百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

猪突猛進からちょっと毛進へ。

2018年12月28日 | 空木宝剣

正月や 猪突猛進 もうちょっと

来年は猪の年。

それを知ってか知らぬでか、今年は神戸や広島の繁華街にまで、猪が出没した。

人間のあおり運転も危険だが、猪突猛進も危険という事で、すぐに殺処分された。

一般人にとって、野生の動物の生活環境は、知る由もない。

某住宅メーカーのコマーシャル。

天井の高い、広い部屋のある家のほうが、窮屈で狭い家より憧れである筈が、当の主人は、後者の狭い場所を好むという。

これを、都会と田舎に例えれば、合点がゆく。

空が広くて、ゆったりとした田舎より、渋谷のスクランブル交差点のような人混みに、人は、祭りのように惹かれていく。

そろそろ人間様は、猪突猛進せねば生きていけない窮屈な都会から、広々とした大田舎に、価値観を方向転換する時期にきているのかも知れない。


アーメンの海。

2018年12月25日 | 千伝。

この頃、世間では、人生百年、百歳と言い始めました。

昨晩のNHKスペシャルの「東京リボーン」の巨大都市東京の再生プロジェクト。

東京に暮らす身内や友人は、東京国の住民に映ります。

海が見えるベイエリアのタワーマンションに暮らす子供たちは、どんな人生を過ごすのかな?

ところで、命の起源は、海から生まれたとのこと。

では、この海は、何故、地球上に存在するのかな?

謎だそうです。

もっとも有力な説は、水分を含んだ小惑星が、地球に衝突したこと。

そうなると、地球上の生命は、宇宙から来たことになります。

そして、海がしょっぱくなったのは、岩盤のナトリウムが海に溶けたからだとのこと。

人生百年なんて、所詮、一瞬の出来事。

因みに、瀬戸大橋等の巨大建築物の寿命は、約200年だとのこと。

50年後、空飛ぶ自動車が、当たり前の時代になっているのでしょう。

そして、その頃には、人生200年、200歳になっているのかもしれません。

人間の創る原子力発電所の構造寿命さえも、約40年から約60年に僅かに延長。

千年、万年先の時空は、神の領域です。

メリークリスマス♬。

アーメン。


仁方やすりの宝剣

2018年12月24日 | 空木宝剣

初しぼり 宝剣呑んで  年の暮れ                  

今年も、限定初しぼりの宝剣酒が届いた。

鑢やきさげの研磨の町、呉市仁方町。

戦前は、呉海軍工廠の一角を支えた。

やすりの町、仁方の酒は、平成の最後の垢を洗い流してくれるに違いない。


百島の花。

2018年12月21日 | 百伝。

♬ 赤く咲くのは、芥子 (けし)の花。

♬ 白く咲くのは、百合(ゆり)の花。

「立てば芍薬(しゃくやく)、坐れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」

百島の花は、百合の花?

子供の頃、百島の道端には、美しい芥子の花がたくさん咲いていました。

ある時期、市役所がキケン種として、道端に咲いていた芥子の花は全て抜き取られてしまいました。

(キケンな理由→芥子の花からアヘンへ、アヘンからモルヒネに精製、モルヒネからヘロインに化学生成、麻薬に変化可能。)

今日の全国紙のいくつものコラムに、東京の港区南青山に暮らす住民意識のことが書かれていました。

どうも、南青山エリアには、児童相談所も高齢者施設も似合わないというプライド(誇り)があるらしいです。

そういえば、あの地域には、オシャレな高級な骨董品を売っている通りもありました。

東京の高級ブランド地域を維持するのも大変です。

2020年の東京オリンピック以後は、東京駅から日本橋界隈が、日本の一等地になるとか?

東京の花木は、ソメイヨシノとイチョウだそうですが、ほんとうの花は、花粉症かもしれません。

東京の青山には、思い込みの解語の花が誇らしく多く咲いているのでしょう。

広島の百島には、橙(だいだい)。

言わぬが花が似合います。


人生談義。

2018年12月19日 | 千伝。

先月、厚生労働省が、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組みのアドバンス・ケア・プランニング(ACP)の愛称を「人生会議」に決めたと発表しました。

人生会議・・・終末期というよりも、人生の困難に立ち向かうため、どのような戦略を企てるような意味合いが深いです。

昨晩の福井地方、雷が轟き、暴風が吹き荒れていました。

また、我が家が壊れるかもしれないと思いながら、ラジオを聴きながら寝ていました。

62歳になりました。

65歳までの特別支給の老齢厚生年金が受け取れると確信していると、大間違いでした。

今の収入を減らして、もっと貧しい経済生活でないと、貰えないのです。

労働意欲を削ぐ、不可解な制度です。

人生を有意義に過ごすために「人生会議」を開催するのが、国や社会の務めだと思う。

多分、たいていの人にとっては、「お金」は、万能の道具なのでしょう。

「何のために、働くのか?」と問えば、「名誉のため、社会奉仕のため、生きがいのため」と答える人は、生活に困らない人です。

誰でも、最低生活を過ごすために「お金」を得るために働くのです。

ただね・・・「お金」があると、大抵それを守ろうとして、積極的な勇気、冒険は、生まれてきません。

明日は、大きな病院での定期診断。

人生の最終段階を話し合う、取り組みを、政府公認の「人生会議」と呼ぶ理想、もしくは秘密会議。

「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)

いくら悩んでも、人生を理屈で理解できるものではありません。

生きるとは、起きて、食べて、歩いて、坐って、寝て、また起きる生活そのものが、人生。

自分と他人様を比較しないこと。

音楽を聴いたり、何かを読んだり、歩いたり、日々の自分の手入れ(元気)を怠らないこと。

元氣がいちばん・・・人生談義。


名馬有。

2018年12月18日 | 千伝。

今夜のNHKのノーナレ「勝利を売る男」。

大井競馬場で予想屋を職業とする吉富さんの馬脚連打の言葉に、元氣を貰いました。

「競馬で勝つことは稼ぐことではない。自由になることだ」

ところで、今年の中央競馬の締めくくりとなる最高峰のG1グランプリレース第63回有馬記念予想(12月23日 中山競馬場)が大盛り上がり。

障害馬王者のオジュウチョウサンの出走予定、そして騎乗するのは武豊騎手。

人間で言えば、障害物レースのチャンピオンが、トラックレースに挑むという前代未聞の挑戦です。

勝利すれば、地方競馬出身のオグリキャップの時以来の感動的な夢のレースとなるかもしれません。

有馬記念は、僕が生まれた1956年(昭和31年)スタート、今年は、第63回となります。

今から、40年ほど昔。

第21回有馬記念の優勝馬はトウショウボーイ、第22回の優勝馬はテンポイント。

そして、第23回有馬記念 1978年(昭和53年)12月17日 当時のレコードタイムでの優勝馬は、カネミノブ。

歓喜、歓喜、歓喜の3年連続、勝利を的中させた思い出があります。

とりわけ、カネミノブからは、大きな誕生日プレゼントを貰いました。

同期には、あの怪物馬マルゼンスキーがいました。

そして、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスは、今でもTTGとして競馬伝説のひとつとして語り草になっています。

しかし、それ以上に踏ん張った小柄のカネミノブの晩年は、悲しい哉・・・消息不明だとのこと。 

カネミノブは、翌年の有馬記念、その翌年の有馬記念も惨敗。

あれ以来、馬券を買っていませんが、有馬記念だけはテレビ観戦しています。

誕生日になると思い出す、不思議な名馬だったカネミノブ。

・・・合掌。

微速前進ですが、今日から63歳に向かって走ります。


東京ラブストーリー。

2018年12月12日 | 千伝。

今日の午前中、たまたまテレビを点けて、画面を観ていると、愛媛ナンバーの車が走っていました。

若い頃の織田裕二さん、有森也実さん、江口洋介さん、鈴木保奈美さんが出演。

どうも古い青春ドラマのようで、30年ほど昔に一世風靡した「東京ラブストーリー」の再放送でした。

・・・初めて観ました。

愛媛県出身の若者たちが主人公の東京ラブストーリーを描いていました。

それにしても懐かしい、当時の風景、緑色公衆電話の長い列、カバー付きの書類入れ、恋愛模様も複雑で、その気持ちが、どんどんと前に現れている。

そういう内容だったの?・・・ちょっとビックリ!

東京生活・・・今、思い出すと「ラブストーリー」は、たいへんです。

遠い彼方の空だなぁ。

今年の漢字は、「災」となりました。

今日、県立図書館に行くと、たまたま偶然なのでしょうが、「防災気象講演会」(入場無料)。

防災関連の車も目立ちました。


今更、消防官にも、警察官にもなれませんが、関係者の皆様の日々の奮闘努力には、感謝です。

そう思いつつ、今日読み終えた書物は、二冊。

何か・・・60代からは、介護の仕事へ薦める内容が多いのです。

老いてゆくけど、ささやかだけど、やれることは、やりたいものです。

大病になったのに、殺されてなかったのは、まだやることがあるからかな?

生きていることは、幸運な事。

死ぬのは、怖くない。

死ぬのは、楽しみだけど、死ぬまで、やることがあるからだと思う。

・・・という考え方もあり。

「災」転じて「福」と成る。

夕方、突然、20代の頃に東京で働いていた期間の企業年金の支払い報告が届きました。

もうすっかり忘れかけていた企業年金、僅かな金額だけど嬉しい。

僕の東京ラブストーリーでした。


D.I.Y.

2018年12月11日 | 千伝。

DA PUMPのU.S.Aが大ヒット。

どこかのカバー曲みたいだけど、ダンスも「ダサかっこいい」と評判。

日本語の歌詞もリズムも、心に響きます。

USA♪・・・僕もいいと思います。

さて、先日、NHKドキュメント72時間は、千葉県印西市にある日本最大級のホームセンター。

そこに買い物に来ていた62歳の退職した刑事の言動が話題になっていました。

退職して間もなく妻を亡くして「考えたら仕事なんてどうでもよかったんですよね。こんなこと言っちゃいけないんだけどね」と涙ぐんで言う。

誠実そうな彼の言葉が、天国の奥様に伝わったと思います。

僕と同い年の彼にエールを贈りたくなりました。

ファイト!

それにしても歳を取ると、何故かホームセンターに行くことが多くなります。

DIY・・・強く憧れてしまいます。

ちょっと、古い町並みを散歩。

今日は、マイナンバーカードの作成のために市役所へ。

お昼、市役所の定食をいただきました。

福井名物のソースカツ丼とおろし蕎麦です。

食べながら、新聞を読んでいると、「大雪対策のチェーン規制義務化、違反罰則」の記事。

今時、タイヤにチェーンを簡単に巻ける人って、ほとんどいないのでは?

福井暮らしを始めた頃、車のタイヤは、冬タイヤのスパイクが付いたものか、ノーマルタイヤにチェーンを巻いていました。

ただ、雪道から除雪された乾いた道に入ると、すぐにチェーンを外さなければ、車はガタガタ走り、チェーンもすぐに切れてしまいました。

それが面倒で、簡単なゴムかウレタン製のチェーンをトランクに常備していましたが、スタッドレス・タイヤの登場で、それも必要無くなりました。

もう20年間以上、チェーンを巻くことなど考えてもいなかった矢先、今回の大雪チェーン規制義務化のニュース。

大雪の時は、一般のドライバーは走らないと思います。

ただ、一気に大雪に見舞われた場合、逃げ出す方法は身に付けていないとね。

降雪地域を走るバスやトラックのドライバーの皆さんは、寒い中の取り付け、取り外しの大変な作業になると思います。

ずっと、いい天候が続くわけではありません。

介護の仕事も、何もなければ、スムーズに運転可能なのです。

介護の起業は、キケン。

同世代の話を聞いていると、家やら土地やら不動産の固定資産税やら、生活レベルの維持のために働かないといけないのが本音。

自由時間を多く手に入れるのには、僅かな年金の為、断捨離して、老後生活は保護受給の方が一層ラクかもしれないというのも本音。

まもなく、国から「仕送り」という年金を頂くことになります。

僅かな年金金額ですが、これを「仕送り」と考えています。

働き方も変えないとね。

D.I.Y   → Do It Yourself.


夏目 漱石 (1867~1916)

2018年12月09日 | 空木宝剣

漱石忌 百年間も 雑司ヶ谷

12月9日は、漱石の命日。

明治の45年間と大正の5年間の、ほぼ半世紀の人生。

漱石が、雑司ヶ谷霊園に葬られてより102年。

時代は、大正、昭和、平成と移り変わった。

さてと、平成の次の年号は、如何なるものと、漱石に問えば、それは、遠く1000年昔の本朝を伺えとのこと。

1000年前の、西暦1018年といえば、平安時代中期。

四条大納言 藤原公任(966〜1041)や、紫式部(978〜1016)  藤原彰子の、藤原全盛期の時代。

1000年前の、寛仁(1017)の次は、治安(1021)であるから、1000年のちの平成の次は、ひっくり返して、「安治」がよし!とのこと。

ちぬの海にそそぐ安治川あり。

近くに西九条あり。

平安の平の一字で成った平成。

平安の安の一字と、近代明治の一字で治まる「安治」という年号が、Aと出たような。

お後を宜しく。


浪越徳治郎 (1905 - 2000)

2018年12月07日 | 空木宝剣

平成や 師走の心 母ごころ

いよいよ、平成という時間の乗物も終着駅に近づいた。

出発の1988年から30年間。

さまざまな人が下車し、そして、新たな人々が乗車して来た。

30年前には、あの人もこの人も生きていた。

寿司詰め世代の団塊も、30年の長旅で、早や古稀となりにけり。

2年後は東京五輪。

なんでも高輪ゲイトウエイという駅が、誕生するそうな。

団塊が、75才となる2025年には、またもや大阪万博。

環状線でも、新しい駅名が誕生するのだろうか?

来年5月からの新しい年号。

「指圧の心は母心。押せば命の泉湧く」の手で、新年号に乗車して五輪まで。

その心で、7年後の万博まで、もう少し頑張るとすべえか。


百カラット コトバの世情。

2018年12月07日 | 百伝。

尾道市長が、ご自分のFACEBOOKで、「アートの島、百島の取り組み」の新聞記事をシェアされていたので、読ませて頂きました。

掲載記事は、日本経済新聞の夕刊・・・珍しいなぁ。

何が珍しいかというと、地方には夕刊が配達されていなくて、大都市居住の購買者向けだからです。

昨晩、百島の同級生と電話・・・話題は、百島のアートよりも、介護やら空き家問題の百島の現状を教えて貰いました。

同級生の一人が、実家の空き家を手離したとか、訪問介護者の担い手もいなくなるとか・・・過疎化の現実問題が影となって大きくなります。

打開策・・・東京タワー?

(写真提供:百島ネットワーク代表 漆原氏)

今年、東京タワーは、還暦60歳だとか・・・まだ若いんだ!

20代の頃、仕事場の僕のデスクから、東京タワーを眺めながら働いていました。

毎日のように東京タワーを眺めているだけで、元気を貰っていたのは事実です。

過密と過疎の世情は、相反して、よく似ています。

まっすぐ起立しているものが、目の前にあるだけで安心するものです。

気の合う同級生とか、そんな仲間との助け合いとか、小さな活動とか、励ましとか、ほめ言葉クラブです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「極道の妻たち」の著者である女性作家、高野山真言宗僧侶 家田荘子さん、3年前、百島の西林寺で法話されていました。

尾道市(おのみちし・広島県)の尾道港から備後商船の高速船に乗って22分(フェリーなら最長49分)福田港に着きます。ここが百島です。今日は、曹洞宗・西林寺さんで、大般若法要があり、お話をさせていただきました。とっても古そうですが、お掃除が境内まで行き届いた綺麗なお寺です。一生懸命住職夫人としてのお役目をされている、見るからに優しく穏やかな住職夫人がいらっしゃいました。法話後、高速船に乗るまでのわずかな時間に、今日の法要のお手伝いをされている女性たちが百島ドライブに連れて行って下さいました。右が田島、左が本州、橋が正面にかかっています。ところが百島も本州から凄く近いのに橋がありません。「でも橋がかかるのも良し悪しで、田島の人たちは家に鍵をかけないといけなくなったそうですよ。暴走族が橋を渡って田島まで走るようになって、その音が百島まで聞こえるんです」と、百島の女性。後ろには穏やかな瀬戸内の空と海が広がっていました。海を見るとすぐ、水行したくなる私のために海岸沿いを走って下さいました。

(2015年1月12日 家田荘子ブログ~心のコトバ~ より抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

百島が、クルシミマスの島にならないように!

より多くの称賛、笑い、ユーモアが必要です。

ハッピー・クリスマスです。


百歳の門。

2018年12月05日 | 百伝。

今日の午前中は、春江(坂井市)の運転免許センターでの更新。

今回は、バイクでの進入禁止違反しているので、2時間の講習でした。

その講習会の間、仲良しの百島の同級生のことを思い出していました。

人生の階段は、何とも言えないなぁ。

百島の名木? 

広島県の県木は何だろう?

「栢」だといいね。

木の肌は、葉と幹。

人の肌は、皮と肉の袋。

彼が小学生の頃、お盆か、お正月、親戚中が百島へ日本各地から集まったようです。

親戚の長老である叔父さんが、そこにいた子供たち全員に将来の夢を語らせたようです。

その中に同い年の従兄弟なのかな?優秀な男の子(百島2世か3世?)がいたそうです。

その優秀な百島2世の男の子は、学者とか、政治家とか?立派な夢を語ったとの事。

わが友の同級生は、「将来の夢は・・・釣り師になりたい」と答えたとの事。

僕らは、昭和を31年生きて、平成も同じく31年生きてきました。

あと30年近く生きれば、90歳代になれます。

この歳になると、同年代の生き方は勿論、年長者である高齢者の生き方、考え方に学ぶことが多いです。

はてと、話を戻します。

何十年間も続いたゴールド免許も、3年間更新の免許証となりました。

白内障手術後、免許の顔写真が、眼鏡付帯では無くなったので、自分の免許証ではないような感覚です。

高齢者の免許返却を要望されるのかもしれないという不安な現実も、このままでは迫ってきます。

午後から、文芸春秋12月号の五木寛之先生の「孤独のすすめ」を読書。

そうそう、その優秀な百島2世か3世の同級生は、その後、東京大学卒業後、自治省(現、総務省)に入り、50歳前後にとある県の副知事として活躍しましたが、残念乍ら、闘病中とのこと。

そして、わが友は、漁師にはならなかったですが、百島に帰省するごとに、ちゃんと釣りを楽しんでいます。

その「孤独のすすめ」の五木寛之先生ですが、逆説的なことばかり言います。

「断捨離はしない、未来を想うよりも、その物を見て、過去を懐かしむ大切な時間がよい」

「週に二回ぐらい、よく噛まないで呑み込むようにして食べる。そうして胃の溶解力を鍛える」等々。

五木先生は、どこかの国の禿のいない種族と接して以来、「あまり風呂にも入らないし、頭も洗わない。だから自分は健康で髪の毛も多い」と自己自慢?

先生の出世作「青春の門」のイメージとはほど遠い・・・説得力です。

先日観た・・・NHK教育「ドキュランドへようこそ・・・人間の成長」

ブライトン、サンフランシスコの風景が懐かしい・・・人間の寿命、細胞の活性化を追うドキュメントでした。

金門橋・・・トライアスロンに参加する87歳の高齢者。

人生百年という言の葉が、やたらに目に入る時代です。

百歳まで生きるノウハウというのも、やたらにメディアに登場します。

もう10年ほど昔になりますが、ほのぼのした思い出があります。

介護の仕事に接した頃、近代漫才の祖と言われる花菱アチャコさん(福井県勝山出身)の従兄妹だったという90代半ばの方のお世話をさせていただいたことがあります。

漫才師のような面白い女性で、いつも文庫本の小説を読んでいて、あの小さな文字がほんとに読めるのかな?と疑問を持っていましたが、ある日、ふと気が付くと、逆さまに本を持って読んでいました。

そう、読んでいるフリをしていたのです。

「ほんとうのことを教えてあげるわ・・・実は、私はハタチ」と言っていました。

以来、20歳の若者の気持ちよりも、90歳の高齢者の気持ちの方に寄り添う理解ができるようになりました。

人は、死ぬまで不安なもの、特別だと思うもの、感情的なもの、利己的なもの、理解してほしいもの。

人は、あの世に逝くとき、家族みんなに見守られ見送られるのが、幸せな人生の終焉というのは、ナンセンスです。

病院の集中治療室で二度死にかけたぼくの体験から言うと、「裸のまま独り生まれて逝く」しかないのです。

父は、80歳過ぎても、バイクに乗っていました。

母は、85歳まで、バイクに乗っていました。

親類の長老であった薮の丘のオッサンは、90歳過ぎてもバイクに乗っていました。

百歳までバイクに乗れたら、将来の夢、人生は大願成就です。

今日のニュース・・・「パリ燃ゆ」

あの凱旋門のあるパリのシャンゼリゼ通りが燃えていました。

この暴動が、燃料費への課税アップという単純な理由ではないとのこと。

フランス社会への所得格差、貧困問題、絶望という根深いものがあるのでしょう。

日本の社会にも、近い将来、ああいう騒動、暴動が起こるかもしれません。

多くの若者が希望を持てない社会は、年寄りが、若い安い労働力を使おうとしているからです。

施設、病院が、年寄りの姥捨て山と呼ばれるのは、若者の支えがないからです。

 

百歳の門へ。

人は、よりよい明日を求めるものです。

人は、よりよい意義ある人間関係を求めるものです。

老後のすべての不安を軽減するのは、やはり「動く」「働く」ということだと確信します。

百島1世は、子へ孫へと楽しく可笑しく、2世、3世へと地道に、尾道に。

百島に、元氣になるの百歳の門を。

百歳まで生きる術の伝道師となりましょう。