百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

春雨や。

2020年04月24日 | 千伝。

春の海 終日(ひねもす)のたり のたり哉 (与謝野蕪村)

政府も自治体もメディアも誰も彼も、不要不急の外出自粛、休業要請、来週から始まる大型連休、ゴールデンウィークも、Stay Home !

羨ましい!・・・と言えば、不謹慎なのでしょうが、人手不足の介護業界なので、ずっと仕事ばかりが続きます。

63歳になっても労働戦力として働けることに感謝すべきなのかな?

働く事は、生きていることの本質を見つめる事かもしれません。

単なるお金の報酬ではなくて、他人から与えられた幸せは、長続きはしません。

きょういく(今日、行く場所がある)

きょうよう(今日、用事がある)

幸せの第一条件は、健康であること。

生きがいとか、充実感とか、きびしさとか、心の満足、豊かさの度合い・・・毎日毎日、働いて、生活をして、幸福を求めても、心の持ち方のバランスが大事なのでしょう。

数年前、同年生まれ同い歳の元キャンディーズの女優田中好子さんが亡くなったのが今の時季、春四月でした。

昨日は、また同年生まれ同い歳の女優岡江久美子さんがコロナ感染で亡くなったというニュース。

四月は、別れ月ではなく、出会い月なのにね❗

社会に強さと明るさを施した方でした。

御冥福を祈ります。合掌

いつまで続くのやら新型コロナ感染?

一時的な収束はあるだろうけど、終息は見えない。

明日は、我が身かも?

不動心。

春雨や ものがたりゆく 簑と傘 (蕪村)


百円ショップの有り難み。

2020年04月22日 | 百伝。

マスクが消え、体温計が消え、昨日は、手洗いのキレイキレイも、スーパーやドラッグストアの棚から消えていました。

こんな状況は、不可解です。

日本国全員が神経質なまでに健康促進、潔癖症になったかのようです。

需要と供給、今の高騰ぶりは仕方ないかもしれませんが、昨日、シャープがネット販売開始した不織布マスク一箱50枚送料含め約5000円にもアクセス殺到して、システム障害が起こったとのこと❗

僕も、シャープ製のマスクを買うつもりでしたが、どうしようかな?

・・・3か月前では考えられません。

・・・いつまで、続くのやら?

ほんの3か月前まで、その原価も仕入値も把握していたので、不織布マスクを一日で三枚、四枚ぐらいは使い捨てていました。

それにしても、今は、仕事もなく収入が途絶え貯金もなく家賃を払えない、マスク1枚買うのにも生活が苦しい方が大勢いるのです。

金、金、金、目の付け所が違うシャープな日本社会になって欲しいものです。

昨日、百円ショップに行くと、簡単なマスク作りのイラストを、お客が持ち帰られるように置いてありました。

何か、清々しい気持ちになりました。


金の巨塔、銀の巨塔。

2020年04月17日 | 千伝。

毎日毎日、新型コロナ感染のニュースばかりです。

医療やら感染病の専門家は、上から目線で経済よりも命の優先、政策を要請、主張します。

公務員も加わり、医療崩壊、看護師には、危険手当の補償、優遇を進言。

庶民感覚の無い富裕層の政治家、経済専門家は、コロナ感染での死亡以前に、経済苦による死亡率が高くなると、不安な世論の悲鳴を伝えます。

白い巨塔も、灰色の世界に映ります。

日本には、フリーランス(個人事業主)として働く労働人口が、約300万人ほどだとか。

日本の活性化の源として、是非とも、国、自治体には、彼らに手厚い生活補償をお願いしたいものです。

さらに、非常事態の今、エッセンシャルワーカー Essential worker(s)という職種が重要視されています。

ライフラインの支え、生活維持に欠くことのできない職種、仕事です。

しかし、悲しい事に、エッセンシャルワーカーのほとんどの職種が、低所得層の部類に属しています。

本質的な事は、人間の価値は、どれだけの収入やら稼ぎ高では判断できないという事です。

今までに月百万円の収入で暮らしていた方と、月収十万円で暮らしていた方が、その両者共に収入が途絶えた場合、どちらがより命を強くして踏ん張れるのか?

社会や世間に、どのような貢献力があるのかが問われます。

我々は、今、歴史の転換点の上に立っているのかもしれません。

はて、カタカナ英語が盛り沢山です。

テレワーク(在宅勤務)、クラスター(集団感染)、メガクラスター(巨大感染者集団)、オーバーシュート(感染爆発)、ロックダウン(都市封鎖)、パンデミック (世界的大流行)。

ちょっと混乱する意味合いの違いもあります。

ソーシャル・ディスタンス Social distance (社会的距離、心理的距離)。

ソーシャル・ディスタンシング Social distancing (対人距離の確保、人混みを避ける)。

不要不急の外出規制、キスもハグも濃厚接触の自粛・・・家庭でも社会でも、身も心も自粛要請です。

かと言って、隣人愛、家族愛の危機感を心配する必要もないでしょう。

日常生活が、日常の営みが、如何に大切なものか認識しています。

人口統計学者は、来年の出生率、今年の死亡率が気にかかるようです。


首相の覚悟。

2020年04月17日 | 千伝。

 

今日から全国の世帯に二枚の布製アベノマスクが発送スタート。

最近、一般人の市民を筆頭に、安倍内閣の閣僚、首長等の面々を見ていると、手作りマスクも盛り沢山、形も柄も彩も色々と感心するぐらい登場しています。

しかし、その中でも一人だけ、今日から発送された小さな布製マスクと同じものを、意地でも使用されている方が、独りいらしゃっる❗

安倍首相です。

マスク姿の首相の覚悟が伝わってきます。

昨日の30万円給付金が取り下げられて、全国民一律10万円支給の方向に変わりました。

朝礼暮改と批判されようが、善い政策変更だと思います。

30万円給付金ならば、不平等であり、抜け穴も沢山あります。

一か月の間に、例えば体調不良、発熱のせいで、しばらく欠勤扱いして減給になれば、支給要件に含まれるはずですから。

さらに、昨日は、全国に拡大して緊急事態宣言を発出。

期間は、来月5月6日まで。

新型コロナ感染の終息は、いつになるのかな?

とりあえず、終息よりも収束時期の目安を知りたいものです。

お隣りの韓国では、陽性患者1号発生は、日本よりも遅かったのにも関わらず、既に収束したかのように経済活動再開。

何故、そんなにスピードが違うのかな?

パチンコ同様に打ち方、狙い打ちが大事だと、パチプロは言います。

学べることは、素直に隣国から教えてもらうのも大事。

首相の覚悟は、どうなのかな?

因みに、僕は、首相と同じ布製マスク使用しています。

ハンカチをぐるりと巻いて使用すれば、大きくなり快適です。

今年もチューリップの花が咲いた❗

 


大林先生の尾道愛。

2020年04月13日 | 百伝。

映画監督の大林宣彦先生が亡くなられたとのこと。

CM の巨匠と言われた映像の魔術師から映画界へ進出した大林先生。

映画監督というよりも映画作家としての自負がありました。

穏やかな語り口、朗らかな人柄、その半面、厳しい一面があり、スタッフも大変だったと考えます。

大林先生のお話を初めて聴く機会を得たのは東京の有楽町だったかな?

その後、広島でも、福井でも、何度も聞く講話、講演・・・内容は殆ど同じでしたが、尾道の事が必ず話題に出ました。

例えば、「福井に来る途中に広がる田園風景、素晴らしいものがありますね。こういう風景はいつまでも大切に残しておきたい・・・僕の故郷尾道もですね」と摩り替える、大林先生の十八番の尾道愛が半端ではないのです。

30年ほど昔、広島市内で講演テーマは何かすっかり忘れてしまいましたが、右派のジャーナリスト桜井よしこさんと対談していましたが、おそらく美しい日本、美しい尾道を語っていたはずです。

15年前、東映映画「男たちの大和」という映画のロケセットが向島の造船所で組み立てられました。

その戦艦大和のセットを一時的な尾道の観光見学コースとして大勢の観光客を集めました。

尾道が賑わうならば、戦争でも反戦でも、右派でも左派でもいいのでは?と考えていた僕は甘かった❗

 

大林先生は、尾道市に対して絶縁宣言したので

す❗

 

 

故郷は、「町おこし」ではなくて、「町まもり」が大切だという大林先生の持論なのです。

街灯が無ければ、月明かりを愛でましょう、という大林先生の語り口です。

大林先生の映画が、平和、反戦を掲げる傾向に向かうようになったのは、その頃でしょうか?

・・・分かりません。

大林先生の御父様は、軍医でした。

戦後、中央桟橋から荒神堂通りを上がった近くにあった村上病院で勤務していました。(因みに中央桟橋から荒神堂界隈が、かつての尾道港の繁栄の中心地でした。)

母は、若い頃から大林先生の御父様を知っており、僕も子供の頃、診ていただいた記憶があります。

髪を七三に分けたスラッとした優しい大先生でした。

大林先生が、子供の頃、軍医である父親に兵隊さんがきっちりと不動の敬礼して挨拶される姿に誇りを感じた途端、そのあと軍医の父親が上官に向かい、さっきの兵隊さんと同じように不動の敬礼する姿に、何か矛盾した葛藤を覚えたと振り返っていました。

大林先生の遺作となった映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、舞台は広島、尾道、時代はヒロシマへの原爆投下時の反戦映画だと聞きました。

大林先生の命日となった4月10日が、映画公開日予定だったのが、新型コロナ感染によって延期となったとのこと。

大林先生の言葉、映像、その存在が無ければ、広島のこと、尾道のこと、百島のこと、今のように想い描く事が出来ただろうか?

大林先生のデビュー映画作品HOUSE に驚いた時から、はや40年以上の歳月。

慎んで御冥福を祈ります。

感謝の一言に尽きます。合掌。


心の洗濯、命の選択。

2020年04月09日 | 千伝。
変なオジサン、バカ殿様の志村けんさん・・・NHK も含め、ほとんどの民放さんが追悼番組を放映していました。

人気の高さ、悲しみの深さが伝わって来るような追悼番組・・志村けんさんの人柄です。

志村けんさんは、毎年正月には、福井県のあわら温泉の老舗旅館に滞在していました。

・・・心の洗濯に来ていたのでしょう。

志村けんさんの御冥福をお祈りします。合掌。

その新型コロナ感染拡大の社会問題・・緊急事態宣言、外出自粛要請で、ほとんどの業種で休業補償問題で揺れています。

とりわけ、日銭商売のビジネスの業種は大変です。

収入が無くなり路頭に迷い、経済に因る死亡率が高いのは、現役世代です。

コロナ感染に因る死亡比率の高いのは、圧倒的に高齢者のはず。

その辺り、命の選択をした政治判断をしないとね❗

収入減少にならない公務員、テレワーク可能な大企業、極めつけは庶民感覚が欠如、優遇された働かなくても給与を補償されている国会議員、政治家の厚顔無恥の保身態度。

それを踏まえると、日銭商売の方々には、最低限一週間一万円の補償をすべきだと思います。

倒産、事業閉鎖となる中小零細企業の従業員には、待ったなしの失業手当をすべきだと思います。

それが、国の国体維持を、国民の命を、守ることでしょう❗

感染者のいちばん多い東京都をはじめとする大都市圏の自治体への非常事態宣言に注目が集まっています。

しかし、人口10万人当たりの感染者率を比較すると、福井県は、東京都よりも高いのです。

ただ、福井県の場合、東京から帰った第1号感染者からの感染ルート、リンクをほぼ追跡、把握しています。

まだ、感染者が出ていない島根県、鳥取県ですが、感染者が出たあとは、分母の人口が少ない分、あっという間に感染率の高い地域になります。

だから、高齢者比率の高い地方にとって怖いのは、首都圏、関西圏から持ち込まれる感染源不明な市中感染となるのです。

富裕層の東京脱出、学生さんの地方帰省者が増えているようです。

日本の主な大学では、ほぼオンライン教育に移行されているようです。

しかし、小学校中学校の義務教育では、平等上難しいようです。

理由は、経済的な貧富格差です。

昔、日本総一億中流時代の頃には、テレビを通しての全体授業教育がありました。

今は、無理なのかな?

アーイン、だいじょうぶだあ。。警察官になった東村山の同期生は、どうしているかな?

遠い風景も大きな画面も、スマホで済ませる世界になりました。

今朝は心の洗濯、誰も歩いていない桜の花びらが散る道を歩いて見ました。



命の選択・・・覚悟が必要な時代です。

Babel

2020年04月06日 | 空木宝剣
木蓮や コロナの下の 六線譜 

人体は、およそ60兆の細胞と何百兆の細菌で成り立っているという。

人体には、九つの穴があって、口やら鼻から、コロナ菌を吸い込むと重篤な肺炎にかかるので、マスクがフィルターとして、必須のアイテムとなった。

マスクをしていない人は、ヘルメットをつけずにバイクに乗るような違和感さえ覚えたりする。 

バベルの塔とグローバル。



入り鉄砲と出おんなの関所。

感染患者シャットアウトの有り様は、今も江戸時代も創世記も、繰り返しの様に見える。

菌を憎んで人を憎まず。

感染患者に罪は無いが、パンデミックは回避したい。  

一刀一足の間合いを守り、夜道を提灯をつけて用心しながら歩かねば、何時コロナウイルスの袈裟斬りにやられるやも知れぬ物騒なご時世である。

不要不急以外は避ける。

一人の感染患者が他の皆に迷惑をかけるとくれば、なにやら戒厳令や全体主義のいつか来た道を思い出す。

現在は、AIやらスマホ時代。

「ここは、ウィルス菌危険エリアです。注意しましょう。」やらの機能が急がれる。 

十年以上も前になるだろうか?明石家さんま氏が、「うちの事務員にショートケーキを買うてこいと言ったら消毒液を買って来た。田舎出なので、ショートケーキがショードクエキに聞こえての間違いでした。」と言って笑わせていたが、今は消毒液が手に入らず、変わりにショートケーキでも買って帰ろうかという風情である。

トイレの中で食事するような不衛生蔓延の令和2年。

昭和25年2月20日生まれの志村康徳(けん)さんが古稀の万年齢で逝った。

世界は、コロナウイルスとの戦争だと、各国の宰相は口を揃える。

「戦争を知らない子供たち」団塊も、はや高齢者。

ウイルスの弾に当たらぬよう祈るしかない。合掌

呼吸法の奥義。

2020年04月04日 | 百伝。
さすがに、県外へ出掛ける状況ではなくなりました。

首都圏に行くのも、広島県に行くのも、躊躇します。

市外に出掛けるのにも、自粛しています。

まず、自分も相手も感染者ではないかと前提予想(疑念)して行動、勤務するのを徹底しています。

ただ、手洗い、口腔うがい、手袋、マスク、メガネを、なるべく身に付けるようにしています。

ウィルスが、体内に浸入感染するルートは、鼻、口、そして、目からだと言われています。

いちばん大事なのは、呼吸法ということになります。

どこの地域だったか、「空気を多く吸うほど命が縮む、吐き出すほど命が伸びる」という教えが、古くからあるようです。

確かに、ウィルスやら菌がウジャウジャしているミクロの世界が見えると、驚いて息も止まるでしょう。

簡単に言えば、笑う時の腹式呼吸です。

ハハハと笑いながら吐き出しながら、ひと呼吸、また、ハハハと吐き出しながら笑い出します。

空気を吐き出すのが、笑いの健康法なのです。

空気を多く早く吸い込むほど、脈拍数が上がります。

ゆっくり吐き出すほど、脈拍数も血圧も下がります。

地球の重力やら、月の引力やら、ニオイの成分やら・・・人間の健康、命に関わる事例が多く実在するのも事実です。

子供の頃、百島小学校のクラスでの読書会で、星の王子様やら、レ・ミゼラブルの物語(ああ無情)を読み聞いた思い出が浮かんできます。
 
感動したものの、無情よりも薄情の生き方が救われるのかな?と考えたりもしました。

事実、認知症の方は、身内の者を忘れるぐらい薄情です。

星の王子様の言葉、「大事なのは、目に見えない」でした。

奥義は、眉間による呼吸法です。


想定内の難題。

2020年04月03日 | 百伝。
昨年の今頃は、平成最後新年度、翌月からの新元号令和に向けて、何かしらの期待を込めての新年度でした。

1年後の現在は、世界中で猛威を振るう新型コロナウィルス感染拡大・・・歴史的な事件となりました。

今や想定外から想定内の難題が山積み状態。

知人の同居している息子が濃厚接触者として、2週間自宅待機、と同時にその家族も自宅待機となりました。

この状態で感染者が増えると医療崩壊が叫ばれていますが、これに連鎖して、介護崩壊、保育崩壊が続くのは間違いありません。

職員一人が感染すると、その施設は機能がストップ、預り保育児童も施設内居住の高齢者も行き場所を探すのが極めて困難になります。

自宅もしくは身内宅に身を寄せる、自宅待機となります。

今の経済優先の日本社会では、かなり限界があります。

その一方で、世界経済、国内経済の失速ばかりが問題視されていますが、世界の医療、介護、保育の福祉制度そのものも問われているのです。

世界中で失業者が溢れる経済情勢と生活保護者が蔓延する経済指針、どちらの比重が人間らしい生活が維持できるのか?

このコロナ感染が終息したあとの世界各国では、ベーシック・インカム制度が現実味を帯びるかもしれません。

今日、ある経済学者がユニークなプランを語っていました。

日本国民全員に一人当たり毎週1万円を感染が収束するまで支給するという案でした。

富裕層、貧困層の格差は、所得税によって調整できるとの由。

このプラン・・・是非共、政府は、真摯に受けとめて欲しいものです。

さて、日本政府(厚生省)が、一住所当たり、二枚の布製マスクを支給するとのこと。

先日、厚生省からは、全国の介護職員を含めて、各1枚の布製マスクを提供、既に小生も頂戴しています。



例え、効率的でなくても、意味がなくても、1枚のマスクを作ってくださった方に感謝です。

不満は言いません。

言えば、ストレスが増えるだけです。

感謝しないと、パワーやらエネルギーが湧いて来ないのです。

新型コロナウィルス感染に打ち克って、完全な形で東京オリンピックの開催を目指すIOC、JOC、日本政府。

如何に都市生活が砂上の楼閣、脆弱なものか、考えさせられる日々です。

今の状況に、災害が加わり、電気が止まり、水道が止まれば、マスクやらオリンピック開催処の話ではありません。

オリンピックのアスリートの活躍よりも、スーパーマーケットで、ドラッグストアで、無礼な客に対応する店員の方々、商品を陳列して、店頭レジで商品を捌く、店員の皆さんが、都市生活の日常を支えているのです。

今回の新型コロナ感染が終息したあとには、新たな文明開化が拡がることを期待します。

最低限、自給生活ができる田舎暮らしが、自然淘汰という免疫力かもしれません。

今日4月3日は、子供時分、百島の山登りの日でした。

現在の子供、若者たちが、よりよい未来の高齢者として暮らすために。