百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

恋愛パワー・スポット

2014年04月30日 | 百伝。
百島の泊から見える横島と田島(福山市内海町)を結ぶ睦(むつみ)橋が、恋愛のパワースポットとして全国に売り出しているようです。

昨日は、昭和の日。

午後に、NHKのラジオを聴いていると、内海町から全国放送されていました。

タイの形をした田島とヒラメの形をした横島が、仲睦まじく睦橋で、チュッとキスをしているように見えることから、秘かに恋愛のパワースポットといわれる竜宮島だと宣伝していました。


(写真提供:内海町観光協会)

なかなかの宣伝企画力です。

ぼくらが高校生の頃は、横島と田島は、お互いに仲が悪くて、今は、きっと両島が、相思相愛になったのでしょう。

横島と田島を合わせて、全盛期には人口が9000人ほど暮らしていたとか・・現在の人口は、二千数百人だそうです。

橋が架かっても、過疎の現状を打破しようと・・がんばっている姿、声が、ラジオから聞こえました。

がんばってほしいなぁ。

昨日は、睦橋から「愛を叫ぶ」企画もあったようです。

勿論、恋愛成就のためには、百島に向かって叫ばないとね・・!!

だって、百島は、愛溢れるハートの形をした島ですからね。

象頭

2014年04月28日 | 千伝。
象頭山と言えば、海上交通の神様である金毘羅宮(こんぴらさん)鎮座する四国の香川県にある山。

♪金毘羅(こんぴら) 船々
追い手に 帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん)
いちど まわれば

♪金毘羅石段(いしだん) 桜の真盛(まさか)り
キララララ
振袖(ふりそで)島田が サッと上(あが)る
裾(すそ)には降りくる 花の雲
いちど まわれば



♪金毘羅み山の 青葉のかげから
キララララ
金の御幣(ごへい)の 光がチョイさしゃ
海山雲霧(うみやまくもきり) 晴れわたる
いちど まわれば



♪お宮は金毘羅 船神(ふながみ)さまだよ
キララララ
時化(しけ)でも無事だよ 雪洞(ぼんぼり)ゃ明るい
錨(いかり)を下(おろ)して 遊ばんせ
いちど まわれば

そう言えば、讃岐平野って、象の頭のような山が、ポコポコと、ニョキニョキと生えているような風景ですね?!

象って、死ぬまで大きくなるそうです。

だから、象の群れの中で、いちばん大きいのが、年長の象だとのこと。

象頭の神と言えば、商売の神さまと学問の神さまです。

つまり、政治の神様でもあります。

この頃、安倍内閣・・どうなったのでしょうか?

安倍さん・・嫌いではありませんが、ちょっとオカシイです。

自民党幹事長が「国会議員の生活が困窮する状況は如何なものか?」と言ったとか。

そして、国会議員の歳費20%割カットを、今月で中止するとか?!

これは、東北復興のために国会議員が、自ら削ったものでは?

それから、経済成長を見極めて、一般社員まで含めた残業代ゼロの労働時間制度を提案する安部政権。

・・まず公務員から実施すべきでしょう。

国民に約束した国家議員の定数削減は、どうなったのでしょうか?

それが出来ないならば、国会議員の定数を千人ぐらいに増やして、国会議員の給料を50%以上のカットすればいいのに。

靖国神社への参拝が、国を豊かにして、日本を誇示するのは、簡単なことです。

努力もせずして、世界から立派な国だと認識されるならば、どんどんと参拝すればよろしいでしょう。

日本の覇権とは、何ですか?

集団自衛権・・日本を守ることは、非正規社員、フリーターの若者を多くする国家社会ですか?

国家事業に関して、内閣も国会議員も、自分の仕事を派遣業務だと思っていませんか?

人間の頭は、象の頭よりも、弱いのですか?



百獣の王ライオンよりも強いかもしれない象・・その天敵は、小さな鼠です。

どうぞ、足元を噛まれませんように。

ココサカエル。

2014年04月28日 | 千伝。
東北地方は、魅力いっぱいです。

・・と書いても、あの3.11の大震災・大津波の傷跡を見ると、何と表現していいものか?

青森県・岩手県から茨城・千葉県までの長い太平洋沿いに、悉く津波が襲ってきたことを考えると、空恐ろしくなります。

小さな海岸の集落は、どうなったのだろうか?・・と想像を巡らします。

ほんとうは、宮城県気仙沼の沖合にある大島という離島に行きたかったのですが、時間的に諦めました。

岩手県大船渡を抜けて陸前高田に入ると、巨大な長架橋のようなベルト・コンベアが威容な姿を映し出していました。



地元の方が「復興には、あと5年かかる」とおっしゃていましたが・・福島は含まれていません。

また、いつか、必ず襲ってくるであろう近未来の大津波に、どんな復興があるのでしょうか?

陸前高田、南三陸、気仙沼・・。



ここに建物があって、人が暮らしていたはずなのです。

JR気仙沼線の崩壊した鉄橋です。



仙台に向う復興された鉄橋です。



帰福途中のサービスエリアに掲げられた日の丸の旗。





福島県会津にある宝の山・・磐梯山。



忘れられない風景があります。

被災地にポツンと建てられていたプレハブ。

・・きっと、忘れない。



ここさ、帰る!

・・いいえ。

ここ、栄える!

東北がんばれ!

2014年04月28日 | 千伝。
一昨日、体重が87キロへと減量となったので、身体が軽くなりました。

身体が軽くなったので、今のうち行けるところまで「行こう!」と思いつきました。

桜前線を追いかけるように、息子の車で「東北をぐるり」と周って参りました。

富山の立山連峰、新潟の妙高山、山形から秋田へ向う途中の鳥海山・・いいね!

帰路の宮城の蔵王、福島の会津磐梯山も・・宝の山です。





行きは、日本海側を北上しましたが、鳥海山界隈と秋田市内でウロウロしていると、あっというまに時間が過ぎて、青森県の弘前に入った頃には、真っ暗になっていました。



それでも・・沢山の人出でした。

桜のトンネルを通り抜け、弘前城界隈の夜桜見物。



この界隈の住宅は、ほとんど一律千円で駐車のスペースを提供しています。



この時季は、いい臨時収入になるみたいです。

弘前は、昭和61(1986)年に訪問しましたから、28年ぶりでした。

あの時は、開通したばかりの新幹線に乗って、東京から新潟まで行き、新潟から電車で東北ぐるりと周りました。

それから、太平洋沿いの岩手県から宮城県のある地域に行って参りました。

地震、津波によって、その地域では、老若男女155名の方が亡くなりました。

東北復興の鍵は、一人でも多くの観光客が来て、物見遊山でもよいから「ここに来て見て欲しい」という地域の方からのメッセージでした。

今、目がチカチカします。

体重も89キロにりバンドしています。

遅ればせながら、東北の被災地を訪問させていただきました。

「がんばれ!東北」という言葉に、どう向き合えばよいのか?

・・つづく。

百島の潮干狩り

2014年04月22日 | 百伝。
潮干狩りという言葉は、郷愁があります。

でも、その郷愁にも制約があるようです。

ぼくの幼い頃の記憶です。

かつて、百島の人口が三千人近くいた頃、砂浜には、毎日毎日、多勢の人が、うじゃうじゃと貝(きゃぁ=あさり)を掘っていました。

貝が、百島の主食だったとは言いませんが、食の糧として重要な部分を占めていたようです。

毎日毎日、掘っても掘っても、貝は、うじゃうじゃと・・繁殖していた不思議な事実です。

そして、その百島の貝が、じつに美味かった。

かつてのシルバーオックスの創業者・西崎保三さんも、新春のテレビ番組の中で「百島の貝は、日本一美味しいんです」と言ってました。

ぼくの父も、百島の貝のことを同じように「日本一、美味しい」と言ってました。

ぼくも、子供の頃、食べた百島の貝は、非常に美味しかった・・という記憶があります。

おそらく、いまの百島の貝とは、別格の味覚が備わっているような気がします。

貝というのは、掘れば掘れほど、少なくなるのではなく、増えるという不思議な生態機能があるようです。

子供の頃、いつでも、どこの砂浜に行っても、貝を掘ることができました。

当時、百島漁業協同組合が制約したことがなく、自由に潮干狩りが出来ました。

百島漁業組合が、お隣りの浦崎漁業組合と合併して、「浦島漁業協同組合」になりました。

それ以降、百島の浜辺は、「浦島協同漁協の管理区域だから、潮干狩りは制約されている」とのこと。

つまり、漁業組合員の方以外の一般人の方は、自由に貝を掘ることが出来なくなっているようです。

今、百島で、漁業専従者は、いらっしゃるのでしょうか?

そう言えば、亡くなった叔父は、漁協組合員に登録しているとか言ってました。

貝は、掘らねば増えない、味もよくならないのに・・。

百島の浜辺なのに・・。

百島に暮らす人間が、浜辺のゴミ拾いをしているのに・・。

・・不思議です。

浦島漁業協同組合の方は、百島の浜辺で、どんな豊かな漁場作りをしているのでしょうか?

「漁協の管理区域」という権利の主張は、法律上、どこから生じているのでしょうか?

漁業組合員ならば、自由に潮干狩りが出来るのでしょうか?

では、漁業組合員になるのには、どんな手続きが必要なのでしょうか?

まさか、世襲制ではないと思うのですが・・。

百島では、週末芸術、週末農業は可能ですが、週末漁業も、週末林業も、可能になって欲しいものです。

週末(ウィークエンド)の過ごし方、百島の潮干狩りは、郷愁を感じます。

今日の百島ニュースの焦点でした。

猿田彦さん

2014年04月20日 | 百伝。
今朝、導きの神とか、道開きの神とか・・そんな謂れのある猿田彦さんに出会うことができました。



先日、満月の日・・福井市郊外の限界集落化された地域まで出かけました。

子供が一人もいない・・住み着いていたのは、数年前、世間を騒がせてニュースにもなったパナウェーブ研究所という白装束の宗教団体でした。

地域にある小学校が廃校になるという事は、30代、40代の若い夫婦世帯の家族が、その後、住まなくなるという過疎の現実を突きつけられるということでした。

子供への教育環境・・それほど、小学校という存在は、地域の大事な重点項目なのです。

百島に仕事を創るよりも、百島に学べる教育機関があること。

労働環境よりも、教育環境を優先するのが、日本の家族、日本社会なのです。

百島小学校、百島中学校が、廃校なり、休校なり・・そうなると、現実的な悲しいニュースになります。

つまり、小学校もない場所で、一般的な若い夫婦世帯の家族が暮らす理由がないという悲しい現実です。

近未来の百島が、ほんとうに無人島になるという可能性も、非常に大きくなるのです。

少子化というのは・・人がいなくなるということ。

・・日本全国、子供が少ないです。

地方の都市部の中心さえ、ドーナツ化現象で、子供の姿をあまり見かけなくなりました。

今日は、近所の神社のお祭りでした。

だんだんと、こじんまりとした祭りになっています。



神輿を担ぐ子供たちも、数えるぐらい少ないです。



幸いにも、その先頭を歩く「猿田彦さん」に元気があったのが何よりです。



百島の氏神様へ・・猿田彦さんよ、あらわれよと。

百年の孤独

2014年04月18日 | 千伝。
1982年(昭和57年)にノーベル文学賞を受賞したガブリエル・ガルシア・マルケス氏が亡くなったというニュース。

彼が世に送り出した「百年の孤独」という著名にも魅かれて、今でも、読み始めた時のことを思い出します。

20世紀最高レベルの世界的なベストセラー「百年の孤独」の読後感・・。

とある村を建設した、とある一族の百年における現実のような、神話のような、幻想的な壮大な物語。

百年という時間の流れは、永遠のようでもあり、刹那そのものであることを教えられた小説。

まるで、「蜃気楼」そのままの世界でした。

それ以降、無理して自分の小説を書く必要も、その意欲も無くなったのを思い出します。

ぼくが、25歳の時でした。

そして、だんだんと、ぼくの心身という人生は、肥満体へと・・歩んでしまいました。

・・百年の孤独。

それにしても、そのタイトル名だけでも魅了されます。

痩せる想いで、再読してみようかな?

天空の島

2014年04月17日 | 百伝。
百島のなかにある「幸せ」を見つけませんか?

そして、その「幸せ」を届けに行きませんか?


(写真提供:百島ネットワーク)

百島・本村港から、向いにある境ガ浜マリーナへ、カヤックで、いざ出陣。

春霞一光

2014年04月16日 | 千伝。
今日は、ミニ・ツーリングで散策しました。

よい天候・・ちょっと日焼けしたかなぁ。

バイクに乗っていると、長生きするような気がします。

今日は、福井市郊外にある「一光」という山間の集落まで出かけました。

福井に暮らし始めた頃、職場の走ろう会(マラソン同好会)に入会させて頂きました。

その時に知り合った先輩のTさんが、「ぼくは、福井市のチベットと言われるような山奥に生まれ育ったけど、いい所なんだ。遊びに来てよ」と御誘いを受けたことがありました。

そんな昔を思い出しながら、久しぶりに、また、その場所へ行きたくなりました。

市街地から、その福井のチベットと言われる場所まで、ミニバイクで、約1時間・・そんなに遠くはないのですが、かなり山の奥深くまで入ります。

こんな高い所まで登って、トンネルに入ります。



トンネルを抜けると、一光町という集落に入ります。

越前海岸にも、福井市街地にも、通じる狭かった山道も、拡張されていました。



市街地では、桜は散り始めていますが、一光では、桜満開でした。

そう言えば、この近くに五太子の滝があったことを思い出して行って参りました。





一時、この地域も、福井市行政も、この滝を中心として、観光地化しようと力を入れていたのですが、「活性化」に失敗しています。

当時の気合いが入った道案内の看板も錆びた状態で、まったく案内文字が読めません。



増々、過疎化、限界集落化した様相を呈している感があります。

それでも、チベットというよりは、ぼくにとっては、桃源郷のような場所でした!

でも、桃源郷には、何故か、子供がいなくなります。

かつての福井市立一光小・中学校です。



廃校ではなくて、休校だと言ってましたが、いつになれば、子供が通えるように再開できるのでしょうか?

かつてのグランドは、草ぼうぼう・・でも、独り占めしたかのように桜満開、満喫しました。





帰り道、この地域の美しさに感嘆しながら、「活性化」って何だろう?・・と思い始めました。



どこも、かしこも「村おこし」「町おこし」「○○市の活性化」「○○県の活性化」、さらには「日本の活性化」です。



活性化とは、元気になること?

活性化によって、どういう風に、人は、幸せになれるのでしょうか?



昔、家族で、BBQをよくした場所まで、やって来ました。



もう、鯉のぼりが泳いでました。



今日は、ミニ・ツーリングを楽しんだ午後のひとときでした。

春霞の風景もなかなか好いものです。


尾道 桜くず湯

2014年04月16日 | 千伝。
ダイエット中です。

今朝、体重計に載って、測ってみると、ナント・・89キロ。

90キロを切って、気分爽快です。

友人からイチ押しの「霊芝」、それから、玉ネギを中心とした野菜生活です。

持病の心臓のお薬・・ちょっと怖いかなぁ。

とにかく、痩せないと・・。

朝は、「桜のくず湯」を飲んでみました。



製造元は、尾道の栗原にある織田製菓?・・知らないけど、尾道産ということで、買ってみました。

なかなか、美味です。

さて、午前中、五月の勤務表作成・・ゴールデンウィークが絡むから大変です。

午後から、学費やら固定資産税やら・・銀行へ振込み・・。

投資意欲も減退・・ぼくの臍繰りも細ります。

郊外へ、ミニバイクでツーリングでもしたいかなぁ。

天気もいいし、心も晴れ晴れです。

ダイエット中です。

花筐物語

2014年04月14日 | 千伝。
紙神の物語でもあります。



はながたみ・・能の曲名。
四番目物。
狂女物。
世阿弥作。
クセは観阿弥作曲の《李夫人の曲舞(くせまい)》。
シテは照日前(てるひのまえ)(狂女)。
春・越前の味真野(あじまの)に住む照日前(前ジテ)のもとへ,
大迹部(おおあとべ)皇子の使(ワキヅレ)が来て,皇子の文と花籠を届ける。
皇子は皇位の継承者に決まって都に向かったのである。
即位をして大和の玉穂の宮を皇居と定めた継体天皇(子方)は,警護の官人(ワキ)たちに守られて紅葉の御遊(ぎよゆう)に出かける。
(コトバンクより、抜粋)

今日は、その舞台となった味真野の花筐(かきょう)公園に行って参りました。



散り始めた桜が、美しかったです。



その花筐公園の隣りに、紙(越前和紙)の神様と言うべき岡太神社があります。

その越前和紙、1500年の歴史、伝統があります。

越前の国出身となる継体天皇(現在の皇室の祖)の時代です。

紙の王者と呼ばれる越前和紙は、正倉院に、西暦730の年号を記した越前和紙が、保管されているのです。

当時から、越前和紙は全国でも有力な産紙国の一つだったことは間違いないようです。

最近では、横山大観、東山魁夷、平山郁夫画伯、そして、ピカソも、越前和紙を使っていました。

第1次世界大戦終結後、会議は踊るで名高いベルサイユ条約締結に用いられたのも越前和紙です。

古代、紙というの存在は、超高級という代物でした。

紙の神様が祭られている岡太神社です。



・・この続きは、いづれまた。

龍馬の手紙

2014年04月13日 | 千伝。
江戸時代末期、薩長同盟、大政奉還の立役者と言われる坂本龍馬が暗殺される直前に、土佐藩の重臣後藤象二郎へ宛てた直筆の手紙の草稿が見つかったという「龍馬の手紙・・大発見」というニュース。

その手紙の内容は、大政奉還直後、暗殺される直前・・龍馬は大急ぎで福井まで行き、三岡八郎(後の由利公正)と会談、そして、新政府の財政担当者として、三岡八郎しかいないという進言・推薦を手紙に認めているとのこと。

坂本龍馬という人物は、手紙を書くことに非常に熱心で、その内容もユニークです。

龍馬は、二度、福井へ訪問しています。

初めて、福井を訪問した際、福井藩から五千両という大金を借用しているのです。
(当時の福井藩の年間予算額だとか、現在に換算すれば約11億円だとか・・よく判りません)

五千両という大金を手にした龍馬・・気も大きくなるはずです。

福井から京に戻った龍馬は、早速、土佐の姉に、あの有名な文面を書いた手紙を送っています。

「・・日本を洗濯せし候」。

今回、発見された手紙で、龍馬は「新政府の財政運営をどうするか、構想を練っていたとか、人を見る目があったとか」・・高い評価を受けています。

福井藩の立場から言わせていただくと、「龍馬は福井に大きな恩義がある」ということです。

五千両という借金を踏み倒した龍馬という人物を「福井が風雲児に育てた」ということです。

因みに、龍馬が推薦した三岡八郎という人物・・福井藩士時代は、橋本佐内と切磋琢磨。

なかなかのアイデアマンとして、藩の財政を担当、福井の醤油や生糸を集めて、長崎からヨーロッパに輸出しています。

莫大な利益を上げて、福井藩の財政を立て直しにも成功しています。

明治維新後、由利公正と名乗り、五箇条の御誓文を起草します。

その後、東京府知事として、銀座に煉瓦作りの建物を並べて、欧米並みの通りへと日本初の区画整理、現在に至る「世界に誇る銀座」の発展基盤を創出しました。

三岡八郎(のちの由利公正)・・我が家の近所から輩出しています。

福井の誉れです。

龍馬、最後の手紙の大発見・・大金五千両以上の価値があります。

百島に問う。

2014年04月11日 | 百伝。
日本全国・・限界集落は、増加の一方です。

・・わが故郷の百島も然り。

いつのまにか、人が消えて、集落も消滅する現代の日本社会の縮図です。

総務省が、限界集落、過疎対策の一環として、支援員制度というものを導入しているとのこと。

支援員は、地域での意識調査、声掛け運動、農産物の販売、草刈り、行政とのパイプ役等・・その活動も幅広いとのこと。

また、総務省は、都市部から過疎地に移り住んで、農業や高齢者の生活支援をする「地域おこし協力隊」の派遣事業も展開しているとのこと。


(写真提供:百島ネットワーク)

目の前に見える百島から
カヤックを漕いで来る人がいる。
このカフェへ。
百島を眺めるために。
尾道・境ガ浜マリーナ内(カフェ・爽風Cafe)にて。

百島は、賑わいのある生活を求めるべきなのでしょうか?

百島は、静かなる安心生活を求めるべきなのでしょうか?

百島には、今後それぞれの異なる答えに応じる様々な人材・・キャプテン、ツトムさん、ハンダさんの各々の生き方(存在感)も必要となります。

百島の過疎問題は、日本の未来を問う最前線の問題でもあるのです。

今日の百島ニュースでした。

真面目な介護最前線

2014年04月11日 | 千伝。
桜前線・・今日は散るまえに足羽川の土手沿いを、けいりん場の桜並木まで散策して参りました。



散策しながら、昨日の院内会議の内容と今後の私案を考えていました。

それと、社会保障論・・次のテーマの課題文の草稿準備も考えていました。

・・社会保障とは、何だろう?

現在の日本社会の介護最前線の状況も説明すると・・ぼくの仕事の立場から説明します。

以前、昭和ヒトケタ生まれの方が、要介護状態になり入院患者さんも増えた・・と書いた記憶があります。

最近、昭和10年代生まれの方の要介護、入院患者さんが増え始めています。

考えていた以上の速いスピードでの増加です。

あと10年後の2025年問題・・即ち昭和20年代の団塊世代の要介護、入院患者さんも圧倒的に増えるという現実です。

まずは、とても気にかかるのが老々介護の大増加です。

その時点で、交通弱者となる身内、ご家族への配慮が必要なのです。

介護部署の責任者の立場として、「患者さんの洗濯物、ティシュ、おしりふき等の雑品は、ご家族自ら持参して頂きたい。そして訪問見舞い回数を増やして欲しい」という前提条件でのメッセージを発信して、お願いしているのですが、その約束事が崩れてゆく状態になっています。

まずは、身寄りとなる子供が県外の都会に暮らしていて、お世話をする若い身内の方がいないというケースが増えています。

そういう場合になると、逆にお願いされて、散髪を含めて、全て我々のサイドで用意、サービス提供となります。

ぼくの暮らす場所は、都市部と農村部の両方の生活面を垣間見ることが出来ます。

「他の施設、病院は、全部してくれたのに」という頼みごと、苦情が増えているのも事実です。

「洗濯物も持って帰れないのか?」と言いたくなる家族に限って、ほとんど来なくなります。

現代版の「姥捨て山状態」が、現実なのです。

「いくらでも金を出しますから、(すべてのサービス提供を)そちらでお願いできませんか?」という老々介護。

それが出来ない貧しい老々介護となると、・・ツライものがあります。

また、老々介護ではないけど、いつのまにか洗濯物も持ってこないで、着替えも何にも無い放置状態の患者さんもいます。

すべて、我々の貸出サービスです。

今まで、何十人もお見送りをしたので、「死」という別れが日常的にも鈍感になっているのも事実です。

でも、今の寝たきりの患者さん、要介護者の皆さん・・幸せかもしれません。

今は、ぎりぎり最低限の介護が保障されて、ちゃんとお見送りできるからです。

でも、十年後の日本の介護社会・・。

全く、ベッド数が足りないのです。

全く、介護従事者が足りないのです。

親の看取り、または70歳すぎての伴侶の看取り・・最後まで24時間在宅介護できますか?

365日間24時間体制の訪問介護従事、または、そのビジネスできますか?

・・誰がするのでしょうか?

誰もが介護されるという社会保障が済し崩しになる可能性が高い・・十年後の日本社会なのです。

足腰鍛えていないと・・自転車競輪場前の桜を愛でながら今日考えたことです。

百島へ 神話の源流から

2014年04月10日 | 百伝。
今日の百島のニュースは、神話の源流地・高千穂を構える宮崎県からです。

(日本観光ポスターコンクール・インターネットの部、人気1位獲得)

宮崎県にお暮しの佐藤智敏さん(本村出身)も、また故郷百島への熱い想いをお持ちの方です。

もし、百島が、九州・宮崎から距離が近いならば、きっと、百島で週末農業をされているのに違いありません。

そういう百島出身の方・・案外多いのではないでしょうか?

実は、ぼくも、そうなのです。

今尚、百島産の玉ねぎ、大根、キャベツの美味しさが忘れ難く、無理して、百島から時々送ってもらうことがあります。

スーパーマーケットで買うモノとは、源流となる味覚が違うのです。

さて、宮崎で週末農業研修生と自称する佐藤さんの畑を紹介させていただきます。

遊び心で、スイカ栽培に挑戦するとのこと。

家庭菜園では少し広めの畑。発想の転換して今朝は菊の苗を株分け、畝を3本作ったとのこと。

次は、ホテルのロビーに切り花を飾ろうと今日は花の種を買ってこようと思うとのこと。
今日も良い一日でありますように!!

・・ありがとうございます。

舟は自力で、船は動力を意味しますが、自力の家庭菜園としては、ほんとうに広いですね。

将来、この広さの10分の1ぐらいでもよいですから、百島で玉ねぎを栽培してみたいですね。

今後共、いろいろと栽培方法、収穫方法を教えて頂きたいものです。

今日の百島ニュース・・「神話の源流」宮崎県からの報告でした。

(日本観光ポスターコンクール入賞・・今日は、どの神様に、会いにいこう。)