っても過言ではありません。

百島の先輩先人の御苦労に頭が下がる想いと感謝の気持ちでいっぱいです。

現在の百島の人口は、江戸時代の宝永8年(1711年)の百島の人口587人とほとんど変わらないことも読めます。

明治5年(1872年)、百島に学校を設置・・この年は、明治政府が日本で初めて学制発布をした年でもあり、現尾道市内で最も早く設立された学校であるということも判ります。

明治時代・・泊地区にも尋常小学校があったようです。

大正時代・・青年訓練所、農補修学校(夜間)も開設されたようです。

昭和25年(1950年)、百島の人口は、2889人(593世帯)・・百島の人口がピークの年です。
昭和45年(1970年)、百島の人口は、2080人(562世帯)・・大阪万博開催の年です。
昭和50年(1975年)、百島の人口は、1854人(563世帯)・・「なごり雪」「木綿のハンカチーフ」がヒット。
平成10年(1998年)、百島の人口は、872人(426世帯)・・・1000人を割っています。

「秋分の日は、先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日です」

・・と書いてあった「ふるさと百島」からの伝言でした。

合掌

ヤァの島は、百島。

2012年09月22日 | 百伝。
地元の新聞コラムを読んで抜粋:
連絡船で約10分、周囲6・8キロの漁業の島。琵琶湖の環境悪化などで漁獲量が激減し、半世紀で島民は半分以下の約330人になった。高齢化も進む。一方で、車は一台も走らず、豊かな自然が残る。漁村の風景や、のどかさに引かれる観光客も多い▼離島振興法が適用されれば、国の補助を受け、さまざまな事業を行える。今ある魅力を生かしつつ、地域づくりをどう進めるか、沖島の将来像をじっくり考える時だろう。

滋賀県と言えば、琵琶湖です。

湖の中で、人が住んでいる島が、日本にひとつだけあります。

それが、琵琶湖にある沖島(近江八幡市)です。

もう十年以上昔かな・・?

この琵琶湖の沖島小学校の児童たちが、インターネットを通じて知り合い、百島小学校へ訪問したことがあるのです。

その後の交流は、どうなったのかな?

それは、ともかくとして、今年、離島振興法が改正されました。

その法律の条文に、等が入り、「海等に囲まれ」の文言が加えられたそうです。

つまり、海にある島だけでなく、琵琶湖の沖島も対象となる道が開けてきたのです。

離島振興法の父ともいわれる方が、周防大島出身の民俗学者の宮本常一先生です。

日本中の農山漁村を調査して、生涯に地球4周分を歩いたという民俗学の巨人です。

百島に関しても、的確な視点で記録を残しています。

・・変なことを言います。

金持ちになりたいのならば、神様仏様に拝み頼む方法も・・民俗学です。

奈良県に天河大弁財天社(天河神社)もありますが、個人的な嗜好で、海や湖に浮かぶ島がよいですね。

日本三大弁財天である神奈川県の江ノ島、広島県の宮島、滋賀県の竹生島、そして、百島に参るのをお勧めします。

百島にも、ちゃんと弁財天が居られ、祀られてあるのです。

宮本常一先生の言葉です。

「振興法ができたから、島がよくなるのではない。島がよくなろうとする時、振興法が生きる」

人間って、いいなぁ。

2012年09月21日 | 千伝。
「金とくスペシャル」という・・金曜日の夜7時半から、中部地方圏でのみ放映されるNHKのテレビ番組があります。

今夜の放映された「金とくスペシャル」は、凄かった!!

10年前から2年おきに開催される、日本海の富山湾魚津から太平洋の駿河湾静岡までの「日本アルプス縦断山岳レース」を特集していました。

再放送として、今度は、全国放映されることを願います。

非常に感動的でした。

今年、8月12日0時に日本海/富山湾・早月川河口をスタート。
北アルプスの剣岳~槍ヶ岳まで、上高地・境峠・木曽駒高原スキー場を経由して、
中央アルプスの駒ケ岳~空木岳まで、駒ヶ根・市野瀬を経由して、
南アルプスの仙丈岳、三伏峠、茶臼岳まで、畑薙第一ダム・井川・笠張峠を経由して、
静岡~太平洋/駿河湾・大浜海岸が、ゴール。

全長距離495KM・・これを8日間内で走破しなければなりません。

最低でも、1日平均60KM以上を自分の足で移動しなければなりません・・しかも、日本の標高3000M級の名峰難所を縦走です。

これは、驚異的な山岳レースです。

参加費2万円だとか・・??

山小屋での宿泊は、勿論禁止事項に入ります。

◇競技ルール
①コ-ス上の指定されたチェックポイント(以下CP)を、走り+歩きのみで忠実に繋ぐこと。
 CPを通過しなかったり、交通機関を利用してはならない。
②設定された関門を、所定の日時までに通過すること。
③ビバークができる装備(レスキューシート、ツエルト等)を常時携行すること。
④必要な装備類(行動用具、露営用具、炊事用具等)および食料は各自準備し、自ら背負い行動すること。
 ただし、山小屋や食堂等での食事、商店での食料購入は可とする。
⑤食糧や装備等を、事前にコース上にデポしてはならない。
⑥家族や友人等からのサポ-ト(以下の行為)は、市野瀬CPを除いて禁止とする。
a選手および選手の持ち物に触れること
b選手へ、物品の受け渡し(さしいれ等含む)
c選手の荷物搬送
d選手の行動にシンクロナイズした伴走およびそれに類する行為
⑦選手への応援は、どこでおこなっても良い。ただし、⑥ a~dの行為をおこなってはならない。
⑧宿泊は、すべて露営(テント、ツエルト等)のみとする。
露営は、緊急時のビバークを除き、自然公園法に則りキャンプ地に指定された場所で行なう。
山小屋、避難小屋、旅館、民家等での宿泊および仮眠は、禁止する。
ただし、雷や動物等により生命の危機が予測される場合は、一時避難としてそれらを利用してもよい。

予選選考があり、それを勝ち抜いたアマチュアの超エキスパートの28人の方が参加・・10名がリタイアして、18人の方がゴールしました。

トップは、なんと5日間6時間でゴールでした。

ラストは、ぎりぎりの7日間23時間30分でゴールでした。

はじめは、この参加者の皆さんを、山登りが、好きで好きで、楽しくて楽しくて仕方のない連中として・・観ていました。

ところが、だんだん、だんだんと、心身ともにボロボロになって疲弊してゆきます。

睡眠不足、高山病、山の天候悪化、過酷な肉体酷使・・

幻覚や幻聴も現われます。

平衡感覚がなくなり・・動きが止まります。

100メートルを進むのに3時間もかかります。

それでも、ゴールを目指します。

参加者のいちばん多い年代は、40代半ば・・人生、限界への挑戦かな。

それにしても、南アルプスの赤石岳、聖岳の美しい映像に、うっとりしました。

静岡の街に辿りついてゴールの海岸まで、街中を進む参加者の姿は、まさしく天界から人間界に降り立ったような風情でした。

賞金も賞品もないけど・・やりとげた満足感は、痛快、そう快そのものでした。

そして、・・ゴールで待っている家族の姿。

生きるという強さ、かけがえない命。

人間って、いいなぁ・・そんな想いになれました。

感謝感想です。

おおけに

2012年09月19日 | 百伝。
百島では、「ありがとう」という意味で、「おおけに」という言葉を使います。

子供の頃は、「ありがとう」という言葉よりも、「おおけに」の方が、一般的に使用する方言でした。

高校に入学して「おおけに」と言うと、「なんじゃ?、その百島の方言は?」と言われた記憶があります。

備後地方、もしくは広島県、岡山県の両地域の界隈で、おそらく「おおけに」という言葉を使用していたのは、唯一、百島だけのはずです。

「おおけに」は、京言葉の「おおきに」の古語です。

京都府の丹後地方には、京言葉の古語が、多く残っています。

その京都府与謝郡伊根町(ずいぶん昔、NHKの朝ドラマ「ええにょぼ」の舞台になった舟屋町)に、百島の方言と、そっくり似た方言が、沢山残っています。

あの界隈のお年寄りも、「ありがとう」や「おおきに」の代わりに、「おおけに」と言います。

元伊勢神宮もある丹後地方です。

おおけに・・という古語方言が、輝くような感謝の言葉に変化して響きます。



ウォールの写真から拝借・・おおけに。


おおきに

2012年09月18日 | 千伝。
昨日は、敬老の日でした。

敬老の日の時季・・こんなに暑かったかな?

昨日の朝、NHKのテレビ番組で、山田洋次監督(81)の映画作りの情熱を伝えていました。

小津監督の「東京物語」をオマージュした「東京家族」を大崎上島でロケ撮影していました。

黒澤監督が、大物俳優連中を罵倒しながら撮影していたドキュメンタリー番組を観た記憶がありますが、山田監督は、小学校の学芸会の教師のように大ベテランの主演橋爪功さん、小林稔侍さん等の出演者を児童扱いして指導注文している姿が興味深く映りました。

老いるというのは、だんだんと円熟味を増すものではありません。

我が儘になり、心配症になり、多方の老人が、子供に戻ります。

物事の始まりと終わりは、大事です。

だからこそ、子供と老人は、人生を映す鏡のような存在となります。

長く生きるほどに、その分辛い経験も多かったはずです。

お年寄りは、あの世にいちばん近い存在です。

旅立った時の守り神でもあります。

敬うべき存在なのです。

おおきに。

中国社会の意識

2012年09月17日 | 千伝。
中国全土での反日デモ運動による暴徒化・・。

ちょっと考慮すべき深刻化する展開と様相です。

今の日本社会では、これによって、日本国内全土で、大規模な反中デモが起こり、中華街を襲うとは考えられません。

抑制というブレーキが、しっかりと日本社会に根付いています。

中国政府、中国人民の意図するフラストレーションの矛先が、愛国心という敵愾心というかたちでの表現しか出来ないのかもしれません。

若い頃、華僑の方と親しくさせていただいた想い出があります。

相手方のエージェントから、小生の故郷の墓まで調べられたこともありました。

中国の方は、現実世界の算盤上手と夢見るロマンティストまでの振幅が大きく揺れる純粋さ?がありました。

かつて・・

終戦後、中国に残された敵国でもあった多くの日本人孤児を、我が子のように育ててくれた中国人の美談に涙が流れました。

逆の立場であったならば、日本人は、多くの中国人孤児を、我が子のように受け入れて育てたでしょうか?

第二次世界大戦で、日本は、アメリカに負けたという敗戦国感情感覚が残っています。

でも、日本は、中国に負けたという敗戦国感覚は、ありません。

しかし、中国は、日本に勝利したという戦勝国という意識があります。

にもかかわらず、ほんの20年前まで、戦勝国である中国人の平均給与は、敗戦国であるはずの日本人の平均給与の30分の1でした。

世界経済を支配するかのような「日本の脅威論」が、高まった時代です。

日本人社会と中国人社会の差異は、お隣り同士の嫉妬と憧れの強弱です。

お互いに、劣等感意識はありませんが、中国人は、日本人に対して、強い嫉妬、憧れを備えているのは、事実です。

日本が、中国大陸に近い尖閣諸島を国有化するのは、鼻もちならぬメッセージとなるのでしょう。

どこに向かえば、中国社会は、日本社会よりも強固な立場、世界に認められる大国、幸福社会になれるのか?

自問を続けながら、迷走する戦勝国としての中国社会の意識です。

休み休みの夏

2012年09月17日 | 千伝。
この夏も終わりに近づきました。

まったくの不完全燃焼の夏でした。

息子に、車を買い与えて、わずか三か月目。

事故、トラブルで、車も大破して廃車処分となった夏でした。

相手側の不注意による大きな衝突事故でしたが・・

ひとつのアクシデントが起こると、不思議ですが、トラブルが続いて起こります。

すべてを、悲観としません。

そんな、今年の夏でした。

息子と一緒に行く予定で行けなかったところ・・立山か、乗鞍か、千畳敷カールかな。

やっと、息子も回復して元気になりました。

もう一度、車を買い与えましたが・・安全運転と幸運と好転となることを信じるしかありません。

結果と予測を、損得勘定で判断しません。

辛抱です。

親は、死ぬまで、子供のことを心配して気にかける存在だということを、親として痛感させられます。

親と子が、そろって心配し合う・・それが、仕合せです。

その仕合せに気がつけば、幸せになれます。

親孝行する者に、悪い奴は、いません。

なにを為したかではなく、なにを為そうとするかが・・生きるうえでの幸福条件です。

だからこそ、禍いを転じて、福と為すことを、出来る?・・楽しめるはずです。

休み休みの夏でした。感謝。

無用の用

2012年09月15日 | 千伝。
明治天皇が崩じ大葬が営まれ、乃木希典陸軍大将夫妻が殉じた世相の真っただ中、百年前の今日9月15日、十八歳の職人少年早川徳次が、隅田川のほとりに町工場とも呼べない小さな金物細工のかざり屋を開いた・・これが、のちのシャープとなる。(本日の日経新聞春秋コラムから)

100年後の今日、シャープは、経営困難に陥っている。

はじめて、シャープの名を耳にしたのは、シャープペンシルかな?

記憶にあるのが、小学生か中学生の頃、先生が、「シャープの工場は、週休2日制なんだぞ・・」と言ってたのを思い出します。

週休2日制という言葉に、とても新鮮さがありました。

中国では、反日デモで、日系企業への放火や略奪や暴動、日本人に危害を加える輩も現われたとか。

中近東では、反米デモ・・。

ロシアでは、反プーチン大統領体制デモ・・。

中国の思想家・老子は、「無用の用」という言葉を残しました。

「無用」とは、役に立たない不要という意味で、「用」とは、役に立つ必要という意味です。

早川さんは、「休日には、仕事を忘れて、思いっきり、リラックスすること」が必要だと説いたと思います。

本田宗一郎さんも、同様な経営者でした。

「与えれば与えるほど、いいことがあります」と説いた名僧や経営者も多くいます。

臨時の給料・・ボーナスを出した三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎です。

給与と休日を与えるほど・・国家や民族の愛国的忠誠心の枠を超えて、グローバルな外資企業組織の一員としてのアイデンティティが芽生えます。

領土問題・・中国や韓国の固有の領土となる根拠・意見を、日本のメディアは紹介したうえで、日本側の反論を世界にアピールした方が、正しいのではないかと考えます。

一方的に、双方が、固有の領土だと言い張るのは、無用な吐露です。

不安を与えては、いけません。

与えれば与えるほど善いのは、「生活基盤となる余裕という感謝」です。

「無用の用」です。

マラソンコースと未亡人

2012年09月14日 | 資本と社会の問題
仏教のテキストを読んでいると、不思議なタイトルと巡り合い、読まされてしまうこともあります。

今回のタイトル「マラソンコースと未亡人」も、その通りでした。

「頓知話」で知られる室町時代の名僧一休さんや沢庵漬けの考案者でもある江戸時代の名僧沢庵和尚のようなユーモアを思い出します。

「人生はマラソンである」という言葉があります。

風雨もあり、晴天もあり、山もあれば谷もあり、奢り高ぶらず、苦難にくじけず、自分のペースを守り、ただ黙々と走り抜くと、よい結果が出るという譬え話です。

それでは、そのゴールは、どこになるのでしょうか?

答えは、火葬場の門でした。

ひたすら、火葬の門に向かって、我々は走っているのだそうです。

その門は、遠くにならない、近づくばかりです。

今日よりも明日、今年よりも来年と門が、どんどんと近づいてきます。

もう、そこに門が見えてきても、スピードを緩めることもできない、足踏みをすることもできない、後ろ向きに走ることもできないのが、人生のマラソンコースなのだそうです。

そして、これこそが「生きている」という事だそうです。

生きているというのは、門に入っていないこと・・つまり、死んでいないという事だそうです。

未だに死んでいない人を、未亡(死)人と言うようです。

未亡人という語には、女性の意味もなければ、結婚して夫に死別した意味もないようです。

ただ、未だ死んでいない人というだけの意味だそうです。

老若男女、生まれたばかりの赤ん坊も、すべて生きている者すべてが、未亡人なのです。

百人万人・・生き方は、さまざま多種多様ですが、「死」のみは、普遍の不変であり、必然です。

だからこそ、未亡人であることを自覚して生き抜くことを、仏教は、教えているとの事でした。

寄り添い物語

2012年09月13日 | 百伝。
福井県に名田庄(なたしょう)村という場所がありました。

現在は、合併して福井県おおい町名田庄になりました。

おおい町は、作家水上勉さんの故郷で若州一滴文庫があり、あの大飯原発があるところです。

名田庄は、京都府に近い山間部にあります。

名田庄は、陰陽師安部清明とも関わる、一度行くと、また行きたくなる・・なかなかの印象深くなる地域です。

その名田庄診療所所長中村伸一さん(49)が、地域医療の医師としての半生をつづった著書「寄りそ医」が、ドラマ化されました。

今月16日、23日の両日に、NHKのBSプレミアムで放映されます。

ドラマタイトルは、「ドロクター ~ある日、ボクは村でたった一人の医者になった~」。

ドロクターは、地域の方言で「ちょっとヤンチャな奴」という意味で、ドクターと合わせた造語です。

中村医師とは面識も無く全く存じませんが・・こういう人間も居る、こんな生き方もあるということで、福井のお国自慢として紹介させていただきました。

付け加えるならば・・

百島診療所のドクトル次田さん、ナース田中さん、キャプテン漆原さん・・彼らの半生ドラマは、「寄りそ医」から「寄り添い物語」へと続く・・もっと深くて大きいドラマになるかもしれません。

いつか、それぞれの夢が叶い、実現されますように。