今週末は、大型クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」見物と富山まで出かける予定でしたが、右肘の痛みが、右手まで痺れてきました。
もしかして、血栓が出来て、脳梗塞になるのが心配で、一昨日の夜、急遽、大きな病院の「夜間救急外来」へ。
赤ん坊からお年寄りまで多勢の患者さんの受診待ちでした。
元々は、もっと生きたい命なのです。
大人も子供も、死にたくなるような命にならないように。
大事に至らなかったです。・・ヨカッタ!
それで、家の中で、ずっとテレビを観て、新聞を読んでいます。
今朝は、青空。
秋の涼やかな風が吹いています。
今朝の地元福井新聞のトップ紙面は、昨日福井県に初寄港した大型クルーズ客船のニュースでした。
福井県は、今後、観光客誘致の大きな目玉として全面的な支援をするとのこと。
・・船は、いいね。
高校3年生の夏休みに、貨物船に乗って、横浜港から太平洋を北上、北海道納沙布岬、知床半島をぐるり廻って、網走港まで、乗船体験したことを懐かしんでいます。
九月になって、子供たちは二学期。
「学校に行くのが怖い、いじめられるのがツライ」という痛々しい子供の声、そんな子供の自殺に関わるニュースも観ていました。
・・健全な社会とは、どんなものなのでしょうか?
一昨晩、日本のサッカー代表がオーストラリア代表を破り、連続6度目のワールドカップ出場を決めた歓喜。
・・彼らには、どう映ったのかな?
「死にたいぐらいならば、学校に行かなくてもいい」という声も、大人から聞こえてきます。
そう、正論です。
学校に行かなくてもよいのです。
ただ、その不登校の子供たちが、社会人となる成人になった時、同じことが言えるのでしょうか?
「死にたいぐらいならば、仕事に行かなくてもいい」・・と言えるかな?
長い引き籠りになって、親が亡くなっても、彼らの生活が成り立つ社会が必要となります。
現政権の政策アベノミックスでは、「経済が豊かに成れば、国民全体が豊かな生活になれる」と、いつまでも道半ばのアピールです。
悔いの少ない社会、生活でありたいものです。
大人になっても、世間の雑音に惑わさて、自分を見失うこともあります。
周囲からの攻撃が激しくなれば、その重圧が苦しくなることもあります。
世の中という世間を気にすぎると身を滅ぼすことになることもあります。
入りすぎると、溺れます。
昨晩、夜23時からのNHKのEテレビ「映画監督大林宣彦の遺言状」を観ていました。
思い出せば、40年昔の夏、大林監督のデビュー映画「HOUSE」を観て、不思議な感覚を味わったものです。
その後、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作を次々に公開
(写真提供:NHK etv)
尾道出身、末期の癌と闘う大林監督のおそらく人生最後の集大成となる作品「花筐」(原作檀一夫、今冬公開予定)の制作過程、風景、軍医として戦地を駆け巡り、その後、尾道で町医者をしていた父のこと。
監督自身が、故郷尾道を多く語るのは何度も観ましたが、御自分の父親への想いを多く語るのは、初めて観ました。
反面、故郷尾道への想いを語らなくなった大林監督の無政府主義者のような深い想いを考えます。
「青春は。戦争の消耗品ではない」というセリフがありました。
大林監督は、「怯えることが大切だ」とも説いていました。
ぼくが、小学校1年生の時、村上医院で麻酔無しで「扁桃腺」を切ってもらったことがあります。
両腕を二人の看護師さんに抑えられ、あの時の痛みは、恐怖そのものでした。
そして、この歳まで助けてもらったのだと感謝しています。
あの時、切除してくれた担当のお優しい先生が、大林監督の御父様でした。
九月、秋。
秋は、月。
そして、まもなく紅葉の季節です。
以前、あるサービスエリアで、突然、見知らぬ若者から「世間は、紅葉、紅葉に行くと言ってますが、紅葉って場所は、どこにあるのですか?」
・・と、訊かれたことがあります。
今になって思うと、「その世間って、誰ですか?」と訊けばよかったと思います。
(写真提供:NHK etv 「花筐」のワンシーン)
昔の子供たちは、三日月になると、満月が待ち遠しいものでした。
満月になる十五夜の晩は、飾った団子を盗んで食べてもよかったのです。
家の人は、そんな子供も見て「お月さんが、やって来た」と喜んでいた日本の風習がありました。
今の子供たちの心には、「月があっても、満月はない」と言うことなのでしょう。
映画「花筐」・・観たくなりました。
(写真提供:NHK etv 「花筐」のワンシーン)
月を見上げましょう。