百島ファンクラブ 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

朝焼け夕焼け小焼け。

2019年05月31日 | 千伝。

夕焼け小焼けの童謡を歌いたくなりました。

作詞は、中村雨紅。

1 夕やけこやけで 日が暮れて 
  山のお寺の 鐘がなる
  お手々つないで みなかえろ 
  からすといっしょに かえりましょ

2 子供がかえった あとからは
  まあるい大きな お月さま
  小鳥が夢を 見るころは
  空にはきらきら 金の星

保ちゃんに電話をしたくなりました。

川崎市の登戸は、案外思い出の多い場所で、若い頃、今もずっと神奈川県で暮らす友人の保ちゃんとの待ち合わせ場所だったり、多摩川のサイクリングコースを走るため対岸の調布、狛江からよく渡ったものです。

先日、朝の通学時に起こった川崎市登戸での通り魔殺傷事件、悲しい憤りを感じるニュースです。

「死にたいならば独りで死ねばいい」という公的なテレビ番組での憤りのコメントにも賛否両論の意見が生じています。

51歳の犯人に対して、「同じような惨めな環境で育っても立派な人間は、いっぱいいますよ」と述べるメディアの批評家たち。

これに関連して、40歳から64歳までの中高年の引きこもりが約61万人、若年層を含めると、日本社会の引きこもり人口は、軽く見積もっても推定100万人を超えるとのこと。

加えて、昨晩のNHK スペシャル番組「不登校44万の衝撃」・・・番組内容は、広島県教育委員会、福山市立城東中学校の取り組みを中心にしたドキュメント番組でしたが、今ひとつ要領を得ない展開でした。

不登校の原因を突き詰めるのに弱腰になっているのでは?

城東中学校は、福山の親戚の子供たちが通っていたので、注意深く観ていました。

不登校の子供たちが、若者になり、大人になり、社会参加から逃避する引きこもりと関連性の指摘がなかったのも残念です。

テレビに出てもっともらしい事を言うタレントや政治家の輩は、表舞台に立つ成功者であり、人生の引きこもり側に寄り添う事は難しいと考えます。

学校や仕事場に行きたくないのは、誰のせいでしょうか?

友だちや仲間がいなくなり、お金もなくなり、今日行く用事も場所も無くなるのは、誰のせいでしょうか?

自己責任ですか?

自分の弱味、脆さを、もっとさらけ出してもいいのではないかと思います。

人間は、決して強くはないのです。

はて⁉ 

魔の刻は、夕刻ではなかったのかな?

金子みすゞさんは、大漁という詩を残しています。

朝焼け小焼けだ 

大漁だ

大羽鰮(いわし)の大漁だ

濱はまつりのようだけど

海の中では何万の鰮(いわし)の

とむらいするだろう


栄西 (1141~1215)

2019年05月31日 | 空木宝剣

鐘の音や きらきら響く 正眼寺

令和になって、もうひと月か、まだひと月かのどっち?

毎日、同じ事をしても、同じではない。

逸外禅師は、毎回同じような講話をされても毎回違っていた。

まさに、禅問答のようであるが、臨済宗、正法山妙心寺派正眼寺、山川宗玄禅師の言葉である。(NHKこころの時代より)

団塊が25才の昭和50年頃、美濃加茂市の正眼寺を訪ねた覚えがある。

その頃、山川禅師は雲水だったか、逸外禅師も御健在であったか。

打撃の神様、川上哲治が座禅に来て、「球が止まって見える」眼を手に入れたのが正眼寺と、地元の人に教えられての事だった。

重いものが軽く感じたり、千里の道も一里と思えたり、速いものを止めて見せたり、只管打坐は畏るべし。

只管打坐、只ひたすらに座る中に、打つの字がある。

それにしても、山川禅師と三冠王打者の落合博満氏の顔がそっくりなことに驚かされた。

静と動、座ることと立つこと。

スポーツと坐禅は、バランス的に、深い関係なのかも知れない。

一日一禅は、一日一善に通ず。

令和5月の初月に、滋賀県の大津では、交差点で接触した車が、信号待ちの園児の列に飛び込んでの死傷事故。

5月28日には、小田急沿線の登戸にて、スクールバスを待つ児童が、51才の男に次々と殺傷される、忌まわしい事件が起きた。

自動車も軽くなり、人間のつながりも希薄になったのか。

令和の時代を、末法の時代にするか、正法の時代に導くかは、人の心を正気にするか否かに掛かってくる。

若者は、肉体を鍛えると強い心も付いてくるように思いがちだが、肉体を静かにする事で、ただされる心もあることに気付いて欲しい。

まず、道を譲る事から、一日一善を励行すれば、善行の輪が拡がり、豊かな心の時代、令和の道が開けるかも知れない。


黄金の郷。

2019年05月27日 | 百伝。

トランプ米国大統領が、国賓として来日中。

アメリカのCNN放送が、「アメリカの代表として、とても立派な大統領に映る」と、滅多にない賛辞をしていました。

ほんの3年前の今、オバマ前大統領のヒロシマ訪問の歴史的快挙が、遠い過去に思えます。

人間は、平和を尊びつつも、争いごとを好むのかもしれません。

先日の英国のメイ首相の涙ながらの辞任表明演説。

同年齢でイーストボーン出身のメイ首相の悔しさが理解できます。

人間は、脆くて、弱いものです。

いつも自身満々で、積極的に生きていける人間など、ひとりもいません。

ニーチェはかく語りけるの「憧憬や夢に向かって飛ぶ矢となれ」・・・を維持するのは難しいのです。

昨日は、郊外へ。

北陸新幹線の金沢から敦賀までの延伸、4年後の開通に向けて、県内ずっと工事が続いています。

東京、関東方面まで行くのは便利になりますが、大阪、関西方面には、敦賀で在来線に乗り換えになるので不便になります。

広島に行くなら、二度も乗り換えをしなくてはなりません。

北陸地方の不満の声が大きくなりつつあります。

九州の福岡県と長崎県の間に位置する佐賀県のように「新幹線なんて必要ない」という意見、理解できます。

地元の「オトナ博」へ参りました。

仏壇やら高級車、キャッピングカー、それと、美容、健康関連のモノが多かったです。

特段欲しいというものはありませんが、今の時代のオトナは、どんなものを求めているのやら?

「お金」なのでしょう。

お金が集まる面白い逸話(念じる方法)がありました。

お金に喧嘩を売る方法・・・いつも逃げている一万円札に文句を言う。

「逃げてばかりではなくて、束になってかかって来い」

お金に恩を売る方法・・・別れの挨拶を言う。

「また、お家(財布)に帰って来いよ。仲間を沢山連れて帰って来い」

・・・?

心配事は、心に歪みを生じて、精神にも身体にもバランスを損ねます。

お金の稼ぎ方、儲け方は、健康であることが、一番大事です。

生きているならば、「福よ、来い!」と念じるのが正解。

「実るほどに、垂れる稲穂かな」

地上には、道はなくて、歩む人が多ければ、それが「道」となるのかな?

その尾っぽの道が、広島にも、福井にも、そして、百島にも続くようになったのでしょう。

広島も、福井も、そして、百島も。

もともと、歩む人が多くても「道」はなくて、飛び越して「目標、指標」と呼ぶのかもしれません。

「黄金の国ジパング、日本は、世界に恵みを与える国となれる」と信じて。


椋 鳩十 (1905~1987)

2019年05月20日 | 空木宝剣

屋久島や 片耳の鹿 現れる

俗に、1ヶ月に35日も雨が降ると言われる屋久島。

18日から19日にかけて、バケツをひっくり返したような雨が降ったとのこと。

1か月分の雨量が一日に降る集中豪雨。

縄文杉や宮之浦岳(1935米)を目指す登山客が、土砂崩れ、倒木、濁流に阻まれ、314人もの人が孤立したまま一夜を過ごすが、明けの19日に全員無事救助とのニュース。

団塊の記憶が正しければ、屋久島を舞台にした「片耳の大鹿」(著作椋鳩十)の物語が、小学校の国語の教科書にあった。

島には、大王杉という千年を超す神代杉があって、縄文杉が命名される前の昭和初期の物語。

野生の鹿も多く繁殖していたので、いわゆるディアハンターが、狩りで、鹿の角や毛皮を生業にしていた頃である。

銃弾で片耳を失った鹿は、「片耳の大鹿」と怖れられ、また、屋久島の主として猟師からリスペクトされる存在でもあった。

ある日、猟師が一昨日のような豪雨に遭遇し。下山不可能となり、這う這うの体で、洞窟に逃げ込み、安堵したとたんに洞穴の奥に、光る動物の目を感じた。

そこは、「片耳の大鹿」の巣窟だった。

ところが、「片耳の大鹿」に、威嚇したり襲ってくる気配はない。

大嵐から逃れてきたものは、例え仇敵であろうと救うという、山の掟が、人間と鹿の垣根を取っ払ったに違いない。

昨日、全員無事に下山出来たのは、きっと山の主「片耳の大鹿」の力と、山の掟に従っての行動に救われたように思える。


大介護時代。

2019年05月19日 | 千伝。

もしくは、大航海時代。

先日のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」の舞台は、横須賀市の久里浜、浦賀地区でした。

人生には、時々「物忘れをしていた思い出」が、何十年ぶりに甦ってくることもあるようです。

小学校5年生か6年生の頃かな?・・・横須賀市の久里浜に行ったことがあることを思い出したのです。

それも、父が乗っていた貨物船からの上陸です。

久里浜には、ペリー提督の大きな上陸記念石碑が立っています。

子供心に不思議だったのは、江戸時代末期、ペリー提督率いるアメリカの黒船が「浦賀」に現れたと教科書で学んでいました。

だから、何故?・・・聞いたこともない地名「久里浜」に、ペリー提督の上陸記念碑かあるのか?という疑問でした。

教科書に記載すべき地名は、「浦賀」ではなく「久里浜」ではないかという子供心の疑問でした。

あれから50年・・・その後、東京暮らしの20代の時には、個人的な取材も含めて、何度か横須賀市を訪ねたことがあります。

ドブ板通りにあるアメリカ兵相手のパブの脇にあった水子供養の御地蔵さん、観音崎の灯台、三浦半島の先端にある油壷、城ケ島まで足を伸ばしているのに、久里浜、浦賀は、何故か訪問していません。

「久里浜、浦賀」は、子供の時分の記憶をスルーしているのを、昨晩のテレビ番組で認知できました。

番組の中で、久里浜に停泊していた船舶関係者の方は。「日本は島国だから、99%以上のモノを船で運んでいる」と強調して伝えていました。

海運業、船乗り・・・これまた人手不足の時代。

2018年10月1日現在の日本の総人口は1億2644万3000人と8年連続で減少。

総人口のうち大人(20歳以上)人口は約1億人で、うち年齢50代以上の人口は約5800万人。

来年の2020年には「大人10人に6人は、年齢50代以上」となるとのこと。

年齢40代以上では、「大人10人に8人」となるとの予測。

いかに、日本の若年層が減少しているのが、如実に示されています。

黒船を率いてペリー提督が日本に上陸した江戸時代末期から明治維新にかけて、日本の人口は約3000万人と推定されるとか。

つまり、その後の150年間程で日本の人口が1億人超えたというのは、富国強兵という、これまた驚異的な人口爆発的な増殖政策だったのでは?

お隣の台湾が、アジア初、同性愛結婚を法制化したというニュース。

それによって、同性愛者がイジメられる、台湾という国が他国からイジメられる、攻撃されるということはないはずです。

大きな社会問題は、人口の増減よりも、高齢者を背負う若者の人口比率が急激に少なくなるということ。

第2、第3の黒船の到来を考えるべき日本の転換期、令和の始まりかもしれません。


逆さ虹。

2019年05月14日 | 空木宝剣

母の日の 南の空に 逆さ虹

昨日母の日に、縄跳びのような、上弦の虹が現れた。

すわ、地震の予兆かはたまた、大吉兆かと、令和初の母の日に、思いを巡らせたが、今夕のNHKお天気キャスター勝丸氏によれば、環天頂アークとの事。

姓はオロナイン。

名は軟膏で解決ときた。


ロコトレ MoMo島へ。

2019年05月09日 | 百伝。

「休みに行くMoMo島へ。」

今日は、大きな病院での定期診断。

診療待ちの間、地元新聞(福井新聞)を読んでいると、興味深いコラム(越山若水)がありました。

 【越山若水】わが家の近くに、河川敷を利用して造られた遊歩道があって、時折歩いたり、元気があればゆっくり走ったりする。大型連休の最終日も、手持ちぶさたを紛らそうと出かけてみた▼雨になった午後と違い、朝の内はなかなか気持ち良い日だった。無粋なので五感を楽しませてくれた鳥や草花の名を知らず、ここに書けないのが口惜しい。1人のウオーキングの男性が時々立ち止まって辺りを撮影していた▼着慣れた風のスポーツウエアからみて、男性は普段から散歩に訪れているようだった。目的は多くのウオーカーがそうであるように健康維持であろう。良い季節とはいえ、景色はいつも目にしているはずの何げない自然である▼でもこの男性、手にしていたのはスマホでなくデジカメ。つまり、景色を収めたいと家を出る時から考えていたことになる。日常の自然であっても記憶にとどめたくなるのが福井と言えば大げさだろうか。この人のふるさととは断じられないが、地元の風景から癒やしを得る人の姿を間近に見た一こまと思いたい▼若狭町出身の若新雄純さんが、こんなことを言っていた。「『休みに行く福井』っていいと思いませんか」。休むために向かう場所の意で、福井が「何もない」などといわれることを逆手に取った、まちづくりの提案である。福井の良さをそのままに、人を招くことができる妙案と思う。

 同意です❗

病院内をウロウロしていると、かつての知り合いとも出会します。

随分ご無沙汰しており、いつの間にか年老い、車椅子に奥様を乗せて、入院手続きをされていました。

歳月の流れを考えさせられました。

さらに、病院内をウロウロすると、こんな掲示物もありました。

要介護を予防するロコモトレーニングの活用です。

 「休みに行こうMoMo島へ。」

・・・好いと思いませんか?   


令和の兆。

2019年05月08日 | 千伝。

令和になって初めての休日、翔んでいる揚羽蝶を見ました。

雄か雌か分からないけど、どこから現れたのかな?

最近のNHKを筆頭に民放も同性愛者を主人公にしたドラマ番組が増えたような気がします。

令和の時代、日本も同性愛者の結婚が法制化で認定されれば、日本の女系天皇制も認められて。女性首相も登場するかもしれません。

世の中には、10連休が終わり、学校や会社に行きたくない人、大勢いるようです。

神気発祥。

明日が楽しいと思えば、楽しい明日が来ます。

挑、桃、兆・・・喚起、予防、呼吸。


子どもの日。

2019年05月06日 | 百伝。

日曜日から月曜日は、日と月の明るい週始めとなるはずですが、特に今の時季は長い連休のあとは、五月病という言葉が飛び交います。

子どもの日。

とりわけ、子ども達へ。

ワクワク感・・これは人生の原動力だからね❗

だから、空虚感、失恋感のような敗北感から、どう立ち直るかが、人生の決定打となる。

子どもの時、何かに立ち向かった勇気があれば、それを思い出すこと。

悲しい想いも、苦しい過去も、未来が変えてくれる。

それを、人生劇場の結果オーライとも言う。


令和の時代へ。

2019年05月01日 | 百伝。

いよいよ、令和の時代がスタートしました。

昨晩から日本中、新しい天皇の即位と新しい元号令和を祝うお祭り気分です。

今日は、令和元年五月一日。

ところで、20年前の今日5月1日の一番大きなニュースは、何だったのか?

・・・ご存知ですか?

尾道と今治間の「しまなみ海道全線開通」の記念日なのです。

そう。大きな祝賀式典も開催されました。

20年前の今日、本日即位した天皇皇后両陛下は、その祝賀式典に出席されていたため、百島の対岸の浦崎(尾道市)のホテルに御滞在されていました。

何故、それを鮮明に記憶しているかと言うと、20年前の今日、百島へ帰省した日なのです。

交通規制もあり、尾道界隈は、大渋滞でした。

やっとの思いで、向島の歌港に着いたと思ったら、備後商船の百島行き最終フェリーは、目の前でちょうど出航したあと、嗚呼!間に合わなかったのです。

当時は、家内と幼い息子の家族3人での帰省・・・公衆電話から、実家の百島へ「最終フェリーの乗り遅れたから、どこかに泊まる」と連絡しました。

すると、父親から「船を手配するから、道越桟橋(浦崎町)に廻れ、着いたら連絡するように」とのこと。

道越桟橋に着くと、公衆電話がありません。

地元の家族連れの方が歩いていたので、公衆電話の場所を訊くと「どうしたのですか?」とのこと。

「これから、百島へ帰るために、船を呼ぶために電話したいんです」と言うと、「これを使ってください」とのこと。

・・・驚いたなぁ!

差し出されたのは、「携帯電話」でした!

ほんの20年前、ぼちぼち先進的な人たちが使い始めていた「携帯電話」到来の時代がスタートしていたのです。

それをお借りして、百島の実家へ連絡。

車を道越桟橋に置いて、迎えに来たポンポン船「百島丸」で、やっと実家に無事到着出来たのです。

あの時、携帯電話をお借りした方から、「今日は、皇太子ご夫婦が来られていて、この辺、大変なんですよ」とおしゃっていたのが印象に残っています。

浦崎の道越港から、百島福田港まで、僅か10~15分程度の船旅。

皇太子ご夫妻の宿泊しているホテルの煌々とした光を仰ぎ見上げながら、ポンポン船に初めて乗った幼かった息子が、大はしゃぎで楽しそうな様子、光景が甦ります。

息子は、今でも、その光景をよく覚えています。

さて、新天皇のカラオケ十八番は、演歌「氷雨」だったとのこと。

あの作詞作曲した人間は、百島出身だということを知って、あのホテルに滞在しながら、百島を眺めていたのだろうか?

今日の天皇即位の儀を、テレビで観ながら、そんなことを思い巡らしていました。

昨年、「また福井にお越しください」と声を出すと、アイコンタクトのあと、陛下から手を振ってくださった嬉しい出来事がありました。

今日は、天皇即位と令和という新しい元号の歴史的な初日一日。

我が家は、明日から令和最初の近所のゴミ当番・・・平和な日常生活です。

令和・・・ありがたく、嬉しく、どんな時代になるのかな?

・・・不思議な時代の予感です。

新天皇の著書も読んでみたくなりました。