夕焼け小焼けの童謡を歌いたくなりました。
作詞は、中村雨紅。
1 夕やけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ
2 子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星
保ちゃんに電話をしたくなりました。
川崎市の登戸は、案外思い出の多い場所で、若い頃、今もずっと神奈川県で暮らす友人の保ちゃんとの待ち合わせ場所だったり、多摩川のサイクリングコースを走るため対岸の調布、狛江からよく渡ったものです。
先日、朝の通学時に起こった川崎市登戸での通り魔殺傷事件、悲しい憤りを感じるニュースです。
「死にたいならば独りで死ねばいい」という公的なテレビ番組での憤りのコメントにも賛否両論の意見が生じています。
51歳の犯人に対して、「同じような惨めな環境で育っても立派な人間は、いっぱいいますよ」と述べるメディアの批評家たち。
これに関連して、40歳から64歳までの中高年の引きこもりが約61万人、若年層を含めると、日本社会の引きこもり人口は、軽く見積もっても推定100万人を超えるとのこと。
加えて、昨晩のNHK スペシャル番組「不登校44万の衝撃」・・・番組内容は、広島県教育委員会、福山市立城東中学校の取り組みを中心にしたドキュメント番組でしたが、今ひとつ要領を得ない展開でした。
不登校の原因を突き詰めるのに弱腰になっているのでは?
城東中学校は、福山の親戚の子供たちが通っていたので、注意深く観ていました。
不登校の子供たちが、若者になり、大人になり、社会参加から逃避する引きこもりと関連性の指摘がなかったのも残念です。
テレビに出てもっともらしい事を言うタレントや政治家の輩は、表舞台に立つ成功者であり、人生の引きこもり側に寄り添う事は難しいと考えます。
学校や仕事場に行きたくないのは、誰のせいでしょうか?
友だちや仲間がいなくなり、お金もなくなり、今日行く用事も場所も無くなるのは、誰のせいでしょうか?
自己責任ですか?
自分の弱味、脆さを、もっとさらけ出してもいいのではないかと思います。
人間は、決して強くはないのです。
はて⁉
魔の刻は、夕刻ではなかったのかな?
金子みすゞさんは、大漁という詩を残しています。
朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の大漁だ
濱はまつりのようだけど
海の中では何万の鰮(いわし)の
とむらいするだろう