百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島珈琲。

2023年10月11日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

午前4時からのNHKラジオ深夜便「明日への言葉」、よく聴いています。

その道を独自に究めた第一人者がゲスト出演して語る、今まで生きてきた道程、明日への提言、興味深いのです。

今朝のゲストは、古楽器リュート演奏者、水戸茂男さん。

1954年大阪生まれ、福山育ち、なんと尾道北高校卒業。

子供の頃から古いバロック音楽が好きでギターを弾いていたとの事。

我々同年代からすれば、フォーク、ロックではなく、古典音楽により興味があったというから流されない自律性が高い人なんだろうなぁ。

尾道北高校卒業後、東京へ出てギター教室の学校へ進んだとの事。

編成を奏でるギターよりも、無限大の自由な古楽器リュートに魅力を感じたという。

スペインへ7年間の音楽留学へ、古楽器リュートの全てを学んだとか。

音楽というのは宮廷音楽から劇場音楽へと拡がり、市井へと届くようになり、楽器自体をより大きい音量にする為に弦が鉄線になったとか。

今までに10枚のCDや音楽教則本を出したり、海外全国を巡りソロコンサート、数校の音大で招待講師をしているとか。

尾道北高校から音大へ進学せず、バロック音楽が好きで古典楽器奏者になって古典音楽の第一人者として独自の地位を築いたブレて無い人生だなぁ。

はて?1954年生まれ、尾道北高校卒業?

気になったので念の為、兄に水戸茂男さんという同級生がいたのか?と訊くと、兄曰く「よく知っている」との事。

コンサートにも観に行った事もあり、今も連絡があるという。

長く生きていると、同じ兄弟でも異なる世界を眺めながら生きているような気になりました。

福井でコンサートがあれば、兄の代理として花束持参で鑑賞したくなりました。

さて、日経新聞の春秋コラムは、広島県の観光戦略に提言をしていました。

宮島訪問の際、入島税百円徴収はよいアイデアだが、瀬戸内海を走る旅客船内で各々の島々を横切る際には、各々の島々の歴史案内を英語で音声案内するサービスした方がよいのではと?

筆者曰く、多くの外国人観光客が船内で時間をもてあそんでいたらしい、音声案内があれば、あの島へ行きたくなるのでは?という天下の日本経済新聞春秋コラムからの提言でした。

昨日、福井市街地を車で走っていると、赤白の文字の派手なマークでかなり目立つコンテナを運ぶトラックが走っていました。

NYKマークの日本郵船かな?と思い込んでいると、近づいてビックリ。

天社マークのKANBARA KISENのコンテナマーク・・福井市街地で見るとは驚きでした。

神原汽船、百島の対岸にある常石造船の礎となった常石グループの中核的な船会社です。

常石造船は、多分、サザンの桑田さんがラジオ番組で「スポンサーは常石造船、常石造船です」と全国に向けて叫んでいたので多くの方は知ってはいても、神原汽船は、広島県の東部、尾道市民も福山市民さえも殆ど知らない海運企業名です。

昔、18歳の時、東京で福山通運のトラックを見た時の驚き、あれから約50年、今では全国津々浦々で福山通運のトラックとすれ違うのは日常茶飯事。

神原汽船の未来は、どうなるのかな?

気になる今日のニュース、今の時点で他行へ振り込み出来ない全銀システム障害、いつ回復するのかな?

今週末の高齢者への年金振り込みがストップとなると、日本のシステムは基本的に危うい。

まだ年金は繰り下げ状態だけど、そろそろ年金生活者になるべきのか? 思案中。

20年ほど昔、元気だった叔父さんが、百島泊の港は、年金生活者しか歩いていない「ねんきん波止場」になったと言っていました。

「家の中でゴロゴロするよりも、百島生活ならば、釣り放題、野菜作り放題、山菜取り放題、身体を動かせば健康にもなるのに」と言えば、ほとんどの年金生活者は、「買って食べる方が安上がり」と言っていたなぁ。

そして、みんな、あの世に逝った。

今日は、将棋の藤井聡太名人21歳が、史上初の八冠獲得。

八冠となった21歳の若者は、これからは、ひたすら防衛人生。

後から追いかけて追いかけて来ても、逃げる、逃げる、逃げてトライするラグビー人生みたいな将棋人生になるのかな?

独占はよくないかな? 

ゆったりとしたバロック音楽。

美味しいお茶を飲んでいます。

今度は、珈琲を飲むつもり。

至福の一服。

百島珈琲と名付ける。

つもりは積もるでしょう。

もうすぐ年金生活者になるつもり。

死ぬまで働くつもり。

百島珈琲を楽しみながら広めるつもりです。


百島イングリッシュ・ガーデン。

2023年08月04日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

夜、閉店まで煌々と明るい問題渦中のビッグモーター。

店舗の前は、ほんとうに街路樹が消えている❗

会社上司の指示で除草剤を撒いていたのかな?

気の毒だ。

働く日々、心が戦争状態となる戦場のような職場、そんな企業風土からは早く逃げ出した方がよいかと、かといって毎日出勤するのが楽しい職場を見つけるのは有り得ない。

自ら率先して楽しい職場、雰囲気を築き上げるしかない。

学校も同じく、毎日イジメが蔓延する教室には通学したくない。

大人も子供も同じ、気持ちが戦場となるような場所で生きてゆく人生は避けたいもの。

ただ、親ガチャ、国ガチャ、生まれて来る場所を誰もが選択できない人生のスタートポイント。

でも、生んでくれた親、故郷に感謝できるならば、それだけで人生大成功なのでは?

子供の頃、暑ければ海の中に飛び込んで魚を追いかけて、裸のままで虫やらの生き物と一緒に遊んでいた野性児の懐かしさ。

年老いて、故郷の百島へ帰ると、人生の何かを丸ごと呑み込んだ気持ちになります。

あえて言うならば、故郷は、百島大学と呼びたくなるような学びの巡礼地なのです。

草刈りをしながら個人的に名付けている百島イングリッシュ・ガーデンへ。

涼しくなれば、元気なうちに参ります。


百百(百々)廻り。

2023年06月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

淡路島に参りました。

ちょっと思い出した事。

何かの記事で読んだ農業ビジネスの話です。

化学肥料、農薬、畜産廃棄物を使わない。何も染み込んでいない耕作放棄地から雑草を刈り取る。刈り取った雑草から堆肥をつくる。

そのような話でした。

さて、百々(どど、もも、どうどう)という地名、家名、苗字、店名を、案外多くみつけることがあります。

百足屋という町名が、京都の四条通り沿い十文字、藤本町近くにあります。

ところで、百島(百嶋)さんという姓(苗字)の方が、北海道や九州に多く分布されているような気がします。

そのなかで、北海道に生まれ暮らす百島さんが、「自分の百島という姓のルーツは、富山県から北海道へ移住したと先祖から聞いている」というコメントがありました。

確かに調べてみると、富山県には、百島という姓(苗字)をもつ方が多くいます。

近隣では、尾道市街地にある産婦人科、鞆の浦にある海産物屋(?)に「百島」という名があったのを記憶しています。

個人的な見解ですが、やはり、百島姓のルーツは、瀬戸内海に浮かぶ百島が、発祥地の源ではないかと考えるのです。

昔、北前船が、蝦夷(北海道)と上方(関西)の間を、日本海をぐるり周回して、瀬戸内海を通り抜けて物資を運んでいました。

江戸時代の百島の人口は、現代の百島の人口よりも多いのです。

その際、かなり多くの百島の先人の方々が、北前船に船乗りとして出稼ぎに行ったのではないかと推測できるのです。

港、湊のある・・北海道や北陸や九州へ、そのまま永く住みついた方も多いと考えます。

そして、明治に入り、故郷の「百島」を思い浮かべ、そのまま「百島」を自分の姓(苗字)にしたのではないかと想像するのです。

先人の皆さんは故郷を離れても、遥かな百島の姿を想い浮かべたのでしょう。

さてはてと、元気を出さないと、活気も生まれてきません。

痩せないと、元気も生まれてきません。

百々、胴廻りの草刈りを励まないとね❗


名月や、百島茶臼山城は何処。

2023年05月06日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

不便、不自由を大いに楽しんだ1日でした。

令和5年5月5日、朝6時半始発の百島行きのフェリーに間に合うように、福井から帰省。

今年の帰省混雑状況、3年ぶりのコロナ自粛解禁のせいか、今まで経験が無いかも?・・真夜中を走る自家用車、やたらに東北ナンバー、九州ナンバーの車の行き来が多くて目立ちました。

さて、朝10時に本村の百島コミュニティセンターで仲良し同級生と待ち合わせ、計4人のパーティーで出発。

百島最高峰の十文字山連峰を縦走して、愛宕山まで踏破、最終目的は茶臼山城跡に辿り着く事。

泊地区と本村地区の境界、幸運橋(源助橋)を眺めながら、十文字山へ。

この本村からのルートは、個人的には初めてのルート。

登山ルートがよく整備されていて、とても登りやすく、あっという間に十文字山頂上に辿り着きました。

ただ、高い樹木に覆われて、かつての十文字山から見えた景観が失われていました。

それからが大変❗

ジャングル状態の嶺を一度少し下って上って、多分、エーレッ山の頂上かな?

かすかに見える下界を眺めながら、どこのルートを下れば茶臼山へ降りられるのか侃々諤々の意見。

結局、グーグルマップを使って、東側の暗い藪の中を降りて進みました。

先頭のトシ君か、保ちゃんが、大きな岩があるとの一報の声。

ううん?

見た事のある光景でした・・ここは、数年前、西林寺の裏手から登って、ここが茶臼山城跡だと勘違いした場所でした。

と言う事は、尾根ルートを間違えて下りたという事になりました。

とにかく、ズルズルと滑りながら西林寺の裏手まで降りました。

さて、ここから再び、茶臼山城跡を目指しました。

迷いに迷いながら、茶臼山ルートを探します。

狭い畑の脇道を選んで登ります。

傾斜角度は、富士山九合目から頂上辺りまでと同様です。

さらに茶臼山全体がジャングル状態で、這いつくばって、動物の四つん這いの状態で登りました。

茶臼山の尾根まで上がると疲労困憊、先頭を行く斥候(せっこう)のトシ君と保ちゃんは、スタミナがある❗

殿(しんがり)の僕と英雄は、ジャングルの中で立ち往生。

立ち止まったまま、英雄が、藪の中で何かを見つけたのか、「こんな所にホウレン草が生えている」と言う。

ホウレンソウ?

これ以上の前進は無理だと判断、斥候組に電話連絡。

再び、グーグルマップを活用。

茶臼山城跡は、空き家の位置にあると憶測できるが、その真偽は判断できません。

とりあえず、その空き家の屋根を目指して下山。

何だか、ちょっと心残りの登山でした。

でも、イノシンとの遭遇も無し、フラストレーションも無し。

大満足です❗

帰り道、旧百島中学校(現在、アートベース百島)でイベントが行われている様子で、歌声が聞こえてきました。

八幡神社の石段を降りて、イベント会場に入ろうとすると、入場料金1ドリンク付き4500円との事。

そのままスルーして、西林寺に眠る茶臼山城主の村上喜兵衛高吉の墓前に報告する事にしました。

すると、向こうから超ド派手な方が散策中で、スレ違いました。

ヴィヴィアン佐藤さんでした。

初対面です。

佐藤さん、昨日から百島に滞在しているとの事。

佐藤さん曰く、午前中に、茶臼山城跡に案内されて見学に行ったとの事?

うん? どこに?

はて、気が晴れないなぁ❗

曹洞宗萬松寺西林寺の境内へ。

村上喜兵衛高吉の墓前にて。

瀬戸内海の歴史上、名が残る大名、知将小早川隆景、村上水軍総大将の村上武吉、そのめざましい活躍を記録として残したのが、二人と同い年の村上喜兵衛高吉の「武家万代記」。

この記録が無ければ、村上水軍は謎だらけ、歴史上埋没していたかもしれません。

一言、茶臼山城跡の位置は断定出来ませんでした。と墓前報告。

意気消沈ではなく、こうした謎解きの機会を与えてくれた事に感謝。

加えると、昔々には百島の海岸沿いから5地点以上のルートが十文字山頂上まで整理されていて、茶臼山、軍殿山にも続くルートが間違いなく存在していた事は判明しました。

夕方、日帰り。

福井に戻る途中、疲れ果てて、高速道路サービスエリアで車の中で深く寝入ってしまいました。

目を醒ますと、夜空には冴えた満月が浮かんでいました。

気も晴れて、フラストレーションも無し。

爽快でした❗

車外に出て、満月を眺めていたら、僕の車の両隣に駐まっていた車が、なんと出雲ナンバーと伊勢志摩ナンバーの車でした❗

令和5年5月5日、忘れられない楽しい一日となりました。

皆に感謝です❗


スマホ依存症。

2023年04月27日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

昨年から使用しているスマホ。

高齢者用の分かりやすく使い易いスマホなのですが、パスワードも消滅、機能が完全ストップ。

それに伴い、ここ数日間、大混乱していました。

まず連絡先が全て消滅、自分の関連サイトにも入れず、スマホコード決済も出来なくなりました。

その要因は、高齢者用のスマホのスペックが低く、chatGpt やら、盛り沢山いろいろとアブリをインストール、導入過多・・スマホ自体の能力許容範囲を超えてパニックを起こしたのだろうという見解でした。

まずは、初期化❗

いかに毎日、スマホに依存していたのか、反省自省の日々です。

初期化すると、消えた情報源に辿り着く為に、直ぐにヘルプ状態になります。

手助けになったのは、残して置いていた前の、もうひとつ前のスマホとバソコンの中にある情報源でした。

あとは、バスワード地獄になりました。

思い出す限りの世界のみが、デジタル世界です。

使い易いスマホは便利だけど、使い過ぎるとパニック症候に近づくという、スマホ依存症でした。

今週末からゴールデンウィーク。

五月連休中の登山計画。

故郷百島の茶臼山城跡まで出掛けてみようかと思案中です。

この場所は、瀬戸内海を制覇した村上水軍の内情、盛衰史(武家万代記)を唯一伝え遺した村上喜兵衛高吉の居城。

いつも、瀬戸内海に向かって虹を架けているようなスボット。

彼は、百島萬松山西林寺に眠っています。

彼が伝え遺した武家万代記が無ければ、村上水軍の内情実情は歴史上ほとんど謎だらけ、村上水軍存在そのものが海霧の中に埋もれていたのです。

この点(ところ)、スマホで、上手くちゃんと伝えないとね❗

 


桃から百記。

2023年02月12日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

地元の新聞コラムで、ちょっと気になる記事を見つけた。

1336年(延元元年)旧暦10月11日(新暦11月22日)、鎌倉幕府を倒した後の南北朝時代。

南北朝時代、瀬戸内海芸備諸島の覇権は、伊予の河野水軍にあった。

足利尊氏と対立した新田義貞が、再起を期して京都から越前へと、その道中の木ノ芽峠(現在の福井県敦賀市から南越前町の北陸トンネルの頭上)での悲劇。

雪の木ノ芽峠は、難所。

11月22日ならば、通常まだまだ雪は降らないが、その年は風雪が強かったらしい。

新田義貞に付いていた伊予の国(愛媛県)の300人もの騎兵が、木ノ芽峠で雪の為、凍死したと、太平記巻17に記載されているとの事。

おそらく、伊予の河野水軍の騎兵だと想像出来る。

雪の犠牲になった中に、百島を含めた近隣界隈の者がいたかもしれない。

今から700年ほど昔の悲劇だか、雪に関して全く知識がない瀬戸内海の人間が、いきなり襲ってきた寒冷の雪中行軍は、地獄のように辛かっただろう。

合掌

その木ノ芽峠から、日本海側越前海岸に降りると、河野村(現在、南越前町)がある。

ルーツとなる先祖は、伊予の河野水軍という事で、河野という地名を残したという謂れがある。

それから、約100年後、南北朝から室町時代へと、河野水軍から派生した村上水軍が歴史上に登場する。

1441年には、嘉吉の乱が起こる。

赤松一党、播磨よりも西へと、桃島にも逃げ落ちる。

折り返し同時期、海の伊予の国から、海の無い近江の京極氏のもとに守備傭兵がやって来て、「百々」と名乗る。

この時に、桃島から百島へと地名を変えたのではないかと、憶測する。

その名付け親が、百々一族との傭兵ネットワークを目論見、企てたのかもしれない。

時が流れ流れて、江戸時代には、越前河野村界隈の舟乗りが北海道から瀬戸内海まで活躍、北前船の登場となる。

越前海岸の方言は、瀬戸内海沿岸と似たちょっと懐かしい響きがある。


十年後の夢。

2022年12月31日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今日は、2022年大晦日。

また一年、また一年、今年も無事に終える事に感謝。

そして、この拙なるブログを一読された皆様に感謝の一言。

人間、十人十色、百人百様。

自分を変える必要無し、機嫌を変えるだけで最善の道となります。

昨日今日は、我が家での年末大掃除ではなく小掃除。

ほんとうに、この一年に感謝。

お腹が空いたので、年越し蕎麦の前にトンカツをいただきました。

夜になって、NHKの大晦日恒例の紅白歌合戦は観ていません。

NHK BS の「TGRトランス・ジャパン (日本アルプス大縦断レース)2022」を観ています。

このレース、2年に一度、日本海側の富山県魚津の海岸から北アルプス、中央アルプス、南アルプスの3000メートル級の山々の嶺を上り下り太平洋側の静岡市の大浜海岸まで全長415キロを、タイムリミット8日間内の大激走の記録。

今回の優勝者は大阪の消防署勤務の土井さん40歳、記録は4日間17時間33分の大新記録、凄い❗

四連覇した絶対王者と呼ばれた望月さん44歳、素晴らしかった❗

このレース、初めてテレビで観たのが、ちょうど十年前。

人間の走る意味、心身の限界を考えさせられます。

眠気、幻覚、フラフラになるまでチャレンジ、参加する意味は、「自分を輝かせる」との事。

レースは、人生同様に危険、脱落、棄権者続出。

そして、ゴールした者の涙溢れる歓喜。

今回の参加者の最長年齢は、福井県敦賀市在住の62歳の方。

残念乍、体力の限界で上高地の第2関門まで辿り着けずタイムアウトで失格。

この方も、10年前のTGRを観たのでしょう。

涙が溢れて泣きながら「十年間の夢が終わった」と言っていました。

貰い泣き、よく頑張りました❗

人生で、何を残したのかな?

人生で、何を残したいのかな?

敢えて、高齢者に問いたい。

あなたの次の「十年後の夢」は、何ですか?

明日正月一日から、仕事です。

来年は、絵本のような故郷百島には、何度帰省出来るかな?

皆様の来る年が、笑顔溢れるよりよい一年でありますように。


女王陛下の嗅覚。

2022年09月11日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
エリザベス女王の国葬が、今月19日に執り行われると英国政府、王室の正式発表があった。

19日の英国国葬、日本では敬老の日。

気にかかるのは、NHKは特集番組を構成して、 番組変更とするのかな?

鶴瓶の家族に乾杯「尾道(百島)編❗は、番組延期となるのかな?

さらに気にかかるのは、英国国葬ヘ日本国天皇も参列する意向との事。

天皇が英国国葬に参列して、安倍元首相の日本国葬に参列しないのであれば、世界に向けてのドタバタ劇を演じているとしか思えません。

安倍家側から国葬固辞という話はないのかな?「しっかり聞く」という聴力自慢の岸田首相。

首相としての先を読む眼力、政治的な嗅覚はいかがなものか?

思うのに、有力政治家は、何を食べて、あのテカテカした艶のある顔肌になるのかな?

良心的な岸田首相、そんな顔色を窺うのが嫌なのかもしれません。

日本が臭いでは嫌われて、クサイ政治劇では敬遠されてしまいます。

日本から匂い立つような好い香りを。



ところで、馬主であり、愛犬家であったエリザベス女王。

愛馬の前では香水を身に付けなかったとの事。

ご自分が発する匂いに関して、女王陛下たる立場として非常に敏感だったのかもしれません。

エリザベス女王は、主食となるジャガイモ、パスタ、米も、食さなかったようです。

ニンニクもタマネギも食べなかったとの事。

卵は、白色はダメ、茶色の卵を食していたとの事。

一般人には、到底理解できません。

紅茶には、ミルクも砂糖も入れない。

イチゴ、白桃、チョコレート、サンドイッチが好物だったとの事。

毎年、女王自ら、一人一人に勲章を授与していたとの事。

食生活における陛下自ら発するニオイ、健康美に関して、相当気にかけていたのでしょう。

女王陛下は、96歳という長寿を全うされて、嗅覚の正しさを証明した事になります。


不文憲法の島国。

2022年09月10日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
「お母ちゃん、今、羽田空港にいる。テレビ点けて観てよ。もうすぐエリザベス女王の飛行機が着くからね。」

1975(昭和50)年5月7日午後、羽田空港の公衆電話から、百島の母ヘ電話した内容です。

母と同年代のエリザベス英国女王が、日本ヘ来る❗

大憲章マグナカルタ、シェイクスピア、ニュートン、精教徒(ピューリタン)革命、産業革命、蒸気機関車、クリスマスキャロル、王様と乞喰、ディケンズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、007シリーズの映画、後に、炎のランナー、ハリー・ポッターまで生んだ、七つの海を制覇、日が沈まぬと言われた大英帝国です。

さて、蒸し暑い日でした。

当時、上京したばかりの18歳の浪人生だった僕は、保ちゃんを誘ったけど授業があるという事で行けないとの事、一人浜松町からモノレールに乗って羽田空港ヘ。

英国連邦の元首というエリザベス女王という存在は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等々の女王でもあるのです。

英国連邦の女王の初来日、歴史的な1日のイベントに日本人として歓迎しないとね❗

羽田空港到着、タラップから降りたエリザベス女王は、さぞ驚いたかもしれません。

歓迎デッキで出迎えた一般日本人は僅か数百人? 多分、百人も居なかったかもしれません。

それでも、女王はこちらにタラップから手を振っていたのかな?

1926年生まれのエリザベス女王、初めて日本の地に降り立ったこの時、48歳か49歳。

人生半ば、エリザベス女王の生涯で最初で最後となる一度だけの来日。

東京、関西、伊勢という押し込まれたような日本滞在でした。

もう二度と来なかった日本訪問。

昨日、九月九日、重陽の節句の朝。

朝のトップニュースは、英国のエリザベス女王の死去(96歳)。

女王が、もっとも愛していたスコットランドの地で生涯を終えたとの事。

ロンドンのバッキンガム宮殿、ロンドン生活が嫌だったのでしょう。

今はどうか分かりませんが、特に夏季のロンドン街中にいると、鼻の中が真っ黒になりました。

鼻の中が黒くなるぐらい空気が汚れている生活環境からは、誰もが逃げ出したくなります。

英国の田舎暮らしが、世界中の金持ちからさえも憧憬の地としてステタースが上がったのも、当然必然の成り行きでしょう。

世界からは、かつての大英帝国から斜陽の国と呼ばれながらも、サッチャー首相、ダイアナ妃、クイーンマザー(女王の母)が活躍、話題となる時代でした。

極東の島国日本が日が昇るような存在感があった円高の時代です。

極西の島国英国は、斜陽の国と呼ばれていたポンド安の時代です。

共通するのは、島国気質と車の左側通行だと話していたエリザベス女王。

その存在感は、今ひとつ軽い存在でした。

それでも、英国ブランドは重厚感がありました。

サッチャーさんが去り、クイーンマザーも去り、ダイアナ妃も去り、その後、段々と重みを増すようになるエリザベス女王の存在でした。

人間長生きして、当たり前の事を言い伝え、行動すれば、尊敬に値する人生となることを示してくれた英国王室。

その規範模範となる女王の在位70年間、百年近い生涯でした。 

「君臨するが、されども統治せず」の女王陛下の国。

歴史上の人物になられた女王陛下に、合掌。

英国には、日本のような成文憲法はありません。

英国の凄さは、憲法という集大成の法律が無い国、不文憲法の国なのです。

中世に作られた大憲章、権利の章典など歴史的な文書、裁判の判例法、政治的な重要慣習
重要な法律等々が「英国憲法」となるのです。

日本を含むほとんどの国は、特定の憲法法規を持つ成文憲法です。

だから、容易に憲法を改正する国、憲法改正の声が挙がります。

これからは、国王陛下の英国、戦争を助長するようなキングダムになりませんように。

ふたたび、名誉革命が起こるような世界になりませんように。

不文憲法、日が沈まぬ理由が分かるような気がします。


COOL MOMOSHIMA❗

2022年09月03日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
個人的に今、気にかかるのは、2ヶ月半後のワールドカップサッカー。

スコットランドで頑張ってる旗手怜央選手が、日本代表に選ばれるかどうか?

日本ベスト8以上進出なるか? それには、旗手怜央選手が必要。

森保監督が名伯楽となるか、試されている。



NHK BS の「COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜日本人には気づかない日本文化の魅力を再発見!」という世界発信している番組、時々観ます。

これまた、百島ヘの取材ありとの事、メイン司会は愛媛県出身の鴻上さん、なかなか好いです。

イノシシの番組取材ではなくて、取材先は百島診療所だとの事。

テレビ各局が勢揃いの関東地方では、イノシシ被害関連で、ナント週に3回も、百島がテレビに登場していたとか❗

鎌倉に暮らす保ちゃんの所にも、あちこちから、今、百島がテレビに出ていると連絡が来るらしい。

百島を取材したテレビ番組、いろいろあるなぁ。

個人的に思い出すのは、30年ほど昔、あるテレビ番組で尾道に取材していた作家の志茂田景樹さん。

尾道の上流階級の奥様方とお茶会を楽しんだ後だったかな?偶然港で出会った野木丸、その野木丸に乗って百島まで行くのです。

野木丸に積んでいたプロパンガスを百島の桟橋ヘ積み降ろしを手伝った志茂田さん、時間の都合で、そのまま帰らなければならない志茂田さん。

一期一会の別れ際、何故か涙ぐんで百島を去った志茂田さんの姿が忘れられないロケ番組でした。

その後の志茂田さん、何故か名前通り、過激なファッションに身を包むようになりました。

百島ロケ、極楽遊園地に出演した藤村俊二さんが愛した百島。

テレビ局番組担当者の皆々様にお願いです。

「イノシシが海を渡って泳いで行きたいぐらい・・イノシシに愛される謎のハートランド、クールな百島」というぐらいのタイトルを付けて放送して欲しいなぁ❗

涙なしで、イノシシを駆逐出来ないのです。

さて、更にここ10年間、百島移住したキャプテンの波及効果もあり。

百島? 

「知っているよ」「聞いた事がある」という人間が、日本全国で増えているのは確かです。

次は、世界を目指しましょう。



百と百々の水脈流源。

2022年08月01日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
僕の故郷は、瀬戸内海に浮かぶ百島。

その百島の祖となる先人は、嘉吉の乱の後に逃げてきた赤松一族だと伝え聞いています。



嘉吉の乱(かきつのらん)とは、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を殺害し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。

僕の記憶では、それ以前の百島は、桃島と呼ばれ、桃島の北浦某が倭寇として、中国大陸で活躍したと、尾道市の歴史編遷の何かに記載されていました。

活躍というのは美化しすぎ、倭寇というのは、要するに大陸まで遠征して略奪を繰り返していた日本の海賊です。

海賊の始まりといえば、伊予の河野水軍です。

嘉吉の乱、1441年の頃、まだ村上水軍は、伊予河野水軍を主家と仰ぎ、配下として動いていました。

さて、百々(もも、どど、どうどう)という一族、姓、地域があります。

この名の始まりは、伊予の河野氏がルーツとなるのです。

しかも、時は、嘉吉年間。

百々氏は、嘉吉年間に伊予の豪族・越智通春が戦乱を逃れるために義父の京極高経を頼って近江に移り、小野庄百々村に住んで「百々盛通」を名乗ったことが始まりとされる。その後は京極氏に代々仕え、摺針峠の関所の管理を任されていた。戦国期には浅井氏に属し、浅井長政に仕えた百々隠岐守盛実が佐和山城の城代を務めた。浅井氏滅亡後は織田氏に仕え、京極氏の頃からの関所管理の役目を追認されている。一族の百々越前守綱家は織田秀信の家老となり、関ヶ原の戦い後は土佐藩主・山内一豊の請願によって6千石の築城総奉行として山内氏に仕えた。
(彦根市歴史編遷史)

この彦根の百々村というのは、水の音、轟き、等々力、あるいは百済寺の百から派生しているのではないかと想像は出来ます。

ただ、現在における日本各地に散らばる百々という地域名、姓名のルーツが、嘉吉年間に始まるという僕の個人的な推測、発見です。

嘉吉の乱の以前、既に室町時代は混乱状態でした。

赤松が統治していた播磨の国でも統治不能状態、こんな記述があります。

「播磨国の土民が、去年の冬の京都と同じように蜂起。国中の侍をことごとく攻める。荘園の代官や守護方の軍兵が、土民らに、殺されたり、追放される。一国の騒動としては、世にもめずらしい例であるという。土民らは、侍を播磨には必要なしと、乱世が来てしまったといえる。このため、播磨の守護である赤松満祐が、京都から出陣。納税者の土民(農民)は、「徴税者の侍はいらない」という宣言。もう1つの徴税者側の公家は、これを「乱世の至り」と表現するだけで、実行力がないので、赤松氏の出陣を見守っている。」
(公家中山定親、薩戒記の現代訳文)

つまり、土民(農民)の立場からすれば、室町幕府も侍も必要無いという宣言みたいなものです。

さらに、京では、万民恐怖政治を行う籤引きで選ばれた将軍足利義教が登場。

嘉吉元年1441年6月、播磨の守護赤松満祐は、その悪名高き将軍足利義教を暗殺します。

これが嘉吉の乱。

この事件が伝わると、国中で起こる土民一揆、さらに幕府の赤松討伐も遅れて大混乱。

それを治める為、地方の豪族は次々に徳政令を発します。

ついには、室町幕府も日本国中ヘ徳政令を発布。

これが嘉吉の徳政令。

多分、土民一揆の武力に対しては、海賊の民を利用するのがよいと考えたのが、当時の権力者の意図だったのでしょう。

近江の京極氏は、伊予河野氏ヘ援軍要請、百々氏の始まりです。

その伊予河野水軍、幕府から赤松討伐を命ぜられていたが、嘉吉の乱の後、宗家と分家に分かれ対立、衰退ヘ向かいます。

京の山名氏と細川氏と勢力争いを含めて、伊予、備後の海上警備警固の役割は、だんだんと村上水軍が主流となります。

嘉吉の乱を切っ掛けに、時代は、応仁の乱、戦国時代へと移り変わります。

さて、不思議なのは、嘉吉の乱によって逃げ延びた赤松一族が、何ゆえ、どのように、百島で安住出来たのか?

赤松氏は、元々村上源氏の流れを汲むと伝わります。

因みに、村上水軍と村上源氏の繋がりは、歴史が積み重なり複雑で全く分かりません。

一点に絞るならば、百島と百々との地下に脈々と繋がる情報ルート、水脈源に興味があります。

八月になりました。

時々、百島をシェアします。

ドキドキ、百島愛、百々愛に行きます。



前兆の物語。

2022年07月24日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百会倶楽部です。

今日の県民福井、東京新聞のコラムから抜粋。

『西遊記』の孫悟空が天界から追放されたきっかけは「桃」だった。孫悟空の天界での仕事は蟠桃(ばんとう)と呼ばれる桃の管理人。この桃には不思議な力があり、三千年に一度だけ熟すものを食べれば仙人になれる。六千年に一度だけ熟すものなら空を飛べ、長生不老の身となれる▼桃管理人の悟空さん、まじめに働いていればよかったが、この桃を勝手に食べるわ、「蟠桃勝会」なる桃の宴会に招待されなかったと腹を立てて大暴れするわ、とやりたい放題。天界の怒りを買い、結局、釈迦如来(しゃかにょらい)によって五行山に五百年にわたって、閉じ込められる▼その桃に長生不老の不思議な力はなかろうが、不届き者に勝手に持ち去られてはたまるまい。桃の名産地山梨県。高級品種「日川白鳳」「みさか白鳳」などの桃が大量に盗まれる事件が相次いでいる▼収穫前に畑に侵入し、まだ青い実をもいでいってしまうらしい。暑い日に寒い夜。丹精込めて育てた桃が持ち去られる。生産者にとってはわが子を連れ去られたも同じだろう。許し難い▼同県では桃に続いて今度は高級スモモの盗難被害も報告されているそうだ。季節に応じて狙いを定めているのか、どこまでも人を食った盗人である▼農家を泣かせる一味が悟空のように退治されることを願おう。桃の香りが漂う平和な「桃源郷」が盗みによって、「桃減郷」となってはしゃれにもなるまい。

先日、山梨県まで出掛けて参りましたが、ちょっと手を伸ばせば桃の掴み取りも可能、そんな桃の果樹園が延々と広がる地域です。

桃泥棒は、ダメです。

今日のコラムは、桃を食べて長生不老となる伝説とモモの時間泥棒を連想させるような内容に感心しました。

桃と百は、より善い「兆」となる共通性があるような気がします。

今は、茅の輪くぐりの季節。

悪疫退散、災難除、夏越大祓いの神事です。

全国の祇園祭も含まれます。

宮中行事においては、百官男女ヘのお祓い。

今に繋がる庶民信仰として、天下万民ヘのお祓い。

息を吹きかける人形代(ひとがたしろ)も登場。

最近、その由来を説明する神社も増えてきて嬉しくなります。

広島県、備後の国の風土記に登場する蘇民将来の子孫也が原典となります。

伊勢でも出雲でも高千穂でもなく、備後の国なのです。

水無月に行う神事なのに、茅という植物は、水辺に生えます。

そして、穢れを茅とともに百々という水に流します。

多分、備後国の桃という水辺または海辺がルーツとなります。

百と桃のより近い善き兆となる前兆の物語です。






百会倶楽部。

2022年06月15日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

先日、京都の丹後、兵庫の丹波をドライブ。

あの界隈をドライブするのは、楽しいです。

その途中に、一期一会倶楽部という看板を見つけました。

・・何かを思い出した感覚。

もう随分昔、20代の若い頃、社会に出て働き始めた頃の話に遡ります。

北鎌倉駅から鎌倉駅まで歩いた事があります。

もう、どのルートを歩いて通ったか覚えていませんが、途中に洞窟の洞穴のような入り口があって、入ってみました。

銭洗い弁天という場所でした。

お金を洗うと、お金が貯まるというご利益が有るとの事で、その通りにしました。

当時は全く先入観が無くて、今はとても有名な場所です。

その銭洗い弁天を後にして、テクテクと歩いて鎌倉駅まで目指したのですが、その途中に今尚記憶に残るのが、一期一会倶楽部という看板でした。

「一期一会」・・一生に一度きりの出会いかな?

鎌倉駅に着いて、駅前の「扉」という喫茶店で一服。

その後、当時暮らしていた東京の調布のアパートヘ帰宅。

あの日を振り返れば、何か予期せぬ未来ヘの扉とその伏線となる個人的な不思議な一日でした。

あの日、東京に戻ってからの生活・・ほとんどお金を使わない日々となりました。

職場の上司から、取材は日中、その打ち合わせ、編集会議、その時間がほとんど外出先の夕方過ぎにと変更指示があったのです。

つまり個人的な遊興費を使う時間がない代わりに、仕事として打ち合わせ食事代もほとんど経費として領収証を貰うことが日常となりました。

その上司は、僕が瀬戸内海の小さな貧しい島、百島から上京、苦学してマスコミの世界に入ったと同情してくれたのかもしれません。

カメラも文具等々、ほとんど必要経費として、会社費用で購買。

外出先がない日にも、必ず昼食も夕食も御馳走になりました。

それから数年、お金を使う事がなかったので、ある程度のお金が貯まりました。

当時、友人だった朝日新聞記者の高額給与よりも、僕の給与は少ない額でしたが、支出が無い分、僕の方が余裕があったような気もします。

その後、1年間の休職期間を希望取得、英国に渡りました。

その1年後、もう日本には帰国したくないという気持ちになり、退職。

それから2年、約3年間ほど海外でブラブラと遊学。

その生活資金の貯えは、今でも銭洗い弁天とT上司のお陰様だと感謝しています。

余談ですが、日本三大弁財天は、神奈川の江の島、琵琶湖の竹生島、広島の宮島にあります。

いつか、百島も著名な弁財天になりますように❗

因みに何の縁なのか、今暮らす福井の我が家からの東京調布までの距離、広島尾道までの距離、その直線距離は、ほぼ同じ距離となります。

二等辺正三角型の頂点に、福井が位置しています。

東京、福井、広島の三拠点生活が、僕の理想かも?

一期一会・・人生で一度きりの大切な出会い。

再び出会った一期一会倶楽部。

これからの人生、百ほどの大切な思い出があっても善いでしょう、ありますように。

百会倶楽部を立ち上げます。


百島、大健闘❗

2022年03月31日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

「広島県の行きたい離島人気ランキング」。

明日(4月1日)で人気投票締め切りですが、今日(3月31日)7時現在、驚くべき事に第1位です。

残すところ、今日明日あと2日、人気投票の結果はどうあれ、大健闘です❗

元気が一番、有難い事です。

今日の選抜高校野球決勝選に進出した優勝候補筆頭の大阪桐蔭高校に挑む、近江高校(代替出場から)の奇跡の大活躍とイメージが重なります。

百島に1票を投票して頂いた皆様へ。

十二分、気持ちが伝わりました❗

ありがとうございます❗

感謝です❗

 

 

 


世界一大好きな島。

2022年03月29日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今、「広島県内で行ってみたい離島の人気ランキング」が行われています。

離島の王者、離島の聖地は、どこか?

現在、全国区では無名に近いわが百島は、厳島(宮島)を抑えて大奮闘の第2位。

因みに、現在第1位は、因島。

個人的な意見ですが、メディアにもよく登場する全国的に有名な因島には、しまなみ海道の橋が架かり、本来離島と呼ぶのは邪道とも考えます。

百とは、一(始まり)の日と書きます。

百島あいに、清き1票を❗

人気投票は下記HPアドレスにて、投票締め切りは、4月1日です。

https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/632537/

余談ですが、大陸と島の区別、違いの定義は無いようです。

全て四方から海に囲まれているからです。

世界一大きな大陸は、ユーラシア大陸。

世界一小さな大陸は、オーストラリア。

世界一大きな島は、オーストラリア。

もしくは世界一大きな島は、グリーンランド。

世界一大好きな島は、百島を駆け巡る時です。