先日の午後、NHK BSで、 デンマーク映画「バベットの晩餐会」を観ていました。
35年前の1987年製作の映画で静かに心に染みるストーリーです。
この映画を初めて観たのは英国で、字幕台詞は英語でした。
舞台は19世紀後半のデンマークの辺境な海辺の集落。
牧師一家姉妹が若い頃に縁があった二人の人物。
一人は若きスウェーデンの青年将校、もう一人はフランスのパリで活躍するオペラ歌手。
時が流れて35年後、老いてしまったオペラ歌手の突然の紹介手紙によって、パリコミューンの革命によって、主人と息子が殺され天涯孤独の身になったバベットという女料理人が、言葉も通じないデンマークの辺境の漁師町に逃れてきます。
そのバベットが、老姉妹の辺境生活のもとで暮らすようになって、さらに14年後。
物語は、人生の生きるという意味の深さ、その結末に向かいます。
さて、20代の頃、英国の女流作家ヴァジニア・ウルフ(1882-1941)に興味を抱いて、これは凄い作家だと喧伝していました。
とはいえ、当時は、米国の「ヴァージニアウルフなんか怖くない」という作品かな?程度の反応でした。
その後、渡英、ヴァージニアウルフが暮らしていたロンドン郊外のリッチモンド、そこで暮らしたりもしました。
彼女の短編小説作品Kew garden キュウガーデン・・わざわざその場所まで何度も行きベンチに座って作品を読んだ事もありました。
当時、リッチモンドの生活で知り合ったミセス・シヴ・・80歳過ぎぐらいの方でした。
かつては、英国のロイヤルバレエ団の花形、社交界の花だったとの事・・当時の若かりし頃のセレブリティな写真も見せてくれました。
そのような方が、何ゆえ極東の島国日本からやって来た僕に興味を示してくれたのか?
その理由が、ヴァジニア・ウルフヘの共通の興味、同じような想いだったようです。
49歳で自殺したヴァジニア・ウルフ、世界一美しいと言われる遺書も書き遺しています。
ミセス・シヴは、ヴァジニア・ウルフよりも20歳ぐらい若かったようで、個人的にも直接お話し出来た機会もあったようです。
「人生の意味とは何か?、実に単純な疑問だ。しかし歳を重ねるにつれて深く迫り来る難問だ。だが未だに大きな啓示はなく、これからもないかもしれない。」ヴァジニア・ウルフ(灯台ヘ)
思い出すのは、ミセス・シヴの老いるという威厳。
威厳というのは、今も分かりません。
何だろう?
ミセス・シヴは、いつも上から目線で僕に英国標準語(クィーンズイングリシュ)を教えてくれました。
美しい英語を学びなさい、と。
単純に、1から10まで繰り返し発音するだけで、何の役にも立ちませんでした。
余程、スコットランド訛りの喉を使うイングリシュアクセントの方がインパクトが強かったです。
「バネットの晩餐会」、映画のワンシーンの中で、「天国に持っていけるものだけを与えられる」という台詞がありました。
ワンからテンまでは、今でも自信を持ってクィーンズイングリシュを話せます。
ヴァージニア・ウルフ、ミセス・シヴを思い出せてくれた映画「バネットの晩餐会」に感謝。
「リッチモンドの丘」
いつか、KEW-GARDEN/キュウガーデンを散策しおくとよい。
時期は、花咲き誇る5月から6月が、一番いいだろう。
それから、長靴も用意しておいた方がいいかもしれない。
君が、いつか旅立つ時には、ぼくは、もう年老いて何にも伝えられないかもしれない。
今のうちに、ママの前では、喋れない想い出話を記しておく。
リッチモンドの丘に立ってごらん。
キュウガーデンを出て、KEW-BRIDGEに向かう手前で、左に折れなさい。
すぐに、テムズ河にぶつかる。
そのまま、また左方向、上流に向かって川沿いをゆっくり歩きなさい。
だんだん泥んこだらけの畦道のようになっていく。
少し歩くと気がつくはずだ。
東の空から手が届きそうな高さで飛行機が頭のうえを通り過ぎる。
ヒースロー空港への到着便だ。
正確に間を置きながら、どんどん飛行機が降りてくる。
(あの頃は、コンコルドの機体を真下から見る事もできた。)
ゆっくり立ち止まって空を眺めるのもいい。
ジェット音が消えた束の間の自然の静寂さ、不気味さ、あるいは心地良さを感じるはずだ。
そして、またジェット音。
その繰り返しの間、君は、いったい何を考えるのか興味が湧く。
ゆっくりと歩いて、約2時間。
君は、リッチモンドの街に辿り着くだろう。
パパが、昔、暮した処だ。
もう、飛行機の音も聞こえない。
風の音も聞こえないはずだ。
ただ、街の音が、耳に憑くだけだ。
スコーンとTEAを、どこかで取りなさい。
そのあと、あの丘にのぼりなさい。
君は、あの丘から何を見るのだろう?
君は、あの丘で何を考えるのだろうか?
君に、パパではなくて、オヤジと呼ばれる頃、この街のことをもう一度話してみたい。
William Turner:Richmond Hill, 1819: