百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

これからの感動。

2013年02月27日 | 百伝。
日本感動大賞事務局から、最終結果通知が届きました。



46/2546・・46作品の最終審査まで残りましたが、残念乍、大賞及び金賞には及びませんでした。

でも、何かホッとしています。

安全旗を振る男・・旗手のおじさん。

地球診療所・・百島診療所物語。

・・ごめんなさいね。

賞金百万円を貰ったら、どうやって分けようかという楽しみが、消えました。

皆さんは、これからも、どこかのメディアに取り上げられると思います。

皆さんの人生物語は、伝説となり、いつか神話になると思います。

皆さんの事を考えると、元気がでます。

感動を・・ありがとうございました。

明るい方へ。

ヨカッタ!

二、二六 書き方研究

2013年02月26日 | 百伝。
1936年(昭和11年)2月26日早朝、昭和維新を掲げて、陸軍皇道派の青年将校らが、何も知らぬ千数百名の初年兵を率いた。

大雪になった首都東京の主要閣僚の自宅を襲撃、そして、首相官邸を占拠したのである。

近代国家となった日本での初めてのクーデター未遂事件が起こった・・2.26事件である。

当日、百島にも、雪が降っていたという。

その日、百島尋常小学校6年生は、広島県の視学委員巡視のもと「書方研究会」に参加するため、隣りの田島の小学校へ出向いていたという。

当時、小学生だった亡き父の述懐である。

百島から引率された先生は、当時の金川校長と担任の吹抜先生。

吹抜先生は、まだ若く、広島師範を卒業して、最初の赴任地が、百島尋常小学校だったのである。

その後、吹抜先生は、尾道北高、福山誠之館高校の教員を経て、書道研究会 土筆会を設立。

広島県内の書道界では、知らぬ者はいないほどの大きな存在になっていた。

今、東京国立博物館で、特別展「書聖 王羲之」が開催されている。

(王羲之の真蹟は一つも残されていない。宮廷で作られた精巧な複製された書字の字姿を類推する。)

・・行って見たかったかな?

王羲之の字姿は、美しい。

・・何となくである。

文字の美しさは、右上がり六度が美しいという・・小生が使う日記帳に書いてあった。

小生が使う日記帳は、「ほぼ日手帳」・・コピーライターの糸井重里氏が発行している。

この糸井重里氏の出身小学校は、前橋市立桃井小学校。

2.26事件で襲撃されて奇蹟的に助かった鈴木貫太郎の母校でもあり、鈴木貫太郎の座右の書が、桃井小学校校歌に残っている。

もうひとり、2.26事件で奇蹟的に助かったのが、時の宰相、岡田啓介総理大臣であった。

岡田宰相の出生地は、我が家の近所である。

この方の書が、我が家にもある。

何を書いているのか・・?

個人的な感想であるが、左下がり二度、右上がり二度も安定している。

六度上がり・・?

書き方がきれいだという事は、字姿よりも大切なのだと思う。

恵み二首

2013年02月23日 | 易行難行修行
神主さんによれば、研修会で一堂に会して食事をする際は、次の二首短歌を唱和するとのこと。

食前感謝のいただきます。

たなつもの 百(もも)の木草も 天照す 日の大神の 恵み得てこそ

食後感謝のごちそうまでした。

朝宵(あさ夕)に 物食う毎に 豊受けの 神の恵みを 思え世の人

~出典:本居宣長「玉鉾百首」~

百島野菜

2013年02月21日 | 百伝。
NHK時代劇ドラマ・・塚原卜伝の「鹿島の太刀」を観ながら、思い出す事あり。

20代の頃、鹿島神宮も香取神宮も、取材で訪問したことがあります。

鹿島神宮は、冬至の日没の向こうには、富士山?

夏至の日没の向こうには、筑波山?

秋分、春分の日没の先には、諏訪大社?

大化の改新の中臣鎌足・・後の藤原鎌足(藤原家祖)の出身地だとか?

あの界隈は、利根川が流れており、日本一美味しい野菜・果物作りの土地柄で、大変美味でした。

鹿島は・・加島に通じるものがあります。

香取は、もともと農耕神であり、海をも束ねた。

鹿島大明神に、香取大明神・・。

百島の氏神も、百島大明神と名乗ればよかったのに。

百島ピクニック計画・・生活の根本的な食事は、野菜と果物です。

地産地消ではなく、身内や友人に贈れる程度の作物や作品作りに励めるような百島生活。

・・野菜や果物を作ってみたくなった。

・・桃の花も咲かせてみたい。

確定申告の時季になると・・そんな気分になるのです。

みんな・・朗らかに、強い気持ちで、ファイト。

アマゾンやら楽天気分?

2013年02月21日 | 千伝。
楽天とアマゾンの売上高の年々の数字をみていると、右肩上がりの急斜面。

既存の小売店の売り上げの展望は、ますます難しくなる一方です。

小生、ネットやら通信販売で、モノを買うことがありません。

先日、イタリア製のデロンギ(メーカー名)を買って参りました。

ヨーロッパ暮らしの寒さ対策で、一番役立ったのが、デロンギの温暖器でした。

それ以来、もう20年以上も使っていたデロンギですが、とうとう壊れてしまいました。

本当に、よく働いてくれました。



・・ありがとうです。

部品も無いということなので、電気店で、新製品を買いました。

新しいデロンギです。



・・嬉しいなぁ!

ところが、ネット販売だと、もっと安く購買できることを知りました。

楽天やらアマゾン、ディスカウントショップ、100円ショップの存在が、これだけ大きくなると、デフレからの脱却は、難しいのでは?

息子曰く・・ほとんどネット販売でモノを買っているとのこと。

車のトランクに積んでいるウーファー(スピーカーユニット)やらスロットマシーンも買ったとのこと。



・・何か、役立つのかな?

楽天気分で、アマゾンが流れるジャングルに入るようなもの・・人生は、ポーカーゲームのようなものかな?

・・とは言えです。

もしも、今後、店舗を構えて生き残る道を探るのならばです。

・・これも、時代の流れなのでしょうか?

観光立国

2013年02月21日 | 千伝。
~昨日の日本経済新聞「春秋コラム」より:
「富士山を国立公園に、瀬戸内海を一大遊覧地帯にして、世界中から外国人客を呼び込めないものか」。日露戦争が終わったころ、木下淑夫という鉄道官僚は、留学先の米国でそんな構想を立てて政府に建白書を送った。のちに現在のJTB創立の中心になった人物だ。~

今も昔も、このような人物・人材は、必要なのかもしれません。

百面相の国。

2013年02月19日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
以前、この時季・・我が家の窓から、白山(はくざん)を仰ぎ見ることができたのです。

が、最近、近所に、高いビルやら出来て、全く見えなくなりました。

残念です!

ほんとうに、真っ白い山なのです。



日本三霊山のひとつです。

富士山、立山、そして・・白山です。

白山信仰というのがあります。

日本各地にある白山神社は、約3000社が鎮座するとか。

とりわけ、東日本では、被差別地区にあるとか・・これに関して述べるのは、江戸時代の身分差別に関わるタブーにも触れることになるので気が滅入ります。

室町時代までは、士農工商という身分制度はなく町人が刀を持っていたこともあります。

白山信仰の開祖は、泰澄大師・・越前の人で、渡来人の子であったといいます。

泰澄は、700年頃、白山で修験道の修行を行い、白山信仰に仏教的な意義付けをしたのです。

白山信仰は、奈良時代から中央貴族の間で盛んとなり、京都の醍醐寺にも白山信仰が受け継がれています。

三宝院には、白山権現を祀る社があるとか・・、山上には白山遥拝所があるとか・・。


天台宗比叡山にも、曹洞宗永平寺開祖道元とも深い関係があります。


さて、昨日、天台宗百済寺の写真をアップしましたが、百済寺と同じく天台宗比叡山、鞍馬山・・・ずっと西へ行くと朝鮮半島にある韓国の百済寺、東は、熱田神宮と線を結べば、北緯35.1度線上に位置するとのこと。

天台宗開祖、最澄は、近江国で渡来系の三津首百枝(みつのおびと・ももえ)の子として生まれています。

一方、高野山真言宗開祖の空海(弘法大師)の母親も渡来人だとのことです。

飛鳥とは、鳥が飛ぶこと・・朝鮮半島の百済人が、亡命・渡来して文化が倭国に伝わったことを意味しています。

大化の改新(645)は、絶大な専横権力を持つ蘇我氏一族を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(藤原家祖)による政権交代です。

蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと変化が始まります。

日本初の元号(大化)律令制国家の始まりです。

社会の歴史で習った・・公地公民制、国郡制度、班田収授の法、租・庸・調等々の始まりです。

これらの政策導入に百済人が大いに関わっているのです。

その百済国が、660年、唐と新羅に滅ぼされます。

663年(天智2年)8月、日本書記によると、天智天皇の時代、朝鮮半島の白村江(はくそんこう)で、百済再興のため倭国・百済復興軍の連合軍と、唐・新羅連合軍との間で海と陸の戦いが始まりました。

白村江の戦いです。

戦いに敗れた倭国は、亡命・帰化・・・渡来人の力によって改革が急速に進みます。

唐の国に傾く革新勢力と保守勢力との軋轢・・・各地に朝鮮式山城を築き、主に、東国の農民を徴収して、約三千人の防人(さきもり)を配備します。

さらに、壬申の乱以降、より強力な中央集権体制となります。

701年の大宝律令制定により、倭国から日本へと国号を変えたのです。

百済は、日本の歴史の源泉となるキィ・ワードのひとつなのは、間違いないのです。

今も昔も、隣国との関係は、難しいものです。

隣国の中国や朝鮮から「倭国」と呼ばれるのが嫌だった大和朝廷は、701年、大宝律令によって、隣国に向けて「日本」と名乗るようになったのです。

さて、白村江の戦いと白山信仰の関わりですが・・何か関係?

漢字文化の歴史も百面相です。

百済寺

2013年02月17日 | 日本の百々巡り。

百済寺は、地上の天国。



四季百彩に包まれた「地上の天国」というパンフへの説明文もあります。



1400年昔、呼び名の通り、推古天皇の時代に聖徳太子の御願により、百済(くだら)人のために創建された近江の国の最古級の古刹です。

時代は、移り変わり・・。

この百済寺(ひゃくさいじ)の未来も、万全ではありません。

寺院神社の運営も、大変な時代になりつつあります。



息子よ、這い上がって来なさい。



毎日、何とか生きていれば、何とかなる。



天候がよければ、見晴らしが抜群の「喜見院の庭園」からの遠望です。

名神高速道、新幹線も見えて、琵琶湖の湖面の向こうには、湖西の比叡山に列なる山並が眺めることができるのですが・・。





空高くに・・飛鳥が、飛んで参りました。

廻遊式の庭園を巡りながら、のんびりと時間を過ごしました。





途中、彦根経由で帰福へ。

人力飛行機による鳥人間コンテスト大会の舞台となる桟橋ピアです。



百済寺は、地上の天国だったかな・・?。

判りません。

でも、上機嫌で、微速前進です。


親子詣り

2013年02月17日 | 千伝。
琵琶湖東側の近江山中へ、息子に運転を任せての参道ドライブでした。

多賀大社です。







時々、吹雪いて、一寸先は真っ白な見えない世界でしたが、楽しかったです。

人間は、褒めて褒めて、育てる術もあります。

が、褒められて育つ人間は、世間体ばかり気にする人間になるかもしれません。

怒られてばかりの人間は、どこかの部分に、自信を無くすのでしょう。

一寸先も真っ白な見えない雪の世界・・堪忍観が頼りです。



その後、百済寺へ。

離島チャンピオン 百島

2013年02月16日 | 百伝。
バブル以前の日本経済高度成長期・・。

海外から「日本人はウサギ小屋に暮らす働き中毒」と揶揄されるまで、日本人は、都会に出て、田舎の親に仕送りをするのが日本社会の美徳でした。

・・日本人の美的労働感覚だったのです。

ひと昔前の中国も韓国も同様です。

今の中国では、蟻(アリ)族やら虫族といった・・働いても働いても報われない社会の貧困階級層があることを揶揄する言葉も生まれています。

地球上には、まだ電気が通じていない地域で暮らす生活者は、十数億人いるという統計があります。

世界中が、日本社会同様の生活レベルになるには、今の地球2個分の耕作地が必要になるということです。

海産物もしかり・・なのでしょう。

昨日、新・田舎ビジネスが、NHKのテレビ番組で取り上げられていました。

地方からのが面白いビジネス展開、楽しい要素が盛り込められていました。

百島で、ビジネスを立ち上げたいならば・・。

伝馬船の漕ぎ方とカヤック体験の違いぐらいの難易度がありますが、キャッチフレーズが、必要です。

思いつくまま、気がついたので、記録しておきます。

ネットによるライブ・カメラの設置24時間。

同時に、音楽を奏でる。

キャッチフレーズは、「離島チャンピオン 百島」。

流れ星 尾行

2013年02月14日 | 資本と社会の問題
天から、隕石が落ちて来たという・・ロシアからのニュース。

今、人生が幸福な人にとっては、怖い話です。

地球が爆発して欲しいと思うぐらい人生の苦渋の真っ只中にいる人にとっては、心の重石が少し取れたかもしれません。

昨日、よく買い物に行く近所のスーパーで、84歳の女性がバッグを盗んだという窃盗の疑いで現行犯逮捕されました。

この84歳の女性・・住所不定、置引きの常習犯のようで、兵庫県県警の捜査員が神戸から福井まで、ずっと尾行していたようです。

ホテルに宿泊しながら、各地を転々としていたようです。

被害者にとっては、怒り心頭でしょうが・・

84歳という高齢を考えれば、何とも逞しい生き方なのかと感嘆します。

冷暖房完備、三食保証付きの留置場、もしくは刑務所暮らしを望んでいたのかもしれません。

百島と世阿弥

2013年02月13日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、「風姿花伝」。

「初心忘れべからず」「秘すれば花」「序破急」等々・・世阿弥が著した日本最古の能楽論、演劇論です。

現代にも通用する人生論という高い評価も得ています。

百島と世阿弥に何の関係があるか?

・・ご存じですか?

余談ですが・・能登半島の根っこに、石川県羽咋(はくい)市という町があります。

近くに千里浜という長い砂浜があり、日本唯一の砂上道路を車で走ることができます。

羽咋市は、UFOが現われるという観光キャンペーンを掲げていたり、市内に限界集落となりつつある「神子原」という地区があります。

その地名を利用して、カトリック教会の総本山のバチカン市国との縁を結ぼうと考えた地元のアイデアマンがいました。

地元「神子原の米」を、バチカン大使館を通して、ローマ法王に献上したのです。

バチカン市国、ローマ法王が、受け容れたということは、物凄い箔がつきます。

「神子原米」は、マスコミの宣伝力もあり、ブランド米になったのです。

その現在のローマ法王ベネディクト16世が今月いっぱいで退位することになりました。

存命中の退位は、実に600年ぶりだとのことで、世界が驚くニュースが駆け巡っているのです。

600年昔と言えば、室町時代です。

世阿弥、一休、蓮如が、生きていた時代です。

今に至る日本文化の茶道、華道、能、和室、日本庭園、日本水墨画等々のほとんどの原型は、室町時代に発生しました。

さて、晩年の世阿弥(幼名 藤若)が、何に感謝していたのかというと⇒室町幕府六代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐が起こした「嘉吉の乱」なのではないかと考えるのです。

足利義教という人物・・詳しい人物像を省きますが、相当な暴君だったようです。

義教は、70歳を過ぎた世阿弥を佐渡島へ流罪の刑に処しているのです。

嘉吉の乱のあと、一休和尚等の働きで、世阿弥は、特赦を受けます。

78歳になった時でした。

世阿弥は、京の娘夫婦のもとに戻り、80年の寿命を全うされたのでした。

「嘉吉の乱」が起こらなかったならば、応仁の乱、それに続く戦国時代、安土桃山、徳川の時代も無かったでしょう。

そして、百島という地名も、観阿弥・世阿弥親子を祖とする観世流もどうなっていたことやらと・・少しだけ想い巡らしたお昼時です。

照日の前

2013年02月11日 | 千伝。
・・冬ごもりです。

目が、やはり痛いです。

心臓も、圧迫感があります。

この身体、体の継ぎ目・・何とかならないものかな?



でも、気持ちは、和やかです。

これぐらいの薄い雪景色の眺めながらの散策は、穏やかな気持ちにしてくれます。

近所の散策コースにある北の庄跡(柴田神社)です。







柴田勝家、お市の方(織田信長の妹)の終焉の地なのです。

因みに、新田義貞の終焉の地も、福井にあり、新田塚という地名もあります。

ここは、敗者と終焉の地?・・そう考えれば、マイナス思考になります。

ここは、子供の頃から憧れていた雪降る街です。

この雪降る世界は、楽しいです。

嬉しいです。

これぐらいの雪景色ならば、感謝です。

いつも、気持ちを新鮮にしてくれます。

さて、さてと・・プラス思考です。

もともと、織田家の祖先は、福井の織田(おた)村の神官でした。

そして、この場所から、お市の方の三人姉妹が、この国の歴史の表舞台に躍り出たのです。

もっと古くは、現皇室の祖とも考えられる継体天皇は、この越前の地から旅立ったのです。

花筐(はながたみ)・・世阿弥。

冬ごもりは、春にかかる結び目の季節です。

今日は、建国記念日です。

対一説

2013年02月09日 | 千伝。
吉田拓郎さんと沢田研二さんの対談・・さっきまで、NHKBSのテレビ番組で観ていました。

吉田拓郎さんの見映えは、若い頃とほとんど変わりなく、まだまだ、フォーク界の大御所です。

沢田さんことジュリーは、若い頃のスーパースターの面影が消えて、まん丸くなっていました。

変わらぬルックス、大変わりのルックス・・どっちが人間らしい姿なのかな?

努力をする余地を楽しんで残しておられるような・・お二人の対談でした。

終活(終焉活動)

2013年02月09日 | 資本と社会の問題
これから、就活やら婚活を考えなければならない若者。

終活のことも考えなければならない中高年。

昨今、何か、活動していかないと、生きてゆくのが難しい世相です。

人生は、またたくまに「終焉」を見つめる準備、「終焉」に向かう活動になります。

今朝のNHKラジオ深夜便・・大阪尼崎の医師長尾和宏氏の~平穏に最期を迎えるために~、全く同意見です。

病院での延命治療・・点滴やら胃ろうやら輸血やらチューブにつながれて、痰取りで、もがき、苦しめられて、チューブを外そうとするから、今度は手を縛るという拘束状態・・人間としての尊厳死とは、ほど遠いものでしょう。

・・悲惨です。

長尾医師は、町ひとつを病院と見なして、自宅在宅を病室と考え、そこに至る道は、病院の廊下だという考えです。

訪問診療と往診の違い・・「平穏死を迎えるための終活のお手伝い」を365日24時間体制で頑張っておられます。

在宅で看取られて亡くなる平穏死という考えは、正解だと思います。

自分の好物を自分の口から食べて、その1時間後には、スーと逝くというようなケースは、小生の父も同じく、かなり多いと実証しています。

とは言うものの。

それでも、それを介護できる家族が、居るかどうか・・という現状が、今の日本の大問題なのです。

老老介護は、当り前・・その片方が、認知症やら転倒やら、夫婦揃って入院、施設入居・入所。

その子供たちは、県外での仕事、都会暮らし。

長生きすれば、子供の方が早く亡くなっている家庭状況。

甥やら姪やら・・その親戚は、財産がない限り、面倒もみたくないのは当然の如く、知らぬ顔。

娘は、嫁に遠慮。

嫁は、事務的に顔を出すだけ。

在宅・・在宅・・と言うけれど、日本の家族制度は、核家族化されて、欧米型の家族制度になっているのです。

夫婦共稼ぎの家族、貧しい高齢者が、圧倒的に増加しているのです。

今の日本社会の家族の在り方は、病院にしろ、特養にしろ・・現代版姥捨て山状態なのです。

それでも、そこに居られる患者さん、お年寄りは、未来の患者・お年寄りよりも幸せなはずです。

何故なら、現在、誰かにお世話をしてもらっているのです。

それが無ければ、部屋中が、悪臭放つクソだらけの無縁死、孤立死、孤独死になるのです。

・・嫌ですね。

それらを、いかに平穏死に変えるかが、日本の豊かさの有り様だと考えます。

貧しい老人は、多いのです。

このままならば、日本の未来社会は、歳老いて、入れる施設も無ければ、世話をしてくれる家族だっていない貧困社会の状態が、目の前に来ているのです。

日本国政府に要望するのは、三点あります。

老後の最低年金は、生活保護受給額の統一して引きあげる。

介護職員の最低給与を、地方公務員の保障給与と統一して引きあげる。

徴兵制度のない日本国は、16歳以上の男女を施設等で数ヶ月間、介護研修を義務化させる。